ゴーシュキラー! 作:ナナッシー
大気が、まるで意志を持つ獣のように狂い吼えていた。
現代において、世界有数の大都市であるイギリスの首都ロンドンは、今や完全に異界へと塗り替えられつつあった。テムズ川を中心に、視界をわずか数メートル先まで遮断する不自然な白い霧が街全体をどろりと包み込んでいる。
その霧はただの水蒸気ではない。濃厚な魔力。いや、神殺しの魔王たるカンピオーネの感覚からすれば、あまりにも重々しく、そしてどこか冷酷な呪力を孕んだ絶対的な結界だった。
霧に触れた信号機や街灯、自動車の電子基板は次々とショートし、火花を散らして沈黙していく。ロンドンの象徴であるビッグベンの時計塔は、まるで見えない巨大な歯車が狂ったかのように、その針を恐ろしい速度で逆回転させていた。ロンドンタワーやタワーブリッジの周囲には、現代のコンクリートの街並みを拒絶するように、中世ブリテンの幻影である巨大な石造りの城壁や、赤々と燃えるかがり火が重なり合って顕現している。
世界が、歴史の彼方へと引きずり戻されようとしていた。
「っ、まともに前も見えやしないな」
冷たい霧が肌を刺す。少年、新たなる魔王として神殺しの列に加わった彼は、黒い外套のフードを深く被り直し、テムズ川のほとりで小さく毒づいた。
彼がギリシャの太陽神アポロン、そしてメソアメリカの最高神ケツァルコアトルを弑し、その権能を簒奪してからまだそれほどの時は経っていない。メキシコでの死闘において失明した右目は、今はどうにか魔術で擬似的に視力を固定している状態だった。
だが、そんな万全とは言えない身体を休める暇もなく、この島国にまつろわぬ神が顕現した。
バシャァァァァン!!!
テムズ川の水面が、まるで爆弾でも破裂したかのように激しく割れた。
巻き上がった大量の水飛沫の向こうから、それは静かに姿を現した。
白銀の気高き甲冑に身を包み、眩い黄金の光を放つ長剣を携えた騎士。愛馬たる純白の魔馬ドゥン・スタリオンの背に跨り、霧を割って現れたその存在を、この世界で知らない者はいない。
アーサー王、物語に描かれる、高潔なる騎士道の王そのものの姿。
だが、その兜の奥から覗く眼光は、凍りつくほど冷たかった。彼から放たれる圧倒的な呪力は、ロンドン全域を我が王土として強制的に書き換え、それに従わない現代の文明すべてを冷酷に支配しようとしている。放っておけば、イギリスという国家そのものが、中世の暗黒時代へと退行しかねない。
「我が名はアーサー・ペンドラゴン。ブリテンの正統なる王なり」
テムズ川の水面に立ち、魔馬を静かに歩ませながら、アーサー王は黄金の聖剣を掲げた。その声はロンドン中の大気を震わせる地鳴りのように響く。
「地に這う魔王よ。我が王土を侵し、世界の秩序を乱す者として、その首をここに差し出すが良い。王の慈悲を以て、一撃の元に葬ってくれよう」
「手厳しい歓迎だな、王様」
彼は自らの内に眠る人外の呪力を爆発させ、テムズ川の護岸を強く踏みしめた。
彼が最初に簒奪したのは、北欧の主神オーディンの英知と闘争。その神殺しの特権たる権能が、彼の四肢に冷徹なまでの魔力を循環させていく。左目の奥で、青白い魔火が小さく揺らめいた。
「だけど悪いな。俺の持つジジイの知恵が、お前のその眩しすぎる姿を見て、激しく違和感を告げてんだよ。その綺麗な化けの皮、ここで剥がさせてもらう!」
「王への不敬、万死に値する。往くぞ!」
アーサー王が愛馬の腹を蹴った瞬間、純白の魔馬が重力を無視して天空へと駆け上がった。同時に、彼が振るう黄金の聖剣から、ロンドンの高層ビル群を容易く両断せんばかりの十字の光の斬撃が放たれる。
「『天を回れ、生命を運ぶ緑の息吹よ。我が背に宿れ、羽毛ある大蛇。嵐を切り裂き、星の如く天空を翔けよ。我が征く路を阻むものなし。吹き荒べ羽毛の蛇よ』」
迫り来る黄金の光条を前にして、彼はすかさず第三の言霊を紡いだ。
ケツァルコアトルから簒奪した第三権能『天を駆ける天翼の蛇風』の解放である。
彼の背後に、目が眩むほど鮮やかなエメラルドグリーンに輝く光の羽毛の翼が爆発的に展開された。それは物理的な鳥の翼ではなく、純粋な呪力の光条。
ドォン!!!
