プレナパテス救出作戦が動き始めてから数時間後、先生とシロコテラーはシャーレの倉庫に集められた物資を前にしていた。
倉庫には缶詰や長期保存用のパン、ペットボトルの水や栄養補助食品などがいくつも積み上げられている。今後のシャーレ業務に支障が出ないよう、ひとまず分けられる程度の量をかき集めたものだった。
「これで最後かな」
「ん。これくらいなら送れる」
シロコテラーが積み上げられた段ボールを確認しながら頷く。
「お願い。向こうがいつから遭難してるのか分からないし、とりあえず食べ物と水だけでもあった方がいいでしょ」
「ん」
シロコテラーが片手を前へ伸ばすと、床の上に黒い穴のようなものが静かに広がっていった。
ミカたちを送り込んだ時にも見たものだが、改めて目の当たりにすると何とも不思議な光景である。
「何度見ても凄いね、それ」
「ん。便利」
「こんなの使えるなら今までの移動がだいぶ楽だったんじゃない?」
「最終章前だったから使えなかった。実はムービー中か演出でしか使えないんだけど運営には内緒にしててね。バレたらBANされちゃう」
「だからその最終章とか運営って何なの!?」
「ん。大人の事情」
「絶対便利な言葉として使ってるよね!?」
先生の抗議を聞き流しながら、シロコテラーは段ボールを一つ持ち上げ、そのまま黒い穴へ放り込んだ。箱は吸い込まれるように消えていき、向こう側へ繋がっているらしい空間の中へ姿を消す。
「ちゃんと届いてる?」
シロコテラーは少しだけ目を閉じ、向こうの様子を確かめてから再び頷いた。
「無事に届いてる。ナギサが受け取ってる」
「ナギサ達、本当にもう向こうにいるんだ……」
元々はミカ一人を人型発電機として送り込むだけだったはずなのに、最終的にはナギサとセイアまで巻き込まれ、ティーパーティー三人揃ってアトラ・ハシースの箱舟へ送られてしまった。
二人ともミカを煽った自業自得と言えばそれまでなのだが、向こうの状況を把握してもらうには丁度いい。
「まあ、ナギサとセイアもいるなら状況確認してくれるかな」
それ以上深く考える事もなく、先生も残っていた物資をせっせと運び始める。
最後の箱まで送り終えると、シロコテラーがワープを閉じたことで倉庫には再び静けさが戻った。
「よし。今日できることはこれくらいかな」
ケイと臨戦トキはアリスを連れてくるためミレニアムへ向かい、水着サオリ、アツコ、ニコ、クルミは追加の食料や医療用品を調達している。
そして臨戦ホシノは、アビドスのみんなを呼んでくると言い残して飛び出していったきり戻ってきていなかった。
「ホシノは、アビドスまで結構遠いし、多分今日は帰ってこないかな?」
「そうだね」
先生は時計を確認すると、まだ夕方まで時間があることに気づいた。
「じゃあ、私は普通に仕事へ戻ろうかな」
「ん。わかった」
「世界を滅ぼす予定の人を救助してる最中なのに、普通に書類仕事するのって何か変な感じするね」
「先生。書類からは逃げられないよ」
「知ってるよぉ……」
こうして、キヴォトスの遥か上空ではプレナパテス一行が絶賛遭難中だというのに、先生はいつも通り執務室へ戻ることになった。
そこで待ち構えていたカヤと元理事に急かされながら書類を片付け、結局その日は大きな進展もないまま夜を迎えた。
◆
「先生、本当に泊まるんですか?」
「一応ね。何かあった時、家から戻ってくるよりここにいた方が早いでしょ?」
その日の仕事を終えた先生は、シャーレ内部に設けられている仮眠室の前でカヤと話していた。
箱舟がいつまで現在の高度を保てるのかも分からず、プレナパテス側から新たな連絡が来る可能性もある。念のため今日はシャーレへ泊まった方がいいだろうと判断したのだ。
「それはそうですが……分かりました。ただし、明日の仕事は免除しませんからね」
「こんな状況でも!?」
「どんなに世界が大変だとしても行政は止められないんです」
「流石防衛室長だ、正論が痛い!」
「では私は帰ります。先生も明日に備えてちゃんと寝てくださいね」
「は~い」
「まったく子供じゃないんですから……」
呆れながら帰っていくカヤの背中を見送った先生は、そのまま仮眠室へ入った。
室内には二つのベッドが置かれており、先生が片方へ荷物を置こうとしたところで、もう一つのベッドに既に人影があることへ気づく。
「……シロコ」
「ん?」
「何してるの?」
「私も今日はここで寝る」
「なんで?」
「先生が心配だから」
「いやいや、一人で大丈夫だよ」
「駄目」
「どうして?」
「先生だから」
