50歳のおじさんがJKにTS転生したのでネットアイドルしてみる話 作:アラフィフ大活躍
カンタービレ、歌うように。
自宅にあった漫画を読んで、楽しい音楽の世界へ踏み込んだのは幼稚園の頃。
鍵盤を押せば音が鳴る。
強く押せば大きな音が、弱く押せば優しい音が帰ってくる。
そんなシンプルでいて、何百年もの間人々を魅了し続けてきた楽器に、小鳥遊みあは恋をした。
練習をすればするほど上手くなった幼少期、彼女は漫画の主人公のように世界へ羽ばたくピアニストになれると信じて疑わなかった。
夢はカーネギーホールで演奏すること。
最後の一音を奏で終え、数秒の余韻の後に沸き起こる歓声。その中心にはピアノと自分の姿。
なんと美しい夢だろうか。
「みんなのお耳に幸せをっ!小鳥遊ぃぃ……みあだよっ!よろしくねーっ」
『はい、天使』
『みあみあー!!』
『ピアノ枠キボンヌ』
今日も元気に明るく配信を始める。
いつの日かジュリアード音楽院に留学する目標に向かって。
◇
「お。今日はみあちゃん配信してるぞ」
この間うちにやってきた二人の影響か、俺も最近はテレビのバラエティより誰かが配信してたらそちらを見るようになってきた。
誰も配信してなければテレビも見るけど。
平日の夜、学校の宿題をしながらりあらちゃん達の配信を見るのは友達の家で勉強してる感じがして捗るのさ。
『ピアノを聴きたいってコメントが多いですね。そしたら、今日はリクエスト曲でもやりましょうか』
え、珍しい。
みあちゃんがピアノで配信してる姿は見たことが無いぞ。てっきり誰かと演奏コラボとかする時だけ弾くのかと勝手に思い込んでいたよ。
『ピアノ枠きちゃ』
『ラ・カンパネラ!』
『月光第三楽章がいいです』
『紅蓮華!!』
やはりピアノ配信は珍しいみたいで、一気にコメント欄が湧き上がる。
俺でも知ってるクラシックの名曲から、アニメの曲まで。みんな思い思いにリクエストしていた。
『んー。アニソンは好きなんですけど、今日はクラシックの気分かなって。……ラ・カンパネラにしてみますね。完璧には弾けないかもしれませんが。ちょっと準備しまーす』
そう言って、みあちゃんは一度配信を待機画面に切り替えた。
ラ・カンパネラって。確かとても難しいので有名じゃなかったかな……
俺は心配になりながらも、白湯とおしゃぶり昆布を楽しみつつ待機画面を眺めて待つ。
宿題は小休止!
ほら。みあちゃんが気になって集中出来ないと効率悪いからっ。
数分して。
『お待たせしましたー!』
画面が切り替わり、再びみあちゃんのお顔が。それから部屋もいつもの配信部屋から移動していた。
「あれ、これってグランドピアノ?」
俺は画面の一番の変化に気がつく。てっきり電子ピアノとかで弾くんだとばかり。
配信画面は立派なピアノの前に座るみあちゃんが映るよう、画角が調整されていた。
『それでは、フランツ・リストのラ・カンパネラを演奏します』
画面の前のリスナーに一礼してから、みあちゃんは想像を絶する演奏を開始した。
最初の一音が鳴った瞬間。
「……え」
思わず声が漏れた。
俺はクラシックなんて詳しくない。上手い下手なんてわからない。
……だけど。
「凄い」
その一言だけは、誰よりも自信を持って言えた。
鍵盤の上を踊る指、軽やかな音色。まるで一人でオーケストラを奏でているような迫力。
何よりも。
俺とほとんど変わらない年齢の少女が、この演奏をしている。
その事実だけで鳥肌が立った。
宿題の手が止まる。
……いや、さっきから止まりっぱなしだけど。
コメント欄も、いつの間にか静かになっていた。
百七十年以上前の曲らしい。
そんな昔の音楽が、令和になっても人を黙らせる。そして、その音を目の前の少女が奏でている。
軽い気持ちでつけたみあちゃんの配信。
気がつけば俺の頬を涙が伝っていた。
あっという間に、約五分の演奏が終わる。
『鳥肌注意』
『目から汗が……』
『音の粒、ヤバすぎる』
ぽつり、ぽつりと現実に帰ってきたリスナー達がコメントする。
『ちょっと、突然だと指がまわらないですねー。全然ダメでしたっ、ごめんなさい』
俺を含めたリスナーが感動の余韻に浸る中、演奏者のみあちゃんだけが納得いかないと苦笑いしていた。
今の演奏が全然ダメって、もはや意味がわからないよ!?
