人通りの少ない細道でセイアとアツコの二人は、この世界の錠前サオリと鉢合わせていた。
「お前は……百合園セイア!?」
サオリの鋭い視線が、セイアを射抜く。
次いで、その隣に立つ少女へ向けられた。
「それに、アツコ!? どうしてお前がここにいる!」
「「あっ」」
二人の声が綺麗に重なった。
ハンバーガーを買いに出ただけだった。
それなのに、よりにもよって今もっとも会いたくない人物と遭遇してしまった。
セイアは穏やかな表情を保ちながら、凄まじい速さで思考を巡らせる。
説得するか。逃げるか。
水着になって威嚇するか。
最後の手段は、今のサオリには逆効果になりそうだった。
「オイ」
返事をしない二人に、サオリが苛立った声を出す。
「お前たちは何者だ!?」
「……っ」
サオリは銃を構え、銃口を二人へ向けた。
「百合園セイアは殺されたはずだ。それに、ここにアツコがいるのもおかしい。答えろ!」
セイアは小さく息を吐く。
「ハァ…面倒なことになったな……」
「聞こえているぞ!」
サオリが一歩踏み出す。
その時、アツコも静かにため息をついた。
「ハァ……」
「何だ?」
「自分が有利だと過信して、近づきすぎだよ。サッちゃん」
「ペラペラとよく回る口だな!」
サオリは苛立ちのまま、アツコの胸元へ銃口を突きつけようとした。
アツコがトリニティにいる。
しかも、自分の知らない場所で、自分を見下すような態度を取っている。
その衝撃が、普段なら決してしない不用意な接近を招いた。
その一歩を踏み込んだ時点で、勝負は終わっていた。
「えい」
「なっ――」
アツコは自分へ向けられていた銃身を掴み、勢いよく引いた。
体勢を崩したサオリの腹部へ、カウンター気味に肘を叩き込む。
「ぐっ!?」
息を詰まらせたサオリの腕を取り、そのまま関節を極める。
流れるように身体を反転させ、サオリを路地の壁へ叩きつけた。
鈍い音が響き、サオリの手から銃が離れるには十分な衝撃だった。
アツコは宙へ浮いた銃を受け止め、その銃口をサオリへ向ける。
「この距離なら、今のサッちゃんより私の方が上だよ」
「な……なんだと……!?」
サオリは壁に押さえつけられたまま、驚愕の表情を浮かべた。
自分が守るべき存在だったアツコ。
戦闘になれば、自分の後方にいるはずだった姫。
そのアツコに、正面から一瞬で制圧された。
「今のサッちゃんは知らないと思うけど――」
アツコは穏やかな声で続ける。
「私も、色々な修羅場を潜り抜けてきたんだよね」
「……!?」
「そんな私からすると、今のサッちゃんは少し温いかな」
「くっ……!」
サオリは悔しそうに歯噛みした。
セイアはその鮮やかな手並みに、思わず口笛を吹く。
「見事だね」
「ありがとう」
「クソッ!」
サオリは強引に身体を捻り、アツコの拘束から抜け出した。
しかし、銃はすでに奪われている。
そこでサオリは腰からサバイバルナイフを引き抜いた。
「なら、貴様からだ!」
標的をセイアへ変更する。
アツコよりも明らかに華奢で、戦闘とは無縁に見える少女。
まずセイアを人質に取り、アツコへ銃を捨てさせる。
「ふむ……」
迫るサオリを前に、セイアは逃げなかった。
「弱い方を人質にするつもりかな?」
「黙れ!」
「流石アリウススクワッドのリーダー、合理的な判断だがね――」
セイアの手が懐へ入る。
次の瞬間、取り出されたのは一振りのサバイバルナイフだった。
「自分がこの中で一番弱いとは、思わなかったのかい?」
「何――!?」
サオリのナイフが振り下ろされるが、セイアは半身になり、刃を華麗に受け流した。
今のサオリは、アツコに敗れた動揺で動きが荒いのもありセイアからすれば至極簡単な作業だった。
セイアは相手の力を横へ逸らし、そのままナイフを弾き飛ばす。
「しまっ――」
体勢を崩したサオリへ、セイアの回し蹴りが直撃した。
「ぐあっ!?」
サオリは路地を転がり、壁際で止まった。
セイアは何事もなかったように、自分のナイフを懐へ戻す。
「普段ミカ達に振り回されていれば、この程度の一つや二つは身につくのさ」
「馬鹿な……」
現地サオリは、地面に手をついたまま動けなかった。
アリウススクワッドのリーダーである自分が、アツコに敗れたのはまだ納得できる。
だが、トリニティでのほほんと暮らしていたはずの百合園セイアにも、あっさり返り討ちにされた。
