「とうとう時が来た!」
ブラックマーケットの通りに、シロコの晴れやかな声が響いた。
その手には、覆面が人数分。つい先ほどまで「調査」と言っていたはずなのに、出てきたものがあまりにも不穏だった。
「待ってください! 待ってくださいシロコ先輩!」
アヤネが慌てて声を上げる。
「私たちは借金の流れを調べに来たのであって、銀行を襲いに来たわけではありません!」
「ん。でも中に入る必要がある」
「入り方の問題です!」
「正面から聞いても教えてくれる訳がない」
シロコテラーが静かに頷く。
「ん。黒い私の言う通り」
シロコの目がさらに輝いた。
臨戦ホシノも、どこか流れに身を任せるように肩をすくめる。
「うへ〜。まあ、手段はシンプルのほうがわかりやすいから仕方ないかな〜」
「仕方なくありません!」
アヤネの叫びが響く。
先生は困ったように全員を見回した。
「本当に危ないことはしない方がいいと思うんだけど……」
その言葉に、臨戦ホシノとシロコテラーが同時に先生の方を向いた。
「先生は、ここから先は待っててくれないかな〜?」
「私は行かなくていいの?」
「ん。ブラックマーケットを出てすぐの歩道橋。そこが合流地点に向いている」
シロコテラーが淡々と言った。
「でも、みんなが危ないことをするなら、先生としてせめて近くにいないと…」
「うへ〜。先生を巻き込む方が危ないんだよ〜」
臨戦ホシノは困ったように笑う。
「これは生徒側の……ええと、課外活動みたいなものだからね〜」
「課外活動で銀行は襲わないよ」
「最近の課外活動は多様性があるから〜」
「それだけはないと思うよ」
先生が真面目に返していると、その時シッテムの箱からアロナの声が聞こえた。
『先生。生徒を信じるのも、先生のお仕事ですよ』
「アロナ……?」
『もちろん危ないことはだめです! でも、先生が信じて待ってくれていると思えば、皆さんもきっと無茶はしすぎないはずです!』
「……そう…なのかな?」
「先生!? 今の流れで納得しないでください!」
アヤネが悲鳴を上げた。
「いや、銀行強盗を認めたわけじゃないよ。ただ、みんなが無事に戻ってくると信じるのも大事かなって」
「言っていることは立派なのに、状況が最悪です!」
その横で、ヒフミがそろそろと先生の背後に移動していた。
「あ、あの……でしたら私も、先生と一緒に待機を……」
その襟首を、臨戦ホシノがひょいと掴んだ。
「ひゃっ!?」
「ヒフミちゃんはこっちだよ〜」
「いやです~!! 私はただペロロ様グッズを買いに来ただけで、銀行強盗なんて聞いてません~!!」
「うへ〜。大丈夫大丈夫。きっといい経験になるから〜」
「絶対になりません~!!」
ヒフミが涙目で抵抗している所へ、シロコテラーが無言で紙袋を取り出した。
目の部分だけ雑に穴が開いている。
「ん。身元保護」
「保護の方向性がおかしいですよ~!!」
ヒフミの抗議も虚しく、紙袋はすぽんと被せられた。
「先生~!! 助けてください~!!」
「ヒフミ、大丈夫?」
「大丈夫じゃないです~!!」
「大丈夫だよ~。ちゃんと無事に返すから〜」
臨戦ホシノはそう言いながら、ヒフミをずるずると連れていく。
その後ろを、シロコ、シロコテラー、ホシノ、セリカ、アヤネ、ノノミが続いた。
アヤネだけは最後まで、
「これはあくまで調査ですからね!? 絶対に余計なことはしないでくださいね!?」
と叫んでいたが、覆面を手にしたシロコの足取りは止まらなかった。
やがて一行は、ブラックマーケットの銀行へ向かって消えていった。
「……本当に大丈夫かな?」
『先生。信じましょう!』
「…そうだね」
不安を抱えながらも、先生は指定された歩道橋へ向かった。
◆
ブラックマーケットを出て少し歩いた先の歩道橋。
そこは人通りが少なく、通りを少し見下ろせる場所だった。
先生は手すりに寄りかかり、ブラックマーケットの方を見つめる。
時折、遠くから物音が聞こえた。
何かが壊れる音。
警報らしき音。
ヒフミらしき悲鳴。
「……本当に大丈夫かな」
『大丈夫です、先生! たぶん!』
「たぶんなんだ」
『たぶんです!』
「そこは断言してほしかったかな」
先生が苦笑した、その時だった。
アロナが「あっ」と声を上げた。
『そういえば先生!』
「どうしたの?」
『また募集できるようになりましたよ!』
