辺境惑星召喚――コロニストたちの異世界漂流記 作:ホゲフガ
# 第18話:市場の温度
### 1. 浸透する「便利」と歪む市場
属州都ミューズの中央交易区は、本来であれば早朝から商人たちの怒号と客引きによって活気に満ち溢れているはずだった。だが、その日の市場には、肌を刺すような奇妙な緊張感が漂っていた。
原因は先日、グリンウッドで起きた凄惨な事件だ。ミスリルの密輸を巡り、皇国側の摘発部隊とコホートの隠密が衝突。執行官ヴェルナーの手の者を含む精鋭たちが、魔法の痕跡すら残さぬ未知の凶器で一瞬にして全滅させられたという噂が、尾ひれをつけて街を駆け巡っていた。
皇后レミールの勅命を受けた第三外務局の締め付けにより、石畳の大通りには武装した皇国憲兵隊が絶え間なく巡回し、主要交差点には急造の臨時検問所が設置されている。荷車を引く商人たちは皆、どこか怯えた目で周囲を警戒していた。
「止まれ。積荷検査だ」
検問兵が無機質に命じる。中年商人は顔を引き攣らせながら、荷車の布を外した。
中には農具。鉄鍬。鋤。そして――陽光を浴びて鈍く、しかし美しく発光する、見たこともない銀色金属で補強された部品。兵士の目が細くなる。
「……これは何だ」
「の、農具ですよ旦那。西部農村へ卸す予定の、ただの野良仕事の道具で――」
「どこ製だ、と聞いている」
商人は一瞬、口を噤んだ。それだけで周囲の空気が一変する。憲兵の手が、腰のサーベルの柄へと伸びた。
「答えろ」
「……コ、コホート製です」
周囲の商人たちが一斉に視線を逸らす。今やその名を公然と口にするだけで、背筋に冷たい刃を突きつけられたように空気が凍る。
だが、問題なのは恐怖だけではなかった。【売れる】のである。圧倒的なまでの暴利を伴って。
コホート製のスチール農具は壊れず、軽く、切れ味が異常なほど長持ちし、何より平均収穫効率を大幅に引き上げた。農民たちはすでに知っているのだ。一度あの利便性を知れば、二度と前近代的な鉄器には戻れない。
薬も同じだった。皇国の治療魔導士や高価な魔導薬では絶対に助からなかった熱病患者が、コホート製の「標準型抗生剤」によってわずか数日で回復する事例が続出している。だからこそ、国家の統治にとっては、民心を根こそぎ掠め取る危険な毒だった。
「……没収だ」憲兵が冷たく告げた。
「なっ!? ご無体な!」
「皇室直轄命令により、コホート関連物資はすべて監査対象、および差し押さえとなる」
「ま、待ってくれ! これを失えば私は借金で首を括るしか――」
「黙れ、逆賊の片棒担ぎが」
兵士が商人を無慈悲に突き飛ばした。
没収された極上のスチール農具が、乱雑に荷馬車へと放り込まれていく。その様子を、通り沿いにある酒場の2階窓際から、静かに見下ろしている男がいた。ミューズ近郊の元現地民であり、今やコホートの非公式な仲介人となったハキだった。
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### 2. 電卓を叩く怪物
ハキは、以前の痩せ細っていた頃とは見違えるほど、肉付きのいい身体になっていた。身に纏っている衣服も、仕立ての良い上質なものだ。だが、窓外の凄惨な臨検を見つめるその表情は、少しも晴れなかった。
「……酷いな。昨日、裏の倉庫で憲兵が殺されたのも、やっぱりお前たちの仕業なのか?」
ハキが掠れた声で呟くと、隣でデータパッドを弄びながら、つまらなそうに頬杖をついていた若い女性が小さく息を吐いた。
コホート社より、ミューズ周辺の現地担当官として派遣されている事務員のマリナだ。茶色の短髪に眼鏡を掛けた、ごくありふれた「人間種(ベースライナー)」の社員である。
彼女はミウラやセリナのような戦闘員ではない。だからこそ現地での交渉や物流管理の窓口に回されていたが、その瞳はハキよりも遥かに冷徹に、市場全体を『数字』として観察していた。
