辺境惑星召喚――コロニストたちの異世界漂流記 作:ホゲフガ
第3章 第11話:引き返せない一線
**1.疑心暗鬼の海**
グラ・バルカス帝国艦隊とレイフォル海軍による『威嚇射撃事件』から数日後。
第二文明圏西部の海上の空気は、極限まで張り詰めていた。
帝国海軍は、レイフォル近海での測量活動を一部縮小したものの、公海上の航路調査そのものは国家の生存権として継続していた。一方のレイフォル海軍も、帝国艦艇の接近を強く警戒し、保護国であるパガンダ王国周辺海域の哨戒を倍増させていた。
両国の政治指導者は、まだ戦争を避けようと必死に手綱を握っている。
しかし、現場の艦長たちの認識はすでに一線を越えていた。
『次に相手が砲を向けてきたら、躊躇なく応戦しなければならない』
引鉄に指をかけたまま互いを睨み合う、極めて危険な小康状態。それが、現在の第二文明圏西部の海だった。
**2.幽閉された王族の焦燥**
パガンダ王国の王都。
王族ドグラスは、私邸の一室で苛立ちのままに高価な調度品を蹴り飛ばしていた。
彼は現在、厳重な謹慎処分を受け、外交職からも永久追放されている。王命により、自由な外出や軍関係者との公的な接触も一切禁じられていた。
だが、彼は微塵も反省していなかった。
(蛮族どもめ……。あいつらが我が国の近海を好き勝手に調べ回っているというのに、国王陛下は何もなさらない!)
ドグラスの目には、パガンダが帝国に怯えているようにしか見えなかった。
(我々の背後には、列強レイフォルがいるのだ。パガンダが少しばかり強く出ても、帝国は絶対に手を出せない。……私が動かなければ、我が国は永遠に侮られ続ける!)
ドグラスは、かつての側近を通じて、パガンダ海軍の血気盛んな若手将校たちと密かに接触した。彼らの一部も、帝国艦隊が自由に海域を調査している状況を、国家の屈辱だと受け止めていたのだ。
「これは国王陛下の正式な命令ではない」
ドグラスは、呼び寄せた将校たちに厳かに告げた。
「パガンダの誇りを守るための、貴官らの『自発的な愛国行動』だ。蛮族グラ・バルカスの測量船を拿捕し、奴らに我が国の法と意志を示せ。……手を出せばレイフォルが黙っていないと分かれば、奴らは必ず屈服する」
ドグラスの目的は、帝国との全面戦争ではない。帝国に一度だけ屈辱を与え、自分の面子を取り戻し、「パガンダ(自分)は侮れない存在だ」と誇示することだった。
**3.小さな行動の誤算**
数日後。パガンダ沖合の公海。
グラ・バルカス海軍の『小型支援船』が、単独で水深と潮流のデータ収集を行っていた。数キロ離れた海域では、護衛の駆逐艦が警戒にあたっている。
そこへ、パガンダ海軍の旧式砲艦が急速に接近してきた。
ドグラスに煽られた若手将校たちが立てた『拿捕計画』である。戦闘艦ではなく、非武装に近い支援船ならば、短時間で臨検・制圧し、測量資料を押収できると判断したのだ。
『パガンダ艦より通告。貴艦の行動は我が国の安全保障を著しく脅かしている。直ちに停船し、臨検を受け入れよ』
支援船の乗員は、発光信号を見て耳を疑った。
『当艦は公海上で正当な海洋調査を行っている。不当な要求には応じられない』
支援船が即座に拒否し、護衛の帝国駆逐艦へ緊急通信を送る。
パガンダの若手将校は、帝国が「撃ってくるはずがない」とタカを括っていた。列強レイフォルという絶対の後ろ盾がある以上、相手は必ず引き下がると信じ切っていた。
「全速前進! 強行接舷し、乗り込め! 帝国艦が妨害してきた場合は、いつでも撃てるように砲を向けておけ!」
パガンダ艦長の下したこの「条件付きの反撃許可」が、最悪の引き金となる。
**4.取り返しのつかない瞬間**
「パガンダ艦、当艦隊の支援船へ強制接舷を試みています!」
急行してきたグラ・バルカス帝国駆逐艦の艦橋に、切迫した報告が響く。
「また奴らか!」
帝国艦の艦長は激怒した。警告を無視してパガンダ砲艦が非武装の味方へ突進していく。
「支援船との間に割って入れ! パガンダ艦の進路前方に、威嚇射撃を行え!」
帝国駆逐艦の一二七ミリ連装両用砲が火を噴き、パガンダ艦の前方に巨大な水柱を上げた。
だが、ここで最悪の事態が起きる。
至近距離での轟音と水柱にパニックを起こしたパガンダ艦の艦長が「面舵一杯!」と急旋回を命じた。艦が大きく傾きながら旋回したことで、あらかじめ帝国艦へ砲を向けて待機していたパガンダ側の砲手たちが、甲板上で姿勢を崩して混乱する。
極度の緊張と、艦長の「いつでも撃てるようにしておけ」という事前命令。それを、威嚇射撃に対する『反撃許可』と誤認した一人の砲手が、恐怖から反射的に旧式砲の引鉄を引いてしまった。
ドォンッ!
