辺境惑星召喚――コロニストたちの異世界漂流記 作:ホゲフガ
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第3章 第10話:海図に刻まれた意図
**1.海図の分析と抗議**
グラ・バルカス帝国艦隊による「航路調査」から数日後。
レイフォル国の海軍省では、複葉偵察機が持ち帰ったグラ・バルカス艦隊の航跡データの分析が行われていた。その結果は、レイフォル首脳陣を深く憂慮させるものだった。
「これは、単なる航海安全のための調査とは到底考えにくい」
海軍の将官が、海図に引かれた赤い線をなぞって言った。
「奴らが測量したのは、水深や潮流だけではありません。我が国の沿岸線の形状、軍港への入り口、艦船がどこまで接近できるかの限界点、さらには『上陸に適した海岸』や『艦隊が停泊できそうなポイント』まで、あまりに不気味なほど網羅されています」
報告を受けた宰相ゴードンは、冷静に返した。
「これだけで、グラ・バルカスが我が国への攻撃を計画しているとは断定できません。未知の海に放り出された彼らからすれば、有事に備えた地勢把握は通常の軍事行動の範疇です」
「しかし、我々に対する『侵略』に使える情報を収集していること自体は、紛れもない事実です!」
海軍側の切実な指摘に、ヒューエル一世も重く頷いた。
「敵意の証明にはならない。だが、安全保障上、放置できる行動でもない」
ヒューエル一世は、グラ・バルカス帝国に対する正式な抗議を決定した。ただし、最後通牒のような強硬なものではない。
『レイフォル沿岸に近接して詳細な測量を行う場合は事前に通知すること。および、我が国の安全保障に重大な影響を与える情報収集について説明を求める』
ゴードンの「先方は今のところ戦争を避けようとしている」という進言を容れた形だ。
ただし、ヒューエル一世は軍に対し、沿岸監視の強化、哨戒艦の増派、航空偵察の増加、そして沿岸砲台の警戒態勢移行を秘密裏に命じた。戦争は望まないが、備えは一段階引き上げられたのだ。
**2.公海の原則**
一方、グラ・バルカス帝国の首都ラグナ。
レイフォルからの抗議書簡を受け取った皇帝グラ・ルークスは、渋い顔をしていた。
「先方は、我々の測量活動を軍事的な偵察行動に準ずるものと認識し、警戒を強めているようです」
外務大臣のルナンが報告する。
「しかし陛下。測量(海図の作成)をしなければ、我々は自国の艦隊すらまともに運用できません」
海軍参謀総長が強く主張した。転移によって既存の海図とサプライチェーンを失った帝国にとって、海の調査は国家生存のための絶対条件なのだ。
ルークスは難しい立場に置かれた。戦争は望んでいないが、測量を止めるわけにはいかない。
「レイフォル近海での測量は一時的に縮小せよ。ただし、他の公海地域の測量そのものは継続する」
ルークスは決断を下した。
「また、不必要な摩擦を避けるため、可能な限り沿岸国には事前通告を行うよう外交的配慮を尽くせ。……だが、『公海上の航行および測量について、他国の許可を必要とする』という原則は絶対に認めるな」
それは、近代海洋国家としての譲れない一線だった。公海の自由な航行権を手放せば、帝国の艦隊は永遠に他国に首根っこを掴まれることになる。
グラ・バルカスはレイフォルに配慮を示しつつも、自らの主権的権利は一歩も譲らないという方針を固めた。
**3.暗躍する私情**
だが、両国が理性的な外交努力を続ける裏で、最悪の『ノイズ』が動き始めていた。
パガンダ王国。王族ドグラスの私邸。
グラ・バルカスの皇弟ハイラスを襲撃した首謀者であるドグラスは、現在、完全な謹慎を命じられ、外交職からも永久追放されていた。国王アニュンビス三世からも「今後一切、外交には関わるな」と厳命されている。
ところが、ドグラスの『パガンダ国王の甥』という身分そのものが消えたわけではなかった。
彼の私邸には、彼に同情的な元側近や一部の貴族、そして海軍の血気盛んな若手将校らが密かに集まっていた。
「あの蛮族の連中、今度はレイフォルの近海を好き勝手に調べ回っているそうだな」
ドグラスが、苛立たしげに酒杯を煽って不満を漏らす。
「殿下。貴方は謹慎中であらせられます。これ以上の問題を起こせば……」
元側近がたしなめるが、ドグラスは鼻で笑った。
「私は誰にも何も命令などしていない。ただ、パガンダの安全を憂いて意見を述べているだけだ。……あれほど大規模な艦隊が我々の近くを嗅ぎ回っているのだぞ。軍は何もしないのか?」
