新人先生、百鬼夜行へ誘われる
プレナパテスが引き起こした大騒動から少し時間が経ち、キヴォトスがすっかり普段の日常を取り戻した頃。
その日の先生は、いつものようにシャーレの執務室で書類仕事に追われていた。
「……よし、これで午前中の分は終わりかな」
最後の一枚を処理して机の端へ置いたところで、端末から着信音が鳴る。
「ん?」
画面に表示された名前には見覚えがあった。
「ニヤ?」
百鬼夜行連合学院のお偉いさんがどうして自分に?と疑問に思いつつも先生が通話に出ると、すぐに柔らかな声が聞こえてきた。
『先生~、お久しぶりです』
「久しぶり。あの緊急会議以来だね」
『ええ。あの時は何かと大変でしたからねぇ。空は真っ赤ですし、得体の知れない塔は生えておりますし、先生は突然現れたプレナパテスという方を庇っていらっしゃいますし……ゆっくりお話しする時間もありませんでした』
「……改めて言われると酷い状況だったなぁ」
先生は遠い目をするとすぐにあの日の緊急会議を思い出される。今でもその時の事を考えると胃が痛くなりそうだった。
『ですが、今ではすっかり落ち着きましたし。ちょうど良い機会ですから、先生を百鬼夜行へお招きしようかと思いましてねぇ』
「百鬼夜行に?」
『はい。近々お祭りも開かれる予定なんですよ。先生はまだ百鬼夜行へいらしたことがありませんよね?』
「確かに訪れたことは無かったね。一度行ってみたいとは思ってたはいたんだけどね」
『でしたら丁度いいではありませんか♪ 難しいお仕事のお話は一旦忘れて、お祭りでも楽しみながら百鬼夜行をご覧になってはいかがでしょう?』
「えっ、いいの?」
『もちろんですよ。先生でしたら大歓迎です。私も先生とお話ししたい事もありますし』
緊急会議で初めて顔を合わせた時には、お互いほとんど話す余裕がなかったのは事実だし。
百鬼夜行そのものにも興味はあるし、最近は大事件続きだったので、たまには純粋に祭りを楽しむのも悪くないか。
「じゃあ、そのお言葉に甘えようかな」
『にゃははは~♪ ではお待ちしておりますね、先生♪』
「うん。ありがとうねニヤ!」
通話を終えると、先生は椅子へ背中を預けた。
「百鬼夜行かぁ……」
初めて訪れる学園。しかも今回は世界の危機でも生徒の救出でもないただの祭り。
つまり観光という事だ。
「これが役得と言う奴なのかな」
自然と笑みが浮かぶ。
問題があるとすれば、一人で行くのは少し寂しいことくらいだった。
「誰か一緒に行けないかな」
そう考えた先生は、まずシャーレにいる面々へ声を掛けてみることにした。
◆
「無理だ」
「即答!?」
最初に声を掛けた元理事から、ものの数秒で断られた。
「百鬼夜行のお祭りだよ? ちょっとくらい息抜きしない?」
「先生がシャーレから離れている間、誰が溜まっている書類を片付けるんだ?」
「…………」
「私は先生が留守の間にそちらを片付ける事に専念した方がいいのではないかな?」
「はい……ごもっともです」
「まぁ偶には羽を伸ばすのもいいだろう。ただし仕事を増やして帰ってくるなよ!」
「御意」
「その返事をする奴は大体増やして帰ってくる気がするんだが…?」
あまりにも正論だったため、それ以上誘うことはできなかった。
ならばと、次にカヤへ声を掛ける。
「カヤは?」
「…………百鬼夜行ですか?」
「うん。お祭りやるんだって。一緒に行かない?」
「…………」
カヤが僅かに固まった。
「カヤ?」
「い、いえ!?」
明らかに反応がおかしい。
「行きたい?」
「べ、別に!? 私は元防衛室長ですよ!? お祭り程度で浮かれたりしません!」
「そっか」
カヤは何かを言いたそうにしたものの、結局小さく息を吐いた。
「今日は防衛室関係の資料を纏める予定があるんです。私が一度手を入れないといけないものも多いので……」
「ああ、それなら仕方ないね」
「……せっかく誘っていただいたのにすみません」
「また今度どこか行こうね」
「…………約束ですよ!」