「まあねぇ。向こうがこっちの流通ルートを力ずくで封鎖しにきたんだから、セキュリティが適切に対処しただけ。ただの自衛だよ」
軽い返事。だが、ハキの背中には冷たいものが走る。
「皇国側からすれば、お前たちは危険すぎる。国を内側から作り替えようとしているんだ」
「ハキ、誤解しないでね」
マリナは窓の外から目を離さずに、淡々と事務的なトーンで告げた。
「私たちは無敵の神様じゃないのよ。プロスペリティの維持、パワーアーマーの整備、ドローンの再生産……高度なコンポーネントを維持するための『プラスチール(ミスリル)』の供給が止まれば、うちの会社だってジリ貧になる。だから、経営陣だって手段を選んでいられないのよ」
マリナはパッドを卓上に置き、小さく呟いた。
「問題はね、もう止まらないってこと」
「……何がだ」
「依存よ」
彼女は窓の外、憲兵たちの目が届かない路地裏の影を指差した。
「見てみなよ、あの泥臭い市場のリアルを」
そこでは、臨検の嵐を掻い潜った別の露店商人が、常客の男へと小声で囁いていた。
『……あるぞ。コホートの薬だ。少しだけなら残っている』
『本当か!? 娘が病気なんだ、頼む!』
『ああ。ただし、本国がうるさいんでね。値段は普段の3倍だ』
布袋の中から一瞬だけ覗いたのは、コホート社製の医療キットだった。
すでに、皇国の法律が届かない暗部で強固な「闇市場(ブラックマーケット)」が形成され始めている。国家が禁止すればするほど、需要は跳ね上がる。需要が増えるほど利益は膨らみ、その利益を求めて商人は命がけで動く。国家の命令や恐怖など、資本の魅力の前には何の意味も持たない。
「皇国は止められないよ」マリナは冷酷な真実を口にする。
「だって、圧倒的に便利なんだもん。人間、一度上がった生活水準は下げられないのよ」
ハキは黙り込んだ。その言葉を否定する術を、彼は持っていなかった。
コホートが来てから、属州の村々は間違いなく豊かになった。飢えは消え、病で死ぬ子供の数は劇的に減った。
だが同時に、世界は確実に壊れ始めていた。皇国兵は神経質になり、密輸が横行し、裏社会の規模が爆発的に膨張している。ハキの耳には、現地のレジスタンスすらもが、コホート経由で「型落ちの銃火器」を裏ルートで調達できないかと画策しているという噂まで届いていた。
(……何なんだ、あいつらは)
ハキは遥か彼方の平原へと視線を向けた。そこには、あの巨大グラヴシップ《プロスペリティ》の不気味なシルエットが佇んでいる。
武力による征服ではない。統治でもない。まるで、全く異なる次元の文明そのものが津波のように流れ込み、この世界の古い仕組みを静かに、確実に侵食し、窒息させようとしていた。
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### 3. 猟犬の強襲
その時だった。市場の中央広場から、一際激しい怒号が上がった。
「第三外務局だ!! 動くな!!」
一瞬にして空気が一変する。黒灰色外套を纏った、明らかに通常の憲兵とは纏う殺気が違う集団が、市場の全出入口を遮断するように雪崩れ込んできた。
先頭に立つのは、第三外務局執行官――ヴェルナー。先日のグリンウッドの一件を受けてミューズへ直接出撃したその冷たい灰色の目が、広場全体を鷹のように見渡す。
「これより、密輸物資の大規模摘発を開始する。全商人はその場から動くな。コホート関連物資を所持、あるいは隠匿している者は、皇国法違反として即座にその場で拘束する」
凄まじい緊張感が走る。数人の商人が荷を捨てて逃走を試みたが、同時に周囲の建物の屋根上から、皇国最新鋭の前装式ライフル銃の銃口が鈍く光った。完全な包囲網。単なる警察行動ではない。これはコホートのネットワークを根絶やしにするための、完全な対諜報作戦だった。
