川辺でシュロと別れた先生は、宿へ戻る道を一人歩いていた。
花鳥風月部が祭りで何かを起こそうとしていること。
考えなければならないことはいくつも増えてしまったが、それでも今は百花繚乱の面々がどうなったのかの方が気になっていた。
「ちゃんと話せたかなぁ……」
そんなことを考えながら宿へ戻り、先生が使っている部屋へ近づいたところで。
「ちょっと! やめなさいって言ってるでしょ!!」
「離して!!」
「絶対いや!!」
「……?」
部屋の中から、やけに騒がしい声が聞こえてきた。
さっきまであれだけ重苦しい空気だったはずなのに、どうしてこうなったのだろう。
先生は首を傾げながら襖を開けると、目の前に広がっていた光景を見て、思わず言葉を失った。
まず目に入ったのは、先生が夜に使う予定だった布団が目に入った。
その中へキキョウが半身を潜り込ませ、枕へ顔を埋めていた。
「……すぅぅぅ」
「あんた本当に何してるの!?」
現地キキョウが顔を真っ赤にしながら、布団から飛び出しているキキョウの尻尾を両手で掴み、必死に引っ張っていた。
「お願いだから離して! よく考えたらこんなチャンスこの先ないのよ!?」
「なにがチャンスなのよ!!?」
「先生の匂いを補充しつつ、私の匂いも残しておくのよ!」
「本当に何言ってるのあんた!?」
「これは戦略的判断! あなたも先生と過ごせば私の行動の意味が分かるようになるから離して!!」
「分かるわけないでしょ!!」
その攻防を、少し離れたところでレンゲとユカリが呆然と眺めていた。
「……お前の未来、どうなってんだよ?」
「キキョウ先輩……」
「違うから!!」
現地キキョウがキキョウの尻尾を引っ張ったまま叫ぶ。
「これが私の未来なんて絶対認めないから!!」
「何よ! 先生の布団に潜れる状況で潜らない方がおかしいでしょ!」
「おかしいのはあんたの頭よ!!」
キャットファイトを目撃した先生は何も言えなかった。
そしてそのまま視線を横へ移すと二人のナグサが向かい合っていた。
「……どうやったら、焼き鳥を食べて光れるようになるの?」
現地ナグサが真剣な顔で尋ねる。
「焼き鳥と和解するんだよ」
ナグサも真顔な表情で答えた。
「……和解? どうやって?」
「焼き鳥の声を聞くんだよ。心で」
「???」
こちらはこちらで意味が分からなかった。
先生は深呼吸してから部屋全体を見回す。
数十分前まで、百花繚乱の面々が過去のわだかまりについて真面目に話し合っていたはずである。
少なくとも自分が出て行った時はそうだったはずなのにこうも変わるものなのか…。
「あーーー……この様子ということは話し合いは無事に終わったのかな?」
先生が恐る恐る口を開くと全員の動きが止まった。。
「「「「「…………」」」」」
キキョウがゆっくり枕から顔を上げる。
「…………先生?」
「おかえり」
「いつからいたの?」
「『先生の匂いを補充しつつ』辺りから」
「…………」
キキョウの顔が一気に赤くなった。
「これは忘れて」
「流石に無理かなぁ~?」
「忘れなさい!!」
そう叫んでから布団へ顔を埋めて動かなくなった。
現地キキョウは頭を抱える。
「……これが私だなんて本当に嫌なんだけど」
「元気出せよ」
「レンゲは他人事だから言えるのよ!」
ひと騒ぎした末、ようやく部屋は落ち着きを取り戻した。
「それで? 本当の所はどうなったの?」
先生はお茶を飲みながら、改めて百花繚乱の面々を見る。
「…………」
「…………」
「…………」
先ほどとは違う意味で微妙な空気になった。
先生が苦笑する。
「全部解決したって感じじゃなさそうだね」
「そんな簡単だったら、最初からこうなってない」