というかラ・カンパネラを普通に弾けるだけで凄いのに、感覚が麻痺しちゃってないかな?
ピアノ系配信者、そう聞くと俺みたいなおじさんは配信する為の道具としてピアノを使っているように思ってしまう。とても失礼な話だけど。
けれど当然そんな筈は無く。
世にいるピアノ配信をする人たちは皆、かつて血の滲むような努力をしてピアノと向き合ってきた人たちなんだ。
みあちゃんの今の演奏が一体どれだけの努力と根性の上に成り立っているのか、素人の俺には想像すらできなかった。
この演奏に、何か一言でも返したかった。
俺はコメント欄を開く。
いつもの『ひまりん』アカウント。……配信者同士だから、目立ってしまうかもしれない。
でも、この感動は伝えたい。
『人生で初めてクラシックを最後まで聴きました』
違う。
『すごく感動しました』
これも違う。
……なんだろう。
今の演奏を前にすると、どんな言葉も軽く思えてしまう。言葉にならないとはこの事だね。
しばらく悩んで、ようやく送信した。
『努力って、こんな綺麗な音になるんですね!』
一瞬だけコメントが流れを止めた。
『ひまりんっ!?』
『か、課長ぉぉぉ!』
『わかりみが深い』
みあちゃんもコメントを見つけたらしく、少し照れたように笑う。
『……あ、ありがとうございます!ひまりんさん』
良かった。
みあちゃん本人は納得のいかない演奏だとしても、ここにはその音楽で感動した人間がいたと伝えることができて。
『ひまりんと楽器コラボしたら?』
『楽器無理ならひまりんボーカルもあり』
『フォークギターとか弾けそう』
コメントが勝手に音楽コラボで盛り上がり出した。
ギターなんか弾けないよ!?
いや。弾けたとして、なんでフォークギター限定なのさっ!?
そこは普通にギターでいいじゃんっ。
『あ!それは凄く楽しそう。みんな、経験なければ今からでも楽器始めたら良いと思います。音楽は人生を豊かにしてくれますから』
みあちゃんは、先日のコラボメンバーで音楽配信する日を想像したのかとても楽しそう。
音楽は人生を豊かに、か。
さっきの演奏を聴いた後だと説得力が半端じゃない。
こんな良い子に楽器を勧められたら、ちょっとやらないと申し訳ない気分にさえなってくる。
『ひまりんボーカル?りあらちゃんとレイちゃんは?』
『ひまりんギター始めようぜ。こうせつ歌って』
『今からでも間に合う?』
『高校生になってからでも出来る?』
コメント欄は、既に音楽配信前提で盛り上がる。すると、みあちゃんは笑って頷いた。
「遅くないですよ。何かを始めるのに遅いなんてありません。一度きりの人生、やりたいと思ったらやればいいんです」
金言が返ってきた。
元社会人には、みあちゃんがとてつもなく眩しいと感じる。
『けーおん!のユイちゃんだって高校からギター始めたから大丈夫です!』
さらにみあちゃんが続ける。
けーおんのゆいちゃん??
アイドルグループ的な人だろうか。その人も高校からギター始めて上手くなったとかかな。
なら同じ高校一年の俺が今から始めても遅くはないのかもしれない。
『ひまりん課長と漫画のキャラは別っしょ笑』
『アニメのユイのギターはプロの音源だから……』
コメントを見るに、どうやらユイちゃんとは漫画のキャラクターだったみたい!?
