辺境惑星召喚――コロニストたちの異世界漂流記 作:ホゲフガ
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## 閑話3-2:新たな海へ
### 1.一つの港に依存する企業
戦力強化計画の棚卸しから数日後。エストシラント近海に停泊する《プロスペリティ》の会議室では、今後の事業基盤と活動地域の選定をめぐる議論が交わされていた。
テーブルを囲むのはタドコロ、ミウラ、キムラ、イレーヌ、そしてスカルバーグの五名である。
議論の発端は、先日の会議で確認された無人艇や航空機、衛星網といったアセットの拡充と、それを実際の事業や外交にどう結びつけるかという問題だった。
「戦力の整備自体は計画通り進んでいる。だが、機材の数だけをいくら増やしても解決しない問題があるぞ」
ミウラが海図を示しながら切り出した。
「無人機や小型艇の航続距離には限界があるし、遠隔地で何か起きたとき、現地の事情や海象、港湾のルールを知らなければ判断が遅れてしまう。整備や補給の足場も必要だ」
「情報面でも同じことが言えます」
キムラが端末の画面を切り替えながら補足した。
「衛星による観測や通信能力は向上しましたが、上から船の動きは見えても、現地の政治的な意図や国家間の水面下の交渉までは読み取れません。情報を得る手段が増えても、現地の情報源や直接の連絡先がなければ、データの解釈を誤る危険があります」
軍事と情報の両面から出された課題を受け、財務・生産管理を担うスカルバーグが経営面からのリスクを提示した。
「現在の我々の活動基盤は、取引先も外交窓口も、その大半がこのパーパルディア皇国周辺に偏っています。事業の初期段階なら集中投資が合理的でしたが、ここまで規模が拡大すると、一つの地域にすべてを依存するのは極めて危険です。もし皇国政府の政策が変わったり、また周辺で大規模な地域紛争が起きたりすれば、コホートの事業全体が麻痺しかねません」
スカルバーグは試算データをスクリーンに映し出した。
「他地域に新たな活動拠点を築けば、初期費用も維持コストも増えます。ですが、一つの国家の都合に我々の活動を制限されるリスクを減らすためには、基盤の分散が不可欠です」
「私たちの活動範囲は広がっているわ。でも、活動を支える基盤は、まだ一つの地域に偏っている」
タドコロはスクリーンを見つめ、静かに言葉を重ねた。
「そこで、次の足場として『ムー国』との関係構築を進めたいの」
単に「大国だから取引したい」という思惑ではなかった。
第二文明圏の覇権国家であるムーは、活発な大陸間貿易によって富を蓄積しており、高度な工業力と整備された港湾機能を持っている。
さらに、ムーの南西方には、現在グラ・バルカス帝国による王都占領で分断状態にあるレイフォル王国が位置している。
レイフォルの混乱と港湾占領が長期化すれば、第二文明圏全体の通商網や海上交通にも影響が及ぶことは避けられない。ムーに足場を持つことは、新たな経済圏へ接続すると同時に、西方の不安定な国際情勢を最も近い位置から多角的に観測する意味も持っていた。
「ムーは大陸間貿易の中心であり、西方の情勢にも敏感な位置にあります。商談の相手としても、情報交換の相手としても、接触する価値は十分にありますね」
外交担当のイレーヌが賛意を示しつつ、慎重に付け加えた。
「ただし、向こうが私たちをどう評価するかは別問題ですが。企業側が一方的に条件を並べるのではなく、ムー側にとっても明確な利益を提示する必要があります」
「それでいい。こちらの都合だけで動くつもりはないわ。相手が何を求めているかを知るところから始めましょう」
タドコロは頷き、ムー政府との外交・通商交渉に向けた基本目標を定めた。
求めるのは軍事同盟でもなければ、ムー軍への安易な兵器売却でもない。コホートの事業活動に関する許認可と法的地位の確認、通商・物資調達・技術協力の可能性の検討、相互に利益のある情報交換の仕組みづくり、そして緊急時の連絡経路の確保――まずは実務的な足場を固めることが決定された。
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### 2.不在の代償
ムー大陸へ向かう方針が決まった直後、次なる議題となったのは「《プロスペリティ》が離れた後のパーパルディア皇国をどうするか」であった。