「え?そうなの?」
『はい! 思ったよりも早く進んでいるので!』
「進んでる…?」
『あっ、気にしないでください!』
画面の中のアロナは、なぜかとても嬉しそうだった。
『それで、どうしますか? 今すぐ募集しますか?』
「今から!?」
先生は少し迷った。
「今はみんなを待っているところだし、それに帰ってきたら急に人が増えているのは、みんな混乱するんじゃないかな?」
『…人手が増えたらできることも増えるんだけどな〜』
「……」
先生は黙った。
アロナはニコニコとしている。
『アビドスの皆さんのお手伝いも、もっとできるかもしれませんよ?』
「……それは、そうだね」
「じゃあ……ちょうど周りに人もいないし、一回だけ」
『やったー! 流石先生です! 話が早いです!』
「今回は普通に落ち着いた生徒が来るといいな」
『結果をお楽しみに!』
先生はシッテムの箱に表示された募集アイコンを押した。
その瞬間、目の前が白い光に包まれる。
そして、光が収まった時。
先生の前に、一人の生徒が立っていた。
白を基調とした、どこか上品な制服。
長く淡い髪。静かにこちらを見つめる瞳。
背には白い翼があり、その姿はまるで、お茶会の席からそのまま抜け出してきたようだった。
手には、優雅な雰囲気に似合う小さなティーセット。
ブラックマーケット近くの歩道橋という場所には、あまりにも似合わない。
少女は先生を見ると、穏やかに微笑んだ。
「お呼びいただきありがとうございます、お久しぶりですね先生」
「えっと……」
「しかし、急に呼ばれてしまったのでティーカップを持っていることについては見逃してくださいね」
優雅な所作で、ナギサは小さく頭を下げた。
「さっそくですが…あれ?先生…?」
先生は少し目を瞬かせた。
募集で来た生徒。
つまり、シャーレに入部届を出してくれていた生徒。
それは分かるのだが。
「初めまして、で合ってるかな?」
「……」
ナギサの微笑みが、ほんの少しだけ固まった。
数秒の沈黙の後、ナギサはゆっくりと先生を見つめ直した。
「……先生」
「うん?」
「一つ確認してもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
「現在、先生はどの時期にいらっしゃいますか?」
「どの時期?」
「シャーレでの活動状況、と言い換えても構いません」
「ああ。えっと……シャーレに着任してから、まだそんなに経ってないかな」
「……え?」
「今はアビドスから相談を受けて、借金の件を調べているところで……」
ナギサの表情が、さらにわずかに固まる。
「アビドス……借金……?」
「うん」
「ということは、エデン条約などに聞き覚えは…?」
「ごめん、初めて聞いたよ」
「なるほど……かなり初期ですね」
「初期?」
「いえ。こちらの話です。先生はお気になさらず」
ナギサはすぐに表情を整えた。
だが、その笑顔には少しだけ困惑が混じっていた。
「つまり先生は、まだ私のことをご存知ないのですね」
「ごめんね。初対面だと思う」
「謝る必要はありません。状況は理解しました」
ナギサは静かに息を吐く。
その所作まで上品で、先生は少しだけ背筋を伸ばした。
「改めまして、桐藤ナギサです。トリニティ総合学園の生徒であり、三人居るティーパーティーの一人です」
「私はシャーレの先生だよ。これからよろしくね、ナギサ」
「はい。よろしくお願いいたします。ですが、私が先に呼ばれてある意味でよかったです」
「そうなの?」
「私以外のティーパーティーは、攻撃力が高い代わりに防御力が高い性格に難ありな人と、コストを半減しながらコスト回復する普段から難しい言い回しをしてくるわんぱくフォックスですからね」
「攻撃力…コスト…? とりあえずそうやって気軽に言い合えるぐらい仲がいいみたいだね?」
「ええ、それはもちろん!」
ナギサは穏やかに微笑んだ。
だが、その視線はすぐに周囲へ向かう。
「ところで先生」
「うん?」
「ここは、どちらでしょうか?」
「ブラックマーケットを出てすぐの歩道橋、かな」
「ブラックマーケット?」
ナギサの笑顔が、今度こそ分かりやすく固まった。
「なぜ先生が、そのような場所に!?」
「アビドスのみんなが借金の流れを調べていてね」
「なるほど」
「今はみんなを待っているところ」
「待っている?」
