九人での騒がしい食事会も、ようやく終わりを迎えた。
現地ティーパーティーの三人は、最後までポテトの所有権を巡って言い争っていた。
ミネは感情が高ぶるたびに救護を提案し、そのたびに現地セイアが必死に逃げ回る。
別のテーブルでは、現地サオリがアツコと未来の自分を警戒しながらも、気がつけばポテトを何本も口にしていた。
とてもではないが、つい先ほどまで路地裏で交戦していた者たちの食卓には見えない。
店を出る頃には、現地サオリも多少は落ち着きを取り戻していた。
「では、私は戻る」
現地サオリは短く告げる。
これ以上ここに残れば、また理解不能な出来事に巻き込まれる。
一刻も早くアリウスへ戻り、今後のことを考える必要があった。
「サッちゃん、もう帰るの?」
アツコが少し寂しそうに尋ねる。
「私はお前の知っているサオリではない」
「そうだね、でもサッちゃんはサッちゃんだから」
「……意味が分からない」
現地サオリは視線を逸らした。
その隣で、水着サオリが腕を組む。
「今のお前には分からなくて当然だ。いずれ嫌というほど理解する」
「私はお前のような馬鹿気た格好の女になるつもりは無い!」
「だから格好は関係ないだろう!!」
また言い争いが始まりそうな二人を、先生が苦笑しながら止める。
「まあまあ。今日はこれくらいにしよう」
現地サオリは小さく溜息を吐き、その場を立ち去ろうとした。
その時、先生に呼び止められる。
「サオリ、ちょっと待って」
「…まだ何かあるのか?」
「これ、持っていきな」
先生が差し出したのは、いくつもの大きな紙袋だった。
現地サオリは反射的に受け取ってしまう。
ずしりとした重さが、両腕にかかった。
「……何だ、これは」
「ハンバーガーとポテト。飲み物も入ってるよ」
「なぜ私に渡す?」
先生は不思議そうに首を傾げた。
「アリウスに仲間がいるんでしょ?」
「……!」
現地サオリの目が鋭くなる。
自分は先生に、アリウススクワッドについて詳しく話した覚えはない。
警戒した彼女に、先生は穏やかに笑った。
「さっきの話を聞いていたら、何となく分かったんだ。サオリが大切にしてる仲間がいるんだろうなって」
「……」
「その子たちの分だよ。みんなで食べてね」
現地サオリは、腕の中の紙袋を見る。
これだけの量を購入すれば、相応の金額になる。
しかも、先生は自分たちの正体すら知らない。
敵対する可能性も疑っていない。
「待て。私はこんな物を――」
「じゃあ、またね!」
先生はすでに背を向け、皆と一緒に歩き始めていた。
アツコも振り返り、大きく手を振る。
「またね、サッちゃん」
水着サオリも片手を上げた。
「先生はこういう人だ、他意は無いから気にせずに受け取っておけ。食料を無駄にはするなよ」
「お前に言われるまでもない!」
思わず言い返した時には、先生たちはもう離れていた。
残された現地サオリは、大量の紙袋を抱えて立ち尽くす。
「……何なんだ、あいつ等は」
返事をする者はいなかった。
紙袋から漂う、温かいハンバーガーの香りだけが残っていた。
アリウスへ戻った現地サオリを最初に出迎えたのは、ヒヨリだった。
「サオリ姉さん、お帰りなさ――」
挨拶が途中で止まる。
ヒヨリの視線は、現地サオリの抱えている紙袋へ釘づけになっていた。
「それは……!」
「……ハンバーガーだ」
「ハンバーガー!?」
ヒヨリの目が輝く。
それまでどこか疲れていた表情が、一瞬で明るくなった。
部屋の奥にいたミサキも、わずかに顔を上げる。
現地アツコも、現地サオリの持っている袋を不思議そうに見つめていた。
「押し付けられたんだ、好きなだけ食べていいぞ」
「好きなだけ!?」
ヒヨリは勢いよく袋へ駆け寄った。
「本当にいいんですか!? 後から代金を請求されたり、労働を要求されたりしませんか!?」
「されない」
「毒は!?」
「入っていない」
「では遠慮なくいただきます!」
ヒヨリは両手にハンバーガーを持ち、嬉しそうに食べ始めた。
「おいしいです! 生きていてよかったです!」
「大げさ」
ミサキはそう言いながらも、紙袋から一つ取り出した。
包み紙を開き、一口食べる。
「……悪くないね」
その言葉とは裏腹に、食べる速度は少しだけ速かった。
現地アツコもハンバーガーを受け取り、静かに口へ運ぶ。
それから、現地サオリへ向けて手を動かした。
『何かあった?』
「……少しな」
『誰にもらったの?』
「シャーレの先生だ」
三人の動きが止まった。
