「頼もうですわーーーー!!!」
勢いよく開かれた扉と共に、陰陽部の部室へ元気いっぱいの声が響き渡った。
「うわっ!?」
突然のことに先生が肩を跳ねさせる一方、ニヤとカホは慣れているのか驚いた様子もなく、チセだけが楽しそうに扉の方へ顔を向けている。
そして先生の背後に立っていた白と黒、二つの狐面は揃って微動だにしなくなった。
「陰陽部の皆様! 本日はお願いがあって参りましたの!」
長い髪を揺らしながら乗り込んできた少女は、胸を張って堂々と宣言する。ところが部屋の中に見慣れない大人が座っていることへ気付くと、勢いそのままに固まった。
「…………」
「…………」
数秒間、互いに見つめ合う。
「あなたは……噂の先生ですの?」
「えっと……初めまして?」
「本当にシャーレのせ、先生ですの!?」
「そうだけど?」
「どうして先生が陰陽部にいらっしゃいますの!?」
今度は少女の方が驚く番だった。
「ニヤに今回開催されるお祭りへ招待されてね。百鬼夜行に来るのも初めてだったから、観光させてもらってるんだ」
「そ、そうでしたのね……」
「ところで、君は?」
「あっ! これは失礼いたしましたわ!」
少女は慌てて姿勢を正すと、改めて先生へ向き直る。
「身共は勘解由小路ユカリ! 百花繚乱紛争調停委員会に所属しておりますの!」
「――」
先生はユカリの名前を聞いても一切笑顔を崩さなかった。
ただ、その名前を聞いた瞬間だけ意識が僅かに切り替わった。
――ユカリ。
昨日、募集で現れたナグサが口にしていた名前だ。
そしてキキョウが口にしかけた言葉。
――百花繚乱。
先生は何気ない仕草で後ろへ視線を向けた。
白い狐面を被ったナグサ。
黒い狐面を被ったキキョウ。
今は二人とも何も言わないけれど、その沈黙だけで先生には十分だった。
これまで何度も経験してきた。募集でやって来た生徒たちが何気なく口にした名前や言葉が、後々になって大きな意味を持っていたことを。
そして彼女たちが頑なに口を閉ざす時にも、ちゃんと理由がある。
昔の自分なら、「ユカリって二人が言ってた子だよね?」くらいのことを何も考えず口にしていたかもしれない。
だが今は違う。二人がわざわざ狐面まで用意して正体を隠している以上、先生が勝手に明かすべきではない。
「ユカリね。これからよろしくね!」
「はい! よろしくお願いいたしますわ、先生!」
先生は元気なユカリを見つめて微笑ましそうに笑った。
その様子を狐面の奥から見ていたキキョウだけが、先生が自分たちへ一瞬視線を向けたことに気付いていた。
「それでユカリさん。今日は随分と元気よくいらっしゃいましたが、陰陽部へ何のご用件でしょうか?」
ニヤに促され、ユカリも本来の目的を思い出したらしい。
「そうでしたわ!」
勢いよく振り返ると、両手を机へ置く。
「本日は陰陽部の皆様に、百花繚乱の継承戦についてお認めいただきたく参りましたの!」
「継承戦?」
先生が首を傾げた。
ニヤは何とも言えない笑みを浮かべ、カホと顔を見合わせる。
「やはり、そのお話でしたかぁ」
「お願いしますわ!」
ユカリは深く頭を下げた。
「身共は百花繚乱を、このまま終わらせたくありませんの!」
「終わる?」
先生が聞き返すと、ユカリは僅かに表情を曇らせた。
「現在の百花繚乱は……ほとんど活動できておりませんの」
そこからユカリは、現在の百花繚乱について語り始めた。
かつて百鬼夜行の治安維持を担ってきた百花繚乱紛争調停委員会。
しかし現在、その組織は事実上の活動停止状態にあること。
委員長代理だったナグサが表舞台から姿を消し、残った面々もそれぞれ別々の道を歩き始めていること。
「レンゲ先輩も、今では百花繚乱から距離を置いておりますし……」
