百鬼夜行連合学院へ到着した先生は、駅を出た直後から完全に観光客と化していた。
「おぉ……!」
左右を見れば、瓦屋根の店や木造の建物が並び、通りには提灯や色鮮やかな幟が風に揺れている。祭りの準備が進められているらしく、あちこちで屋台が組み立てられ、通りを行き交う生徒たちもどこか浮き足立っていた。
アビドスともトリニティとも、ミレニアムとも違う。
初めて見る百鬼夜行の街並みに、先生は右を見ては立ち止まり、左を見てはまた足を止めていた。
「すごいなぁ。こういう街並み好きなんだよね」
「……先生」
「ん?」
「ニヤ部長との約束の時間まで余裕はあるけど、あまり寄り道しすぎないで」
隣を歩いていたキキョウが呆れたように言う。
「分かってるって。でも初めて来たんだから少しくらい見てもいいでしょ?」
「少しくらいならいいけど――」
「じゃああのお店見ていい?」
先生が指差した先には、土産物を扱っているらしい店があった。
木製の置物や扇子、狐や鬼を模した小物などが所狭しと並べられており、いかにも観光地らしい雰囲気がある。
「ハァ……先生が全く変わっていなくて安心すればいいのか、不安になればいいのかわからないわ」
「……楽しそうだね」
ナグサが小さく呟いた。
「ナグサも見る?」
「私は……別に」
「いいじゃん! 一緒に行こうよ」
「話聞いてた?」
先生はナグサの返答など気にすることなく店へ向かっていき、キキョウは小さく溜息を吐きながら後を追った。
そんな先生の背中を見つめながら、ナグサとキキョウは一度だけ顔を見合わせる。
今のところ、何も起きていない。
先生は初めての百鬼夜行を純粋に楽しんでいる。
それ自体は良いことだった。
問題は――自分たちである。
「……このままじゃマズい」
土産物屋へ入って早々、先生が一人で商品の棚を見て回り始めたのを確認すると、キキョウは声を落とした。
「キキョウもやっぱりそう思う?」
「当たり前でしょ。私はまだともかく……ナグサ先輩がこの時期の百鬼夜行を普通に歩き回ってるのは、ある意味かなり駄目だから。それにユカリに出会ったら即継承戦になる」
「……うん」
ナグサもこれは否定できない。
今の百鬼夜行にいる『自分』が、どのような状態にあるのかはよく知っている。
そんな時期に、もう一人の自分が先生の横を堂々と歩き回っているところを関係者に見られれば、面倒なことになるのは明らかだった。
「それに私だって、こっちの私と鉢合わせする可能性があるし……」
「どうする?」
「……そうだね」
キキョウが店内を見渡していると、少し離れた棚に様々な種類のお面が並べられていることに気づいた。
狐。
鬼。
天狗。
祭りで使う簡素なものから、装飾の凝ったものまで揃っている。
「……妥協策だけど」
キキョウが白い狐面を手に取る。
「しばらく顔を隠した方がいいかも」
「お面で?」
「何もしないよりはマシでしょ」
「……そうだね」
結局ナグサは白い狐面を、キキョウは黒い狐面を購入することにした。
二人がその場で面をつけてみる。
「どう?」
「……怪しい」
「ナグサ先輩も同じだからね」
少なくとも、一目見ただけで正体を悟られる危険性はかなり減った。
「先生には……」
「言っても『百鬼夜行っぽくていいね』とか言いそう」
「……言いそう」
二人は同時に溜息を吐くと、会計を済ませて先生を探すことにした。
「……先生どこにいるんだろう?」
「誰かと話してる声は聞こえてくるからあっちだと思う」
◆
店の奥で、先生は見知らぬ少女と楽しそうに会話していた。
「いや~、このキーホルダーの良さが分かるなんて、手前様もなかなか見どころがありますね!」
「そっちこそ! 最近こういうの見かけなくなったから懐かしくてさぁ」
先生が手にしていたのは、金色の剣へドラゴンが巻きついたキーホルダーだった。
宝石を模した赤いプラスチックまで嵌め込まれており、どう見ても百鬼夜行の伝統工芸とは無関係の代物である。
しかし先生の目は輝いていた。
「うわー、本当に懐かしいな~! こういうの昔よくお土産屋にあったんだよね!」
「分かります、分かりますとも。剣だけでは物足りない。そこへ龍を絡ませることで生まれる、この絶妙な過剰さ……!」
「そう! この無駄に豪華なのが良いんだよ!」
「手前様とは良き友になれそうです」
「私もそう思う」
二人は妙な部分で完全に意気投合していた。
「これ自分用に買っちゃおうかな……」
