新人先生、兎狩りに狐を呼ぶ
エデン条約の調印式から、数日たったある日、先生は連邦生徒会の執務室へ呼び出されていた。
「先生」
「……はい」
「これは一体何ですか?」
七神リンは、机の上へ置かれた大量の領収書を指差した。
先生はリンから目を逸らしながら少し考えるが結局正直に言う事にした。
「……バーベキュー代…的な?」
「そういうことを聞いているのではありません!」
「ひぃん!」
リンの声が一段低くなる。
「なぜエデン条約の調印式後に、シャーレ名義でこれほどの食材費が発生しているのですか!?」
「それはアリウスのみんなに約束しちゃったから……」
「何をです?」
「みんなが満足するまでバーベキューを食べさせるって」
「ハァ……」
リンが目を閉じた。
「先生」
「はい!」
「なぜ、そのような約束を?」
「ベアトリーチェという巨悪を倒すために協力してもらう必要があって……」
「バーベキューで釣って学園で反乱を起こさせたのですか!?」
「まぁ……そうなるかな…?」
「………」
リンは額を押さえた。
「しかも報告によれば、最終的にはアリウスだけでなく、ゲヘナとトリニティの生徒まで参加していたそうですが?」
「それはその場のノリと勢いで……途中から無尽蔵に増えちゃって……」
「増えちゃって、ではありません!」
「でも追加のお肉はゲヘナが出してくれたし、海鮮はトリニティが――」
「私は食材の提供元を問題にしているのではありません!!」
「……じゃあ何をそんなに気にしてるのか教えてくれないかな?」
「この膨大な費用がどこから出てきたのかです!!」
「あーーー………ちょっと表に出せないお金がシャーレの共有金庫にある的な……?」
「先生ーーっ!!!」
リンの叫びが執務室へ響いた。
「先生はシャーレの責任者なのですよ!?」
「分かってるよ?」
「本当にその意味している事を分かっていますか!?」
先生は少しだけ視線を逸らす。
「……メイビー?」
「多分では困ります!!」
リンは深いため息を吐いた。
「三校間の条約締結に貢献した点については、非常に高く評価しています」
「恐悦至極」
「……ですが、それと経費管理は別問題です!」
「はい……」
「今後、数百人規模の食事会を開催する場合は、事前に相談してください。こちらでもいくらか援助できるかもしれませんから」
「数百人だったかな…?」
「最終的な参加人数をご存じなのですか?」
「数千………」
「先生?」
「なんでもありません。次からちゃんと相談します」
「ハァ…最初からそうしてください」
先生が大人しく頭を下げたのでリンもこれ以上追撃はしなかった。
その流れのままついでにエデン条約の件を詳しく聞こうとしたその時だった、執務室の扉が勢いよく開く。
「リン行政官!」
一人の生徒が、慌てた様子で入ってきた。
「緊急報告です!」
リンの表情が即座に切り替わる。
「何がありました?」
「SRT特殊学園の閉鎖に反発している生徒の一部が、公園を占拠しました!」
「SRT特殊学園?」
聞きなれない単語に先生が首を傾げる。
リンはすぐに職員へ確認する。
「人数は?」
「確認できているのは四名です」
「四人?」
先生は少し拍子抜けした。
「それなら、そんなに大きな騒ぎじゃないんじゃない?」
しかし生徒の顔は険しい。
「それが……」
「現場へ派遣したヴァルキューレの部隊が、突破できていません」
「四人に?」
「はい」
先生は驚きで目を見開く。
リンは苦い顔をしながら静かに目を閉じ、何かを考え始めた。
「どこの部隊か特定出来てますか?」
「恐らくはRABBIT小隊かと」
「ラビット?」
「SRT特殊学園に所属していた小隊です」
リンが簡単に説明する。
「SRTは特殊作戦を専門とする学園でした」
「現在は閉鎖が決定していますが、その処遇に納得していない生徒も少なくありません」
「その中でもRABBIT小隊は、閉鎖への反対を強く表明していました」
「それで公園を占拠しちゃったんだね」
「そうでしょうね」
リンは机の上の端末を操作する。
現場から送られてきた情報へ目を通した。
「……ヴァルキューレだけでは難しいようですね」
「先生」
「うん?」