あまりにも当然のように返され、先生は思わず肩を落とした。
「最近みんなその理由使いすぎじゃない!?」
「ん。でも駄目なものは駄目」
「大丈夫だって言ってるのに……」
何度か説得してみたものの、シロコテラーには退く気がまったくない。結局、空いているベッドがあるのだから問題ないだろうと先生の方が折れることになった。
「まあいいけど、ちゃんと寝るんだよ?」
「先生もちゃんと寝てね」
「私は寝るよ」
「信用できない」
「なんで!?」
「前科があるから」
「何の!?」
そんなやり取りをしながら照明を消すと、仮眠室は静かな暗闇に包まれた。
暫くの間は何の音もしなかったが、先生は何度も寝返りを打ちながら天井を眺めながら今日の事を思い出していた。
朝からリンに呼び出されて連邦生徒会へ行き、そこで突然プレナパテスから世界滅亡を宣言されたかと思えば、すぐに助けを求められた。
シャーレへ戻れば募集生徒のほとんどから倒してしまった方がいいと言われ、臨戦ホシノだけは突然態度を百八十度変えて駄々をこね始める。
その後はミカ達が箱舟へ落ち、救助作戦の準備まで始まった。今考えても良くわからなかった。
身体は十分疲れているはずなのに、妙に頭が冴えて眠気だけがやってこない。
「……眠くならないな」
「大丈夫?」
「うわっ」
隣のベッドからすぐに返事があり、先生が横を向くとシロコテラーもこちらを見ていた。
「シロコも起きてたの?」
「ん」
「寝れないの?」
「先生を見てた」
「寝なさい」
「先生こそ」
「なんか色々あったからさ。疲れてるはずなのに眠気が来なくて」
先生の返事を聞いたシロコテラーは少しだけ考え、それから布団の中で両腕を広げた。
「一緒に寝る?」
「…………そういうのは好きな人が出来たら、その人にやってあげなさい!」
「むぅ……相変わらず先生はヘタレ」
「うるさいな! 明日も早いんだから早く寝なさい!」
「今日は諦める。じゃあ、おやすみ先生」
「今日は? 今『今日は』って言ったよね!?」
シロコテラーはそれ以上答えず、そのまま目を閉じて寝たふりを始めてしまった。
「逃げたな……」
先生は呆れながらも小さく笑い、今度こそ身体を楽な姿勢へ戻した。
「……おやすみ、シロコ」
「ん。おやすみ先生」
それから程なくして二人とも眠りにつき、仮眠室は静かな夜へ戻っていった。
◆
プルルルルルル!!
「……んぅ」
耳元でけたたましく鳴り響く着信音に先生は眉を顰め、まだ半分眠ったまま枕元の端末を手探りで掴んで画面を見ることすらせずに通話へ出る。
「……もしもし……?」
『先生!? 無事ですか!?』
「うるさっ……リンちゃん?」
『先生、今起きたんですか!? 今キヴォトス中が大変なことになってるんですよ!?』
「……え? 何が?」
『とにかく外を見てください!』
「外ぉ?」
『早く!』
明らかにただ事ではないリンの声を聞き、ようやく先生の意識も覚醒し始める。
「外がどうしたっていうのさ……」
欠伸をしながらベッドから降りた先生は、窓際まで歩いてカーテンへ手を掛けた。
「朝くらい静かに――」
カーテンを開けた瞬間、先生は最後まで言葉を続けることができなかった。
「…………」
昨日まで青かったはずの空が、まるで血でも流し込んだような真紅に染まっている。
さらに遥か遠方には、昨日まで絶対に存在しなかった巨大な塔のような構造物が空へ向かって伸びていた。
「……?」
『先生?』
視線を地上へ落とせば、そこでは既に各地で戦闘が始まっていた。
見覚えのあるカイザー兵士の姿を模した影の様な物や自律型ロボットが街中を走り回り、その中には影のように黒く揺らめくガスマスクをしたシスターまで混ざっている。他にも先生が見たことのない異形の存在が道路を占拠し、遠くからは銃声や爆発音まで聞こえてきた。
先生はしばらくその光景を眺めた後、端末を耳へ当てたまま呟く。
「ラクーンシティに来たみたいだぜ。テンション上がるなぁ~!」
『先生!? 正気に戻ってください! 今はそんなことを言ってる場合ではありません!』
「いやでもこれ完全にバイオ――」
『現在キヴォトス各地に正体不明の塔が出現し、それと同時に大量の敵性存在が確認されています! それと通信網にも大規模な障害が――』
突然通話へ激しいノイズが入り、リンの声が聞き取りにくくなる。
『先生? 先生!? せんせ――』
そこで通信は完全に途切れた。
「……切れちゃった」
端末の画面を確認すると、通信障害の影響なのか圏外になっている。
先生はもう一度窓の外へ目を向け、真紅の空と街中で暴れている敵を見比べながら頭を抱えた。
