徹夜同然で大量の書類を片付けた先生は、ナグサ、キキョウ、シュロの三人を連れて再び百鬼夜行へ戻ってきていた。
「……眠い」
「自業自得」
「キキョウ冷たくない?」
「誰のせいで朝まで待ったと思ってるの?」
「それはそう」
先生が素直に自分の非を認めている隣では、ナグサも少し眠そうに目を擦っていた。
「私は待ってる間に寝たけどキキョウは眠らなかったの?」
「ナグサ先輩それ本当!?」
「だってソファがあったから」
「私が真面目に待ってる横で寝てたの!?」
「うん」
「ズルい!」
そんな二人のやり取りを横目に、シュロは欠伸をしながら歩いていた。
「手前は先生を待たず先に出発しても良かったと思うんですけどねぇ」
「駄目だよ。勝手なことしないって約束したでしょ?」
「……そう言われてしまうと手前としては何も言えませんが」
「本当に素直」
「何か?」
「別に」
百鬼夜行へ到着すると、四人はそのまま急ぎ足で陰陽部へ向かった。
「お待ちしておりましたよ~、先生」
「ニヤ!」
部室へ入るなり、先生は早速本題を切り出した。
「アヤメって子が戻ってきたって本当?」
いつもの柔らかい笑みを浮かべてはいるが、ニヤの声には僅かな緊張が混じっていた。
「正確には、七稜アヤメさんと思われる人物が確認された、という報告ですねぇ」
「思われる?」
「遠目からの目撃でしたので」
ニヤは机の上に広げていた地図を指差す。
「現在、百花繚乱の皆さんは花鳥風月部の本拠地ではないかと考えられている、彼岸邸の調査へ向かっています」
「彼岸邸……」
先生が初めて聞く名前を繰り返す。
「場所は?」
「エビス分校自治区です」
ニヤの指が地図の一点へ移動する。
「七稜アヤメさんらしき人物が目撃されたのも、昨日、この周辺ですね」
「昨日か……」
先生が呟く。
横を見ると、ナグサとキキョウは既に真剣な顔で地図を見ていた。
「百花繚乱のメンバーたちは?」
「昨日から既に調査で現地入りしています」
ナグサとキキョウが顔を見合わせる。
「急ごう」
ナグサが言った。
「そうだね」
キキョウも即座に頷く。
「分かった。行こう」
「先生~。くれぐれもお気をつけくださいねぇ」
ニヤが笑顔で手を振る。
「前回のように、新しい問題児を一人増やして帰ってこないでくださいよ?」
「…………善処するよ」
「先生の場合、その返事が一番信用できません~」
先生がちらりとシュロを見るとシュロがすぐに気が付いた。
「なんで手前を見るんです?」
「いや、なんとなく」
「失礼ですねぇ!」
ニヤから情報を共有してもらってからすぐに移動して。エビス分校自治区へ到着したものの。
「……もういない?」
現地で話を聞いた所によれば、百花繚乱の一行は既に自治区を離れていた。
「彼岸邸を探すと言って、北の雪山へ向かいました」
「雪山……」
先生が遠くを見る。
そこには白く染まった山々が聳えていた。
「随分遠そうだなぁ」
「ここにいないなら、やっぱりそっち」
ナグサが言う。
キキョウも頷いた。
「私たちの時も、彼岸邸を探して北へ向かったから」
「じゃあ決まりだね」
先生はすぐに歩き出す。
「追いかけよう」
シュロだけが雪山を見上げて嫌そうな顔をしていた。
「寒そうですねぇ……」
「シュロ、寒いの苦手?」
「好きな人いるんです?」
「まあ……いないか」
「手前様も同じでしょう」
「私は一応防寒具持ってきたもん」
「ズルイです! 貸してください!」
「嫌だよ!?」
◆
それから暫くして。
四人は雪山の麓へ到着した。
「さむっ!」
先生が早速マフラーへ顔を埋める。
「思ってたより寒い!」
「だから言ったじゃないですかぁ……」
シュロも身体を縮こまらせている。
ナグサは比較的平然としていた。
そんなナグサをキキョウが横目で見る。
「……やっぱり平気なんだ」
「何が?」
「別に」
「ようやく来たんだ」
「――!」
突然、前方から声が聞こえた。
その声に全員が足を止めて声が聞こえて来た方向に視線を向けると。
そこには、一人の少女が立っていた。
黒い羽織。黒いセーラー服。
長い髪を雪山の風になびかせながら、まるで久しぶりの友人を出迎えるかのような気軽さで笑っている。
「正直、待ちくたびれちゃったよ」
「…………」
ナグサの目が見開かれた。
「アヤメ……」
七稜アヤメ。
先生が初めて見る少女。
行方不明だった、百花繚乱の委員長。
だが、先生は少し首を傾げた。
「…………」
アヤメも笑顔を維持している。
「…………」
よく見ると。
黒い羽織を両手でぎゅっと握りしめ。
肩を小刻みに震わせ。
膝まで僅かにガクガクしていた。
「……寒くない?」
「…………」
アヤメの笑顔が僅かに引きつった。
「べべべ別に、寒くないけど!?」
「めっちゃ震えてるよ?」
「震えてない!!」
「いや震えてるって」
「これは……武者震い!」
「唇青くなってるけど」
「…………ぅぅ」
先生は自分が使っていたマフラーを手渡す。