キキョウがまだ少し赤い顔のまま答える。
「でも……少しは前に進んだと思う」
レンゲは正式に百花繚乱へ戻るとは言わなかった。
現地キキョウも継承戦へ全面的に賛成したわけではない。
現地ナグサも、自分の抱えているものを全て口にできたわけではない。
それでも、今まで言えなかったことを少しずつ話した。
心にもない言葉をぶつけるのではなく、自分が本当は何を考えていたのかを伝えた。
「そっか、なら今日はそれで十分じゃない?」
先生はそれ以上求めなかった。
「……ずいぶん呑気な先生だな」
レンゲが少し笑う。
「一日で全部元通りにしろってそんな事の方が無理でしょ?」
「それはまあ……そうだけどさ」
「少しずつでいいんだよ」
先生がそう言うと、ユカリも小さく頷いた。
「はいですの」
以前より、ほんの少しだけだが、ユカリたちの間の空気は柔らかくなっていた。
先生が思い出したように口を開く。
「あっそういえば私が外にいた間に、ちょっと気になることがあったんだよね」
募集組の表情が僅かに変わる。
「お土産屋で会った子と、また会ってね」
「……誰?」
キキョウが尋ねる。
「うん。名前は箭吹シュロって言うんだけど知ってる?」
「…………」
「…………」
ナグサとキキョウの二人が同時に息をのんだ。
先生にはもう、この反応の意味が分かる。
「やっぱり重要な子なんだね~」
「先生」
「大丈夫だよ。無理に説明しなくていいよ」
二人が少し驚く。
「本人から聞いたことだけ話すから」
先生はシュロが花鳥風月部の一員であること。
祭りで何かを起こす予定だと話していたこと。
そして先生だけは百鬼夜行から離れるよう警告されたことを説明した。
「花鳥風月部……」
現地キキョウの表情が険しくなる。
「陰陽部に来てた手紙とも繋がるんだよね。だからニヤにも知らせた方がいいかなって」
「それがいいと思う」
その後、宿である程度情報を整理した後、先生たちはその足でニヤに報告するために陰陽部へ向かうことになった。
「先生~。お戻りになりましたか」
「うん。ちょっと話しておきたいことがあってね」
ニヤたちへ、先生は川辺でシュロと再会したことを説明する。
お土産屋で出会った少女が箭吹シュロと名乗ったこと。
そして、自分が花鳥風月部の一員であると明かしたこと。
さらに。
「お祭りで何か起こすつもりみたいなんだ」
「……なるほど」
ニヤの表情から、いつもの柔らかさが僅かに消えた。
「届いた手紙とも一致しますねぇ」
カホも真剣な顔で頷く。
「先生へ百鬼夜行から離れるよう警告したということは、やはり今夜何かを起こす可能性が高そうですね」
「私もそう思う」
そこでニヤは少し考えてから、もう一つ思い出したように口を開いた。
「そういえば先生。こちらからもお伝えしておかなければならないことがありまして」
「何だろう?」
「先ほど、警備を担当している者から報告が届きました」
ニヤが珍しく少し困ったように笑う。
「どうやら百鬼夜行内へ――」
少し間を置いて。
「七囚人の一人、“災厄の狐”が入り込んだようです」
「……災厄の狐?」
「狐坂ワカモさんですねぇ」
「ああ」
先生は思わず声を漏らした。
「やっぱりあれ、ワカモだったんだ」
「……やっぱり?」
「実はさっき、川の反対側にそれっぽい子がいたんだよね」
「先生~? そういう重要そうなことは早めに教えていただけると助かるのですが~?」
「いやいや、ワカモは結構いい子じゃない?」
「……いい子だったら。“厄災の狐”なんて呼ばれてないんですよ~?」
「普通にかっこいい二つ名だと思ってた」
「まったくもう……」
そんなやり取りをしている横でナグサとキキョウが顔を見合わせていた。