ドグラスは致命的な勘違いをしていた。先の交渉で、グラ・バルカスは賠償で手を打ち、戦争を起こさなかった。
(グラ・バルカスは我々との戦争を恐れている。レイフォルが後ろ盾にいる限り、奴らは我々に強く出られないのだ)
そう固く信じ込んでいるのだ。
「レイフォルは我々を守っている。我々が弱腰になれば、蛮族どもにまた侮られるぞ」
ドグラスの煽りは、彼に忠実な海軍関係者の自尊心を刺激した。
ドグラスには軍を動かす正式な権限はない。しかし、彼の影響下にある元側近の海軍将校が艦長を務める小型艦艇が、「独自判断でグラ・バルカス艦隊を監視する」という名目で出港してしまったのだ。
**4.三つの航跡**
数日後。レイフォルとパガンダの中間海域(公海)。
グラ・バルカスの測量艦隊(駆逐艦二隻)が、沿岸から十分に離れた海域で調査を再開していた。
そこへ、ドグラスの息の掛かったパガンダの小型艦艇が接近してきた。目的は『監視』である。
『そちらの艦艇は、何の目的で接近している?』
グラ・バルカス艦から、発光信号で誰何が飛ぶ。
『我が国の安全保障上必要な監視活動である』
パガンダ艦は毅然と返した。
『我々は敵対行動を取っていない。これ以上の接近は危険だ』
『こちらも同じだ。公海上の航行である』
グラ・バルカス側は苛立ったが、まだ警告の段階に留めていた。
ところが、この不穏な動きを、哨戒任務中であったレイフォル海軍の魔導巡洋艦が遠方から発見した。
「なぜパガンダの海軍が、グラ・バルカス艦隊にあそこまで接近しているのだ!?」
レイフォル側は慌てた。彼らは戦争を避けるためにグラ・バルカスと微妙な距離を保っているのに、保護国であるパガンダが勝手に火遊びをしているのだ。
『パガンダ艦、直ちに距離を取れ』
レイフォル海軍から警告が飛ぶ。
だが、パガンダ艦の艦長は退避しなかった。
「ドグラス殿下から、決して弱腰を見せるなと指示されている。王族の意向を無視して逃げ帰れば、後でどんな不利益を被るか分からない」
という私的な恐怖が、軍としての正常な判断を狂わせたのだ。
ここに、最悪の三つ巴が完成した。
グラ・バルカス側は『パガンダとレイフォルが、共同で我々を監視・威圧している』と認識した。
レイフォル側は『パガンダが勝手に危険な行動をして、グラ・バルカスを刺激している』と焦った。
パガンダ側は『レイフォルという最強の後ろ盾を得た状態で、蛮族の艦隊に我々の存在感を示している』と勘違いしていた。
**5.愚か者の通信**
『パガンダ艦、直ちに当艦隊から離れよ』
グラ・バルカス艦隊から、厳しい最後通告が発せられた。
パガンダ艦は停止した。だが、艦長は強弁を繰り返す。
(……またパガンダか)
グラ・バルカス艦の艦長は、ギリリと奥歯を噛み締めた。皇弟ハイラス襲撃の記憶が蘇り、パガンダが再び自分たちを挑発しているという怒りが込み上げる。
そしてここで、状況を決定的に破滅させる『ノイズ』が割り込んだ。
『――私は、パガンダ王国のドグラスだ』
無線の共用周波数に、傲慢な男の声が響き渡った。
私邸に謹慎中のドグラスが、配下のパガンダ艦長に秘密の通信符号を用いて連絡を取り、艦の通信機を中継させて音声を海上に流したのだ。完全な越権行為である。
その名を聞いた瞬間、グラ・バルカス艦の艦橋が凍りついた。
皇族を傷つけ、帝国の尊厳を汚した張本人だ。
『我々は貴国を恐れない。我々の背後には、大レイフォル国がついて我々を完全に保護しているのだからな!』
ドグラスは、勝ち誇ったように言い放った。
グラ・バルカス側の顔色が変わった。
「……レイフォルが、だと?」
グラ・バルカスからすれば、ドグラスが処罰もされずに通信回線に現れ、レイフォルの庇護を誇示したように聞こえたのだ。
『レイフォルは、パガンダを使って我々を挑発している可能性が高い』という強烈な疑念が、グラ・バルカス側で跳ね上がった。
「馬鹿者! あの男は何をしている!」
通信を傍受していたレイフォル艦の艦長が、血相を変えて怒鳴った。
「パガンダ艦に直ちに通信を停止させろ!」
しかし、すでに遅かった。グラ・バルカス側には、『レイフォルがパガンダの凶行を保護(肯定)し、背後で糸を引いている』という最悪の印象だけが重く残ったのだ。
**6.威嚇と至近弾**
『パガンダ艦、直ちに離れろ。従わねば敵対行動と見なす』
グラ・バルカス駆逐艦が主砲塔を旋回させ、最後通告を行った。
だが、ドグラスの煽りを受けたパガンダ艦は動かない。
「威嚇射撃! 奴の艦首前方に叩き込め!」
ドーンッ!
