新世紀の星   作:サマエル

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少年の心に刻まれた光の名は


第2話「その名は、ダイナ」~THE Dynamic Hero~

 

<第2話>

 

一切の光が差さない闇が、その空間を支配していた。

何も知らずに入ったものならば、上下左右の感覚すらもまともに認知できないであろう閉鎖された暗所。

だがその危険性を指摘するものは存在しない。

自分達以外がこの空間の存在を知っていてはならないからである。

 

『使徒の再来……とは随分と唐突な話だな』

 

低い男の声が空間内に響き渡った。

肘を突くデスクからの青色の光が、その恰幅の良い体と強面の顔を怪しく映し出した。

対して応えたのは、隣に座る緑色に照らされた小柄な人物だった。

 

『15年前を思い出すよ。災いというのは、事前に相手に知らせて起こるものではないからね』

 

『その点に限って言えば、我々の先行投資がどぶに捨てた無駄金と揶揄される心配もなくなったわけだ』

 

『喜ぶにはまだ早い。何もかもがシナリオ通りというわけではないのだからな』

 

ほくそ笑む赤いデスクの男を青いデスクの男が嗜めると、黄色いデスクの男も同調するように眼鏡を直す。

 

『左様。撃退できたとはいえ、使徒の存在は公然の秘密となっている状態。これに対するNERVの情報操作は迅速かつ正確である必要がある』

 

『その件については、B-22プランにて対処済みです』

 

感情のない声でそう応えたのは、彼らを横から眺める位置に腰を下ろした壮年の男だった。

トレードマークとも言うべき眼鏡の奥の瞳は、反射されたデスクの白い光によって見えない。

 

『ところで碇君』

 

ふと、それまで沈黙を貫いていた緑色のデスクの男が口を開いた。

その視線と声色は、どことなし怒気を孕んでいるように見えなくもない。

 

『かの戦闘で使徒殲滅に乱入したエラーについて、もう少し実のある情報は揃わなかったのかね?』

 

そう言ってこれ見よがしに手元のスイッチを操作すると、中央に先の戦闘を記録した映像が映し出された。

戦自の総攻撃を物ともせず進撃を続ける使徒と、日没後に相対したエヴァンゲリオン初号機。

そして、その戦闘中に突如として姿を現した謎の巨人。

急ぎ作成された巨人に関する分析結果は、いずれも解析不可の4文字で埋め尽くされていた。

要はこの謎の巨人については何も解明が進んでいないということだ。

少なくともこの場の全員の意識下の中でくみ上げられていた無数のパターンの中に、この全てにおいて謎に包まれた巨人の存在は欠片も存在しなかった。

人智を超えた存在である使徒と初号機の後始末だけでも手一杯であるというのに、この巨人を解明するのに一晩という時間はあまりにも短すぎた。

 

『おかげでNERV及び我々の権威を示すはずの初陣の手柄は、この巨人への疑念に打って変わった』

 

『まさか下々の奴らと一緒に思わぬ援軍と現を抜かしていたりしないだろうな?敵か味方かも分からんようなイレギュラーに、我々の計画がかき乱されるわけにはいかんのだ』

 

『聞けば件の初陣には君の息子を使ったそうじゃないか。ファーストと違いぶっつけ本番だったとはいえ、この有様ではサードチルドレンの名が泣くぞ?』

 

『人間、時間、予算……親子揃って我々の努力を無駄にしてくれるなよ?』

 

『……いずれにしても、だが』

 

ここに来て、周囲より一段高いデスクに腰を下ろしている人物が口を開いた。

目を機械的なバイザーで覆った出で立ちは、まるでサイボーグのようにすら見える。

 

『人類補完計画……このスケジュールの遅延は認められない。予算の面は一考するが、これだけは死守するように』

 

その言葉と共に、5つのデスクから光が消え、自分以外はすべて闇に閉ざされた。

瞬間、部屋の照明が点灯する。

眼前には文字通り何もない講堂のような空間が無機質に広がるばかり。

一部始終を見ていた人間は驚くことだろう。

先ほどまで自身に詰問していた者たちはいずれも、遠い海を隔てた先からバーチャルシステムを使ってこの場に姿を見せていたに過ぎなかったのだから。

 

「当然だ。我々の、私の計画は、」

 

誰もいない空間の中で、誰にも聞こえない声で呟く。

 

「この程度のバグでは揺るがん。塵ほどもな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何もない空間だった。

 

色も形も何も分からない、暗闇の中を宇宙空間のように漂う不思議な感覚だった。

 

「(ここは……どこだ……?)」

 

 

 

 

 

『(…た………じゃ……!!)』

 

『(……に…………るよ……)』

 

『(……ち……い……)』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ……」

 

無数の声らしき何かが耳の中で溢れたとき、眼前の漆黒は純白の天井へと姿を変えた。

瞬間、今まで漂っていた世界が現実ではなかったと実感し何処か安堵する。

 

「……」

 

そのまま呆然と天井を見つめる事数秒。

何故だ。

この町の建物に入ったことも初めてのはずなのに、何故全く新鮮味が沸いて来ない。

初めて見るはずのこの知らない天井を、自分は既に知っているとでもいうのか。

自分自身の中に巣食う謎の既視感を拭えないまま、体を起こす。

窓から差し込む眩しいばかりの日光と、暑さを微塵も感じない、肌寒いくらいの冷房が効いた病室。

そして窓ガラス越しに微かに聞こえるラジオ体操の音楽。

何もかもが、脳裏に過ぎる光景とダブついた。

宛ても無く廊下に佇む自分。

迎えに来た昼間の女性。

エレベーターで不意に鉢合わせたまま、言葉を交わす事無く離れた父。

そして……、

 

「……まさか……」

 

フラッシュバックしていくのは、体験していないはずの光景ばかり。

だが、この町に来たときに嫌というほど実証されてきたこの推論は、恐らくもう揺るがない。

自分の脳は、記憶はこの先の出来事を知っている。

砕け散ったガラスのひとかけらにも満たない僅かな残照。

だがそれでも、それがこれから現実に起こる未来予知の類に近いものであることは違いない。

そしてそれが事実ならば……、

 

「……よし」

 

行ってみる価値はある。

確証はないが、根拠ならばいくつもあるから。

この記憶のピースが正しければ、『彼女』はきっとここにいるはず。

そう判断した碇シンジの行動は早かった。

何せ記憶の父との邂逅の時点で、自身を迎えに来たミサトが一緒だった。

ならば自分が自由にこの建物を動き回れるのは今しかない。

幸いこの病院には人間が少ないのか、他の患者や看護師と遭遇することも無く、父の無感情な顔が見下ろしていたエレベーターの前に辿り着くことができた。

看護師に見つかったときの言い訳は適当に考えていたが、杞憂に終わったようだ。

 

「……」

 

記憶の中の父は、口を開く事無く閉じたエレベーターで下へと降りていった。

それまでのピースの通りに乗り込んだフロアは1階なので、必然的に地下に降りることになる。

僅かな興奮が心臓の鼓動を早めていた。

このような行動は、イメージには当然存在しない。

言わばイレギュラーな行為である。

自身の脳裏に際限なく蘇る未来の一欠片を自ら無に帰する行為に等しい。

だがしかし、それでもシンジにはこうして自らの予知に反してでも逸脱する必要があると感じていた。

既に1分近くこうして思考を繰り返しているのに、地下1階を目指すはずのエレベーターは動きを止めない。

まるで、本来なら自分という存在が気安く近づいてはならないと警告するかのような重く暗い空気が充満していた。

 

「……暗いな」

 

やがて開かれた扉の先の光景に、シンジは思わず独りごちた。

太陽の下から離れた地下の世界は、暗闇に支配されていた。

幸いにしてくるぶしに高さに設置された青いライトが道筋を照らしているため迷う要素はないが、およそ自分の居た病室と同じ建物内の空間とは俄かに信じがたい。

だが逆に、この不自然さがシンジに確信を抱かせた。

これ程人並みはずれた堅牢な空間にこそ、彼女はいるのだろうと。

 

「……」

 

高鳴る心臓の鼓動に緊張しながら、しっかりと手すりを握って歩を進める。

不思議な感覚だった。

未だこの世界で見た事も無ければ話したことすらない、イメージの中にしか存在しない青い髪色の儚げな印象の女の子。

まるで自分の空想が作り出したイマジナリーフレンドと揶揄されてもおかしくない状況だというのに、微塵にもその存在を信じて疑わない自分がいた。

明確な根拠はない。

だが確固たる自信があった。

あのイメージの少女は実在すると。

出撃直前に僅かに問いかけた言葉が事実ならば、彼女もまた……

 

「……あ……!!」

 

歩を進めた先に辿り着いた、一つの小さな病室の扉。

その引き戸を左にスライドした先のベッドの上に、人影があった。

見ているこちらが痛みを錯覚するほどに痛々しい全身に包帯を巻いていた。

青い髪色と、赤い瞳の、

 

「……」

 

イメージと寸分違わぬ少女が、目の前にいた。

見間違いや思い込みではない。

彼女は、こうして実在したのだ。

そう理解した瞬間、イメージは脳内に無数の彼女と思しい言葉をエコーのように再生し始めた。

 

『(あ……は………い……)』

 

『(……ろが………る……)』

 

『(……と……さん………)』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あなた、誰?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞬間、深く沈みこみかけていた意識が現実に引き戻される。