彼が翼を羽ばたかせた瞬間、彼を縛っていた重力と空気抵抗のすべてが消失した。
音速、そして神速の領域へと達した彼の身体は、天空へと一気に飛翔する。直前まで彼がいた護岸のコンクリートは、アーサー王の放った聖剣の光によって一瞬で消滅し、テムズ川の水が大きく蒸発して白い煙を上げた。
「速い……! だが、我が王土において、天空もまた王の道なり!」
アーサー王は驚きを示すことなく、魔馬を駆って垂直に天空を駆け上がってきた。
ロンドンの空を舞台にした、超高速の三次元戦闘が幕を開ける。
彼はエメラルドの翼を駆使し、ロンドンの大観覧車ロンドン・アイの巨大な車輪の間や、超高層ビルであるザ・シャードのガラスの壁面を滑るようにして、神速で飛び回った。その後を、アーサー王が放つ黄金の斬撃が幾条も追いかけてくる。斬撃がかすめるたびに、超高層ビルの最上階が斜めに切り裂かれ、巨大なガラスや鉄骨が地上へと轟音を立てて崩落していった。
だが、彼の簒奪したケツァルコアトルの風は、ただの移動手段ではない。
彼が超高速で飛行した直後の軌跡には、大気を真空へと変える緑色の風の刃、エエカトルの残光が強制的に残留する。
「そら、追いつけるか王様!」
彼がアーサー王の周囲を大きく旋回するように円を描いて飛行すると、天空に巨大なエメラルドグリーンの嵐の壁が出現した。数千、数万の真空の刃が、アーサー王と魔馬を切り刻まんと全方位から殺到する。キィィィンと鼓膜を裂くような高音がロンドンの空に響き渡った。
しかし、アーサー王は怯まない。彼の白銀の甲冑が黄金の光を増し、その嵐の刃をことごとく弾き返していくのだ。
「無駄だ、魔王! 我が甲冑には、湖の乙女による不敗の加護が宿る。いかなる邪風、いかなる嵐であろうとも、王の歩みを止めることは叶わぬとしれ!」
魔馬ドゥン・スタリオンがいななき、真空の嵐を強引に突破して、アーサー王の黄金の剣が彼の鼻先にまで迫る。大気そのものを切り裂く不敗の剣撃。彼は翼を鋭く反転させ、その一撃を紙一重で回避したが、頬の皮膚が風圧だけで裂け、鮮血が宙に舞った。
空中戦で彼を捉えきれないと判断したか、アーサー王は一度、地上へと急降下した。ロンドン塔の広大な石畳の広場。そこに愛馬とともに着地した王は、黄金の剣の柄を地面へと力強く突き立てた。
「集え、我が忠義の騎士たちよ! カレドヴールフの元に、円卓の誓いをここに果たせ!」
王の号令とともに、ロンドンの街を包む白い霧が異常な密度で凝縮を始めた。
地平を埋め尽くすようにして姿を現したのは、何百、何千という重装甲の騎士たちだった。
だが、顕現した騎士たちは、後世の物語に描かれるような美しき英雄の姿ではなかった。鎧の隙間から覗く肌は土気色に腐り、肉の削げ落ちた生ける屍そのもの。凄惨なケルトの亡霊軍勢が、ロンドンの大通りを軍靴で踏み鳴らしながら地平を埋め尽くしていく。彼らは上空の彼へ向けて、一斉に魔弓や槍を構えた。
「チッ、円卓の騎士ってのは、もっとこう、美男美女のドリームチームじゃなかったのかよ。これじゃあ地獄のデッドコープスじゃねえか」
上空でホバリングしながら、彼は忌々しげに顔をしかめた。
数の暴力で押し潰される前に、こちらも手札を切り替える必要がある。彼はエメラルドの翼を維持したまま、掲げた右手にドス黒い呪力を集束させた。
「『天より降り立て、暗がりの射手よ』!」
彼の手に具現化したのは、アポロンから奪い取った第二権能『不浄なる病魔の黒弓』だ。
