ようやく見つけた不破レンゲは、先生たちの姿に気づくと少し意外そうに眉を上げた。
「……ユカリ?」
「レンゲ先輩!」
ユカリは待ちわびたと言わんばかりに駆け寄る。
「やっと見つけましたわ! 一体どこまで青春を探しに行っていたんですの!?」
「いやぁ…まぁ、色々とな」
「色々では分かりませんの!」
開口一番から勢いよく詰め寄るユカリを見て、レンゲは少し面倒そうに頭を掻いた。
「相変わらず元気だな、お前は」
「誰のせいだと思っておりますの!?」
そんな二人のやり取りを眺めながら、先生はレンゲへ軽く頭を下げる。
「初めまして。シャーレの先生だよ」
「……あんたが?」
レンゲは先生の顔を少し眺めた。
「噂は聞いてるよ。まさかユカリと一緒にいるとは思わなかったけどな」
「私もさっきまでこうなるとは思ってもみなかったよ」
「先生は陰陽部にいらしたところを、身共がお力をお借りすることになりましたの!」
「……なるほどな」
レンゲはそれだけ言うと、今度は先生の後ろへ目を向けた。
先ほどから一言も発しない二人を、レンゲはじっと見つめる。
「……そっちの二人は?」
「私の護衛だよ」
「ただの護衛よ」
キキョウが即答する。
「……どこにでもいる護衛」
ナグサも続いた。
レンゲは少しだけ目を細めた。
「ふーん」
それ以上は何も聞かなかった。
先生は内心で少しだけ首を傾げた。
ユカリはあれだけ二人を疑っていたのに、レンゲはあっさり流してしまった。
「それで?」
レンゲがユカリへ視線を戻す。
「わざわざ先生まで連れて、アタシに何の用?」
「もちろん百花繚乱のことですわ!」
ユカリの表情が一気に真剣になる。
「身共はナグサ先輩に対して継承戦を行いたいんですの!」
「…………」
「百花繚乱を、このまま終わらせるつもりはありませんわ!」
レンゲの表情から笑みが消えた。
「……そうか」
「そのためには百花繚乱側の立会人が必要ですの。ですからレンゲ先輩、どうか身共に力を貸してくださいませ!」
ユカリは真っ直ぐレンゲを見つめていた。
「百花繚乱へ戻ってきてください!」
「…………」
レンゲはすぐには答えなかった。
ユカリの言葉を聞き終え、一度空を見上げる。
そして。
「悪い」
「……え?」
「アタシは戻らない」
ユカリの表情が固まった。
「……どうして、ですの?」
「どうしてって言われてもな」
レンゲは困ったように笑う。
「今のアタシは、百花繚乱とは別のことをやりたいんだよ」
「ですが!」
「ユカリ」
レンゲが静かに名前を呼ぶ。
「別に百花繚乱が嫌いになったわけじゃない」
「では何故――」
「今までずっと百花繚乱だったからだよ」
ユカリが口を閉じる。
「アタシなりに頑張った。色々あったけど、百花繚乱で過ごした時間を無駄だったなんて思ってない」
レンゲは自分の手を見る。
「でもさ。気づいたら、あたしにはそれしかなかったんだ」
「…………」
「だから今は別のものも見てみたい。普通の生徒がやってるようなことをやって、別の青春ってやつを探してみたいんだよ」
先生は黙ってレンゲの話を聞いていた。
ユカリは納得できないという顔をしている。
「でも……百花繚乱は今、本当に――」
「レンゲ」
今度は先生が口を開いた。
「一つ聞いてもいい?」
「何だ?」
「百花繚乱が嫌いになったわけじゃないんだよね?」
「ああ」
「そこにいたみんなも?」
「嫌いなわけないだろ」
「そっか」
先生はそれ以上聞かなかった。
ただ一度頷くだけだった。
「……それだけ?」
レンゲの方が少し意外そうに聞いてくる。
「うん、今はその答えで十分だよ」
「戻れとか言わないのか?」
「言わないよ」
ユカリが先生を見る。
「先生……?」
「ユカリが百花繚乱を大切に思ってるのと同じで、レンゲが自分のやりたいことを大切にしたいって気持ちも本物でしょ?」
「ですが、このままでは……」
