辺境惑星召喚――コロニストたちの異世界漂流記 作:ホゲフガ
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## ## 第10話:白銀の外交モジュール
### 1. 忽然たるオーパーツ
パーパルディア皇国属州都市ミューズの西方平原に、それは忽然と姿を現していた。
前日の夕刻まで、そこにはただ風に揺れる荒涼たる草原しか存在していなかったはずである。だが今、朝霧の向こうに鎮座しているのは、皇国の伝統的な石造建築とも、中央世界の建築様式とも完全に異なる、白銀色の人工構造物であった。
全長は優に20メートルを超えている。
滑らかな曲線で構成された外壁には、石材の継ぎ目やボルトの頭すら存在せず、まるで巨大な銀塊をそのまま削り出したかのような異様な質感を放っていた。周囲の地面からは青白い光のラインが静かに脈動し、複数の黒い球体ドローンが、羽音一つ立てずに空中を規則的に浮遊している。
「……なんだ、あれは。魔法の気配すらしないぞ」
思わずそう呟いたのは、レミール直属護衛隊の若い近衛だった。
彼だけではない。随行していた貴族たちも、外務官僚たちも、そして歴戦の兵士たちですら、平原中央に展開された異形の建築物を前に言葉を失っていた。
魔導文明国家パーパルディア皇国は、確かに第三文明圏の最強国家だ。だが、彼らの文明はあくまで「火薬」と「魔法」によって成立した、地球で言えば19世紀初頭相当の世界である。飛竜、魔導戦列艦、魔導通信――それらを知る彼らにとってさえ、目の前の物体は理解の範疇を超えていた。それはまるで、神代の遺物がそのまま地表に突き刺さっているかのようだった。
「……ふん。見せつけているつもりかしら」
豪奢な六輪馬車から降り立った皇后レミールは、深紅のドレスの裾を揺らしながら、冷ややかに目を細めた。その横では、第一外務局長エルトが露骨な嫌悪感と動揺を隠せずにいる。
「皇后陛下、やはり危険です。得体の知れぬ獣人どもの巣穴へ自ら赴くなど、皇国の威信に関わります!」
「静かになさい、エルト」
レミールは視線を白銀の壁から外さぬまま、低く言った。
「既にここまで足を運んだのです。今さら怯えてどうするのです」
もっとも、内心では彼女自身もかつてない動揺を覚えていた。昨日視察した戦場跡の光景――蒸発した飛竜の肉塊、ガラス状に溶解した大地、原形を留めぬほどひしゃげた胸甲が脳裏に焼き付いている。
『空に鉄の鳥がいた』
『光が降った』
『兵が一瞬で消えた』
最初は生還兵の誇張だと思っていた。だが、実際に戦場を観察した今なら分かる。あれは誇張ではない。むしろ、哀れな兵士たちはあまりの恐怖に、現実の「一部」しか認識できていなかったのだ。
「……本当に、古代魔導文明級の遺物かもしれませんわね」
レミールが誰にも聞こえぬ声で呟いた、その時だった。
白銀の構造体の側面が、プシューという排気音と共に、音もなく左右へスライド展開した。皇国の兵士たちが一斉に銃や剣を構えて身構える。
だが、そこから現れたのは砲列ではなかった。完全に統制された動作で整列した、8名の武装兵士である。
見たこともない灰色の重厚な機動装甲服(マリーンアーマー)。顔面を完全に覆う不気味な密閉型ヘルメット。そして、肩に保持された機能美を放つ異形の長銃。
その中央に立つ、ヘルメットを外したネズミ耳の男――ハンスが、一歩前へ進み出た。
「ようこそ、我が社の『外交モジュール』へ」
ハンスの声は落ち着いていたが、その背後に控えるセキュリティ要員たちの気配は、いつでも引き金を引ける猛獣のように鋭い。
「我が社CEO、タドコロがお待ちしています」
「……我が社、だと?」エルトが眉を不快そうに顰めた。
「貴様らは『国家』ではないのか?」
「違います」ハンスは即答した。
「我々はコホート・コーポレーション。利益を追求する民間企業です」
その言葉に、パーパルディア側の空気が一気にざわめいた。
民間企業。その概念自体は皇国にも存在する。商会、貿易連合、武器工房。
しかし、それらはすべて「国家の庇護下」にあり、王権に従属する存在だ。
