百鬼夜行で起きた一連の騒動がひとまず収まった翌日。
先生たちは最初に陰陽部へ顔を出し、今回の事件について報告することになった。
怪異の大量発生からクロカゲの出現、そして最終的に百花繚乱の面々が百蓮を使ってクロカゲを撃破したところまで話を聞き終えたニヤは、いつもの笑顔を浮かべたまま何とも言えない顔をしていた。
「なるほどなるほど~。つまり先生は最終的には花鳥風月部の騒動へ巻き込まれ、災厄の狐まで現れた中でクロカゲなる怪異と戦っていた、と」
「私が戦ったわけじゃないけどね」
「そこはあまり重要ではありません~」
「そうなの?」
ニヤは小さく溜息を吐くと、先生の少し後ろへ視線を向けた。
「それで……その後ろの彼女が…」
そこにはシュロがいた。
百鬼夜行の祭りを怪異まみれにした張本人なのだが、当人は特に悪びれる様子もなく部屋の中を眺めている。
「どうしてちっちゃな怪談家さんまで一緒にいらっしゃるので?」
「しばらく私が預かろうかなって」
「…………」
「ダメ?」
「先生がそう決めたのでしたら、陰陽部としては強く反対するつもりはありませんが……」
ニヤはシュロを見る。
「言うことはきちんと聞いてくださいね?」
「………」
「シュロ?」
「……手前様が言うのでしたら。この糸目の言うことは聞きませんが」
「…………」
シュロのつぶやきが聞こえたニヤの笑顔が僅かに引きつった。
「随分と分かりやすいですねぇ」
「何がです?」
「いえ、何でもありませんよ~」
その横では、ナグサとキキョウが揃ってシュロを見ていた。
「……本当に連れて帰るんだ」
「まぁ一旦ね~。それに先生だから見捨てられないでしょ?」
「…本当にいつか刺されるわよ」
「それはちょっと嫌だなぁ」
先生は苦笑しながら頭を掻く。
こうして百鬼夜行での用事を一度終えた先生は、ナグサ、キキョウ、そして何故かシュロまで連れてシャーレへ戻ることになった。
◆
「……先生」
「……はい」
「私はお前が百鬼夜行へ向かう前に、何と言った?」
「……仕事を増やすな、と」
「ではその結果どうなったか聞こうか」
シャーレへ戻るなり、元理事に呼び出された先生は執務室の机を挟んで正座する勢いで説教を受けていた。
元理事は机の上に置かれた書類の束を指差す。
「百鬼夜行で随分と大立ち回りをしたそうじゃないか」
「情報早くない?」
「ここの情報網を甘く見るな」
「……ハイ、スイヤセン」
「その結果、各所への報告書が急増した」
「誠にごめんなさい」
さらに元理事の視線が先生の背後へ向く。
「しかも、出発時にはいなかった生徒が一人増えているではないか」
「…………」
「どういうことか説明してもらおうか?」
「なんやかんやありまして。最終的に拾ったといいますか…」
「生徒を野良猫のように言うな」
「ごもっともです」
そうして先生が元理事に絞られている間、肝心のシュロはというと。
「手前様も大変ですねぇ」
全く助ける気配もなく、さっさと執務室を抜け出してしまっていた。
先生が連れて帰ってきた以上、自分もここの客みたいなものだろう。
そう判断したシュロは、初めて見るシャーレの内部を我が物顔で歩き始める。
「さてさて。どんな面白いものがありますかねぇ」
こうしてシャーレにやって来たシュロは、一人で内部を探検することにするのだった。
◆
「ああ、それでしたら明日の午後に――」
「私もその時間なら問題ないよ☆」
「私も構わない」
廊下の向こうから、ナギサ、ミカ、セイアの三人が歩いてくる。
何やら楽しそうに話しており、シュロも最初は特に興味を示さなかった。
だが、すれ違う直前に好奇心がシュロの胸中に沸いてきた。
「…………」
シュロの視線がナギサへ向いた。
そして悪戯心が勝った。
パァン!