放たれた砲弾は、運悪く帝国駆逐艦の上部構造物――対空機銃座の防盾付近に直撃した。
「――っ!?」
装甲の薄い区画での炸裂。飛び散る鉄片と爆風が、機銃座にいた数名の帝国水兵を容赦なく薙ぎ払った。血飛沫が、灰色の甲板を赤く染め上げる。
「被弾! 第二機銃座大破! 死傷者多数!」
悲鳴のような報告が艦橋に響いた。
血が、流れた。
互いに寸前で留めていた『外交的威嚇』のラインが、完全に決壊した瞬間だった。
「パガンダ艦が発砲・命中! 味方に死傷者!」
艦長の顔から、すべての理性が消え失せた。しかし、彼は殺戮そのものを目的にしたわけではない。
「敵艦の戦闘能力を奪い、支援船への接近を阻止しろ! 機関砲群、射撃開始!」
帝国駆逐艦に備え付けられたレーダーと射撃指揮装置に連動した四〇ミリ機関砲群が一斉に火を吹き、パガンダ艦の砲座と艦橋を正確に切り刻んだ。圧倒的な連射速度と技術差の前に、パガンダの旧式艦は数分で指揮能力を失い、火災と浸水を起こして航行不能に陥る。パガンダ側にも多数の死傷者が発生した。
**5.レイフォルの介入**
だが、悲劇はそれでは終わらなかった。
銃砲撃の轟音を察知し、近海を哨戒中であったレイフォルの『魔導巡洋艦』が全速力で現場へ到達したのだ。
レイフォル側から見れば、現場の光景は『保護下にあるパガンダ艦が、すでに戦闘能力を失い炎上しているにもかかわらず、グラ・バルカスの駆逐艦が一方的に機関砲の射撃を続けている』ように見えた。
『グラ・バルカス艦! 直ちに射撃を停止せよ!』
レイフォル艦は発光信号を送りながら、炎上するパガンダ艦を庇う位置へ進出し、主砲の六インチ魔導砲の砲門を完全に帝国駆逐艦へと向けた。
「……レイフォルだと!」
帝国駆逐艦の艦長は、血塗れの甲板を見下ろしながら怒りに震えた。
「奴らが先に発砲し、味方が殺されたのだぞ! それを、攻撃者を庇い、我々に砲を向けるというのか!」
帝国側からすれば、レイフォルが『攻撃者であるパガンダを保護し、帝国艦に対して武力を背景に要求を突きつけている』と受け取れた。
「レイフォル艦へ警告! 当艦は自衛戦闘中である。直ちに砲を下げ、当海域から退去せよ!」
『そちらこそ射撃を停止せよ!』
双方が要求を譲らないまま、帝国駆逐艦の主砲塔がレイフォル艦の動きに合わせて不気味に旋回した。
レイフォル艦の艦長は、それを「自分たちへの攻撃準備」と誤認した。保護国を守り、何より自艦を防衛しなければならない。
「敵艦、撃ってきます! 魔導砲、テーッ!!」
レイフォル艦が、自衛のために先制の魔導砲を放った。
「レイフォル艦が発砲! 迎撃せよ!!」
帝国艦も、自艦を守るために即座に反撃した。
ズドォォンッ!!