「《プロスペリティ》はうちの戦力と生産の中核だ。この巨大な船がエストシラントの沖に浮かんでいるという事実そのものが、うちの事業を邪魔しようとする連中や、皇国内の不穏分子に対する最大の抑止力になっている」
ミウラは険しい表情で指摘した。
「その本艦が長期間ここを離れれば、皇国内の反コホート派や、混乱に乗じて利益を得ようとする勢力が好機と見て動き出す可能性は否定できないぞ」
もちろん、コホートは何でも監視でき、あらゆる危機を即座に救援できる万能の守護者ではない。だからこそミウラは、エストシラントに常設の連絡・運営拠点と直通通信網、無人監視機材を残したうえで、不在時の対応範囲を三つの段階に明確に区分する案を提示した。
「第一に、契約上のトラブルや通常の外交連絡、情報収集、軽微な治安問題といった日常事案は、現地の残留拠点と皇国側の連携だけで処理する。
第二に、港湾や交通路の異常、拠点に対する限定的な妨害、取引先との緊急調整が必要な事案については、衛星通信と無人機を用いた遠隔支援で対処する。
そして第三に、《プロスペリティ》の再展開を検討するのは、うちの中核拠点に対する重大な武力攻撃や、現地要員の生命が大規模に脅かされる事態、あるいは事業基盤そのものが崩壊しかねない危機が発生した場合に限定する」
「妥当な線引きですね。残していく監視網を過信するのは禁物ですから」
キムラが頷いた。
「衛星や無人機で港の異常を探知できても、その背後にある政治的な動機や首謀者を即座に特定できるとは限りません。現地でできることとできないことの境界を最初から引いておくべきです」
「現地拠点を維持する費用は掛かりますが、《プロスペリティ》をいつまでもエストシラント近海に縛り付けておく機会損失に比べれば、はるかに合理的です」
スカルバーグも財務の観点からこの案を支持した。パーパルディア皇国を完全に守るために本艦を留め置くのではなく、コホート自身の事業を継続できる体制を残して出発する方針が固まった。
翌日、タドコロはエストシラントの庁舎を訪れ、皇国の外交実務を牽引するレミールと向き合っていた。
「――ムー大陸へ? 《プロスペリティ》ごと移動するということなのね」
タドコロから説明を受けたレミールは、驚いたように眉を動かしたが、すぐにその戦略的な意味を理解した。
「ええ。先進国会議での合意もあるし、私たちの事業と情報網を広げるためには、第二文明圏にも直接の窓口が必要なの。もちろん、エストシラントの事業所と連絡網はそのまま残すし、これまでの契約や物流支援が止まることはないわ」
レミールは少しの間黙り込み、窓の外に見える海へと視線を向けた。
コホートが活動の幅を広げること自体は理解できる。しかし、あの巨大な船が近海から姿を消すとなれば、政治的な重みはまったく違ってくる。
「……あの船がいなくなれば、皇国の内外で『コホートの後ろ盾が薄れた』と見る者も出るでしょうね。これまで以上に、私たち自身が対処しなければならない問題が増えることになるわ」
「そうなる可能性はあるわね」
タドコロは曖昧な慰めを言わず、不在時の対応区分についても率直に伝えた。
「コホートはパーパルディア皇国の安全を恒久的に保証する保護者じゃない。現地の拠点に対する直接の重大な攻撃でもない限り、本艦をすぐに呼び戻すこともできないわ。必要な連絡や契約に基づく協力は維持するけれど、皇国内で起きるすべての危機に私たちが即応すると約束することはできないの」
冷徹なまでの線引きだった。
レミールの胸中に、わずかな不満と不安がよぎる。だが同時に、彼女はカルトアルパスでの日々を経て、現実を受け止める強さも身につけていた。他者の軍事力に国の安定を委ね続けることなど、どのみち主権国家としてあり得ない姿なのだ。
「……ええ、分かっているわ。あなたたちの船を、いつまでも皇国の防波堤として当てにするつもりはない。自分たちの国の秩序は、自分たちで維持してみせるわよ」
レミールは背筋を伸ばし、タドコロを見据えた。
全面的な納得ではない。理解と不安が同居するその緊張感こそが、コホートとパーパルディアが「保護する側とされる側」ではない実務的な関係へと進み始めた証でもあった。
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### 3.西へ向かう巨艦
出港の日。《プロスペリティ》は十分な安全距離を確保した沖合で海面を離れ、重厚な稼働音とともに高度を上げて針路をとった。
