うらしまたろう   作:神在月ユウ

6 / 6
6日目 魂の、怨嗟と苦悶のドレッシング和え

 翌日の昼前になり、太郎は竜宮城を去ることになった。

「乙姫様、大変お世話になりました」

「とんでもございません。全て、亀を助けていただいたご恩返しにございます」

 変わらぬ笑顔の乙姫に、太郎も笑顔で別れを告げた。

 

「では、こちらをお持ちください」

 乙姫は太郎に小さな箱を手渡した。

「これは?」

「たまて箱です。手土産のようなものです。どうかお持ちください」

 太郎は断ろうかとも思ったが、笑顔の乙姫から渡されてはなんとなく断りづらく、謹んで受け取ることにした。

 

 こうして、太郎は亀の背中に乗って地上へと帰っていき、竜宮城に一時の平穏が訪れた。

 

 

 太郎は久方ぶりの陸へと上がった。

 亀は恭しく頭を下げ、何も言わず帰っていった。

「さて、随分家を空けてしまったし、早く帰ろう」

 太郎は村に向かって歩き出す。

 しかし―――

 

 村の様子が違っていた。

 周囲の家々が違う。

 いくら探しても自分の家がない。

 父も母も、それどころか知り合いの一人もいない。

 

 一瞬上陸する場所を間違えたのでは、と思ったが、地形だけは故郷と同じだった。

 更に、通りがかりの人に話しかけて愕然とした。

 

「そういえば昔、そんな人が海から帰ってこなかった、って聞いたことがあるよ」

 

 自分は大昔に海に出て、死んだことになっている?

 どういうことだ?

 だって、竜宮城にいたのは五、六日のはずなのに。

 なぜ、そんな『昔』なんて言うんだ?

 まるで、自分がいなくなってから何十年何百年と経った後みたいじゃないか。

 

 

 太郎は目の前の現実に打ちひしがれた。

 故郷のはずなのに知る者のいない世界で生きていかねばならない事実に自失していた。今はただ、目的もなく呆然と海を眺めているだけだ。

「そういえば……」

 乙姫から渡された『たまて箱』の存在を思い出す。

 この箱の存在が、竜宮城での出来事が夢でないことを語る証跡であり、知り合い一人いないこの世界で唯一の繋がりに思えた。

 太郎は『たまて箱』に手を伸ばす。

 箱を開ける。

 

 もわもわと、煙が上がった。

 

 ただし、雲のような白ではなく、

 

 黒煙と呼ぶには黒すぎる、漆黒の煙だった。

 

 それはやがて収束し、一度上方に向かう。

 

 そして、急降下して太郎へと降り注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あれ?)

 太郎は黒い空間にいた。

 周りには何もない。何も見えない。

 しかし自分の体だけは見える。

 

「■■■■■い■■■■■い」

 

 何かが聞こえた。

 

「■■た■■い■に■く■い」

 

 何かが、近づいてくる。

 

「し■たくな■しにた■ない」

 

 誰かが、何かを言っている。

 

「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死—――」

 

 呪詛のように、誰かが死を、迫りくる絶望を、恐怖し、叫び続けている。

 

(なんだこれ—――ぐぁ!)

 

 太郎の体が後ろ向きに押され、何かに叩きつけられた。

 手足が動かない。

 磔刑に処されているように、体の自由が利かない。

 

 大きな手が、目の前に現れた。

 手が、太郎の首を掴む。

 

 次の瞬間、大きな力がかかり、喉が引き千切られた。

 

(がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!)

 

 激痛と呼ぶには生温い痛みが、ガツンと頭を叩き割るように襲い来る。叫びたい。叫んでいるつもりでも、何も出てこない。出てくるのは己の血・血・血…………。

 また手が迫る。今度は引き千切った喉の下、鎖骨の間の、胸骨のてっぺんを握る。

 力がかかる。

(おい、やめ—――)

 太郎は『手』が何をしようとしているのか悟り、拒絶するが—――

 

(ご、ぶぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!)

 

 力の限り、胸骨を手前に引き、肋骨を折り進めながら胴の中心を力づくで裂いていく。そのままの勢いで臍《へそ》まで裂くと、また別の手が裂けた胴の中に入り、

 

(も、もうやべで—――)

 

 中の(はらわた)を、一息に掻き出した。

 

(んゔぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!)

 

 大きな空洞になった自分の腹を見て、太郎は口を開けたまま、痛みと混乱の中で呆然と口を開け、血と(よだれ)を垂らしていた。

 

 

 

 

 

 

 気づくと、太郎は五体満足で黒い空間に佇んでいた。

(さっきのは、なんだ……?)

 訳がわからない。

 あの痛みは確かに本物だ。自分は喉を千切られ、体を割られ、内臓を引き摺り出されたはずだ。

 なのになぜ無事でいる—――?

