辺境惑星召喚――コロニストたちの異世界漂流記 作:ホゲフガ
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第4章 第6話:交渉の向こう側
**1.ゴードンの仲介**
渓谷の検問所で発生した輸送隊の銃撃事件から、数日が経過した。
事後の実務折衝によって、グラ・バルカス軍に押収されていた民間のトラックや荷馬車は順次持ち主へと返還されたものの、積荷であった穀物や医薬品は「検査および証拠確認」の名目で依然として検問所の倉庫に留め置かれていた。
輸送計画が中断したままでは、農村部で余っている穀物を難民が待つ内陸の都市部へ届けることはできない。
配給の遅れによって現地の住民の不満は日増しに高まっていたが、同時にコホート・コーポレーション側も深刻な問題を抱えていた。
現地の運送業者たちが、「今後も検問所で同じような銃撃事件が起きるなら、怖くて契約は続けられない」と訴え始めたのである。
治療費や休業補償を支払うといった金銭面だけで解決できる問題ではなかった。
実際に銃弾が飛び交い、御者の命が危険に晒される状況が続くのであれば、彼らに輸送協力を求めること自体が成り立たなくなる。
事態を打開するため、渉外部長のイレーヌは王都レイフォリアへ赴き、元宰相ゴードン・ランカーを介して占領統治司令官ファンターレ将軍との直接協議を申し入れた。
占領後のレイフォル社会とグラ・バルカス軍の双方の内情を知るゴードンは、単に会談の場を取り持つだけでなく、占領軍が今何を最も警戒しているのかを見極めるうえでも欠かせない仲介者であった。
旧政府庁舎の特別会議室で開かれた三者協議の争点は、ファンターレが打ち出した『条件付き輸送許可制度』の具体的な運用規定であった。
「私どもコホートとしては、輸送品目の一覧と大まかな運行経路を事前に司令部へ提出することには同意いたします」
イレーヌは落ち着いた声で切り出し、用意した合意案の文書を提示した。
「ですが、取引先である個々の農家や商人の詳細な個人情報、ならびにレイリング政府内部の物流管理データまで占領軍へ無条件に開示することはいたしかねます。また、検査を理由とした無期限の輸送停止や、現場の検問兵の判断による恣意的な車両・物資の接収も認められません。検査のための待機時間には明確な上限を設け、万が一物資の留置を行う場合には、文書による明確な基準の提示と損害補償を求めます」
向かいに座るファンターレ将軍は、腕を組んでイレーヌを鋭く見返した。
「イレーヌ殿。我が軍としても、民間の商取引をむやみに妨害したいわけではない。だが、軍事施設や部隊の移動経路に近づく輸送隊の動向を正確に把握しておくことは、占領軍として譲れぬ安全保障上の一線だ」
ファンターレは机の上に手を置き、低い声で続けた。
「貴社が民間人を助けようとしていることは理解している。しかし、善意や商取引で運ばれた物資が、結果として我が軍を攻撃するための力になった場合、軍司令官である私はそれを見過ごすことができない。食料や医薬品が内陸のレイフォル軍部隊へ横流しされ、彼らの継戦能力を支える兵站になっている可能性を、どうやって否定できるのかね?」
「私たちは、軍事物資を民間支援の名目で運ぶような真似はいたしませんし、支援物資が軍へ転用されないよう受領先まで独自の監査体制も敷いています」
イレーヌは真っ直ぐに応えた。
「ですが将軍、レイフォル政府の許可を得て行う純粋な民間物流まで、占領軍の軍事的な都合だけで一方的に制限されることには反対いたします。民間の食料流通まで潜在的な軍事活動と見なして止めれば、この国の経済は完全に干上がってしまいます」
両者の主張が正面からぶつかり合うなか、仲介役として同席していたゴードンが静かに口を開いた。