……もっとも。現実にだってそう言う人はいるだろうけどさぁ。
もしもここで音楽を始めたとしたら。
学業、配信、ダンス、ギター。社会人時代よりも忙しくなりそうなので、やっぱりちょっと遠慮しておこうかな……なんて。
『みあたそ、一日何時間くらい練習してるの?』
コメント欄に流れた質問を見つけると、みあちゃんは「うーん」と少し考えてから答えた。
『学校がある日は二、三時間くらいですかねぇ。休日は六時間とか、それ以上弾いてる日もあります』
さらっと、とてつもない事実を告げた。
『六時間!?』
『才能じゃなくて努力だった』
『指壊れそう』
「六時間!?」
俺も画面の前でひとり、コメントとまったく同じ反応をしてしまった。
六時間以上弾いてる日もあるって、仕事なら四十五分の休憩取らなきゃ違法だよ!?
『でもね、全然足りないんですよー』
みあちゃんは照れくさそうに笑う。
『上には上がいますから。コンクールに出るような人だと、もっともっと練習してますし』
簡単に言うけど、六時間でも十分すぎるくらいだ。
俺なんてゲームを六時間やれと言われても集中が続かないのに、ピアノを六時間なんて途中で心が折れる自信しかない。
『やめたいって思ったことないの?』
コメント欄に流れた一言。
その質問だけは、みあちゃんもすぐには答えなかった。
少しだけ視線を落として考える。それから、いつものように柔らかく笑って
『ありますよ?日常茶飯事です』
あっさり。
あまりにもあっさりと。
『え!?』
『意外』
『みあちゃんでも?』
あれほど楽しそうに演奏するみあちゃんでさえ挫折するだなんて。
『コンクールで全然弾けなかった日とか、何時間練習しても上手くならない日とか。悔しくて泣いたことも何回もあります』
そう笑う横顔は、いつもの幼い印象とは違い少しだけ大人びて見えた。
『だから、辞めたいって思うこと自体は普通なんじゃないかなぁって』
そこで一度言葉を切り。
『でも、なんか不思議なんですよね』
みあちゃんは、グランドピアノへ優しく手を置いた。
『辞めたいって思った次の日でも、鍵盤に触るとやっぱりピアノ好きだなぁって思っちゃうんです』
その笑顔は、演奏していた時と同じくらい綺麗だった。
『だから私は、辞めたい日は休んでもいい。でも、好きまで辞めないようにしようって決めてます』
彼女なりのルールなんだろう、それが。長く続けるには、ピアノとの距離感が大切ということか。
『名言』
『泣いた』
『好きまで辞めない』
『その言葉刺さった』
俺も、画面を見つめたまま動けなかった。
努力する人って、もっと気合いや根性だけで前へ進むものだと思っていた。
けれど、違うんだ。
苦しい日も、嫌になる日もある。
それでも好きだから戻ってこられる。
だからあんな音が鳴るんだ。
前世で会社員をしていた頃。
辞めたいと思った日は数え切れないほどあった。むしろ、辞めたいと思わない日の方が少ない。
だけど、好きだから続けた仕事なんて一つも無かった気がする。
仕事をするのはお金のため。好きだから続けたわけじゃない。
逆に言うと。
みあちゃんは【ピアノが好き】って揺るぎない理由で、今の演奏までたどり着いたんだ。
「……すごいなぁ」
ぽつりと漏れた独り言は、誰にも届かない。
画面の向こうでは、みあちゃんがいつものように笑っていた。
『それじゃあ今日はこの辺で!みんな、聴いてくれてありがとうございましたっ!』
配信終了の画面へ切り替わる。
「……何かを続けるって、凄いなぁ」
そして、尊い。
静かになった部屋で、俺はさっきまで流れていた音を思い返していた。
【好きまで辞めないようにしよう】
その言葉だけは、不思議と心の奥へ静かに残り続けていた。