だが目の前の連中は違う。皇国の1個大隊を容易く壊滅させる軍事力を保有しながら、自らをただの「企業」と名乗っている。その底知れぬ異常性に、レミールは静かに背筋が冷えるのを感じていた。
やがて、ハンスが流れるような動作で横へ退き、道を譲った。
「どうぞ。歓迎します、皇后陛下」
白銀の通路が、人工的な光を放ちながら、彼女たちを内部へ誘っていた。
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2. 異質の洗礼
白銀の通路の内部は、まるで巨大な無機物の体内を歩いているかのようだった。
レミールは無意識のうちに歩調を緩めていた。外壁と同様に内部にも継ぎ目がなく、壁面自体が钝く白い光を放ち、天井付近を青色のラインが脈打つように流れている。熱源らしきものはどこにも見当たらないにもかかわらず、室温は肌寒さを感じない完璧な快適さに保たれ、空気には埃ひとつ、あるいは特有の生活臭すら存在しなかった。
その徹底された清浄さは、むしろ不気味だった。
皇国でも王宮や神殿は清浄を重んじるが、それは香を焚き、無数の奴隷による絶え間ない清掃の上で成り立つものだ。だがここには「人の気配」が薄すぎる。まるで建物そのものが、自律的な意志を持って環境を維持しているかのようだった。
「こちらです」
先導するハンスが、滑らかな金属扉の前で立ち止まる。
次の瞬間、音もなく扉が左右へ展開した。その光景を見た瞬間、さすがの外務官僚たちも僅かに息を呑んだ。
そこは広大な会談室だった。床は黒曜石のように磨き上げられた漆黒。天井は高く、その中央には、魔法陣もなしに青白い立体映像(ホログラム)が静かに浮遊している。球体状のそれは、ミューズ周辺の地形を完璧な高低差とともに映し出したリアルタイムの3D地図だった。
そして、その奥。巨大な強化ガラス窓を背に、一人の女が悠然とデスクチェアに腰掛けていた。
艶やかな狐耳と尻尾。藍色の澄んだ瞳。黒を基調とした、この世界にはない異国情緒を漂わせる和装。細い指先で扇子を弄びながら、その女――タドコロは静かに微笑んだ。
「ようこそ、皇后陛下。辺境企業コホート・コーポレーションへ」
「……初めまして」
レミールは皇后としての威厳を崩さず、優雅に一礼した。
「パーパルディア皇国皇后、レミールですわ」
「CEOのタドコロよ。どうぞ、お掛けになって」
レミールは視線だけで近衛たちを制し、ゆっくりと用意された椅子へ腰掛けた。すると、目の前のテーブル中央に光のラインが走り、透明な板状のホログラム映像が空中へ展開される。
エルトが思わず目を見開いた。
「なっ……魔導投影……!?」
「似たようなものね」
タドコロは扇子で顔半分を隠して微笑んだ。
「では、まずはお互いの誤解を解きましょうか。――ハンス、お客様へお飲み物を」
タドコロの言葉に応じ、控えていたハンスが音もなく移動し、レミールとエルト、カイオスの前のテーブルへ、中身の入った透明なガラス器を並べた。
空気が変わった。外交交渉――いや、それ以上だ。これは、互いに全く異なる文明同士が初めて本気で向き合う瞬間だった。
3. 国家の論理、企業の合理
レミールは、差し出された透明なガラス器の中で、淡い琥珀色の輝きを揺らす液体を、しばらく無言で見つめていた。
レミールは本能的な嫌悪感を覚えていた。自分たちが理解している文明体系の外側に存在する、底知れぬ何か。それが、このコホート・コーポレーションという存在の本質だった。
「飲まないのかしら?」対面のタドコロが微笑む。
「毒味もなしに口へ運べと?随分と舐められたものですわね」
レミールの声音には棘があった。だが、タドコロはまるで気にした様子もなく綺麗に肩を竦める。
「毒見は必要?」
「当然でしょう。貴女たちは、つい先日わたくしどもの軍を壊滅させた張本人ですもの」
レミールの声音には明確な棘があった。だが、タドコロはまるで気にした様子もなく綺麗に肩を竦める。
「安心して。もし貴女をここで殺すつもりなら、こんな面倒なセットを組んで会談なんて開かないわ。弾丸一発、あるいは空からのレーザー照射で済む話だもの」