「将軍、イレーヌ殿。双方が最も恐れておられるのは、現場での『不確実性』でありましょう。ならば、コホート側は指定された幹線道路の通過時間帯を厳守し、積荷の検査と鉛の封印を出発地の行政窓口および軍の立会官の下で事前に受ける。その代わり、占領軍側は事前確認済みの封印が維持されている車両に対し、途中の検問所での荷降ろしや車両の留置を行わない――という手続きで線を引いてはいかがかな」
出発地での事前封印によって途中の検問摩擦をなくすというゴードンの現実的な折衷案に、ファンターレもイレーヌもすぐには首を縦に振らなかったが、交渉のテーブルを蹴ることもなかった。
ファンターレはコホートを最初から絶対的な敵と決めつけているわけではなく、イレーヌもまた、占領軍が抱える防諜・安全保障上の懸念自体は理解していたからだ。
この日の協議では全面的な合意には至らなかったものの、一定の条件のもとで支援輸送を再開するための「暫定的な枠組み」について、実務レベルで協議を継続することで双方は一致した。
しかし、彼らが言葉と制度によって慎重に妥協点を探っていたまさにその裏で、交渉の前提そのものを根底から揺るがす火種が動き出そうとしていた。
**2.アニュンリール皇国からの荷物**
同じ頃、内陸の臨時首都レイリング。
夜間、厳重な警戒が敷かれた軍の倉庫の一角に、第三国の商業仲介者を経由して運び込まれた数個の木箱が到着していた。
中に入っていたのは、アニュンリール皇国から秘密裏に送られた『特殊な魔法触媒』の試供品であった。グラ・バルカス帝国による西方での勢力拡大を警戒し、また内陸の魔石鉱山の利権を狙う皇国側が、レイフォルが当面の抵抗能力を維持できるかどうかを見極めるために送り込んだ限定的な量の試料である。
翌日、軍の技術官からその報告を受けた国王ヒューエル一世は、険しい表情で厳命を下した。
「その触媒は、軍の技術研究施設で厳重に保管し、成分と安全性の基礎検証にとどめよ。決して前線の実戦部隊へ配備してはならぬ」
ヒューエルとて、占領軍への抵抗そのものを放棄したわけではない。しかし、現在のレイフォル軍には、グラ・バルカス軍と正面から戦って勝利を収められるだけの戦力も補給能力もない。
出所不明の少量の触媒を手に入れたところで、今すぐ戦略的な大勢が覆るわけではないのだ。いまレイフォルに何より必要なのは、コホートの物流支援などを通じて経済と行政を立て直し、国力を回復するための「時間」であった。
だが、軍の内部には、王のその慎重さを「敗北への緩慢な屈服」と受け止める者たちがいた。
「――時間を稼ぐだと? 笑わせるな。我々が手をこまねいている間に、レイフォリアでは共和国なる傀儡政権の準備が進み、占領軍は境界線に軍需物資を積み上げているではないか!」
その夜、レイリングの陸軍司令部の一室で、強硬派筆頭であるガロ将軍は、腹心の将校たちを前に低い声で吐き捨てた。
歴戦の野戦指揮官であるガロにとって、王都を占領され、国土をじわじわと侵食され続けている現状は耐えがたい屈辱だった。
外交交渉や物流の協議をいくら重ねたところで、グラ・バルカス軍が自発的にレイフォルから撤退する保証などどこにもない。そもそも、あのコホート・コーポレーションという外国企業の支援とて、レイフォルを救うためのものなのか、それとも新たな経済的従属を生み出すための罠なのか、ガロには確信が持てなかった。
「昨日の演習場での試射実験の結果は見たな」
ガロは、机の上に置かれたアニュンリール製の魔法触媒のアンプルを指差した。
「この触媒を装薬に組み込めば、我が軍の旧式魔導臼砲でも、従来の倍近い射程と破砕力を発揮できる。グラ・バルカス軍の装甲車や前進集積所をアウトレンジから吹き飛ばすには十分だ」
「し、しかしガロ将軍。技術官の報告では、この触媒を使うと発射時の腔圧と熱負荷が凄まじく、数発撃っただけで高熱を発して砲身が歪むと……それに、陛下は実戦使用を固く禁じておられます」
ためらう部下に対し、ガロは鋭い眼光を向けた。