薄暗い部屋の中、赤い瞳が真っ直ぐにこちらを見据えていた。

同時に全身を駆け巡る、興奮に近い高揚感。

事実、シンジは興奮していた。

眼前にイメージと寸分違わぬ少女が、イメージ通り同じ建物内に存在していた。

 

「……あなた、誰?」

 

眉一つ動かさぬ感情のない声が、再度問いかける。

まるで人形のような佇まい。

しかし彼女は人間だ。

間違いなく生きた人間だ。

何故なら、

 

「(い………ん……)」

 

イメージの中の少女は、自分に僅かばかりの微笑みを残し、そして……

 

「……僕は、『碇シンジ』」

 

「……、……いか……り……」

 

名を聞いた少女の瞼が、僅かに見開かれる。

驚いたのだろうか。

まさか自分のことをもう知っているのか。

 

「……碇……司令と同じ……」

 

淡い期待は流石に自惚れだった。

彼女の口から出てきたのは、同じ碇でも父の存在だった。

だがこれで確信が持てる。

自分とはまた違うエヴァを駆り使徒に立ち向かった彼女のイメージもまた、いつか起こる未来のひとつなのだと。

 

「父さん……碇司令は、僕の父親なんだ」

 

「父……親……?」

 

「そう。僕は息子。そして君と同じ……エヴァのパイロットだ」

 

「エヴァ……の……!? じゃあ……あなたも……?」

 

またしても眼が大きく開く。

あなたも、と確かに彼女は言った。

思ったとおり、彼女もまた自身と同じエヴァのパイロットなのだ。

 

「……使徒……」

 

「ん?」

 

「使徒は……、どうなったの……?」

 

僅かな間をおいて尋ねられたのは、使徒の現状だった。

見ると半身を起こしかけ、今にもこの部屋を離れてしまいそうだ。

 

「待って」

 

肩に手を置き、止める。

 

「……何故、止めるの?」

 

より近くなった彼女の顔。

その眉が少し不満げに歪められる。

止めるな、と言いたいのか。

ならばその理由を話せば良い。

 

「ケガ、してるだろ? その体で無茶しちゃダメだよ」

 

「無茶じゃない……、私は……まだ戦えるわ……」

 

それでも、とシンジは優しく、されどしっかりとその肩を押し留める。

 

「まだ戦えるって言うのは、もう危ないって事だよ。それに、使徒ならもうやっつけられたから」

 

「え……」

 

ふっと肩の張りが軽くなり、そのままベッドに押し戻す。

不満げな表情は驚きに戻った。

 

「使徒は倒された。だから、今君が怪我をした体で起き上がる必要はないんだ」

 

「……けど、次の使徒が……」

 

「だから、それまでしっかり体を治すんだ。しっかり寝て、しっかり食べて……」

 

「……しっかり……寝る……食べる……」

 

視線をこちらから下にずらし、少し俯いた様子で繰り返す。

再びこちらを向いたその表情は、僅かに困惑の色を見せた。

 

「食べるって……、……何を?」

 

「何をって……」

 

予想外の返答に、今度はシンジが困ってしまった。

比較的ほっそりした体つきから、あまり食べていないような印象は持っていた。

思春期真っ盛りの女の子なら、自身の体型を気にしてダイエットを始めてみたり、元々小食な体質の人もいるだろう。

ただ、今の彼女の反応はそうした食べることの躊躇いではない。

食べるという行為そのものへの、率直な疑問なのだ。

故にシンジは思う。

 

もしかしてこの子、ほとんど食べる習慣がないのではないか……

 

「あの……、差し支えなかったらでいいんだけど……」

 

「……」

 

「君……、ご飯ってどんなの食べてるの?」

 

「どんな……?」

 

鸚鵡返しに首を傾げられ、いよいよ手が詰まる。

そもそも初対面の異性に食事事情を尋ねることも中々踏み込んでいるというのに、これ以上彼女の個人的な事情に立ち入って良いものだろうか。

 

「……これ……」

 

ふと、少女はベッドの横のデスクを指差した。

そこには半分の水で満たされた透明なコップと、輪ゴムで纏められた幾束もの錠剤。

説明書の類は何処にもないが、種類だけでも10以上はある。

まさか、まさかとは思うが……、

 

「もしかして……食事って……」

 

「……何故、驚くの?」

 

「いや、驚くっていうか……、おかしいっていうか……」

 

「栄養に、不足はないと言われてるわ……」

 

予想だにしない事実に思わずため息が出た。

イメージの中の彼女は終始表情の変化に乏しく、何処で何をしているか生活スタイルも何もかもが謎に包まれていた。

それがまさか、こんな人の常識から大きく外れたような状況に置かれていたとは。

しかもそんな現状を、本人は微塵も疑問に感じていない。

まるでこれまで、それが当然であったかのような反応だ。

それにこの様子、もしかして生まれてからずっとこのような薬だけで栄養を補給されてきたのか。

道理で食べると聞いてキョトンとしているわけである。

 

「えっと……、食べることっていうのは、栄養を取るってだけじゃないんだよ」

 

「……違うの?」

 

「うん。例えばその薬って、どんな味がする?」

 

「味……、何も、しないわ……」

 

「そうだよね。ご飯を食べると、味がするんだよ。甘かったり、しょっぱかったり、酸っぱかったり、辛かったり……」

 

「甘い……、酸っぱい……」

 

「それで今日のご飯は酸っぱかった、しょっぱかったとか、そんな感覚を楽しむんだ」

 

「楽しい……?」

 

「そう。そうして楽しめることを、『美味しい』っていうんだ。美味しいって言うのはご飯を作った人にとって一番嬉しい言葉なんだ」

 

「美味しい……」

 

少しずつ、本当に少しずつ噛み砕いて一つ一つの言葉を順番に伝えていく。

これだけで彼女の生活を一変させられるなんて思ってはいない。

ただ、このような過酷な環境に身を置かれ、他者との関わりも持たずに薬漬けにされ、それに疑問すら持てていない彼女の現状を知った今、何もしないという選択肢は無かった。

これは完全に自己満足だが、目の前の少女にも食事の楽しみ、他者との関わりの楽しみ、引いては生きることの楽しみを知ってもらいたかった。

もしかすると、本当にもしかするとだが、それが切欠で彼女自身により生きることへの執着が、死ぬことへの躊躇いが強くなってくれれば、イメージに過ぎる彼女の危機を減らせるのではないかと、そう思えてならないのだ。

まるで自分の人生を消耗品のように過ごしているかのような彼女の意識に、変化を促したかった。

 

『特別病棟の碇シンジさん、碇シンジさん。保護者の方がお見えです。1階受付までお越し下さい……』

 

どうやら時間切れのようだ。

保護者ということはあのミサトという女性か、天文学的確率だろうが実父の可能性もある。

いずれにしても自分がこの部屋に無断で立ち入っていることが不用意に漏れることは避けたい。

 

「ごめん。本当はもっと話したかったけど、呼ばれてるみたいだから行かなくちゃ」

 

「……そう……」

 

名残惜しい気持ちを抑えて立ち上がり、病室の扉を開く。

と、あることを思い出し振り返った。

 

「そういえば、君の名前は?」

 

「……、……綾波……レイ……」

 

「ありがとう。じゃあ綾波、また会いに来るね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そう。了解、じゃあその辺は相田副主任に一任して。よろしく」

 

最低限の会話を済ませると、通話を切って眼下のドアポケットに乱雑に形態を放り込む。

何せ今自分がいるのは、夕焼けに包まれた町を見下ろす坂道を疾走する運転席だ。

こちらの事情も対して考えずに電話してくるほうが悪いのである。

最も、本来ならこの時間はNERV内で作業を続けているはずであったので、どちらかというと非はこちらのほうにあるのだが。

 

「ありがとうございます、ミサトさん。わがまま聞いてもらっちゃって」

 

ある意味原因となった人物が、やや遠慮がちに口を開く。

つい先ほど、意識が戻ったというサードチルドレンの回収と借住居の連絡を受けた。

16ブロックの人気の少ないアパートの一室。

14歳の思春期の子供が過ごすには何とも寂しい限りの空間である。

最ももう一人のパイロットにも同様の環境を強いているらしい話を耳にしている以上予想はしていたが、仮にも自身の息子にもこのような仕打ちをするのかと憤慨した。

だがここで文句を言う立場に自分はない。

自分が転居を命じられたわけではなく、住むのは初号機に乗った少年なのだ。

彼が異論の一つも唱えず了承してしまえば、彼の背中を見送って先日の使徒殲滅戦の報告書を纏め上げるというのが当初の予定だった。

だがここへ来て、件の少年が予想外の反応を見せた。

 

住所はそれで構わないが、今夜だけは見知った大人のところで過ごしたい。

 

曰く、覚悟していたとはいえ使徒との戦闘で浴びせられた痛みや恐怖がフラッシュバックしてしまうから。

曰く、見知らぬ町に着たばかりで頼る相手がいないから。

遠慮がちに、若干圧をかけて来る上官に対して少年はされど毅然と告げた。

望み薄なのは分かってるだろうし、増してや父親と過ごすことなど夢のまた夢だろうことはとっくに理解しているに違いない。

そんな年甲斐も無く聞き分けの良い少年のほんのささやかな反抗……とも言い難い希望だった。

だが先日の出会いから歳不相応に大人びた面を見せ付けられてきた葛城ミサトにとって、この瞬間の彼の印象はとても儚く、か弱く感じられた。

懸命に気を張っていた少年のほんの僅かなSOSを感じ、放って置けなくなったのだ。

それを自覚してからの行動は早かった。

あれよあれよという間に件の少年の宿泊先として自身の住居を申請し、流れるように許可が下りたのである。

そして現在、昨日の戦場を潜り抜けたとは思えない程洗車で磨き上げた車で碇シンジ歓迎パーティーの買出しを済ませ帰路に着くところなのである。

 

