先生を独房へ閉じ込めてから、しばらく時間が過ぎた。
アリウススクワッドの四人は、自分たちが普段使っている薄暗い部屋へ戻っていた。
部屋の中央には、いつかの時に先生から持たされたハンバーガーの空き袋が残っている。
あれほど大量にあった食事は、ヒヨリを中心に綺麗になくなっていた。
現地サオリは壁際に立ち、腕を組んだままジッとしていた。
ミサキは古びた椅子へ座り、床を見つめていた。
ヒヨリは落ち着かない様子で、何度も二人の顔を見比べている。
現地アツコだけが、静かに手を動かした。
『サッちゃん大丈夫?』
「………大丈夫だ」
その声には普段のような力がなかった。
現地アツコはもう一度、手を動かす。
『先生を逃がしたいんじゃないの?』
「先生を逃がせば、マダムへの明確な反逆になる!」
現地サオリの声が荒くなる。
「私たちがマダムへ逆らえば、どうなるか分かっているだろう!」
「この世界に逃げ場はない!」
「私たちだけではない。他のアリウス生まで巻き込まれる」
「アツコ、お前だって――」
言葉が止まる。
現地アツコがマダムに何をされるのか。
それを考えたくなかった。
そんな思い空気の中ヒヨリがおそるおそる口を開いた。
「でも…先生を、このままにしておくのも……」
「ヒヨリ!」
「先生は、私たちに食事をくれました」
「それだけで信用するのか?」
「それだけじゃありません!」
珍しく、ヒヨリが強い声を出した。
「サオリ姉さんに、私たちの分のハンバーガーを持たせてくれました!」
「私たちが誰なのかも知らないのに!」
「何かを要求することもなく、後から代金を請求することもなく、好きなだけ食べていいものをくれたんです!」
ヒヨリは空になった紙袋へ目を向ける。
「今までそんな事をしてくれた人を、私は知りません……」
「マダムも、食事をくれたことくらいある」
ミサキが冷たく切り込んでくる。
「生きて命令を聞かせるために、最低限だったけど、先生も同じかもしれないとは考えないの?」
ヒヨリがミサキを見る。
「同じ……?」
「自分が助かるために、私たちへ優しくしただけかもしれない」
ミサキは淡々と続ける。
「外の大人は信用できない」
「親切に見えても、後で何かを奪うつもりかもしれない」
「先生がアツコを守ると言ったのも、自分を良く見せて、私たちを騙すための――」
そこで、ミサキの言葉が止まった。
自分で口にした言葉に、自分自身で矛盾を感じていた。
先生は自分を良く見せるために、アツコを守ると言った。
では、あの場で殺されても構わないとまで言ったのは何のためか。
先生には銃もなかった。
周囲には助けてくれる生徒もいなかった。
自分たち全員から銃口を向けられていたあの状況で、私達を騙す意味などない。
アツコを差し出せば、先生は助かった。
それでも先生は拒んだ。
生徒を守るために自分の命すら投げ出してまで。
あの時の先生の目を、ミサキは思い出す。
恐怖がなかったわけではない。
それでも、先生は一歩も退かなかった。
「………っ」
「ミサキさん?」
ヒヨリが不安そうに呼ぶ。
ミサキは俯いたまま、小さく息を吐いた。
「今のは忘れて」
「え?」
「自分で言っていて、無理があると思った」
現地サオリがミサキを見る。
「先生が私たちを騙そうとしていたなら、あそこでアツコを差し出さない理由がない」
「命まで懸ける必要もない」
「少なくとも、あの時の言葉は嘘じゃない」
ミサキは現地サオリへ視線を向けた。
「私も反対だった。先生を助けても、私たちに何の得もないと思っていたから」
「でも……多分、前提が間違っていた気がしてきた」
現地アツコが静かに頷く。
ヒヨリも現地サオリへ詰め寄った。
「サオリ姉さん!」
「先生を助けてください!」
「このままでは、先生は本当に殺されてしまうかもしれません!」
「分かってる!!」
現地サオリの拳が震える。
「そんなこと……私だって分かっている!」
