辺境惑星召喚――コロニストたちの異世界漂流記 作:ホゲフガ
第28話:絶望の算術
### 1. 絶望の算術
巨大グラヴシップ《プロスペリティ》の第一会議室。
中央のホログラムテーブルは、いつもとは異なる重苦しい赤と青の光に染まっていた。
偵察ドローンが皇都エストシランドからルイナ川、そしてエストラ運河の流域にかけて捉えた、パーパルディア皇国軍の全貌。それが、詳細なアセットデータとしてコンソールへ展開されていた。
「――合計、十三万。現地調達の補助兵を合わせれば、実質十四万から十五万の陸上戦力。前装式ライフル銃による面制圧陣形、および四百騎の飛竜による上空制圧を想定」
財務チーフのスカルバーグが、黒色のオオカミ耳をこれ以上ないほど重く伏せ、感情を完全に排した声で読み上げる。
「さらに、ルイナ川を遡上中の水上戦力。主力戦列艦三十五隻、補給船二十隻。……そして、外輪推進式飛竜母艦2隻、および船体全面を圧延鉄甲で覆った装甲艦1隻。――以上が、敵遠征軍の全容です」
会議室に、深い沈黙が落ちた。
いつもなら「原始人どもが」と不敵に笑うセキュリティ責任者のミウラすら、重装甲の腕を組んだまま戦術マップを睨みつけ、一言も発さない。
「待ってくれ……」
内政主任のキムラが、長いウサギ耳を神経質に震わせながら、何度もコンソールのキーを叩いた。黒い瞳が、激しく明滅する数値の間を泳ぐ。
「ボクの計算、どこか間違ってないか? 何度最適化数値を入力しても、結果が変わらないんだ。……これ、本当に十三万以上いるのか?
バカな、あの世界の文明レベルで、これだけの兵力と重厚な鋼鉄艦、四百もの航空戦力を同時に動かすためのロジスティクスを、どうやって維持しているんだ。ボクたちのコンポーネント在庫じゃ、正面から衝突した瞬間に摩耗と弾薬不足で製造ラインが爆発する……! 数が、物理的な質量が、うちの防衛アセットの限界値を遥かに超えてるよ!」
キムラの悲鳴のような声が、会議室の冷え切った空気に虚しく響く。
コホートは神ではない。高度な技術体系を持ってはいるが、本質は元の惑星との連絡を絶たれ、限られた資材をやり繰りして延命している「遭難企業」なのだ。使える弾薬も、ドローンの演算コアも、タレットの冷却部品も、すべては有限。数万、数十万という物量による波状攻撃は、それ自体がコホートの「アセットの寿命」を強引に擦り切らせる最悪の天敵だった。
タドコロは上座の席で、静かにホログラムを見つめていた。その手にはお気に入りの扇子が握られている。
彼女は低く、落ち着いた声で、メインシステムのアシスタントAIへ問いかけた。
「――システム。現在の防衛アセット、現地ゲリラへの外注進捗、および敵の予測進軍ルートを網羅した、我が社の『勝率予測値』を表示して」
『――了解しました。現在の全リソースを投入した、対パーパルディア皇国遠征軍における資産防衛成功確率(勝率)を算出します』
ピィ、という電子音と共に、ホログラムテーブルの中央に、大きな数値が投影された。
【資産防衛成功確率:40%】
会議室の空気が、完全に凍りついた。
これまでの戦闘、闇市場の制圧、グリンウッド鉱山の電撃占拠にいたるまで、AIが弾き出してきた勝率は常に95%、あるいは98%という「圧倒的な処理効率」を示していた。
40%。それはすなわち、過半数以上の確率でコホート・コーポレーションが敗れ、この世界の荒野で藻屑と消えることを意味する、絶対的な危険水域の数値だった。
誰も、言葉を発することができなかった。
完璧に設計されたキルゾーンも、圧倒的な物量の前には、その前提を崩される。技術格差の優位性が、国家という「巨大なシステムの全出力」によって押し潰されようていた。
静寂の中で、小さく、カタカタと乾いた音が響いた。
広報チーフのノゾミが、ふと上座へと目を向け、息を呑んだ。
タドコロが握っている扇子が、微かに、しかし確かに震えていた。プラスチール製の骨組みが、彼女の指先の微かな震えを拾って、かすかな音を立てていた。
常に冷静で、どれほどの襲撃や地獄を前にしても「想定内よ」と微笑んでいたタドコロの、鉄の仮面が一瞬だけ崩れていた。
「社長……?」ノゾミが、痛ましさを隠せない声でその名を呼ぶ。
タドコロはゆっくりと扇子を閉じ、卓上に置いた。そして、集まった幹部たちの顔を、一人一人、真っ直ぐに見つめた。藍色の瞳に、これまでに見たことのない深い陰りが差している。
「……ごめんなさい」
誰もが驚きに目を見開いた。
RimWorldという修羅の荒野から、この見知らぬ異世界にいたるまで、常に最適解を選び続け、一度として自身の責任や弱音を認めることのなかった彼女が、初めて頭を下げたのだ。
「私の判断ミスよ。私は……パーパルディア皇国という存在を、心のどこかで甘く見ていたわ。
奴らの思想は時代遅れで、統治体制は腐敗し、システムは硬直している。だから、こちらが便利さという劇薬を流し込み、外側から少しずつ突けば、自重で簡単に崩壊する腐った納屋のような国だと、そう高を括っていた」
