「離せ! 私は風紀委員だぞ!」
「うへ〜。風紀委員なら、先生に砲撃していいんだ〜?」
「だから誤解だって言ってるだろ!」
「ん。誤解かどうかは後で確認する」
臨戦ホシノとシロコテラーによって、イオリがしっかり確保されていた。
さらに、先生の状態を確認しようと近づいてきたチナツも、気づけばシロコテラーに退路を塞がれ、臨戦ホシノに「念のためね〜」と穏やかに捕まえられていた。
「わ、私は救護を……!」
「君は悪くないと思うんだけどね〜」
「ん。でも交渉材料は多い方がいい」
「交渉材料!?」
チナツの顔が青くなる。
「私、救護担当なのですが!?」
「ん。ついで」
「ついでで確保しないでください!」
そんなやり取りの直後だった。
ぶん、と小さな機械音が空から聞こえた。
一機のドローンが、半壊した店の前に飛んでくる。
その下部から光が投影され、ホログラムが浮かび上がった。
ゲヘナ学園風紀委員会行政官、天雨アコ。
『イオリ、チナツさん、いったい何があったんですか――』
アコの声が途中で止まった。
ホログラム越しの彼女は、現場を見た。
半壊したラーメン屋。
先生らしき人物が血まみれのような姿で倒れている。
便利屋68がその周囲で慌てている。
イオリとチナツは拘束されている。
そして、店の外には泣き崩れた様子のナギサがいる。
アコの顔から、みるみる血の気が引いていった。
『……な』
言葉が出ない。
先生が倒れている。
それだけでも大失態だった。
そもそも、アコの本来の狙いは先生の確保であり、負傷させることではない。
だが、それ以上に彼女の思考を止めたものがあった。
それは桐藤ナギサの存在だった。
トリニティ総合学園、ティーパーティーのホスト。
ゲヘナ風紀委員会の行政官であるアコが、その顔を知らないはずがなかった。
アビドスだけなら、まだどうにかできる。
便利屋68が絡んでいるなら、現場の混乱として処理できる。
先生の確保についても、後から理由をつけられるかもしれない。
けれど、そこにトリニティのナギサが居合わせていたとなれば、話はまるで違う。
ゲヘナ風紀委員会が、トリニティの要人の目の前で、シャーレの先生を巻き込んで砲撃を行った。
そう見える。見えてしまう。
『ナ、ナギサさん……?』
アコの声が震えた。
ナギサは顔を覆ったまま、悲痛な声を上げる。
「どうして……どうしてこのようなことをしたのですか……?」
『っ……』
アコは何も言えなくなった。
その時、外から慌ただしい足音が近づいてくる。
「先生!」
アヤネの声だった。
爆発音を聞いて駆けつけてきたのだろう。
現れたのは、現地ホシノを除くアビドス対策委員会の四人。
四人は半壊した店を見て、すぐに言葉を失った。
そして、その中に倒れている先生を見つけた。
「先生……?」
セリカの声が震えた。
アヤネは顔を青ざめさせる。
「先生!? 先生、大丈夫ですか!?」
「……先生!」
シロコの目が細くなる。
ノノミも、いつもの笑顔を消して口元を押さえた。
セリカはホログラムのアコを見た。
その顔が、怒りに染まる。
「あんたがやったの!?」
『っ……私は……』
「あんたが、先生をこんな目に遭わせたのかって聞いてるのよ!!」
セリカが食らいつくように叫ぶ。
アコは返事ができなかった。
彼女自身が直接砲撃したわけではない。
だが、部隊を動かしたのはアコだ。
イオリとチナツには便利屋68の確保と伝えた。
けれど、本当の目的は先生の確保だった。
その結果、先生が大怪我してしまった。
さらに、その現場をナギサに見られている。
言い訳の余地が、どんどん消えていく。
そんな中で、臨戦ホシノはアビドスの四人を見た。
そして、そこに現地ホシノがいないことに気づく。
「……やっぱり、一人で行ったか……」
誰にも聞こえないほど小さな声だった。
シロコテラーだけが、その呟きにわずかに目を向ける。
「ん。相変わらずめんどくさいね」
「うへ〜その言葉はおじさんにも刺さるからやめてね……。まあでも今はこっちかな…」
臨戦ホシノはすぐに表情を戻した。
その時だった。風紀委員会の部隊の後方から、一人の少女が歩いてきた。
小柄な体。白い髪。大きな角と黒い翼。鋭い眼差し。
ゲヘナ学園風紀委員会委員長。
空崎ヒナは現場を見た。
半壊した店。
倒れている先生。
確保されているイオリとチナツ。
ホログラム越しに青ざめているアコ。
泣き崩れるナギサ。
怒りに震えるアビドスの生徒たち。
その全てを見て、ヒナは苦しそうに顔を歪めた。