「砲身が保たぬなら、撃ち切って捨てればよい! いいか、いま我々が行動を起こさなければ、レイフォル軍は戦う能力だけでなく、抵抗する意思そのものまで失ってしまうのだぞ!」
ガロの言葉には、追い詰められた軍人特有の悲壮で危うい決意がこもっていた。
「陛下は政治と外交のお立場上、表立って攻撃を命じることはできぬ。ならば我々が泥を被り、レイフォル軍はいまだ死せずと敵と国民の双方に示さねばならん。目標は、境界線の向こうで占領軍が拡大している前進補給拠点だ!」
彼らは私利私欲で反乱を起こそうとしたのではない。自分たちこそが立ち枯れゆく祖国を守っているのだと信じ込んだ結果、その焦燥が統帥の一線を越えさせていた。
**3.限定攻撃**
三日後の払暁。まだ朝霧が深く立ち込める境界付近の丘陵地帯を、十数台の大型荷馬車と騎兵・歩兵からなる小規模な部隊が静かに移動していた。
ガロ将軍の指示を受けた強硬派の別働隊である。彼らの荷馬車の荷台には、麻布の幌で偽装された数門の中口径魔導臼砲が据え付けられていた。
彼らが照準を定めた先は、丘陵の向こう側の盆地に設けられたグラ・バルカス軍の『第四前進補給拠点』およびそれに隣接する軍用トラックの中継停車場であった。
この拠点は、占領軍が王都レイフォリアから内陸方面へと物資や燃料を送り込むための重要な結節点となっている。
ガロたちの目的は、敵の主力部隊を撃滅することではない。
占領軍に目に見える損害を与えてレイフォル軍の健在を示し、内陸侵攻に向けた物資の集積を妨害すること。そして国内の抵抗勢力に「戦いはまだ終わっていない」と鼓舞し、第三国から届いた魔法触媒が実戦で通用することを証明することにあった。
「距離よし! 特殊触媒カートリッジ装填……全門、急速射撃開始!」
指揮官の号令とともに、荷馬車の荷台から青白い過剰な魔光が弾け、耳をつんざく轟音が朝霧を引き裂いた。
通常の魔導砲弾とは比較にならない異常な初速で撃ち出された砲弾は、グラ・バルカス軍が安全圏だと見なしていた警戒距離を軽々と飛び越え、第四前進補給拠点の敷地へと次々に着弾した。
ドゴォンッ! と大地を揺るがす爆発が連続し、野積みされていた燃料ドラム缶と弾薬箱の一部が誘爆して巨大な黒煙と火柱が上がった。
「て、敵襲!? 砲撃だ! どこから撃ってきている!?」
「馬鹿な、この距離は奴らの旧式魔導砲の射程外のはずだぞ! 退避しろ、トラックを分散させろ!」
完全に不意を突かれた補給拠点のグラ・バルカス兵たちが混乱のなかで走り回り、爆風と飛散する破片によって死傷者が続出する。整備中だった数台の軍用トラックが炎に包まれ、仮設倉庫の屋根が吹き飛んだ。
一方、砲撃を行っている丘陵の上でも、異常な事態が起きていた。
「隊長! 三番砲の砲身が赤熱して亀裂が入りました! これ以上撃てば腔発します!」
「一番砲も高熱で閉鎖機が焼き付いて開きません! もう限界です!」
レイフォルの冶金技術で鋳造された旧式の砲身は、アニュンリールの魔法触媒が生み出す異常な高圧と高熱に耐えられず、わずか数斉射で次々と融解・変形し、使用不能に陥っていたのである。
「よし、ここまでだ! 過熱して潰れた砲身は荷台ごと切り離して遺棄しろ! 敵の反撃部隊や航空機が来る前に、計画通り山道へ撤退するぞ!」
指揮官は深追いを避け、あらかじめ用意していた退路へと部隊を素早く引き揚げさせた。
奇襲砲撃は、わずか十数分で終わった。
黒煙が立ち昇る第四前進補給拠点では、施設の一部が損傷し、集積されていた燃料と物資の一部が焼失、駐留兵にも十数名の死傷者が出ていた。補給拠点の機能は一時的に麻痺し、レイフォル側の奇襲は戦術的には確かな成果を上げたと言える。
だが、グラ・バルカス軍の兵站全体が破壊されたわけではなかった。占領軍には代替の輸送ルートも豊富な予備物資もあり、拠点の主要機能も数日で復旧可能な範囲にとどまっている。