リーダーとしての誇り。
アリウス最強としての自信。
その両方が一度に粉々になっていた。
「……」
サオリはゆっくりと顔を上げる。
その表情は、まるでFXで全財産を失った者のようだった。
「バニ……」
「サッちゃん?」
「バニ……バニ……」
アツコとセイアは顔を見合わせた。
まさか、ここまで精神的な打撃を受けるとは思っていなかった。
「サッちゃん、大丈夫?」
アツコは奪った銃を安全装置をかけて地面へ置き、現地サオリへ駆け寄った。
「大丈夫、君はこれから伸びる余地は十分にあるさ」
セイアも隣にしゃがみ込み、必死に慰める。
「バニ……」
「サッちゃん。ほら、一緒にハンバーガー食べに行こ?」
「バニ……」
「駄目だ。まるで反応がない」
その時、路地の入口から、聞き覚えのある声が届いた。
「セイアちゃんってば、どこまで逃げたんだろうね〜」
「ミネからは、こっちの方角に逃げたと聞いたんだけど……」
路地へ姿を現したのは、先生と現地ミカと水着サオリだった。
三人は目の前の光景を見て固まった。
地面に座り込み、虚ろな目で震えている現地サオリ。
その両脇で、必死に慰めているセイアとアツコ。
「……」
「……」
「……」
最初に再起動したのは先生だった。
そして、状況を盛大に斜め上へ解釈した。
「二人とも!」
先生は腰に手を当てる。
「弱い者いじめをしちゃ駄目だよ!」
「弱い者……」
現地サオリの瞳から、最後の光が消えた。
「しまった!」
セイアが慌てて叫ぶが時すでに遅し、アツコも現地サオリの肩を揺らす。
「サッちゃん! 先生は悪気があったわけじゃないよ!」
「バニタス……」
「サオリ?」
「バニタスバニタータム……」
現地サオリは死んだ目で、虚空を見つめる。
「エトオムニアバニタス……」
「サオリ!?」
先生もようやく尋常ではないと気づき、慌てて駆け寄った。
「ご、ごめんね! 弱いって言ったのは今この場の状況だけで、サオリが本当に弱いって意味じゃなくて!」
「バニタス……」
「追撃になっているよ、先生」
「どうすればいいの!?」
先生、アツコ、セイアの三人が、現地サオリを囲んで必死に慰め始める。
その様子を見た水着サオリは、片手で目元を覆った。
「どうしてしまったんだ……この世界の私は……」
かつての自分のはずなのに、見る影もない。
いや、精神状態だけなら当時から似たようなものだった気もする。
認めたくはなかったが…。
現地ミカは虚無顔のサオリを見た。
なぜか必死に励ましているセイアを見た。
「……?」
この光景に理解できず現地ミカは再び宇宙猫のような顔で思考停止した。
しばらくして。
先生の端末に、ミネから連絡が入った。
『先生。逃走していたセイア様の救護に成功しました』
「救護って、捕まえたんだね?」
『はい。ナギサ様にもご協力いただき、無事確保しました』
端末の向こうから、現地セイアの抗議が聞こえる。
『離したまえ! 私はまだ自由を諦めていないぞ!』
『セイアさん! いい加減にしてください!』
「元気そうだね……」
先生は苦笑しながら現在地を伝えると、現地ナギサたちもこちらへ合流することになった。
結果として。
ハンバーガーを買いに出たはずのセイアとアツコ。
逃亡した現地セイアを探していた先生たち。
その両方が合流し、なぜかその流れで九人で食事をすることになったのだった。
◆
近場のハンバーガー店。
二つのテーブルが隣り合うように並べられていた。
一方のテーブルには、現地ナギサ、現地ミカ、現地セイア、ミネ。
もう一方には、先生、セイア、アツコ、水着サオリ、現地サオリ。
正気を取り戻した現地サオリはすぐに帰ろうとしたが、アツコに腕を掴まれた。
「サッちゃんも一緒に食べよう」
「なぜ私がお前たちと……」
「さっきお腹鳴ってたよね?」
「鳴っていない!」
最終的に、現地サオリは顔を赤くしながら席へ座らされた。
そして、二つのテーブルではまったく異なる会話が進んでいた。
現地ティーパーティー側。
現地セイアは、巨大なハンバーガーを両手に持ちながら不満そうに言った。
「別にいいじゃないか」
「何がですか?」
現地ナギサはイラつきを抑えるような笑顔でセイアに聞き返す。
「どうせこの世界は、どうあがいても滅茶苦茶な方法でハッピーエンドになるんだから!」