「いいのよ。それにこうして自分の希望を押さえ込まずに口に出してくれたから、私も助けてあげられたのよ? 貴方はまだ子供なの。とことん大人を頼りなさい」

 

そうウインクを返すと、シンジははにかみながら窓の外に視線を移す。

今日限りの宿代わり。

少なくとも彼はそう思っているのだろう。

だからこそ、着いてから真実を知った彼の顔が楽しみだ。

それに今頃は……、

 

「(ま、たまには良い薬でしょうね)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初の疑問は、唐突に上がってきた一つの申請だった。

宿泊願。

遠方ではなくあくまでこの町の中で住居以外で宿を取りたい希望が上がってきたのだ。

問題はその程度の申請がわざわざこちらまで上がってきたことである。

平常時から無数のデータを迅速且つ的確に処理することが求められるNERV総司令部に、これ程緊急性の低い申請は入ってこない。

あるとすれば使徒関連かエヴァ関連、あとはチルドレンに関する諸事くらいであるが……

 

「……碇」

 

「……」

 

冬月の問いかけに返答はない。

デスクには先の宿泊願の写し。

16ブロックの住人が別所での宿泊を希望する至ってシンプルなものだ。

問題は、件の住居人の名前である。

いや、住居予定人というべきだろう。

何故ならその人物は今日通達を受けてその場で申請を願い出たのだから。

 

「気づかなかったのか?」

 

「……ああ」

 

ややあって、寡黙な声が間をおいて返ってきた。

肯定ということは、完全に見落としていたようだ。

 

「良いのか? 予定では今夜一晩限りのものだっただろう」

 

「構わん。認可した以上変更は出来ん」

 

「荷物はどうする?既に変更前の住居に送付しているんじゃないのか?」

 

「問題ない。葛城一尉が対応済みだ」

 

「……」

 

「……」

 

「……碇、まさかとは思うが……」

 

「……」

 

「……見落として認可したことを、悟られたくないのか?」

 

返答はない。

だが偶然か否か、その左肩が一瞬跳ねたのを冬月は見逃さなかった。

あえて何も言わず視線をデスクの上の申請書に落とす。

そこには宿泊期間の欄に、1日と記載されている。

が、問題はその下の余白にあった。

 

「(但し、宿泊者が希望する場合は宿泊を無期限に延長、または宿泊先の住所への転居を認めることとする)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、着いたわよ」

 

都市の一角にある高層マンション。

その中層階の一角に、現在の葛城ミサトの住居はあった。

既に日は落ちて夜の闇を簡素な蛍光灯が照らす先の角部屋。

イメージと同じ、一人で暮らすにはやや広い2LDKのマンションだ。

 

「えっと……お邪魔します……」

 

「コラコラ、違うでしょ?」

 

「た、ただいま……」

 

分かってはいたが、イメージ通りに修正されて苦笑いを浮かべるシンジ。

ここに来る直前、ミサトから聞かされた予想外のサプライズに、シンジは思わず声を上げてしまった。

何と、宿泊願に細工をして、事実上ここに居を移す段取りを整えてしまったというのだ。

名目上それは自分が転居を望んだときに初めて有効になるというが、既に家財一式をこちらに送られている時点で選択の余地などあろうはずもない。

一番驚いたのは、決裁者の名前が他ならぬ父であったことだった。

イメージの海の中を探してもおよそ自身に父親らしい振る舞いなど皆無と言ってよい父であるが、一体どういう風の吹き回しであろうか。

 

「遠慮しないで入って頂戴。使徒撃退も兼ねて、今夜はパーッと祝勝会よ~ん!」

 

明らかにテンションの上がった様子で、先ほどコンビニエンスストアで買い込んだ缶ビールを冷凍庫の氷の上で回して冷やしていく。

微かなイメージの残像にあったが、ミサトは仕事に全神経を集中している分平時の生活、とりわけ私生活については大分緩い印象だった。

テーブルの周囲にはビールの空き缶が溢れ、料理もしないのか数日で積み重なる弁当ガラや宅配ピザの空き箱などを強引に詰め込んで可燃ごみに出すイメージが僅かに見える。

 

「ミサトさん、良かったら台所借りても良いですか?」

 

とはいえ、現状でもこうして見知った人間と生活を共に出来るのは大きな利点だ。

使徒と交戦していく上で作戦本部長に当たるミサトと親交を深めておけば、ふとイメージが過ぎったときに無茶も効きやすいかもしれない。

そしてもう一つ、ある目的の為に同居人がいることは渡りに船であった。

 

「モチのロンよ。メインディッシュ楽しみにしてるからね」

 

此度の葛城家転居に辺り、シンジは業務に忙しいであろうミサトに代わって家事の大部分を引き受けると申し出たのだ。

何せ今この時点でも部屋はお世辞にも快適とは言いがたかった。

部屋の隅にはいつ開けたか分からないビールの缶や弁当ガラが山積し、ビール特有の匂いが充満している。

まだ拝見していないが浴室やトイレも同様の状況に陥っていることは想像に難くなかった。

日々の生活の半分を過ごすこの空間の環境改善は、自身にとっても急務事項である。

それに多少の打算込みとはいえ一緒に生活させてもらえるのだ。

この程度はさせてもらわないと申し訳がない。

 

「包丁と雪平鍋、あとバーナー借りますね」

 

「あらあらいきなり本格的じゃない。こりゃ期待が高まるわ~、っぷっはぁ~!!」

 

割烹着を上から着込んでいそいそと準備を始めるシンジを尻目に早速飲み始めるミサト。

年齢で言えば自分の倍はあるはずなのに何処か同年代のように子供っぽい。

ちょっと不思議で楽しい彼女の様子に、思わず笑みがこぼれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その一報が入った時、思いがけない好機に沸き立つ自身の心を相田ケンスケは抑えることが出来なかった。

今夜は急な任務が入り週明けまで泊り込みになる。

申し訳なさそうな受話器越しの声色に形ばかりの残念そうな文言を並べ、通話が切れるや人目も憚らず飛び上がった。

何故なら今夜、確かめたかった情報にようやく辿り着けそうだからである。

父と二人暮らしの集合住宅は、自分達の部屋しか明かりがづいていない。

使徒襲来に備え、他の入居者たちはとっくの昔に疎開済みだからだ。

故にこの部屋は愚かこの建物の同居人が帰ってこない今、自分は父の勤務先の情報にアクセスし放題なのである。

 

「……やっぱりそうだ。使徒を倒したのはN2地雷じゃない。エヴァンゲリオンは実在したんだ……!!」

 

非合法な方法で接続した端末に流れてくる情報に、ケンスケの知的好奇心はマグマのように沸き立つ。

前々からその機密事項の一切を明かさなかった、父に勤務先である特務機関。

愛して止まぬ戦自を差し置いて、そこには大災害の元凶たる使徒に対抗する決戦兵器が実在するという。

去る先日の使徒出現と、遂にそのベールを脱いだ汎用人型決戦兵器・人造人間エヴァンゲリオン。

信じられないことにそのパイロットはどういう因果か自分と歳の変わらぬ少年少女だというではないか。

政府発表では影も形も無かったその全てが、遂に事実として眼前に証明されたのである。

そして……、

 

「これだ……!!」

 

ケンスケが今最も求めていた情報。

それが使徒殲滅戦において突如戦闘区域内に出現したという謎の巨人に関する情報である。

NERV秘蔵の決戦兵器とは異なり、その巨大な全身の何処にも機械的な接続部は見当たらず、寧ろその生物的なフォルムはどちらかと言えば地球の法則を無視した使徒に近しい。

エヴァンゲリオン初号機と使徒の戦闘に突如として乱入し、主に使徒に対して攻撃を仕掛け、使徒同様にATフィールドなるバリアを使いこなして善戦。

暴走した初号機が使徒のATフィールドを侵食して開いた風穴に光波熱線を発射し、使徒を殲滅した。

これが当時の戦闘に関する記述の一切である。

果たしてこの巨人は人類の味方なのか。

それとも使徒が人類と共通の敵であるから共闘したに過ぎないのか。

謎が謎を呼ぶ一連の情報の海に溺れていく感覚は、ケンスケにとって至福と同議であった。

期待はずれなどという感想は一切ない。

寧ろ世界の存亡に関わる国家機密だ。

この程度で底が知れるわけがないし、そうでなければ暴き甲斐がない。

 

「さて……」

 

巨人については続報が待たれることを期待し、ケンスケはすかさずもう一つの情報の吸出しにかかった。

それは使徒と戦自の戦闘中に出現したとされる謎の戦闘機だ。

最初に接敵した航空部隊のほぼ壊滅時、突如として戦闘区域に飛来し使徒の進撃を数十秒にわたり妨害し続けた戦闘機があった。

独自の検索エンジンを駆使し、機体の推測されるスペックを拾い出して照合させていく。

ミリタリーに目覚めてからコツコツと調べ上げてきた戦自の所有する全ての兵器のスペックを纏めたデータベースだ。

戦自に所属する兵器ならば陸海空全てにおいてこのデータと一致しないはずがない。

自慢ではないが10年近い戦自兵器へのあくなき愛情は、遂に本家本元を超えていると自負できるまでに至った。

 