漆黒の木製長弓。それを手にした瞬間、彼の全身の細胞に、強酸を直接流し込まれたかのような激痛が走った。
「ガハッ……!?」
口内に広がる鉄の味。弓を引き絞り、呪力をチャージしている間、彼自身の肉体内でも呪力が腐食し、高熱が脳を焼きにかかる。カンピオーネの異常な生命力と、オーディンの治癒ルーンが内側で猛スピードで肉体を修復していなければ、弓を構えただけでショック死していただろう。だが、その激痛の代償に見合うだけの、最悪の特効がこの弓にはあった。
「お前たちの歴史を終わらせた不浄の病だ。まとめてあの世へ還りな!」
パァン、と弦が弾ける音が響く。
放たれたのは、数万匹の黒いネズミの霊体が超高密度に凝縮された漆黒の光条だ。
アポロンの弓術を継承したその矢は、自動的な追尾性能を持ち、地上から放たれた亡霊たちの矢の弾幕を叩き落としながら、軍勢の真ん中へと着弾した。
瞬間、漆黒の矢は爆発するように霧散し、無数の黒いネズミの津波へと分裂した。
ネズミの群れは亡霊騎士たちの不壊の鎧をガリガリと腐食させ、その内側の魔力を貪り食っていく。アステカ帝国を実質的に滅ぼした最大の原因である疫病の概念を宿した黒弓の矢は、中世ブリテンの亡霊たちにとっても最悪の毒だった。ネズミに触れた騎士たちは、次々と黒い塵へと還っていく。
だが、どれだけネズミが軍勢を食い荒らしても、アーサー王が発する呪力によって、白い霧から無限に新しい亡霊騎士が再構成され、数の暴力で彼を地上へと引きずり落とそうと槍の雨を降らせる。
「ハァ、ハァ……終わらないな。国を丸ごと相手にしてるようなもんだ」
黒弓の自傷による高熱で視界が歪む。高度を落とさざるを得ない彼を、アーサー王は見逃さなかった。
「不浄なる病魔の王よ。我が忠義の軍勢を前にして、その翼もついに落ちるか」
アーサー王が自らの黄金の聖剣を、両手で高々と天に掲げた。
その瞬間、ロンドン中の光、街灯の灯り、ビルの明かり、星の光、そして彼が背負うエメラルドの翼の輝きすらもが、アーサー王の剣の刀身へと強制的に吸引され、収束していった。戦場が一瞬、不気味な暗黒に包まれる。
光を吸い尽くした聖剣の刀身が、今度は太陽をも超える烈日となって白熱した。
「これこそが、ブリテンを救い、あらゆる異民族を打ち砕いた不敗の証。『約束された勝利の剣』!!」
放たれたのは、大気そのものを一瞬で蒸発させるほどの、極大の不敗の光条だった。ロンドンの夜空を昼間に変えるほどの奔流が、彼に向かって一直線に押し寄せる。
「防ぐしか、ねえか! 『高き者の言葉を聞け』!!」
彼は回避不可能と察知し、即座にオーディンの第一権能『拘束の魔歌』を最大出力で展開した。彼の周囲の虚空に、幾重もの青白いルーン文字が幾何学的な球体を形作り、絶対防御の概念障壁を築き上げる。
しかし、アーサー王の放った光条は、すべての魔術防御を物理的に焼き尽くす圧倒的な破壊の奔流だった。
バリバリバリと、世界が引き裂かれるような音が響く。
彼の築いたルーンの障壁が、その圧倒的な光の前に次々と紙のように燃え盛り、粉砕されていく。
「しまっ、」
直撃だった。
不敗の光の奔流が彼の肉体を直撃し、凄まじい衝撃波とともに彼を遥か後方へと吹き飛ばした。彼の身体はタワーブリッジの巨大な鉄骨を何本も貫通してへし折り、そのまま泥濁りのテムズ川の水面へと、激しい水飛沫を上げて叩き落とされた。
ドボォォォォン!!!