ヒヨリは口いっぱいにハンバーガーを詰めたまま、現地サオリを見る。
「せ、先生に会ったんですか!?」
「ああ」
「それで、どうして食事を?」
「仲間がいるなら持って帰れと、勝手に押しつけられた」
「そんな優しい人居るんですか!?」
ヒヨリは感動したように四つ目のハンバーガーへ手を伸ばした。
「世の中には、何の見返りもなく食事をくれる人が存在したんですね……!」
「ヒヨリ、食べすぎ」
「今食べなかったら次はいつ食べられるか分からないじゃないですか!」
ミサキは呆れながら、ポテトを一本取った。
現地アツコは再び手を動かす。
『先生だけ?』
「いや」
現地サオリは少し言葉を選んだ。
「百合園セイアと、お前によく似た者に会った」
現地アツコは目を瞬かせる。
『それだけ?』
「……少し、交戦した」
『強かった?』
「…………話を続けるぞ」
『強かったんだ』
「話を続けると言っている」
現地サオリの声がわずかに低くなる。
現地アツコは楽しそうに目を細めた。
その隣で、ヒヨリが興味津々の顔を向ける。
「それで勝ったんですか?」
「なぜそういう話になる」
「サオリ姉さんが負けるなんて考えられないので」
「……」
現地サオリは答えなかった。
ヒヨリはそれを肯定と受け取ったのか、安心して食事へ戻る。
ミサキだけが、現地サオリの微妙な沈黙に気づいたようだったが、何も追及しなかった。
現地サオリは、食事をする三人を眺める。
ヒヨリは両手にハンバーガーを持ち、心から嬉しそうに笑っていた。
ミサキも表情こそ変わらないが、いつもより少しだけ食事を楽しんでいるように見える。
現地アツコも、穏やかな目をしていた。
マダムは言っていた。
この世界のすべては虚しい。
苦しみも、喜びも、希望も、すべてには意味がない。
ならば、この食事も虚しいものなのか?
先生が自腹を切って持たせた食事、それを口にして喜ぶ仲間たち、これも、何の意味もないのか?
先ほど会った、未来の自分とアツコの言葉を思い出す。
自分で選んで先生の傍にいる。
誰かを信じることを、弱さだと思っていた。
今の自分がどれだけ考えても、答えは出なかった。
ただ、以前のように、マダムの教えを何の疑問もなく信じることはできなくなっていた。
◆
『マダムがお呼びです』
不意に、冷たい声が響いた。
部屋に備え付けられていた通信機からだった。
その声を聞いた瞬間、現地サオリの身体が強張る。
「……分かった」
現地アツコが心配そうに見る。
『大丈夫?』
「ああ。すぐ戻る」
短く答え、現地サオリは部屋を後にした。
しばらく移動してたどり着いたのは薄暗い部屋、重苦しい空気。
その中央で、ベアトリーチェは現地サオリを待っていた。
「来ましたね、サオリ」
「お呼びでしょうか、マダム」
現地サオリは跪く。
ベアトリーチェは椅子に腰かけたまま、楽しげに口元を歪めた。
「先生に会ったと聞きました」
「……はい」
「先生は特殊な生徒を連れていると聞きましたが、どうでした?」
現地サオリは、できるだけ感情を表に出さないようにした。
詳細を話せば、何を命じられるか分からない。
「確かに、特殊な生徒を連れていました」
ベアトリーチェは満足そうに頷いた。
「そうですか」
それ以上の追及はない。
現地サオリがわずかに安堵しかけた、その時。
「では、その中に――」
ベアトリーチェの声が、甘く響く。
「秤アツコは居ましたか?」
「……」
ほんの一瞬、現地サオリは言葉に詰まってしまった。
だが、ベアトリーチェにはそれだけで十分だった。
「そうですか……」
妖艶に口角を上げる。
「居ましたか」
「……っ」
現地サオリは否定できなかった。
下手に嘘を重ねれば、仲間たちに危険が及ぶ。
ベアトリーチェは愉快そうに続けた。
「先生が連れている秤アツコを、私の前へ連れてきなさい」
「……!」
現地サオリは思わず顔を上げた。
「それは――」
「出来ないと?」
優しげな声だった。
だからこそ、恐ろしい。
先生が連れていたアツコは強い。
セイアもいる、さらには未来の自分まで先生の側についている。
正面から捕らえるのは困難だった。
何より自分自身が、それをしたくないと思っている。
あっちのアツコは、自分の意思で先生の傍にいると言った。
穏やかに笑っていた。そのアツコをアリウスに引き戻してマダムに差し出す。
そんなことが許されるのか。
ベアトリーチェは、苦悩する現地サオリを楽しそうに眺めていた。
「ふふふ……向こうには明確な弱点があるでしょう?」
「弱点……?」
