巨大な影で形作られた怪異――クロカゲは、無数の眼を先生たちへ向けたままゆっくりと巨体を揺らしていた。
現地キキョウ、レンゲ、ユカリ、そしてワカモが一斉に銃撃を浴びせても、弾丸は黒い影へ吸い込まれていくだけでまともな手応えがない。
「……効いてない」
キキョウが舌打ちする。
「なら、もっと撃てば――!」
「レンゲ、待って!」
キキョウが制止するより早く、ユカリも銃撃を加える。しかし結果は変わらず、クロカゲは鬱陶しそうに身体を揺らしただけだった。
少し離れたところでは、ワカモも笑顔のまま何度も引き金を引いている。
「ふふふ……あなた様へ危害を加えようとするとは、随分と身の程知らずですね!」
「ワカモ、顔! 顔怖いから!」
「ご安心くださいませ、すぐに消し炭に――」
「消し炭にしなくていいから!」
もっとも、本人の言葉とは裏腹にクロカゲには傷一つ付いていなかった。
「……本当に普通の攻撃じゃ駄目みたいだね」
先生はクロカゲを見上げながら、必死に考える。
ナグサとキキョウは正体を知っているようだったが、どうすれば突破できるのかまではまだ聞けていない。
そんな先生たちの様子を、クロカゲの後方からシュロが楽しそうに眺めていた。
「ふふふっ」
口元を隠すこともなく、明らかに上機嫌である。
「手前様ぁ! 降参するなら今のうちですよぉ!」
「シュロ!」
「今なら特別に許してあげますよ!」
「具体的には何を!?」
「え~と……全部です!」
「随分ざっくりしてるな!?」
先生は返事をしながらも、クロカゲから目を離さなかった。
あの巨体を突破できなければ、シュロのところへ辿り着けない。
だが銃撃は効かない。ならば何か別の方法があるはずだ。
「一体、どうすればいいんだ……」
先生が考え込んでいる間にも、現地キキョウたちは何度も攻撃を続けていた。
だが、やはり効かない。クロカゲは身じろぎしながらゆっくりと距離を詰めてくる。
「無駄無駄無駄! 無駄ですよぉ!」
そんなみんなが苦戦している様子がよほど面白かったのか、シュロは腹を抱えて笑い始めた。
「アハハハハッ! 何度やっても同じですよ!」
「あのクソガキ!」
「クロカゲに普通の銃撃なんか効きませんねぇ!」
最高に調子に乗っていたシュロは、余計な一言を言ってしまう。
「百花繚乱に伝わる継承の証――【百蓮】でもなければ倒せませんよぉ!」
「…………」
「…………」
「…………」
「百蓮?」
「ええ! 百蓮くらいしか――」
そう言っていたシュロが途中で何かに気が付いたのか止まった。
「…………ん?」
しばし考えた後、ようやく自分が今何を言ったのか理解したらしい。
「…………あっ!!?」
クロカゲと戦っていた百花繚乱の面々の表情が一斉に変わっていた。
「百蓮……!」
キキョウが呟く。
「本部にあるよな!?」
レンゲが叫ぶ。
「行きますわよ!」
ユカリが駆け出した。
現地ナグサも何も言わず後を追う。
「ちょ、ちょっと!? 待ってくださいよぉ!!」
シュロがクロカゲまで引き連れて、走り去っていった四人の背中を追いかける。
「違います違います!」
逃げる四人の背中へ必死に叫ぶ。
「今の無しです! 百蓮じゃありません!」
どんなにシュロが話しかけても誰も振り返らない。
「えーっと……そう!」
シュロは一瞬考え。
「マタタビです!! クロカゲの弱点はマタタビですからぁ!! 猫ですよ!? 猫なんですから普通に考えてマタタビでしょう!?」
「嘘つけ!」
「ねぇ! 少しは手前の話を聞いてくださいよぉぉぉ!! ちゅーるも弱点、本当だから! 止まってくださいよぉぉぉ!」
シュロの悲痛な声だけが遠ざかっていった。
「…………」
突然の展開に取り残された先生は暫くその方向を見つめていた。
隣ではキキョウが頭を抱えている。
「……自分から全部喋ったわね」
「あんなに、ポンコツだったかな?」
ナグサが不思議そうに自分の記憶と照らし合わせていると。
「……馬鹿ですわね」
ワカモも呆れたように遠ざかるシュロの背中を見つめていた。
「そこまで言っちゃうとシュロも可哀想な気がするなぁ……」
「あなた様、彼女は敵ですよ?」
「いや、そうなんだけどさ…」
クロカゲまでいなくなったことで、祭り会場周辺は先ほどまでが嘘のように静かになっていた。
もちろん、怪異の襲撃によって屋台や飾り付けはかなり壊されている。
「……とりあえず片付けようか」
先生は地面に落ちていた板を拾う。
「それ、今やる?」
キキョウが聞く。
「いつまでもこのままにしておけないでしょ。それに多分だけどまた戻ってくる気がするんだよね」
「確かにそんな感じはするけど…」
結局、残ったナグサ、キキョウ、ワカモも手伝うことになった。
ワカモは先生が持とうとした重そうな残骸を見るなり、
「あなた様! そのようなものは私が!」
「これくらい持てるよ?」
「いけません♡」
ワカモの笑顔の圧に負けた先生だった。
そんな会話をしながら壊れた屋台を片付けていると、遠くから激しい銃声が聞こえてきた。
ドドドドドッ!!