先生を助ければ、マダムを裏切ることになる。
マダムを裏切れば、アツコを守れなくなるかもしれない。
先生は、自分の命を投げ出してまで向こうのアツコを守った。
それに対して自分は、アツコを守るために向こうのアツコを犠牲にしようとしている。
どちらが正しいのか。
そんなことは、もう考えるまでもなかった。
自分が間違っている。
分かっているのに、恐怖で動けない。
現地アツコが、再び手を動かす。
『最後に決めるのはサッちゃんだよ』
ヒヨリも頷く。
「サオリ姉さんは、私たちのリーダーです」
ミサキは椅子から立ち上がった。
「私はリーダーが決めたことなら文句は無い」
三人の視線が、現地サオリへ集まる。
現地サオリは俯いた。
これまで、何度も命令を出してきた。
どこを襲うか。
誰を撃つか。
誰を犠牲にするか。
全て、マダムの命令に従うためだった。
自分の意思で仲間の未来を決めるのは、これが初めてだった。
「……………分かった」
現地サオリが顔を上げる。
「マダムには、もう従わない」
「アツコも、先生のアツコも渡さない」
「先生をアリウスの外へ逃がすぞ」
ヒヨリの顔が明るくなる。
現地アツコも、嬉しそうに目を細めた。
ミサキは静かに武器を持ち上げる。
「決まりだね」
現地サオリは強く頷いた。
「行くぞ」
◆
独房の前に現れた四人を見て、先生は少し驚いたように顔を上げた。
「どうしたの?」
現地サオリは答えず、鉄格子の鍵を開ける。
重い扉が軋みながら開いた。
「出ろ」
「処刑が決まった感じ?」
「違う!」
現地サオリは先生を真っ直ぐに見つめた。
「お前を逃がす」
先生が目を瞬かせる。
「今なら見張りの交代時間だ」
ミサキが周囲を確認しながら説明する。
「監視装置も一部止めてある」
「私たちが外まで案内する」
ヒヨリは小声で付け加えた。
「見つかったら、とても大変なことになるので、なるべく静かにお願いしますね……」
現地アツコが先生へ手を差し出す。
先生はその手を見つめたあと、ゆっくりと立ち上がった。
「みんな、ベアトリーチェを裏切ったの?」
「そうだ」
「私を助けるために?」
「他に何がある」
現地サオリは苛立ったように答える。
「だから、早く来い」
「お前を外へ逃がしたら、私たちは別の場所へ移動する」
「マダムが気づく前に――」
「私を逃がした後、みんなはどうなるの?」
「それはお前が気にすることではない」
「気にするよ」
「お前は自分の事だけを心配してろ!」
先生は独房から出ると、四人の顔を順番に見た。
「でも、私を逃がしたら、今度はみんなが危険に晒されちゃうじゃないか」
「そんなことを知っていて、一人で逃げられないよ」
「私たちは覚悟している!」
「私は覚悟してない」
「お前が言うな!」
現地サオリが怒鳴る。
「大事な生徒を売るくらいなら喜んで死ぬと言ったのはお前だろう!」
「うん」
「なら、自分が助かる機会を無駄にするな!」
「それとこれとは話が別だよ」
「何が別なんだ!」
先生は困ったように笑う。
「みんなが私を助けてくれたなら、今度は私がみんなを助ける番だから」
「……」
現地サオリは言葉を失った。
ミサキが先生を見る。
「今の先生に何ができるの?」
「銃もない」
「外の生徒たちと連絡を取る手段もないんでしょ?」
「……それは今から考える」
「考えていなかったんですか!?」
ヒヨリが目を見開く。
「だって、今助けてもらったところだからね」
「勢いだけで残ると言ったのか、お前は!」
「でも、何とかしないと」
先生は腕を組み、真剣に考え始める。
ベアトリーチェは恐らく強い。
アリウススクワッドだけで立ち向かえば、他のアリウス生も敵へ回る可能性が高い。
「アリウスには、他にも大勢の生徒がいるんだよね?」
「いるが……」
「その子たちに協力してもらおう」
「簡単に言うな」
現地サオリは即座に否定する。
「他の生徒たちはマダムを恐れている」