タドコロは、自嘲気味に小さく首を振った。
「でも、違ったわね。 奴らはどれほど非効率で、どれほど腐っていようとも――歴史を生き抜いてきた国家だったのよ。
ひとたびそのプライドを傷つけられ、生存の危機を感じれば、何万もの人間の命を燃料にして、技術の過渡期にある鋼鉄艦や、四百騎の飛竜を力づくで引きずり出してくる。その『国家の資格』が持つ暴力の底力を、私は見誤った」
タドコロは深く息を吐き、椅子の背もたれに身を預けた。天井の無機質なLEDの光を見上げるその横顔は、メガコーポの最高経営責任者ではなく、ただの「一人の人間」の脆さを孕んでいた。
「私はね……」
ぽつりと、彼女の口から本音が溢れ出た。
「ただ、みんなを元の惑星へ帰したかった。
利益のためじゃない。会社を大きくするためでも、この世界を支配するためでもないわ。
突然こんな見知らぬ惑星に飛ばされて、それでも私のために機械を回し続けてくれたキムラも、帳簿を守り続けてくれたスカルバーグも、泥水を啜って戦ってくれたみんなも……遭難したコホートの社員全員を、誰一人欠けさせることなく、生きてリムワールドへ帰したかった。
だからこそ、私は戦争という『最大の赤字』を選んででも、安全な供給網を確保しようとした。……だけど、その結果が、我が社の全損確率60%だなんてね」
彼女の独白に、会議室は再び深い沈黙に包まれた。
誰も彼女を責める者はいなかった。なぜなら、ここにいる全員が、彼女の最適解の裏にある「生存への執念」に救われて、ここまで生き延びてきたことを知っていたからだ。
その沈黙を切り裂いたのは、会議室の壁に背を預け、愛用する単分子大剣の刀身を拭いていた白兵小隊長――アリシアの、短く、鋭い笑い声だった。
「――で?」
アリシアはムース族特有の立派な角を揺らし、鋭利な刃物のような笑みを浮かべて大剣を肩に担ぎ直した。
「勝率が40%に落ちたからって、社長。あんたはここで『はい、破産手続きに入ります』って白旗でも振る気かい?」
タドコロが視線を戻すと、内政主任のキムラが、長いウサギ耳をピンと垂直に立てて、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「そんなの、ボクは真っ平ご免だね! 皇国の前装式ライフルの弾丸で、ボクの可愛いプラントやマッファローたちが虫みたいに潰されるなんて想像しただけで虫酸が走るよ! 40%もあるなら、製造ラインをオーバーロードさせてでも、弾薬の数をその数字の分だけ叩き出してやる!」
「私も、こんな未開の惑星の、頭の固い貴族どもの奴隷に甘んじるつもりはありませんわ」
ノゾミが3本のキツネ尻尾を不敵に、そして優雅に揺らしてみせる。
「広報部としては、まだ使えるカードが山ほど残っています。皇国が十三万の胃袋を引きずって歩くというなら、その喉元に毒を仕込む仕事は、喜んで引き受けましょう」
最後に、財務チーフのスカルバーグが、コンソールの画面をパッと切り替え、静かな笑みをその端正な顔に浮かべた。
「当然です。我が社において、事前の計画なき『倒産』などという最悪の赤字は許されません。私は、破産手続きの申請には、絶対の反対を表明します」
幹部たちの、恐るべきラリー。
彼らは「遭難企業」の頼りなさを自覚しながらも、その目は一歩も退いてはいなかった。RimWorldという数々の襲撃と絶望を潜り抜けてきたサバイバーとしての狂気とプライドが、彼らの胸の中で静かに、しかし熱く燃え上がっていた。
「……ふふ」
タドコロの口から、小さく、しかし確かな笑みが漏れた。
彼女はゆっくりと立ち上がり、卓上の閉じた扇子を再び手に取った。その指先の震えは、すでに完全に消え去っていた。
「そうね。破産は、我が社の社風には合わないわ」
タドコロは扇子で、ホログラムテーブルに映し出された、十三万の軍勢と漆黒の装甲艦『パーパルディア』、そして空を埋める飛竜がひしめく皇国の遠征プロファイルを、指し示した。藍色の瞳に、手段を選ばない剥き出しのプレイヤーとしての、そして冷徹なCEOとしての光が完全に戻る。
「相手がその『国家の全出力』を以て、我が社を圧殺しに来るというのなら……。
やるべきことはただ一つ。
【パーパルディアを内側から完全に解体する方法】を、私たちのやり方で計算しましょう」
タドコロの扇子が、パチンと鋭い音を立てて開いた。
「これより、対皇国遠征軍・全アセット最大稼働を開始。――これまでの商人の顔は、今この瞬間を以て完全に廃棄して。我が社の総力を以て、あの傲慢な皇国を、叩き潰すわよ」
勝率40%という絶望の算術を突きつけられながらも、遭難企業はパニックに陥るどころか、その理性を研ぎ澄まし、国家そのものを「解体」するための最悪の経営戦略へと舵を切った。絶対的な危機を認識したコホートの面々の目に、かつてない昏い決意が宿る中、物語はいよいよ、属州を舞台とした真の泥沼の防衛戦へと突入していくのだった。