レンゲ。その名前は初めて聞く、覚えておいた方がいいだろうな。
「キキョウ先輩も、今の百花繚乱を存続させることには消極的で……」
「…………」
黒い狐面が僅かに下を向く。
「そしてナグサ先輩は……」
「…………」
今度は白い狐面。
先生は黙って話を聞きながら、自分の中で情報を組み立てていった。
レンゲという少女のことは知らない。しかしキキョウとナグサは既に知っている。
さらに二人が最初に口にしたのがユカリと百花繚乱という言葉。
先生には偶然とは思えなかった。
――やっぱり、この子だ。
これから何が起こるのかは分からない。何をするのが正解なのかもまだ自分には分からない。
だが少なくとも目の前のユカリという生徒を放っておいてはいけない。
「そこで継承戦、というわけですね」
カホが静かに言う。
「はいですの!」
「先生はご存じありませんよねぇ」
ニヤが先生を見る。
「説明してもらってもいいかな?」
「継承戦というのは、百花繚乱に古くから残っている役職継承のための制度なんです。簡単に言えば、現在の役職者へ挑み、正式な手続きを経てその座を受け継ぐためのものですねぇ」
「なるほど」
「ただし、勝手に一対一で戦えば成立するというほど簡単なものでもありません」
継承戦には正式な立会人が必要となる。
百花繚乱側の者。そして公平性を担保するための、外部の立場にある者。
「ですが陰陽部が直接どちらかへ肩入れしてしまうと、それはそれで色々と面倒なことになりまして~」
「なるほど、読めて来た」
「まあまあ先生♪」
ニヤの笑みが深くなった。
「まだ何も言ってませんよ?」
「その顔で大体察したよ!」
そんな二人のやり取りを挟みつつ、先生は改めてユカリを見る。
「ユカリ」
「はい?」
「一つ聞いてもいい?」
「もちろんですわ!」
「どうしてそこまでして、百花繚乱を残したいの?」
ユカリが目を瞬かせた。
先生は続ける。
「継承戦ってことは、簡単な話じゃないんでしょ? 今の百花繚乱を終わらせる方が楽なのかもしれない。それでもユカリは残したいって言ってる」
「…………」
「だから、理由を聞きたいんだ」
ユカリはすぐには答えなかった。
それまでの勢いが少しだけ鳴りを潜める。
「……身共は」
やがて、小さく口を開いた。
「百花繚乱に憧れていましたの」
百鬼夜行のために戦う先輩たち。
困っている者がいれば駆けつけ、争いがあれば身体を張って止める。
そんな姿を見てきた。
「身共にとって、百花繚乱はずっと憧れでしたわ。それが皆様バラバラになったまま、何もしないで終わってしまうなんて……身共には受け入れられませんの」
ユカリは拳を握る。
「もしかしたら、身共にはまだ早いのかもしれません。先輩方のようにはできないかもしれません。それでも身共はまだ、諦めたくありませんの」
先生は暫くユカリを見つめた。
最初に注意を向けた理由は、未来から来た二人が名前を知っていたからだ。
だが今、助けたいと感じている理由は違う。
「分かった」
「……先生?」
「手伝うよ」
「本当ですの!?」
「うん」
先生は笑った。
「ただし、私が百花繚乱を復活させるわけじゃないよ」
「え?」
「やるのは君だよ」
先生はユカリを指差す。
「私はその手伝いをするだけ。今はそれ以上も以下も出来ない。わかってくれるね?」
ユカリは少しだけ目を見開いた後。
「……はいですの!」
大きく頷いた。
その後ろで、ナグサとキキョウも僅かに肩の力を抜いていた。
「というわけで先生~」
「来ると思ったよ」
「外部の立会人、お願いできますよねぇ?」
「もちろんいいよ」
「ありがとうございます♪」
「ニヤ随分嬉しそうだね。何かいいことでもあったのかな?」
「そんなことありませんよ~?」
◆
こうして先生が外部の立会人となることは決まった。