「全ては虚しいという教えを、幼い頃から叩き込まれてきた」
「私たちが反乱を呼びかけても、従う者はいない」
「やってみないと分からないよ」
「分かる!」
「マダムへの恐怖は、そんなに簡単に消えない!」
先生は少し考え、現地サオリへ尋ねた。
「それでも、集めることはできる?」
「何をするつもりだ」
「私が話をしてみる」
ミサキ考えながら答える。
「先生のアツコを確保するための作戦説明と言えば、疑われないと思うけど…」
現地サオリは納得していない顔だった。
だが、他に策はない。
「分かった」
「ただし、少しでも危険だと判断したら、お前を無理やり外へ連れ出すからな」
「わかった」
「絶対に分かっていない返事だな……」
◆
しばらくして。
アリウス自治区の広い訓練場へ、大勢のアリウス生が集められていた。
皆、突然の招集に戸惑っている。
「先生のアツコを捕らえるための作戦説明だと聞いたけど…」
「先生本人から話があるらしい…」
「どうして捕虜が作戦を説明するの?」
「サオリが連れてきたのだから、マダムの命令だろう?」
ざわめく生徒たちの前へ、先生が姿を現す。
その後ろには、現地サオリ、ミサキ、現地アツコ、ヒヨリが控えていた。
先生は集まった生徒たちを見渡す。
「みんな、集まってくれてありがとう」
アリウス生たちは無表情で先生を見つめる。
「最初に、伝えたいことがある」
先生は一度息を吸った。
「みんなで、ベアトリーチェを裏切ろう!」
訓練場が完全に静まり返った。
現地サオリが先生の肩を掴む。
「もっと言い方があっただろう!」
「遠回しに言っても伝わらないかなと思って」
「少しは遠回しに言え!」
アリウス生たちがざわめき始める。
「マダムを裏切る?」
「殺されちゃうよ」
「何を言っているんだ、この大人は」
「やはり捕虜が勝手に喋っているだけでは?」
先生は慌てて両手を振る。
「待って! ちゃんと理由があるんだ!」
「君たちは、外の世界には何も価値がないって教えられてきたんだよね?」
「楽しいことも、嬉しいことも、全部虚しいって」
一人のアリウス生が答える。
「全ては虚しいって」
「希望を持っても、最後には失うだけ」
「苦しみから逃れることはできない」
周囲の生徒たちも頷く。
先生は首を横に振った。
「外の世界は、君たちが思っているほど虚しくないよ!」
「楽しいこともあるし、美味しいものもある」
「誰かと一緒に笑えることもある、失うことがあったとしても、それまでの全部が無意味になるわけじゃない!」
だが、生徒たちの反応は鈍かった。
「外を知らない私たちに、どう信じろというんだ」
「マダムを裏切れば処罰される!」
「抵抗したところで、何も変わらない」
「無責任な事を言うな!」
それでも先生は必死に言葉を続ける。
「みんなベアトリーチェに騙されないで!」
「大事なのは、ベアトリーチェの言っていることだけが世界の全てじゃないってこと!」
「私と一緒に、あの人の支配を終わらせるのに協力してほしいんだ!」
しかし、アリウス生たちは動かない。
恐怖。諦め。長い時間をかけて植え付けられた教え。
数分の言葉で崩せるほど、簡単なものではなかった。
先生は額に汗を浮かべる。
「どうしよう……」
現地サオリが呆れる。
「何か策があったのではないのか?」
「今、真面目な説得が通じないことが分かった」
「見れば分かる」
「もっと、分かりやすくて具体的な未来を見せないと……」
先生は腕を組んで考える。
少し前、先生が持たせたハンバーガーを、スクワッドは喜んで食べていた。
特にヒヨリの反応は凄まじかった。
アリウスの生徒たちが知らない、外の世界の楽しみ。
誰にでも分かるもの、すぐに想像できるもの。先生は顔を上げた。
「分かった!」
「みんな、協力してくれたら――」
「全部終わった後に、私の奢りでバーベキューパーティーを開くよ!」
「……?」
再び訓練場が静まり返る。
一人の生徒が小さく首を傾げた。