「……どうして」
声にならない声が漏れる。
ヒナは、今この瞬間まで詳しい状況を知らなかった。
アコが勝手に部隊を動かしていたことも、先生の確保を本当の目的にしていたことも、現場がここまで最悪の形になっていることも。
先生が倒れている。イオリとチナツが拘束されている。アコは何も言えない。
そして、この大失態をトリニティのナギサに見られている。
ヒナの胸に、重いものが沈んだ。
どうしてこんなことになってしまったのか。けれど、立ち尽くしている時間はなかった。
ヒナはすぐに自分のするべき行動を開始した。
そして、深く頭を下げる。
「今回の責任は、部下を制御できなかった私にあるわ」
その声は静かだった。
「すべての咎は私が受ける。だから、三人を解放してくれないかしら」
その場が静まり返る。
臨戦ホシノは、少しだけ目を細めた。
「……やっとまともに話せる人が来たよ〜」
その声は軽い。
けれど、そこには本音が混じっていた。
「とりあえず、ヒナちゃん以外のみんなを引かせてくれる?」
「……分かった」
ヒナは顔を上げ、ホログラムのアコを見る。
「アコ。今すぐ部隊に撤退命令を出しなさい」
『……で、ですが……』
「アコ」
短い声だった。
その瞳は、いつもの凛々しいものではなかった。
弱々しく、疲れていて、それでも責任を背負おうとしている目だった。
アコは、その目を見た瞬間、崩れた。
『……ごめんなさい』
涙が滲む。
『ごめんなさい、ヒナ委員長……ごめんなさい……』
「アコ。撤退命令を」
『はい……全部隊、撤退してください……現場から離脱を……』
アコの声は震えていた。
風紀委員たちは戸惑いながらも、ヒナの命令に従って動き始める。
ホログラムのアコも、何度も謝罪の言葉を繰り返しながら通信を切った。
解放されたイオリとチナツも、しばらく動けなかった。
イオリは唇を噛み、拳を握り締める。
「……ごめんなさい」
その瞳からは涙が零れていた。
チナツも頭を下げる。
「先生に……皆さんも、本当に申し訳ありませんでした」
二人は涙を零しながら、半壊した店を出ていく。
その背中を、ヒナは黙って見送った。
やがて、現場に残った“部外者”はヒナだけになる。
臨戦ホシノはそれを確認すると、くるりと店内へ振り返った。
「先生〜。もう起きていいよ〜」
「もういいの?」
先生がむくりと起き上がった。
血糊まみれで、包帯だらけのまま、普通に。
ヒナの目が見開かれる。
「……え?」
アビドスの四人も固まった。
セリカに至っては、数秒遅れて叫んだ。
「無事なら無事って早く言いなさいよぉぉぉぉ!!」
「ご、ごめん。ホシノたちに寝ていてって言われててさ」
「だからって本当に寝てるんじゃないわよ!」
「目は閉じてたけど寝てはいないよ」
「そういう問題じゃないわよ!」
ムツキだけは「くふふっ、あの子の反応いいね〜」と楽しそうに笑っていた。
ヒナはゆっくりと先生を見る。
そして、低い声で言った。
「これはどういうこと? 小鳥遊ホシノ」
臨戦ホシノは、飄々とした態度を崩さない。
「いや〜。どうしても、委員長ちゃんと話したいことがあってね〜」
「その為に先生を使ったの?」
「うへ〜。言い方が怖いな〜」
「実際に怖いことをしてもいいのよ?」
「マノントロッポは勘弁願いたいな~。それで話したいことなんだけどさ――」
臨戦ホシノは、ふっと笑みを薄めた。
「近いうちに、アビドスが荒れる時が来るんだよね」
その一言で、空気が少し変わった。
「その時、風紀委員会の力を借りたいんだよね〜」
ヒナは黙って臨戦ホシノを見る。
「……何が起こるの?」
「今はまだ言えないかな〜」
「とても信用できないわ」
「うん。そうだよね〜」
臨戦ホシノは頷いた。
「でも、今日ここで起きたことは全部事実だよ。風紀委員会の部隊がお店を攻撃して、先生を巻き込んだのも事実。ナギサちゃんも見てたし便利屋のみんなも見てたよ」
ヒナの表情が苦くなる。
「それを材料にするつもり?」
「うへ〜。言い方を選ばないなら、そうだね〜。それに協力してくれたら私からナギサちゃんに今回の失態を黙ってくれるように頼んであげようか?」
そう言って臨戦ホシノはナギサを見つめるとヒナも釣られてナギサを見る。
二人に見つめられたナギサは先生の後ろに移動しながら肩を竦めて答えた。
そしてシロコテラーも静かに続く。
「ん。アビドスを守るためなら私からも頼んであげる」
ヒナはしばらく黙っていた。
そして、小さく息を吐く。