キキョウが少し考えてから口を開く。
「……私たちの時、厄災の狐って出てきた?」
「出てきてない」
ナグサが即答する。
「だよね」
「……少なくとも、私の記憶にはない」
「私も」
先生は二人の反応を見る。
「じゃあ、ワカモが百鬼夜行にいるのは二人も知らない感じなんだ」
キキョウは少し眉をひそめた。
「花鳥風月部が動いているところまでは同じ。でも、私たちが知ってる時には厄災の狐まで混ざってこなかった」
「……何かが少し変わってる」
ナグサも静かに続ける。
「なるほどね」
先生は腕を組んだ。
「まあ、ワカモなら最悪私でも抑えられるし安心してよ」
「本当にあの厄災の狐を信用できるの?」
「出来るけど……?」
先生のあまりに能天気な発言にニヤが苦笑しながら割って入る。
「ともかく、花鳥風月部だけでなくワカモさんについても警戒しておきましょう。もっとも、今のところ何か問題を起こしたという報告まではありませんので」
「それなら良かった」
「良くはありませんよ?」
「まだ何もしてないんでしょ?」
「存在しているだけで警戒対象なんです~!」
ニヤの疲れた声が部室に響いた。
◆
「あっ、そうでしたわ!」
ニヤとの連絡を終えたところで、ユカリが突然声を上げた。
「何?」
「身共、今日のお祭りで舞を披露することになっておりますの!」
「舞?」
「はいですの!」
ユカリが胸を張る。
「お祭りの催しとして、身共が舞台で舞を披露するよう頼まれておりまして!」
レンゲが少し意外そうにユカリを見る。
「へぇお前が舞うのか?」
「その反応は何ですの!? これでも勘解由小路家なんですが!?」
「いや、そういうの得意だったっけなって」
「身共を何だと思っておりますの!?」
「突撃していく後輩」
「レンゲ先輩にだけは言われたくないですわ!」
現地キキョウも少しだけ笑う。
「まあ、ユカリが舞台に上がるなら見てみたいけど」
「キキョウ先輩!」
一気に機嫌を直す。
「じゃあみんなで見に行こうか」
先生が何気なく言うと。
「……まあ、暇だし」
レンゲが最初に答えた。
「見るくらいなら」
現地キキョウも続く。
「……ユカリの晴れ舞台だし行く」
現地ナグサも小さく頷く。
「なんだかんだ全員行くじゃん」
先生が笑った。
「…………」
ユカリは照れくさそうに俯いた。
だがその顔には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
「……ちゃんと身共を見ていてくださいませ!」
「もちろん」
◆
夕方になり。
祭りが本格的に始まった百鬼夜行の街は、昼間とはまた違った姿を見せていた。
通りには明かりを灯した提灯が並び、屋台から漂う食べ物の匂いと、いろんな人たちの楽しそうな声が混ざり合っている。
そんな人混みの中を先生たちは祭りを楽しみながら歩いていた。
同じ顔が二組いるという事情を知らない者が見れば二度見では済まない集団で歩いていた。
「……私たち、目立ってない?」
キキョウが周囲から向けられる視線に気づく。
「気のせいじゃない?」
先生が答える。
「キキョウが二人、ナグサ先輩が二人歩いてて目立たないわけないでしょ」
「お祭りだからコスプレだと思ってくれないかな」
「無理がある」
「美人が二人に増えただけだから注目されてるだけだと思う」
ナグサが真顔で言った。
その言動に先生が思わず話しかける。
「ナグサの友達になれそうな子がミレニアムに居るんだけど今度会ってみない?」
「興味あるね…」
現地ナグサが未来の自分を見る。
「私も美人だけどそれしか取り柄ないし…」
「ただそこに居てくれるだけでいい。アヤメならそう言う」