「一体何が起きたら一晩で平和な日常からバイオハザードに変わるんだよ! こんなの可笑しいよ!」
「ん。先生」
「うわっ!?」
後ろから突然声を掛けられ、先生が慌てて振り返ると、いつの間に起きたのかシロコテラーがすぐ後ろに立っていた。
「シロコ、起きてたの!? 何これ!? シロコ知ってる!?」
「……」
シロコテラーは質問には答えず、自分のスマートフォンを先生へ差し出した。
「何?」
「電話」
画面には着信中の表示と共に、見慣れた名前が表示されている。
『ナギサ』
「…………なんか知ってそうな人から来た」
「先生が出ていいよ」
「その感じなんか怖いなぁ……」
先生は嫌な予感を覚えながら通話ボタンを押した。
「もしもし」
『あっ先生ですか!? あのですね、これは、その、なんというかあれでして!』
「ナギサ。もしかして今キヴォトスが大変なことになってる原因を知ってる感じ?」
『…………あう……知っているというか、知りたくなかったというか……』
明らかに何かを知っている反応だった。
先生は一度目を閉じて気持ちを落ち着かせ、なるべく穏やかな声で問いかける。
「怒らないから正直に話してくれない?」
『もう怒ってるじゃないですか!?』
「怒ってないよ?」
『声が怖いです!』
「ナギサはいい子だから話してくれるよね?」
『分かりました! 正直にこちらで起きたことを話しますよ! 嘘じゃないですからね!? 本当に私達は何もしてませんからね!?』
「その前置きからもう怖いんだけど……」
◆
時間は少し遡り、前日のアトラ・ハシースの箱舟。
「ありがとうございますぅぅぅぅ!! 本当に助かりましたぁぁぁ!!」
「来てくれたんだねぇぇぇ! ありがとう!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてください!」
箱舟へ到着したナギサ、ミカ、セイアの三人は、プレナパテスと長い淡い緑色の髪をした謎の少女から両手を握られ、泣きながら感謝されていた。
どうやら本当に切羽詰まっていたらしい。
「もう脚が限界だったんですぅ!」
「あ、あの……事情は理解しましたから一度離れていただけますか?」
ナギサが若干引きながら少女を宥める一方、その横ではミカだけが別の理由で怒っていた。
「ひどいじゃんね! 私を勝手に発電機扱いして!」
「でもミカ、これは君にしかできない仕事だ」
セイアが発電用の自転車を指差す。
「漕げってか!?」
「頼りにしてますよ♪」
「二人とも後で覚悟しておいてね!」
散々文句を言いながらも、結局ミカは自転車へ跨がる。
「もう! やればいいんでしょ!」
ミカが勢いよくペダルを踏み始めると、自転車の回転速度が一気に跳ね上がった。
キコギコギコギャリギャリギャリ!!
「…………はっや」
プレナパテスが思わず目を丸くする。
『発電量、急速に上昇。先ほどまでの平均出力を大幅に上回っています』
「何この子!?」
「我々ティーパーティーが誇る最強のB.O.Wだよ」
何故かセイアが誇らしげに胸を張る。
「こういう時だけは本当に頼りになりますね」
「二人とも後でグーで行くからね!!」
ミカは文句を言いながらも驚異的な速度で自転車を漕ぎ続け、そのまま半日近く発電を続けた。
『電力残量、47%まで回復』
「たった一人で47%!?」
プレナパテスが歓声を上げる一方、当のミカはすっかり疲れ切り、ハンドルへ身体を預けながら荒い息を吐いていた。
「流石に……疲れたじゃんね……」
「お疲れ様です」
ナギサから飲み物を受け取ったミカは、それを飲みながら恨めしそうに彼女を見上げる。
「ありがとう……でももう限界だから交代して……」
「では五十パーセントまであと少しですから――」
「鬼! 悪魔! ゲヘナ!」
「冗談ですよ」
「ナギちゃん最近セイアちゃんに似てきてない!?」
「オイ、今の言葉はどういう意味かな? 詳しく話してみたまえよ」
そんなやり取りを見ていたプレナパテスが慌てて立ち上がった。
「流石に次は私が漕ぐよ~。いやぁ、本当にありがとうね。助かっちゃったよ」
「これで当分は大丈夫でしょ……」
「いや~ごめんね~」
プレナパテスは笑いながら自転車へ向かおうとしたものの、長時間足を酷使した影響なのか少し足元をふらつかせた。
「あっ」
倒れないように咄嗟に近くの操作盤へ手をつく。
その瞬間。
カチッ。
明らかに何かを押した音がした。
プレナパテスは操作盤へ手を置いたまま固まり、ナギサ達も嫌な予感を覚えながらその手元へ視線を向ける。
