辺境惑星召喚――コロニストたちの異世界漂流記   作:ホゲフガ

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第53話:静かなる開戦前夜

第2章 第7話:静かなる開戦前夜

 

1.詰問

 

パーパルディア皇都エストシラント、リーム王国大使館へ向かう馬車の中。

カイオスの隣には、今日から同行することになった一人の女がいた。

 

「渉外本部長のイレーヌです。よろしくお願いしますね、カイオス局長」

 

三角の獣耳をぴくりと揺らし、猫のような尻尾を優雅に揺らめかせながら、彼女は名刺代わりの薄い金属プレートを差し出した。犬とも狐ともつかない、シルキーラという種族特有の柔らかな面立ちに、油断のない商人の目が同居している。年の頃は、タドコロと同じくらいだろうか。

 

「渉外本部……コホートにおける、いわゆる『外務省』だとお聞きしていますが」

カイオスが訝しげに尋ねる。

 

「近いですが、少し違います」

 

イレーヌは、くすりと笑った。

 

「私たちは、各国政府との契約交渉、通商協定、治外法権交渉、賠償交渉、そして大使館との窓口を一手に担う部署です。……ただし、私たちの認識では、これは『外交』ではなく『営業』なんです」

 

「営業……ですか」

 

「はい。国王も、皇帝も、自治都市の代表者も、私たちにとってはすべて『取引先』です。仲良くする必要も、へりくだる必要もありません。ただ、利益になる相手かどうか、それだけを見極めます」

 

カイオスは、その割り切り方に薄ら寒いものを感じた。だが同時に、この女なら今日の交渉に有用かもしれない、とも思った。

 

「……率直に聞きます。あなたは、軍歴は?」

「ゼロです」

 

イレーヌは事も無げに答えた。

 

「私、元は亜人工業の営業責任者だったんです。剣も銃も使えません。でも、値切り交渉と、相手の嘘を見抜くことにかけては、そこそこ自信があります。……今回のような『大口の商談』が決裂した時のことを、私たちは『戦争』と呼ぶんですよ」

 

「商談の決裂、か」

 

カイオスは低く笑った。皮肉なのか、感心なのか、自分でも分からなかった。

 

「なるほど。今日は、あなたにとって『重要な商談』というわけですね」

 

「ええ。決裂させるわけにはいきません。……もっとも、こちらの目的は『成約』ではなく『確認』ですけれど」

 

馬車が止まる。両国の国旗が飾られた、リーム王国大使館の前だった。

 

出迎えたリーム王国大使ドレイファスは、深々と、しかし決して卑屈にはならない絶妙な角度で一礼した。恰幅の良い体を仕立ての良い外套に包み、指には幾つもの宝石をあしらった指輪が光っている。長年、大陸中の宮廷を渡り歩いてきた老練な外交官特有の、隙のない微笑みだった。

 

「これは、これはカイオス殿。……そして、噂に聞くコホートの渉外本部長殿まで。今日はまた、随分と豪華な客人だ」

 

カイオスは何も言わず、一丁の銃――旧式の前装式ライフルを、ドレイファスの執務机に無造作に置いた。銃床に刻まれた紋章が、鈍い光を放つ。

 

「これが、何か?」

 

ドレイファスは、銃を一瞥しただけで、顔色一つ変えなかった。

 

「東部属州の山中で、過激派レジスタンスの残党から回収されたものです」

 

カイオスは、感情を押し殺した平坦な声で告げた。

 

「銃床の紋章は、貴国の国章と一致しました。……大使閣下。我が国の反政府武装勢力に、貴国が武器を供与していたという事実について、ご説明いただけますか」

 

「ほう、それは由々しき話ですな」

 

ドレイファスは、机の上の銃を興味深そうに指先で撫でた。

 

「しかし、カイオス殿もご存知の通り、戦後の混乱に乗じた武器の密輸ルートは大陸中に無数にございます。旧皇国軍の横流し品、闇市場、あるいは……そう、コホート社の在庫からの流出、という可能性すらございましょう。この一丁だけをもって我が国を断じるのは、いささか性急ではありませんかな」

 

「では、国境沿いに貴国の飛竜騎士団と陸軍部隊が、ここ数週間で異例の規模で集結しているという件は?」

 

イレーヌが、初めて口を挟んだ。柔らかな声色のまま、しかし目だけは笑っていない。

 

「ああ、それはまた別件です」

 

ドレイファスは、少しも動じなかった。

 