先生はキーホルダーを眺めた後、少し考える。
「いや、私だけだとアレだし……どうせならみんなの分も買うか!」
「みんな、とは?」
「シャーレのみんな。人数増えたから結構な数になるけど」
「なるほどなるほど…」
「色違いもあるなぁ。ナグサとキキョウは……黒と白どっちがいいかな?」
「……それならこちらなどいかがでしょう?」
少女が別の棚から同系統のキーホルダーを持ってくる。
「おぉ! 銀の剣!」
「龍も赤色です」
「派手!」
「そこが良いでしょう?」
「分かってるねぇ!」
先生は楽しそうに人数分のキーホルダーを選んでいく。
「手伝ってくれてありがとう。助かったよ」
「いえいえ。手前は同士として当然のことをしたまでですよ」
「同士になってたんだ」
「同じ美学を理解する者なのですから間違いではないでしょう?」
「確かにそうかもね」
少女は時間を確認すると、少し残念そうに肩を竦めた。
「おっと。そろそろ手前は行かなくては」
「用事?」
「ええ。少々外せない用事がありまして……」
「そっか。じゃあまたね」
「ええ、では手前はこれにて失礼」
少女は数歩歩いたところで振り返った。
「――影法師の主様」
「……影法師?」
先生が聞き返した時には、少女は既に店の出口へ向かっていた。
追いかけて聞こうかとも思ったが、すぐに人混みの中へ紛れて姿が見えなくなってしまう。
「……変わった子だったなぁ」
「先生」
「うわっ」
真後ろから声を掛けられ、先生が振り向く。
「なんだ二人か……って」
白と黒の二つの狐面が並んでいた。
「何そのお面」
「顔を隠すため」
キキョウが答える。
「百鬼夜行には色々知り合いがいるから。余計な騒ぎを起こしたくないだけ」
「ああ、なるほど…」
「……何」
「いや、百鬼夜行っぽくていいね!」
二人は先生の反応に見合うと仮面の下で軽く笑みを浮かべた。
「……やっぱり言った」
「予想通りだね」
「何が?」
「何でもない」
先生は首を傾げたものの、すぐに先ほど購入した袋を持ち上げた。
「ちょうど良かった。二人の分も買っといたよ」
先生はキキョウとナグサへ一つずつキーホルダーを差し出す。
二人はそれを受け取った。
剣へ巻きついたドラゴンのキーホルダーを…。
「…………」
「…………」
「どう?」
先生が期待に満ちた声で尋ねる。
キキョウは数秒間じっと眺め。
「……ダサっ」
「えぇぇぇ!?」
「これは……」
ナグサも言葉に困る。
「ナグサまでその反応!?」
「いや……先生が好きなら、いいと思う」
「絶対格好いいと思ってないでしょ!」
「剣にドラゴン巻きついてるだけじゃない」
キキョウが冷静に言う。
「そこが格好いいんでしょ!?」
「分からないわ」
「なんで!?」
先生は本気でショックを受けていた。
「最近の子にはこういう良さ分からないのかなぁ……」
「先生もそんなに歳変わらないでしょ」
「気持ちの問題なの!」
「意味分からない」
散々な評価を受けたキーホルダーだったが、二人はキーホルダーを先生へ返そうとはしなかった。
「あ……」
先生がそれに気づく。
「でも受け取ってくれるんだ」
「…………」
その言葉にキキョウの動きが一瞬止まる。
「……先生がくれた物だし」
狐面のおかげで顔は見えない。
しかし、僅かに覗いている耳は赤かった。
ナグサも手の中のキーホルダーを見つめながら、小さく頷く。
「……大事にするね」
「…………」
先生は少し嬉しそうに笑った。
「何、その顔は…?」
「いや、喜んでもらえてうれしいよ」
「……別に」
キキョウは顔を逸らす。
ナグサも狐面の奥で視線を逸らした。
「じゃあ、そろそろニヤのところに行こうか」
「寄り道は終わり?」
「今は一旦終わり~。それに後でまた巡れるしね~」
「まだ見るんだ……」
先生は荷物を抱え直すと、二人の狐面を連れて店を出た。
◆
陰陽部の部室へ到着すると、ニヤは既に先生を待っていた。
「先生~。ようこそ百鬼夜行へ♪」
「お招きありがとう。さっそく楽しませてもらってるよ」
「そのようですねぇ」
ニヤの視線が先生の持っている大量のお土産袋へ向く。
「随分と買い込まれたようで」
「みんなへのお土産」
「ふふっ。先生らしいですねぇ」
部屋の中にはニヤ以外にも二人の生徒がいた。
「初めまして、先生。私は桑上カホと申します」
「よろしく、カホ」
「お噂はかねがね伺っております。本日は百鬼夜行へ来ていただきありがとうございます」
