辺境惑星召喚――コロニストたちの異世界漂流記   作:ホゲフガ

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第17話:レミールの決断

# 第17話:皇后の決断

 

### 1. 甘美なる侵食の影

 

 エストシランド皇城中央宮殿、その最上層に位置する皇后専用謁見室には、夜であるにもかかわらず幾百もの魔導灯が灯されており、赤金色の光が大理石の柱と深紅の絨毯を妖しく照らし出していた。

 

 パーパルディア皇国皇妃レミールは、その広大な室内の中央に置かれた長椅子へ腰掛けながら、静かに報告書を読み進めていた。

 

 彼女のすぐ傍らの机には、最近になって本国の貴婦人たちの間で爆発的な流行となっている、驚異的な肌触りと美しさを誇る『シルクフィラメントのドレス』や、一口で高熱と頭痛を消し去るという、琥珀色の小瓶に入ったコホート社製の特効薬が置かれている。コホートの提供する「利益と利便性」という名の甘い毒は、すでに皇国の心臓部にまで確実に忍び寄っていた。

 

 しかし、書類をめくるレミールの指先には、僅かな苛立ちが滲んでいた。

 紙をめくる速度が速い。時折、白磁のような美しい頬が微かに不快そうに歪む。

 

 報告内容は、すでに彼女の忍耐の限界を越え始めていた。

 属州軍大隊の壊滅。飛竜部隊の全損。鉱山地帯への隠密潜入。地方商人との接触。高性能農具の流通。医薬品市場の急速な侵食。そして――最新の報告として記されていた、現地商人たちによる“ミスリル買付契約の異常な急増”。

 

「……不快な虫どもが」

 

 レミールは低く呟いた。

「随分と好き勝手にしてくれるではないか」

 

 その声には鋭い怒気が滲んでいたが、同時に冷徹だった。感情だけで激昂しているわけではない。彼女は本質的に理解していた。今、東部属州で起きている事態が、単なる地方の治安騒乱などではないことを。

 

「皇后陛下」

 

 側近の侍女が、気配を殺したまま静かに頭を下げる。

 

「第三外務局局長カイオス殿がお待ちです」

 

「入れなさい」

 

 重厚な真鍮の扉が開く。

 灰色外套を纏った男――カイオスが入室し、レミールの前で深く一礼した。

 

「夜分に失礼いたします、皇后陛下」

 

「構わぬ。座れ」

 

 カイオスは無駄な礼儀を省き、長机を挟んで向かい側へと座る。

 その瞬間、室内の空気がぴりりと張り詰めた。皇国中央において絶大な政治的影響力を持つ二人。だが、その思想は大きく異なる。レミールは皇国の絶対的威信と支配を盲信する超強硬派であり、対するカイオスは、冷徹な事実のみを積み上げる現実主義的な合理主義者だった。

 

 

 

「報告書は読んだわ」

 レミールが先に口を開いた。

 

「あなたの部下である執行官は、グリンウッドでコホートの諜報員一人すら捕らえられなかったようね」

 

皮肉混じりの聲音。だが、カイオスは眉一つ動かさず淡々と答えた。

 

「はい。ムーの技術すら児戯に等しい、完全に次元の異なる自動火器と飛行機器を前に、取り逃がさざるを得ませんでした」

 

「正直で結構」

 

 レミールは贅沢なドレスの裾を揺らしながら脚を組み替え、ゆっくりと微笑んだ。だが、その紅い瞳は一切笑っていない。

 

「では聞きましょう、カイオス。貴様は現在の属州の状況を、真にどう見ているの?」

 

 数秒の濃密な沈黙。そしてカイオスは静かに答えた。

 

「危険です。極めて」

 

「どの程度?」

 

「皇国数百年の歴史において、類を見ない規模で、です」

 

 その断言に、周囲に控える侍女たちの肌が恐怖で粟立つ。だが、レミールだけは平然と彼を見据えていた。

 

「理由は?」

 

「彼らは軍隊ではないからです」

 レミールの美しい眉が僅かに動く。カイオスは言葉を続けた。

 

「もし相手が強大な通常国家であれば、話は単純でした。軍備を増強し、外交圧力をかけ、最終的には本国正規軍の圧倒的物量で圧殺すればそれで終わる。しかし、コホート・コーポレーションは違う。彼らは戦争ではなく――『市場』を広げているのです」

 

 カイオスは机の上へ、数枚の資料を広げた。東部属州の交易量推移グラフ、鉄製農具の流通図、地方物価の急激な変動指数。

 

「属州の農村ではすでに、コホート製の鋼鉄農具によって収穫量が3倍近くに増加しています。奴らの薬品供給によって、労働力の死亡率も劇的に低下した。さらに、抜け目のない地方の領主や商人たちは、皇国の過酷な搾取に応じるより、コホートと交易した方が遥かに利益率が高いと判断し、裏で強固に繋がり始めています。……皇后陛下、我々は今、最も恐るべき事態を許しています」

 