エストシラントの港や沿岸の街では、多くの住民や港湾労働者たちが足を止め、遠ざかっていく暗灰色の巨影を見上げていた。
かつて恐怖の象徴として現れ、戦後は復興物資と新たな技術をもたらす拠点としてそこにあり続けた巨大な船。その船影が水平線の彼方へと消えていく光景は、大々的な式典こそないものの、この地に暮らす人々に一つの時代の区切りを強く印象づけていた。
一方、巡航速度に入った《プロスペリティ》の艦内では、感傷とは無縁の慌ただしい日常業務が続けられていた。
防衛部門のミウラは、航行中の警戒体制を指揮しながら、残留させたエストシラント拠点との通信テストと、到着後の無人艇・偵察機の運用計画を詰めている。
キムラは情報分析室にこもり、先進国会議後の各国の動向と、これから向かうムー周辺の航路情報を整理していた。
イレーヌはムー政府へ提出する交渉項目の文言を何度も推敲し、スカルバーグは現地での物資調達の可否や滞在コストの再計算に余念がない。
ブリッジで各部門からの定時報告を受けていたタドコロは、改めて自社の現在地を噛みしめていた。
先日の会議で確認した通り、コホートの戦力とインフラは発展途上にある。軌道上の衛星はまだ惑星全体を常時監視できるほどの網にはなっておらず、無人艇も母艦から遠く離れたあらゆる海域で独立して動けるわけではない。有人航空機を飛ばすにも、操縦者と整備員、補給と訓練のサイクルを絶えず回し続けなければならない。
「各部門とも、移動そのものが順調だからといって気を緩めないでちょうだい」
タドコロは艦内回線を通じて幹部たちに念を押した。
「私たちの目的は、ムーの海に船を浮かべることじゃない。現地で持続的に事業と情報収集を回せる関係と体制を作ることよ」
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### 4.ムーという国家
ムー大陸が近づくにつれ、《プロスペリティ》の情報分析室では、相手国に関するより深いブリーフィングが行われていた。
「ムー国は第二文明圏における最大の国家であり、神聖ミリシアル帝国に次ぐ国力を持つ超大国です」
キムラはスクリーンにムー大陸の地図と、これまでに集めた政治・歴史データを表示させた。
「政治体制は永世中立と民主主義を掲げていますが、単なる合議制ではありません。国家元首である国王『ラ・ムー』を戴いており、有事や大恐慌、大災害といった国家の存亡に関わる危機に際しては、議会から国王へと強大な権限を集約する制度を持っています」
「平時は民主的な通商国家として柔軟に動き、危機にはトップダウンで迅速に意思決定を行う仕組みね。合理的だわ」
タドコロが頷くと、キムラは次の資料を開いた。
「さらに興味深いのは、彼らの歴史です。ムーには『約一万二千年前に、異世界である地球から大陸ごと転移してきた』という記録が残されています。他国からは長らく神話の類と見なされてきましたが、ムー自身はこれを正式な歴史として記録し、魔導ではなく科学技術を基盤とした文明を発展させてきました」
タドコロにとって重要だったのは、ムーが地球由来であるというロマンそのものではなく、その歴史が育んだ国家の性質だった。
「一万二千年もの間、魔法が支配するこの異世界で国家を維持してきたということね?」
「はい。転移直後には様々な種族から侵略を受け、かつての国土の一部を失った苦難の歴史もあるようです。現在のムーは多種族国家であり、長い年月のなかで混血が進み、ハーフやクォーターも数多く暮らしています。温和な国柄とされる一方で、科学文明を守り抜いてきた国家としての強い誇りを持っています」
キムラは「ムーは、僕たちが知る限り、単なる地域大国ではありません。長期間にわたって異なる文明と接触し、国家として生き残ってきた実績があります」と結論づけた。
「なら、こちらの事情や技術の価値も理解してもらえる可能性はある。ただし、こちらを理解することと、こちらに協力することは別だわ」
続いてキムラは、ムーの経済地図と西方国境の周辺図を拡大した。
「ムーの経済的な強みは、大陸内貿易と大陸間貿易です。特に南東部の『マイカル』は国内屈指の港湾・商業都市であり、近隣の『オロセンガ』は大規模な工業都市として機能しています。現在、マイカルには日本企業も多数進出しています。また、地理的に見ても、ムーは西方のレイフォル王国と隣接しているため、グラ・バルカス占領地域の動向や貿易への影響に関する情報が最も集まりやすい場所でもあります」