「……あー、最悪」
酒場の2階で、マリナが小さく舌打ちをした。彼女の目線の先――広場の反対側で、小さな荷車を押していた少年が完全に青ざめて硬直していた。まだ15歳程度。痩せた身体に、粗末な麻服を纏った現地人の子供だ。
「おい、あの子は……!」ハキがガタガタと震え出す。
「知り合い?」
「前にうちの村へ来てた行商人の弟だ……! 兄貴が捕まって、代わりに荷を運んでるんだ!」
少年の荷台には、ボロ布に隠されて、大量のコホート製機械部品が積まれていた。水耕栽培用のサーボ補助ユニット。簡易浄水フィルター。抗生剤のケース。さらには、分解された通信端末の電子部品まで混ざっている。見つかれば、一族もろとも極刑は免れない重罪物資だ。
市場の中央では、外務局の兵士たちが少年の荷車へと歩みを進め始めていた。少年の顔から血の気が完全に引いていく。
「荷を確認する。布を外せ」
兵士が冷酷に手を伸ばした、その瞬間だった。少年は恐怖の限界に達し、反射的に荷車を兵士へと強く押しつけた。
「待てッ!! 逃げるな!!」
怒号が響く。荷車が石畳を跳ね、少年はそのまま市場の入り組んだ裏路地に向かって、脱兎のごとく全力で走り出した。
「逃走者だ!! 確保しろ!! 抵抗すれば足首を撃ち抜け!」
外務局の兵たちが一斉に動く。群衆が悲鳴を上げながら四散し、市場は瞬く間に大混乱へと飲み込まれた。
「……馬鹿!」マリナが椅子を蹴立てて立ち上がる。
「あの子、あの包囲網を逃げ切れるわけないでしょ!」
当然だった。ヴェルナーの敷いた網に死角はない。少年が飛び込んだ狭い路地の先からは、すでに灰色外套の兵士たちが銃を構えて待ち構えていた。
「止まれ、ガキが!」
前装式短銃の黒い銃口が向けられる。少年は涙を流しながらも、勢いを止められずに荷車を放り投げた。木箱が砕け散り、中から転がり出た、皇国の技術では逆立ちしても製造不可能な機械部品を見た瞬間、外務局兵たちの目付きが「摘発」から「捕食」のものへと変わった。
「やはりコホートの物資か!」
「現行犯で拘束しろ!」
兵士たちが一斉に踏み込む。だが、彼らの手が少年の肩に届く、まさにその刹那だった。
市場広場の上空から、聞いたこともない金属的な高周波駆動音が鳴り響いた。ヴェルナーの目が鋭く細められる。
「……上か!」
次の瞬間、建物の屋根上から、小さな円筒形の金属物体が数個、路地裏へと正確に投下された。
「何だ、これは――」
兵士が言い終わる前に、物体が爆発的な閃光を放った。
光だけではない。鼓膜を物理的に破壊するかのような、凄まじい音響。コホート製フラッシュバン。兵たちの五感は、一瞬にして完全に遮断された。
「ぐあああッ!? 目が、耳が――っ!」
「魔法か!? 結界はどうした!」
兵士たちが完全に虚脱し、その場に頽れる。その光の嵐の隙間を突いて、路地の奥から漆黒のクロークを纏った人影が飛び込んできた。その動きは異常なほど速く、しなやかだった。まるでこの世界の重力法則に縛られていないかのような、異次元の機動。
「コホートだ!! 撃て、撃ち殺せ!」
ヴェルナーが視界を侵されながらも叫ぶ。
だが、フード姿の人物は迷いなく少年の小柄な身体を片腕で小脇に抱え上げると、そのまま垂直に近い石壁を信じられない力で蹴り上がり、屋根の上へと一躍で飛び上がった。
「なっ――!? 亜人が、人間を抱えたままあの高さを跳躍しただと!?」
石壁を蹴り、屋根から屋根へと滑空する人影。キイロ族特有の驚異的な身体能力と、背中に装着されたジャンプパックのプラズマ推力。
ヴェルナーは即座に腰の短銃を抜き、動きを予測して発砲した。激しい発砲炎と共に鉛弾が夜空を裂いたが、弾丸は虚しく空を切る。