「……その不遜な物言い自体が不愉快ですわ」
レミールは冷たく言い放った後、あえて視線を逸らさずにグラスを手に取り、ゆっくりと液体を口へ運んだ。ここで恐怖を見せることは、外交における敗北と同義。皇后としての「格」を見せねばならなかった。
次の瞬間、彼女の美しい眉が僅かに動いた。
「……これは」
「果実酒よ。うちの農業バイオプラント産」
「葡萄酒では……ありませんわね」
「ええ。遺伝子改良した架空の果実から抽出した、不純物ゼロの合成アルコール飲料。そっちの世界の基準だと、宮廷御用達の最高級品すら生温く感じるほどの高級品になると思うわ」
雑味がない。妙に澄み切っている。貴族用のどんな名酒とも違う、まるで「完璧に設計された味」だった。
「……気味が悪いほど洗練されていますわね」
「ありがとう、褒め言葉として受け取っておくわ」
「褒めておりません。褒めるべきは、その洗練された武力の使い方だけですわ」
レミールはグラスを置き、タドコロを真正面に見据えた。
「単刀直入に伺いますわ。なぜただの『民間企業』が、皇国の500名の大隊と飛竜中隊を一方的に壊滅させるほどの軍事力を保有しているのか、ということですわ」
「先に撃ってきたのはそちらでしょう?」
タドコロはデスクチェアに身体を預け、閉じた扇子を顎に当てた。
「こちらは最初から接触回避のプロトコルを選んでいた。にもかかわらず、そちらの先遣部隊は問答無用で発砲した。私たちは『自衛行動』として、かなり抑制した対応をしたつもりだけれど。本気で殲滅するなら、あの程度の規模、空から数分で塵一つ残さず蒸発させられるもの」
会談室が完全に静まり返った。レミールの背後に立つ護衛たちの顔が恐怖で強張る。冗談ではない、この女は本気でそれを実行できると、その場にいる全員が直感したからだ。
「戦争は『コスト』が非常に高いもの。補給線も物資も、全部が無駄に消える。でも――交易なら、互いに莫大な利益が生まれるわ。だから、私たちは戦争を望まない」
その瞬間。
レミールの瞳が僅かに細まった。
(そこだわ……)と彼女は直感した。この女たちは商人だ。しかも、世界の支配システムなど一顧だにしない、極めて危険な種類の。
「つまり貴女たちは、皇国との『通商』を望んでいる、と?」
「ええ。医薬品、高性能の工作機械、効率的な農具、化学肥料。売れるものはいくらでもあるわ。もちろん、相応の対価は払ってもらうけれどね」
「……なるほど。ようやく理解しましたわ」
レミールは再びデスクに置かれたガラス器を、雑味のない琥珀色の液体を飲み干した後のグラスを見つめた。
「貴女たちは救世主でもなければ、慈善事業家でもない。世界を導きたいわけでもないわ。ただ利益だけを求めている。商人風情が国家を凌駕する暴力を持つ。まさに――力だけを持った成り上がりの怪物ですわね」
その笑みを見た瞬間、タドコロは愉快そうに笑い声を漏らした。だが、その瞳の奥は一切笑っていなかった。
「褒め言葉として受け取っておくわ」
### 4. 毒蛇と狐のビジネス
レミールは椅子へ深く腰掛け直すと、長い睫毛の奥からタドコロを真正面に見据え、値踏みするようにゆっくりと鼻で笑った。
「怪物、と申し上げましたけれど、訂正しますわ。正しくは――“力だけを持った、哀れな成り上がり”ですわね」
背後の護衛たちが息を呑むが、レミールは意図的に挑発を続けた。ここで怯めば、主導権は完全に奪われる。
「確かに貴女たちは強大ですわ。我が軍を壊滅させたその圧倒的な技術の武力だけは、認めて差し上げます。ですが……それで“世界の支配者”にでもなったつもりですの? 力を持ちながら『支配』というものを全く理解していない。戦争とは兵を殺すことではありませんわ。領土を維持し、物流を握り、民を恐怖で従わせ、税をシステムとして流し続けて初めて“国家”となるのです」
彼女の瞳が鋭く光る。
「貴女たちは、そこが決定的に欠落している。皇国の属州都市をひとつ脅かした程度で優位に立った気になるなど、滑稽ですらありますわね。パーパルディア皇国は、数多の属州と海上航路によって成立している巨大な国です。地方の1個大隊が消えた程度で揺らぐほど、我が国の支配体制は脆弱ではありませんのよ」