 

 そう思っていた矢先、

 

 ドン、と後ろから押されると、そのままボシャン、と液体の中に落ちた。

 

(あづぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅがばごぼがぶごばぶぼぼぼがばごぼgbggb!!」

 

 全身が瞬時に焼かれた。

 熱湯どころの騒ぎではない。

 これは、まるで熱した油だ。

 油の海に、自分は落ちている。

 ぱちぱちと、自分が揚がっているいる音が分かる。

 ごぼごぼと溺れると、口から鼻から高温の油が侵入してきて、喉を、肺を焼く。

 全身が、筋肉が熱のせいで意図せず丸まっていく。

 

 

 

 

 

 また気づくと、太郎はどこかで横になっていた。

 もう熱くない。体が爛《ただ》れている様子もない。

(な、んなん、だ………)

 もう思考がまともに働かない。

 なんとかしてほしい。

 ここから逃げたい。

 ただ、それだけを思う。

 

 見上げると、そこには見慣れた女性が立っていた。

 乙姫だ。

(た、たす、けて…、お、おとひめ、さま……)

 乙姫は気にする様子もなく太郎の傍に座ると、徐《おもむろ》に箸を取り出し、太郎の腹から何かを摘まんだ。

 赤と白の、何か。

 それを口に運び、ぬちゃぬちゃと咀嚼《そしゃく》している。

 太郎は自分の体を見下ろす。

(な、なにを、たべ―――)

 

 自分の腹が、空洞になっていた。

 湶《あばら》から下が、中身が、あるべき内臓が綺麗になくなって、代わりに何かの肉が盛られている。

 何の肉か。

 そんなもの、考えたくもない。

 だって、そんなはずないじゃないか。

 だって、あの乙姫がそんな、俺の—――

 

「太郎様のマルチョウ、大変美味です」

 

 

 

 

 

 また目が覚める。

 磔《はりつけ》にされた状態だが、腹は裂かれていない。

(なん、なんだ、よ……もう、いやだ、ゆるじでぐれ……)

 傷を負ってはいないが、さっきまでの痛みや恐怖は鮮明だ。

 次もあんなことが待っているのか。

 それを考えることが怖くて、もう思考を放棄したかった。

 しかし、そう簡単にはいかない。

 

 目の前に、乙姫が立っていた。

 竜宮城にいたときと変わらぬ微笑みを浮かべながら、その手に大きな刃物を握り、太郎に近づく。

 何の遠慮もなく、太郎の首筋に刃先を当て、ぷつぷつと皮膚を裂いていく。

(やめ、て……)

 乙姫の白魚のように細い指が、首の皮膚の切れ目に当てられ、強引に皮下にねじ込んだ。

 そして、親指と人差指、中指で首の皮膚を摘まんで力を込めて下に—――

(な、や、やめ—――)

 

 びちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびちびち―――

 

(びぐがががががぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――)

 

 

「さぁ、脂肪を切り取って、腹膜を傷つけないようにこのまま—――」

 乙姫が何を言っているのか、何をしているのか、恐怖と苦痛と絶望の三重奏の中にある太郎は理解したくなかった。

 今、自分の体がどうなっているのか、知りたくもなかった。

「いい色の肝ね~、これは厚めに切って—――」

 え?何を切ってるって…?

「消化管は特に念入りに塩洗いして—――」

 今君が裂いて洗っているそれは…?

 何もわからない。

 

 だって、いつの間にか、

 

 凄惨な光景を見ていた目も、

 

 鉄と汚物のようなにおいを嗅いでいた鼻も、

 

 肉が裂け骨をこそぐ音を聞いいていた耳も、

 

 自分の血の味を感じていた舌も、

 

 みんなみんないつの間にか—――

 

 

 

 

 

 

 

 

 浜で天を仰ぐように、太郎は自失していた。

 髪は白く変わり、顔は骸骨のようにこけ、皮膚は皴だらけ。

 あまりの恐怖に直面したかのように、顔を歪め、生きているのか死んでいるのかも、外から見ると判別できない。

 

 その口から、ゆらゆらと白いものが出てくる。

 それは空になった『たまて箱』に吸い込まれて、ひとりでに蓋が閉まった。

 

 海から亀が上がって来る。

 亀は変わり果てた太郎に一礼だけして、『たまて箱』を持って海へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 亀が差し出した『たまて箱』を、乙姫が受け取った。

 中を開けると、そこには蒼い玉が入っていた。

 淡く光を放ち、輪郭が微かに揺らめいている。

 

「ああ、おいしそう」

 

 乙姫は恍惚の表情で蒼玉を手に取り、眺め始めた。

「実にいい魂ね」

 乙姫の輪郭が大きく歪む。

 

 白磁の肌は鱗を浮かべ、白魚のような指は太く鋭利な爪を生やす三本指へと変じ、乙女の体躯は長大な爬虫類にも似た姿となった。

 大きく口が裂け、牙を並べた大口からは、長くうねる舌が覗く。

 

 それは、龍の姿だった。

 竜宮の主の真の姿を見せ、乙姫は(わら)う。

「はやり心の清い人間の魂は素晴らしい」

 蒼い玉の表面を、長い舌が舐める。

 

 『たまて箱』—――いや、『魂手(たまて)箱』の力に惚れ惚れする。

 純粋な、清い心を持つ人間の魂は、乙姫の好物だ。誰でもいいわけではない。私欲に満ちた魂や下劣な思想を持つ魂は口にできたものではない。

 仮に清い魂の持ち主がいても、魂を取り出すことは容易ではない。

 だから、『魂手(たまて)箱』を使う。

 魚たちの怨嗟や無念を溜め込んだ魂手箱を使い、人間の魂を抽出する。

 そして、抽出した魂は魂手箱に仕舞われ、乙姫に献上される。

 これは、支配者の特権であり、享楽であり、最高の贅沢でもあった。

 

 乙姫は玉を丸呑みにする。

 

「はぁ、うまい。すばらしい」

 

 海の支配者は美味の余韻に浸り、感嘆の声を上げた。

 

 

 

 

 亀は(うやうや)しく礼をして、部屋を去り、地上へと昇った。

 

 今日もまた、困った亀を助ける心清い人間を探し、竜宮城に連れてくるために。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。