「――っ!?」
すれ違いざまにナギサのお尻を思いきり叩くという暴挙をしてしまう。
「なんですかこのデカケツは!?」
そう大声で言い残して、そのまま全力で逃げ去った。
「…………」
突然叩かれたナギサは何が起きたのかわからずしばらく停止していた。
そしてゆっくりと、本当にゆっくりと振り返る。
こめかみには綺麗な青筋が浮かんでいた。
「ぷっ……! あはっ……あははははははっ!!」
最初に決壊したのはミカの腹筋だった。
腹を抱え、その場へ蹲る。
「っ、ふ……はははははっ……!」
次に決壊したセイアまで壁へ手をつきながら笑っていた。
「ナ、ナギサ……すまない……っ! 今はこちらを見ないでくれ……!」
「ミカさん」
「む、無理……っ! デカケツって……あははははは!!」
「セイアさん」
「デカケツって……本当の事を言っちゃだめだろう……っ、くくっ……!」
「…………お二人とも?」
終始ナギサの笑顔は怖かったが二人は気にせずにさらに笑っていた。
ナギサはまずこの場に居る自分の友人を〆た後に追えばいいと結論を出した。
「……覚えましたよ」
小さく呟いたその発言に込められた感情は想像を絶するものだった。
◆
別の休憩スペースでは、臨戦トキがソファへ腰掛けてゲームをしていた。
画面を見つめ、冷静な表情のまま操作を続けている。
そこへシュロが通りかかった。
「…………」
先ほどの悪戯が成功したことで、すっかり調子に乗っていた。
背後へ忍び寄ってから画面を覗く。
「よわよわ~♪」
「…………」
臨戦トキは無視した。
「もっと効率よく動けないんですかぁ?」
「…………」
「今のところ普通に回避できましたよね?」
「…………」
「手前ならもっと上手くできますよ?」
臨戦トキは変わらずに無視し続けていた。
そんなトキとは対照的にシュロは面白くなってきた。
「そんな動きじゃ一生勝てませんねぇ?」
「…………」
それでも反応なし。
なら、最後にもう一押しいう事にしたシュロはニヤニヤしながら。
「ルールはぁ、破るためにあるぅ~♪」
ピタッ。
そのセリフを聞いた瞬間、臨戦トキの指が止まった。
「……怒った? 怒りましたかぁ?」
シュロが突然止まった臨戦トキの事を更に煽っていると、彼女は静かにコントローラーを置いた。
「おや?」
そして何故かどこからともなく黒いバットを取り出した。
「…………は?」
シュロの笑顔が固まる。
「十秒あげます」
「……はい?」
「その後に追いかけますので」
「ちょっと待ってください!? いきなり暴力ですかぁぁぁぁ!?」
次の瞬間シュロは全力で逃げ出した。
「何なんですかあの人ぉぉぉ!!?」
廊下を猛ダッシュで逃げる。
その後ろを黒いバットを持った臨戦トキが無表情で追ってくる。
「怖い怖い怖い! 顔が無表情なのが余計怖いですよ!!」
「覚悟してください」
「手前に何をする気ですか!?」
「お話を」
「絶対お話じゃないでしょう!!」
その勢いのまま角を勢いよく曲がったら誰かと正面からぶつかってしまった。
「きゃっ」
「うわっ!?」
二人揃って尻餅をつく。
「いたた……」
「大丈夫?」
「ええ、手前は大丈夫です」
顔を上げる。
そこにいたのはアツコだった。
シュロはぶつかった相手をよく見る前に咄嗟に禁句を言ってしまう。
「そっちも背中、大丈夫でした?」
アツコの笑顔が固まる。
「あっ、正面でしたか。失礼しました、壁かと思ったので――」
そこまで言ってシュロもアツコの発しているオーラに気づいた。
「あー。では手前はこれで失礼します!」
急いで立ち上がってそのまま逃走を再開する。
直後、臨戦トキが追いついてくる。
「アツコさん、大丈夫ですか?」
「…うん、大丈夫だよ」
アツコは静かに立ち上がった。
「あの子を追ってるんだよね? 私も行くから」
「わかりました」
こうして失言から追跡者が二人に増えた。
少し先で振り返ったシュロが目を剥く。
「なんで増えてるんですかぁぁぁぁ!?」
◆
「はぁっ……はぁっ……!」
さすがのシュロも無限に逃げ続けていると疲れてきた。