「……何!?」

 

だからこそ、照合結果の画面を数秒間認識することが出来なかった。

端末に表示されたのは、「該当兵器なし」という赤い文字。

そんなバカな。

あの戦闘では厚木も入間をはじめ、戦自の誇る全兵力を結集した総力戦だったはず。

持ちうる兵器の一切合財が通用しなかったからこそ、N2地雷という最終兵器をあの都市部のど真ん中で敢行するに至ったのだから。

という事はどうなるか。

件の戦闘機は、少なくとも戦略自衛隊という組織の有するものではない兵器ということだ。

 

「チクショー、こうなったら少しでも情報を掴んでやるぞ……」

 

曲がりなりにも自他共に認めるミリタリーオタクにして戦自オタクたる自分が知らない戦闘機が存在することが納得いかない。

別の意味でプライドに火がついたケンスケは目にも止まらぬ速さでキーボードを叩き、端末のディスプレイにめまぐるしい勢いで多種多様な情報をマシンガンのように流していく。

どれもこれも断片的な記載ばかりでとても役に立つシロモノではない。

だが一つの映像が、ケンスケの目に止まった。

 

「これは……!!」

 

それは定点カメラが破損されるまで撮影し続けていた、使徒の進撃の様子だった。

こちらに気づき熱線を放つ寸前、一機の戦闘機がその眼前に飛来し攻撃を仕掛ける。

その攻撃に、ケンスケは眼を疑った。

機体全体を発光させてエネルギーを集約し、先端部から圧縮して放つ熱線。

今現在の戦自のテクノロジーではおよそ実現不可能な技術による攻撃である。

これだけでも充分ありえない光景だが、その色彩もまた度肝を抜いた。

自分が知る限り戦自の戦闘機は皆くすんだ灰色や迷彩色を用いて目立たないように処理が施されている。

有事の際に敵にこちらの位置を気取らせないようにするためだ。

だがこの戦闘機は違う。

赤と白のおよそ自然界ではありえない塗装で派手に存在感を主張し、使徒に対しても見つけてくださいといわんばかりの飛び方で接近している。

あんな正面切って、それも単機での突撃は、少なくとも戦自のオペレーションではありえない。

ということは……、

 

「十中八九、あの人が乗ってたんだろうな……」

 

依然として所属も性能も分からない謎のハイテクを詰め込んだ戦闘機。

だがその戦闘機に搭乗していたと思われるパイロットに、ケンスケは思い当たる節があった。

クラスメイトの一人が、戦自と思われる隊員に妹を助けられたというのだ。

子ネコを保護しようとしてシェルターに逃げ遅れていたらしい。

件の隊員が来ていなければ、瓦礫の下敷きになっていたという。

感謝しても仕切れないと興奮気味に語っていた親友はさておき、ケンスケの意識はその隊員の特徴に集中していた。

まず、戦自は戦闘機と同様に隊員の制服も深緑かそれに準ずる色が基本だ。

赤と白を基調とした色彩は野外行動の観点からもありえないし、増してや背中に名前を記入するなど機密保持の観点からもありえない。

となれば結論は一つ。

クラスメイトは戦自の関係者と思われたその人物は、少なくとも同組織に属する人間ではない。

特務機関か、それとも第三勢力に当たる超秘密組織か。

唯一無二の手がかりは、その背中に書かれていた「ASUKA」の文字。

それが本名なのかコードネームなのかさえ不明だが、ダメ元で探りを入れてみると特務機関側に関連する情報のパスワードが求められた。

当然解除は不可。

だがこれで必要な情報は自然に入手できた。

パスワードが求められたということは、その先に関連する情報があるということ。

つまりASUKAなる人物の情報は特務機関側に保持されており、同時にこの機密こそ件の隊員に関わるものなのだと推測できる。

その先の機密情報も眉唾だが、それは今ここで優先すべき事項ではない。

 

「さってと……」

 

情報収集がひと段落し、端末の接続を全て取り外す。

勿論これで終わるつもりなど毛頭ない。

だが経験上、同一の端末で一定時間以上アクセスを続けていると何かしらのセキュリティに引っかかることが分かっている。

一度だけ諜報部が調査に来たことがあってしらばっくれたが、繰り返せば機密保持の為にどうなるか分からないし父の立場も揺らぎかねない。

故にどんなにハッキングが順調に進んでいても特定の時間が過ぎる前に一度全て切り離してクールダウンの時間を取るのがケンスケのルーティーンとなっていた。

 

「この感じだと20分って所か。ちょっと飲み物を……」

 

凝り固まった首をゴキゴキと鳴らし部屋を後にすると鍵も閉めぬまま玄関から外へ出た。

この建物の他の住人が軒並みいなくなってから、他の部屋はケンスケの研究室と化していた。

元々端末で情報を吸い上げていたのも入居している部屋ではなく、その真下の部屋だ。

その隣は吸い上げたデータを纏めた編纂室。

その上は徹夜で作業する際のカンパンなどの軽食を備蓄した食糧庫。

その隣はもう一つの趣味であるソロ軍事演習用の装備一式を詰めた機材庫。

そして機材庫の下にあるのが相田ケンスケ秘蔵の盗s……もとい隠し撮りテープ保管庫である。

クラスに一人いる高嶺の花ともいうべき少女が主なモデルで、今回の疎開が行われるまではこれがまた他クラスに中々良い値段で捌けていたのだ。

収入のないケンスケがこれだけの機材を揃えられたのも、その臨時収入が非常に大きい。

 

「……ん?」

 

食糧庫で今晩の徹夜のお供を抱えて出てきたところで、ケンスケはふと違和感を覚えた。

端的に言えば、風を感じた。

この建物自体は築10年が過ぎた古い下宿のようなものであり、壁はそう厚くない。

故に隣の建物の扉や窓が開いていれば風が吹き込んでくることがある。

だからこそ、おかしい。

この隣のテープ保管庫は、普段施錠している。

つまり自分で開けない限り風が吹き込んでくることはない。

ということは……、

 

「(し、侵入者!? マジかよ……)」

 

これまで第三者にこの秘密基地を荒らされた経験は一切ない。

金目のものこそテープ保管庫にはないが、今後の収入源を奪われては新しいグッズや父にも秘密にしている端末の電気代がまかなえなくなる可能性が高い。

ともかく侵入者の有無を確かめなければ。

反射的に音を立てぬよう忍び足で食料を戻すと、隣の機材庫から軍用スタンガンを持ち出す。

屈強な大人に勝てるかどうかは定かではないが、現状手持ちの武器の中で一番殺傷能力が高いのはこれだ。

件のテープ保管庫は扉が閉まっている。

という事は侵入者は窓から入ったのか。

 

「(落ち着け……、落ち着いて状況を見ろ……)」

 

扉は外開きになるため、死角はない。

故に音を立てぬように慎重に鍵を開き、僅かに開いて中の様子を伺う。

と、異変は案外すぐに見つかった。

 

「(……あれは、人か?)」

 

部屋の真ん中で人影がうつ伏せになって倒れこんでいた。

背中が上下しているところを見ると死んでいるわけではないらしい。

気絶しているか、寝ているようだ。

後者ならば隙を突いてスタンガンで制圧できるだろう。

が、ここでケンスケはあることに気づく。

 

「……ん?」

 

窓から差し込む月明かりに照らされた侵入者の背中。

そこにはうっすらとローマ字が書かれていた。

綴りは「ASUKA」。

ということは……、

 

「まさか……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ガツガツガツガツガツ……」

 

「さぁさぁ、遠慮しないでどんどん食べてよ!」

 

言われるままに差し出される缶詰やパウチの料理を無我夢中で腹に詰め込む。

あの正体不明の怪物との戦いからおよそ24時間。

思えばこの世界に流れ着いて一口も食事を取っていなかったアスカ=シンにとって、眼前に並べられた携帯食はどんなグルメにも勝るご馳走であり、それを提供してくれる少年は神以上の恩人だった。

 

「いやー食った食った。おかげで助かったぜ。おにぎり一つ買えなくて……」

 

これにはかつてシンの所属していた特捜チームの固い規律が関係していた。

曰く、任務中に私財を投げ打って享楽にふけってはならないと、当時の隊長が任務中の売買の一切を禁止していたのだ。

当然シンもその例に漏れず財布を本部の金庫に預けたままそれっきりであった。

そしてかつての宇宙の存亡をかけた一世一代の激闘の果てにこの世界に流れ着き、今に至る。

早い話が、現在のアスカ=シンは無一文なのである。

金のない人間に人権がないというのはこの世界でも同じであったようで、丸一日この町を彷徨い歩いたシンはどうにか見つけた空き家と思しい家屋で一夜を明かそうと忍び込んでいたというわけだ。

 

「でも、何か悪いな。話を聞くって条件でこんなにご馳走になっちまって……」

 

「いいのいいの! どうせパパはしばらく仕事で戻ってこないんだし、このアパートには俺らしかいないんだから!」

 

