部屋の中には、妙な空気が流れていた。
現地ナギサは、ソファに腰かけている現地セイアを見つめていた。
現地ミカもまた、同じように現地セイアを見ている。
二人とも、目元には涙の跡が残っていた。
無理もない。死んだと思っていた友人が、そこにいたのだ。
しかも当の本人は、さきほどまでゲーム機を握りしめ、敗北した画面を見て「ああー!! 私のレオンがぁぁぁ!!」と叫んでいた。
感動の再会としては、かなり異質だった。
先生は二人の少し後ろに立ち、その様子を見守っていた。
サオリは壁際に背を預け、腕を組んでいる。
ミネは扉の近くに立ち、いつでも救護できる態勢を維持していた。
現地セイアはコントローラーを一度机に置き、困ったように笑う。
「それで、君たちはいつまで私にしがみついているつもりだい?」
現地ナギサと現地ミカは、はっとしたように顔を上げた。
「す、すみません……!」
「ご、ごめんね、セイアちゃん……」
二人は慌てて離れる。
現地セイアは軽く肩を回しながら、ゲーム画面を名残惜しそうに見た。
「まったく。G第二形態はただでさえ神経を使うというのに……」
「セイアさん」
現地ナギサが少しだけ咎めるように言う。
「今、それは重要ですか?」
「私にとっては割と重要だったね。なにせノーセーブ、ノーコンティニューの挑戦中だったからね…儚くも失敗に終わったがね」
「セイアさん!」
現地セイアはくすりと笑った。
その軽口を聞いて、現地ナギサは胸の奥が少しだけ緩むのを感じた。
ああ、本当にセイアだ。
口が悪くて、妙に余裕があって、人を煙に巻くのが上手い。
間違いなく、自分たちの知る百合園セイアだった。
現地ミカは両手をぎゅっと握りしめ、改めて現地セイアの前に立った。
「セイアちゃん」
「なんだい、ミカ」
「ごめんなさい」
ミカは震える声で謝りながら深く頭を下げた。
「私、セイアちゃんを傷つけるつもりなんてなかったの…。最初から殺すつもりなんて、本当になかったの…」
「……」
「でも、私が少し脅かしてって頼んだから。私が馬鹿だったから。だから、セイアちゃんは……」
言葉が詰まる。現地ミカの目に、また涙が浮かんだ。
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」
現地セイアは、その言葉を黙って聞いていた。
怒るでもなく、責めるでもなく。ただ、少しだけ目を伏せる。
そして、自分の中での答えが出たのかゆっくりと口を開いた。
「まあ、私としては少しの間ティーパーティーの仕事から解放されて、平和な日々を堪能できたからね」
「……え?」
現地ミカが顔を上げると、現地セイアは軽く笑っていた。
「むしろ感謝しているくらいさ」
「セイアちゃん……」
「ただし、ゲームの邪魔をした件は別だよ」
「それはごめんね!?」
「セイアさん、今それを交ぜる必要はありましたか?」
「どうにも空気が重すぎるのは苦手でね」
「あなたは本当に……」
現地ナギサは深く息を吐いた。
けれど、その口元は少しだけ緩んでいた。
それから、現地ナギサはふと真剣な顔に戻る。
「セイアさん。私は、あなたが死んだと聞かされていました」
「ああ、そうだろうね」
「あれは、一体どういうことなのですか?」
現地セイアはソファに座り直し、少しだけ視線をミネへ向けた。
「ミネに頼んで、そういう噂を流してもらったんだよ」
「……ミネ団長に?」
現地ナギサがミネを見る。ミネは真面目な顔で頷いていた。
「セイア様の身を守るため、必要な処置だと判断しました」
「なぜ、そんなことを……?」
現地ナギサの声には、責める響きだけでなく、戸惑いが混じっていた。
現地セイアは肩をすくめる。
「この嘘も最初は、自分の身を守るためだった」
「最初は?」
「ああ」
現地セイアは窓の外を見る。
「私は予知夢を見る。あまり嬉しくない予知夢をね……」
現地ミカも、現地ナギサも黙った。
「血と炎と破滅。どうしようもなく進んでいく破滅の未来。何をしても、最後には全部壊れていくような内容だった」
「……」
「けれど、先生が来る少し前くらいから、突然その夢の内容が変わった」
現地セイアは少しだけ思い出したように笑みを浮かべる。
「残酷な未来が、急にハチャメチャな未来になったのさ」
「ハチャメチャな未来……?」
先生が思わず聞き返す。
「水着威嚇、段ボール潜入、ロールケーキ拷問、謎の助っ人、そして私ではない私」
「……」
先生はそっと目を逸らした。