丁寧に頭を下げるカホの隣では、ぼんやりとした表情の少女が先生を見ていた。
「先生だ」
「うん。先生だよ」
「チセ」
「チセ?」
「私の名前」
「ああ。よろしくね、チセ」
「うん」
チセは満足そうに頷く。
そこでニヤの視線が、先生の後ろに立っている二人へ移った。
「ところで先生~? そちらのお二人は?」
白い狐面と黒い狐面を着けている二人。
百鬼夜行の街中なら狐面そのものは珍しくないが、室内に入ってからも外そうとしない二人は明らかに怪しかった。
「ああ、この二人? 私の……護衛だよ」
「護衛……ですか?」
「百鬼夜行の子だから、ついでに案内もお願いしてるだけだよ~」
「なるほど~♪」
ニヤが二人を興味深く見てもキキョウもナグサも何も言わない。
「ふふっ」
ニヤの笑みが少しだけ深くなる。
「何だか、不思議と見覚えのあるような雰囲気のお二人ですねぇ」
「…………」
キキョウの肩が僅かに強張る。
先生は二人を振り返る。
「二人ともそうなの?」
「さぁ…?」
「……多分、人違い」
「だってさ」
「そうですかぁ♪」
ニヤはそれ以上追及しなかった。
ただ、何故か楽しそうに二人を眺めている。
キキョウは狐面の奥で小さく溜息を吐いた。
「それでは改めまして」
全員が席につくと、ニヤは先生へ祭りについて説明を始めた。
今回開かれる祭りは百鬼夜行でも比較的大きな催しらしく、様々な屋台や出し物、夜には花火まで予定されているという。
「折角いらしたのですから、先生には難しいことなど考えず、存分に楽しんでいただければと思っております♪」
「いいの?」
「もちろんです」
カホも笑顔で頷く。
「百鬼夜行の魅力を知っていただければ、私たちとしても嬉しいですから」
「楽しみだなぁ」
「屋台」
チセが呟く。
「チセは何かおすすめある?」
「わたあめ」
「いいね」
「大きいやつ」
「そんなのあるんだ」
「ある」
「じゃあ後で食べてみようかな」
完全に観光気分の先生を見て、キキョウとナグサは複雑そうな顔をしていた。
このまま本当に祭りを楽しんで帰れれば、それが一番なのだが。
「……それと、先生」
ニヤの声色が少しだけ変わった。
「実は一つ、先生のお耳にいれたい事がありまして」
「お耳にいれたい事?」
「こちらです」
ニヤは机の引き出しから、一通の木箱を取り出した。
木箱には見慣れない意匠が施されている。
「これは?」
「少し前に、陰陽部へ届いたものです」
「誰から?」
カホが僅かに表情を曇らせた。
「……花鳥風月部です」
「花鳥風月部?」
先生には聞き覚えがない。
だが後ろの狐面二人の空気が変わった。
先生はそれに気づかないまま、ニヤは手紙を読み上げる。
【――そなたらに告げる。
我々の風流は終わってなどいない。風情は大勢で楽しむもの。
お楽しみが始まり、空に咲いた大輪の花を見上げたその時に――
もう一度そなたらの元を訪ねよう】
先生は聞き終えるとなんとも理解しがたい顔になる。
「何これ?」
「私たちも困っておりまして」
ニヤはいつもの笑顔を浮かべているものの、その目には僅かな警戒があった。
「単なる悪戯でしたら良いのですが……差出人が差出人ですからねぇ」
「花鳥風月部って、危ないところなの?」
「まあ、その辺りのお話は――」
ニヤが説明を始めようとした。
その時、陰陽部の扉が勢いよく開いた。
バァン!!
「頼もうですわーーーー!!!」
「うわっ!?」
突然の大声に先生が肩を跳ねさせる。
「……!?」
「……!!」
ナグサとキキョウは聞き覚えのある声に同時に固まった。
部屋の入口には、一人の少女が立っていた。
長い髪を揺らし、勢いよく陰陽部へ乗り込んできた少女は、胸を張ると高らかに声を上げる。
「陰陽部の皆様! 少々頼みたいことが――」
そこで先生を見つけた。
「……あら?」
少女がぱちぱちと瞬きをする。
「あなたは……噂の先生ですの?」
「えっと……初めまして?」
「……始まっちゃった」
ナグサが小さく呟き。
「わかってはいたけどこれからの事を思うと、反吐が出る……」
キキョウが狐面の奥で苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
百鬼夜行へ来てから、まだ大した時間は経っていない。
それでも何も起きずに祭りだけ楽しんで帰るという先生の予定は、早くも怪しくなり始めていた。