強硬派の独断攻撃は、戦略的な状況を何一つ覆せないまま、ただ「レイフォル軍が事実上の休戦状態にあった境界を越えて組織的な奇襲を行った」という重大な事実だけを戦場に残したのだった。
**4.ファンターレの反応**
第四前進補給拠点が奇襲砲撃を受けたとの急報は、直ちに王都レイフォリアの占領統治司令部へと届いた。
「――敵は荷馬車に積んだ少数の魔導臼砲を使用。従来のレイフォル軍の装備を大きく上回る射程と威力を記録しましたが、十数発を発射しただけで急速に撤退しました。なお、敵の射撃陣地跡には、異常な高熱で内腔が融解・破損した旧式砲の砲身が二門分、遺棄されていたとのことです」
参謀の報告を聞きながら、ファンターレ将軍は冷静に状況を分析していた。
彼にとって真に重要なのは、補給拠点が攻撃されたという事実そのものではない。
旧式砲の砲身を溶かすほど異常な高出力の魔法触媒がどこから持ち込まれたのか、レイフォル軍がどの程度の戦闘能力を取り戻しているのか、そしてこの攻撃が「組織的な全面反攻の始まり」なのかどうかという点であった。
「攻撃規模は極めて限定的で、撃ち込まれた砲弾の数も少ない。おまけに自国の砲身が耐えられないほどの触媒を無理に使って、短時間で計画的に撤退している、か」
ファンターレは地図上の第四拠点を指で叩いた。
「この状況から見て、レイフォル軍が本格的な全面反攻に転じたとは考えにくい。連中はまだ、大規模な戦闘を継続できるほどの物資も新装備も持っておらん」
「では、単なる一部部隊の嫌がらせとして処理しますか?」
「いや、放置するわけにはいかん」
ファンターレは厳しい声で首を振った。
「我が軍の拠点が攻撃されて死傷者が出たのに何もしなければ、前線部隊の士気と威信に関わる。何より、レイフォル側の強硬派に『攻撃しても大きな報復は受けない』と誤解させれば、他の補給路でも同じような奇襲が繰り返されることになる」
ファンターレは直ちに全占領地域および境界部隊に対し、警戒態勢の一段階引き上げを命じた。
ただし、その場で感情的な報復出撃を命じるようなことはせず、まずは情報収集を最優先させた。今回の攻撃が内陸のヒューエル一世の正式な命令によるものなのか、それとも軍の一部が独断で暴走したものなのかによって、取るべき政治的・軍事的な対応がまったく変わってくるからだ。
そして、ファンターレは壁に貼られた巨大な作戦地図を見上げ、もう一つの冷徹な現実を噛みしめていた。
我々がレイフォルの内陸部へ進出しようとしている以上、今回の奇襲は、これから始まる本格的な戦闘の小さな前触れに過ぎないのかもしれない、と。
**5.グラ・バルカス軍の内陸侵攻準備**
その日の午後、占領統治司令部の奥にある最高機密の作戦室では、ファンターレ将軍の招集により、陸軍および空軍の主要幕僚たちが集結していた。
議題は、王都占領後から水面下で着々と進められてきた次期段階の軍事行動――『レイフォル内陸部制圧作戦』の準備状況の確認であった。
グラ・バルカス軍は、王都レイフォリアを落とした時点で戦争が終わったなどとは最初から考えていなかった。
内陸のレイリングにヒューエル一世の正統政府が存続し、講和を拒み続けている以上、いずれはその支配地域に対して決定的な軍事的圧力をかけ、全土を掌握する必要がある。
外の世界や民間人の目には「占領統治に追われて停滞している」ように見えていた期間も、軍の内部では次の作戦段階へ向けた巨大な歯車が回り続けていたのである。
「まず、本作戦に投入される地上戦力の編成と展開状況を報告します」
作戦参謀が立ち上がり、編成チャートを示した。
「突破の中核となる第四機甲師団一個、機甲部隊と協同して主要地域を制圧する機動戦機械化歩兵師団三個、前進部隊に後続して占領地を拡大する自動車化歩兵師団四個。さらに後方地域の警備と拠点確保を担う歩兵師団二個、火力支援および工兵・通信を補完する砲兵支援師団一個、そして損害補充と予備戦力としての予備師団一個――総計十二個師団による大侵攻編成です」