「……今なんか押した?」
『押しましたね』
「何を押したの!?」
『少々お待ちを、今確認します』
全員が恐る恐る操作盤を見ると、プレナパテスの手のすぐ近くに一つのボタンがあり、その上には小さな文字で名前が記されていた。
【世界滅亡スイッチ】
「…………」
プレナパテスの顔から見る見るうちに血の気が引いていく。
「なんでこんな所にこんな物騒なスイッチがあるんだ!?」
「今それを言っている場合ですか!?」
「もう一回押したら戻る!? 戻るよね!?」
「試してみるしかないだろうね!」
セイアの言葉を受けてプレナパテスがもう一度ボタンへ手を伸ばそうとしたが、その前にプラナが淡々と告げる。
『どうやら停止機能はないようです』
「「「「えっ」」」」
部屋の空気が凍りついた。
『必要電力を確認。現在の電力残量は起動条件を十分に満たしています』
「待って待って待って!!」
慌てているプレナパテスがゆっくりとミカを見る。
「もしかして私が電力を半分近く回復させちゃったから?」
『……そうです』
ミカもプレナパテスを見返す。
「……私のせいだったりする?」
「違うよ!? 押したの私だから!」
その直後、箱舟全体を大きな振動が襲い、何か巨大な機能が起動したことを全員へ嫌でも理解させた。
◆
『――ということがありまして……』
ナギサから一連の話を聞き終えた先生は、しばらく何も言えないまま窓の外を眺めていた。
真紅に染まった空。
地上を暴れ回る謎の敵。
遥か遠方にそびえる異質な塔。
その全てが、たった一つの操作ミスから始まったらしい。
「……世界滅亡スイッチ?」
『はい……』
「本当にそんな名前なの?」
『実際にそう書いてありました……』
先生は片手で顔を覆った。
プレナパテスは世界を滅ぼすつもりがあるのかはともかく、自分から助けてくれと泣きついてきた。だからこちらも救助することにしたというのに、その翌朝には世界滅亡スイッチを誤って押されている。
色々言いたいことはあったが、先生は長い溜息を吐いてから低い声で尋ねた。
「それで、下手人は……?」
『泣いて土下座してます』
「…………」
どんな状態なのか、見なくても簡単に想像できた。
「……ハァ~~~。まあ、わざとじゃないなら許すけど。一回だけだからねって伝えておいて」
『わ、分かりました……』
先生がどうにか怒りを収めたところで、ナギサの声がさらに小さくなる。
『あとそれと、追加でお伝えしておきたいことがありまして……』
「……嫌な予感がする」
『あのですね……こちらではどうやっても起動した機能を解除できないそうなんです。なので…その…。プレナパテスさんが言っていたことをそのままお伝えしますね?』
「…どうぞ」
少しの間を置いてから、ナギサが非常に言いづらそうにその内容を告げる。
『こっちからは解除することが出来ないから、なんとか【虚妄のサンクトゥムタワー】を全部制圧してきてね♡……とのことです』
伝言を聞いた先生は暫く無言で赤い空を眺めていた。
どうやら、世界を滅ぼす機能を誤操作で起動した本人から、その後始末までこちらへ丸投げされたらしい。
「ナギサ」
『は、はい!?』
「こっちもプレナパテスに伝えておいてほしいことが出来たから、伝えてくれる?」
『ど、どうぞ……』
「お前を殺す」
『先生!?』
「以上」
『待ってください! 一回だけなら許すって言ってたじゃないですか!?』
「今の追加情報聞く前だったから!」
『先生、落ち着いてください!』
「私はめちゃくちゃ落ち着いてるよ!」
『その声で言われても説得力ありません!』
「とりあえず伝えておいてね!」
『わ、分かりましたから、でも本当に殺したりしないですよね!? せんせ―――』
そこで通話を終えた先生はシロコテラーにスマホを返すと、ベッドの縁へ腰掛けて盛大に頭を抱えた。
「どうすんのこれ……」
シロコテラーも隣へ腰を下ろしたものの、今だけは先生へ何と声を掛ければいいのか分からなかった。
本来とは違う未来を歩んでいるはずなのに虚妄のサンクトゥムは出現してしまった。しかもその原因も知っているものとはまるで違う。何より今回に限ってはプレナパテス本人の単純な操作ミスである。
暫く考えた末、シロコテラーは先生の肩へそっと手を置いた。
「先生。ホシノ先輩が全部やってくれるよ……多分」
数秒間黙っていた先生が顔を上げると、そのまま窓の外に広がる真紅の空へ向かって盛大に叫んだ。
「ホシノォォォ! 早く帰ってきてくれーーー!!」
赤く染まった朝のシャーレに、先生の悲痛な叫び声がいつまでも響き渡るのだった。