帝国艦の装甲に六インチ魔導砲弾が直撃し、激しい爆炎が上がる。同時に、グラ・バルカスの放った一二七ミリ徹甲弾がレイフォル巡洋艦の側舷を容赦なくえぐり取った。
近代兵器と魔法兵器による、史上初の本格的な砲撃戦。双方の艦に致命的な損傷が生じ、帝国水兵とレイフォル水兵の命が、為す術もなく波間に消えていった。
**6.報復か、撤退か**
――グラ・バルカス帝国首都、ラグナ。
「パガンダ艦より先制攻撃を受け、味方に死傷者発生。その後、介入してきたレイフォル艦と交戦。双方に被害拡大中……ッ!」
緊急報告を受けた海軍司令部は、怒号と殺気に包まれた。
「直ちに報復艦隊を出撃させろ! 未知の世界で、海洋調査のたびに武力で妨害され兵士を殺されるなら、帝国の行動の自由は完全に失われる!」
軍幹部たちが口々に反撃を叫ぶ中、皇帝グラ・ルークスは能面のような顔で手を挙げた。
「全艦隊に命じる。無制限の報復は許可しない!」
ルークスは、血を吐くような思いで軍部を制止した。
「我々がここで本格的な戦端を開けば、戦力を不必要に失うだけでなく、貴重な燃料を消費させ国家の再建そのものが頓挫する! さらに、レイフォル政府がこの攻撃を直接指示した確たる証拠がない以上、今レイフォルを『国家としての敵』と断定するのは早計だ」
軍事、経済、外交。国家の頂点に立つルークスの判断は、極めて真っ当だった。
「戦闘記録、通信記録、損害報告をすべて確保し、当該海域の全艦艇を直ちに離脱させよ。……抗議は、外交ルートを通じて行う。戦争の主導権を、現場に握らせるな!」
ルークスは強権を発動して艦隊を撤退させた。だが、海軍内部の空気はもはや限界に達していた。
政治指導部が外交的解決を模索する一方で、海軍司令部は現場の安全を確保するため、新たな交戦規定(ROE)を正式に通達した。
『自艦または護衛対象への攻撃(レーダー照射・砲門指向を含む)があった場合、艦長の判断による即時の自衛反撃(ウェポンズ・フリー)を認める』
現場の艦長たちが、これを「次は撃たれる前に即座に撃ち返せ」と解釈するのは火を見るより明らかだった。政治の自制と、軍の緊張が、完全に乖離し始めていた。
**7.誰が責任を取るのか**
――レイフォル王宮。
ヒューエル一世と宰相ゴードン・ランカーは、帝国艦とレイフォル艦が交戦し、双方に死傷者が出たという報告に絶句していた。
「パガンダの独断行動だと!? なぜ我々が、そのような馬鹿げた小競り合いの尻拭いで、グラ・バルカス帝国と殺し合わねばならんのだ!」
ヒューエル一世が、王座の肘掛けを叩き割らんばかりに激怒する。
「パガンダの行動は、我が国が承認したものではありません」
ゴードンが、顔面を蒼白にしながらも冷徹に状況を分析する。
「しかし、グラ・バルカスがそれを信じるとは限りません。我々がパガンダの『保護国』である以上、帝国から見れば、パガンダの行動はレイフォルが責任を負うべきものという理屈になります。我々としても、帝国が保護国を攻撃したという事実が生じた以上、パガンダを無条件で見捨てるわけにはいきません」
レイフォルは、致命的な同盟の板挟みに陥った。
ヒューエル一世は、帝国との外交交渉を急ぐよう命じた。だが、もし帝国側が求める『謝罪と責任追及』をすべて受け入れれば、レイフォルは保護国を見捨てたと周辺国から見なされ、列強としての威信が崩壊する。
逆に拒否すれば、あの得体の知れない帝国との全面戦争に突入する。
**8.ドグラスの勝利、そして最後通牒へ**
――パガンダ王宮。
深夜、国王アニュンビス三世は、近衛兵に引きずり出されてきたドグラスを執務室で問い詰めていた。
「お前が……海軍の将校を唆し、帝国の船を襲わせたのか!」
怒りで全身を震わせる王に対し、ドグラスは口の端を歪めて笑った。
「私は、パガンダの力と誇りをあの不埒な帝国に見せつけただけです。……陛下、見ましたか! 帝国が反撃してきた途端、レイフォルが我々を庇い、帝国と撃ち合ってくれました!」
ドグラスは、狂気じみた歓喜の声を上げた。
「私の言った通りでしょう! レイフォルは我々を見捨てない! これで帝国も、私を決して侮れないはずだ!」
その言葉を聞いた瞬間、アニュンビス三世の目から光が消えた。
「……貴様は、国を殺したのだ」
「は……?」
「レイフォルが介入したのは、貴様を助けるためではない! 保護国の艦が目の前で破壊されていたから、大国としての体面を守るために動かざるを得なかっただけだ! 帝国とレイフォルの兵士が死んだのだぞ。お前の一存で済む話ではない!」
アニュンビス三世は絶望に顔を覆い、ドグラスの完全な拘束と、関係将校の身柄確保を命じた。さらに、ただちに帝国への公式な謝罪と弁明の使者を送るよう手配させた。
だが、すでに遅すぎた。
数日後。グラ・バルカス帝国から、レイフォルとパガンダに対して、かつてないほど強硬な『正式な要求書』が叩きつけられることになる。
・パガンダ政府による公式謝罪。
・事件に関与した海軍将校すべての身柄引き渡しと処罰。
・帝国艦艇への攻撃に対する莫大な賠償。
・レイフォル政府が事件に関与していないことの正式な説明。
それはもはや、独立国家の主権と、保護国を抱えるレイフォルの威信を完全にへし折る内容だった。これを受け入れられない場合、残された道は一つしかない。
ドグラスは、パガンダが帝国に屈しなかったと信じていた。
だが、彼が守ったはずのちっぽけな誇りは、海に沈んだ兵士たちの命と引き換えに、二つの大国を後戻りのできない戦争の縁へと押し出していた。