だいたい心当たりがある。
現地セイアは続ける。
「それで、私は思ったんだ」
「何をですか?」
現地ナギサが問う。
「未来に悲観するのはやめよう、と」
「……」
「だから手始めに、思い切り仕事サボることにした」
堂々と言い放った。悪びれる様子は一切ない。
その言葉を聞いた現地ナギサの頬が、ぴくりと引きつった。
「……では、何ですか?」
「ん?」
「私が見えない敵に怯え、紅茶の味も分からなくなり、先生に縋り、サオリさんに護衛されていた日々の中……」
現地ナギサは目が笑っていない笑顔を浮かべた。
「セイアさんは、気ままにゲームで遊んでいたと?」
部屋の温度が少し下がった。
現地ミカがそっと一歩下がる。先生もゆっくりと身構える。
そんな緊張した中、現地セイアは慌てることなく穏やかに言った。
「サボると言ったのは、少し君たちをからかっただけさ」
「本当ですか?」
「君も、本当に私がずっと遊んでいただけだと思っているわけじゃないだろう?」
現地ナギサの表情が少しだけ明るくなる。
「そうですよね!」
現地セイアはにこりと笑った。
「そうとも」
「では、セイアさん」
現地ナギサは身を乗り出した。
「身を潜めている間に、何があったのか教えてください」
「……」
現地セイアは黙った。
先生はその沈黙に、嫌な予感を覚えた。現地ミカも先生とまったく同じ事を思っていた。
サオリは壁際で、わずかに口元を動かした。
現地セイアはゆっくりとソファから立ち上がる。
そして、静かに窓へ向かい、おもむろに窓を開ける。
外から新鮮な空気が入ってくる。
現地ナギサは期待した目で彼女を見つめていた。
いよいよ、何か重要な情報が語られる。
そんな空気だった。
しかし、現地セイアはとても自然な動きで窓枠に足をかけた。
「……っ!!」
次の瞬間。現地セイアは窓から外へ逃げ出した。
「やっぱりですか! 逃げるな、サボり魔!!」
現地ナギサの絶叫が部屋に響く。
ミネも目を見開いた。
「…またですか!?」
ミネはすぐに窓へ駆け寄り、外へ飛び出す。
「セイア様! 安静にしてください!」
「私は至って健康だよ!」
「健康な方は窓から逃げません!」
「今のは自由への逃走だよ!!」
外からそんなやり取りが聞こえてくる。
現地ナギサも現地セイアを追って窓から飛び出していった。
「止まれ! サボリ狐…! 一発殴らせろ…!」
「ナギちゃん、落ち着いて……!」
現地ミカが窓から頭を出して宥めるが効果は無いようだった。
先生は苦笑するしかなかった。
壁際では、サオリが腕を組んだまま小さく笑っていた。
「ククク……」
先生はそんなサオリに声をかける。
「こっちのセイアも同じなんだね」
「そうだな」
サオリは口元に薄い笑みを浮かべる。
「私の知っているティーパーティーに近づいてきた」
「それ、褒めてる?」
「さあな」
そんな会話をしていると、現地ミカがふとサオリへ視線を向けた。
先ほどまではセイアのことで頭がいっぱいだった。
しかし、少し落ち着いた今、ようやく引っかかっていた疑問を口にする。
「さっきはスルーしてたけど……」
現地ミカの目が鋭くなる。
「どうしてあなたがナギちゃんの護衛になっているの?」
サオリの視線が現地ミカへ向く。
現地ミカは一歩近づく。
「もし、ナギちゃんを騙しているなら――」
「だ、大丈夫だよ!」
先生が慌てて間に入った。
「サオリは私が呼んだ助っ人だから!」
「先生が?」
現地ミカはサオリをじっと見た。
観察するように何かを見極めるように。
「……確かに」
現地ミカは小さく呟く。
「私の知っているサオリとは、雰囲気が違う」
「……」
「私の知っている方は、もっと鋭くて冷たかった」
現地ミカは少し不思議そうに首を傾げる。
「こんなポヤポヤしてない……」
現地ミカからの評価にサオリが固まった。
「私はポヤポヤしているのか?」
先生は少し考えた。
「……してるね」
「そんな!」
サオリは明らかにショックを受けた。
「先生にまで言われてしまうとは……」
そして、小さく呟く。
「バニバニ……」
「そういう所だよ」
「……アツコに最近の流行と教えてもらったんだがな?」
現地ミカがあきれ顔で言うと。サオリは少しだけ肩を落とした。
現地ミカは、警戒していたはずなのに、少しだけ毒気を抜かれた顔をしていた。
このサオリは、自分の知っているサオリとは違う。
そう思わざるを得なかった。
その時サオリの体が、淡く光り始めた。