「うん、約束ね!」
先生が笑うと、カヤは少しだけ機嫌を直した。
その後も何人かへ声を掛けてみたものの、今日は妙に予定が合わなかった。
そして。
「私は無理だね!」
最後に声を掛けたテス先生は、何故か胸を張って断ってきた。
「なんでそんな嬉しそうなの?」
「聞いて驚け!」
「わーー!…これでいい?」
「今日はユメちゃんとホシノちゃんたち、それから大きいシロコちゃんやアビドスのみんなと海に行くのです!」
「へぇ」
「どうだ!」
「何が?」
「先生は一緒に遊びに行く人を探してるんでしょ?」
「まあね」
「一方私は向こうから誘われた!」
テス先生はこれでもかというほど得意げな顔をする。
「これが人望というものだよ、先生!」
「…………」
即座にそのドヤ顔にデコピンを放つ。
「痛ぁっ!?」
「あまり強い言葉を使うなよ…辛いだろう……?」
「暴力反対!暴力反対!」
「誰のおかげでシャーレに住めてると思ってるの?」
「ぐぬぬ…!」
「自覚があるようでよろしい」
「でも人望で勝ったのは私――痛っ!」
もう一発放つ。
「二度もぶった! ユメちゃんにもぶたれたことないのに!!」
「二回言うからでしょ」
「横暴だぁ!」
額を押さえて抗議するテス先生を置いて、先生は執務室へ戻った。
「……まあ、たまには一人もいいかな」
一人旅と言っても、シャーレから百鬼夜行へ行って祭りを見るだけだ。
誰かの護衛任務でもない、世界滅亡の危機でもない、きっと何も起こらないだろう。
「偶には一人で羽を伸ばすのも悪くないかも――」
『先生!』
「うわっ!?」
シッテムの箱からアロナの大声が響いた。
「びっくりしたぁ……どうしたの?」
『どうしたの、ではありませんよ!』
アロナは腰へ両手を当て、先生を睨む。
『今のお話、全部聞いてましたよ!』
「だったら私の孤独を少しは労ってくれても」
『そういう話ではありません! 百鬼夜行へ一人で行くつもりなんですか!?』
「だってみんな忙しいみたいだし。無理に誘うのも悪いでしょ」
『駄目です!』
「なんで!?」
『先生は自分が今どれだけ有名なのか分かってますか?』
「……多少は?」
『多少じゃありませんよ! この前なんてクロノスの生中継でキヴォトス中に先生とテス先生の戦いが流れたばかりですよ!?』
「……そんなこともあったねぇ」
『それに以前トリニティへ行った時だって、先生誘拐されたじゃないですか!』
「…………」
言葉が詰まる。
『ほら!』
「いや、でも今回はお祭りだし、なにも起こらないって」
『誘拐犯がお祭りだから休業してくれる保証がどこにあるんですか!?』
「うぐ、それは……」
『あります?』
「…………ないです」
『ですよね!』
完全に論破された。
先生は困ったように頭を掻く。
「じゃあどうするの? 本当にみんな予定あるみたいだよ?」
『そういう時こそ――』
アロナが胸を張る。
『募集ですよ!』
「いやいやいや」
『なんですか!?』
「お祭り行くだけだよ?」
『だからこそです! ここで生徒さんを募集すれば、護衛だけじゃなくもしかしたら案内までしてもらえるかもしれませんよ? 一石二鳥ですよ!?』
「そんな都合よく百鬼夜行を知ってる子が来るかな?」
『やってみなければ分かりません!』
「う~ん……」
先生は少し迷った。しかしトリニティでの前例を持ち出されると、強く否定できない。
「……分かった。久しぶりに募集してみようか」
『わかってくれたんですね!』
アロナが嬉しそうに笑う。
『それでは先生、募集を開始しましょう!』
久しぶりに見る募集画面。
先生が指示に従って操作すると、画面全体が光に包まれた。
「果たして今回は誰が来るのやら…」
光が徐々に収まり。
そこに現れたのは二人の少女だった。
一人は白を基調とした装いに水色の羽織に身を包んだ透き通るように真っ白な少女。
もう一人は猫を思わせる耳を持つ同じ水色の羽織を身に着けている少女。
「…………」
「…………」