「東部で不穏なレジスタンス活動があると聞き及び、念のため国境防衛を厚くしております。……何せ、隣国の内乱の炎が、こちらに燃え移っては困りますからな。これは、むしろ貴国のためを思っての措置と申し上げても良い」

 

見事なまでに、何一つ認めていない。それでいて、何一つ嘘をついているとも言い切れない、絶妙な言葉選びだった。カイオスは奥歯を噛んだ。長年の宮廷政治で鍛えた自分の交渉術をもってしても、この老獪な男から尻尾を掴むことができない。

 

「……大使閣下は、随分とお言葉がお上手だ」

「褒め言葉として受け取っておきましょう」

 

沈黙が落ちる。イレーヌは、微笑んだまま、テーブルの上の茶器――大使館側が用意した、まだ手をつけられていない茶を、じっと見つめていた。

 

「大使閣下。一つだけ、商売人として申し上げてよろしいですか」

「ほう、渉外本部長殿からのお言葉とは、ぜひ伺いたい」

 

「今日この部屋に入ってから、あなたは一度も、私たちに椅子を勧めていません」

 

イレーヌは、変わらぬ笑顔のまま続けた。

 

「本気で潔白を主張するつもりの交渉相手は、まず場を整えるものです。……つまり、あなたはこの会談を、最初から『長引かせるつもりがなかった』ということです。それだけ確認できれば、今日は十分です」

 

ドレイファスの笑みが、ほんの一瞬だけ、凍りついた。だが、それも一瞬のことで、彼はすぐに元の穏やかな表情を取り戻した。

 

「……手厳しいですな。さすがは、亜人工業出身の御方だ」

「ご存知でしたか」

「大使という仕事は、噂話を集めるのも仕事のうちでしてね」

 

カイオスとイレーヌは、それ以上追及せず、静かに席を立った。だが、部屋を出る間際、イレーヌはドレイファスにだけ聞こえる声で、小さく付け加えた。

 

「――交渉が決裂した後、私たちがどう動くかは、あなたが一番よくご存知でしょう。

パーパルディア皇国の顛末を、大使閣下も見ておられたはずですから」

 

ドレイファスは何も答えなかった。ただ、二人が退室した扉を、長い間見つめていた。

その夜のうちに、大使館の窓という窓から灯りが消えた。

 

2.外交の終わり

 

数日後。パーパルディア皇宮、最高会議室。

かつては皇国の首脳陣だけが座ることを許された円卓に、今は異質な顔ぶれが一堂に会していた。

 

皇帝ルディアスと皇后レミール。皇国軍の新たな総司令官に任命されたマータル。そして、コホート・コーポレーションのタドコロ、ミウラ、キムラである。

 

「報告します」

 

会議室の扉が開き、イレーヌが冷徹な足取りで入ってきた。手にしたバインダーには、まだインクの乾いていない緊急報告書が挟まっている。あの三角の獣耳は、先日大使館で見せた柔らかな笑みとは打って変わり、今はぴんと張り詰めていた。

 

「リーム王国、マール王国、パンドーラ大魔法公国の大使館は、すべて『もぬけの殻』です。停戦交渉および事前協議に対する回答は一切なし。外交チャネルの完全なる喪失を確認しました」

 

「先日、カイオス局長がイレーヌ殿と共に、リーム大使を問い詰めていたはずだが」

 

ルディアスが眉をひそめる。

 

「ええ」

 

カイオスが疲れた声で応じた。

 

「武器供与の証拠を突きつけました。……もっとも、あの老獪な大使は最後まで何も認めませんでしたが。おそらく、椅子一つ勧めなかったことを見抜かれたのが、向こうにとっては誤算だったのでしょう」

 

イレーヌが、小さく肩をすくめて付け加える。

 

「交渉というのは、言葉の中身より『相手が場を整えているかどうか』の方が雄弁なんです。……あの大使は、最初から長居する気がなかった。つまり、答えは聞くまでもなかった、ということです」

 

彼女は手元のバインダーをパチンと閉じ、タドコロへ視線を向けた。

 

「我が部の営業努力では、これ以上の利益確保は困難です。交渉不能と判断し、以後は安全保障部門へ案件を移管します」

 

「ご苦労様。カイオスも、良い仕事をしたわね」

 

タドコロが扇子を軽く振ると、カイオスは疲労の滲む顔で小さく頭を下げた。

 

「ミウラ、キムラ、引き継いでちょうだい」

 