今、シンがこのような場違いな待遇を受けているのには理由があった。

自分で言うのもおかしいが、今のシンは誰がどう見ても不法侵入者である。

彼を見つけた10人の内10人が即座に警察機関に通報してしかるべきであるし、そうしなければその人の常識を疑ってしまうだろう。

が、眼前で無遠慮に携帯食を振舞ってくれる目の前の少年はその非常識的な感性の持ち主であった。

相田ケンスケと名乗るこの少年は戦略自衛隊なるこの国を守る防衛組織をこよなく愛する、所謂重度のミリタリーオタクだった。

聞けば昨日成り行きで会った鈴原トウジ・サクラ兄妹とは旧知の仲で、トウジから自分の事も多少なりとも耳にしていたらしい。

戦闘機を見ただけでどの駐屯地の所属か分かるほどのケンスケを以ってして見た事も聞いたこともない制服の隊員がいるという情報は、眼から鱗であると同時に突き止め甲斐のあるミステリーだったのである。

 

「いやー、でもまさかホントにいるとは思わなかったよ!トウジの話を聞いたときは冗談が上手くなったなーくらいにしか思わなかったのに」

 

「おいおい、友達の言葉は無闇に疑うもんじゃないぜ?」

 

「だって歩く戦自辞典と呼ばれて久しいこの相田ケンスケが全く知らないなんて、俄かには信じられなかったんだ。只でさえNERVが使徒襲来を予期してエヴァンゲリオンを稼動させていたことが分かったって言うのに、戦自にまで謎のテクノロジーを有した戦闘機が現れたって言うし……」

 

何やら聞き慣れない単語の羅列に瞬きが増えるも、最後に出てきた謎のテクノロジーの戦闘機というのは、恐らく自分が乗っていたαスペリオルの事だろう。

異次元に飲まれた際に巻き込まれ、一緒にこの世界にやってきてしまったのだ。

そこで出会い頭に遭遇した怪物……目の前の少年の言葉を借りるならば使徒……と交戦しあっさり撃墜されてしまったという訳である。

出来れば日中に回収したかったが、何せ交戦した箇所はこの町から何十キロと離れた山間部を経由した沿岸地帯である。

辿り着くだけで数日は裕に消費してしまうだろう。

 

「じゃ、約束どおりお兄さんの話を聞かせてよ! 所属部隊は? この町に来たいきさつは? というかあの戦闘機も絶対お兄さんが乗ってたんだよね!?」

 

最高の玩具を見つけた子供のように瞳を輝かせるケンスケ。

しかしシンはどう説明したものかと少しばかり困惑した。

正直彼がここまで自分を助けてくれたのは自分の知らないミリタリーやテクノロジーを知りたい知的好奇心によるものだろう。

飢えをしのいでくれたある種命の恩人に嘘をつくのは忍びない。

だが自分が異次元世界からやってきましたなんて突拍子もない話をされて信じるものだろうか。

それこそ頭のおかしいコスプレイヤーと勘違いされて救急車でも呼ばれかねない。

 

「俺は『アスカ=シン』。存在自体が秘匿にされている特殊部隊『スーパーGUTS』に所属している」

 

「スーパーGUTS……!? この俺が名前さえ知らない戦自のような特殊部隊があるなんて……!!」

 

数秒思案した後に、シンは若干の事実を含めつつ取り繕って説明することにした。

自分は人を騙すというのは好きではないし得意でもないが、必要なときには隠すということは知っているつもりだ。

何せ元いた世界でも数年間の間、自身の正体を秘匿にし続けていた。

こうした嘘は適度な真実を織り交ぜておくとバレない物なのだ。

 

「じ、じゃあやっぱり、あの戦闘機も戦自やNERVに対抗するために……!?」

 

「ああ。あれは正真正銘俺が使っていた『αスペリオル号』だ。元々はβ機、γ機を開発して合体分離できる予定だったんだが……」

 

「その完成を前に使徒が現れてしまい、止む無くアスカさんだけが出撃することになったと……! それじゃあ、あの戦闘機は……!?」

 

「もちろん宇宙飛行にも対応してるぜ。最も、宇宙服が間に合ってないんだけどな」

 

流石にオタクなだけあって想像力豊かで助かる。

こちらが話を作らずとも勝手に勘違いして明後日の方向に進んでくれるため、話をあわせるだけで済むからだ。

 

「スッゲー! 使徒に対抗するために宇宙空間を航行できるなんて!! 使徒やエヴァが実在していたこともそうだけど、戦自やNERVみたいに肩を並べるくらいの科学力を持つ組織がいたんだ……!!」

 

「まぁな。……ところでNERVってのは、あの使徒とか言う怪物と戦ってたロボットの……?」

 

ふと、シンはこれまでのケンスケの口から度々聞こえた単語を尋ねた。

あの使徒なる怪物との戦闘で地下から出現した、妙に生々しいロボット。

十中八九あの使徒に対抗するための存在なのだろうが、獣のように咆哮を上げたり野生の肉食獣のように使徒に襲い掛かったり、機械的な外見に反して生物的な側面が拭えない。

戦自というのがシンのいた世界の地球防衛軍とするならば、TPCや旧GUTSのような科学捜査チームか何かだろうか。

 

「そうさ。一般には独自の科学力で社会貢献を謳っている特務機関NERVの擁する汎用人型決戦兵器、その名も『人造人間エヴァンゲリオン』。あれは色からして日本で製造された初号機と言われているんだ」

 

「エヴァン……ゲリオン……」

 

その見た目は明らかに機械的なロボットでありながら、どこまでも異質な存在。

人造人間という特異な名前も含め、その名はシンの脳裏に深く焼きつく。

 

「まあ知らないのも無理はないよね。アスカさん達が戦自の間でも秘匿にされていたように、エヴァの存在も極秘だったんだ。それこそ昨日の使徒襲来だって、報道機関に情報統制を強いて一般には災害としか話してないんだよ」

 

「極秘情報って訳か。……その割に君は詳しいんだな」

 

「パパがNERVの職員なんだ。ここ数日忙しいみたいでほとんど家にも帰って来てなくてね。おかげで極秘情報も閲覧し放題って訳」

 

なるほど、肉親が他ならぬ秘密機関の職員だったというわけか。

それなら趣味の延長でデータをハッキングしてこれだけの極秘情報を把握しているのも頷ける。

ただ、その代償を想像できていない様子なのは気がかりであるが。

 

「でも、たった一つだけどうしても辿り着けない情報があって。是非アスカさんの見解を聞きたいんだ」

 

「俺に?」

 

「エヴァと初号機の戦闘中、謎の巨人が現れたんだ。一方的に使徒を敵と認定して攻撃してたみたいだけど、あれは……」

 

一瞬、思案する。

結論から言って、自分はその答えを有している。

だが何処まで語るべきか、そもそも語らざるべきなのか。

何も知らないとしらを切ることは簡単だ。

だがこのケンスケという少年の好奇心をそれで抑える事は不可能に近いだろう。

ともすれば好奇心の赴くままに危険なところに首を突っ込み、その重すぎる代償を払わされることになるかもしれない。

本来情報というのは、そうした血なまぐさいやり取りの末に管理されるものだからである。

 

「……ああ、知ってる」

 

だから、言うことにした。

差し障りのない範囲で、安心できるように。

 

「あの巨人は、人類の味方。光の巨人、『ウルトラマンダイナ』だ」

 

「ウルトラマン……、光の……巨人……!?」

 

「そうだ。地球を愛し、人間を愛し、前へ進む人間の未来を支えてくれる正義の味方だ」

 

「どうして……何のために……?」

 

「分からない。ダイナが何者なのか、何故この星を守り、人類に味方するのか、理由も目的も誰も分からない」

 

それまで、未知の情報に興奮していた様子のケンスケが、初めて驚きに眼を見開いた。

無理もない。

自身がこの世界に現れるまで、件の巨人は影も形も存在しなかったのだから。

 

「使徒だろうと怪獣だろうと、どんな奴にも負けない最強のダイナマイトなヒーロー。どんなに絶望的な状況でも絶対に諦めない不屈のダイナミックなヒーロー。そしてみんなの夢を、未来を守ってくれるみんな大好きなヒーロー。それがダイナだ」

 

「ダイナ……知らなかった……そんな巨人がいたなんて……!!」

 

再び瞳を輝かせるケンスケ。

その様子に今夜は寝かせてくれそうにないと内心肩をすくめるシンであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「碇シンジといいます。よろしくお願いします」

 

務めて自然な笑顔で一礼すると、初めて見る『見知った』クラスメイトからのまばらな拍手が歓迎した。

イメージの中では初対面の人と交友できる余裕が無く、ひたすら目立たないように縮こまっている自分がいた。

だが今は違う。

最初こそ多少の諍いはあったものの、概ね彼らは自分を温かく受け入れてくれた。

ただ……、

 

「……」

 

ふと窓際の空席に視線が移る。

まだ経験しえぬ記憶の中では、包帯の取れないままの彼女、綾波レイが座っていた。

だが今は誰もいない机に休学期間のプリントの山が差し込まれている。

当然だ、と思う。

記憶の中でも彼女がこのクラスに現れたのは、自身が転入してから数日前後のことである。

前後、というのはそのタイミングが自身の中で安定しない不明瞭なものだからだ。

その他の断片を見る限り、かつての自分はレイに対しても関心を持っていなかったのだろう。

彼女が怪我をしたまま復帰した経緯すらも、大して分かっていなかったのだ。

そして……、

 

「(やっぱり、彼はいないんだな……)」

 

空席の目立つ箇所の中に一つ、色濃くイメージの残る人物の空席が目に止まる。

彼がクラスに現れたのは、実に2週間後のことだ。

先の戦闘で巻き添えになった家族の恨み辛みを一方的にぶつけられ、間の悪いことに直後に使徒と思われる怪物が町に迫ってくる。

最初にイメージが過ぎったときから覚悟はしていたが、やはり……

 