一度の野戦に勝つだけでなく、広大なレイフォル内陸部を占領して支配を維持するためには、突破力のある機甲部隊だけでなく、後方の警備や補給線を維持するための分厚い歩兵・支援戦力が不可欠だった。
「本国からの主要な侵攻部隊の人員揚陸は、先月末までにおおむね完了しております。ただし、レイフォリア港の荷捌き能力の制約と民間物流の混乱が響き、機甲部隊の重装備の一部、ならびに十二個師団が内陸へ長距離進撃するための燃料・弾薬の集積にはまだ遅れが出ております」
続いて、空軍の連絡将校が航空戦力の配備状況を報告した。
「航空支援については、王都郊外の整備された飛行場群へ『二個航空団』の展開を進めています。第一の航空団は地上部隊の進撃に対する直接の近接航空支援(CAS)と敵交通網への遮断攻撃を主任務とし、第二の航空団は残存するレイフォル軍の航空戦力への対処、制空・迎撃、および前進部隊に対する広域偵察と連絡輸送を担います。こちらも機体の進出は順調ですが、前線飛行場への航空燃料と爆弾の備蓄をさらに増やす必要があります」
そして、兵站参謀が三つの重大な準備課題を説明した。
第一に、兵站拠点の整備。レイフォリア周辺に集められた物資を段階的に前進させるため、内陸へ続く街道の路面状態と橋梁の耐荷重の確認を進めているが、内陸へ入るほど道路事情が悪く、四五トン級の主力戦車ルーパや重トラック群の通行が大きな制約を受けること。
第二に、内陸部の情報収集。残存するレイフォル軍の配置だけでなく、どの都市の行政・集積機能が生きているか、どの道や石橋が軍の重装備の連続通過に耐えるかを正確に把握する必要があること。
ここで初めて、ファンターレがこれまでコホート・コーポレーションの民間物流データに強い関心を示していた本当の軍事的理由が、幕僚たちの前でも明確に結びついた。
コホートの輸送隊が利用する街道、穀物の集積倉庫、地方都市への物資の流れは、直接の軍事情報ではなくとも、そのまま「内陸部の交通網の生きた耐用・兵站データ」であり、十二個師団の侵攻ルートを立案するうえで極めて価値の高い情報だったのである。以前や今朝の交渉でイレーヌが内部物流データの全面開示を拒んだのは、結果として占領軍の侵攻計画に対する目隠しとしても機能していたのだ。
第三の課題は、占領地域の後方安定化であった。
「十二個師団の主力が内陸へ前進を開始すれば、王都周辺や長く伸びる補給線の警備に割ける兵力は限られます。そのため現在、検問所の配置見直しと補給拠点の警備再編を進めておりますが……今朝のレイフォル軍による第四前進補給拠点への奇襲により、各前進集積所に予定以上の警備兵力を貼り付けざるを得なくなりました」
参謀の報告に、作戦室内の空気が引き締まった。
今朝の小さな奇襲攻撃によって、内陸侵攻計画そのものが根本から崩れたわけではない。しかし、進撃開始を前にして、後方の安全確保と兵站警備に無視できない追加の負担が生じたことは事実だった。
ファンターレ将軍は作戦地図を見つめ、重々しく命令を下した。
「内陸侵攻の準備は予定通り続けろ。重装備と弾薬の前進集積を急げ。……ただし、後方の安全を軽視するな。今朝の件で分かった通り、敵が弱っていることと、敵が抵抗しないことは同じではない。補給拠点の防備を固め、内陸の誰があの攻撃を命じ、どこからあの触媒を手に入れたのかを徹底的に洗い出せ」
**6.ヒューエル一世の苦境**
第四前進補給拠点への奇襲攻撃の報は、数時間遅れて臨時首都レイリングの王宮にも駆け巡った。
「――なんだと!? ガロ将軍の管轄下の部隊が、余の命令なしに占領軍の補給拠点を砲撃しただと!?」
報告を受けた国王ヒューエル一世は、顔色を変えて立ち上がった。しかも、使用されたのは自分が実戦配備を固く禁じていたはずの、第三国からの『魔法触媒』だという。
ヒューエルが強い危機感を抱いたのは、攻撃が成功したか失敗したかという目先の戦果の問題ではなかった。