「また予知夢ですか?」
「そうだ」
「いい加減、中二病からは卒業してください!」
「……は?」
現地セイアの手から、危うくハンバーガーが落ちかけた。
「中二病……?」
「セイアちゃん、落ち着いて」
現地ミカが二人を宥める。
「ナギちゃんも、セイアちゃんが未来の話をすると急にそれっぽくなるだけだから」
「ミカ」
現地セイアはショックを受けた顔で、二人を見る。
「君まで、私の予知夢を中二病だと思っていたのかい!?」
「いや、全部じゃないよ? でもたまに言い回しが……」
「言い回しが?」
「ちょっと格好つけてるなって」
「……」
現地セイアは静かに俯いた。
「泣けるね……」
ミネが真剣な顔で尋ねる。
「セイア様、救護が必要ですか?」
「今の君に救護されたら、物理的にも傷つきそうだから遠慮するよ」
「遠慮は不要です」
「患者の要望を聞いてくれないか?」
現地ナギサはため息を吐いた。
「そもそもセイアさんはずっとゲームで遊んでいたのでは?」
「失敬だな。ゲームをしていたのは、未来の変化を観測するためだよ」
「ゲーム画面しか見ていなかったでしょう!」
「画面の中にも未来はある」
「やっぱり中二病じゃんね……」
「ミカまで!?」
少し前まで互いを疑い、死別したと思い込み、罪悪感を抱えていた三人。
その三人が、今はくだらないことで言い争っている。
ミネはその様子を見て、ほんの少しだけ穏やかに微笑んだ。
これもまた、一つの救護の形なのかもしれなかった。
そしてもう一方、先生たちのテーブルでは、現地サオリが目の前に並ぶ面々を警戒するように見つめていた。
隣には、自分を一瞬で制圧したアツコ。
正面には、水着姿でポテトを食べている自分。
少し離れた席には、自分を蹴り飛ばしたセイア。
そして、その全員を呼んだらしい先生。
悪夢としか思えなかった。
アツコがポテトの箱を差し出す。
「サッちゃん、食べる?」
「必要ない」
「そう、おいしいのに」
アツコが箱を引っ込めようとした、その瞬間。
現地サオリの手が伸び、一本だけポテトを取った。
「……毒見だ」
「うん。サッちゃんは優しいね」
「違う!」
現地サオリは顔を赤くし、ポテトを口へ運ぶ。
普通に美味しかった。
だが、それを表情には出さない。
水着サオリは、その様子を見ながらため息を吐いた。
「肩に力が入りすぎだ」
「その格好の私にだけは言われたくない!」
「格好は関係ないだろう!」
「大いにある!」
先生も水着サオリを見る。
「でも、ちょっと説得力は減ってるかもね」
「先生までそっちの私に同調するのか!?」
水着サオリの肩が落ちる。
「虚しい……」
現地サオリは、水着サオリをじっと睨んだ。
「お前は、本当に未来の私なのか?」
「近い存在ではある」
「なぜ、そんな格好をしている?」
「別に普段の格好に戻れるが、今はこっちの方が区別がつくだろう?」
水着サオリは心底疲れた顔で答えた。
「それに呼び出されたら、この姿だったんだ…」
「ごめんね?」
「謝るということは、先生のせいなのか!?」
「たぶんアロナのせいかな……」
現地サオリの理解を超えた会話だった。
彼女は頭を押さえたくなったが、アリウススクワッドのリーダーとしての尊厳で耐えた。
それから、現地サオリはアツコへ向き直る。
「アツコ」
「なに、サッちゃん?」
「お前も先生に呼ばれた存在なのか?トリニティで何をされたか?」
現地サオリの声から、先ほどまでの動揺が少し消える。
「何もされてないよ」
アツコはあっさり答えた。
「そんなはずはない!」
「本当だよ」
「お前は利用されているんだ。ティーパーティーか、シャーレか。それとも――」
「全然違うよ」
アツコは穏やかに、けれどはっきりと言った。
「私は先生に呼ばれた。そして、自分の意志でここにいる」
「自分の意志で……?」
「そうだよ」
アツコは小さく笑う。
「私がここにいたいから、いるんだよ」
その言葉に現地サオリは何も言えなかった。
目の前のアツコは、自分の知るアツコとは違う。
言葉を自由に話し。自分よりも強く。
何より、穏やかな表情を浮かべている。
利用され、苦しめられている者の顔には見えなかった。
「今のお前には、理解できないだろう」
水着サオリが静かに言った。
「かつての私も同じだった」
「……」