『妹のヤツが……瓦礫の下敷きになってもうて……』

 

『ワシはお前を殴らなアカン。殴らな気が済まへんのや』

 

「(あの戦いの時、だよな……)」

 

もっと早くイメージが過ぎっていたら。

そう自身を呪っても過ぎた時間を取り戻す事はできない。

あの使徒との戦闘でジャージ姿の少年の家族、恐らくは幼い妹が巻き込まれ、浅くはない重傷を負った。

戦闘の前にそのイメージが浮かんでいれば、余裕がないながらも配慮した戦い方は出来ていたかもしれない。

だとすれば自分は、その貴重なやり直しのチャンスを自らふいにしてしまった事になる。

多くの面で不可抗力があったこととはいえ、自身への無力感は拭えない。

出来ることは、いずれ訪れるであろう彼の拳に乗せられた激情を甘んじて受け入れること。

そしてこれから迫る次の使徒との戦いに向けて準備を整えることである。

 

「(よし……、)」

 

気持ちを切り替え、シンジは黙したまま一人静かに行動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第3新東京市立第壱中学校は、同地域に存在する唯一無二の教育機関であった。

理由は至極単純。

これまで予見され遂に現実となった使徒襲来に際し、ほとんどの中高生を持つ世帯が遠方へ疎開してしまったためである。

只でさえ少なかった生徒の数も先日の使徒の出現によって瞬く間に数を減らし、今や中学2年の一クラスで全校生徒が埋まってしまうほどだ。

理由は各々様々だが、たった一つ共通点がある。

それは何らかの事情で両親の内どちらかが他界している、または親族に同様のものがいる子供たちが残っているということだった。

家庭的な事情で疎開の難しい者、あるいはこの都市を防衛する特務機関に親が属するものなど様々であるが、その中でも2-Aクラスにおける相田ケンスケの授業態度は、それはそれは酷いものであった。

授業中の居眠りや隠れて戦自のデータ編纂は当たり前で、時には授業中にも関わらずメールのやり取りまで手を染める始末。

それもクラス内のとある女の子の隠し撮り写真を密かに同級生達に売りさばいているというのだから眼も当てられない。

学級委員長が逐一注意するも全く反省の色を見せず、かといって教師に問われればスラスラと解答してみせるため、半ばさじを投げられているのが現状であった。

 

「(さぁて、今日も今日とて在庫整理に勤しむとしますかね……)」

 

昨夜は思わぬ収穫があった反面、消耗した品も少なくない。

幸いにして現在件の女子生徒は入院中とのことで、この期間はいつにも増してシークレットスナップの売れ行きが跳ねる稼ぎ時だ。

ここでしっかり稼いで来月のお楽しみに備えておかなければ。

 

「ん?」

 

だが、いざ作業を開始しようとフォルダを開いたケンスケの眼に、一つの通知が飛び込んできた。

メールだ。

それもアドレスのまま。

ことデータ整理については人一倍几帳面なケンスケは、これまで写真を購入してきた客達のアドレスは間違いがないように逐一名前を振って保存している。

つまりリピート客ならば登録した名前の表示になるはず。

ということは自動的に、このアドレスは自分の知らない相手ということになる。

新しい写真購入希望者か。

だがその考えは一瞬で脳内で否定される。

何故なら現段階で他クラスは全員疎開済みで、現存する男子生徒はいずれも購入経験のある者ばかり。

だとすれば、この状況で新しいアドレスを持っているのは一人しかいない。

 

『相田ケンスケ君、のアドレスで合ってるよね?』

 

『転校生か?』

 

『そうだよ』

 

間髪いれずに肯定の返信が来た。

意外だった。

第一印象はそこそこ真面目かつそこそこの見た目で、何というか異性にはそれなりに好かれそうな無難な人物に思えていた。

それが転校初日から大胆にも授業中にメールを送ってくるとは。

 

『授業中だぞ?』

 

『あまり注目されたくないんだ』

 

『ふーん、で何の用?』

 

『昼休みの時間、少し付き合ってくれない?』

 

『何で俺?』

 

『理由はその時話すよ』

 

なるほど、ここで尻尾は見せないということか。

既にこちらの名前を知っている辺りからも、周囲と比べて明らかに情報に精通している。

少なくともただの平凡な一学生ではない。

その確信が、ケンスケの興味を引いた。

 

『分かった。良い頃合で声をかけてくれ』

 

『ありがとう。あと、9月13日だよ』

 

唐突な日付に何のことかと眉を顰める。

が、直後に飛んできた声に全てを察した。

 

「相田君、答えは?」

 

「……く、9月13日です!」

 

「その通り。15年前の9月13日に発生したセカンドインパクトにより……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー悪い悪い、委員長に捕まってさぁ……」

 

「大丈夫、こっちこそ突然呼んでごめんね」

 

昼休みに入って数分後。

駆け足で校舎裏まで走ってきた目的の人物を笑顔で迎え入れる。

 

「で、わざわざ俺を個人的に呼んだ理由を聞かせてもらおうか、転校生?」

 

「多分、予想している通りだと思うけど、秘密を共有しておきたいんだ」

 

百聞は一見にしかず。

シンジは言うが早いか懐に入れていたIDカードを手渡して見せた。

瞬間、ケンスケの眼鏡の奥の瞳が見開かれる。

 

「特務機関NERV……!? じゃ、じゃあ君が……!!」

 

「そう、エヴァンゲリオン初号機のパイロット、通称『サードチルドレン』ってところかな」

 

「スッゲーーー! データでしか見た事無かったけど、ホントに君がパイロットだったんだ!!」

 

案の定、瞳を輝かせるケンスケに、シンジは心の中でリツコらNERV関係者一同に頭を下げる。

件の組織からは不要な混乱や情報漏洩を避ける目的で、エヴァンゲリオンの存在や自身がパイロットである事実は秘匿とするよう言われていた。

だが目の前に居る相田ケンスケには、数日でその秘密が白日の下に晒されてしまった。

イメージでは皮肉にもその日がかのジャージ姿の少年の復学の日だったことも重なり、あのようなトラブルに発展してしまった。

考えてみれば自然な成り行きだった。

使徒襲来に伴う大規模な疎開が実施されている中、好き好んで死地と揶揄されてもおかしくない場所へ引っ越してくる人間など通常では考えられない。

だとすればそれは何かしらの秘密を抱えた人間であることは容易に推察できる。

加えてケンスケの父はNERV職員だ。

日常的に特務機関の存在を知るケンスケが何らかの形でエヴァンゲリオンや自身らパイロットの存在に辿り着くのは時間の問題である。

ならば先に秘密を明かして共有し、余計な漏洩を防いでおこうという、所謂焼き畑農業の応用である。

 

「分かってると思うけど、政府は僕や初号機は勿論、使徒襲来そのものの隠蔽を図ってる。不用意に情報を漏らしたくないんだ」

 

「なるほど、それで情報通の俺と接触したって訳ね。初日でそこまで見抜いて動けるとは、恐れ入ったよ」

 

「もちろんタダで何て言わないよ。差し障りのない範囲なら、答えてあげられるから」

 

「オッケー、取引成立だな。じゃあ早速この間の使徒との戦闘についてだけど……」

 

興奮を隠しきれない様子でメモ帳を取り出すケンスケ。

使徒とは何者か。

何故NERVは使徒襲来を知っていたのか。

エヴァンゲリオンはどういう原理で動かすのか。

矢継ぎ早に飛び出る質問に分かる範囲で答えつつ、シンジは順調に進む作戦に安堵していた。

イメージの中に見えるのは、ケンスケがジャージ姿の少年と二人して使徒との戦闘に巻き込まれかけた瞬間。

使徒の攻撃に吹き飛ばされた初号機の腕ギリギリのところで震えていた二人の姿だった。

記憶の限りでは辛うじて二人を助けることこそ出来たようだが、それは幾つもの偶然が重なった奇跡に等しい結果である。

僅かでも初号機の吹き飛ばされる距離が違えば、腕が外側に膨らんでいたら……。

規模があまりに違いすぎる鉄の塊が猛スピードで降ってきたらひとたまりもないだろう。

その原因は、偏にケンスケらがエヴァンゲリオンと使徒の戦闘の危険性を知らなかった事にあるとシンジは予想していた。

テレビで見ていた怪獣映画の延長戦のような、現実味のない話で想像できていなかったのかもしれない。

故にこうしてあらかじめ使徒が如何に謎に包まれた脅威の存在でエヴァンゲリオンを用いて戦うことがカッコいいというより危ないものか、知ってもらうことで阻止できるかもしれない。

他にもいくつか理由はあるが、転校初日からケンスケと交友関係を作っておこうと考えた主な目的はそこである。

 

「……ありがとう。おかげで今まで調べてきたことが正しかったと確信できたよ」

 

真っ黒になったノートを宝物のように抱きしめながら満足げな様子のケンスケに胸を撫で下ろす。

どうやら彼の知的好奇心を多少なりとも沈めることが出来たようだ。

あとは……、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おうケンスケ、こないな所におったんか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不意に飛び込んできた声に、肩がビクリと反応した。

初めて聞いたはずの『聞き覚えのある』声。

振り向くと、ジャージ姿の少年がこちらへ歩いてくる様子が見えた。

間違いない。

イメージのあの少年と、何もかもが一致した。

じゃあ、彼が……

 

「トウジ、今日は病院じゃなかったの?」

 