国王であり最高司令官である自分の統制が及ばないところで、軍の一部が勝手に休戦状態の境界を越えて戦闘を始めたという事実そのものが、国家の存立を揺るがす統帥権の崩壊だったのだ。
これを放置すれば、強硬派は今後も独自の判断で無謀な作戦を繰り返し、グラ・バルカス軍の本格的な総攻撃を招き寄せるだろう。
「直ちにガロ将軍を喚問し、関係した現場指揮官を軍法会議にかけよ!」
怒りに震えるヒューエルに対し、側近の老文官が蒼白な顔で諫めた。
「お待ちください、陛下! いまガロ将軍らを公然と処罰すれば、軍の内部で激しい反発が起きます! すでに前線の若い兵士たちの間では『ガロ将軍の部隊が新技術で占領軍の補給基地を焼き払った』と戦果が広まり、久々の勝利に士気が沸き立っているのです。ここで彼らを罪人として扱えば、強硬派は『王政府は外国企業との交渉ばかりを優先し、祖国のために戦った将兵を裏切った』と騒ぎ立て、軍が真っ二つに割れかねません!」
ヒューエルは言葉を失い、拳を握りしめた。
強硬派の暴走を放置すれば、準備の整わぬまま占領軍との全面対決に引きずり込まれる。
かといって、彼らを厳しく処罰して抑え込めば、抵抗の象徴であるはずの国王自身の正統性と軍の結束を内側から破壊することになる。
さらにヒューエルの頭を悩ませたのは、始まったばかりのコホート・コーポレーションとの関係だった。もしこの攻撃によって占領軍が道路を完全封鎖し、コホートが支援から手を引けば、食料や医薬品を待っている多くの住民が飢えることになる。
ヒューエルは直ちに暗号通信を用い、王都のゴードンを通じてイレーヌへと緊急の連絡を入れた。今回の攻撃は正統政府の正式な命令によるものではなく、現在軍内部の統制を進めていることを伝え、コホート側が今後どこまで関与を続けるつもりなのかを確認しようとしたのである。
*
数時間後、レイフォリアの連絡事務所から回線を通じて返ってきたイレーヌの回答は、ヒューエルにとって冷徹な現実を突きつけるものだった。
『陛下。ご事情の説明は承りましたが、私どもコホート・コーポレーションとしては、貴国軍の一部による独断の軍事攻撃を支持することは一切できません』
通信機の向こうのイレーヌの声は、感情を交えぬ静かなものだった。
『私たちが占領軍と通行許可の交渉を行っているまさにその最中にこのような攻撃が起きれば、民間支援の車列そのものが軍事行動の隠れ蓑だと疑われ、現地の運送業者や私たちの社員の命が直接危険に晒されます』
「……では、貴社は今回の件で、我が国への物流支援から手を引くというのか?」
ヒューエルの問いに、イレーヌは明確に答えた。
『いいえ。今回の事件を理由に、民間人への支援計画そのものを直ちに放棄するつもりはありません。現在もゴードン殿と共に、占領軍との協議を続けております。……ですが陛下、どうか誤解なさらないでください。私たちはレイフォルの統治能力と経済が回復することは望んでいますが、レイフォル軍の強硬派が引き起こす戦争の責任まで引き受けるつもりはありません』
通信が切れた後、ヒューエルは誰もいない執務室で深く椅子に沈み込んだ。
コホートは有力な支援者ではあっても、レイフォルの代わりに戦争をしてくれる都合の良い救世主ではない。外部からの支援を活かすためにも、暴走する自国の軍を統制し、戦争か存続かの政治的決断を下すのは、他の誰でもない王自身の責任なのだと、ヒューエルは痛いほど思い知らされていた。
**7.交渉の意味が変わる**
翌朝、王都レイフォリアの旧政府庁舎では、ゴードンを介したファンターレ将軍とイレーヌの協議が再開されていた。
ファンターレは、昨日のレイフォル軍による奇襲攻撃を受けたからといって、コホートとの通行協議を打ち切るようなことはしなかった。
コホートがあの砲撃に関与したという証拠はなく、ここでコホートと全面対立することが占領統治にとって得策ではないと理解していたからだ。