「うん、みんな銀行に行っているんだ」
ナギサはゆっくりと瞬きをした。
「……先生」
「うん?」
「念のためお聞きしますが、その“銀行に行っている”というのは、通常の手続きとしてでしょうか」
「えっと……」
先生は少し視線を逸らした。
「たぶん、違うかな」
「……そうですか」
ナギサは何かを察したように、そっと眉間に手を添えた。
その時だった。
遠くから、ものすごい勢いで足音が近づいてきた。
「先生ー!」
シロコの声だった。先生が顔を上げる。
ブラックマーケットの方から、覆面をしたアビドスの面々が一斉に走ってくる。
そして、その後ろから紙袋を被ったヒフミが何かを大事そうに抱えながら走ってくる。
全員、何かから逃げてきた直後のように息を切らしていた。
「先生! 無事ですか!?」
アヤネが叫ぶ。
「私は大丈夫。みんなこそ大丈夫?」
「一応、大丈夫です! ただ、状況は最悪です!」
「ん。大成功」
シロコが満足げに頷く。
「成功と言わないでください!」
アヤネが即座に叫ぶ。
その横で、ヒフミが紙袋を外しながら、なぜかとても嬉しそうに駆け寄ってきた。
「先生! 見てください!」
「ヒフミ?どうしたの?」
「ペロロジラのぬいぐるみが貸金庫に眠ってたんですよ!!」
ヒフミは大きなペロロジラのぬいぐるみを抱えていた。
つい先ほどまで「いやです~!!」と泣き叫びながら引きずられていたはずなのに、今は満面の笑みである。
「……しっかり持って帰ってきたんだね」
「はい!」
先生は苦笑するしかなかった。
その瞬間。
「……ヒフミさん?」
静かな声がした。
ヒフミの動きが止まった。
笑顔のまま、ぴしりと固まる。
ゆっくりと、非常にゆっくりと、ヒフミは声の方を向いた。
そこには、ヒフミが今一番会いたくないであろうナギサがいた。
白を基調とした優雅な装い。整った所作。
そして、穏やかながらも、どこか信じられないものを見るような表情。
ヒフミの顔から、すっと血の気が引いた。
「ナ、ナギサ様……?」
「ヒフミさん」
ナギサは静かにヒフミを見た。
次に、紙袋を見る。その次に、ヒフミが抱えているペロロジラのぬいぐるみを見る。
最後に、ブラックマーケットの方角を見る。
「……なぜヒフミさんが、そのような姿で、ブラックマーケットに居るのですか?」
「こ、これは違うんです!」
ヒフミは即座に叫んだ。
「違わないんですけど違うんです!」
「ヒフミさん。落ち着いてください。まず、その説明はすでにかなり不穏です」
「違うんですナギサ様! 私はただ限定ペロロ様グッズを探していただけで、銀行強盗をするつもりなんて全然なくて!」
「…やっぱり今回もやってしまったのですね!」
ナギサの笑顔から放たれる圧が濃くなった。
ヒフミは自分の口を両手で押さえた。
「……今のは聞かなかったことにしてください」
「聞かなかったことにできる単語ではありませんよ!」
アヤネが疲れ切った声で言った。
「本当にその通りです……」
セリカも頭を抱えている。
そのセリカが、ようやくナギサの存在に気づいた。
「……ってちょっと待って!」
セリカの視線が、ナギサに向く。
「なんで人が増えてるの?」
「ああ、ナギサは募集したら来てくれたんだ」
先生は正直に答えた。
「また!?」
セリカの声が歩道橋に響く。
「しかも今度はなんか偉そうな人だし!? ヒフミが顔面蒼白になるくらいの人!? 銀行から戻ってきたら、なんでまた状況が悪化してるのよ!」
「偉そうな人……」
ナギサが少しだけ困ったように眉を下げる。
ヒフミはまだペロロジラを抱えたまま固まっている。
「ナギサ様、これは本当に不可抗力で……」
「ヒフミさん」
「はいっ!」
「詳しい事情は後で聞きます」
「後で……」
「ええ。後で、ゆっくりと聞かせていただきます」
「ゆっくり……」
ヒフミの声が震えていた。
その横で、ノノミはにこにこと笑っている。
「あらあら〜。ヒフミさんのお知り合いですか〜?」
「はい……トリニティの、とても偉い方です……」
「それは大変ですね〜」
「本当に大変です……」
セリカはついに我慢の限界を迎えた。
「もう何なのよこれぇぇぇ!」
その叫びに、全員が振り向く。