「首都のオタハイトへいきなり乗り込むより、まずは商業窓口であるマイカルで外務省と実務協議を始める方が自然ね」
タドコロの判断に、イレーヌも頷いた。
「ええ。日本との関係が良好で、外国企業を受け入れる制度が整っているのは追い風でしょう。でも、私たちは日本ではありません。最初から同じ扱いを期待するのは危険です」
「その通りね。向こうが私たちに何を求め、何を警戒しているのか、まずは聞くところから始めましょう」
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### 5.マイカルの窓口
数日後、《プロスペリティ》はムー国南東部の商業都市マイカルの近海へと到着した。
巨大な船体と反重力機関が港湾に与える影響を考慮し、本艦は沖合の指定海域に停泊した。そこから小型シャトルを使って、タドコロとイレーヌら交渉団がマイカルの港湾地区へと向かった。
上空から見下ろすマイカルは、活気にあふれた商業港だった。煙を上げる大小の商船が行き交い、埠頭には倉庫群と工場施設が並んでいる。その沖合に現れた五百メートル超の《プロスペリティ》は、当然ながら港の人々の注目を集めていた。
マイカルの外務省分室に設けられた協議室でタドコロたちを出迎えたのは、本省から派遣された実務交渉担当官、コゼットであった。
彼女の役割は、この場で大きな条約をまとめることではない。コホートの要求を聞き、ムー側の利益とリスクを評価し、政府内で検討できる判断材料を持ち帰ることだった。
「遠路はるばるようこそ、コホート・コーポレーションの皆様。ムー外務省のコゼットと申します。本日は、貴社が我が国に何を望んでおられるのか、率直なところをお伺いできればと思います」
コゼットの問いかけに対し、タドコロは初回協議における基本方針を明快に伝えた。
「私たちが求めているのは、ムー国内での事業活動に関する許認可と法的地位の確認、通商・物資調達・技術協力の可能性の検討、そして緊急時の連絡経路の確保です。軍事同盟や兵器売却を求めているわけではありません。また、先日の国際会議で合意された情報交換についても、実務的な仕組みを協議したいと考えています」
コゼットはタドコロの言葉をメモに書き留めると、眼鏡の奥の瞳をまっすぐに向けて問い返した。
「趣旨は理解いたしました。ムーは通商を歓迎します。しかし、通商の自由と、国内での軍事活動の自由は同じではありません。貴社は単なる商社ではなく、沖合の艦をはじめとする強力な武装能力を保有しておられます。永世中立を掲げる我が国としては、いくつか事前に確認しておかねばならない点があります」
コゼットは指を折りながら、ムー政府が抱く三つの懸念を具体的に挙げた。
「第一に、貴社はムーの領内や領海内において、自社の武装戦力をどこまで運用するおつもりなのか。
第二に、もし貴社が今後、第三国と武力衝突に至った場合、貴社の拠点があるという理由でムーの港湾や施設が他国の攻撃対象にされる危険はないのか。
そして第三に、貴社がムー国内の窓口を通じて収集した情報を、第三国との紛争や軍事行動にそのまま利用する可能性はないのか。……中立国として、他国の軍事的対立に意図せず巻き込まれる事態は絶対に避けねばなりません」
核心を突く、極めてまっとうな警戒だった。
イレーヌがまず穏やかに口を開いた。
「そのご懸念は当然です。私たちも、ムー政府の許可なく活動範囲を拡大したり、貴国の領海内で勝手に軍事行動を起こしたりするつもりは一切ありません」
続いてタドコロが、明確な姿勢を示した。
「こちらが求めているのは、ムーにおいて『何をしてよくて、何が許されないのか』という境界と責任範囲を最初に文書で明確にすることです。もし私たちが他国と紛争状態に入った場合、ムーの港湾に武装艦艇を逃げ込ませるようなことはしませんし、ムー政府から提供された情報の取り扱いについても、合意した利用制限を厳守します。曖昧なまま活動して、後から問題になるのは双方にとって不利益ですから」
コゼットはタドコロの受け答えをじっと見定め、やがて小さく頷いた。
「それなら、交渉の余地はありそうですね。貴社が主権と手続きを重んじる相手であることは確認できました。ただし、最終的な判断には政府内の調整が必要です。まずは貴社の具体的な活動内容と、法的な責任範囲に関する資料をご提出いただけますか」