シャーレの廊下を走り回り、何度角を曲がっても二人は執拗に追いかけてくる。
「しつこすぎませんかあの人たち!?」
その時、目の前に一つの扉を見つけた。
『仮眠室』
「ここです!」
急いで中へ飛び込んで。急いで扉を閉める。
「…………」
中は静かだった。
室内にはベッドが並んでおり、その一つではユメが気持ちよさそうに眠っている。
「すぅ…すぅ…」
廊下から足音が近づいてくる。
「仕方ありません!」
シュロはユメが眠っているベッドへ近づくと、布団を持ち上げた。
「少しだけ失礼しますよ」
そのまま潜り込んだがユメはまったく起きなかった。
シュロは息を殺して様子を窺った。
「…………」
足音が遠ざかる。
「ふぅ……」
どうやら誤魔化せたらしい。
「まったく。少し悪戯しただけなのに大人げないですねぇ」
そう呟きながらゴロゴロしていると、布団も暖かいし散々走り回ったせいで身体も疲れていたから少しだけ休むつもりだった。
「すぅ……」
だが、ものの数分でぐっすり眠ってしまった。
さらに温かさを求めた結果。
「ん……」
隣で眠っていたユメへ無意識にしがみつく。
「すぅ……」
「すぅ……」
完全にユメを抱き枕にしたまま、二人仲良く眠り始めた。
「ユメ先輩~?」
仮眠室の扉が開いた。
臨戦ホシノが顔を覗かせる。
「まだ寝てるのかなぁ――」
ユメはいい。だがそのユメにしがみついて眠っている、見知らぬ少女に臨戦ホシノの視線が突き刺さる。
「…………は?」
即座に気持ちよくユメの胸を枕にしていたシュロの首根っこを掴んだ。
「んぁ……?」
そのまま持ち上げると、目を覚ましたシュロは、宙ぶらりんになりながら目を擦った。
「……おはよう」
「お、おはようございます……?」
「よく眠れたかな?」
「はい。とても」
「そっかぁ、それはよかったねぇ」
見る者を引き付ける素晴らしい笑顔だった。
だが何故だろう、シュロの本能は今すぐ逃げろと警鐘を鳴らしていた。
「ところでさぁ、ユメ先輩で何してたのかなぁ?」
「……抱き枕?」
「そういうこと聞いてるんじゃないんだけどなぁ」
シュロは逃げようとしたが、首根っこを掴まれているので無理だった。
「ちょ、ちょっと離していただけます?」
「ん~…駄目」
「なんでですか!?」
こうしてシュロの逃走劇は、ここで終わった。
◆
「……先生」
「うす」
「本当に分かっているな?」
「うす……」
「今ある書類を終えるまで、次の騒動へ首を突っ込むな」
「善処します」
「善処ではない」
「分かりました!」
数時間、元理事からみっちり説教された先生は、完全に疲れ切った様子で執務室を後にした。
「疲れた……」
一旦休憩スペースで何か飲もう。そう思いながら階段を降りると聞き覚えのある悲鳴が聞こえてきた。
「助けてくださぁぁぁい!!」
先生がすぐに足を速めて休憩スペースへ入ると。
そこで先生の目に入ってきたのは磔にされたシュロの姿だった。
「手前様ぁぁぁぁ!!」
磔にされた彼女のその周囲にはなんとも恐ろしい存在が取り囲んでいた。
静かに青筋を立てているナギサ。
黒いバットを肩に担いでいる臨戦トキ。
穏やかに笑っているように見えるアツコ。
そして、異常な圧を放つ臨戦ホシノ。
「何これ?」
「手前様! このシャーレには怖い人しかいないんですかぁ!?」
「シュロ、何やったの?」
「ちょっとしたコミュニケーションですよぉ!」
「本当?」
「私のお尻を叩いた挙句、『なんですかこのデカケツは』と言って逃げました」
「……っ!」
「先生、笑った場合こうなります」
ナギサが指をさした先には口いっぱいにロールケーキを詰め込まれたミカとセイアが倒れていた。
「……笑うわけないじゃないか!」
「本当ですか…?」
「ホントダヨ!」
「私はゲーム中に散々煽られました」
「あーそれはやりそう」
「アツコは?」
「私の胸を見て『背中?』って言われた」
「っ……」
「先生…?」
「な、何でもないよ……。ホシノは?」
「ユメ先輩のベッドに勝手に潜り込んで、ユメ先輩を枕にして寝てた」
「おおう…」
「手前様、助けてくれますよね?」
