「はぁ……まぁ、いいか」
『あ、それで済ませちゃうんだ』
数時間ほど羞恥心で悶えていた私だったが何とか落ち着きを取り戻して自室に戻ってきた。私が移動したからか、いつものタブレットに戻ったヤチヨは相変わらず笑っている。
「もうどうにもできないからね……さて、と」
『ん? 何かする?』
「ちょっと気になることがあってね」
不思議そうに首を傾げるヤチヨにそう言ってノートパソコンを開いた。開くのはヤチヨのチャンネルに残っている昨日の戦いのアーカイブだ。
『おっと! ここでいろP、かぐやのハンマーを取り出した!! あれね、かぐやが卒業した後、アカウントも凍結しちゃったから改めてヤッチョが作ったんだ』
最初の部分は必要ないのでシークバーを動かすと私がかぐやのハンマーを帝に向かって振るっているシーンだった。ヤチヨがいつにも増して興奮した様子で実況しており、コメント欄も『かぐやちゃんのハンマー!?』、『いろP、彼女の想いを受け継いでるんだね……』、『かぐいろてぇてぇ』と盛り上がっている。
『くっ』
しかし、帝が顔を歪ませながらそれを回避。ハンマーが地面を殴って大量のポリゴンが舞った。
『帝、ハンマーを回避! 当たれば大ダメージを与えられる武器だけどその分、攻撃が大振りになっちゃうのがハンマーの短所――』
『逃がすか!』
『……は?』
画面の中で私は回避されたハンマーをストレージに回収しながら消える直前にその柄を蹴り、前へ跳躍。そして、双剣の片方を帝に投げつけた。その曲芸を目の当たりにしたヤチヨはポカンと目を見開く。
『甘い!』
もちろん、その攻撃は帝に通じるわけもなく、双剣を棍棒でパリィ。だが、ハンマーの柄を蹴った私が彼の懐に潜り込み、いけ好かないその御尊顔をぶん殴った。
『……はっ! え、いろP、今、何したの?』
吹き飛んでいく帝を見て正気に戻ったヤチヨ。しかし、すぐに状況を把握できなかったようで混乱していた。
『今、いろPの体が不自然に前に移動したよね?』
『え、チート?』
『違う! ハンマーが消える直前に柄を蹴ってる! 再生速度を0.25倍速にしたら小さくエフェクト出てた!』
『は!? そんなこと狙ってできんの!?』
『かぐやちゃん争奪戦から知ってたけどいろP、ゲーム上手すぎね?』
コメント欄も私の曲芸に驚いている様子。確かに私も改めて客観的に見ても肉眼ではハンマーの柄を蹴ったところがほぼ見えず、空中を踏みしめたような挙動だった。
「やっぱり……」
『このシーンがどうしたの? ヤッチョには彩葉の超絶神業にしか見えないけど』
「このシーンというより……昨日の戦いで色々わかったからその検証かな」
動画を停止して目を閉じる。うん、やっぱり、頭の中に『ヤチヨ.zip』がある。それを開くと大雑把にだが、カテゴリーごとにフォルダが分かれていた。
例えば『八千年の記憶』。これはヤチヨの記憶そのものが格納されているフォルダ。他にも『ツクヨミ』フォルダがあり、ツクヨミの構築に必要なプログラムコードや仕様などがわかる。『彩葉』フォルダは見なかったことにしよう。
「……」
そこまで確認した後、私は目を開けてヤチヨへと視線を向ける。タブレットの中でどこかわくわくした様子で私のことを見ていた。
「なんでわくわくしてるの?」
『だって、彩葉、何かやらかしそうだから』
「やらかすって……じゃあ、少し手伝って欲しいんだけど」
そう言って私はノートパソコンを操作して持っていない工学系の参考書の電子版を通販サイトで数冊ほど購入。その中身を見ずに一つのフォルダに格納した。
「ヤチヨ、こっちに入れる」
『はいはーい……これでいい?』
「うん、じゃあ、私が今からこのフォルダ内に入ってる参考書をさらっと流し読みするね」
そう言いながら早速、実行。参考書を開き、マウスのホイールをコリコリと動かしてスクロール。その速度は普通の人では読めないほど速く、たった二分ほどで終わってしまった。
その作業を繰り返して終了。参考書が格納されているフォルダを閉じてすぐに参考書が見られないようにした。
「じゃあ、そのフォルダの中に入ってる参考書をランダムに選んでタイトルを教えて。あ、答え合わせのためにヤチヨは中身を見ててね」
『いいけど……なら、【工学応用-ロボットとAIの違い-】』
「ありがとう、じゃあ、読むね」
『え?』
私は脳内に新しく作ったフォルダ――『参考書』からヤチヨが選んだ【工学応用-ロボットとAIの違い-】を開き、閲覧。まぁ、目次は飛ばしていいか。
「五ページ目からね。序章。この数年で工学は飛躍的に発展し、ロボットやAIが身近なものとなっている。しかし、ロボットとAIは一見、同じものに見えるがその概念は全くの別物だ。まずはロボットとは何か。AIとは何か。そして、その違いによって将来、ロボットやAIが人々にどのような影響を与えるのか。その観点から工学を学んでいく」
『……嘘』
つらつらと頭の中に浮かんでいる文章を読み進めているとヤチヨが信じられないと言わんばかりに目を見開いて言葉を零した。この様子なら私が口にした文章は彼女が見ている参考書と一言一句、合っているのだろう。
『彩葉、これは……』
「うん、多分……ヤチヨの記憶を受け取った時に私の頭の構造が少し変わったっぽい」
圧縮記憶、とでも言うのだろうか。いや、あれはあくまで要点をまとめて覚えておく情報を極限まで削る、みたいな記憶法だったような気がする。
しかし、私のこれはあまり機械的だった。見たもの、聞いたもの、感じたものをデータに変換。それをフォルダに格納して圧縮。それを望んだ時に解凍して、その中身を閲覧できる。そのプロセスはまさにデータの圧縮そのもの。
おそらく、普通の人間の脳では八千年の記憶を保持するのは難しく、本能的に頭の構造を変えたのだろう。あくまで推測に過ぎないため、真実は不明だ。
『そんな……大丈夫なの?』
「今のところ、特には? むしろ、便利すぎて怖いかも」
この体質であれば一度、データとして取り込んだものを忘れない。目的のデータを探すのに少し時間がかかりそうだが、フォルダを整理することもできるような気がする。使いこなせば絶対に役に立つだろう。
「あ、でも、使いすぎたら頭痛はしたかな」
思い出すのは帝との戦い。終盤で私のブーメランとヤチヨの傘を投げている時に軌道やタイミングを計算するのにひたすら『ヤチヨ.zip』の中から有益そうなデータを引っ張り出し、それを基に何度も演算を行った。きっと、あれが私の頭でこなせる処理能力の限界なのだろう。
『……』
「あれ、ヤチヨ?」
『ッ……私の方でも危険なことはないか調べてみるね』
「え、うん……ありがとう」
ヤチヨのことだから『えー! 彩葉、すごーい!』と喜んでくれると思ったのだが、彼女はどこか落ち着かない様子で微笑んだ。何だろう、と気になったがその笑みはすぐに引っ込んでしまい、結局、指摘することはできなかった。
今、思えば私は浮かれていたのだろう。もっと、ヤチヨのことを考えるべきだったのだ。そうすればあんなことは起こらなかったはずなのに。