「……分かったわ」
「え?」
先生が驚いたように声を上げる。
ヒナは先生を見た。
「今回のことは、私たち風紀委員会に非があるわ。だから、可能な範囲で協力する」
「助かるよ〜」
「ただし、無茶な要求には応じられない」
「そこは相談だね〜」
臨戦ホシノは満足げに笑った。
その横で、シロコテラーが便利屋68へ向く。
「その時は、便利屋のみんなも助けてね」
「私たちは関係なくない?」
カヨコが即座に言った。
シロコテラーは真顔で首を振る。
「関係ある」
「どこが?」
「風紀委員会から助けてあげたから、恩返しするべき」
「それ、助けたって言うより巻き込んだ側では?」
「もしくはシャーレに来るべき」
「…飛躍したね」
シロコテラーは淡々と続けた。
「来るなら、着物カヨコ、ドレスアル、着物ムツキ、ドレスハルカでよろしく」
「だから服指定やめて」
カヨコは深いため息を吐き、アルを見る。
「どうする? 社長」
アルは腕を組んで少しだけ考える。
それから、胸を張った。
「助けてもらったのは事実よ。だから、その時は私たちも協力するわ!」
「アル様……!」
ハルカが感動したように目を潤ませる。
「アルちゃん、こういうところは義理堅いよね〜」
ムツキが笑う。
カヨコは肩をすくめた。
「まあ、社長がそう言うなら」
先生はそのやり取りを見て、ようやく少しだけ笑った。
「どうやら、うまくいったみたいだね」
「先生は一回あの二人をちゃんと叱ってもいいと思うけどね〜」
ムツキがぼそっと言う。
「そうかな?」
「そうだと思う」
カヨコも静かに頷いた。
その少し後ろで、この事態を俯瞰していたナギサは口元に手を当てて考え込んでいた。
視線の先にいるのは、臨戦ホシノとシロコテラー。
まだ短い付き合いだ。
だが、分かったことがある。
この二人は、馬鹿なふりをしているだけだ。
本当は、恐ろしく頭の回転が速い。
先生とアビドスだけなら、ヒナは要求を突っぱねる可能性があった。
しかし、この場に私がいることで、それは難しくなった。
ゲヘナと犬猿の仲にあり、エデン条約を控えているトリニティ総合学園。
そのティーパーティーのホスト、桐藤ナギサ。
その立場を、二人は最大限効率よく使った。
私がこの場にいる。風紀委員会が店を攻撃して先生が巻き込まれたように見える。
それを見せつけることで、ゲヘナ側に言い逃れできない状況を作った。
結果、アビドスは風紀委員会と便利屋68の協力を取り付けた。
しかも私が先生に呼ばれたのは昨日の事、それをこの二人は限られた時間でここまでの成果を出した。それも被害も出さずに…。
やりますね、二人とも……。
ナギサは素直に感心していたが、それと同時に、為政者としての顔が表に出てくる。
アビドスに、これほどの傑物がいるならば、このままゲヘナとアビドスが協力関係になるのはトリニティの一人負けになる可能性がある。ならばトリニティ側も何かしらのアクションを取るべきではないか。少なくとも、そうしなければ天秤が一方に傾いたままになってしまう、こちら側に傾けるのは無理でもせめて釣り合ってくれないと困る。
だが、今の自分が動いても、それは“先生に呼ばれた桐藤ナギサ”としての行動に過ぎない。
トリニティ総合学園としての行動ではない。
それでも、まだ出来る事はあるはずだ。
先ほど臨戦ホシノが言っていた、アビドスが荒れる時が来る、と。それは、きっと本当に起こる。
では、いったい何が起きるのか。
ナギサは考える。
砂漠。アビドス。外部からの脅威。
そして、トリニティが関与できる可能性。
しばらくして、一つだけ思い当たるものがあった。
そういえば、アビドスの砂漠地帯にはミカさんの遊び相手がいましたね……。
ナギサの目がわずかに細くなる。
もし、それがアビドスに向かうのだとしたら。
もし、臨戦ホシノたちの言う“荒れる時”がそれを指しているのだとしたら。
私が取るべき行動は……。
ナギサは、落ち着いた空気になり始めた店内を静かに抜け出した。
外へ出て、少し離れた場所で端末を取り出す。
そして、ある人物へ電話をかけた。
数回の呼び出し音の後に相手が出る。
「もしもし、ミカさんですか? 少し緊急で頼みたいことがありまして――」
ナギサの声は穏やかだった。
けれど、その表情はもう完全に“先生に呼ばれた桐藤ナギサ”から“ティーパーティーの桐藤ナギサ”に変わっていた。
臨戦ホシノとシロコテラーがアビドスのために動くように。
ナギサもまた、トリニティのために動き始めていた。