「――始め!」
開始の声が訓練場へ響き渡った瞬間、向かい合っていた二人はほとんど同時に地面を蹴った。
二人が手にしているのは、どちらも百花繚乱で制式採用されている同型のライフルだった。スコープすら備えていない古風なボルトアクション式で、一発撃つたびに手動でボルトを操作し、排莢と次弾装填を行わなければならない。
武器だけ見れば、条件はまったく同じなのだが、戦い方は面白いほど対照的だった。
開始と同時に大きく横へ跳んだ現地ナグサは、着地してからも決して足を止めようとはせず、そのまま訓練場を大きく駆け始める。左右へ不規則に進路を変え、ときには身を低く沈め、相手に狙いを定めさせないままライフルを構えた。
一方のアヤメは、位置取りしてからはほとんどその場から動こうとしなかった。
走りながら放たれた現地ナグサの初弾が顔を捉えようとした瞬間、アヤメは首をほんの僅かに傾ける。それだけで弾丸は頬のすぐ横を通過し、長い髪を風圧で揺らしながら後方へ抜けていった。
そして避け終わった時には、すでにアヤメの銃口が彼女を正確に捉えていた。
「っ!」
現地ナグサは走る速度を落とさないまま身体を捻り、こちらも紙一重で銃弾から逃れる。着地するより先に右手はボルトへ伸びており、引き起こされた薬莢が宙を舞う頃には、もう次弾が薬室へ送り込まれていた。
その一連の動作を見て、アヤメが僅かに目を細める。
即座に二発目が飛んでくる。
アヤメは右足を半歩だけ引き、上体を僅かに逸らす。それだけの動きで弾丸をかわすと、自分もボルトを操作し、即座に反撃へ移った。
現地ナグサは今度こそ大きく横へ跳びながら回避し、そのまま着地と同時に再び装填を終える。
大きく動き続けて攻撃をかわし、その運動の流れを途切れさせないまま反撃するナグサ、対してアヤメは、必要な分しか動かない。
一歩、ときには半歩。
それどころか、上半身を僅かにずらすだけで射線を外し、その直後には相手が最も嫌がる場所へ強烈な一発を叩き込んでくる。
まさしく蝶のように舞い、蜂のように刺す。
そんな言葉が似合う戦い方だった。
「すごいですわ……」
少し離れた場所から見守っていたユカリが、目を離せないまま呟く。
「ナグサ先輩はずっと動き回っておりますのに、アヤメ先輩はほとんど動いておりませんわ」
「昔からああだったよ」
現地キキョウも真剣な表情のまま戦況を追っていた。
「必要な分だけ避けて、そのまま一番痛いところへ返してくる。しかも――」
言葉を続けるより先に、現地ナグサが一気に距離を詰めた。
長いライフル同士ならば、懐へ潜り込んでしまえば互いに取り回しが難しくなる。そう判断したのだろう。アヤメの銃口を掻い潜るように前へ出て、そのまま至近距離まで迫った。
しかし、それでも優位に立ったのはアヤメだった。
振り上げられたナグサの銃身を自分のライフルで外側へ弾き、その反動を利用して懐へ踏み込む。肩を当て、腰を入れ、最後に足を払うという一連の動作に無駄はなく、現地ナグサの身体が一瞬だけ宙へ浮いた。
「っ……!」
それでも倒れ切る寸前に片手を地面へつき、身体を回転させながら距離を取る。
直後、つい先ほどまで頭があった場所を、アヤメの銃床が鋭く薙いでいった。
「危な……」
先生が思わず声を漏らす。
「アヤメ、接近戦でもかなり強いんだね」
「……私より数段上だよ」
ナグサが素直に答えた。
「今も?」
「今なら流石に私。光って目つぶしも出来るしね」
「頼もしいね」
ナグサは特に気にした様子もなく、中央の戦いを見つめ続ける。
総合的な技量で比べれば、やはりアヤメの方が一枚上だった。
一撃の火力。
射撃の精度。
近接戦闘の技術。
相手の攻撃を見切り、最小限の動きだけでかわす判断力。
現地ナグサも十分すぎるほど強い。しかし、同じ武器を使って正面からぶつかればぶつかるほど、細かなところに積み重なった差が目に見える形で現れていた。
「ほら、どうしたの?」
また一発、アヤメが身体を少し傾けるだけで弾丸をかわす。