二人は自分たちが呼び出されたことを理解するまで、ほんの少し時間が掛かったようだった。
先に反応したのは真っ白な少女だった。
「……先生?」
「先生だよ~」
先生が答えた瞬間。少女の表情から僅かに力が抜ける。
「……そう」
それだけだがしかし、声には隠しきれない安堵が混ざっていた。
隣の少女も先生を見つめた後、ほんの僅かに目を細める。
「急だったけど……先生に呼ばれたなら、まあいい」
「二人とも私のこと知ってるんだね」
「……当然でしょ」
「先生だから」
「そっか~」
先生にとって、募集された生徒が自分を知っているのはもう慣れたものだった。
「まず名前を聞いてもいい?」
「?……御稜ナグサ」
「桐生キキョウ」
「ナグサとキキョウね。よろしく」
「??……うん」
「先生…?」
二人とも。どことなく不思議そうな表情で先生を見つめていた。
だがそれ以上にうれしかったのだろう、特にナグサは口数こそ少ないものの、先生と再会できたことへの安堵が滲んでいる。
「それで先生、急に私達を募集したってことは、何かあったの?」
キキョウが尋ねる。
「いや、そんな大したことじゃないよ」
「大したことじゃない?」
「うん。ちょっと百鬼夜行へ行くことになってね」
キキョウの動きが僅かに止まった。
「百鬼夜行に?」
「そう」
今度はナグサも先生を見る。
「……先生が?」
「うん」
「…………」
二人が顔を見合わせて何かを考えている様子だったが、先生はそれに気づかず話を続ける。
「ちょうどお祭りが始まるらしくてさ。ニヤに招待されたんだよ」
「ニヤ部長に……」
キキョウの声が少し低くなる。
「何?」
「……別に。それより先生」
キキョウが少しだけ身を乗り出した。
「百花繚乱の方は?」
「……ひゃっかりょうらん?」
「…………」
キキョウが黙った。
「何それ?」
「あー…………何でもない」
「えぇ?」
今度はナグサが尋ねる。
「……ユカリたちは?」
「ユカリ? え、スキマ妖怪の?」
「…………違う」
「じゃあ誰?」
「スー……何でもない」
「二人ともさっきからどうしたの!?」
先生には全く意味が分からない。
一方ナグサとキキョウの間には、じわじわと嫌な予感が広がり始めていた。
「……先生」
キキョウが慎重に尋ねる。
「百鬼夜行に行くのは…?」
「今回が初めての訪問だけど…?」
先生が首を傾げながら答えると二人が完全に停止した。
「え?」
先生は笑う。
「明日が初めてだよ」
「……初めて?」
「うん」
「じゃあ……ニヤ様とは?」
「この前の緊急会議で会ったのが初めて。その時もほとんど話してないよ」
「…………」
「…………」
「何? 百鬼夜行って初めてだと何かまずいの?」
「いや……」
ナグサが視線を逸らす。
「まずくは……ない…けど…」
「ならよかった~」
先生は二人の異変を特に深く考えることなく、嬉しそうに笑った。
「でも本当に運が良かったよ」
「……何が?」
「二人とも百鬼夜行の生徒なんでしょ?」
「そうだけど」
「じゃあ案内もお願いできるね」
先生は何も知らない。本当に何一つ知らない。
「私、百鬼夜行のことほとんど知らないからさ」
爽やかな笑顔で二人に告げる。
「二人とも一緒なら心強いよ。明日からよろしくね!」
「…………」
「…………」
ナグサとキキョウは、暫く先生の笑顔を見つめていた。
そして二人は同時に理解した。
この先生はまだあの事件を知らない先生なのだと。
百花繚乱紛争調停委員会も。継承戦も。自分たちに何が起きたのかも。
何一つ。
「……キキョウ」
「何」
ナグサが小さな声で呼ぶ。
「……どうしよう?」
「私に聞かないで」
「二人とも顔色が悪いけどどうしたの?」
先生が不思議そうに首を傾げる。
「「何でもない」」
「息ぴったりだなぁ」
先生は感心したように笑う。
そんな何も知らない先生の横で一度経験している二人だけが、これから始まるであろう出来事を想像しながら、揃って深い溜息を吐くのだった。