「私にだって出来ない事もあるんだ…」
「手前様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」
悲痛な叫び声がシャーレ中へ響き渡った。
「では、少し別室でお話をしましょうか♪」
ナギサが上機嫌で提案するとシュロが恐怖から固まる。
「手前、もう反省しましたよ?」
「まだ何も始めておりませんよ?」
臨戦トキがシュロを磔から外す。
「こちらです」
「ちょ、ちょっと!?」
アツコも一緒についていく。
「大丈夫」
「何が大丈夫なんですか!?」
臨戦ホシノが最後尾。
「ちゃんとお話するだけだからね。痛いことはしないよ」
「その言い方が一番怖いんですよ!!」
先生が手を振る。
「頑張ってね。応援してるよ」
「助けてくださいって言ってるでしょうがぁぁぁぁ!!」
最後まで叫んでいたが扉が閉まった瞬間から聞こえなくなった。
そこから数時間、中で一体何が話されたのか。
先生は知らない。知ろうとも思わなかった。
そしてシュロの無事を祈りつつ仕事を片付けているとようやく扉が開いた。
「…………」
出てきたシュロの目が虚ろだった。
髪も少し乱れている。
「ハィ……」
ふらふら歩く。
「スイマセンデシタ……」
「シュロ?」
「モウシマセン……」
先生は思わず道を空けた。中で何があったのかは聞かない方がいい気がした。
◆
それから少しして。
「ふぅ~……今日の仕事も一段落かなぁ」
テスは軽く肩を回しながら、シャーレの廊下を歩いていた。
「何か飲もうかなぁ。コーヒー……いや、今日はコーラにしようかな?」
そんなことを考えながら角を曲がった時だった。
「あれ?」
廊下の壁際で一人の少女が座り込んでいた。
壁へ背中を預け、両腕をだらりと垂らし、虚ろな目で何もないところを見つめている。
「……何この子」
少女の前まで歩いていき、少し屈み込んだ。
「おーい、大丈夫かい? 生きてる?」
「……一応」
想像以上に普通に返事が返ってきた。
「大丈夫?」
「……大丈夫じゃありません」
「何かあったの?」
「行動と責任について叩き込まれました」
「随分重いこと学んだんだね!?」
少女――シュロは再び虚ろな目で前を向く。
「ハィ……スイマセンデシタ……モウシマセン……」
「本当に何したの君」
「聞かないでください……」
「分かった。もう聞かないよ」
テスは意外にもあっさり引き下がった。
そしてシュロの隣へ腰を下ろすしてポケットから、小さなお菓子を一つ取り出して差し出す。
「まあまあ。これでも食べる?」
「……いただきます」
「素直だね」
「今は逆らう気力がありません……」
「随分絞られたんだねぇ……」
テスは少し心配になったものの、本人が話したくないのなら無理に聞くつもりもなかった。
「じゃあ、元気になるまでここにいる?」
「……好きにしてください」
「はいはい」
二人並んで壁にもたれる。テスは何となく自分の鞄を膝の上へ置き、中身を整理し始めた。
「これはあとで先生に渡して……こっちはカヤちゃんかな」
「…………」
テスの鞄整理をシュロは興味なさそうに眺めていた。
その時、ある物を発見した瞬間、虚ろだった目が突然大きく開いた。
「……手前様」
「ん?」
「それ」
「どれ?」
「その鞄についているものです!」
「あぁ、これ?」
テスが鞄を持ち上げる。
そこにぶら下がっていたのは、アビドスのみんなに誘われて海へ行った際に土産物屋で買ったキーホルダーだった。
銀色の剣、その刀身へ堂々と巻き付いた龍。中央には何のために付いているのか分からないほど無駄に目立つ赤い宝石。
「これがどうかした?」
「これをどこで…?」
「この間みんなと海へ行った時のお土産屋で見つけたんだけど格好いいでしょ?」
テスはキーホルダーを摘まんで揺らすして笑っていると。シュロが立ち上がった。
「分かってますね!!」
「うわっ!? 急に元気になった!」
「ただの剣ではありません! そこに龍を巻き付けることによって生まれる、この絶妙に過剰な格好良さ!」
「分かるの!?」
「当然です!」
