「どこに行くつもりですの」
「さきちゃん、なんで……?」
「にゃむたちから聞きましたの」
にゃむちゃんたち。
あの日、病室を出るとにゃむちゃんたちが待っていたことを思い出す。
病室から出てきた私を、絶望に満ちていた私を、優しく励ましてくれた。
私はどんな姿に見えていたのだろう。
きっと見ていられない姿だったに違いない。
そんな様子だったから、さきちゃんに伝えてくれたのだろう。
「私、あの時のことも思い出しましたのよ」
あの時のこと、病院での一幕。
あの日から何度も夢に出てきた。
何度も何度も忘れようとしたのに、頭から離れてくれない。
「ごめんなさい。あなたを深く傷つけてしまった。きっと怖い思いをさせてしまった」
夢を見ているんだと思う。
だってこれはあまりにも私に都合が良すぎる。
私が出て行こうとして、心の奥底ではまだここにいたくて、記憶の戻ったさきちゃんが止めに来てくれた。
そんな好都合、私なんかに起きるはずがない。
もしかしたら、私のおかしい様子を誰かから聞いて、記憶が無いなりに励ましてくれようとしてくれてるのかもしれない。
だったらそんなことやめてほしい。
私なんかのために無理をしてほしくない。
何よりも私の決意が揺らいでしまう。
そんなぐちゃぐちゃになった感情は次の言葉で治まった。
「初音」
「――っ!」
暗く閉ざされた私の世界は、いとも簡単にこの言葉だけで色づいた。
「さきちゃん!!」
私は目の前のさきちゃんを強く抱きしめた。
さきちゃんは優しく受け止めてくれた。
受け入れてくれた。
そんな優しい抱擁に、我慢していたものが溢れてしまった。
「わたし……私の、せいで、さきちゃんが……っ、たいへんな、ことになって……、もう会ったら、ダメなんだって……っ……!」
「ごめんなさい初音。苦しい思いをさせてしまいましたわ」
「もっと――もっと呼んで」
「初音、泣かないで。私はもういなくなったりしませんわ」
「もう……忘れないで……」
「ええ、忘却の神に誓って。これは私たちの大切な秘密ですもの」
「たいへん、お見苦しいところをお見せしました」
「初音、落ち着きましたの?」
玄関で泣き続けていた私はさきちゃんに優しく腕を引かれていつものリビングへと戻ってきていた。
リビングに戻ってからもさきちゃんに抱きついて泣き続けていた私はそのまま泣き疲れてさきちゃんの胸の中で寝てしまったらしい。
恥ずかしくてさきちゃんの顔を直視できない。
「可愛かったですわよ、初音」
「うぐっ……!」
面白がって、さきちゃんが追い打ちをかけてくる。
話を逸らすように、私はさきちゃんに話題を振った。
「ところで……、さきちゃんはいつ記憶が戻ったの?」
「ああ……、それは……」
さきちゃんが俯いて口籠る。
よく見ると顔も少し赤い。
少しの間、口をごにょごにょとさせていうと思ったら、小さな声で呟き始めた。
「あの曲を、聴いてから、ですわ……」
「あの曲?」
私の純粋な追い打ちがかかる。
この追い打ちは私にもダメージが来ることを知らずに。
「ですから、初音が作詞してくれたあの曲、ですわ……」
さきちゃんは意を決したように堂々と言った。
もう顔が真っ赤だ。
こんなに照れるさきちゃんは貴重だし、目に焼き付けておこうっと。
それにしてもあの曲か。
どんな曲なんだろう?
私がさきちゃんに向けて作った曲なんて1つしかないんだけど……。
あの曲ってもしかして!?
「あの曲……初音の思いがこれでもかと込められていたでしょう……? きっと、それがきっかけになったのだと、思いますわ」
絶句した。
あんな歌詞が、私の欲望と劣情の塊みたいな叫びが、さきちゃんを呼び戻したなんて。
私の顔がどんどん熱くなっていくのが分かる。
今度こそさきちゃんを直視できなくなった。
そんな空気に耐えかねて、さきちゃんの方から口を開いた。
「と、ともかく初音、お腹が空きましたの。一緒に買い物にでも行きませんこと?」
「そ、そうだね、行こうか」
とにかく、この気まずい空間から何とか離れようと2人で身支度をした。
その間もこの空気は薄まることはなかったけど。
2人で玄関へ向かう。
この光景も久しぶりだ。
そして、もう二度と見れないと思っていた。
私たちの日常が戻ってきた。
2人で玄関へ向かう途中、私はふと足を止めた。
その姿に疑問を持ったのかさきちゃんが振り返る。
そんなさきちゃんに私は言う。
言い忘れていた言葉。
長らく言えなかった言葉。
「――おかえり、さきちゃん」
「――ただいま、初音」