その日も先生は、いつも通りシャーレで積み上がった書類と戦う一日が始まるものだと思っていた。
「おはよ~」
いつものようにシャーレの扉を開き、軽い調子で挨拶する。
休憩スペースから聞こえる生徒たちの声。
廊下を走る足音、どこかから聞こえてくるゲームの効果音。
数日前と何も変わらない、すっかり当たり前になった朝だった。
「先生!」
しかし、執務室へ向かおうとした先生は聞き慣れた声に足を止めた。
振り返ると、休憩スペースの入口付近にリンが立っている。
「リン?」
連邦生徒会の行政官がわざわざシャーレまで足を運んでいること自体が珍しい。しかもいつものように大量の書類を抱えているわけでもなく、表情にも普段以上の緊張感があった。
「珍しいね。今日はどうしたの?」
「あなたを待っていたんです」
「私を?」
「緊急の用件がありまして。申し訳ありませんが、すぐに連邦生徒会まで来てください」
「……緊急の用件」
先生もリンの様子を見て、少しだけ表情を引き締める。
「何かあったの?」
「ここでは詳しく話せません。移動しながら説明します」
「分かった」
今日は朝から仕事を始めるつもりだったが、どうやら予定変更らしい。
先生は執務室へ一度だけ顔を出し、既に仕事を始めていた元理事とカヤへ事情を伝えた。
「リンに呼ばれたから、ちょっと連邦生徒会に行ってくるね」
書類から顔を上げたカヤが、露骨に嫌そうな目を向ける。
「リン行政官ですか?あの女にあまりデレデレしないでくださいね!」
「デレデレなんてしないよ!」
「なら今日中に戻ってきてください。先生の確認待ちの書類がこれだけあるんですからね!」
「緊急事態なのに仕事の心配されてる……」
「普段の行いだな」
「元理事まで!?」
「行ってこい。こっちはやっておく」
「元理事ありがとう!」
「その代わり戻ったら働け」
「うす……」
先生は肩を落としながらリンの元へ戻ると、そのままシャーレを後にした。
◆
「数時間前のことです」
連邦生徒会へ向かう車内。
リンは手元の端末に資料を表示しながら説明を始めた。
「キヴォトスの遥か上空に、突如として極めて大きなエネルギー反応が確認されました」
「大きなエネルギー反応?」
「はい。それ以前の観測記録には存在しません。何の前兆もなく、文字通り突然現れています」
「人工物なのかな?」
「それすらまだ判断できていません。高度が高すぎる上、周囲には通常とは異なる干渉が発生しており、こちらから詳しく観測することも困難です」
「……結構オカルト寄りの話?」
「現時点では何とも言えません」
リンはそこで少し眉を寄せた。
「ただ気になるのが…。向こうからこちらへ接触がありました」
「…マジで?」
「複数のビデオメッセージが送られてきました」
「じゃあ話が早いじゃん。中身見れば――」
「再生できません」
「え、詰んだじゃん」
「通常の方法では、ですが」
リンが先生を見る。
「こちらで解析した結果、ファイルには特殊なロックが掛けられているらしくて、解除には恐らく……先生がお持ちのシッテムの箱が必要です」
「なるほどね、だから私を待ってたのか」
先生はシッテムの箱へ軽く触れる。
「アロナ、分かる?」
『う~ん……実際に見てみないと何とも言えません!』
「そっか」
「……先生?」
リンが怪訝そうに見る。
「あっ、こっちの話」
「そうですか……」
先生は妙な胸騒ぎを覚えていた。
けれど、それが何なのかまでは分からなかった。
◆
連邦生徒会にたどり着いた、先生とリンは、外部から隔離された一室へ通された。
机の上には大型モニターと解析用端末が並び、例のビデオファイルが三本表示されている。
「こちらです」
「三つあるんだ」
「はい。送信元は全て同じ高エネルギー反応の内部からと推定されています」
「じゃあ順番に見てみようか」
先生がシッテムの箱を起動する。
「アロナどうかな?」
『やっぱり、このファイル……普通の暗号化じゃありません。でもシッテムの箱を通せば解除できそうです!』
「じゃあお願い」
『スーパーアロナちゃんにお任せください!』
先生にしか聞こえない元気な声と共に、画面へいくつもの文字列が流れる。
『解除できました!』
「おっ流石だね!」
「こんなに早く解除されたんですか……?」
リンも驚きから僅かに目を見開く。
「凄いですね」
「ほとんどアロナのおかげだけどね」