「うん。だからユカリも諦める必要はないよ」
「……え?」
「レンゲが今は戻らないって言ってたよね。それとユカリが百花繚乱を残したいっていうのは、別の話だから」
先生は少し笑う。
「相手が自分と同じ気持ちじゃないからって、その気持ちが間違ってるわけじゃないでしょ?」
「…………」
ユカリは返事をしなかった。すぐには納得できないのだろう。
それでも先ほどまでのように、レンゲへ無理に食い下がることはしなかった。
「……先生って」
レンゲが僅かに笑う。
「思ってたより変な大人だな」
「何回目だろう、それ言われるの」
「悪い意味じゃないよ」
「それならいいけど」
その会話を、キキョウとナグサは黙って聞いていた。
「…………」
ナグサの胸には、小さな痛みがあった。
今のレンゲがこういう気持ちを抱えていたことを、自分は知っている。
そしてその原因の一つに、自分が百花繚乱から離れたこともある。
「……ごめ――」
「ナグサ先輩」
隣から小さな声が飛ぶ。
ナグサは言葉を止めた。キキョウは、ほんの僅かに首を横へ振る。
今ではないそれはこの世界の自分たちが向き合うべきことだ。
「……うん、そうだったね」
ナグサは小さく頷いた。
「それでは……身共は失礼いたしますわ」
結局、レンゲの気持ちは変わらなかった。
ユカリは明らかに落ち込んでいたものの、先生が傍にいる手前、何とか背筋を伸ばしている。
「ユカリ」
「はい?」
「継承戦、本気でやるんだな?」
「もちろんですわ!」
レンゲが問いかけると、ユカリは迷わず答えた。
「たとえ身共一人になったとしても、百花繚乱をこのまま終わらせるつもりはありませんの! ですからレンゲ先輩も、いつか気が変わりましたら――」
「分かった分かった」
レンゲは苦笑しながら片手を振る。
「今はユカリの好きにやってみろよ。それと今は少し考える時間をくれ」
「……はい!」
先生たちがその場を離れようとした時だった。
「先生」
「ん?」
レンゲの声に呼び止められる。
振り返ると、レンゲは先生ではなく、その後ろにいる二人へ一度視線を向けた。
そして先生と、キキョウとナグサの三人にだけ聞こえるくらいの声で。
「……ユカリの事を頼みます」
先生は一瞬だけ目を見開いた。
隣ではナグサとキキョウも足を止めている。
レンゲはそれ以上何も言わなかった。
いつものような態度に戻り、
「言いたかったのはこれだけです。ほら、ユカリに置いてかれるぞ」
と軽く顎をしゃくる。
「先生ー! どうなさいましたのー!?」
少し先からユカリの声が飛んでくる。
「今行く!」
先生は返事をすると、もう一度だけレンゲを見る。
レンゲは笑っていた。
その視線が白と黒の狐面へ一瞬だけ向けられる。
――なるほど。
先生はようやく理解した。
レンゲは二人を怪しまなかったのではない。
最初から多分、気づいていたのか。
それでも何か事情があると察して、何も聞かなかっただけだ。
「……任されたよ」
先生も小さく返す。レンゲは満足そうに笑い、もう何も言わなかった。
「……一人目から断られてしまいましたわ」
レンゲと別れて少し歩いたところで、ユカリがしょんぼりと肩を落とした。
「身共、少し簡単に考えすぎていたのでしょうか……?」
「一人に断られただけで全部終わりなの?」
「え?」
「他にもいるんでしょ?」
「…………」
「キキョウって子」
先生がその名前を出した瞬間。後ろの黒い狐面が露骨に固まった。
「そうですわ!」
ユカリは気づいていない。
「まだキキョウ先輩がいらっしゃいますの!」
みるみる元気を取り戻していく。
「キキョウ先輩でしたら、きっと身共の話を――」
「…………」
黒狐面は一歩後ずさった。
「キキョウ?」
先生が呼ぶ。
「……先生」
「どうしたの?」
「私、用事を思い出した!」
「駄目」
「お願い! 後生だから!」
「何が起こるかわからないけど、レンゲにも頼まれたんだからさ~」