「お願いがあります」
リンの気配から何となく嫌な予感がした。
「現場へ向かっていただけませんか?」
「私が?」
「先生の指揮能力をお借りしたいのです」
「この前アリウスで頑張ったばっかりなんだけど……」
「だからこそです」
「休ませてくれないんだ……」
「そういえば先ほど先生が仰っていた、シャーレの金庫にあるという用途不明金についてですが―――」
「すぐ行ってきます!」
先生は勢いよく立ち上がった。
「はい、頑張ってくださいね」
◆
先生が到着した公園周辺は、想像以上に物々しい雰囲気だった。
道路にはヴァルキューレの車両が並び。
周囲は規制線によって封鎖されている。
その奥に見えてきたのは、公園の入り口に簡易的なバリケードまで築かれていた。
「本当に四人なの……?」
先生は思わず呟く。
「あなたがシャーレの先生ですね?」
低く落ち着いた声が聞こえた。
振り返ると、長身の少女が、先生へ向かって歩いてくる。
鋭い目つきに凛とした雰囲気にヴァルキューレ警察学校の制服を着こなしている。
堂々とした立ち姿から、一目で現場をまとめている人物だと分かった。
「初めまして、公安局局長、尾刃カンナです」
「初めまして。シャーレの先生です」
挨拶を終えたカンナは先生を一度上から下までじっくり観察する。
「連邦生徒会から増援が来るとは聞いていましたが……」
「まさか先生本人とは思いませんでした」
「これからよろしくね!」
「……一つ確認しても?」
「どうぞ」
「先生自身に、戦闘能力は?」
「まったくないよ!」
「銃は?」
「持ってないね!」
「……」
カンナは無言になった。
「本当に増援なのでしょうか……?」
「一応指揮は出来るよ」
「わかりました。今回はそこに期待しています」
カンナは小さくため息を吐いた。
その後ろから、二人の生徒が近づいてくる。
「先生!」
一人は、どこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
「初めまして! 生活安全局の中務キリノです!」
「初めましてよろしくね、キリノ」
「はい!」
キリノは元気よく敬礼するその隣で、もう一人の少女は、明らかにやる気のなさそうな顔をしていた。
「生活安全局の合歓垣フブキです」
「よろしく」
「先生が来たなら、私たちは帰ってもいいですか?」
「駄目だ」
カンナが即答した。
「まだ何もしてないのに……」
「だから働け」
「ドーナツもないし、帰りたい……」
「事件現場へ何をしに来たんだ?」
「できれば何もしたくないですね~」
先生は少し笑った。
「面白い子だね」
「先生」
カンナは真顔だった。
「甘やかさないでください」
カンナは公園の方へ視線を向ける。
「状況を説明します」
「占拠しているのは、SRT特殊学園RABBIT小隊」
「確認できている構成員は四名です」
「たった四人なのに、ヴァルキューレの部隊を止めてるんだよね?」
「……自分たちとしては情けないですが、そうです」
カンナの表情が僅かに険しくなる。
「SRTの生徒は、通常の警察学校とは訓練内容が違います」
「市街戦、偵察、潜入、特殊作戦」
「そのような任務を前提とした教育を受けています」
「人数だけで判断するべき相手ではありません」
「なるほど……」
先生は公園の入り口を眺める。
中にいる生徒の姿は見えない。
だが、時折バリケードの奥から見られている感覚を感じる。
「こっちの戦力は?」
「私」
カンナが答える。
「キリノ」
「はい!」
「フブキ」
「いますよ~」
「それから、まだ動けるヴァルキューレ生が少数です」
「……う~んなるほど」
先生は人数を確認する。
そして再び公園を見る。
「ぶっちゃけ足りる?」
「先生の指揮込みで、何とかしていただきたいところですが」
「うーん、プレッシャーが凄いなぁ」
先生は腕を組んで天を仰いだ。
シャーレにいる臨戦ホシノたちを呼ぶこともできる。
だが、今から連絡してここまで来てもらうには時間がかかる。
それに、今日は連邦生徒会へ呼び出されただけなので、誰も同行していなかった。
「うーんどうしようかな……」
先生が空を眺めながら悩んでいるとシッテムの箱からアロナの声が響く。