エメラルドの光翼は千切れ飛び、全身の骨が軋む。深手を負った彼の肉体から流れる鮮血が、冷たいテムズ川の川面を赤く染めていった。
「……冷てえな……」
水の底へと沈んでいく中で、彼は肺から空気が漏れ出すのを感じていた。
体内は呪力の過負荷で完全に焼き切れかかっており、指一本動かすことすらままならない。アーサー王の聖剣の光は、カンピオーネの強靭な肉体を内側から消滅させにかかっている。文字通りの、戦闘不能寸前の絶対的な絶望だった。
光の届かない、テムズ川の暗い底。
彼の意識は、死の深淵へと急速に沈みかけていた。冷たい水が全身を包み込み、心臓の鼓動が極限まで遅くなっていく。
だが、この絶対的な静寂の瞬間こそが、彼の中に眠る最高神オーディンの英知が、最も冷徹に、そして狂気的な速度で機能する舞台だった。
彼の脳内で、これまでの戦闘においてアーサー王が見せた数々の違和感が、彼がこれまでに詰め込んできた歴史学、考古学、神話学の膨大な資料データと結びつき、パズルのピースを組み立てるように超高速で回転を始めた。
(……待てよ。何かが、決定的に間違っている)
そもそも、現代の俺たちが知っている『アーサー王伝説』というものは、一体いつ、誰が、何のために作ったものだ?
高潔なる円卓の騎士道、聖杯を求める清らかな探索、高潔な王と妃、そして美しい騎士ランスロットとの悲恋。これらはすべて、本来のブリテンの古い伝承には存在しない。十一世紀から十三世紀にかけて、アングロ・ノルマン朝の宮廷、特にフランスの宮廷詩人たちのクレティアン・ド・トロワが、当時のヨーロッパ貴族たちの娯楽、今で言う『ラブロマンス小説』として都合よく肉付けし、捏造したフィクションに過ぎないのだ。
洗練された騎士道のベールを一枚剥ぎ取れば、そこに残るのはもっと泥臭く、血生臭い、土着の戦争と殺戮の歴史のはずだ。
では、その創作の骨組みを作ったのは誰か。
さらに歴史を遡れば、十二世紀のウェールズの修道士ジェフリー・オブ・モンマスが書いた偽史書『ブリタニア列王史』に突き当たる。
この書物の中で、アーサーはイングランドの侵略者を徹底的に駆逐し、さらにはローマ帝国まで遠征してヨーロッパの半分を征服した大帝国の皇帝として描かれている。
だが、これも完全な政治的プロパガンダだ。当時、アングロ・サクソン人やノルマン人に支配され、領土を奪われて虐げられていたウェールズ人たちのナショナリズムを鼓舞するため、また新たな統治者となったノルマン朝の王権の正当性を証明するために、郷土の古い戦士の記録を誇大妄想的に書き換えた免罪符なのだ。歴史上のアーサーに該当する人物は、ローマを征服するどころか、ブリテン島の一角を守るのが精一杯の地方領主に過ぎなかった。