タドコロの短い承認により、国家としての「宣戦布告」を待たずして、コホート内での『戦争』の業務フローが正式にスタートした。

 

3.血と経費の天秤

 

技術担当のキムラが、ホログラムモニターに無数の赤い光点を表示させる。

 

「敵兵力の最終推定が出ました。北部の国境線に展開するリーム王国軍、約十個師団。西海岸へ向かっているマール王国艦隊、約四十隻。後方支援のパンドーラ魔導部隊。……総兵力およそ六万以上。我が社の大陸拠点を完全に包囲する構えです」

 

「上等だ」

 

防衛主任のミウラが奥歯をガリッと噛み、凶悪な笑みを浮かべた。

 

「連中、我が社の防衛網を、まだ理解してねぇ。社長、ドローン部隊の安全装置を外していいか? 毒ガスでも低威力ニューク弾でも使って、敵を全部殺す」

 

「却下よ」

 

タドコロが、扇子を鳴らして即答した。

 

「全部殺すのは非現実的だわ。弾薬が持たないし、死体の処理費用だけで今期の利益が吹き飛ぶ」

 

「社長の言う通りだ」

 

キムラがデータパッドを叩く。

 

「完全殲滅を行った場合、占領地の維持費、数百万規模の難民対応、破壊されたインフラの再建により、我が社の予算は完全にパンクします。事後処理のコストが高すぎます」

 

「チッ……なら、どうするんだよ」

「敵の『軍事資産』だけを潰すのよ」

 

タドコロの藍色の瞳が冷徹に光った。

 

「兵士ではなく、指揮系統、補給処、艦船、飛空艦。それら高額なアセットだけをピンポイントで消去する。そうすれば、連中は『赤字』に耐えきれず撤退するわ」

 

4.国家安全保障会議

 

ルディアスは、この企業特有の「損益計算による戦争」の議論を、息を呑んで見つめていた。

タドコロが立ち上がり、ホログラムに五つの項目を表示させる。

 

* **案件A:** リーム王国(北部陸上侵攻)

* **案件B:** マール王国(西海岸海上封鎖)

* **案件C:** パンドーラ大魔法公国(技術支援・後方撹乱)

* **案件D:** 物流・避難計画

* **案件E:** 株価・ブランド維持

 

「……案件Eとは何だ?」

 

ルディアスが怪訝な顔で尋ねる。

 

「企業としての信用維持、つまり将来の資金調達能力を守る案件よ」

 

タドコロが事も無げに補足した。

 

「『コホートは武力圧力に屈する』という前例ができれば、株価が暴落して融資が止まる。それは領土を失うより致命的なの。だから、今回は圧倒的な『見せしめ』を行うわ。……主力である北部のリーム王国軍に対し、当社の無人自走砲部隊を集中させて侵攻を破砕する」

 

「……お待ちください」

 

そこで初めて、沈黙を守っていた総司令官マータルが口を開いた。

先の戦争で散ったアルデの腹心であり、後方での兵站・戦略立案を長年担ってきた理論派の男である。

 

「マール王国の『海軍』を軽視してはなりません」

 

マータルは、ホログラムの西海岸を指し示した。

 

「奴らの狙いは上陸ではなく、主要港の『海上封鎖』です。もし港を封鎖されれば、北部の防衛拠点へ送る弾薬と食糧の輸送ルートが72時間で完全に停止する。北部に火力を集中させすぎれば、背後から兵站を絶たれて自滅しますぞ」

 

その鋭い戦略的指摘に、キムラが即座に計算モデルを修正する。

 

「……マータル総司令官の言う通りです。マール艦隊を放置した場合、物流網の崩壊による確定損害額が予算上限を突破します」

 

「なるほど、見事な分析ね」

 

タドコロが感心したように頷く。

 

「なら、西海岸の防衛にプロスペリティの直掩部隊を割くわ。戦略の全体図はこれで確定よ。……各部門、速やかにタスクを実行しなさい」

 

会議室を後にするカイオスの背に、レミールが小さく声をかけた。

 

「……ご苦労様、カイオス。大使を問い詰めた時、怖くはなかったの」

「怖くなかった、と言えば嘘になります、皇后様」

 

カイオスは疲れた笑みを浮かべた。

 

「ですが、誰かが泥をかぶらねば、この国は本当に消えてなくなる。……それだけです」

 

レミールは、それ以上何も言わなかった。ただ、その横顔を、少しだけ長く見つめていた。

 