「予定より回復が早うてな。軽い検査で無事に帰れたわ」

 

イメージのしかめっ面とは異なる穏やかな笑みを浮かべ軽口を交し合う二人。

と、ケンスケが一人蚊帳の外にいたシンジに視線を向けた。

 

「紹介するよ。今日うちのクラスに来た転校生、碇シンジ君だ」

 

「ほー、疎開ラッシュの時期によう来たな。ワシは鈴原トウジ、よろしゅうな」

 

「う、うん。よろしく、鈴原君」

 

「トウジでええわ。もうケンスケともダチなんやろ、ワシもシンジて呼ぶさかい」

 

差し出された手をおずおずと握り返すと、屈託の無い笑顔を返してくれた。

初対面でここまで暖かく迎えてくれるのはありがたい限りだ。

だがその分、イメージの光景が脳裏に焼きついてくる。

そうだ。

今目の前の少年が自分に優しくしてくれているのは、自分をそこらへんにいる一般の中学生と思っているからだ。

既にケンスケに話してしまったが、もし自分があの人型決戦兵器のパイロットだと判明すれば、それこそ家族の仇を見た顔になるだろう。

覚悟していたとはいえ、予想外に早いタイミングで来てしまったものだ。

 

「そうそうトウジ、ちょうどいいから例の話聞いておいたらどうだ? 親御さんに聞いても情報なしだったんだろ?」

 

「は? アホぬかせ。NERVに勤めとるオトンらでも分からんかったんやで? こないなクラスメイトに聞いて分かるかいな」

 

「と思うじゃん? なあ碇、いいだろ?」

 

良いも何も、完全に事後承諾である。

首を振って否定したところで大方見抜かれているだろう。

 

「大丈夫だよ、僕たち3人の秘密って事だね」

 

「何やもったいぶってからに。何や大層な秘密でも抱えてるんか?」

 

「聞いて驚くなよトウジ。ここにいる碇はな、あの巨大ロボット『エヴァンゲリオン』のパイロットなんだ」

 

「………、………ん?」

 

反応するまでしっかり5秒。

視線をこちらに向けて眼を擦ること5回。

 

「………ぬわんやとおおおおおぉぉぉぉぉ………!?」

 

学校は愚か町全体を揺るがすほどの驚愕の絶叫が5秒間響き渡った。

 

「いってぇ~……耳がつぶれるかと思った。驚きすぎだってトウジ」

 

「これが驚かずにいられるかい! エヴァンゲリオンってあれやろ!? こないだバケモンとドンパチやってたロボットやろ!? ワシらと同い年が動かしとったんか!?」

 

口をあんぐりと開けて未だ理解が追いついていない様子のトウジに、ケンスケ共々思わず噴出してしまった。

イメージで見たときから感情豊な少年だと思っていたが、それが良くも悪くも子供らしくて可愛らしさすら感じさせる。

世話好きな女性には好かれるタイプだろう。

 

「そういう事。特務機関勤めじゃダメでも、あの戦場の最前線にいた碇なら何か分かるかもしれないんじゃない?」

 

「なるほどな。いきなりで理解が追いついとらんがシンジ、聞きたいことがあるんや」

 

額の汗を拭いつつ、真剣な顔に戻ってトウジが向き直る。

そうだ、和みあうのはここまでだ。

自分がエヴァのパイロットと判明した今、彼の目の前にいるのは転校生の友達ではなくザルな操縦で妹に怪我をさせた憎き敵なのだ。

その激情の乗せられた拳をその身に受けて、少しでも彼の負の感情を……、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前の知り合いに、『アスカ』っちゅうアンちゃんはおらんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

予想していた激高の一撃に反し、投げかけられたのは問いかけだった。

 

アスカという知り合いはいるか。

 

唐突に聞かれても、知っているかと問われれば、否だ。

そう、少なくともこの時点では。

 

『(あんた、バカァ?)』

 

脳裏に過ぎったのは、赤みがかったブロンドの綺麗な女の子。

今問いかけられた「アスカ」という名前をトリガーに脳内のシナプスがイメージの海から呼び起こした女の子の姿。

だが、トウジの言葉では男性を意味しているはず。

イメージと内容が矛盾している。

 

「……ゴメン、心当たりは」

 

そう言いかけた時、脳裏にもう一つの残像が過ぎる。

 

「(諦めない。どんな困難が相手でも、どんなに可能性が低くても、絶対に諦めない)」

 

「(それが、俺のポリシーだから)」

 

そうだ、一人だけいた。

エントリープラグ越しですら恐怖を感じる使徒を相手に、己の身一つで挑みかかる無謀且つ無鉄砲な青年。

その背中を、良く覚えていた。

 

「それって……派手目な隊員服を着てた……?」

 

「おお! 知ってるんか! 良かったわ、妹がエライ心配しとってな!」

 

躊躇いがちの発言を見知った人だという解答と受け取ったのか、トウジの表情が電気をつけた部屋のように明るくなった。

妹、という事はあの後トウジの妹に遭遇したのだろうか。

 

「あ、あの……」

 

「ああ別に会わせてくれとか無茶は言わへん。ただ無事でおってくれたらと思ってたんや。あと妹も今日無事に退院できたって知らせとって欲しいんや」

 

瞬間、心の中にこびりついていた鎖の一つが音を立てて砕けた感覚を覚えた。

妹が今日無事に退院できた。

その言葉に、覚悟までしていた一つの懸念が杞憂に終わった事を理解し、安堵する。

ほんの僅かな結果とはいえ、自分はイメージに予見された未来を変えることが出来たのだと。

ただ、一つ気になるのは……、

 

「(あの子は……一体……)」

 

アスカという言葉からしきりに脳が再生を繰り返す、日本人離れした容姿の美少女。

レイと同様に、とても重要な存在なのだろう。

少なくともイメージは、しきりにそう訴えかけていた。

自らに、警告するかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……充分な数値ね」

 

リアルタイムで上がってきた計測結果は、概ね満足できる高水準だった。

正式にサードチルドレンが機動実験や仮想訓練を開始して早10日。

初陣の常識外れに等しい高いシンクロ率はこちらに高い安心感を与えてくれる。

次の使徒がもし明日現れようとも、余程の不覚を取らない限りスペックの面で彼が遅れを取る可能性は低い。

シンクロ率平均83.3%

最低値は80.2%。

これらは戦場において彼の、引いては人類の生存確率を引き上げる有力な根拠の一つとなるはずである。

 

「……」

 

だがその一方で、技術局一課を取りまとめる科学者には密かに懸念を示す報告がいくつか上がっていた。

まず使徒出現に際し、戦自の航空部隊に混ざって単機で使徒に攻撃を仕掛けた謎の戦闘機。

墜落したと思われる地域にて映像に酷似する戦闘機の残骸を発見し、即座に押収した。

映像だけでも未知の技術による熱線砲を用いた攻撃など実に科学者の知的好奇心を燻らせる要素に溢れていたのだが、調査された戦闘機の構造そのものもまた、こちらの常識を大きく逸脱していた。

まず機体全体の主たる素材はアルミニウム合金によるものだったが、アルミニウムはその性質上熱に極めて弱い。

そのため戦自が用いる戦闘機の素材は専ら重量と引き換えに高い耐熱性を保有するチタニウム合金である。

にも拘らず、この戦闘機は熱に弱い素材でありながらその先端から熱線を発射できた。

それも機体には僅かなダメージもない状態でである。

熱に弱いアルミニウムにそんな耐性を付与する事が可能なのか。

否、不可能ではない。

しかしあまりにも非現実的すぎるのだ。

 

「イルメナイト……」

 

それはこの星で採取することの難しい鉱石の通称である。

チタンを含有するこの鉱石は主にアメリカやスリランカで採取されるものであるが、これらはいずれも純物質ではなく内部に保有するチタンは1%にも満たない。

しかしこのアルミニウム合金の機体に含まれるチタンは40%を超えている。

その上で宿命とも言うべき軽量化にまで成功しているのだ。

いや、そもそも何故アルミニウム合金で軽量化を図る必要があったのか。

強度を優先するならチタン主体で何ら問題はなく、小回りの良さを取ったとしても左右にシャトルのようなブースターを備えておいて小回りも何もあったものではない。

たかが戦闘機一機に、それこそスペースシャトルの要素を詰め込んだようなものである。

そして……、

 

「寧ろ本題はこちらの方ね……」

 

先日の使徒との戦闘記録映像。

そこに写るのは15年ぶりに襲来した使徒に対峙する初号機。

だがここに、不可解な存在が入り込んでいた。

何の前触れも無く、突如として市街地の一角に出現した謎の巨人。

人間を模した二つの手足と額のクリスタルの主張が激しい佇まいの銀色の巨人。

遠隔カメラで撮影した映像を元に細胞単位で調査を進めているが、とても地球内に確認できるどの原子記号とも結びつかない。

とても信じられないが、あの巨人もまた使徒と同様に遥か遠い宇宙から現れたとでも言うのだろうか。

だが逆にその前提に立って考えると、これまでのいくつもの巨人を取り巻く謎に説得力を持たせることが出来る。

宇宙から何らかの目的を持って使徒を追ってきた存在。

だとすれば使徒同様にATフィールドを戦闘に応用できるほど使いこなしている事も、終始初号機ではなく使徒だけを戦闘対象に絞っていたことにも説明がつく。

特に去り際、初号機に対しサムズアップを見せた様子は、まるでかの少年を安心させようとする意図すら見える。

姿形はあまりに人間離れした、どちらかと言えば使徒に近しい存在でありながら、その行動原理は不自然なまでに人間臭い。

まるでエヴァに子供が乗っているように、中に人間のパイロットがいるのかと勘ぐってしまうほどに。

 