去り際、フードの隙間から、猫科特有の縦長瞳孔を持った金色の瞳が、嘲笑うかのように一瞬だけヴェルナーを見つめていた。
「……また貴様か。猫女め!」
セリナだった。彼女は少年を抱えたまま、驚異的な速度でミューズの屋根の上を疾走していく。背後では、空間に展開された数機の小型スカウト・ドローンが、追撃しようとする皇国兵の頭上へ、さらなる妨害用の目潰し閃光(低出力レーザー)を容赦なく撒き散らしていた。
完璧な、そして一切の無駄がない電撃的な救出作戦。それはまるで、第三外務局のこの大規模摘発の動きを、最初からすべて把握していたかのような立ち回りだった。
「執行官殿、屋根伝いに追撃を! まだ間に合います!」
部下が目を擦りながら叫ぶ。
だが、ヴェルナーは静かに手を挙げ、それを制した。
「……いや、追っても無駄だ。あの速度には追いつけん」
彼は消えつつあるセリナの青白いプラズマの残光を、冷徹に見つめていた。
「……こちらの情報網が、完全に漏れているな」
その目は、一介の執行官の域を超えた鋭さを宿していた。今の一連の救出劇は、決して偶然の居合わせなどではない。コホート側はすでに、ミューズの市場、商人、密輸ルート、そして皇国軍内部の動向すらも、かなり深いレベルで傍受している。
つまり――皇国側の上層部や情報網のどこかへ、すでに奴らの恐るべき「資本」と「甘い毒」が深く食い込み、買収を完了している可能性が極めて高かった。
(……厄介極まりないな。戦場で強いだけの敵なら、まだ対策の立てようもある。だが、コホート・コーポレーションは違う。商人を使い、市場を操り、密輸を支配し、必要に応じて異次元の特殊部隊を平然と投入する。国家でもなければ、単なる盗賊でもない。まるで巨大な目に見えない生物のように、我々の社会の基盤そのものを侵食している)
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### 4. 不遜なる効率の影
その頃。市場から数区画離れた、皇国の魔導灯も届かない暗い屋根の上を、セリナは少年を抱えたまま風のように疾走していた。
「は、速っ……! 浮いてる……!? お姉ちゃん、人間じゃないの……!?」
少年が恐怖と驚愕のあまり、半泣きになりながら呻く。
「舌噛むから喋んないで。あと私はキイロ、見ての通りネコ系のゼノヒューマン……獣人って言ったほうが分かりやすいかな?」
セリナは短距離ジャンプパックを微噴射させながら、滑らかに次の建物の屋根へと跳躍した。下方からは、何十分も遅れて鳴り響き始めた憲兵隊の警鐘と、的外れな方向へ走っていく兵たちの怒号が聞こえてくる。
「お姉ちゃん、コホートの人なんだよね……? なんで、皇国に逆らってまで僕を助けてくれたの……?」
「商品だから」
即答だった。少年の細い身体が、その血の通わない単語に絶句する。セリナは悪びれもせずに、フードの奥で琥珀色の瞳を光らせながら言葉を続けた。
「君が運んでた農業用サーボユニットと電子部品、結構コンポーネントのコストが高いんだよね。皇国なんかに没収されて、ただの鉄屑に分解されたら会社が純損失を出して困るの。だから『資産』を回収しただけ」
だがその直後、彼女はフードの隙間から、ほんの少しだけ視線を柔らかくした。
「……まあ、あとは、子供の死亡レポートなんか提出したら、うちのタドコロ社長の機嫌が最悪になるからね。経営陣のメンタルヘルスを守るのも、社員の大事な役目ってこと。それだけだよ」
冷たい夜風が、二人の外套を激しくなびかせる。
遥か彼方。平原の闇の奥では、巨大グラヴシップ《プロスペリティ》の無機質な白い光のラインが、不気味に明滅していた。
それはまるで、自分たちの生み出した「便利」という名の毒に溺れ、戦わずして瓦解していく前近代の帝国を、冷徹に観察しているかのような、絶対的な捕食者の佇まいだった。