辺境惑星召喚――コロニストたちの異世界漂流記 作:ホゲフガ
第3章 第15話:残された海軍
**1.海軍なき王国の朝**
レイフォル王国の王都レイフォリア。
海軍省の重厚な作戦会議室には、濃密な敗北の臭いが立ち込めていた。
前日の『海上決戦』を生き延び、命からがら帰還した艦長たちからの報告は、王国首脳陣を絶望の底へ叩き落とすに十分なものだった。
『我が艦の主砲は無事でしたが、一度も敵艦の姿を視認できず、撃つことができませんでした』
『航空隊は敵を発見する前に、視界外から飛来した飛翔体によって空から消え去りました』
『姿の見えない何かが、海面すれすれを猛スピードで飛んできて、我が艦の舷側を打ち砕きました』
『戦艦レイフォルは浮いていますが、指揮能力と通信設備を完全に失い、戦艦としては機能しません』
すべての報告を聞き終えた国王ヒューエル一世は、深く、重い息を吐き出した。
「……海軍が力負けしたのではない。我が海軍は、戦う前に『目』と『腕』をもがれ、一方的に海を奪われたのだ」
ヒューエル一世は、事態の深刻さを正確に理解していた。大艦巨砲主義という彼らの軍事ドクトリンそのものが、グラ・バルカス帝国の異次元の戦闘システム(超水平線攻撃)の前に完全に陳腐化していたのだ。
だが、彼は決して『降伏の使者』を出そうとはしなかった。
「グラ・バルカスがまだ我々に、最終的に何を要求しているのかが明確ではないからな」
単なる賠償金か、軍備制限か、領土の割譲か、王室の廃止か、それとも国家の完全な属国化か。相手の最終目的と講和条件が分からない段階で白旗を揚げれば、国家の生存そのものを無条件で相手の慈悲に委ねることになる。
列強としての誇り以上に、国家の生存戦略として、それだけは絶対に避ける必要があった。
**2.軍事的勝利と政治的勝利**
一方、グラ・バルカス帝国海軍・第一機動艦隊の旗艦、航空母艦『トーラス』。
ラクスタル中将は、戦闘指揮所(CIC)で前日の戦果報告を淡々と確認していた。レイフォル海軍の主力艦隊は事実上無力化され、帝国の作戦行動を洋上で妨害する能力は完全に失われた。
「見事な勝利です、提督」
参謀が胸を張るが、ラクスタルは表情を変えずに尋ねた。
「レイフォル政府から、講和の使者は来たか?」
「いえ……。まだ、そのような通信は傍受しておりません」
ラクスタルは、少し黙り込んだ。
帝国軍は海上で圧倒的に強い。しかし、「軍事的な戦術勝利」がそのまま「政治的な戦争終結」に直結するわけではない。
数千万人規模の人口と広大な領土を持つ列強国家を、ただ艦載機やミサイルで沿岸の港を焼いただけで統治、あるいは屈服できるわけがない。
もしレイフォル全土を占領しようとすれば、莫大な歩兵による治安維持、食料配給、行政の再建、そして何より途方もない量の『燃料』と兵站線が必要になる。
慢性的な燃料不足を抱える転移直後の帝国にとって、それは絶対に避けたい泥沼だった。
「我々の目的はレイフォルを滅ぼすことではない。奴らに戦争継続能力がないことを物理的に証明し、講和のテーブルに引き摺り出すことだ」
ラクスタルは海図を見つめた。
「次は何を潰す? 敵の戦意を折るための、効果的な楔は……」
ラクスタルの視線が、海図上の一点に止まった。
「パガンダ王国。……レイフォルの保護国であり、今回の戦争の直接的な引き金を引いた国。そして、まだ『戦艦』を一隻保有している国だ」
レイフォル海軍が実質的に壊滅した今、パガンダの保有する旧式戦艦など取るに足らない存在だ。しかし、帝国からすれば「戦艦を持つ敵国が、自軍の後方に無傷で存在している」という事実そのものが、無視できない戦略的脅威となる。
「パガンダを完全占領して統治するつもりはない。だが、軍港を使わせず、艦隊を持たせず、こちらに逆らえない状態にすれば、それでいい」
ラクスタルは冷徹な命令を下した。
「当該海域で哨戒中の、攻撃型原子力潜水艦『ガーフィッシュ』へ超長波(VLF)通信。……パガンダ海軍が出撃した場合は、直ちに全艦を撃沈し、海上戦力を完全に排除せよ」
**3.王国を支える最後の艦**
パガンダ王国の首都。
絶対の宗主国であるレイフォルの海軍が壊滅したという凶報は、パガンダ国内を大混乱に陥れていた。
「あのレイフォル海軍が、たった一日で壊滅しただと!?」
「我々はどうなる! 帝国は必ず、直接の報復としてパガンダに攻めてくるぞ!」
「レイフォルが敗れた今こそ、我々は宗主国と運命を共にし、徹底抗戦すべきだ!」
悲鳴と強硬論が飛び交う王宮で、一部の海軍将校たちが声を上げた。
「恐れることはありません! 我々にはまだ、戦艦『サンセベリア』があります!」
パガンダにとって、かつてレイフォルから供与された十二インチ砲六門を搭載する前弩級戦艦『サンセベリア』は、単なる軍艦以上の意味を持っていた。それは「パガンダがレイフォルの庇護を受けるだけの弱小国ではなく、自前で国家の海を守る力を持つ主権国家である」という、独立と誇りの象徴だった。
「あの化け物相手に、レイフォルからのお下がりの旧式戦艦一隻で何ができると言うのだ!」
国王アニュンビス三世が怒鳴るが、ドグラスの息の掛かった強硬派の将校たちは引かなかった。
「陛下。戦わずに港で白旗を揚げれば、我々は最初から戦艦など持っていなかったのと同じです! それこそ国家の恥辱です!」
パガンダの海軍は、グラ・バルカスの本当の恐ろしさをまだ理解していなかった。
(帝国艦隊も、レイフォルとの過酷な戦闘でひどく消耗しているはずだ。少なくとも、我が国の近海を守り抜き、一矢報いることはできる!)