「勝って私を百花繚乱へ連れ戻すんじゃなかったの?」
「そのつもり」
「なら、もう少し頑張ってよ」
「頑張ってる」
「それで?」
「……腹立つ」
「ははっ」
アヤメが楽しそうに笑う。
だが、その余裕が少しずつ削られ始めたのは、それから間もなくのことだった。
アヤメが反撃に移ろうとした瞬間には、すでに現地ナグサの次弾が装填されている。
「……っ」
今度は肩を大きく引いてかわした。
その一発を避け終えたところへ、さらに次の射撃が飛んでくる。
アヤメの眉が僅かに動く。現地ナグサが撃つ速度そのものが異常なわけではない。
違う、撃ってから次の一発を撃てる状態へ戻るまでが、圧倒的に速いのだ。
二人が使っているライフルは単発式。撃つたびにボルトを引き、薬莢を排出し、新しい弾を送り込む必要がある。当然そこにはわずかな隙が生まれる。
だが現地ナグサは、その隙をほとんど感じさせなかった。
走りながら撃ち、銃口がまだ反動で跳ねている間にはもうボルトへ手を掛けている。排莢を終える頃には次の移動へ入り、姿勢を崩さないまま装填を完了させる。
そして再び撃つ。
「……そうだった」
アヤメが低く呟いた。
「装填速度だけは、私でも勝てなかったね」
「そこだけじゃない。美少女具合でも勝ってる」
「はいはい」
軽口を返した、その直後。
現地ナグサの弾丸がアヤメの頬を浅く掠めた。
「……っ!」
小さな痛みと共に、小さな綻びが刻まれる。
今までなら避けられていた。
そして現地ナグサは、そんなアヤメへ考える時間すら与えない。
すでに次弾が装填されていた。
銃声が響き、今度は腕を掠める。
「くっ……!」
「アヤメ!」
アザミが思わず前へ身を乗り出した。
目の前でアヤメが被弾していること自体も驚きだったが、それ以上に理解できないことがあった。
あの程度の銃撃、避け切れなかったのなら仕方がない。
だが本来なら、そもそも受ける必要がないはずだった。
アザミの知るアヤメならば、黄昏の力を使えば弾丸などその身体をすり抜けていく。
――どうして……黄昏の力を使わないんですか!?
答えを求めるように隣を見る。しかしコクリコはアヤメを見つめたまま何も言わなかった。
ただいつもの掴みどころのない表情で、アヤメとナグサの戦いを静かに見守っている。その口元がほんの少しだけ楽しそうに緩んでいるようにも見えた。
もちろん、苦しくなっているのはアヤメだけではなかった。
「はぁ……っ、はぁ……」
絶えず動き続ける現地ナグサの呼吸も、すでにかなり乱れている。
ナグサの戦い方は、攻撃を受ける直前まで動き続けて回避し、そのまま相手の隙へカウンターを叩き込むというものだ。当然、最小限の動きだけで済ませるアヤメよりも遥かに体力を消耗する。
火力では負ける。
耐久力でも負ける。
近接技術でもアヤメには敵わない。
それでもたった一つ自分の方が優れているモノがある。
止まらずに走り続けながら現地ナグサは発砲し、反動が身体へ残っているうちにボルトを引いた。空薬莢が弾かれると同時に次弾を送り込み、進路を変えながら再び照準を合わせる。
「っ!」
アヤメがかわすがその頃にはもう次の装填へ入っている。
「いい加減しつこい!」
「これが私の戦い方だから」
「嫌と言うほど知ってるよ!!」
アヤメも負けじと撃ち返す。
現地ナグサは大きく横へ飛び、弾丸をかわした。その代わり着地した足が僅かにふらつく。
それでも止まらない。
もう一発。
もう一発。
自分に出来ることだけを、ただひたすら繰り返す。
すると少しずつ。本当に少しずつ。
アヤメの回避に余裕がなくなっていった。
最初は首を傾けるだけだった。
だけど今は、一発避けるために大きく身体を移動させなければならない。
「ナグサ先輩……押していますわ!」
ユカリがいつの間にか拳を握りしめていた。
「そのまま行けー―!! ナグサ先輩ーー!!」
レンゲの口元にも笑みが浮かぶ。