つい数秒前まで死人のような目をしていたシュロが、完全復活していた。
「しかも見てください、この宝石!」
「そうなの! 無駄に赤くて大きいのがいいんだよね!」
「そうなんですよ!! ここで控えめにするのは分かっていません!」
「私以外にも分かる人いたぁ!!」
「手前様もこの美学を理解できるのですか!?」
「できるできる!」
二人のテンションが一気に上がる。
「ちなみにさ」
「はい?」
「金色の剣が刀になってたバージョンも売ってたよ」
「…………」
シュロが固まった。
「何故買わなかったんですか!?」
「えっ!?」
「戻りましょう!」
「どこに!?」
「そのお土産屋さんですよ!」
「めちゃくちゃ遠いよ!?」
「今すぐ!」
「無理だって!」
そこへ。
「……何してるの?」
「あ」
「手前様!」
仕事が一段落した先生が、妙に盛り上がっている二人を不思議そうに眺めていた。
テスがすぐにキーホルダーを持ち上げる。
「見て先生! この子、ドラゴン剣キーホルダーの良さが分かるんだよ!」
「手前様! こちらの方、かなり見どころがあります!」
先生はテスを見た後にシュロを見る。
最後に剣へ龍が巻き付いたキーホルダーを見ると少し笑ってから。
「……そこから仲良くなったんだ」
「「当然!」」
「息ぴったりだなぁ……」
こうして。
数分前まで名前すら知らなかったテスとシュロは、剣へ龍が巻き付いているという、ただそれだけの理由で妙に意気投合することになった。
新たな同士を見つけて、すっかり元の調子に戻ったシュロの相手をしているとシャーレの端末へ一本の連絡が入った。
「先生~!」
画面に映ったニヤは、いつになく慌てた様子だった。
「どうしたの?」
『少々……いえ、かなり重要なお話が出来たんですよ!』
休憩スペースにいたナグサとキキョウも、自然と端末へ視線を向ける。
先ほどまでテスに肩車されて例のキーホルダーについて熱く語っていたシュロも、ニヤの声色に気づいたのか話を止めた。
「何があったの?」
ニヤは一度だけ息を整える。
『行方不明になっていた百花繚乱の委員長の七稜アヤメさんが、百鬼夜行へ戻って来たという報告を受けました』
「…………」
ナグサの顔から笑みが消えた。キキョウも始まったかという顔をしていた。
「アヤメ……」
先生はその名前を聞きながら、以前のことを思い出していた。
焼き鳥の匂いにつられて現れた現地ナグサが、ナグサを見た瞬間に口にしていた名前。
あの時から気にはなっていたが、ナグサたちが何も語ろうとしなかったため、先生も無理には聞かなかった。
そのアヤメが戻ってきた。それ自体は喜ばしいことはずなのに、ナグサとキキョウの雰囲気がそう単純な事ではないと物語っている。
「ナグサ」
「…………」
「キキョウ」
「…………」
二人とも何も答えてはくれない。
「分かった。じゃあもう一度、百鬼夜行に――」
「どこへ行こうというのかね?」
「…………」
背後から飛んできた声に先生の動きが止まる。
ゆっくり振り返るとそこには元理事が立っていた。
「……百鬼夜行に忘れ物を取りに行こうかな~、と思いまして」
「先生、下手な言い訳はやめてくれ」
「はい」
「数時間前、私がお前に何と言ったか覚えているか?」
「今ある書類を終えるまで次の騒動へ首を突っ込むな」
「よく覚えているじゃないか」
「記憶力には自信があります」
「素晴らしいな。なら次にやるべきことはわかるよな?」
先生は何も言えなかった。
「すぐに百鬼夜行に行きたいなら、宿題が終わってからだ」
「はい……」
元理事にそう言われてしまえば先生としても反論する気も起きない。
すごすごと執務室へ戻るしかなかった。
そしてその様子を見ていたテスが盛大に吹き出した。
「先生、ざっこ!」
「こればかりは仕方ないでしょ!!」
「いやいや、百鬼夜行では結構格好つけてたって聞いたけど?」
「仕事の事で元理事には勝てないんだよ!」
「そこ胸張って言うところ?」
元理事は頭痛を堪えるように額を押さえた。
「まったく……」
その時ナグサが静かに立ち上がった。
「私だけでも行く」