「ほら」
「……何?」
「これ使いなよ」
「…………」
さらにカイロも数枚。
「こっちもよかったらどうぞ」
「…………」
アヤメは暫く先生と防寒具を交互に見つめ。
「……ありがと」
素直に受け取ったアヤメはすぐにマフラーを巻いてカイロを服の中へ入れる。
「ふぅ……」
明らかに顔色が良くなった。
「本当に寒くて死ぬかと思った……」
「なら無理して待たなくても良かったんじゃない?」
「それじゃ格好つかないでしょ?」
「格好つけるために凍死しかけてたの?」
先生が呆れていると。
アヤメはそこでナグサへ視線を向けた。
「まったく……この状況も全部御稜ナグサ……お前のせいだ!」
「……えぇー?」
突然名指しされたナグサが目を瞬かせる。
「これに関しては私のせいじゃないと思う」
「あんたのせいだよ」
「何で?」
「雪女モチーフなんだからさ」
「巷じゃ三角定規って言われてるけど?」
「うるさい! この寒さ、もしかして私を嵌めた!?」
「私たちが来る前から待ってたのはアヤメでしょ」
「だからそこまで計算してたんだろ!?」
「してないよ」
「あやしい」
「…………」
二人のやり取りを見ていたキキョウがこめかみを押さえた。
「はぁ……頭痛くなってきた」
「私も」
「ナグサ先輩が言わないで」
「だって理不尽でしょ…?」
「それはそうだけどさ…。なんか空気が締まんないのよね…」
「……それでどうしてここで待ち構えていたの?」
アヤメが不満そうに頬を膨らませていたが、ナグサが訳を静かに問いかけると。
「…………ハッ!」
その瞬間、空気が変わった。
アヤメの表情から先ほどまでの軽さが消える。
「そんなの決まってるでしょ」
雪の上を一歩、こちらへ近づく。
「あなた達を、ここで仕留めるために決まってる」
アヤメの突然の宣言に先生の表情も引き締まる。
「話し合いじゃ駄目?」
「駄目」
「即答かぁ」
「先生、下がって!」
キキョウが先生の前へ半歩出る。
ナグサも静かに身構えた。
そんな中焦ったようにシュロが自分を指差した。
「手前もですか!?」
「……ん?」
アヤメは初めてシュロの存在をちゃんと確認したようだった。
「君は……知らないな」
「失礼ですねぇ! 手前も花鳥風月部の一員なのに!!」
アヤメはシュロの言葉を聞いて少し考えてからニヤニヤ笑いながら語り掛けてくる。
「でも先生の側にいるってことは……もう花鳥風月部じゃないんでしょ?」
シュロの表情が僅かに固まる。
「もしかして、裏切り者かな?」
「…………」
「答えられないの?」
アヤメは何でもないことのように言った。
「コクリコも、流石に裏切り者はどうでもいいんじゃないかな?」
「……っ!!」
シュロの肩が小さく揺れた。
「シュロ?」
先生がシュロの名前を呼ぶがこれまでの悪ガキらしい態度が消えていた。
俯いて、何かを耐える様に拳を握りしめていた。
「どうする?」
アヤメが続ける。
「先生達を仕留めるのを手伝うっていうなら、コクリコには黙っててあげるけど?」
「…………」
シュロは答えない。
先生も何も言わなかった。
無理に命令することも答えを迫ることもしない。
ただシュロの答えを待った。
「…………ごめんなさい」
小さな声が先生の耳に入る。
「シュロ……?」
先生が僅かに目を見開く。
シュロが顔を上げると、その手には一冊の怪書が握られていた。
「…………先生!」
キキョウの表情が変わった。
「あんた!!」
地面から黒い影が溢れ出した。
「シュロ!?」
雪原を侵食するように影が広がる。
幾重にも重なり巨大な猫の形を作り上げていく。
無数の眼。影で形作られた巨体。
幻魎百物語、クロカゲが顕現してしまった。
前門の防寒アヤメと後門のクロカゲという一瞬で詰み状況になってしまった。
先生が冷静に前後を見る。
「あれ、詰んだ!?」
「……前後を挟まれた!」
キキョウが武器を構える。
「アヤメとクロカゲ、先生を守りながらだとちょっとまずいかもね……」
ナグサが呟く。
アヤメはシュロの選択とそれによって窮地に陥った三人を見ながら笑った。
「賢い選択だね。コクリコも君の選択を喜んでくれるんじゃないかな?」
シュロへ視線を向ける。
「じゃあ勿体ぶってもしょうがないし。そろそろ終わらせようか――」
「…………」
その時、クロカゲの無数の眼が一斉に動いた。
先生でも、ナグサでも、キキョウでもなく。
「…………は?」
その瞳はアヤメを見つめていた。
「どういうこと?」
アヤメの顔から笑みが消えた。
「何でこっちを見て――」
次の瞬間、クロカゲの巨大な身体が地面を蹴った。
「ええええええっ!?」
先生達の頭上を飛び越え。
一直線にアヤメへ襲い掛かる。
「ふざけんな! 話が違うでしょぉぉぉ!?」
アヤメが慌てて飛び退く。
その背後でシュロは思いきり舌を出した。
「手前がコクリコ様と先生以外の指図に従うわけ無いでしょう! バーカバーカ!」