「うぅぅぅぅ…!」
「頑張ってキキョウ、後で頭撫でてあげるからさ」
「…………」
キキョウは暫く黙り。
「やっぱ無理……帰っていい?」
「駄目だよ」
ナグサが隣から見つめる。
「キキョウ、諦めた方がいい」
「ナグサ先輩が代わりに行って!」
「私じゃ意味ない気がする」
「じゃあ少し別行動を――」
「黒い狐面の方、どうかなさいましたの?」
ユカリまで振り返る。
「……何でもないよ」
「そうですの?」
「……少し遠くへ行きたくなっただけ」
「秋葉原ですの!?」
ユカリの悪気の無い指摘に先生が吹き出した。
「まだ引っ張るの!?」
先生悪ノリで両腕を広げる。
「秋葉原へようこそ~!」
「やめて!!」
キキョウの悲鳴が響いた。
「……秋葉原へようこそ~」
「やめてぇぇ!」
ナグサまで小さく真似をする。
「二人とも本当に仲が良いですわね」
「良くない!」
「……依存しちゃうくらいには仲がいいよ」
ひとしきりキキョウを弄った後、一行は再び現地キキョウのもとへ向かって歩き始めた。
ユカリが先を歩いている隙に、キキョウが小声でナグサへ話しかける。
「ああ……本当に嫌なんだけど」
「昔の自分を見るのが?」
「当たり前でしょ!」
「キキョウでこれなら私はどうなると思う?」
「…………」
「お互い様」
「……耐える、耐えてみせるわよ!」
二人揃って小さく肩を落とす。
「何で二人とも百鬼夜行に来てからどんどん元気なくなってるの?」
先生が不思議そうに尋ねる。
「「先生のせい」」
「なんで!?」
暫く歩いた後。
「先生、こちらですわ!」
ユカリに案内された場所に、一人の少女がいた。
先生にとっては知ってる顔が出て来た。
キキョウは、その姿を見た瞬間に完全に停止した。
現地のキキョウもまた、ユカリたちの気配に気づいてこちらを振り向く。
「……ユカリ?」
「キキョウ先輩!」
ユカリが駆け寄る。
「何?」
現地キキョウは少し面倒そうな顔をしながら、すぐに先生の存在へ気づいた。
「……その人は?」
「初めまして。シャーレの先生です」
「シャーレの……」
噂くらいは知っているらしい。
現地キキョウは先生を少し観察してから、その後ろへ視線を移した。
特に黒い狐面の方へ長く視線が止まる。
「何、その怪しい二人」
「先生の護衛だそうですわ!」
「……ふーん」
現地キキョウの目が露骨に細くなる。
キキョウは狐面の奥で目を逸らした。
「…………最悪」
「何か言った?」
「何でもない」
先生は首を傾げる。するとユカリが一歩前へ出た。
「キキョウ先輩!」
「……なに?」
「百花繚乱の事でお話がありますの!」
現地キキョウは一瞬だけ黙る。
そして。
「……そう」
どこか冷めた声で答えた。キキョウは、その声を聞いた瞬間にさらに肩を落とす。
「ああ……お願いだからもう少し優しく接しなさいよ……」
先生には聞こえないほど小さな声だった。
◆
一方、その頃。
百鬼夜行の人混みから少し離れた場所では、一人の少女が珍しく上機嫌な様子で歩いていた。
「コクリコ様!」
「どうしたの、シュロ」
箭吹シュロが勢いよく駆け寄ってくる。
その顔には、普段以上に楽しそうな笑みが浮かんでいた。
「聞いてくださいよ!」
「……随分と機嫌が良いねぇ」
「今日ですね、とても素晴らしい方に出会ったんですよ!」
「ほう?」
「剣に龍が巻き付いたキーホルダーってあるじゃないですか!」
「…………」
コクリコは少し考えた。
「……ああいう観光客向けのかえ?」
「そうです!」
シュロは嬉々として話し始める。
「それもただの剣ではなく、龍が巻き付いていて、赤い宝石まで付いているんですよ! しかも金色の剣と赤い龍の組み合わせも捨て難くてですね!」
「……そ、そうだねぇ」
正直コクリコには、その美学がいまいち理解できなかった。
しかしシュロがここまで嬉しそうに話しているので、途中で遮ることもしない。