「……言いなさい」

 

「はい。我らは、属州民や貴族たちに――皇国とコホートを『比較』をされ始めているのです」

 

 沈黙。それは、恐怖政治によって成り立っている帝国システムにとって、最も最悪な崩壊の兆候だった。

 支配とは、純粋な暴力(軍隊)だけでは成立しない。民衆の側に「この支配者に従う他ない、逆らう方が損だ」という諦念と依存があるからこそ安定する。だがもし、「皇国の過酷な法に従うより、コホートの合理的な商売に関わる方が遥かに豊かで健康になれる」と民や貴族が気付き、天秤にかけ始めれば、パーパルディアの支配構造は内側から腐り落ちるように瓦解していく。

 

 レミールはゆっくりと立ち上がった。長い金髪が夜風に揺れる。

 

「なるほど」

 

 彼女は窓際まで歩み寄り、幾千の魔導灯がきらめく巨大帝都エストシランドの夜景を見下ろした。

 

「……つまり奴らは、兵を進めることもなく、『国を滅ぼさずに帝国を殺せる』ということね」

 

 カイオスは答えなかった。あまりにも正確な看破であり、否定する言葉がなかったからだ。

 しばらくの沈黙の後、レミールは小さく、愉悦を孕んだ声で笑った。だがその笑みは、背筋が凍るほど冷酷だった。

 

「やはり危険ね」

 

 彼女は静かに振り返る。その赤い瞳には、絶対的な覇権国家の支配者としての、強烈な威圧感が宿っていた。

 

「飛竜を落とされたことなど、もはやどうでもよいわ。問題はそこではない。奴らは、我が国が数百年かけて築き上げてきた『秩序』そのものを根底から壊しにかかっている」

 

 レミールは扇子を強く握り締め、言い放つ。

 

「パーパルディアとは何? 第三文明圏を統べる絶対的な文明国家よ。法を与え、交易を整え、蛮族を恐怖で管理し、この文明圏へ不変の安定を築いた。だからこそ周辺諸国は我が国へ平伏し、従う。だが、あのコホートとかいう怪物は違う。奴らは歴史も伝統も、支配の誇りすら理解しない。ただ自社の利益のみで動き、人心を金で買い、秩序を合理性で侵食している。放置すれば、属州から順に、我が国のすべてが腐るわ」

 

 

 

 カイオスは静かに目を伏せた。その危険性自体は、彼もまったく同感だった。だが、問題は「具体的にどう止めるか」だ。軍事力では勝てる保証がなく、経済の領域ではすでに圧倒的な生産格差によって侵食を許している。

 

 その時、レミールがゆっくりと彼の間近まで歩み寄ってきた。

「カイオス」

 

「は」

 

「奴らは今、血眼になって何を欲しているの?」

 

 カイオスは、ヴェルナーの報告とセリナの動向から導き出した答えを即答した。

 

「ミスリルです。恐らく、彼らの異常な工業や高度な装備を永続的に維持するために、どうしても欠かせない生命線たる戦略資源かと」

 

 レミールは数秒間、沈黙した。そして、静かに、獰猛に笑った。

 その美しくも残酷な笑みを見た瞬間、カイオスは本能的に、胃の辺りに強烈な嫌な予感を覚える。

 

「ならば、極めて簡単な話よ」

 

 レミールは玉座へ座り直し、パチンと音を立てて扇子を広げた。

 

「ミスリルの蛇口を、こちらが根元から握り潰せばよいわ」

 

「……皇后陛下?」

 

「ミューズをはじめとする東部属州の全鉱山地帯を、全面的に皇室の『直轄管理(国家統制)』へ完全移行する。地元の請負人や地方貴族の利権、商人の契約など知ったことではないわ。採掘量、流通経路、輸送手段、すべての権利を国家権力によって完全に掌握するのよ」

 

 彼女の声は冷徹極まりなかった。コホートのCEOタドコロが狙っていた「現地の法律や産業構造の隙間を突いた買収工作」を、国家の最高権力という無慈悲な『暴力』によって、上から力ずくで叩き潰す一手。ルールが通じない相手なら、ルールそのものを上書きすればいい。

 

「そして――コホートへのミスリル原石の流入を、1グラムたりとも残さず、完全に遮断するのよ」

 

 カイオスはそっと目を閉じ、自身の冷や汗が背中を伝っていくのを確かに感じていた。

 始まったのだ。これはもう外交でも、単なる警察行動でもない。国家の総力を挙げた『経済封鎖』であり、コホートの生命線を断つための、真の意味での資源戦争(宣戦布告)だった。

 

 タドコロの「資本による侵食」に対し、レミールは「国家権力による強制接収」という絶対的暴力でその息の根を窒息させにかかった。

 

「……御意。直ちに、全鉱山の強制直轄化の手続きに入ります」

 

 カイオスが深く一礼して退室する。

 平和と交易の仮面を被った両者の、全面衝突へのカウントダウン。その歯車は、ついに最終段階へと突入した。

 

 

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