「ホシノ先輩は二人いる! シロコ先輩も二人いる! 先生は急に見えない誰かと話す! 銀行強盗は始まる! ヒフミは嫌がってたくせにちゃっかりぬいぐるみ持って帰ってくる! 戻ってきたらトリニティの偉い人が増えてるし! しかもヒフミが一瞬で死にかけた顔になってる! 何なのよこの状況!」
アヤネは否定できず、静かに眼鏡を押さえた。
「セリカさんの言っていることが全部事実なのがつらいです……」
先生は申し訳なさそうに笑った。
「ごめん。募集できるようになったってアロナが教えてくれて。それで、人手が増えたらできることも増えるかなって」
「増えてるのは人手じゃなくて混乱よ!」
セリカが叫ぶ。
ナギサは先生とアビドスの面々を交互に見て、状況を整理しようとしていた。
「つまり、先生はシャーレに着任して間もない状態で、アビドスの借金問題に関わり、ブラックマーケットで銀行に関する調査を行い、その最中にヒフミさんが巻き込まれ、さらに募集で私が呼ばれた……ということでしょうか」
「だいたい合ってると思う」
先生が頷く。
「銀行に関する調査という表現で済ませるには、かなり問題がある気がします」
ナギサは静かに言った。
「ですが、状況はなんとなく理解しました」
「理解できたんですか!?」
セリカが思わず叫ぶ。
「完全にはわかりません」
「できてないじゃない!」
「ですが、先生の周囲で想定外の事態が連続していることは理解しました」
「それは全員分かってます!」
その少し後ろで、臨戦ホシノとシロコテラーが呑気にその様子を眺めていた。
「うへ〜、ナギサちゃんか〜。これはこれで面白いね〜」
「ん。ヒフミの処理落ちが早い」
「ヒフミちゃんからしたらファウスト状態でナギサちゃんに会うのはきついよね〜」
「ん。しかも今回は戦利品もちゃっかり持ってるしね」
「う~ん情報量が多いな〜」
「でもサポート役としては助かる」
「そうだね〜。ナギサちゃんなら頭も回るし、交渉もできるしね〜」
「ん。先生の募集運は相変わらず変」
「ほんとそれ〜」
二人はしみじみと頷いた。
その会話を聞いていたナギサが、静かに目を細めた。
「……なるほど」
「ん〜?」
臨戦ホシノが、いつもの調子で首を傾げる。
ナギサは先生に聞こえない程度の声で、臨戦ホシノとシロコテラーを見た。
「貴女方も、私を知っているということは私と似た立場のようですね」
「うへ〜。察しがいいね〜」
「ん。ナギサもこちら側」
「こちら側、という言い方はそういうことでしょうか?」
ナギサは困ったように微笑む。
現地ホシノは半目で臨戦ホシノを見た。
「臨戦おじさん」
「ん〜?」
「ナギサって人も、未来で関わる感じ?」
「うへ〜。まあ、そのうちね〜」
その瞬間、ナギサがすっと口を挟んだ。
「先生の前では、“そのうち”という言葉も少々危険ではありませんか?」
「あ、そうだった〜」
「ん。失言」
シロコテラーが淡々と頷く。
先生は不思議そうに三人を見た。
「そのうち?」
ナギサは一瞬だけ考え、それから優雅に微笑んだ。
「トリニティとシャーレが、今後どこかで協力関係を築く可能性がある、という意味です」
「ああ、なるほど」
先生は素直に頷いた。
その横で、臨戦ホシノが小さく笑う。
「うへ〜、ナギサちゃん、誤魔化すの上手いね〜」
「トリニティでは必要な嗜みですので」
「ん。便利」
「褒め言葉として受け取っておきます」
ナギサは涼しい顔でそう言った。
現地ホシノは、そんな三人を見て深くため息を吐く。
「未来を知ってる人たち、みんな誤魔化し方に癖がありすぎない?」
「うへ〜、私たちも苦労してるんだよ〜」
「その割には楽しそうだけどね、そっちの私」
「まあね〜」
先生は、まだ状況を整理しきれていないまま、ナギサとヒフミを見て、次に戻ってきたアビドスのみんなを見た。
銀行で得た手がかり。
ヒフミのペロロジラのぬいぐるみ。
新たに現れたトリニティのナギサ。
限界を迎えたセリカ。
問題は山積みだった。
けれど、とりあえず。
「みんな無事でよかった」
先生がそう言うと、騒がしかった空気が一瞬だけ止まった。
ナギサは静かに先生を見た。
ヒフミはペロロジラを抱えたまま、少しだけ肩の力を抜いた。
アヤネは疲れた顔のまま、それでも小さく頷いた。
シロコは「ん」と満足げに返した。
ホシノは「うへ〜」と笑った。
そしてセリカだけが、まだ納得できない顔で叫んだ。
「よくない! 無事だけどよくない!」
その声は、ブラックマーケット近くにしばらく響き続けた。