その悲壮な、しかし絶望的に見通しの甘い希望的観測のもと、パガンダ海軍は出撃を決定した。
魔導戦艦『サンセベリア』を中心とし、魔導巡洋艦一隻、砲艦二隻の計四隻。
それはパガンダに残された全水上戦力であり、国家の主権を賭けた決死隊だった。
**4.見えない海中の敵**
パガンダ軍港から数十キロ離れた深い海中。
グラ・バルカス帝国海軍の攻撃型原子力潜水艦『ガーフィッシュ』は、微速で静かに海中を潜航していた。
その時、ソナー室のスピーカーから、騒々しく規則的なスクリュー音が響いてきた。
「艦長。パッシブ・ソナーに感あり」
ソナー員が、極めて冷静な声で報告する。
「複数の大型艦、港外へ向かっています。……大型艦一、小型水上艦三。スクリュー音と推進機関のノイズ解析から、大型艦は戦艦級と思われます。隠密行動の意図なし。信じられないほどやかましい音源です」
「……パガンダ海軍か」
ガーフィッシュの艦長は、司令塔で静かに呟いた。
「馬鹿な連中だ。あの戦力の差を見て、まだ海に出てくるとはな。……機動艦隊司令部からの事前通達通り、攻撃を開始する。目標、パガンダ艦隊。全艦撃沈せよ」
パガンダの艦隊は、自分たちが狩られていることすら知らなかった。
海上では、パガンダ艦隊が戦闘航行隊形を組んでいた。砲艦二隻が前方を固め、巡洋艦が側面に付き、中央に戦艦『サンセベリア』が鎮座するという、古典的だが美しい単縦陣だ。
「敵艦隊はどこだ? 待ち伏せているのか?」
「空の見張りを厳にせよ! 敵の飛行機の影を逃すな!」
甲板の見張り員たちが、空と水平線を必死に睨みつける。レイフォル海軍を葬った「空の恐怖」に過剰な警戒を向けていた。
だが、彼らは致命的な間違いを犯していた。敵は水平線の向こうでも、空の上でもない。
すでに彼らの『真下』にいたのだ。
**5.一方的な狩り**
『第一、第二魚雷発射管、注水完了』
『目標、先行する砲艦二隻。有線誘導(ワイヤーガイド)セット。……撃て』
海中から、圧縮空気のくぐもった音と共に、二本の長魚雷が射出された。
数分後。パガンダ艦隊の先頭を進んでいた砲艦一隻の真下で、音響探信を頼りに接近した魚雷の弾頭が、磁気信管によって起爆した。
ズドォォォォンッ!!