「ナグサ?」
「アヤメのことだから」
いつもより少しだけ強い声だった。
「……私には行く理由がある」
キキョウも続いて立ち上がる。
「私も行く。現地の私たちだけで放っておくわけにはいかないから」
「…………」
先生は二人を見る。アヤメという生徒と、この二人の間に何があったのか。
先生はまだ知らない。それでも二人がここまで露骨に動揺している。
なら。
「元理事」
「駄目だ」
「まだ何も言ってないよ!」
「何を言いたいのか顔を見れば分かる」
「くっ……!」
先生が項垂れる。
すると。
「……ねぇ」
今度はテスが口を開いた。
「だったら先生、さっさと仕事終わらせれば?」
「え?」
「元理事が言ってるのは、『絶対に百鬼夜行へ行くな』じゃないんでしょ?」
元理事を見る。
「仕事を終わらせろって話なんじゃないの?」
「……まあ、そうだな」
「ほら!」
テスは机を指差す。
「だったら片付ければいいじゃん!」
「簡単に言うけど、この量を!?」
「手伝おうか?」
「えっ」
テスがニヤリと笑う。
「その代わり帰ってきたら焼肉ね?」
「クソ!」
「はい、文句言ったから高級焼肉にアップしました!」
「っ!」
「さぁどうする先生!!?」
そんな二人のやり取りを見ながら、元理事が深い溜息を吐いた。
「……テス先生」
「な~に?」
「手伝うなら正式にシャーレの業務として処理してもらうぞ」
「へ?」
「つまり始まったら終わるまで逃がさない。その覚悟はいいな?」
テスの顔から笑顔が消えた。
「やっぱり無かったことにして戻っていい?」
「駄目」
「即答!?」
先生は先ほどのお返しとばかりに笑った。
◆
そこから数時間。
先生とテスは、机へ並んで座っていた。
「終わらない……」
「手が止まってるよテス先生」
「先生が増やした書類じゃん!」
「お願いだから頑張って!」
「何で私までぇ……!」
「君が手伝うって言ったからでしょ」
少し離れたところでは、ナグサとキキョウが待っている。
シュロも最初は退屈そうにしていたが、自分で小さいクロカゲを出して一人遊びを始めてから大人しくなった。
そして朝方になって。
「……終わったぁぁぁぁ!!」
最後の書類へ判を押した先生が、机へ突っ伏した。
「私も……もう文字見たくない……」
テスも隣で倒れ込む。
元理事が書類を確認する。
「……よし」
先生が顔を上げた。
「じゃあ――」
「ああ、行ってこい」
「やった!」
元理事が先生を睨む。
「仕事を増やすなとはもう言わん、無駄だということが分かったからな。ちゃんと無事に帰ってこい」
「了解!」
先生は勢いよく立ち上がる。
「二人とも随分待たせちゃったね! 今すぐ百鬼夜行に戻ろう!」
先生の言葉に二人もすぐに頷いて準備を始めると横から声が掛かる。
「手前も行きます」
「シュロも?」
「百鬼夜行の話でしょう?」
「そうだけど」
「でしたら手前も行きます」
当然のような顔だった。
先生は少し考えてから。
「分かった。でも勝手なことしないでね」
「手前様がそう仰るのでしたら従いましょう」
「……本当に先生の言うことだけは聞くね」
キキョウが呆れたように言う。
「当然です」
その時机に突っ伏したままのテスが顔だけを上げる。
「えー……私も行こうかな」
「テスも?」
「せっかくシュロちゃんとも仲良くなったし」
「ちゃん付けしないでください」
「シュロちゃん」
「やめてください」
「シュロちゃーん」
「手前様、この人どうにかしてください」
「もう結構仲良いじゃん」
元理事の眉が動く。
「テス先生」
「……んー?」
「お前まで行ったら誰が先生が増やした仕事をするんだ? 今回は諦めろ」
今度はテスが椅子へ戻った。
「先生ぇ」
「君の犠牲は無駄にしないよ!!」
「この裏切り者ぉぉぉ!!」
テスの叫びを背中に受けながら四人は再び百鬼夜行へ向かう準備を始めた。
行方不明だった百花繚乱の委員長の七稜アヤメ、その帰還が意味するものを先生はまだ知らない。
ただ未来から来た二人が、あれほどまでに表情を変えた。
それだけで行く理由としては十分だった。