「手前がコクリコ様と先生以外の指図に従うわけ無いでしょう! バーカバーカ!」
シュロが思いきり舌を出した直後。
巨大な影が雪原を蹴った。
「ええええええっ!?」
クロカゲは先生たちの頭上を飛び越え、そのまま一直線にアヤメへ襲い掛かった。
アヤメは先ほど先生から貰ったマフラーを翻しながら、寸前で横へ飛ぶ。
ドォンッ!!
巨大な前脚が雪原へ叩きつけられ、大量の雪が宙を舞った。
「ちょ、ちょっと待って!?」
着地したアヤメがクロカゲを見上げる。
「本当にこっち攻撃してくるの!?」
「当たり前でしょう!」
シュロは勝ち誇った顔で怪書を掲げた。
「手前様たちに手を出そうとするからですよぉ!」
「ふーん」
先ほどまで焦っていたアヤメの表情が、すぐに落ち着いていく。
銃を構え直しながら、ちらりとシュロを見る。
「でも、いいのかな?」
「何がです?」
「みんなに言いふらしちゃうよ?」
「…………」
シュロの眉が僅かに動く。
「花鳥風月部の小さな怪談家さんが、先生に絆されてこっちを攻撃してきました~って」
「うるさい!」
「コクリコが聞いたらどう思うかなぁ?」
「この程度でコクリコ様は手前を見限ったりしないんですよ! ドアホ!!」
「…………」
シュロの堂々たる宣言にアヤメが少し目を細めた。
「ははは――」
楽しそうに笑った。
「なるほどね」
銃口をクロカゲへ向ける。
「信頼してるんだ」
「当然でしょう!」
「本当に――」
楽しそうな笑顔のまま毒を吐いた。
「反吐が出そうだよ」
パンッ!
乾いた銃声が雪山に響いた。
弾丸がクロカゲの巨体へ吸い込まれる。
それを見たシュロが鼻で笑った。
「無駄ですよぉ! そんな普通の攻撃なんざクロカゲには効かねえんですよ!!」
クロカゲが再びアヤメへ迫る。
「そう?」
意外にもアヤメは動じなかった、そのまま気にせず引き金を引く。
今度は黒い影が大きく怯んだ。その様子にシュロの笑顔が止まった。
「……は?」
さらに一発。明らかにクロカゲの身体が弾ける。
「何で……? なんで効いてるんですか!?」
シュロが驚きから目を見開く。
アヤメはクロカゲの攻撃を避けながら、口元を吊り上げた。
「ふふ」
「何笑ってるんですか!」
「その小さい頭で考えてみれば?」
「はぁああ!!?」
「シュロ! 喧嘩してる場合じゃない!」
「手前様は黙っててください! これは大事な事なんです!」
クロカゲの前脚が再び振り下ろされる。
アヤメは雪を蹴り、軽々と回避した。
その巨大な一撃が近くの斜面へ叩き込まれる。
ズンッ――。
その衝撃が山肌を低く揺らす。木に積もっていた細かな雪がぱらぱらと崩れ落ちる。
先生が一瞬だけ上を見る。
「今なんか音しなかった?」
「クロカゲが暴れてるからでしょ」
キキョウがそう返す。
確かに彼女の言う通り、今はそれどころではない。
先生もすぐに視線をアヤメへ戻した。
「今!」
キキョウがアヤメの死角へ回り込んでいた。
銃口を向けて攻撃するが。
「……っ!?」
弾丸はアヤメの身体へ当たることなく。
そのまま――通り抜けた。
「何……?」
キキョウが悔しそうな顔をアヤメに向ける。
アヤメの身体が一瞬だけ揺らぎ、すぐに元へ戻る。
その様子を見ていたナグサが静かに口を開いた。
「やっぱり…この世界でも変わらないんだね、アヤメ」
「…………」
「黄昏の力を使ってるんでしょ?」
その言葉にアヤメの顔から笑みが消えて、ナグサに対してうんざりした表情をした。
「……その顔」
「?」
クロカゲの攻撃を身を翻して避けながら。
「そうやって私のことなら何でも知ってます、みたいな顔で言ってくるお前のことが――」
アヤメは雪を強く蹴って一気に距離を詰めた。
「心底大嫌いだったよ! ナグサ!!」
アヤメは一瞬でナグサの目の前へ。
銃口を突きつけてもナグサは動かなかった。
「…………」
努めて冷静に懐へ手を入れてあるものを取り出した。
その取り出したものを見て、アヤメが一瞬固まる。
「は?」
それは焼き鳥のねぎまだった。
「あーん」
もぐ。と一口齧り、焼き鳥を食べている姿にアヤメの額に青筋が浮かんだ。
「戦闘中に何してんの!?」
「焼き鳥食べてる」
「見れば分かるよ!!」
「美味しいよ?」
「舐めてんの!?」
「舐めてない。齧ってる」
「死ね!! 妖怪ねぎま狂い!!」
「ナグサ先輩は昔からこういうところあるから」
キキョウが遠い目をして一応フォローしたが。
アヤメは完全に頭へ来たらしい。
「もういい!」
ナグサの額へ銃口を押し付ける。
「そのふざけた態度ごと吹き飛ばして――」
「……ごちそうさま」
ナグサが呟いた直後。
ぱぁぁぁぁぁ――!!