それは、覇権国家の頂点に立つ者としての、揺るぎない自負であった。実際、皇国は強力な陸軍と海軍、広大な交易圏、長年の恐怖政治による完璧な統治機構を持っている。目の前の異世界企業がどれほど異質な力を持っていようと、国家という「巨大な質量」の前には未知数に過ぎない。レミールはそう確信していた。
「それで?」タドコロが静かに尋ねる。
「皇后陛下は、何をお望みかしら?」
「簡単な話ですわ」レミールは傲然と顎を上げた。
「貴女たちは我が皇国へ『従属』なさい」
会談室の空気が、一瞬で物理的に凍りついた。コホートのセキュリティ兵たちの銃口が僅かに動く。だが、レミールは言葉を止めない。
「勘違いなさらないことです。これは温情ですわ。貴女たちの技術力には利用価値がある。ならば皇国の庇護下に入り、管理される側へ回ればよろしい。武力を独占するのは国家の権利です。商人風情が軍隊を持ち、要塞を築き、外交を行うなど、本来なら即座に『異端討伐』されて当然の存在なのですから。兵器製造は皇国管理下、飛行技術も提出、軍事顧問団も受け入れていただきます。拒否するなら――皇国は、持てるすべての国力をもって、貴女たちの討伐を開始しますわ」
冷たい、蛇のような笑み。
沈黙が十数秒、室内の防音壁に吸い込まれていく。その静まり返った空間で、最初に吹き出したのはタドコロだった。
「ふふっ……あははははは!」
タドコロは愉しげに笑い声を上げ、目尻に浮かんだ涙を指先で軽く拭った。ミウラが呆れたように額を押さえ、キムラは天井を仰いでいる。
「何がおかしいのかしら?」
レミールの眉が不快そうに跳ね上がる。
「ごめんなさい。まさか異世界へ来てまで、そんなテンプレートみたいな『従属要求』を受けると思わなくて。でも安心して、皇后陛下。私たちは争いを望んでいないわ。だからこそ――ひとつだけ、親切な『忠告』をしてあげる」
タドコロの藍色の瞳から、一瞬で笑みが消え失せた。凄まじいプレッシャーが室内を支配する。
「我が社を、“討伐可能な相手”だと思わないことね」
レミールは無言のままタドコロを見据え、静かに息を吐いて扇子を閉じた。目の前の存在が、ただの武装集団ではない。それだけは既に肌で理解していた。
「国家というものを、貴女たちは勘違いしているようですわね」
レミールはゆっくりと立ち上がった。
「強いだけで世界は回りませんのよ。交易路、港湾、農地、人口、官僚制度、貨幣流通、徴税機構。国家とは、それら無数の利権と責務の積み重ねで成立している巨大な怪物。貴女たちの効率主義は、泥臭い国家運営と決定的に相性が悪い。人間は数字通りには動きませんもの。責任を負う気もなく、しかし国家を凌駕する暴力だけを持つ組織など、既存秩序から見ればただの『災害』と同じですわ」
「そちらは随分と好き放題やっているようですがね」
ミウラが腕を組み、冷たく吐き捨てた。
「属州での略奪、奴隷化、見せしめの処刑。あんたら国家の統治も大概な災害だろ」
「統治には『恐怖』が必要ですわ」
レミールは迷いなく即答した。
「属州民へ舐められれば反乱が起きる。反乱が起きれば物流が止まる。物流が止まれば皇国の経済が崩れる。だから力を示し続ける必要があるのです。綺麗事ではシステムは維持できませんわ」
「なるほどねえ。案外、私たちと近い考え方をしているじゃない」
タドコロが興味深そうに頷く。
「民を守るのも、属州を支配するのも、結局は国家というシステムを維持して『利益』を生むため。違う? だから私は、皇后陛下の通俗的なところ、結構嫌いじゃないわよ。綺麗事で動いてないもの」
「一緒にしないでいただけます? わたくしたちは国家です。利益だけで動く企業体とは違いますわ」
「でも、その合理性を実現できるだけの技術力と武力を持っているのは私たちよ。もしこの存在が本気で世界征服を望めば、貴女たちの言う巨大国家システムなんて、数年でただの瓦礫に変わるわ」
「……ならば尚更ですわね」