「その方はですね、手前と全く同じところを評価してくださったんですよ! あの無駄に豪華なところが良いと!」
「それは良かったねぇ」
「はい!」
シュロは満足そうに頷く。
だがすぐにその表情は曇っていく。
「……それでですね」
声の勢いが少し落ちた。
「その方なんですけど――」
シュロは少しだけ言いにくそうにしながら。
「先生だったんですよ」
「…………」
コクリコの表情が僅かに変わった。
それを見ても、シュロは話を続ける。
「影法師の主。シャーレの先生」
「そうかえ」
少し気まずい沈黙が両者の間に流れる。
そしてシュロは珍しく遠慮がちな様子で口を開いた。
「……コクリコ様」
「何じゃ?」
「あの方だけは……助けても良いですか?」
「…………」
「手前と同じ美学を共有できた同士なんです」
冗談ではない、シュロは本気でそう思っている。
「今回のことは百鬼夜行の問題です。先生は外から来ただけですし……」
少し俯く。
「できれば、同士には傷ついてほしくありません」
コクリコはシュロを見つめた。
今回の計画において先生は最も警戒すべき存在の一人だった。
シャーレという立場もそうだが。これまで何度もキヴォトスの大事件へ介入し、その度に生徒たちを救ってきた実績。
そして何より先生という大人は生徒が困っているなら、自分に関係がないと言って逃げるような人物ではない。
むしろ最後まで掴んだ手を離すことは無いだろう。
「……そうだねぇ」
コクリコは小さく笑った。
「シュロが先生を説得できたなら、好きにすればよい」
「……本当ですか!?」
「約束しよう」
「ありがとうございます!」
シュロの表情が一気に明るくなった。
「それなら手前、必ず説得してみせます!」
「ああ、励むと良い」
「では!」
シュロは嬉しそうに駆け出していく。
その後ろ姿をコクリコは、僅かに微笑みながら見送っていた。
その時だった。
「――絶対に叶わないと分かっている条件を提示して期待させるのは、あまり褒められたことではありませんよ?」
背後から掛けられた言葉でコクリコから笑みが消えた。
ゆっくりと振り返るが、そこには誰もいない。
「……あんたか」
「おや。聞こえてしまいましたか?」
声だけが聞こえる、どこからなのかはわからない。
人混みの中か。屋根の上か。
あるいは自分のすぐ後ろなのか。
コクリコは不機嫌そうに目を細めた。
「確かにあんたらには助っ人を頼んだかもしれんがな――」
段々と声が低くなる。
「我とあの子の関係にまで口を挟まんでもらおうかえ?」
「協力者として出過ぎた真似をしてしまい申し訳ありません」
言葉とは裏腹に、声には悪びれた様子が一切感じられない。
「ですが、あなた自身が最も先生を脅威と考え、私たちへ協力を要請したのではありませんか?」
「……っ」
その声は続く。
「そしてあの方が、生徒たちを置いて自分一人だけ百鬼夜行から逃げ出すとは……あなたも思っていないでしょう?」
「…………」
コクリコはその問いに答えなかった。
ただ否定もしなかった。それだけで答えとしては十分だった。
そんなコクリコを見て楽しそうな声が返ってくる。
「ほむほむ……まあ、いいでしょう」
人混みの一角。一瞬だけ、小柄な影が見えた。
「せっかく百鬼夜行まで来たことですし」
人の波へ溶け込むように、影がゆっくり遠ざかっていく。
「私も少しくらい、観光を楽しませていただくとしましょうか」
その言葉を最後に姿はすぐに消えた。
「…………チッ!」
コクリコは暫く無言で、その方向を見つめていた。
「……気に食わん奴」
ただ今はまだ。
「使えるものは、使わせてもらう」
そう呟くと、コクリコも人混みへ背を向けた。
先生たちが百花繚乱を巡る問題へ少しずつ踏み込んでいる、その裏側で。
募集で来た二人も知らない新たな駒が、既に盤上へ入り込んでいた。