『先生!』
「どうしたの、アロナ?」
『こういう時こそ、募集ですよ!』
「募集かぁ…」
『はい!』
アロナは嬉しそうに続ける。
『今からシャーレへ戻って生徒さんを呼ぶより、募集した方が早いですよ!』
「それはそうなんだけど…。アロナさ、なんか操作してない?」
『人聞きの悪い事言わないでください!』
「本当にランダムなんだよね?」
『そうに決まってるじゃないですか!』
「呼ぶ生徒が毎回私と対面すると一瞬思考停止するのも偶然って事?」
『先生は私を疑うんですか!?』
「う~ん…まぁ現状これしか手がないのも事実か……わかったよ」
先生はシッテムの箱を操作する。
カンナたちは、その様子を不思議そうに見ていた。
「先生?」
「ちょっと増援を呼ぶね」
「連絡を?」
「ううん」
「募集する」
「……募集?」
カンナの眉が僅かに動く。
「そういえば人前でやるのは初めてだけど、まぁ見てれば分かるよ」
先生は慣れた手つきで募集を開始した。
「よし、アロナ頼んだ!」
光が溢れる。
キリノが目を目を瞑る。
「な、何ですかこれは!?」
「あーー眩しいんで……帰ってもいいです?」
「この状況でよくそれが言えるな!」
光がさらに強くなり。
やがて、その中心から二人の少女が現れた。
「……あら?」
最初に声を上げたのは、柔らかな雰囲気を持つ少女だった。
狐のような耳、優しそうな慈愛に満ちた笑顔。
周囲を見渡しながらも、どこか落ち着いている。
「……え?」
その隣に居たもう一人の少女は、明らかに困惑していた。
こちらも狐の耳を持ち、気の強そうな目つきをしている。
「ちょっと……ここ、どこよ?」
二人は周囲を確認して、すぐに自分たちの置かれた状況を把握した。
柔らかな笑顔を浮かべていた少女の目が、ほんの僅かに細くなった。
「これは…もしかすると……」
隣の少女も、公園を見て表情を固くする。
「よりによって、この時期なの……!?」
先生が首を傾げる。
「もしかして二人とも、何か知ってる感じ?」
「いいえ何も知りません♪」
柔らかな笑顔の少女が即答した。
隣の少女は、一瞬黙る。
「……えーっと」
柔らかな少女が、その脇腹を軽く肘で突いた。
「クルミちゃん?」
「分かってるわよ!」
クルミと呼ばれた少女は、少し頬を膨らませながら先生を見る。
「私も何も知らないからね!」
「今、凄く怪しかったけど?」
「気のせいでしょ!」
「そうかなぁ?」
「うるさい!」
クルミは強く言い切った。
だが、すぐにスイッチを入れたように雰囲気が変わり先生の装備や周囲の様子を確認し始める。
「それより先生」
「何?」
「まさか、自分で前に出るつもりじゃないでしょうね?」
「出ないよ?」
「本当に?」
「うん」
「じゃあ絶対に後ろにいて」
「流れ弾でも当たったら洒落にならないんだから」
「分かったよ」
「……ならいいけど」
先生が素直に答えると、クルミは少しだけ安心したように息を吐く。
「心配してくれてるの?」
「ち、違う!」
クルミの顔が僅かに赤くなる。
「呼び出されて早々、先生が怪我したら困るだけだから!」
「それを心配って言うんじゃない?」
「うるさい!」
柔らかな少女がクスクスと笑う。
「相変わらずですね、クルミちゃん♪」
「ニコは黙ってて!」
ニコと呼ばれた少女は先生へ向き直る。
「初めまして、先生」
「私は吉野ニコです♪」
「こちらはクルミちゃんです」
「よろしくお願いしますね」
「よろしく、ニコ。クルミ」
「よろしく」
クルミは少しだけ目を逸らしながら答えた。
その一方、カンナは二人の姿を見た瞬間から、ずっと黙っていた。
「……先生」
「どうしたの?」
「この二人は一体どこから?」
「募集で呼んだんだけど…?」
「そうではなく……」
カンナの視線が鋭くなる。
「その制服」
「その装備」
「間違いありません」
「SRT特殊学園――FOX小隊」
キリノが驚く。
「FOX小隊!?」
フブキも、珍しく少しだけ目を開いた。
「へぇ……本物なんだ」
先生はニコとクルミを見る。
「有名なの?」
「まあ、それなりに♪」
ニコは笑顔のまま答える。
「……ニコ」
クルミが小声で呼ぶ。
「分かっています」