しかし、前線で実際に血が流れ、軍事的な緊張が一気に高まったことで、占領軍側が突きつけてきた条件は前日よりもはるかに厳しいものへと変わっていた。
「昨日の敵襲を受け、境界周辺の警備態勢は戦時準拠へと引き上げられた」
ファンターレは、修正された許可制度の条文をテーブルに置いた。
「民間支援の輸送を認める条件として、事前の品目申請と出発地での貨物封印検査に加え、今後は通過する時間帯の厳格な指定、および我が軍の軍事施設周辺や重要軍用交通路での活動制限を追加する。指定された時間とルートから少しでも外れた車両は、理由を問わず直ちに軍事拘束する」
これに先立ち、《プロスペリティ》のタドコロのもとでも緊急の対策協議が行われていた。
ミウラは輸送隊や協力者を守るための警備強化を主張し、イレーヌは過剰な武装が占領軍への挑発になることを懸念したが、タドコロは「警備の強化」と「軍事介入」を明確に区別する指示を下していた。
護衛の規模と装備はあくまで自衛の範囲に限定しつつ、占領軍との事前連絡と識別手順を徹底して誤認による衝突を防ぎ、現地協力者の個人情報を切り離して保護する代わりに、貨物の内容と輸送経路については必要な範囲で占領軍の指定を受け入れる――という方針である。
「……承知いたしました」
イレーヌはタドコロとの事前調整に基づき、ファンターレの条件を受け入れた。
「現地協力者の個人情報保護と、規定を守っている車両への不当な接収を行わないことを文書で保証していただけるのであれば、通行時間の指定と事前封印検査、ならびに運行計画の提出には同意いたします」
こうして、昨日よりも窮屈な制限を抱え込みながらも、支援輸送を再開するための暫定的な枠組みがようやく合意に達した。
だが、それで問題が解決したわけではないことは、その場にいる全員が分かっていた。
会談を終え、庁舎の石階段を下りる道すがら、イレーヌは隣を歩くゴードンに小さく息を吐いて言った。
「……輸送許可を取り決めれば、すべての問題が解決すると思っていたわけではありません。ただ、民間の物資を運ぶための最低限の約束くらいは、もう少し穏やかに守れると思っていました」
ゴードンは立ち止まり、灰色の雲が広がる王都の空を見上げて静かに答えた。
「イレーヌ殿。約束を守れるかどうかは、交渉の席にいる双方の意思だけで決まるものではありません。……約束を守れなくする人間が、双方の背後にいるのですよ」
ゴードンの言葉は、昨日勝手に砲撃を仕掛けたレイフォル軍の強硬派だけでなく、占領軍内部で武力鎮圧を叫ぶ強硬派や、ゴードンを排除して利権を貪ろうとする商工会代表、さらには外国企業への依存を恐れるレイリングの政治勢力のすべてを言い当てていた。
*
その夜、占領統治司令部の作戦室には、再びファンターレ将軍と参謀たちの姿があった。
「第四前進補給拠点の被害箇所は、明日中に復旧が完了します。後方の各集積所への警備増強も手配を終えました」
兵站担当者の報告に続き、作戦参謀たちが内陸侵攻に向けた十二個師団の進撃経路と、二個航空団の展開配置を最終確認していく。
ファンターレは広げられたレイフォル内陸部の地図をじっと見つめた。
進撃のための準備は、着実に整いつつある。一方で、昨日の奇襲攻撃と未知の魔法触媒の存在によって、彼の計画には新たな不確定要素が加わっていた。
それでも、ファンターレが内陸侵攻の準備を止めることはない。ただ、レイフォル側の抵抗が今後どの程度広がるのか、その背後に誰がいるのか、そしてあのコホートという企業がどこまで関与してくるのかを、より冷徹に見極める必要が生じただけだ。
王都レイフォリアの占領は、戦争の終わりではなかった。
グラ・バルカス帝国軍にとっては、さらに奥深くへと続く内陸へ進撃するための、最初の足場を得たに過ぎなかったのである。
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