お兄ちゃんの問題が発覚した次の日、私は普通に学校へ登校した。正直、今すぐにでも何とかしたいのだが、色々と準備があるため、ここは耐えるところ。今頃、ヤチヨがツクヨミで色々と動いてくれているはずだ。
『彩葉ー、明日の夜なら空いてるって!』
まぁ、ヤチヨは分身できるため、いつでも私のスマホにいられるらしい。更に分身同士で情報のやり取りも可能であり、片耳に装着したイヤホンに嬉しそうな声が届いた。
「うん、わかった。ありがとう」
校内を歩いているため、小さな声でお礼を言い、『また後で』と声をかけてからイヤホンを外す。そして、目的地――職員室の扉の前で立ち止まった。
「……失礼します」
ノックをした後、静かに扉を開ける。それと同時に仄かに香るコーヒーの匂い。そこでは先生たちが机に向かって作業をしていたり、コピー機の前で印刷物をチェックしていたり、と忙しなく動いていた。
「立花先生」
職員室に入り、目的の人物――担任の立花先生へと声をかける。放課後だからか、彼はどこかまったりした様子で椅子に座っており、私の姿を見て小さく笑った。前までは私のことを少しだけ心配そうに見ていたが、今はそんな素振りを見せていない。むしろ、嬉しそうだった。
「ああ、なんだ?」
「進路に関して相談があります」
「前は東大の法学部だったな。変えたのか?」
「はい、工学部に行こうかと思います」
「……ん?」
ピラリ、と書き直した進路希望調査票を先生に差し出しながらはっきりと言うと彼は体を硬直させ、数秒ほど考え込んだ後、首を傾げた。そして、錆びついたロボットのようなぎこちない動きで進路希望調査票を受け取り、その内容を読んだ。
「……工学部?」
「はい」
「……ふぅ」
読み間違いでも、聞き間違いでもないとわかったのか、立花先生は眉間を指で摘まんでコリをほぐそうとする。まぁ、当たり前だ。優等生であり、数日前まで法学部を目指していた生徒がいきなり理転すると言い始めたのだから。
「否定するつもりはないんだが……どうして急に?」
「夢ができたんです」
「夢?」
「はい、どうしても叶えたい夢が」
「……そうか」
私の真剣な目に立花先生も何かを感じ取ったのだろう。まだ納得していない様子だが、一旦、飲み込むことにしたらしい。
「しかし、この時期に理転か……さすがに酒寄でも厳しいんじゃないか?」
「進路担当の先生っています?」
「え? あ、ああ……あそこにいるけど」
先生の質問に対し、いきなり進路担当の先生の所在が聞いたからか、戸惑ったように頷く。よし、条件は揃ったな。小さく息を吸い、私は覚悟を決めた。
「もし、時間があれば私が考えてきた今後の計画を説明してもいいですか?」
そこからは早かった。立花先生と進路担当の先生を相手に理転した後の勉強計画、東大の工学部を受験するにあたって考えられる対策、どれだけ私が工学部へ進みたいか、などホワイトボードを使ってたっぷり二時間ほどかけて説明した。
もちろん、先生たちからも質問されたが予想していたものばかりだったため、狼狽えることなく、全て答えて黙らせる。そもそも、法学部を目指していたから文系を名乗っていただけで成績自体は文系も理系もほぼトップ。今更、理転したからといって理系の科目を勉強し直す必要もない。将来に向けて勉強していた内容が法学部向けから工学部向けに変わるだけだ。
「――以上です」
「……」
練りに練られた計画を前に立花先生も進路担当の先生も言葉を失くしていた。しかし、担任として私と接してきた立花先生はすぐに正気に戻って小さく息を吐く。
「酒寄が考えなしに進路を変えたわけじゃないってことはわかった」
「はい」
「それに酒寄の成績なら理転しても問題ないのもわかる。だが、親御さんにはこのことは話したのか?」
「っ……」
先生を説得するために考えた計画。その中で唯一、有効な回答を導けなかった質問に思わず息を吞んでしまう。だって、お母さんに話を通していない時点で何を言っても言い訳にしかならないのだから。
「……まだ話してません」
「そうか。悪いが先生としてはきちんと親御さんに話を通してもらわないとならない」
「はい……」
「でも、熱意は伝わってきた。絶対に叶えたい夢に向かって進もうとする姿を見せればきっと親御さんにも伝わるよ」
そう言って立花先生は優しく微笑んだ。彼はこれまでも私に何か言いたそうにしていたこともあり、きっと、色々と心配をかけていたのだろう。でも、今はどこか穏やかに見える。やっと、やりたいことを見つけた私を見て安心してくれたのかもしれない。
「親御さんの説得ができたら教えてくれ。一緒に受験対策を考えよう」
「はい!」
立花先生の言葉に私は嬉しくなって頷いた。進路担当の先生も仕方ないか、と苦笑を浮かべている。
これで第一段階は突破。学校の先生たちも納得した、といえばお母さんの説得も少しはやりやすくなるだろう。
だが、お母さんは後回し。正直、どんなことを言われても押し通すから今すぐじゃなくていい。
「ヤチヨ、お願いできる?」
『モチのロン! よーし、やっちゃうぞー!』
職員室を出てイヤホンを装着した私はスマホの中にいるヤチヨに声をかける。彼女も気合十分なようで元気な返事がきた。
さぁ。次はお兄ちゃんの方だ。