「……始まったかな?」
「多分ね」
キキョウが音のする方向を見る。
さらに数秒後。遠くの建物の向こうから、巨大な黒い影が頭を覗かせた。
「クロカゲだ」
ナグサが呟く。
無数の眼を持つ巨大な猫の影が身体を大きく揺らし、その周囲を何度も光が走る。
銃声に爆発音、そして一際大きな閃光。
「あぁ……かわいそうに……」
先生が目を細めてクロカゲの事を憂いていると、次の瞬間巨大なクロカゲの身体が大きく歪んだ。
影が崩れ霧のように散っていく。
そんなクロカゲを見届けるとキキョウがあっさり答えた。
「百蓮、それにあのメンバーだし。……ちょっとだけ同情するけど、妥当な結果だわ」
「早かったなぁ」
「攻略法を本人が教えてくれたからね」
「……シュロ、大丈夫かな」
「心配するところそこ?」
「だってさっき追いかけていったし」
先生が少し心配そうに見ていると。
遠くから声が聞こえてくる。
「痛っ! いたたたっ!」
その声はさらに近づいてくる。
「やめてくださいよぉ! 弱い者いじめ反対!!」
先生たちが同時に声の聞こえてきた方向を見ると。
「ズルいですよ手前等ぁぁぁぁ!!」
涙目のシュロが、ものすごい勢いでこちらへ走ってきていた。
その後方から四人が普通に追いかけながら銃撃している。
パンッ!
「痛ぁっ!!」
シュロの後頭部に弾丸が命中した。
「ちょっと! 痛いでしょうがぁ!」
「いい加減諦めて止まりなさい!」
現地キキョウが叫ぶ。
「止まったら撃つでしょう!?」
「逃げても撃つ!」
「もっと酷いですよぉ!!」
そして逃げ続けていたシュロは先生の姿を見つけた瞬間。地獄で仏に会ったように顔が輝いた。
「手前様ぁぁぁ!!」
「えっ?」
一直線に走ってきて先生の背後へ滑り込む。
「うわっ!」
そして先生の服を両手で掴み、完全に盾にした。
「ちょ、シュロ!?」
「助けてください!」
「さっきまで一応敵だったよね!?」
「今はそれとこれとは別なんです!」
「そうかなぁ!?」
追いかけてきた四人も先生の前で足を止める。
「先生」
現地キキョウが呆れたように言う。
「その子を渡して」
「嫌ですぅ!!」
「アンタには聞いてない!」
「絶対嫌です!」
先生の背中から顔だけ出す。
「グスッ……酷いですよ手前等!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら抗議する。
「四人がかりですよ!? 寄ってたかって手前を撃つなんて、それでも誇り高き百花繚乱ですか!?」
「お祭りを滅茶苦茶にしたお前が言うな!」
レンゲが即座に返した。
「正論で殴るのやめてください! ロジハラですよぉ!!」
「言い訳無用! 自業自得ですわ!」
「うぅぅぅぅぅ…!!!」
「先生を盾にするのもやめなさい」
キキョウが睨む。
「ここから出たら撃たれるので嫌です!」
「即答……」
現地ナグサが静かに武器を構える。
「……先生、ちょっと退いて」
「ナグサ?」
「ほらぁ!!」
シュロが先生の服を握る力を強める。
「依存体質メンヘラ女の癖に怖い怖いですよぉ!!」
「いや、滅茶苦茶言うじゃん……」
そんなシュロを少し離れた場所からナグサ、キキョウ、ワカモの三人が眺めていた。
その目はどこまでも悲しそうだった。
怒っているわけでもない。
敵意があるわけでもない。
ただ非常に頭が可哀想なものを見る目だった。
「…………何ですか?」
シュロが気づいて反応しても、三人とも何も答えない。
「何なんですかその目は!?」
キキョウが視線を逸らす。
「別に……」
ナグサは少し考え。
「……大変だったね」
「その憐れみが一番腹立つんですよぉ!!」
ワカモまで小さく頷く。
「お気の毒ですわね」
「災厄の狐にまで同情されたぁぁぁ!!」