「バーベキューとは何だ?」
「そこからか……」
先生は気を取り直して説明する。
「外で火を起こして、お肉や野菜を焼いて、みんなで食べるんだ」
「お肉……」
先生の後ろにいたヒヨリの耳が、僅かに動いた。
「好きなだけ焼いて、好きなだけ食べられるよ!」
アリウス生たちは顔を見合わせる。
まだ、大きな反応はない。
「肉だけか?」
誰かが尋ねる。
「もちろん肉だけじゃないよ!」
先生は両手を広げた。
「海鮮も用意する!」
「エビとか、ホタテとか、イカとか!」
「海鮮……!」
ヒヨリが小さく声を上げる。
数人のアリウス生の目にも、僅かに光が戻った。
「野菜もあるよ!」
「トウモロコシや玉ねぎ、ピーマンも焼ける!」
「焼いたトウモロコシに醤油を縫って食べるとおいしいよ!」
「しょうゆ焼き……!」
ヒヨリの口元から、少しずつよだれが垂れ始める。
「それだけじゃない!」
先生の声にも熱が入る。
「デザートには、かき氷も用意する!」
アリウス生たちがざわついた。
「かき氷?」
「氷を細かく削って、甘いシロップをかけるんだ!」
「イチゴ!メロン!ブルーハワイ!」
「甘い……氷……!」
ヒヨリの瞳が輝く。
現地サオリが一歩引いた。
「ヒヨリ、よだれを拭け」
「無理です……!」
先生は最後の切り札を出すように、一度言葉を止めた。
アリウス生たちが、固唾を呑んで続きを待つ。
「そして、飲み物は――」
先生は拳を握る。
「キンキンに冷えたコーラを用意する!」
「……!!」
「おかわりも自由!」
「全員が満足するまで、肉も海鮮もかき氷もコーラも全部私が用意するよ!」
ヒヨリの身体が震え始める。
「お肉……」
「海鮮……」
「かき氷……」
「キンキンに冷えたコーラ……」
次の瞬間。
ヒヨリは銃を空へ掲げた。
「このバーベキューを食べられるなら、死んでも惜しくありません!」
「マダムをボコしますぅぅぅぅぅ!!」
「ボコしちゃ駄目だよ!!?」
先生が慌てて振り返る。
しかし、ヒヨリの雄叫びはアリウス生たちへ火をつけていた。
「肉を好きなだけ食べられる……」
「海鮮もある……」
「かき氷も……」
「コーラはおかわり自由……」
一人。
また一人。
アリウス生たちが立ち上がる。
「私はエビを食べたい」
「ホタテも」
「焼いたトウモロコシも気になる」
「コーラってのを飲んでみたいかも」
「炭酸が苦手な子にはフルーツジュースも用意するよ!」
先生が答える。
「うおおおおおおおおお!!」
訓練場全体へ、凄まじい雄叫びが響き渡った。
アリウス生たちは一斉に銃を掲げる。
「バーベキューのために!!」
「肉と海鮮のために!!」
「かき氷とコーラのために!!」
「マダムを倒せぇぇぇ!!」
「倒すというより、支配を終わらせる方向でね!?」
先生の声は、誰にも届いていなかった。
現地サオリは、熱狂する仲間たちを呆然と見つめる。
「私たちは……命を懸ける覚悟で、マダムを裏切ると決めたんだぞ……」
ミサキが頷く。
「……そうだね」
「なぜこいつらは、肉と海鮮だけで同じ決断ができるんだ……?」
一人のアリウス生が、現地サオリへ真顔で答える。
「マダムは怖い」
「だが、バーベキューも食べたい」
「恐怖と食欲は別問題だ」
「そんな理屈があるか!」
現地アツコが、現地サオリへ手話を見せる。
『私もかき氷を食べたい』
「アツコまで……!」
先生は、武器を掲げるアリウス生たちを見渡した。
「理由は少し違う気がするけど……」
「みんな、協力してくれるんだね?」
「おおおおおおお!!」
「バーベキューのために!!」
「自分たちの未来のためにも戦ってね!?」
「バーベキューのために!!」
「みんな聞いてる!?」
誰も聞いていなかった。
ベアトリーチェが長い年月をかけて築いた、恐怖と虚無による支配。
それが今、肉と海鮮、野菜とかき氷。
そして、キンキンに冷えたコーラによって、崩れ去ろうとしていた。