辺境惑星召喚――コロニストたちの異世界漂流記 作:ホゲフガ
第2章 第8話:開戦初日の誤算
1.払暁の突破
パーパルディア北部、国境防衛拠点アルーニ。第七防衛線、前哨陣地。
若い二等兵ヨナスは、震える手で銃身を握りしめていた。配備されてまだ半年。実戦は、これが初めてだった。
「怖がるな、小僧。息を止めるな、吐き続けろ」
隣の塹壕から、しゃがれた声が飛んだ。古参兵のドムだ。顔中に深い皺と、幾つもの古傷を刻んだ男が、パイプを噛みながら悠然と空を見上げている。
「ドム伍長……本当に、来るんですか」
「来るさ。あの音が聞こえねぇか」
朝焼けの空に、無数の黒い点が滲むように現れた。羽音が、大気を震わせながら近づいてくる。ヨナスの喉が、ごくりと音を立てた。
「て、敵編隊、接近中! 距離八百……いや、六百!」
伝令兵が声を裏返らせながら叫ぶ。
「落ち着け! 隊列を崩すな!」
ドムが怒鳴った。その声には、これまで幾度も戦場を生き延びてきた者だけが持つ、奇妙な落ち着きがあった。
「ワイバーンの急降下火炎弾攻撃は密集していると一網打尽だ!散らばれ! コホートのレーザー砲車が来るまで、俺たちは持ちこたえるだけでいい!」
空から降り注ぐ、鉤爪と炎の息。地上から突き上げる、前装式ライフルの斉射。
第七防衛線は、瞬く間に地獄と化した。ヨナスは無我夢中で引き金を引き続けた。何かに命中したのかどうかも分からない。ただ、隣でドムが撃ち、怒鳴り、時折彼の肩を叩いて「まだだ、まだ耐えろ」と繰り返す、その声だけを頼りに、彼は自分の恐怖を押し殺し続けた。
やがて、コホートの防空レーザー車の照射が空を裂き、ワイバーンの編隊を幾つも撃墜する。第一波は、辛うじて凌がれた。
だが、この日、パーパルディア北部国境で起きたのは、この局地的な激戦だけではなかった。
2.消えた目(パンドーラの妨害)
《プロスペリティ》第一会議室。開戦から一時間後。
「――何が起きてる!?」
内政主任のキムラの声が、初めて明確な動揺を滲ませた。彼の目の前のホログラムに映し出されていたはずの北部戦線のドローン映像が、次々とノイズに沈んでいく。
「オペレーター、状況を!」
「北部ドローン群とのリンク消失! 13機、同時に信号喪失!」
「再接続不能です! 座標情報も測位精度が著しく低下しています!」
会議室に、これまでにない緊張が走った。防衛主任のミウラが眉をひそめる。
「おい、どういうことだ。ジャミングか?」
「解析中です……いえ、ただのジャミングじゃありません」
キムラが端末を高速で操作し、原因を割り出そうと試みる。だが、通常の電波妨害とは異なる、奇妙な波形が計器に表れていた。
「魔力波形が検出されています。……大規模な、組織的な魔導妨害。おそらくパンドーラの仕業です」
タドコロの藍色の瞳が、わずかに細められた。
「……やってくれたわね」
転移後初めて、コホートの絶対的な優位である「情報の目」に、初めて曇りが生じた瞬間だった。北部戦線の詳細な状況は、もはや現地からの生の報告に頼るしかなくなっていた。
3.分散する影(ケインの戦術)
リーム王国軍、前線指揮所。
「順調です、閣下」
若き参謀ケインが、地図の上に無数の小さな駒を並べながら、静かな声で報告した。彼を「臆病者」と一蹴したリバル将軍は、後方の本営に控えている。この前線指揮所を任されているのは、ケイン自身だった。
「本隊の正面突破は、あくまで『陽動』です。奴らの自走砲とドローンは、大規模な部隊にしか興味を示しません。……ならば、大規模な部隊など見せなければいい」
ケインの立案した作戦は、極めてシンプルなものだった。
十個師団の主力を、あえて正面に見せつける一方で、実際の主攻は百人単位の小部隊、数十に分散させ、森、谷、山岳の間道、名もなき村落を縫うようにして、国境地帯全体へ同時多発的に浸透させる。
「コホートの兵器は、高価だ。一発のミサイルで、村一つを消し飛ばせる。だが、逆に言えば……百人の敵兵を狩るためだけに、その高価な一発を使わせることができれば、それは奴らにとって『割に合わない』商売になる」
ケインは、地図の上の駒を一つずつ、国境地帯の各所へ滑らせていった。
「奴らに、選ばせるのです。全ての浸透部隊を潰そうとして予算を溶かすか。見逃して、我々に国土を食い荒らされるか。……どちらを選んでも、奴らの『帳簿』には、赤字が刻まれる」
これは、リバル将軍の理解していた「コホートは損失を嫌う」という分析の、さらに一段先を行く戦術だった。損失を避けさせるのではない。損失そのものを、選ばせるのだ。
4.見えない敵(マータルの焦燥)
皇都エストシラント、軍司令部。