海面が大きく盛り上がり、砲艦が船体の竜骨(キール)を真っ二つにへし折られて轟沈した。同時にもう一発の魚雷が、二隻目の砲艦の艦尾を完全に粉砕する。
「なっ、何事だ!?」
「前方の砲艦、一隻沈没! もう一隻も大破して航行不能です! 敵の姿は見えません!」
「空からの攻撃か!? いや、海が……水中から攻撃された!!」
パガンダ艦隊は完全なパニックに陥った。
続いて、側面を固めていた巡洋艦の胴腹に、三本目の魚雷が突き刺さった。巨大な水柱が上がり、巡洋艦は一瞬で炎に包まれて沈んでいく。一隻ずつ確実に狩られていく恐怖が、暗夜の海を支配した。
「海魔用の爆雷を投下しろ! 迎撃できないのか!」
戦艦『サンセベリア』の艦橋で、艦長が絶叫する。
「どこへです!? 敵の正確な位置が分かりません!」
パガンダには、古くから海に棲む巨大な海魔を攻撃するため、水中で爆発する『爆雷』が存在していた。しかし、彼らには海中の敵の音を聴き分ける水中聴音機(ソナー)という『目』がない。対潜兵器はあるが、敵を探知できないため、ただ闇雲に海へ爆薬を投げ込むことしかできなかった。
レイフォル海軍を葬ったのが『見えない空の敵』なら、パガンダ海軍を葬ったのは『見えない海中の敵』だった。
**6.戦艦の落日**
海上に、魔導戦艦『サンセベリア』だけが取り残された。
「どこから撃ってきている!?」
艦橋では怒号が飛び交うが、何もできなかった。
十二インチ砲六門の強大な火力も、分厚い装甲も、魔導防御も、海中の見えない暗殺者には一切牙を剥くことができない。
『目標、敵戦艦。第四魚雷、発射』
無慈悲な命令と共に放たれた魚雷が、『サンセベリア』の艦底部、スクリューのやや前方付近で炸裂した。
「ぐわぁッ!?」
激しい振動と共に、巨大な水柱が上がる。
「右舷後方艦底部に被弾! スクリュー軸損傷、推進力低下! 一部区画で浸水が始まっています!」
それでも、旧式とはいえ戦艦の装甲と隔壁構造はしぶとかった。
「まだ沈まん! 港へ戻れ! 全速退避だ!!」
艦長が血を吐くように叫び、傾いた『サンセベリア』は悲鳴を上げるような金属音を立てて逃走を図った。
だが、『ガーフィッシュ』の艦長は海中で冷酷に追跡を続けていた。戦艦としての頑丈さは、近代の非対称戦において戦場を支配する力にはならない。
『第五、第六魚雷、次発装填完了。……とどめを刺せ』
二本の魚雷が、一直線に逃げる『サンセベリア』の艦底部中央へ向かって接近し、最も致命的な深度で炸裂した。
大爆発が起き、膨大な水圧と爆発エネルギーが艦底を根本からへし折った。パガンダ王国の誇りであり、主権の象徴であった最後の戦艦は、大音響と共に横転し、為す術もなく暗い海底へと引きずり込まれていった。
**7.戦意崩壊と、新たな戦場**
翌朝。
グラ・バルカスの旗艦『トーラス』にて、ラクスタル中将は短い報告を受けた。
「パガンダ海軍、全滅しました。戦艦一、巡洋艦一、砲艦二。全艦撃沈です」
「……そうか」
ラクスタルの顔に、喜悦の色はなかった。当然の事務的な処理作業が終わったに過ぎない。
「ならば、パガンダにはもう我々に対抗できる海上戦力はないな」
ラクスタルは直ちにパガンダ王国へ、以下の要求を送りつけた。
『全軍の武装解除。海軍の活動停止。港湾への帝国軍監視要員の受け入れ。以前の事件に関係した全軍人の処罰。我が帝国軍への補給・寄港の許可』
パガンダは、完全に戦意を喪失した。
レイフォル海軍が敗れ、「ならば我々が」と出撃した最後の希望『サンセベリア』が、敵の姿すら見ないまま全滅したのだ。もはや、抵抗する気力など微塵も残っていなかった。
パガンダ政府は戦争継続を断念し、これら実質的な軍事的従属を含む「停戦交渉」を受け入れる意思を帝国へと表明した。
――その報告は、ただちにレイフォルの王都にも届いた。
「パガンダ海軍、全滅……」
ヒューエル一世は、玉座で報告書を握り締めた。
「何隻だ?」
「戦艦一、巡洋艦一、砲艦二。全てです。……敵艦を一隻も視認することなく、海中から沈められたとのことです。現在、パガンダは帝国との停戦交渉に入っております」
ヒューエル一世は、そこで初めて「これはレイフォルだけの問題ではない」と悟った。
自分たちの海軍は、空からの見えない攻撃で壊された。パガンダの海軍は、海中からの見えない攻撃で壊された。
海に出れば、グラ・バルカスの方が確実に先にこちらを見つける。そしてこちらは、敵の姿を見る前に殺されるのだ。
「……海は、もう我々の戦場ではない」
ヒューエル一世は、忌々しそうに海図を睨みつけた。
海軍という、レイフォルを帝国から守る最大の盾は、完全に粉砕された。
だが、それでも彼は降伏を口にはしなかった。
「海を失ったのなら、陸で戦う。それだけのことだ」
王の視線が、海図の青い領域から、ゆっくりと内陸へと移る。
そこには、レイフォル王国の広大な国土と、無数の都市、要塞、そして手付かずの陸軍基地が描かれていた。
戦争は、まだ終わっていない。