「アロナ…?」
「あ~、そこはあまり気にしないで」
「はぁ……分かりました」
先生は一つ目のファイルを選択した。
「じゃあこれから再生するよ」
「お願いします」
黒かった画面に映像が表示される。
「「……!」」
先生とリンの二人が揃って言葉を失った。
そこに映っていたのは、一人の女性だった。
年齢は先生とさほど変わらないように見える。
着ている服装も白いワイシャツに黒のスーツパンツ。
派手さのない落ち着いた雰囲気の服装。
髪型も顔立ちも先生とは明らかに違うし、性別ももちろん違う。
リンがゆっくり先生を見る。
「……妙に先生に似ていますね」
「なんか私に似てるよね?」
もう一度画面の女性をじっくりと見てみる。
「顔とかは全然違うのに不思議な感覚だね…」
「……雰囲気がそっくりと言いますか」
「雰囲気かぁ」
確かにそういわれると否定できない。
何故だろう、初めて見る女性のはずなのに妙な親近感がある。
そんな先生たちを知る由もなく、画面の中の女性が明るく手を振った。
『やっほ~。見えてるかな?』
「軽いなぁ」
「先生、まずは最後まで見ましょう」
「それもそうだね」
女性はカメラに向かって笑った後、すぐに視線を下へ落とした。
そこにはカンペでも置かれているらしい。
露骨なほど目線が一点に固定される。
『え~っと……私はプレナパテスだぞぉ! 色彩の……?』
そこで止まった。
『…………』
視線だけが横へ動く。
すると画面の外から、微かに少女の声が聞こえた。
『きょうどうしゃです』
『あっ、ありがとうプラナ!』
「プラナ…?」
女性は改めてカンペを見る。
『――嚮導者にして、この世界に終焉を齎すものだ! 恐ろしいだろう?』
「…………」
先生がリンに視線を向ける。
リンは真剣な顔で画面を見ていた。
一応は世界滅亡宣言である。だから笑っている場合ではないのだが、画面の女性は少し黙った後。
『………私も突然こんな大役を押し付けられて恐ろしいよ』
『先生、本音が漏れちゃってますよ。もう少し頑張ってください』
『だってさぁ、いきなり世界を滅ぼせって言われても困らない?』
『困るかどうかではなく、今は役目を果たしてください』
『はい……』
先生とリンの両者の間に何とも言えない空気が流れ始める。
『と、とにかく!』
プレナパテスと名乗った女性は、気を取り直してカメラへ指を向けた。
『この世界の先生は、早く私を止めに来た方がいいんじゃないかな~って思いますけど、そこの所どうですか?』
『問いかけてもビデオメッセージなので返事は返ってきませんよ』
『あっ、そうだった』
先生が思わず額を押さえる。
『とりあえず時間は有限だから、なるべく早く動いた方が身のためなんだからね! じゃあね!』
『最後はツンデレ風なんですね……』
『なんかそれっぽいかなって』
そのまま黒い画面になり映像は終了した。
「……フゥーー」
「…………」
しばらく静寂が室内を包んだ。
先生とリンはしばらく停止した画面を見つめていた。
その沈黙を最初に破ったのは先生だった。
「……リン」
「………なんですか?」
「一応確認なんだけど、画面に映っていた彼女が世界を滅ぼすって言ってたよね?」
「言っていました」
「これって一応、連邦生徒会案件になるんじゃないかな?」
「……発言内容だけなら」
「だよね。でもなんか威厳がないというか説得力がないというか……」
「先生。その気持ちは大変理解できますが、一応世界の終焉を宣言されています。警戒はしてください」
「うん……ごめん」
リンも同じ気持ちらしい。
先生は少しだけ姿勢を正した。
「じゃあ気を取り直して、二本目も見てみようか」
「お願いします」
再びプレナパテスが画面に映る。
しかし、さっきとは明らかに様子が違った。
『…………』
苦笑いを浮かべて非常に気まずそうにしていた。
『あの~……非常に申し上げにくいのですが……』
「…すでに嫌な予感するなぁ」
「先生…」
プレナパテスは頬を掻きながら続ける。
『さっき調べたんですけど…この世界に来るためにエネルギーの大半を使ってしまったようでして……今はなんとか自家発電で空中に浮くことしか出来ない状況になっちゃいまして~……アハハハ……』
「…………」
「…………」
先生とリンがプレナパテスの言葉に固まる。
――世界を滅ぼしに来たはずではなかったのか?