では、その誇大妄想の元になったモデルは一体誰なのか。
歴史考古学の資料が、明確にある一人の人物の存在を指し示している。
二世紀後半、ローマ帝国がブリテン島を支配していた時代に駐領していた、実在のローマ軍の宿営長。その名もルキウス・アルトリウス・カストゥス。
彼が率いていた部隊の構成を紐解けば、アーサー王伝説の全ての謎が解ける。
アルトリウスが率いていたのは、現在のロシア南部からウクライナ近辺現在の黒海北岸を起源とする、獰猛なサルマティア人の重装騎兵部隊五千人だった。
サルマティア人の宗教的特徴。彼らは神殿を持たず、大地に剥き出しの鉄の剣を突き刺し、それを軍神として崇拝する部族だった。これこそが、後にアーサー王伝説の象徴となる岩から抜いた聖剣の元ネタだ。
さらに、サルマティア人の騎兵部隊が戦場で掲げていた軍旗。それは風を吸って赤く膨らむ竜の頭を模した布製の紋章だった。これこそが、アーサーの父ウーサー、そしてアーサー自身の姓である『ペンドラゴン』の正体。
白銀の騎士王のルーツは、キリスト教の聖なる王などではなく、ローマの血を引くサルマティアの異教の騎兵隊長なのだ。
だが、オーディンの隻眼は、ローマの軍人のさらに底、ブリテン島に元から住んでいたケルト人の原初信仰、その神核の最深部へと到達する。
「アーサー(Arthur)」、あるいは「アルトリウス(Artorius)」という言葉の語源。ケルト語において、それは「熊(Art)」を意味する。
彼の本来の姿は、騎士道の王などではない。中世の修道士や宮廷詩人たちによってキリスト教の聖人のように美化される前、古代ケルト人が信仰していた、生贄の血をすする、凶暴極まりない熊の獣神。それがアーサー王という神格の本当の正体だ。
ならば、彼が持つ聖剣エクスカリバーの正体は何だ?
原典であるウェールズ神話の魔剣カレドヴールフ。あるいはアイルランド神話の巨人の魔剣カラドボルグ。それは光を放つ美しい勝利の剣ではない。
一撃で三つの丘の頂を吹き飛ばすと言われる、大地を破壊し、敵の肉を引き裂くための、野蛮で巨大な鉄塊の戦斧。血に飢えたケルトの破壊兵器なのだ。
(繋がった。繋がったぞ、ジジイ。アーサー王、お前が纏っているその白銀の鎧も、眩しい不敗の光も、すべては後世のフランス貴族やウェールズの修道士どもが、自分たちの都合のために着せたファンタジーだ。お前の本質は、気高き王なんかじゃない。血生臭いローマの軍人であり、大地を叩き割るケルトの熊の化け物だ……!)
彼の左目の奥で、オーディンの知恵が勝利の解答を弾き出した。
歪められた歴史の欺瞞。その化けの皮を剥ぎ取る術を、彼はすでに持っている。彼は残るすべての呪力を心臓へと注ぎ込み、冷たいテムズ川の底から、再び立ち上がった。
バシャァァァァン!!!