先生はすぐに気づいた。
「あ……」
サオリも自分の手を見下ろす。
「そうか……もうお役御免か……」
「そうみたいだね」
先生は少し寂しそうに笑った。
「ずいぶん助かったよ、サオリ」
「いや、いいさ」
サオリは静かに首を振る。
「これからも困った時は、存分に呼べ」
状況が分かっていない現地ミカだけが慌てていた。
「えっ……? えっ……!?」
「どういうこと!?」
「助っ人機能で呼んだ生徒は、一定時間経つと元の世界に戻っちゃうんだよ」
「そうなんだ……」
現地ミカは、サオリを見る。
サオリの輪郭は少しずつ光に溶け始めている。
サオリは現地ミカへ視線を向けた。
「……聖園ミカ」
「……何?」
「桐藤ナギサに伝えておいてくれ」
サオリは少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「短い間だったが、お前との護衛生活は、まあ悪くなかったと」
現地ミカは複雑そうな顔をしていたが最終的に納得したのか小さく頷いた。
「……分かったよ」
サオリは次に先生を見る。
「それと先生」
「うん?」
「もし、この世界の私と出会ってしまったら、すぐに逃げろ」
先生の表情が少し引き締まる。
「この世界のサオリと?」
「ああ」
サオリは真剣な声で続けた。
「この時点で聖園ミカが和解し、アリウスとの協力関係が反故になれば、この世界の私は恐らく怒り狂っているはずだからな……」
「そ、そうなんだ……」
先生は少しだけ困ったように聞く。
「ちなみに、どのくらい怒っていると思う?」
サオリは少し沈黙した。
そして、重々しく答えた。
「……ネメシスくらいだ」
「泣けるね……」
先生は思わず呟いた。
現地ミカは何の話か分からず首を傾げていた。
その会話を最後に、サオリの体は完全に光へ包まれていく。
「ではな、先生」
「うん。またね、サオリ」
「……そうだな。ではまた会える日を楽しみにしている」
サオリは最後にそう言って、光の中へ消えていった。
部屋には、少しだけ寂しい空気が残った。
先生も、現地ミカも、しばらく何も言わなかった。
未来から来たサオリ。
救われた後のサオリ。
その存在が消えたことで、今この世界にいるサオリへの警戒が改めて浮かび上がる。
「この世界のサオリの対策も、考えないとね」
先生がそう呟いた、その時。
シッテムの箱が光った。
『先生!』
「アロナ?」
『今なら一回募集できます!』
「えっ、今?」
『はい! 早く募集しましょう、今ならお得ですよ!?』
アロナの声はやけに自信満々だった。
「本当かな……?」
『アロナちゃんを信じてください。悪いようにはしません!』
先生は少し迷った。
しかし、このタイミングで募集できるということは、何か意味があるのかもしれない。
それに、今まさにこの世界のサオリに対する戦力は必要になったばかり。
ここで戦力増強しておくのも悪い手ではない。
「分かった。じゃあ募集しよう」
『了解です!』
シッテムの箱が光を放つ。
現地ミカは目を丸くしながらその光景を見ていた。
「な、何これ……?」
「いつものやつだよ」
「いつものなの?」
室内が光に包まれていき、そして収まった。
するとそこに立っていたのは――。
白いキャップを被り、濃い青の髪を後ろでまとめた少女。
首にはヘッドホン。
トップスの上から、淡いミントグリーンの羽織をゆるく着ている。
ショートパンツに黒いサンダル。
ラフな姿ではあるが、立ち姿には油断のない鋭さが残っていた。
先ほどとは違う格好をした錠前サオリだった。
サオリは何が起きたのかすべてを理解して、深く息を吐いた。
「存分に呼べとは言ったが……。こんなすぐに呼べとは言っていないんだが……」
先生は慌てて両手を合わせる。
「ご、ごめんね! 募集できるようになったからしてみたら、こうなっちゃった」
「バニバニ……」
サオリは顔を覆いかけた。
現地ミカは、目の前で起こった出来事を理解できずに固まっている。
「……?」
さっきまでいたサオリが消えて少し寂しい空気になった。
対策を考えようとしたら水着姿で戻ってきた。
現地ミカの脳は、そこで処理を放棄した。
先生は苦笑する。
「えっと……おかえり、サオリ?」
水着サオリは、半眼で先生を見た。
「ただいま、と言うべきなのか?」
「ごめん…」
「いやいいんだ……」
サオリは小さく息を吐く。
「まぁ…ただいま。先生」
その横で、現地ミカは完全に宇宙猫になっていた。