初回交渉は、成功とも失敗とも言い切れない現実的な着地点で終わった。ムー側は要求の検討を約束し、両者は通商と情報交換を中心に協議を継続することとなった。
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### 6.中立国の分析官
マイカルで実務協議が始まった頃、ムーの首都オタハイトにある軍参謀本部でも、コホートの来訪をめぐる議論が交わされていた。
情報分析部門の執務室で、分析官のマイラス・ルクレールは、カルトアルパス襲撃事件の報告書と、マイカル沖に停泊する《プロスペリティ》の観測写真を見比べていた。
「……外務省のコゼットからの報告を読んだよ。あのコホートの代表、我々の中立原則や領海内の制限について、ずいぶん物分かりのいい回答をしたそうじゃないか」
「ああ。だが、言葉通りに受け取って安心するわけにはいかんだろう」
執務室の机の向かいに立つ友人の参謀、ラッサン・デヴリンが慎重な口調で応じた。
「彼らが単なる商業活動だけでなく、国際情勢に関する情報交換を強く求めている点が気にかかる。情報交換自体は有益だが、彼らがどの程度の情報を求め、何を対価として出せるのかを見極めなければ、不用意に彼らの活動へ巻き込まれかねん」
マイラスは頷き、机上に広げられていた西方の隣国――『レイフォル王国』の情勢資料に視線を落とした。
大陸間貿易を行うムーにとって、隣国レイフォルの分断とグラ・バルカス帝国による港湾占領は、自国の海上交通と地域安全保障に直結する重要な問題として日々注視されていた。
「コホートが最も関心を持っているのも、間違いなくこのレイフォル情勢だろうな」
マイラスは地図上の王都レイフォリアと、内陸のレイリングを指でなぞった。
「内陸ではヒューエル一世の正統政府が存続し、沿岸のレイフォリアではグラ・バルカスが旧宰相ゴードンを利用した傀儡政権の樹立を検討している。軍事的な占領と政治的な支配が並行して進んでいる状態だ。……だがラッサン、グラ・バルカスが首都と港湾を押さえているのは軍事的には優位でも、正統政府が生きている限り、占領の維持には統治と補給、住民への対応という重い負担が伴う」
マイラスは目を細め、分析官としての仮説を口にした。
「もし、ここにコホートのような外部の有力な主体が関与して正統政府側が息を吹き返せば、グラ・バルカスの占領維持コストを一気に引き上げられる可能性がある。帝国がこれ以上西方の支配を固めるのを防ぐという意味では、面白い盤面になるかもしれんぞ」
「待て、マイラス。それは危うい見方だ」
ラッサンは即座に反論した。
「仮にコホートが動いてグラ・バルカスの負担が増えたとしても、その結果として地域の軍事的緊張が再び高まり、周辺の航路が戦火に脅かされてムーの貿易に損害が出るなら、我々にとっては成功とは限らない。ムーは永世中立国だ。情報を得て分析することと、他国の紛争へ介入したりそれを煽ったりすることは、明確に分けて考えるべきだ」
「……まあ、参謀本部の立場としてはそうなるよな」
マイラスは肩をすくめた。
「もちろん、ムーがレイフォル問題に介入すべきだと言っているわけじゃないさ。ただ、占領が長期化したときにグラ・バルカスがどれほどの負担を負うのか、そしてコホートがどう動くのかを正確に分析するためにも、彼らとの情報交換は軍事・外交の両面から検討する価値があるはずだ」
双方がそれぞれの国益と原則から、同じレイフォルという火種を見つめていた。
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### 7.介入しない場合のコスト
マイカルでの初回協議を終えたタドコロは、《プロスペリティ》の会議室で各部門から報告を受けていた。
ムーとの交渉は継続できる見込みとなったが、具体的な協力の範囲はまだこれから詰める段階にある。一方、キムラはムー側との接触や周辺の通商情報から得られた、レイフォルの分断とグラ・バルカスの占領に関する分析を提示した。
タドコロは、レイフォル問題を「助けるべきか、助けないべきか」という道徳的な二択ではなく、複数の選択肢を比較する経営・戦略上の問題として扱った。
「まずはキムラ。私たちがこの問題に介入しない場合のリスクから報告して」
「はい」
キムラは西方の情勢図を表示した。
「占領がこのまま長期化すれば、レイフォルの政治的な分断が固定化される可能性があります。王都に傀儡政権が成立した場合、将来の通商関係や契約の正当性が常に不安定になるでしょう。また、グラ・バルカスが占領を通じて主要な港湾や交通路を支配し続けるなら、コホートの活動範囲や将来の交渉環境にも悪影響が及ぶ恐れがあります」