総司令官マータルは、刻一刻と更新される戦況図を前に、奥歯を強く噛みしめていた。彼は、アルデの戦死を受けて、参謀総長から総司令官へと繰り上がって間もない。理論家としての手腕を試される、最初の本当の試練だった。
「敵は正面から来ない」
マータルは、地図上に散らばる無数の小さな交戦報告を睨みつけながら呟いた。
「……補給路を狙っているのか」
その言葉を裏付けるように、次々と悲鳴じみた報告が飛び込んでくる。
「後方基地、炎上との報告!」
「第三弾薬庫、爆発! 被害甚大!」
「東部の橋梁が破壊されました、迂回路の確保に時間がかかります!」
「補給車列が襲撃されました! 護衛部隊、壊滅!」
「北部通信中継隊、応答なし……おそらく、全滅と思われます!」
マータルは、地図を握りしめる手に、無意識に力を込めていた。
コホートの圧倒的な火力を後ろ盾に、正面での勝利は揺るがないと踏んでいた。だが、この戦争は、正面の勝敗だけで決まるものではなかった。
(十三万を負かしたコホートの力を、我々は知っている。だが、リームは……その力を、正面から受けるつもりがない)
見えない敵。掴めない敵。数百の小さな傷が、確実にパーパルディアという体を蝕んでいく。マータルは、これまでの理論家としての自信が、静かに崩れていくのを感じていた。
5.背後の戦争(ハキの一日)
東部属州の街々。
北部での開戦の報せが届いたその日のうちに、街の空気は一変した。
ハキは、治安維持部隊を率いて、街の路地という路地を駆け回っていた。
「密輸倉庫、確保! ……くそ、もぬけの殻だ!」
「工作員らしき集団、南門付近で目撃されました!」
「魔導通信塔に不審者、侵入の形跡あり!」
リーム王国の便衣兵と、国内に潜んでいた密輸組織、そしてダリオ亡き後もなお燻り続けていたレジスタンス残党。彼らが、まるで示し合わせたかのように、開戦と同時に一斉に動き出していた。
「……前線だけが戦場じゃない、ってことか」
ハキは、額の汗を拭いながら、苦く笑った。
かつての仲間たちの残滓と戦い、リーム王国の工作員を追い、住民の動揺を鎮める。彼の戦争は、栄誉ある前線ではなく、この薄汚れた路地裏で、静かに、しかし確実に続いていた。
(俺たちの街は、俺たちで守り抜く――あの時、ガイウス大将にそう啖呵を切った。その言葉の重さを、今、思い知らされている)
6.帳簿の穴
夜。《プロスペリティ》第一会議室。開戦初日の総括会議。
「初日の損失は?」
タドコロが、疲労の色も見せず、いつもの淡々とした声で尋ねた。
「ドローン十三機喪失」
キムラが、抑揚のない声で読み上げていく。
「補給車列四隊、壊滅。北部監視基地二か所、機能喪失。……想定被害の、約三倍です」
会議室に、重い沈黙が落ちた。
ミウラが、口笛を吹くように息を漏らした。
「へえ……思ったよりやるじゃねえか、あいつら」
「問題は、そこではありません」
キムラが、ホログラムマップを切り替えた。国境地帯全域に、無数の赤い点が明滅している。開戦当初は数十だったその点が、今や数えるのも億劫になるほど増殖していた。
「敵は正面攻勢ではありません。……浸透です。百人単位の小部隊が、国境全域に同時多発的に分散侵入しています。このままでは、戦線全域が穴だらけになります」
「一つ一つは、無力化できる規模なんでしょう?」
タドコロが尋ねる。
「はい。一つ一つは。ですが、ドローン一機の出撃コストと、百人程度の敵兵を殲滅した際の戦果を天秤にかけると、費用対効果は著しく悪化します。全ての浸透部隊に対応しようとすれば、予算は際限なく膨らみます」
タドコロは、しばらく無言で、明滅を続けるホログラムを見つめていた。その藍色の瞳の奥に、これまで見せたことのない、微かな苛立ちの色が滲んでいた。
「……厄介ね」
それだけを呟き、タドコロは扇子を静かに閉じた。開戦以来、初めて聞く、彼女の短い敗北宣言にも似た一言だった。
7.戦線を倍に
リーム王国、前線本営。
大将軍リバルは、送られてきた戦況報告に目を通し、満足げに頷いていた。傍らには、この日の勝利――いや、正確には「敗北を免れた」という事実を静かに報告する、参謀ケインの姿があった。
「コホートは強い」
リバルは、地図に描かれた無数の赤い点――浸透中の自軍部隊を示す印を、指先でなぞりながら呟いた。
「だが、少ない」
彼は地図の全体を見渡し、口の端を歪めるように笑った。
「ならば我々は、戦線を倍に広げる。奴らが、守り切れぬほどにな」
リバルの視線の先で、地図に散らばる無数の小さな駒が、パーパルディアという国の輪郭を、静かに、しかし確実に侵食し始めていた。
開戦初日にして、コホート・コーポレーションは、初めて「絶対的な優位」という言葉に、小さな亀裂が入るのを味わうことになったのである。