そんな疑問を口にするより早く。
映像の奥から。
キコキコキコキコ……という妙な音が聞こえてきた。
「……何の音?」
「私に聞かれましても」
先生は画面の奥へ目を凝らす。
プレナパテス本人は気づいていないのか、カメラへ向かってしどろもどろな説明を続けている。
その背後の画面の端に一人の少女が偶然映り込んでいた。
「……?」
長い淡い緑色の髪に女性らしいスタイルの良い身体。
膝や太腿には何枚ものガーゼや絆創膏が貼られている特徴的な少女の姿が小さく映っていた。
その少女が涙目で一心不乱に自転車を漕いでいた。
その事実に気が付いた二人はもう何を言えばいいのか分からなかった。
『最初にあんなこと言ったんですけど、助けてくれないかな~って期待しちゃったり……?』
『ひぃん! せんせー、流石に疲れてきましたよー!!』
背後から少女の悲鳴も聞こえてきた。
『もうちょっと! もうちょっとだけ頑張って!』
『さっきからずっともうちょっとって言ってますよー!!』
『ご、ごめんね!』
「世界を滅ぼしに来た人たちだよね?」
「……そのはず……なんですが……」
「あの自転車で発電してるのかな?」
「恐らくそうじゃないかと」
もはやリンもツッコミを止めなかった。
プレナパテスは背後の少女を気にしながらも、再びカメラへ向き直る。
『この子もこう言ってますし……ね?』
少しだけ期待するような顔。
『まさか天下のシャーレの先生が、困っている私たちを見捨てたりしませんよね?』
「この言い方ずるくない?」
「ビデオなので相手には聞こえていませんよ」
「リンまで同じこと言う……」
『いい返事をお待ちしていますね!』
プレナパテスが笑顔で手を振る。
『せんせー!! 代わってくださーい!!』
『もうちょっとだからちょっと待って!』
『それ何回目ですかぁぁぁ!?』
ブツッ。
二本目も終了した。
先生は目元を押さえる。リンも同じように眉間へ指を当てていた。
「……リン」
「何でしょう」
「私はこの人たちに対してどういう扱いをすればいいと思う?」
「世界へ終焉を齎すと宣言した正体不明の存在です」
「そうだけどさ~」
「それと同時に高高度で遭難している可能性が極めて高い正体不明の存在です」
「なんなの? 敵なの?それともただの能天気?」
「映像だけですが、後者の可能性が高いんじゃないですか?」
二つ映像を見てますます何も分からないという奇妙な状況に追い込まれた。
二人はしばらく沈黙した後、意を決して互いに目を合わせた。
「……最後」
「……見ましょう!」
先生が三本目へ手を伸ばす。
今度は画面が表示された瞬間から様子がおかしかった。
カメラへかなり近づいたプレナパテス。
髪も少し乱れている。
先ほどまで辛うじて残っていた余裕など、完全に消えていた。
『ごめん、認めるよ!今私たちは絶賛遭難してま~す!!』
「あっ認めた」
「認めましたね」
そしてプレナパテスはカメラへ向かって両手を合わせた。
『もう本当に限界なんです!! 助けてくれたら私にできることだったらなんでもするから助けてー!』
『先生! 発電量落ちてますよ!』
『えっ!? ちょっと待ってプラナ――』
映像は唐突に終了した。
部屋が静まり返った。
さっきまで表示されていた。
世界の終焉を齎す者、色彩の嚮導者プレナパテスと名乗った。
その人物が最後には『助けてー!』と絶叫していた。
「……先生」
リンが小さな声で呼ぶ。
「……この案件先生にお任せしてもいいですか?」
「…………」
先生は椅子へ深く身体を預け、天井を見上げた。
謎の高エネルギー反応が出現したと思ったら。
世界を滅ぼすと宣言した自分によく似ている雰囲気の謎の人物プレナパテス。
自転車を漕ぎ続ける謎の少女。プラナという謎の存在。