二人は一瞬だけ視線を交わす。
先生には聞こえない程度の声。
「余計なこと、言わないでよ?」
「もちろんです」
「先生、この時期は私たちの事について何も知らないんだから」
「クルミちゃんの方こそ、気をつけてくださいね?」
「私の方が口堅いわよ!」
「さっき一瞬で怪しまれていましたけど」
「……あれは不意打ちだったの!」
先生が割って入ってくる。
「何の話してるの?」
「何でもありませんよ」
「何でもない!」
「息ぴったりだね」
「同じチームですからね」
「別に合わせてないから!」
ニコは楽しそうに笑っていたがクルミは顔を赤くしている否定していた。
カンナはまだ納得していない様子だったが、今は問い詰めている場合ではない。
「先生、詳しい事情は後で聞きます」
「今はRABBIT小隊への対応を優先しましょう」
「そうだね」
先生はニコとクルミへ状況を説明する。
「今、公園を占拠してるSRTの子たちがいるんだ」
「ヴァルキューレだけだと苦戦してるみたいで」
「できれば怪我させすぎないように、止めるのを手伝ってほしい」
「分かりました。先生のお手伝いですね」
ニコは即答した。
クルミも公園へ視線を向ける。
「後輩を苛めるみたいで気が引けるけど……仕方ないわね」
「やるなら、さっさと終わらせましょう」
「でも先生」
「うん?」
「絶対に後ろから出ないこと!」
「さっきも聞いたよ?」
「返事!」
「はい!」
「それと、危ないと思ったらすぐ伏せて」
「わかったよ。もしかしてクルミって心配症?」
「あんたがスペランカー並みに貧弱だからでしょうが!!!」
「それを言うのはやめてくれクルミ…その言葉は私に効く」
そんな二人を笑顔で見つめているニコと呆れ顔で眺めているカンナだった。
◆
公園の内部では一人の少女が、双眼鏡でヴァルキューレ側を監視していた。
長い銀髪、ウサギ耳を思わせる装備を身にまとい。
様子を窺っていたのは月雪ミヤコだった。
「……」
その表情が変わる。
「RABBIT1?」
近くにいた空井サキが尋ねる。
「どうした?」
「増援が来ました」
「あの大人は恐らくシャーレの先生と――」
そこでミヤコの声が止まる。
「どうしたんだ?」
サキが双眼鏡を受け取り、同じ方向を見る。
先生。
公安局長。
ヴァルキューレの生徒達。
そこまでは理解できる。
だがその中に居る異物を発見してしまった。
「……は?」
サキの目が見開かれた。
「どうしたの~?」
風倉モエが興味深そうに顔を出す。
少し離れた場所では霞沢ミユも、おそるおそるこちらを見ていた。
「FOX小隊だ」
サキが呟く。
「え?」
「ニコ先輩と……クルミ先輩だ」
「何で!?」
モエが目を丸くする。
「FOX小隊の先輩たちが、どうしてヴァルキューレ側に?」
「分かりません」
ミヤコは双眼鏡越しに二人を見る。
間違えるはずがない。
SRTの生徒なら誰もが知っている。
憧れの先輩たち。
FOX小隊の二人が。
なぜ今、シャーレの先生の横に立っているのかわからない。
ミユが不安そうに口を開く。
「あ、あの……」
「もしかして、私たち……」
「先輩たちにまで怒られるんでしょうか……?」
「……」
誰も答えられなかった。
ミヤコは、先生の隣に立つニコとクルミから目を離さない。
事情は分からない。
だが一つだけ、はっきりしている。
先ほどまでとは明らかに状況が変わった。
「全員、警戒を強めてください」
ミヤコは静かに武器を構える。
「相手は――二人だけとは言えFOX小隊です」
一方、公園の外では。
「へくしっ!」
クルミが小さくくしゃみをした。
「寒い?」
先生が尋ねる。
「違うわよ!」
「誰かが噂してるだけ!」
「心配なら上着貸そうか?」
「い、いらない!」
「先生の方が薄着なんだから、自分の心配してなさいよ!」
「やっぱり優しいね」
「だから違うってば!」
ニコは、そんな二人を眺めながら楽しそうに微笑んでいた。
ただその視線が一瞬だけ公園の奥にいるであろう後輩たちへ向けられる。
「さて……どうしましょうかね♪」
誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。