レミールは静かに笑い、再び席へ腰を下ろした。
「貴女たちは皇国と敵対すべきではありませんわ。これは脅迫ではなく、現実的な『忠告』です。この世界は、貴女たちが思っているほど単純ではありませんのよ。皇国は確かに覇権国家ですが、唯一ではない。神聖ミリシアル帝国、ムー、各列強国家、さらには古代文明の遺物。世界は複数の巨大な利害によって均衡している。もし貴女たちの存在が世界へ知れ渡れば、“古代超兵器を保有した未知の勢力”として、すべての列強が本気で動き出す。皇国を踏み潰す以上の泥沼になりますわよ。――だから提案して差し上げます。皇国と手を組みなさい、コホート・コーポレーション。少なくとも、今は」
会談室に、先ほどとは違う「政治的な沈黙」が落ちた。互いに相手のカードを値踏みし終えた者同士が、次の一手を探る静けさ。
タドコロは椅子へ深く身体を預け、閉じた扇子の先端を軽く顎へ当てながら、窓の外を見つめた。
広大なプロスペリティの内部都市では、無数のドローンが飛び交い、自動化された秩序が保たれている。だが、その秩序は永遠ではない。タドコロは冷徹に自社の「現実」を把握していた。
コホートは強大だが、万能ではない。現在の総人員は800人強、純粋な戦闘員は250人程度。グラヴシップを動かすアストロ燃料も、弾薬や医薬品の原材料も、この世界の希少鉱物や資源を補給しなければいずれ枯渇する。いかに技術差があろうと、世界全体を相手に無限の消耗戦を継続できる規模ではないのだ。
この世界で確実に生存し利益を最大化するには、レミールの言う通り「既存の秩序(システム)を利用する」のが最もコストが低い。
「……条件次第、かしらね」タドコロはようやく口を開いた。
レミールの目がギラリと細まる。「ほう?」
「勘違いしないで。私たちは皇国へ従属する気は1ミリもないわ。あくまで『対等な取引相手』としてなら付き合ってあげてもいい、という話よ。軍事的主導権がどちらにあるかは、言うまでもないでしょう?」
「……フン、それで、条件とは?」
「簡単よ」タドコロは指を一本ずつ立てた。
「ひとつ、不可侵。お互いにこれ以上の武力衝突を避けること」
「ふたつ、交易。こちらは一部の近代医薬品、工作機械、効率的な農具、工業製品を提供する」
「みっつ、資源と情報。代わりにそちらは、我が社が必要とする鉱物資源、燃料資源、食料、そして現地の正確な地政学的情報を提供すること」
そして、タドコロの笑みが一段と深くなった。
「最後に――『情報統制』よ。私たちの存在と技術を、現段階で中央世界や他の列強へ大々的に公開されるのは非常に困るの。段階的な市場開拓をしたいからね」
その瞬間、レミールはようやくこの狐耳の女の「本音の計算」を見抜いた。
コホートは世界征服のようなコストの合う無駄を望んでいない。だが同時に、「まだ世界全体を相手にする準備(リソース)が整っていない」。だから時間を欲している。資源を確保し、技術を適応させるための現地の盾として、パーパルディア皇国という既存秩序の壁を利用しようとしているのだ。
「……なるほど。ようやく本音のビジネスが見えましたわね」
レミールは静かにグラスを持ち上げた。
「皇国としても、今この瞬間に貴女たちのような災害と全面戦争を始める利益は皆無ですわ。ですが、忘れないことですわね。わたくしたちは貴女たちをこれっぽっちも信用しておりません」
「奇遇ね。私も貴女の言葉なんて、最初から査定の対象外よ」
「ですからこれは、友好の条約などではありませんわ」
レミールの紅い瞳が鋭く光る。
「ただの、“停戦(ビジネス)”ですわ」
タドコロは数秒間レミールを見つめ、それから最高に愉しげにグラスを掲げた。
「その表現、大好物だわ。取引成立(ディール)ね、皇后陛下」
チン、と乾いた音を立ててグラスが合わさる。互いに美しい笑みを浮かべながらも、その瞳の奥では、どちらも相手を一切信用していなかった。
これは友好などではない。巨大海洋帝国と異世界のメガコーポが、互いの思惑と冷徹な利害一致によって結んだ、綱渡りの如き危険な均衡の始まりに過ぎなかった。