そんな謎に満ちた存在が最後には、完全な救難信号を送ってきた。
なんども頭の中で整理してもどうしてこうなったのかわからなかった。
「……これ私が行くんだよね?」
「シッテムの箱を必要としている以上、先生にしか対処できない可能性があります」
「そっか~」
どう考えても危険な任務のはず、相手は正体も分からない存在だし、一度は世界を滅ぼすとまで宣言している。
けれど、先生の頭に浮かぶのは、涙目で自転車を漕いでいた少女と最後に完全に余裕を失って助けを求めていたプレナパテスだった。
先生は小さく息を吐く。
「まぁ助けてって言われちゃったしね。知ってしまった以上放っておくわけにもいかないでしょ」
リンはしばらく先生を見つめ。
やがて小さく息を吐いた。
「……ありがとうございます」
「もしシャーレだけで無理だったら各学園に手伝ってもらってもいい?」
「連邦生徒会から各学園に連絡を出しておきます。それではよろしくお願いしますね、先生」
「う、うん……」
こうして数日前まで平和な一日を過ごしていた先生は、キヴォトスの遥か上空で絶賛遭難中の自分と妙によく似た雰囲気を持つ、世界を滅ぼす予定らしい女性を救助することになったのだった。
◆
先生がリンと今後の対応について話している中、シッテムの箱の内部ではアロナが一人、難しい顔で先ほどの映像を思い返していた。
「…………」
プレナパテス。その名前を聞き間違えたわけではない。
アトラ・ハシースの箱舟と共に、この世界へ現れた存在。
それ自体が本来ならば、おかしい。
「……どうして?」
アロナは小さく呟いた。
「どうしてこの世界にプレナパテスが来てしまったんでしょうか……?」
そんな未来にはならないはずだった。
少なくとも自分が知っている限りでは。
「来ないようにしたはずなのに……」
アロナの表情が僅かに曇る。
先生がここまで歩いてきた道。
その傍には、本来なら存在しなかったはずの生徒たちがいた。
彼女たちによって数え切れないほどの出来事が変化している。
だからあの存在が現れる未来も、既に消えているはずだった。
それなのにプレナパテスは現れてしまった。
アロナは先ほどの映像を思い出す。
『私はプレナパテスだぞぉ! 色彩の……?』
『きょうどうしゃです』
『――嚮導者にして、この世界に終焉を齎すものだ!』
カンペをガン見して途中で本音を漏らし動力不足で遭難。
そして最後には。
『もう本当に限界なんです!! 助けてくれたら私にできることだったらなんでもするから助けてー!』
アロナの眉間に皺が寄る。
「……いやなんでプレナパテスがあんな状態なんでしょう?」
知っているものと違いすぎる。
「バグった……?」
アロナは真剣に考え込む。
「でもプレナパテスってバグるものなんでしょうか……そもそもどうして女性なんです? それに一緒にいた生徒さんも――」
「アロナ?」
「ひゃいっ!?」
突然聞こえた先生の声に、アロナが飛び上がった。
「ど、どうしました先生!?」
「いや、アロナがすごい難しい顔してたから」
先生が不思議そうに画面を覗き込んでいる。
「大丈夫?」
「…………」
アロナの頬に冷や汗が流れる。
「だ、大丈夫ですよ!?」
「本当に?」
「はい! アロナはいつでも元気いっぱいです!」
両手を上げ、満面の笑顔で誤魔化す。
「そう?」
「そうです!」
「ならいいけど」
先生は特に疑うこともなく、再びリンとの話へ意識を戻した。
「…………」
そんな先生の姿を見ながら、アロナは胸元へ手を添える。
プレナパテスが来た。
本来ならばもう、来ないはずだったのに。
「……本当に何なんでしょう、あのプレナパテス」
いくら考えてもアロナの中から答えは出てこなかった。