「シュロ、少し落ち着いて!」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
「私!?」
「半分くらいは!」
「残り半分は君でしょ!」
「…………?」
「本気でわからないって顔しないで!?」
◆
暫くして、どうにか先生が全員の間へ入り即座の追撃だけは止めることに成功した。
「シュロも一応、反省してるみたいだしさ」
先生は困ったように笑う。
「…………」
全員がシュロを見る。
シュロは先生の後ろに隠れたまま頬を膨らませていた。
「この態度が反省?」
現地キキョウが眉をひそめる。
「多分」
「先生も自信ないじゃん」
「それに!」
先生は少し無理矢理話を続ける。
「このくらいの騒ぎ、ゲヘナだったら日常茶飯事だし!」
「比較対象がおかしい」
現地キキョウが即答した。
レンゲも呆れた顔になる。
「ゲヘナを基準にしちゃ駄目だろ」
「えぇ……」
「先生、外れ値を基準にしない方がいいですわよ?」
ユカリにまで言われた。
「分かった! 今の無し!」
先生もすぐ撤回して、やはりシュロを説得する方向にシフトした。
「シュロ」
「……何ですか?」
「やったことはちゃんと謝ろう」
「…………」
「みんなに迷惑かけたでしょ?」
「…………」
「シュロ」
「手前様がそこまで言うなら…………分かりましたよ」
シュロの表情はものすごく不満そうだったがなんとか謝罪する所まで持ってこれた。
先生の背後から渋々出てきて、ナグサたちの前へ立つ。
「…………」
一度息を吸うと。
「ごめんね」(よくも手前をボコボコにしてクロカゲも倒してくれやがりましたねぇ!!?)
顔だけ見れば笑顔なのだが。
額には青筋は浮き出ており、声には明確な怒気と恨みが滲んでいた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
シュロの謝罪を受けた四人が無言になる。
「シュロ」
先生が頭を抱えた。
「何です?」
「もうちょっと反省してる感じ出せない?」
「謝りましたよ?」
「形だけじゃん!」
「手前はちゃんと『ごめんね』と言いましたよ!」
「言えばいいってものじゃないの!」
「注文が多いですねぇ!」
「謝罪ってそういうものだから!」
先生とシュロの言い争いを見ながら、レンゲが溜息を吐く。
「……反省してないよな?」
「してませんわね」
ユカリも頷く。
現地キキョウも同意する。
「してないね」
現地ナグサまで。
「……もう撃つよ?」
「ナグサ!?」
シュロが再び先生の後ろへ隠れた。
ナグサはその様子を面白い見世物でも見るような目で眺めている。
「……大変だね、先生」
「他人事みたいに言わないで助けて!」
「無理」
「即答!?」
キキョウまで肩を竦めた。
「これは先生が拾ったんだから先生が面倒見て」
「いつ私が拾った判定になったの!?」
ワカモだけは先生の味方だった。
「あなた様がお望みでしたら、私がお手伝いを♡」
「ありがとうワカモ!」
「まずはこのクソガキをあなた様から引っぺがして――」
「やっぱり遠慮しとくよ!」
「あらあら、非常に残念ですわ…」
先生は盛大に溜息を吐いた。
問題は一つ片付いたと思った瞬間に、新しい問題が増える仕組みになっているらしい。
「……これからどうしたらいいんだろう」
「聞こえてますよ、手前様!」
「とりあえず事件も終わったっぽいしシャーレに帰っていい?」
「ダメです、ちゃんと拾ったなら最後まで手前の面倒を見てください!」
「見ろって言うなら、面倒は見るけどさ~…シュロはそれでいいの?」
「構いませんねぇ」
百鬼夜行の夜。お祭りが終わった後も先生の苦労だけは、まったく終わる気配を見せなかった。