現地キキョウも驚いたように戦いを見つめていた。目の前で戦っている現地ナグサは、少し前まで「自分にはアヤメの代わりなんて出来ない」と弱気になっていた人物と同じとは思えない。
「…………」
その様子を見ていたナグサも、ほんの僅かに口元を緩めた。
「あっちのあなたが羨ましいの?」
キキョウが横から尋ねる。
「少しね」
ただ、過去の自分から視線を外さないまま、静かにその戦いを見守っていた。
◆
アヤメには、もう先ほどまでの余裕がなかった。
一発を避ければ、その先へもう一発。
右へ逃げれば次の弾が右側へ。
左へ切り返そうとすれば、その動きを読んだかのように位置を変えてくる。
「はぁ……っ、はぁ……」
アヤメ自身の呼吸も乱れていた。
現地ナグサの装填が速いことなど、昔から知っている。
それでもここまで自分を追い詰められるとは思っていなかった。
「……はやっ!」
避けたばかりなのに、もう銃口がこちらへ向いている。
次の一発が来る。
左へ。
駄目。
右へ。
間に合わない。
後ろへ下がれば、その次の弾で逃げ場を潰される。
「…………っ!」
そんなアヤメの脳裏へ。
あまりにも簡単な答えが浮かんだ。
――黄昏を使えばいい。
ほんの一瞬。周囲の時間が止まったかのように感じた。
そうだ使えばいい。
身体を僅かに黄昏へ沈めるだけでいい。
そうすればナグサの銃弾は身体をすり抜ける。
この苦しい状況だって、一瞬でひっくり返せる。
自分にはその力がある。
わざわざ真正面から苦戦する必要などない。
アヤメの身体が、僅かに揺らぎかける。
その瞬間だった。脳裏へあの日の光景が蘇った。
押し寄せる大量の雪。
誰も逃げ切れないと分かった、あの一瞬。
先生には、生徒たちのような強さなんてない。
自分たちのように銃を持って戦えるわけでもない。
超常的な力で雪崩そのものを吹き飛ばせるわけでもない。
それなのに最後の瞬間、先生は自分たちの前へ出た。
ナグサを。
キキョウを。
シュロを。
そしてついさっきまで敵として銃を向けていた自分までまとめて庇うためにその身を投げ出した。
「…………」
今も先生は近くにいる立会人として。
逃げずに、自分たちの戦いを最後まで見届けようとしている。
「……ふざけんな」
アヤメが小さく呟いた。
「?」
ナグサには聞こえない。
次弾が来る。
黄昏なら避けられる。
黄昏なら逃げられる。
黄昏なら負けずに済む。
「今更――」
けれどアヤメは避けなかった。
弾丸が肩へ叩き込まれ、身体が大きく揺れる。
それでも倒れず、前へ一歩踏み出した。
「アヤメ!?」
現地ナグサは驚きながらも手を止めず、すぐにボルトを操作する。
次弾をすぐに発砲すると今度は脇腹へまともに入った。
「ぐっ……!」
アヤメの足が一瞬止まりかける。
しかし、それでも前へ出た。
「アヤメ! どうして――!?」
アザミの叫び声が聞こえる。
黄昏を使え。
そんな囁きが、自分の中から聞こえてくる。
痛い。
苦しい。
使ってしまえば全部楽になる。
いつものように危ないものから逃げてしまえばいい。
「……うるさい!」
アヤメは歯を食いしばった。
その視線が目の前に居る現地ナグサを捉える。
「アヤメ、黄昏を――!!」
「嫌だ!」
「何言ってるんですか……!?」
「だって――!」
アヤメは正面から進み続ける。
今までのような軽やかさなど、もうどこにもない。
美しくかわすことも最小限の動きで相手を翻弄することも。
全部をかなぐり捨てた。
「あの人が見てる前で!! 今更、逃げるなんて――!」
さらに一発。
今度は身体を大きくよろめかせるほどの衝撃が襲う。
それでも踏みとどまる。
「そんな恥ずかしい真似できるかぁぁぁぁぁ!!」
叫び声と共に。
アヤメの身体から、僅かに滲みかけていた黄昏の揺らぎが消えた。
残ったのは。ただの一人の生徒だけだった。
「……っ!」
現地ナグサも、ようやくアヤメが何をしようとしているのか理解した。
だからこそ手加減などしなかった。
「アヤメ!」
次弾装填、即発砲。
「ぐっ!」
また命中する。
