「これでよし、と」
数日ぶりの登校――のはずだが、ヤチヨが経験した八千年分の記憶を見た後だとずいぶん久しぶりに感じる。むしろ、よく次の日に登校できるな、私。普通ならぶっ倒れて入院してもおかしくないのに寝起きが少し悪かっただけだ。
もちろん、八千年の記憶が軽かったわけではない。八千年の記憶を見た後、一瞬でも私がヤチヨだと錯覚してしまうほど強烈なものだった。
それでも私は耐えた。いや、受け入れた。だって、その八千年は孤独だったとしてもかぐやが一歩ずつ未来に向かって進んだ証なのだから。
『うんうん、バッチリだね!』
自室で身支度を終えたところでタブレットの中からニコニコと笑ったヤチヨが頷いた。久しぶりの登校だったため、念のために変なところがないか確認してもらったのである。
「じゃあ、遅刻しちゃうから行くね。お留守番……はしないか。夕方には戻るね」
『ふっふっふー』
きっと、私がいない間はツクヨミに行って配信でもするだろう。そう考えた私はタブレットの電源を切ろうとしたが、ヤチヨはドヤ顔を浮かべた。その顔はまさにこんなこともあろうかと、と言った様子でとても可愛らしい。うん、マジで可愛いな。さすがヤチヨ。
『彩葉、ちょっとスマホ見せて』
「スマホ?」
彼女に言われるまま、私はスマホをタブレットの前にかざす。すると、タブレットの中にいた彼女の姿が消えた。残されたのは彼女が配信に使用している『ツクヨミ』の背景。
「え、ヤチヨ!?」
『彩葉、こっちだよー!』
慌ててタブレットを持ち上げようとしたところで楽しそうなヤチヨの声が耳に届いた。場所は――私の手の中?
『やっほー!』
「ッ!?」
おそるおそるスマホを見るとそこには画面いっぱいに広がる推しの顔。悪戯が成功した子供がほくそ笑むようにふりふりとした袖で口元を隠すヤチヨはまさにこの世界が生み出して天上の姫。そんな配信でもあまり見られないプライベートな素顔に私は思わず腰が砕けそうになった。
『これでいつでも一緒だよ~! あれ、彩葉?』
「な、何でもない……でも、どうやってやったの?」
『ヤッチョは思念体だからねー。電子機器の中を行き来できちゃうのです!』
「え、すご……」
スマホの中でどやぁと決め顔をするヤチヨに私は言葉を失ってしまう。魂だけの存在である彼女はインターネットが構築された当初から電子の海を泳いでいたが、まさかここまでのことができるとは思わなかったのだ。
『んん? でも、彩葉って私の記憶を見たんだよね? なら、電子機器を行き来できるのは知ってたんじゃ?』
「……あ」
確かにちょっと記憶を掘り起こしたらパソコンや携帯が普及された頃、ピョンピョンと様々な端末へ飛んで遊んだのを思い出した。
「確かにヤチヨの記憶は見たけど一気に詰め込んだから該当する記憶を思い出すのに時間がかかる、みたいな感じかな。パソコンでいうとたくさんのファイルを一気にダウンロードして保存先から対象のファイルを探す、みたいな……」
『なるほど~……んー?』
私の説明を聞いたヤチヨは納得したような表情を浮かべた後、不意に首を傾げます。何だろう、と私もキョトンとしていると彼女は突然、顔を真っ赤にしました。
『あー、えー……あ、あの、彩葉?』
「な、何?」
『私の記憶、あんまり思い出さないで欲しいなー、なんて』
「え、どうして?」
ヤチヨの記憶はまさに情報の宝。私たちの夢は途方もないものであり、何度もブレイクスルーを起こさなければならない。そのためには彼女の記憶は必ず役に立つ。だから、これからはどんどん活用していこうと思っていた。
『なんと言いますか……さすがに恥ずかしいと言いますかー』
「恥ずかしい?」
はて、スマホの中でもじもじしている歌姫のどこに恥ずかしいところがあるというのだろう。そう考えて首を傾げた私にヤチヨは少しだけ拗ねたような顔を浮かべた。
『だって、彩葉はヤッチョの全部を知ってるんだよ?』
「うん、そうだね」
一瞬だけだったとしても自認ヤチヨになりかけたぐらいだ。この世界でヤチヨのことを一番している人間だと胸を張れるレベル。
『だから、さ? ヤチヨがどんなことを考えてここまで来たとかも……全部、筒抜けなわけでありましてー』
「……ごふっ」
『彩葉!? なんか吐血したみたいな声出たよ!?』
いや、待ってほしい。私は悪くない。手元に資料がある状態でそれを見ないで、と言われた時、無意識にその資料へ目を落としてしまったようなのと一緒。
つまり、無意識のうちに記憶を掘り起こしてしまい、ヤチヨがこれまでどんな想いで――『酒寄彩葉』を支えにして八千年という長い年月を過ごしてきたかがダイレクトに伝わってきたのである。
(こりゃ、駄目だ……)
フラフラと足元がおぼつかなくなり、慌てて机に手を置いて支えにした私はスマホの中で慌てているヤチヨを見つめた。私の推しであり、大切な人。ずっと一緒にいたい人。私のかぐや。
「……」
私が、この子を幸せにするんだ。ハッピーエンドまで連れていく。絶対に。
「な、なんでも、ない……必要以上にヤチヨの記憶は思い出さないようにするね」
『うん、お願いね!』
そう新たに決意を固めた私は姿勢を正してスマホの中にいるヤチヨに笑いかける。彼女もどこか安心したように笑って頷いた。
「さて、本格的に遅刻しちゃう。あ、その前に」
ヤチヨがスマホの中にいてくれるということは外でも話ができる。しかし、彼女の声はあまりに有名だ。配信を見ている、と勘違いする人もいるかもしれないがよく聞けば私と意思疎通していることがばれるかもしれない。
そこで私が用意したのはただのイヤホン。これをスマホに繋げばイヤホンで友達と話をしている普通の女子高校生の完成。
『お、イヤホン。これで人の目……耳? まぁ、いっか! いつでもお話できるね!』
「そういうこと! じゃあ、早速……ヤチヨ、ちょっと声出してみて」
イヤホンをスマホに接続して音量調節のために彼女へ声をかける。そして――。
『――彩葉、聞こえる?』
「……おっふ」
配信をイヤホンで聞くのとは違う、あまりにもリアルな声と吐息。嬉しそうに、それでいてどこか照れくさそうな私の女神。そう、これはまさに――ASMR。
『彩葉? いーろーはー? 聞こえてるー?』
「あー、このまま眠ってしまいたい」
『なんで!?』
私の戯言に大声でツッコむヤチヨ。そのせいで音量調整が間違っていたのか、ASMR配信の伝統芸『鼓膜ないなった』が起きて失いかけていた私の意識は再び浮上したのである。
これからハッピーエンドのその先に行くのに十年かかるのに
まだ登校すらできてないのなんで?