5.理論と現場

 

会議終了直後。

マータルは魔導通信機に向かい、北部防衛の最前線にいる男へ通信を繋いだ。

 

『……こちら北部司令部。ガイウスだ』

 

「マータルだ。皇都での会議が終了した。西海岸の港湾防衛へコホートの戦力を一部割くことになったため、北部の火力支援は当初の予定より二割ほど低下する」

 

『……机上の計算ではそうなるだろうな』

 

通信機越しに、ガイウスの鼻で笑う音が聞こえた。

 

『だが、前線の敵は十個師団だぞ。火力が減れば、その分は歩兵の血で埋めることになる』

 

「兵は無駄には死なせん。私が完璧な補給線を維持する。貴官は現場の戦術指揮に専念しろ」

 

マータルは冷静に返した。戦略を司るマータルと、前線を指揮するガイウス。対照的な二人だが、根底にある「国を守る」という覚悟は同じだった。

 

「……ガイウス。北部は任せる。生きて帰れ」

『無茶を言う。死なない程度に殺してやるさ』

 

短い交感。通信が切れると同時に、マータルは次なる手配のために部屋を駆け出していった。

 

6.前線の戦術

 

パーパルディア北部、防衛拠点アルーニ。

最前線の司令部テントでは、ガイウスが地図を広げ、配下の将校たちに矢継ぎ早に指示を飛ばしていた。

 

「第3から第5大隊は、直ちに第2防衛線へ後退しろ! 前方の石橋にはすべて爆薬を仕掛け、敵の渡河と同時に爆破する! コホートの自走砲部隊の陣地構築を最優先で援護しろ!」

 

泥臭く、しかし的確な戦術指揮。

そこへ、真新しいアサルトライフルを背負ったハキが駆け込んできた。

 

「ガイウス将軍。後方の避難誘導は完了しました。しかし、街に潜んでいたパンドーラの工作員と、便衣兵らしき集団が数組、通信施設を狙って動いています」

 

「やはり来たか。……ハキ、後方の治安維持は貴様ら治安部隊に一任する。正規軍は前を向くことしかできん。背中は預けたぞ」

「任せてください。俺たちの街は、俺たちで守り抜く」

 

ハキが力強く頷き、再び夜の街へと散っていく。

戦略が戦術へと落ちていく。それぞれの役割が完全に噛み合い、迎撃の準備は整った。

 

7.開戦

 

夜明け前。国境線の最前線に掘られた塹壕の中。

 

恐ろしいほどの静寂が、平原を包み込んでいた。風の音すらない、耳鳴りがするほどの静寂。ガイウスは望遠鏡を構え、暗闇の向こう側を凝視していた。だが、夜の間、国境線には何も動きがなかった。ワイバーンは元来、視界の利かない夜間の飛行を苦手とする生き物だ。リーム軍がワイバーンを使用して攻めてくるなら、それは夜明けと共になるはずだった。

 

ガイウスは、その読みを微塵も疑っていなかった。

 

「……来るなら、払暁だ」

 

彼は塹壕の縁に肘をつき、東の空がわずかに白み始めるのをじっと待った。兵士たちも同じように息を潜め、サーベルの柄や銃の引き金に手をかけたまま、夜明けを待ち構えていた。

 

時間だけが、重く過ぎていく。

 

やがて。

地平線の際が、墨を薄めたような灰色に変わり始めた頃。

 

ドン……。

 

遥か遠く、地平線の彼方から、腹の底を揺るがすような重い音が響いた。

 

ドン……!

ドドン……!!

 

続いて、空気を切り裂くような無数の飛翔音が、白みゆく夜空を覆う。

カンッ、カンッ、カンッ!

国境監視塔の警鐘が、朝靄を切り裂いた。

 

朝焼けを背に、無数の黒い影が浮かび上がる。リーム王国が誇るワイバーンの編隊が、昇り始めた太陽を背負うようにして、凄まじい羽音と共に国境を越えてくる。まるで、自らの姿を光の中に隠すかのような、計算され尽くした進軍だった。

 

「司令部より! 敵軍、国境を突破!!」

通信兵の絶叫が塹壕に響き渡る。

 

「……来た」

 

ガイウスが、静かに剣を抜いた。

払暁と共に始まった宣戦布告なき開戦。パーパルディアの命運を懸けた巨大な戦乱が、今、朝焼けの空の下で火を噴いた。

 

 

 

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