だが、継承戦を始めるにはまだ問題が残っている。
「まずはレンゲ先輩ですわ!」
陰陽部を出るなり、ユカリは力強く宣言した。
「レンゲが百花繚乱側の立会人?」
「はい! まずはレンゲ先輩にお話を聞いていただきますの!」
「どんな子?」
「とても頼りになる先輩ですわ!」
「なるほど」
後ろの狐面二人が揃って黙る。
先生が振り返った。
「何その反応」
「気のせい」
キキョウが即答した。
ユカリもそこで改めて二人へ視線を向けた。
歩き始めてからというもの、どうにも気になるらしい。何度もちらちらと確認している。
「……あの」
「何?」
黒い狐面が答える。
「やはり、お二方とは以前どこかでお会いしたことがありませんか?」
「ない」
「即答ですわね……」
ユカリはなおもキキョウを見つめる。
「ですが、そちらの黒い狐面のお方……お声も雰囲気も、どこかキキョウ先輩に似ているような……」
「…………」
キキョウが止まった。
「キキョウ先輩はもっとこう……落ち着いていて、少し無愛想ではありますが、とても聡明な方でして――」
「…………」
「身共にはやはり、どうにも――」
「分かった」
キキョウが静かに言った。
そして一歩前へ出る。
狐面越しでも分かるほど覚悟を決めた様子で大きく息を吸うと、突然両腕を思いきり広げた。
「秋葉原へようこそ~!」
「…………」
突然の行動にユカリが固まった。
「…………」
先生も固まった。
キキョウは両腕を広げたまま数秒間動かなかった。
そして狐面から僅かに見える耳が、みるみる真っ赤になっていく。
「ど、どう……?」
声が震えていた。
「あなたが知っているキキョウ先輩という人物は……こんな行動をする人物なの?」
「…………」
ユカリは真剣に考えた。
「……しませんわ」
「で、でしょ……?」
「少なくとも身共はこんな行動をした所を見たことがありません」
「じゃあ別人ってことよ」
キキョウは震えながら両腕を下ろした。
「いや……」
先生が堪えきれず口元を押さえながらキキョウに耳打ちする。
「キキョウ、大丈夫?」
「今は話しかけないで」
「そんなに!?」
「……頑張ったね」
ナグサが慰める。
「慰めないで。余計に恥ずかしいから!」
キキョウは今すぐ地面へ穴を掘って入りたい気分だった。
「確かにキキョウ先輩ではなさそうですわね……」
ユカリも一応は納得したらしい。
「となれば」
今度は白い狐面を見る。
「そちらのお方ですわ!」
「……私?」
「はい!」
ナグサが嫌な予感を覚える。
「その声! その立ち方! それに背格好! どう見てもナグサ先輩に似ておりますわ!」
「……気のせい」
「気のせいで済ませられる似方ではありませんの!」
「私は美人なところしか取り柄がない、どこにでもいるただの平凡な無表情系美少女」
「どこにでもいませんわそんな方!!」
「あと自分で美人って言ったね」
「それは事実だから」
「そこは全然恥ずかしくないんだ……」
しかしユカリは納得しなかった。
「いえ! それだけでは別人である証明になっておりませんわ!」
「……」
「むしろその妙に堂々としたところまでナグサ先輩っぽいですの!」
「……面倒くさい」
「聞こえてますわ!」
ユカリがさらに詰め寄る。
「やはりナグサ先輩なのでは――」
「……じゃあ」
ナグサが静かに口を開いた。
「あなたの知っているナグサ先輩は、こんなことできるの?」
「はい?」
先生もキキョウも首を傾げる。
ナグサは懐へ手を入れ何かを取り出した。
「……焼き鳥?」
先生が目を瞬かせる。
「どこから出したの?」
「ノーマルスキルで生み出した」
「焼き鳥を!?」
ナグサは先生の疑問を無視して、串に刺さったねぎまと鶏肉を一口。
もぐ。
次の瞬間。
ぱぁぁぁぁぁ――!
