辺境惑星召喚――コロニストたちの異世界漂流記 作:ホゲフガ
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## 閑話:侵食される日常
### 1. 執務室の囚人A
ミューズ総督府、その最上階。
ラーク総督は、磨き抜かれた執務机の上に置かれた一振りの「鍬(くわ)」を、まるで忌まわしい呪物でも見るかのような目で見つめていた。
それは、コホート社が「サンプル」として市街へ放流した、ごくありふれた農具のひとつだった。だが、ラークが自らの手でそれに触れた時、戦慄が走った。
軽い。そして、恐ろしいほどに頑丈だ。皇国が属州の鍛冶屋に打たせている無骨な鉄製品とは、比べ物にならない。刃先は鏡のように滑らかで、どれほど硬い土を掘り返そうとも、欠けるどころか傷ひとつつかないだろう。
「……これだけのものを、奴らは『端材で作ったゴミだ』と言い放ったのか」
ラークは掠れた声で呟いた。
この数週間、総督府へ届けられる報告は絶望的なものばかりだった。
東部領土の生産統計によれば、コホート製の農具を導入した村落では、収穫の効率が劇的に向上し始めている。それだけなら喜ばしい。だが問題は、その豊かさが「皇国」ではなく「コホート」への忠誠に直結していることだ。
窓の外を見下ろせば、広場では民衆が列をなしている。その先には、コホート社と提携した現地の有力商人が営む「特約店」があった。
皇国の重い税を払うために、民は必死に働いてきた。だが今、彼らは気づき始めている。皇国に忠誠を誓っても、得られるのは鞭と搾取だけ。しかし、あの「コホート」と取引をすれば、魔法のような道具と、病を治す薬が手に入る。
ラークは、自分の手から権力の感触が砂のように零れ落ちていくのを感じていた。
彼はすでに、本国から派遣された視察団――レミール皇后の帰還を待つだけの、ただの「空虚な肩書き」になり果てていた。
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### 2. 広場の奇跡
ミューズの路地裏にある小さな施療院では、一人の母親が奇跡を目撃していた。
彼女の腕の中では、数日前まで高熱で死にかけていた幼い息子が、今は穏やかな寝息を立てている。
「本当に……これだけで治ったのかい?」
母親の問いに、地元の老医師は震える手で、透明な小瓶を掲げた。中には、青い光を宿したような液体――コホート社製の「標準型抗生剤」が入っている。
「ああ、そうだとも。皇国の治療魔導士様に何日も祈り、数ヶ月分の蓄えを捧げていたのが馬鹿らしくなるほどにな。これを一回飲ませただけで、翌朝には熱が引いた。……しかも、値段は小麦一袋だ」
老医師の言葉には、救いと同時に、自分たちが信じてきた世界への深い失望が混ざっていた。
皇国において、高度な医療は特権階級のものだった。民衆は死なない程度に生かされ、病になれば神の慈悲を待つしかなかった。だが、コホートはそれを「商品」として、誰の手にも届く場所へ置いた。
母親は、胸元の皇国旗の紋章が入ったペンダントを無意識に外した。
今、自分を、そして愛する息子を救ってくれたのは、遠い皇都に座る皇帝陛下ではない。平原に忽然と現れた、あの不気味なコホートなのだ。
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### 3. 変化する市場(マーケット)
ミューズの大通りにある「銀の馬車商会」。その主人であるドランは、帳簿をめくりながら愉悦に浸っていた。
彼の倉庫には今、パーパルディアの法貨である金貨や銀貨に混じって、見たこともないほど透明で硬質な「プラスチック製の容器」や、コホート社が発行した「暫定的な引換証」が積み上がっている。
「いいか、これからは『名誉』じゃ腹は膨れんぞ」
ドランは部下たちに言い放った。
「皇国の軍人は威張り散らすが、奴らが買うのは酒と女だけだ。だがコホートはどうだ? 奴らは鉄を欲しがり、炭を欲しがり、そして何より『正確な情報』を高く買ってくれる」
ドランのような抜け目のない商人たちにとって、国家の威信など二の次だった。
コホートが持ち込んだ物資は、すべてが革新的だった。保存食は半年経っても味が変わらず、フラッシュライトは油なしで夜を照らす。これらの商品を独占的に扱う権利を得られれば、ミューズの経済は、いや、パーパルディア東部属州全体の経済は、自分たちの手の中に収まる。
もはやミューズの市場を支配しているのは、総督府の公布する「価格公定」ではない。コホート社がマザーを通じて算出する、冷徹で合理的な「市場価格」であった。
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### 4. 夕闇の予感
陽が沈み、ミューズに夜が訪れる。
これまでのミューズの夜は、高価な魔導灯を持つ貴族街を除けば、深い闇に包まれるのが常だった。
しかし今、街のあちこちで小さな、しかし鮮烈な「青白い光」が灯っていた。コホート製の簡易型LEDランタンである。
市民たちはその明かりを囲み、ひそひそと、しかし熱を帯びた声で語り合っている。
噂はもう、誰にも止められない。
――皇国軍は大敗した。
――飛竜は墜ちた。
――けれど、新しい支配者は、私たちにパンと薬をくれるらしい。
総督府のバルコニーからその無数の「異世界の光」を見つめながら、ラーク総督は自嘲気味に笑った。
コホートは、一度も「皇国を打倒せよ」とは叫んでいない。ただ「商売をしよう」と言っただけだ。
なのに、この都市は、そして自分の民は、戦わずしてすでに自分たちの手から離れようとしている。
「……タドコロと言ったか。あの狐の女め」
ラークは、足元に落ちたコホート社製の「請求書」を踏みつけた。
だが、その靴の下にある高品質な紙すら、皇国のそれより遥かに白く、滑らかだった。
パーパルディア皇国。
恐怖によって世界を御してきた巨大な怪物は、今、自らが「古く、不便で、コストに見合わない存在」になったことにすら気づかぬまま、新しい時代の「市場」へと呑み込まれようとしていた。