それらは確定した未来ではないが、無視できない分析上のリスクだった。
「続いて、介入した場合のコストね。スカルバーグ」
「極めて大きくなります」
スカルバーグは試算表を示した。
「人員と装備の投入、長距離の輸送・補給・整備の負担はもちろん、グラ・バルカスとの軍事的対立を招くリスクがあります。さらに、中立を重んじるムーや他国との外交関係への影響も避けられませんし、何より戦後の復興や統治支援まで求められる可能性があります。介入が長期化すれば、他地域での事業や軍備増強計画に確実な支障が出ます」
「軍事面の実務からも補足するぞ」
ミウラが腕を組んで言った。
「うちは高度な技術を持っているが、広範囲の占領地を管理するための大規模な地上軍を持っているわけじゃない。レイフォルの主権回復を支援することと、レイフォル全土をうちの軍事力で管理することは別問題だ」
「軍事的に勝てるかどうかだけなら、比較的簡単に答えは出せるでしょう。でも、それだけでは意味がないわ」
タドコロが言うと、ミウラも「ああ。勝った後に何をするのか、という問題だな」と頷いた。
「そうよ。占領軍を追い出しても、統治する人間がいなければ、そこに残るのは混乱だけ。私たちがレイフォルを直接統治するわけにはいかないわ」
スカルバーグが静かに言葉を添えた。
「介入しない場合の損失も、計算に入れるべきでしょう。何もしないことも、選択の一つですから」
「ええ。ただし、何もしなかった結果についても、責任を持って評価する必要があるわ」
タドコロは結論を下した。
「現時点では、レイフォル問題への本格介入は保留するわ。まずは内陸の正統政府がどの程度の統治能力を持っているのか、グラ・バルカスがどのような条件なら撤退を選択し得るのか、そして他国がどこまで協力する意思を持っているのかを確認する必要がある。正統政府との接触と現地情勢の調査を進めなさい」
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### 8.新たな海へ
その後も《プロスペリティ》はマイカル近海にとどまり、コゼットとの実務協議が続けられた。通商や活動許認可について、ムー政府がどのような条件を提示してくるのかを待ちながら、コホート側は具体的な事業計画の調整を進めていた。
一方、キムラからは、レイフォル問題についてさらなる追加情報が必要であると報告が上がっていた。現時点で把握できているのは、王都の占領状況と正統政府の存続、そして傀儡政権構想の大枠までだ。今後どのような判断を下すにせよ、現地の内情と各国の利害をさらに深く把握しなければならなかった。
夕暮れ時。タドコロは展望デッキの手すりに歩み寄り、イレーヌ、キムラとともにマイカルの港を見下ろしていた。
「ムーとの交渉がまとまれば、私たちの活動範囲は確実に広がります。ただ、レイフォルの問題まで引き受けることになるかは、まだ分かりませんね」
イレーヌの言葉に、タドコロは静かに応じた。
「引き受けるかどうかは、これから決めるわ。今は判断に必要なものを集める段階よ」
タドコロの視線の先では、夕陽に照らされたマイカルの海を無数の商船が行き交い、埠頭では荷物が次々と積み下ろされていた。様々な国の資源と製品、そして人間の営みが、この港を通じて網の目のように結びついている。
コホート・コーポレーションが目指しているのも、こうした取引と活動の網の中で、誰にも従属しない独立した立場を確保することだった。
だが、港を出入りするあの商船の一隻一隻が安全に海を渡れるのは、航路の向こうにある国々の政治的な安定があってこそだ。
西方の隣国レイフォルで起きている分断は、コホートにとって直接の戦争ではない。しかし、あの海と港が誰の手に握られ、どのような秩序で動かされるのかという問題は、放置すれば確実に、これからコホートが築こうとしている事業環境そのものを塗り替えてしまうだろう。
タドコロはまだ答えを出さない。
ただ、次に必要なのは情報を集めることだけではなく、その情報をもとに「何を選び、どのリスクを引き受けるのか」を決断することなのだと、潮風のなかで静かに理解していた。
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