アヤメの身体が揺れる。
それでも距離は確実に縮まっていく。
「もう降参して!」
「終わらせたかったら、お前が私を倒せ!!!」
現地ナグサが後退しながら装填する。
アヤメは前へと歩を進める。今までとは完全に逆だった。
最小の動きだけで攻撃を避け続けていたアヤメが、今は何一つ避けようとしていない。
現地ナグサが最も得意とする速射を真正面から受けながら、ただ愚直に前へ進んでいる。
アヤメは残り数歩の所で最後の気力を使い走りだした。
現地ナグサも即応して手がボルトへ伸びる。
速い。相変わらず腹が立つほど速い。
現地ナグサが銃口を上げた、その瞬間にはもう眼前にアヤメが迫ってきていた。
「遅い!」
「……っ!?」
アヤメの手がライフルへ伸び、銃身を横へ押し退けた。
直後、弾丸はアヤメではなく何もない空へ消えていった。
「……捕まえた!」
「アヤメ――」
すでにそこは射撃をかわすための距離ではなかった。
互いの息遣いが聞こえるほど近い。
アヤメはライフルを押さえ込んだまま、自分のライフルを構える。
そしてその銃口を現地ナグサへ突きつけた。
「これでもうナグサでも逃げれないでしょ――!」
引き金が落ちる。
「っ――!」
ナグサの身体が大きく後方へ弾かれ、そのまま地面へ倒れ込んだ。
「ナグサ先輩!」
ユカリが思わず叫び、先生も反射的に一歩前へ出る。
けれどアヤメは追撃しなかった。
いや出来なかった。
「……はぁ」
長く息を吐く。
そこから一気に身体を支えていたものが抜け落ちていった。
ナグサへ辿り着くまでに受けた攻撃により消耗した体力。
そして何より黄昏へ逃げ込まず、自分の力だけで最後まで立ち続けた気力が尽きようとしていた。
「はぁ……っ、はぁ……」
呼吸すらまともに整わない。
ライフルを握っていた指から力が抜ける。
カシャン、と硬い音を立てて地面へ落ちた。
「あ……」
次に膝が折れる。
「アヤメ!」
今度はアザミが声を上げる。
それでもアヤメはもう身体を支えられず、ナグサから少し離れた場所へ仰向けに倒れ込んだ。
「…………」
訓練場を静寂が包んだ。
二人とも倒れたまま起き上がる気配がない。
「…………」
先生は何度か二人を交互に見た後、恐る恐る隣にいるコクリコへ顔を向ける。
「これ……どうなるの?」
「さてねぇ」
コクリコは困った様子もなく、倒れた二人を眺めている。
少し考えるように目を細めた後。
「まあ、引き分けで良いんじゃないかえ?」
「やっぱり?」
「どちらも立てないからねぇ」
「そうだねぇ……」
先生がもう一度二人を見る。
その時だった。
「あはっ……」
小さな笑い声が聞こえた。
「?」
先生が視線を向ける。
笑っていたのはアヤメだった。
地面へ仰向けに倒れたまま、青い空を見上げながら。
「……はは」
最初は小さかった笑いが。
次第に大きくなっていく。
「あははははっ……!」
「アヤメ?」
戦いの最中に受けた痛みで顔を歪めながら、それでも笑うのを止められないらしい。
「何これ……こんだけやって……引き分け?」
すると少し離れたところから、弱々しい声が返ってきた。
「……うん、引き分けだね」
現地ナグサだった。
こちらも起き上がるほどの力は残っていないのか、アヤメと同じように仰向けになったまま空を見ている。
「……だっさ!」
「あまり自分を卑下しないで」
「ナグサにだけは言われなくない!」
「…………ふふ」
「…………はは」
二人はしばらく何も言わず同じ空を眺めていた。
けれど、その沈黙はこれまで二人の間にあった、重く息苦しいものとは違っていた。
言いたいことを言った。
真正面からぶつかった。
逃げずに戦った。それでも勝敗はつかなかった。
なのに不思議とアヤメの胸の中には、悔しさよりもずっと大きな解放感が残っていた。
まだ身体はあちこち痛くて動かない。
それでも今まで胸の奥へ絡みついていた何かだけは、少しだけ軽くなった気がした。
そんな感覚を確かめるようにアヤメは、もう一度だけ小さく笑うのだった。