テムズ川の水面が爆発するように弾け、彼が虚空へと飛び出してきた。
彼は背後の光翼を自ら解除し、オーディンの第1の力『万象を見通す双翼の眼』へすべての魔力を生贄として捧げた。
パキパキと音を立てて、右目が完全に視力が焼き潰れる激痛が彼を襲う。だが、その凄まじい隻眼の代償と引き換えに、彼の左目には、世界の因果そのものを書き換える。原初にして主神の青い魔火が宿っていた。
「目を覚ませ、ブリテンの獣よ!!」
空中からロンドン全域に向けて、彼はアーサー王の「偽りの神話」を看破する言霊を大声で激唱した。その声にはオーディンの『詩歌の蜜酒』の魔力が乗り、世界の因果そのものを引き剥がしにかかる。
「お前はフランスの詩人が作ったラブロマンスの主役じゃない! ウェールズの修道士が捏造した無敵の皇帝でもない! お前の真の姿は、ローマの騎兵を率いた宿営長ルキウス・アルトリウスであり、その根源にあるのは、生贄の血をすするケルトの凶暴なる熊の神『Art』だ!」
彼の言霊の波動がロンドンの街に響き渡るたび、アーサー王の纏う白銀の甲冑がメリメリと音を立ててひび割れ、剥がれ落ちていった。
「偽りの不敗の聖剣を捨てろ、アルトリウス!!」
「オ、オオオオオオオオオオッ……!! 我が、我が光が、我が不敗の宿命が、解けていく……! 魔王よ……貴様、我が真なる本質を、そこまで暴くか……!」
アーサー王が持っていた黄金の聖剣もまた、虚飾の光を完全に失い、血と脂がこびりついた、悍ましくも巨大な黒い鉄塊の魔剣へと姿を変えていった。
周囲にいた亡霊騎士たちも、騎士の形を維持できなくなり、咆哮を上げるケルトの半獣半人の怪物どもの群れへと先祖返りし、言霊の圧力で次々と消滅していく。ロンドンを支配していた中世の霧が、主神の知恵によって瞬時に霧散していった。
光の王は消えた。
そこにいたのは、身長三メートルに及ぶ、漆黒の熊の毛皮を纏い、両眼を血のように赤く光らせた、大剣を構える野獣の巨神アルトリウスの真実の姿だった。
「ハァ、ハァ……これが本当のおまえの姿だ。おぞましいが最高に強そうじゃねえか、アルトリウス!」
偽りの加護を完全に失った獣神アルトリウス。だが、本来のケルトの破壊神としての野生の呪力が暴走し、地響きを立てて突進してくる。彼が構える黒い鉄塊の魔剣が振り下ろされると、その風圧だけでテムズ川の水が両割れになり、背後のタワーブリッジの残骸が完全に粉砕された。
彼は右腕を天へ掲げ、最後の力を振り絞ってオーディンの最強の権能を行使した。
オーディンから簒奪した第2の力『宿命を穿つ神槍』。
バリバリバリと、空間を裂くような青白い神聖なる雷光が、彼の右手に集束し、一本の荒々しい宿命の投槍を形成した。この槍が放たれた瞬間、命中したという結果が世界に固定される。
「往くぞ、アルトリウスォォォォッ!!」
「ウオオオオオオオオオッ!!!」
アルトリウスが大地を叩き割る一撃を放つと同時に、彼は天空の彼方へ向けて、右手の槍を投擲した。
放たれたグングニルは、世界のすべてを置き去りにする一閃だった。
アルトリウスが放つケルトの泥臭い破壊の暴風を真っ向から切り裂き、因果律の誘導に従って、巨神の胸の中央へと一直線に突き刺さる。
ドガァァァァン!!!
凄まじい概念爆発がロンドンの中心で炸裂した。
アルトリウスの巨体が、内側から青白い知恵の雷光によって爆砕され、光の粒子へと還っていく。散りゆく巨神の背後に、本来の彼の象徴であるサルマティアの赤い竜の幻影が、物悲しくロンドンの夜空に浮かび上がり、静かに霧散していった。
「……見事、なり……隻眼の、魔王。我が真なる……ケルトの爪牙を、受け止める、か……」
その言葉を最後に、ブリテンの原初の神は消滅した。
ロンドンの夜空に、本物の静寂が戻る。雲の隙間から、本物の月光がテムズ川の穏やかな水面を静かに照らし出した。
「……ハ、ハハ……まじで死ぬかと思ったわ……」
彼はタワーブリッジの残骸の上にどさりと仰向けに倒れ込み、二度と開かない右目を押さえながら、荒い息を吐いた。全身はボロボロで、激痛が走っている。
だが、彼の心臓の奥底では、消滅したアルトリウスのから流れ込んできた、新たなる第四の権能が、ドクドクと歓喜の鼓動を刻み始めているのを、彼は確かに感じていた。