ナグサの体は光に包まれた。
「眩しっ!?」
強烈な光が雪原を照らした。
アヤメは咄嗟に目を覆ってしまう。
その一瞬無防備になったアヤメの真横から黒い巨大な影が迫っていた。
「え」
クロカゲの渾身の一撃がアヤメに叩き込まれるのだった。
ドゴォォォン!!
「アヤメー!!!?」
先生が思わず心配で声を上げてしまうほどの衝撃だった。
雪煙が一気に舞い上がり、視界が真っ白になる。
シュロが恐る恐る覗き込む。
「仕留めましたか……?」
「シュロ」
「何です?」
「そういうこと言うと大体仕留めてないよ」
「何ですかその謎理論は!?」
「経験則だよ」
キキョウも警戒したまま周囲を見る。
「ナグサ先輩、大丈夫だった?」
「うん、平気だよ」
ナグサは何事もなかったように食べ終えた串を片付ける。
「焼き鳥のおかげ」
「本当になんで光るの……?」
先生も改めて疑問を口に出すが。
ナグサは何も答えてくれなかった。
「まぁ便利だからいいか…」
「先生まで普通に受け入れ始めないで」
「でも実際役に立ったし」
「役に立ってることが一番納得いかない」
雪煙が徐々に晴れていくとクロカゲの一撃が直撃した場所には、大きなくぼみができていた。
だがそこにアヤメの姿はどこにも無かった。
「……消えた?」
先生が周囲を見渡している間。
ナグサだけは別の方向を見ていた。
少し離れたところにある一本の大きな木。
「……遊びは終わりってことでいいのかな?」
「おや」
上から声が聞こえた。全員が一斉に見上げるとその木の太い枝に傷一つないアヤメが腰掛けていた。
「よく分かったね」
軽く笑いながら枝から飛び降りる。
「なるほど確かに、情報提供者から聞いていた通りだ」
「……情報提供者?」
先生が聞き返すもアヤメは答えなかった。
「先生が連れている生徒は、やっぱりかなり手強いね」
「褒めても何も出ないよ」
「別に先生は褒めてないけど」
「あれ……?」
ナグサはそれよりも気になることがあった。
「私たちの事情を知っているなら、一つ聞いていい?」
「何?」
「この世界の私たちはどうしたの?」
アヤメは何でもないことのように答えた。
「ああ、それ?」
スマホを取り出して軽く弄りながら。
「今頃、アザミとコクリコに捕まってるんじゃない?」
そのアヤメの言葉に先生の顔から笑みが消えた。
「捕まってる?」
「多分ね」
アヤメは楽しそうに続ける。
「もしかしたら、もう黄昏に落ちてるかもね~」
「……黄昏」
先生が恐る恐る口を開く。
「さっきから出てくるけど……黄昏って何?」
「…………」
アヤメが先生を見る。
ナグサとキキョウも一瞬言葉に詰まる。
そこにシュロが真っ先に反応した。
「えぇ!?」
シュロが素っ頓狂な声を上げた。
「手前様、黄昏を知らないんですか!?」
「ごめんだけど、知らないや」
「そんな馬鹿な!」
「だって誰も教えてくれないんだもん」
「……そういえば先生には説明してなかった」
キキョウがぼそっと呟く。
「じゃあざっくりでいいから教えてくれない?」
「仕方ありませんねぇ」
シュロが得意げに胸を張った。
「では、手前様にも分かりやすいようコクリコ様から賜った格言で教えて差し上げましょう」
「おお!」
「よく聞いてくださいね!」
シュロは人差し指を立てた。
「黄昏を覗くとき――。黄昏を覗いているんですよ!」
「なるほど!」
先生が力強く頷いた後に。
「………ん?」
先生の顔に疑問符が浮かぶ。
キキョウが呆れた顔でシュロを見る。
「それってただ覗いてるだけじゃない」
シュロが固まった。
「あれ……?」
「何一つ説明してないよ」
ナグサまで追撃する。
「ふふっ」
そんな二人のコントにアヤメが口元を押さえていた。
「今からでも怪談屋からお笑い芸人に転向したら?」
「…………」
シュロのこめかみに青筋が浮かぶ。
「てめぇ……」
「おっと」
「誰のせいでこんなことになってると思ってやがるんですか!」
「自分で意味分からない説明したんでしょ?」
「うるさいですねぇ!!」
「シュロ、落ち着いて!」
先生が慌てて止める。
「笑われたんですよ手前は!!」
「それは説明になってなかったからだよ!」
「手前様までそっちですか!?」
そんなバカみたいなやり取りの最中もクロカゲは何度もアヤメへ攻撃を仕掛けていた。
アヤメは軽やかに回避する。
ズンッ!!