「うわっ、眩しっ!?」
「な、何ですのぉぉぉ!?」
突如としてナグサの身体から眩い光が溢れ出した。
ユカリが目を覆い、先生も慌てて顔を逸らす。
数秒後。
光が収まった。
そこには先ほどと何一つ変わらない白狐面のナグサが立っていた。
手には食べかけの焼き鳥。
「……どう?」
「…………」
ユカリは言葉を失っている。
「あなたの知っているナグサ先輩は、焼き鳥を食べたら光る?」
「…………!?」
ユカリは真剣に過去の記憶を探す。
「光りませんわ……」
「じゃあ別人」
「そ、そういうものですの……?」
ユカリの目が完全に混乱していた。
「まあ確かに、焼き鳥食べて光るなんて聞いたことないし」
「先生まで納得しないで」
キキョウが呆れた声を出す。
「でも今光ったよ?」
「そういう問題じゃないから」
結果として。よく分からないままユカリは納得させられてしまった。
「……では、お二人ともナグサ先輩とキキョウ先輩に似た別人ということですのね?」
「そう」
「うん」
「…………」
「何?」
「まだ少し怪しいですわ」
「これは、コスプレだと思えばいい」
先生はそんな三人を見ながら笑いそうになるのを堪えていた。
二人が必死に正体を隠そうとしているなら、それを尊重する。
だから先生から答えを口にすることはない。
「まあ、二人が違うって言ってるなら今はそれでいいんじゃない?」
「先生まで随分雑ですわ!」
「そんなに疑うならキキョウとナグサを見つければこの二人が別人って証明できるでしょ?」
「……確かにそうですわ!」
狐面の二人が僅かに先生を見る。
先生は何も言わず笑った。
今はそれでいい。
「……それに」
「はい?」
「『秋葉原へようこそ~!』は結構面白かったし」
「忘れて!」
「努力はしてみるよ」
「絶対忘れない言い方じゃん……!」
キキョウが頭を抱える。
「……秋葉原へようこそ~」
「やめて!!」
先ほどまでの羞恥が一気に蘇ってきたらしい。
「ごめん、やっぱり忘れられそうにないかも」
「だから忘れてって言ってるでしょ!」
珍しく声を荒らげるキキョウを見て、ユカリだけがますます不思議そうな顔をしていた。
その後、一行はレンゲを訪ねるため百鬼夜行の街を進んだ。
途中でユカリからさらに百花繚乱について聞きながら、先生は自分の選択について考えていた。
自分は百鬼夜行についてほとんど何も知らない。
ユカリの言うことが全て正しいのかどうかも、まだ分からない。
継承戦を手伝うことが本当に良い結果へ繋がる保証だってない。
それでも先生は後ろを歩く二人へちらりと視線を向けた。
ナグサとキキョウ。
二人は自分よりずっと多くのことを知っている。
そして今日まで、多くの募集生徒たちがそうだったように、自分を大切に思ってくれている。
なら、もし自分が間違った方向へ進もうとしたなら、きっと止めてくれる。
何も言わずに自分についてきてくれているのなら。
自分も、その沈黙を信じてみよう。
「先生?」
ユカリが振り返る。
「何でもないよ」
「そうですの?」
「うん。レンゲのところまであとどれくらい?」
「もうすぐですわ!」
先生は笑って歩みを進めた。
◆
「……いませんわ」
レンゲのいるはずの場所へ到着したユカリは、呆然と立ち尽くしていた。
「外出してるだけじゃない?」
「その可能性もありますが……」
部屋の中を確認すると、机の上に一枚の紙が残されている。
ユカリが手に取る。
「…………」
「何て書いてあるの?」
先生が横から覗き込むとそこには。
『青春を取り戻す旅へ出ます』
「…………」
「…………」
先生とユカリが無言になる。
募集組も黙っていた。
「レンゲ先輩ぃぃぃぃぃ!!?」
ユカリの絶叫が響いた。
「思ってたより自由な先輩なんだね」
「今それどころではありませんわぁ!!」
事情を聞いて回ると、どうやらレンゲは最近になって百鬼夜行内の様々な場所へ顔を出し、自分なりの『青春』を探しているらしい。
「青春探しかぁ。いいねぇ~」
「レンゲ先輩……!」
「そういえばそうだった……」
キキョウが小さく呟いた。
「そういえば?」
「…………」
黒い狐面が固まる。
「言葉の綾」
「さっきからその言い訳多くない?」
「気にしないで」
「キキョウ、危ない」
ナグサが忠告する。
「分かってる!」
先生は苦笑しつつ、ユカリと一緒にレンゲの目撃情報を追うことにした。
いくつかの場所を巡り。さらに聞き込みを続け。
やがて。
「あっ!」
ユカリが突然立ち止まる。
「先生! いましたわ!」
「どこ?」
「あちらですの!」
先生がユカリの指差す先へ目を向ける。
少し離れた場所に一人の少女がいた。
「あの子がレンゲ?」
「はい! 不破レンゲ先輩ですわ!」
「……レンゲ」
背後から小さな声が聞こえた。ナグサだった。
思わず零れたその声が届いたのか。
レンゲが、ふとこちらを振り向く。
「ん?」
まずユカリを見る。
その隣にいる見知らぬ大人。
そして。白い狐面。黒い狐面。
「ん~?」
レンゲが眉をひそめた。
どこか妙に見覚えのある二人だった。
先生もそれに気づき、後ろを振り返る。
「……二人とも知り合い?」
「「知らない」」
即答だった。
「今日それ多くない?」
先生の呆れた声を最後に、ようやく見つけたレンゲとの距離が少しずつ縮まっていくのだった。