「自分たち以外はすべて敵だと思っていた。誰かを信じることを、弱さだと思っていた」
現地サオリは水着サオリを睨む。
「その格好で先輩面をするな」
「格好は関係ないと言っているだろう!」
重くなりかけた空気が、一瞬で砕けた。
先生が苦笑する。
「でも、サオリが元気になってくれてよかったよ」
「どちらの私に言っている?」
「両方かな」
「……そうか」
水着サオリは少しだけ頬を緩めた。
現地サオリは何も言わなかった。
ただ、先ほど一本だけ取ったポテトへ、もう一度手を伸ばした。
アツコはそれを見ても、何も言わずに箱を現地サオリの近くへ置いた。
「セイアさん! 人のポテトを勝手に取らないでください!」
隣のテーブルから、現地ナギサの声が響く。
「何を言う。ティーパーティーの財産は共有物だろう?」
「そんな制度はありません!」
「ナギちゃん、ポテトくらいいいじゃん」
「ミカさんは甘すぎます!」
現地ティーパーティーのテーブルが、一気に騒がしくなる。
現地サオリは、その様子を呆然と見つめた。
自分たちが憎み続けて、ミカを利用して倒そうとしているトリニティの中枢。
その実態が、ポテトを巡って騒ぐ三人だった。
「……本当に、これがトリニティのトップの姿なのか?」
現地サオリが呟くとセイアは遠い目をして答えた。
「早く慣れたまえ」
「何?」
「私が言うのもなんだが、この先はもっと酷くなるからね」
「……」
現地サオリは返す言葉を失った。
その横で、アツコは楽しそうにハンバーガーを頬張っている。
現地サオリはその姿を横目で見た。
自分たちの計画は、本当に正しいのか。
この世界のすべては、教えられてきた通りに虚しいものなのか。
答えはまだ分からない。
ただアツコが今、笑っている。
その事実だけは、どれだけ疑おうとしても否定できなかった。
◆
その頃、旧校舎の教室ではミカとナギサ、そして補習授業部の面々が、セイアとアツコの帰りを待ち続けていた。
買い出しに出た二人を見送ってから、すでにかなりの時間が経っている。
しかし、二人が戻ってくる気配は一向になかった。
「……遅いですね」
ナギサは机に突っ伏したまま、力なく呟いた。
その隣では、ミカも同じように机へ頬を押しつけている。
「まさかミレニアムまでハンバーガー買いに行ってないよね……?」
「そのはずです……」
ぐぅぅぅ……。
静かな教室に、誰かのお腹が鳴る音が響いた。
「い、今のは私じゃありませんよ!」
ヒフミが慌ててお腹を押さえる。
「ヒフミ、まだ誰も何も言っていないぞ」
アズサも机に伏せたまま答えた。
「そういうアズサちゃんのお腹も、さっきから可愛らしい音を立てていますよ?」
ハナコがにこやかに指摘する。
「……気のせいだ」
「気のせいじゃないわよ……」
コハルも空腹で力が出ないのか、机に額をつけたまま呟いた。
「もう無理……お腹空いた……」
「ハナコさんは随分と余裕そうですね」
ナギサが恨めしそうに視線を向ける。
「ふふ。空腹もまた、身体が発する情熱的な欲求ですから」
「エッチなのはダメ……死刑……」
コハルの声には、いつもの勢いがなかった。
「コハルちゃん、今のはさすがに冤罪ですよ?」
教室にいる全員が、仲良く机へ突っ伏している。
ナギサは力なく時計を確認した。
「買い出しに行ってから、どれだけ経ったと思っているんですか……」
「二人とも迷子になったのかな?」
ヒフミが心配そうに尋ねる。
「セイア様は自信満々に『私は道に迷うタイプではない』と言っていましたが……」
「そう言う人ほど迷子になるんだよね〜」
ミカは頬を机に押しつけたまま、ぼんやりと窓の外を眺めた。
もちろん彼女たちは知らない。
買い出しに出た二人が現地サオリと遭遇し、路地裏で戦闘を繰り広げたことも。
その後、先生や現地ティーパーティーと合流したことも。
そして今頃、九人で仲良くハンバーガーとポテトを食べていることも。
「……あの二人」
ミカの口から、低い声が漏れた。
「帰ってきたら、お仕置きで強めにデコピンする」
それを聞いたナギサが、ゆっくりと顔を上げる。
「その時は協力しますよ」
二人は静かに頷き合った。
その目には、空腹によって研ぎ澄まされた強い決意が宿っていた。
セイアとアツコが自分たちの事を忘れてハンバーガーを食べているとも知らずに、彼女たちは二人の帰りを待ち続けるのだった。