また一撃が雪山の斜面へ叩き込まれる。
ゴゴ……。
今度は先ほどよりも大きな音がした。
積もっていた雪が少しずつ崩れ始めている。
だが、アヤメとシュロの言い争いに意識を取られ、誰も深く気に留めなかった。
そんな中、不意にアヤメがスマホをしまうと。
「さてともう少し遊んでいたかったけど」
スマホをポケットへ戻す。
「大体の力量は分かったし、私はここら辺でお暇させてもらうね」
「逃げるの?」
ナグサが聞く。
「目的は済んだからね」
「目的……?」
「そ」
アヤメは手をひらひら振る。
「じゃあね、先生」
「待って! ユカリたちはどこに――」
そんな先生の必死な叫びにアヤメが何かを思い出したように止まる。
「そうだったそうだった。先生、マフラーとカイロありがとね」
先生は一瞬戸惑い。
「どういたしまして……?」
「暖かかったよ」
「それは良かったけど今それ言う!?」
「借りパクしとくね」
「返してよ!」
「ははは!」
アヤメが楽しそうに笑う。
「それじゃ――」
「てめぇ!!」
怒鳴り声が割り込んでくる。
先生がびくっと肩を跳ねさせる。
シュロだった。
「散々手前を煽っといて、逃げられると思ってるんですか!!」
「逃げるよ?」
「させるかぁ!!」
シュロが怪書を掲げる。
「クロカゲェ!!」
巨大な影が咆哮を上げた。
アヤメへ向かって前脚を振り下ろす。
「よっ」
避ける。
尻尾。
「ほい」
避ける。
巨大な影が雪山を薙ぎ払う。
「危なっ」
だが当たらない。
「止まれぇぇぇ!!」
「嫌だよ~」
「このぉぉぉ!!」
シュロが完全にムキになっていた。
「シュロ! 山ごと壊しそうだから少し落ち着いて!」
「手前様は黙っててください!」
ズドォン!!
また斜面が大きく削れる。
ゴゴゴ……。
「…………?」
今度こそ先生も上を見た。
「なんかさっきから音が大きくなってない?」
「地鳴り……?」
キキョウもようやく気づく。
ナグサが山頂方向を見る。
「……雪?」
上の方から白いものが崩れている。
だがその頃アヤメはクロカゲの攻撃をまた避け、完全に勝ち誇っていた。
「残念でした~」
「くっ……!」
「じゃあね~」
アヤメはシュロへ背中を向ける。
「次に会う時まで、もう少し面白い芸でも考え――」
そう言って前を向いた瞬間だった。
視界が真っ白に染まる。
「……え?」
巨大な雪の壁がすぐ目の前まで迫っていた。
「ちょっ――」
アヤメの顔から血の気が引く。
「雪崩!?」
先生が叫ぶ。
「手前様!?」
「走って!!」
「どこに!?」
「分かんない!!」
「山で雪崩なんて経験ないよ!」
「手前もありませんよぉ!!」
「私も!」
「みんな無いから!」
キキョウが叫ぶ。
だが逃げ切るにはもう遅かった。
「え、待って! 私今から帰るところなんだけど!?」
アヤメが必死に走って先生達の横に並んで逃げる。
「知らないよ!! というかその黄昏の力で何とかして!!」
「無理に決まってるでしょ!? 先生は大人でしょ!? 何とかして!!」
「自然災害まで私に頼らないで!!」
「手前様ぁぁぁ!! 雪崩に巻き込まれたら両手で顔の前を覆ってエアポケットを作るんですよぉぉぉ!!!」
「さっそく使えそうな知識をありがとうねぇぇ!!!」
轟音。
真っ白な雪が全てを飲み込んだ。
「「「「「ぎゃあああああああああ!!」」」」」
五人仲良くまとめて雪崩の中へ消えていった。