「先生です」
ベアトリーチェは笑う。
「生徒がいなければ何もできない、弱い大人。先生を人質にすればいいのです」
現地サオリの拳に力が入った。
確かに先生は弱い。
銃も持たない。
私達のような強靭な身体もない。
自分が本気で襲えば、簡単に捕らえられるかもしれない。
だが、自分たちへ敵意を向けるどころか、仲間の分の食事を持たせてくれた。
何の見返りも求めずに。
「期待していますよ、サオリ」
ベアトリーチェの声が、さらに低くなる。
「もし失敗したら……。あなたが守っているアツコが、身代わりになるだけですからね」
「……っ!?」
現地サオリの顔が強張る。
選択肢などなかった。
向こうのアツコを差し出すか。
こっちのアツコを失うか。
先生の善意を利用し、人質にするか。
何もできずに、すべてを奪われるか。
「……承知しました」
絞り出すような返事だった。
ベアトリーチェは満足そうに微笑む。
「良い返事です」
部屋を出た現地サオリは、暗い廊下を一人で歩いていた。
仲間の元へ戻るために。だが、足取りは重かった。
先生とのやり取りが、何度も頭の中で繰り返される。
『アリウスに仲間がいるんでしょ?』
『その子たちの分だよ。みんなで食べてね』
先生は弱い。
ベアトリーチェの言う通り、戦う力はない。
けれど、先生は優しかった。
自分が敵かもしれないなどと微塵も疑わずに手を差し伸べた。
そんな先生を人質にする。
仲間のアツコを救うため、幸せそうに笑っていた先生のアツコを身代わりにする。
「クソッ!」
現地サオリは、近くの壁を強く殴りつけた。
拳から血が垂れて痛みを知らせてくるが、胸の奥の苦しさは少しも消えなかった。
「全ては虚しい……どこまで行こうとも、全ては虚しいものだ……」
殴りつけた壁へ、額を預ける。
ヒヨリの嬉しそうな笑顔。
黙ってハンバーガーを食べていたミサキ。
穏やかに手を動かしていた現地アツコ。
そして、未来のアツコ。
先生から渡された紙袋の重さ。
そのすべてが、胸に残っている。
「……確かに、虚しいな」
それはマダムの教えへの賛同ではなかった。
今の自分が置かれた状況への、吐き捨てるような皮肉だった。
それでも、現地サオリに命令へ逆らう術はない。
彼女は覚悟を決めてゆっくりと壁から離れ、仲間たちの待つ部屋へ戻っていった。
◆
一方その頃。セイアとアツコは、何事もなかったかのようにトリニティへ戻ってきていた。
「いやぁ、色々あったね」
「でも、ハンバーガーは美味しかったね」
「実に有意義な時間だったね」
「また行こうね」
二人は満足げだった。
そして、補習授業部の教室の扉を開ける。
「「ただいま――」」
中の様子を確認した瞬間二人の言葉が止まった。
教室の中は暗かった。
机に突っ伏しているナギサ。
同じく机に頬を押しつけているミカ。
ヒフミ、アズサ、ハナコ、コハルも、全員が力なく伏せている。
静かな室内に、複数人分の腹の音が響いた。
セイアとアツコはお互いの顔を見合わせる。
その瞬間、二人は大事な事を思い出した。
自分たちは、みんなの分のハンバーガーを買ってくるために出かけたのだったと。
「……」
「……」
二人の顔から血の気が引いていく。
ミカがゆっくりと顔を上げた。
目から光が消えている。
「……ハンバーガーは?」
ナギサも、椅子からゆらりと立ち上がった。
「私たちの……食事は……?」
ヒフミたちも、まるで飢えた亡者のように身体を起こす。
アズサが低い声で尋ねる。
「まさかとは思うが……忘れていないだろうな?」
セイアとアツコは冷や汗を流しながら、互いの顔を見る。
そして二人そろって、可愛らしく舌を出した。
「「忘れちゃった♪」」
次の瞬間、教室から二人の悲鳴が響き渡った。
その日の夕方。
旧校舎の前には、二本の柱が立てられていた。
そこには、セイアとアツコが磔にされている。
二人の首からは、それぞれ札が下げられていた。
『みんなの食事を買ってくるのを忘れた馬鹿です』
「……腹を空かせた人間は凶暴だということを忘れていたよ」
夕日を眺めながら、セイアが呟く。
隣のアツコも静かに頷く。
「アリウスでも、食料関係の失敗は重罪だったな……」
「私たちはどこで間違えたのだろうね?」
「サッちゃんに会った辺りかな…」
二人は揃って深いため息を吐いた。
その背後では、ようやく食事にありついたナギサたちが、教室で温かいサンドイッチを食べていた。
セイアとアツコが解放されたのは、その日の夜になってからだった。