グラ・バルカス駆逐艦の主砲が火を噴き、パガンダ艦の数百メートル前方の海面に巨大な水柱を上げた。
「ひぃっ!?」
実弾の恐怖に直面し、パガンダ艦の艦長がパニックを起こして面舵一杯の急旋回を行う。
ところが、そのパガンダ艦の急旋回が、グラ・バルカス艦と、遠方にいたレイフォル艦を結ぶ「視界(射線)」を一時的に遮る形となった。
レイフォル艦の艦長は、巨大な水柱と、逃げ惑うパガンダ艦の動きを見て最悪の誤認をした。
「グラ・バルカスがパガンダ艦を攻撃しました! パガンダ艦が追撃を受けます!」
「グラ・バルカス艦の進行方向前方へ、警告射撃を行え! パガンダ艦への追撃を防ぐのだ!」
レイフォル艦の魔導砲が轟音を立てた。
レイフォル側の意図は、あくまでグラ・バルカス艦の進路を塞ぐための『警告射撃』だった。だが、双方の艦が高速で航行中であり、十分な測距や射撃指揮のデータがないまま遠距離から放たれた砲弾は、想定より大きく逸れた。
ズシンッ!!
放たれた砲弾は、グラ・バルカス駆逐艦の至近距離の海面に着弾した。強烈な衝撃波と水柱が、グラ・バルカスの艦体を大きく揺さぶる。
「敵艦より砲撃! 至近弾です!」
グラ・バルカスの艦橋に、怒号が響き渡った。
「レイフォル海軍から砲撃を受けただと!?」
「こちらは威嚇射撃だ! なぜあんな至近に落ちた!」
グラ・バルカスとレイフォルが互いの行動に戦慄する中、パガンダの通信機からはドグラスの狂喜する声が響いていた。
『見たか! 奴らが先に撃った! 怯えるな、我々にはレイフォルがついている!』
**7.戦争前夜の交戦規定**
――グラ・バルカス帝国首都ラグナ。
「レイフォル艦隊から、砲撃を受けました」
緊急報告を受けたルークスは、ギリリと拳を握り締めた。激怒して当然の事態だ。
しかし、ルークスは決して「報復攻撃を行え」とは言わなかった。
「撃ち返すな」
ルークスは、極めて冷静な国家指導者の顔で命じた。
「我々がここで撃ち返せば、これは単なる海上での小競り合いではなくなる。砲撃の記録、相手艦の位置、そして『ドグラスの通信記録』をすべて保存しろ。抗議は正式な外交ルートから行う。艦隊は直ちに当海域から退避せよ」
まだ、戦争をする意思はない。ルークスは戦争を避けるため、軍事的な不利益と屈辱をあえて受け入れたのだ。
――レイフォル王都レイフォリア。
「グラ・バルカスは反撃しなかったのか?」
報告を受けたヒューエル一世が確認する。
「はい。即座に海域を離脱しました。あちらも戦闘を望んでいないのでしょう」
ゴードンが額の汗を拭う。
「ならば、まだ終わってはいない。外交で収拾できるはずだ」
両国の政治指導者は、自制を保ち、ギリギリのところで踏みとどまった。
しかし、現場の軍部の認識は、この事件を境に決定的に変わってしまっていた。
グラ・バルカス側は『レイフォル艦が明確な意思を持って先に発砲した。しかもドグラスの通信記録が、レイフォルの関与を裏付けている』と認識した。
レイフォル側は『グラ・バルカスがパガンダを攻撃したため、追撃を防ぐ警告射撃をしただけだ』と認識した。
政治指導部が外交的解決を模索する一方で、両国の海軍上層部は、現場の艦艇を守るために新しい命令(交戦規定の変更)を下した。
グラ・バルカス海軍司令部。
『再度の砲撃を受けた場合、艦隊防護のための自衛措置(反撃)を認める』
レイフォル海軍司令部。
『保護国の艦艇が攻撃された場合、護衛艦は即応(武力行使)する』
現場の艦長たちが、これを「次は撃たれる前に即座に反撃せよ」と解釈するのは火を見るより明らかだった。
もはや、次に海上で遭遇し、どちらかが引き金に指をかけた瞬間、実戦への扉は開かれる。政治は戦争を止めようとしているが、軍は確実に次の戦闘に備え始めていた。
パガンダ王国では、事態の重大性を知った国王が本気で怒り狂い、ドグラスをより厳格な謹慎処分とした。
だが、すでに手遅れだった。愚か者が放った言葉と、一度火を吹いた大砲の事実は、二度と取り消すことはできない。
グラ・バルカスとレイフォルの間には、もはや後戻りのできない、本格的な開戦への導火線が引かれてしまったのだった。