「そっか」
なぜか少し嬉しそうだった。
「それで納得するんだ……」
キキョウ二人がほぼ同時に呟いた。
「そっちも息ぴったりだね」
「「…………」」
先生に指摘され、二人とも顔を逸らした。
そうして屋台を眺めながら歩いていた時。
二人のナグサが同時に足を止めた。
視線の先には焼き鳥屋、二人は何も言わずに吸い込まれるように屋台へ近づく。
「いらっしゃい!」
「「タレで」」
「やっぱり同一人物だね」
「ですが先生!」
ユカリが真剣な顔で反論する。
「あっちのナグサ先輩は以前、焼き鳥を食べることで身体を光らせ、別人であることを証明していましたわ!」
「その理屈はもう忘れていいよ」
キキョウが疲れた声で言う。
「でも実際光ってましたよね?」
「そこが一番意味分からないのよ」
久しぶりに、百花繚乱のメンバーから自然な笑い声が上がった。
◆
祭りを一通り楽しんだ後。ユカリの舞が始まる時間が近づき、一行は用意された舞台へと向かった。
「それでは身共、行って参りますわ!」
「頑張って」
「失敗するなよ」
「レンゲ先輩はもう少し素直に応援してくださいませ!」
「頑張れって意味だよ」
「最初からそう言ってください!」
そんなやり取りをしながら、ユカリは舞台の裏へ消えていった。
やがて。
音楽が流れ始める。
ユカリが舞台へ姿を現した。
最初は堂々と、しかし。
「…………」
ふと客席へ目を向ける。
先生がいる、その隣にはレンゲ。
現地キキョウと現地ナグサ。
さらには未来から来たというナグサとキキョウまでいる。
少し前まで同じ場所へ集まることさえ難しかった百花繚乱の面々。
その全員が今、自分の舞を見ている。
「…………」
ユカリの目が少しだけ見開かれる。
そして嬉しそうに笑った。
「上手だねぇ」
先生が素直に感心する。
「ユカリ、ああいうのちゃんとできるんだな」
レンゲも少し驚いている。
「失礼」
現地キキョウが指摘しながらユカリを見つめていた。
現地ナグサは何も言わず、舞台上の後輩を見つめていた。
募集の二人も同じだった。
「……こういう未来もあったんだね」
ナグサが小さく呟くとキキョウも頷いた。
「感慨深いわね」
舞は無事に終わり。
大きな拍手が会場を包んだ。
そして夜も深まりいよいよ祭りの花火が始まる時間となった。
「そろそろですわね!」
舞台から戻ってきたユカリが、嬉しそうに夜空を見上げる。
「花火?」
「はい!」
先生もつられて空を見る。
その時。
「…………」
ふと先生の頭に、以前読み聞かされた手紙の一節が浮かんだ。
――お楽しみが始まり、空に咲いた大輪の花を見上げたその時に。
「……あ」
先生の表情が少し変わる。
「先生?」
キキョウが気づいた。
直後。
ドォン――!
夜空いっぱいに、大きな花火が打ちあがった。
「おぉ!」
「綺麗ですわ!」
周囲の人たちからも歓声が上がる。
しかし先生、ナグサ、キキョウの三人だけは同じように夜空を見上げながら僅かに警戒を強めていた。
◆
少し離れた高台から祭りの喧騒を見下ろしている、一人の少女が立っていた。
「…………」
箭吹シュロ。
眼下の人混みの中から、すぐに先生の姿を見つける。
「……帰らなかったんですね、手前様」
自分のいう事を聞いてくれなかった先生に対して少しだけ頬を膨らませた。
あれだけ言ったのに。本当にいう事を聞いてくれない人だ。
「もう……」
シュロは小さく溜息を吐く。
そして、不満そうに呟いた。
「本当にどうなっても知りませんからね」
そうしてシュロは懐から【稲生物怪録】を取り出して掲げた。
その瞬間、二発目の花火が百鬼夜行の夜空を明るく照らしたのだった。