「お疲れ~」

 

気の抜けた声が後ろから聞こえてきたのは、各種の情報を簡潔に取りまとめたところだった。

有事の際には別人のように毅然とした姿を見せる反面、平時は子供かと思うほどに爛漫な様子を見せる彼女に、付き合いの少ない人間は良い感情を持たないだろう。

こんな子供っぽい人間が人類の生死を左右する作戦本部長を務めて良いのかと不安にすら駆られるはずだし、それが自然だ。

だが学生時代から付き合いのある自分なら分かる。

普段のだらしない姿も、有事が起こればスイッチが切り替わったように常識に囚われない柔軟な作戦で未知の怪物に対抗できる素質を持った女傑だと。

そう、一人自嘲する。

 

「結果は……、聞くまでもないか」

 

こちらの返答を待たずに、表情を察して満足げに笑う。

それはそうだろう。

幸いにして唐突に陣営に加わったサードチルドレンの成績は当初の予想に反して絶好調そのものである。

その証拠に眼前の同居人も初日こそ弟を見守る姉のように付きっ切りだったのに、次の日からは安心しきった様子で他の作業に当たっていた。

寧ろ膨大なタスクが効率的に捌けてこちらも大助かりだし、何か問題があればこちらのほうから呼び出している。

 

「ええ。シンクロ率は一貫して最低値80%台をキープ。神経伝達も良好そのもの。ほぼ人間と同じ反応で動くことが出来るわ」

 

「とんでもない助っ人が来てくれたモンよね~。普通呼び出されていきなり受け入れられないでしょ、あれに乗って怪物と戦えなんて」

 

それは自身も初対面の頃から不思議に思っていたことだ。

事前に総司令本人から聞かされていたとはいえ、他に適任がいないとはいえ、あんなにあっさりこの状況を冷静に受け入れられるとはリツコ自身も思っていなかった。

訳も分からず戦場のど真ん中につれてこられ、見た事もないロボットに乗って、得体の知れない使徒という存在と戦えと言われて、寧ろ平然としているほうがおかしい。

戸惑い、恐怖し、怒り、叫び、暴れてでも拒否するだろう。

寧ろそうした場合を想定して、あの場には負傷したもう一人のパイロットを用意していた。

それこそ拒否し続ける少年の良心に漬け込んで、健気な勇気を強引に引き出そうとさえしていた。

実際にはそんな卑劣な手段を用いる事無く、彼の達観しているとさえ言える適応力と予知に匹敵する観察眼と分析力に助けられる形で極めて自然にサードチルドレンを迎えることが出来て現在に至る。

いずれも普通の中学生の反応ではない。

言うなれば、既に自分たちはかの少年の人間離れした冷静さに助けられてさえいるのだ。

 

「あれで家じゃ友達が出来たって無邪気に笑ってんのよ? そこがまた可愛らしいというか何というか……」

 

「これじゃどっちが保護者か分からないわね。どうせ衣食住もシンジ君にやってもらってるんでしょ?」

 

瞬間、痛いところを突かれたとばかりにミサトが顔をしかめた。

普段から生活力の対義語と呼ばれて久しい彼女のことだ。

どうせ同居にかこつけて炊事・洗濯・掃除と任せっきりにしているだろう事は容易に想像できる。

最も、それだけ彼女が日夜人類存亡の事態に神経をすり減らしていることの証左でもあるのだが。

 

「ところで今日、14ブロックの焼肉屋が営業再開したみたいなんだけど、良かったら来る?」

 

遠まわしに家事に追われているであろう少年への助け舟のつもりで、同居人にジャブを撃つ。

と、予想外のクリーンヒットが帰ってきた。

 

「マジ!? 行く行く行く! 良い肉なんて久しぶり! アイツ週に1~2回くらいしか肉料理出さないんだもん!!」

 

子供のように瞳を輝かせて食いつくミサト。

だがいくらビール好きとはいえここまで反応するものだろうか。

まるで減量解禁後のボクサーのようだ。

 

「貴方……、仮にも料理作ってもらっておいて言える立場なの?」

 

「だぁってぇ~、あんな精進料理もどきじゃビール進まないんだもん!」

 

中学生の同居人に作らせておいて何という言い草だろうかと苦笑が漏れた。

ビールが半ば習慣化していたミサトにとって、健康的な和食の日々はストレスなのだろう。

だがシンジには恨むどころか感謝しかない。

今は良くても数年もしたらビールを飲み続けた結果がおなか周りに現れる頃だ。

加えて飲酒頻度が減れば当然毎朝の二日酔い状態の出勤も大幅な改善が見込める。

仮にも気心の知れた友人として生活習慣を改める切欠を生んでくれた彼には感謝してもしきれない。

本当はシンジを家事の苦労から解放させるための誘いだったが、意図せずしてミサトのストレス発散にも貢献できたようだ。

 

「それなら、同居人にも伝えてきたら? 黙って帰りが遅いと心配かけるわよ?」

 

「シンちゃん? ならへーきへーき」

 

またそんないい加減なことを。

伝えなければ無駄に夕飯を作らせて冷めさせてしまうではないか。

そう言いかけたリツコにとって、ミサトが続けた言葉は意外なものだった。

 

「今日はシンちゃん遅いのよ。友達と用事あるって言ってたから」

 

「用事?」

 

「そ。いつの間に仲良くなってたのかしらね~?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと、壁にかかった時計に視線を移した。

6時55分。

だが自分にとって、時間は意味を成さない概念だった。

ほんの少し前までは。

 

「……もうすぐ……」

 

まもなく、時刻は7時になる。

今までなら何の変哲も無い時間の流転に過ぎない時刻。

だが今や、自身にとってこの7時という概念はとても深い意味を持つ存在になっていた。

それは……、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「綾波、入るよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聞き慣れた声と共に扉がノックされ、見知った少年が穏やかな笑みと共に入ってきた。

碇シンジ。

碇司令の息子。

サードチルドレン。

その存在を、気づけば自身の記憶に深く刻み付けている自身を、最近になって綾波レイは自覚していた。

 

「……碇君……」

 

「なぁに?」

 

「今日も……来て……くれたの……?」

 

目の前の少年が自身を訪ねてきたのは、これが初めてではなかった。

最初は何の前触れも無く、こちらの傷を労わり、休むよう促して、食べることは楽しい事と、そう教えてくれた少年。

それから1週間ほどが経って、彼は再び夜の7時にここを訪ねてきた。

その手に、小さな箱を持って。

 

『(病院の人にも許可を貰ってきて作ったんだ。良かったら食べてよ)』

 

言われるままに開いてみると、それは彼が自分のために用意したという「弁当」だった。

おにぎりが二つと卵焼きというシンプルなもの。

中に入っていた梅干は何とも酸っぱく、卵焼きはほんのり甘い味がした。

その時にシンジは約束してくれた。

今度は友達と一緒に来ると。

それから1週間、無意識のうちに夜の7時が近づくと時計を注視している事を、レイは自覚した。

何故自分の体を気遣うのか。

何故食べることの楽しみを、わざわざ弁当を作って来てまで教えようとするのか。

何故、ここまで自分に関わろうとするのか。

 

「(分からない……)」

 

しかし、

 

「(嫌じゃ……ない……)」

 

シンジと話しているとき、胸の鼓動が強くなった気がした。

でも痛みではない。

寧ろ、もっと感じていたいとすら思う。

その正体に見当もつかないまま、彼との関わりを求め続けたい自分を、綾波レイは自覚していた。

 

「今日は前に話したとおり、友達にも来てもらったんだ」

 

「友達……?」

 

聞き返すと、再び扉が開いてゾロゾロと数人が入ってきた。

見覚えのある男子2人と女子が一人。

そして小学生と思われる女の子が一人。

彼らがシンジの友達だろうか。

 

「綾波、みんなの事わかる?」

 

「……碇君、その……」

 

シンジの言っていることは分かる。

鈴原トウジ。

相田ケンスケ。

そして学級委員長の洞木ヒカリ。

彼らは自分のクラスメイトだ。

だが同時に、自分達がエヴァのパイロットであることを秘匿しなければならない存在である。

本来このジオフロント内の施設にはIDカードを所持していないと入ることすら出来ないはず。

まさかシンジが話してしまったのだろうか。

そんな事をすれば、碇司令に迷惑が……

 

「大丈夫よ綾波さん。貴方と碇君がその……エヴァンゲリオンのパイロットというのは聞いてるわ」

 

「碇ともこの事は他言無用って聞いてるよ。NERVの人たちにも迷惑にならないようにしているから安心して」

 

こちらを安心させるように洞木さんと相田君が語りかける。

他の人も、碇司令も知っている?

なら、大丈夫なのか。

 

「碇君……今日も、作ってきてくれたの……?」

 

「そうだよ。この前は簡単なものしか作れなかったけど、今度はみんなも協力してくれたんだ」

 

それに合わせたように、みんなが小さな弁当箱を取り出してみせる。

 

「綾波、この前肉は苦手って話してくれたよね? だから今回はみんなにアイデアを貰って、綾波の好きな食べ物を見つけようと思ったんだ」

 

「私の……好きな食べ物……?」

 

そう。

前回シンジに食べられないものはあるか聞かれたことがあった。

何故そんな事を聞くのか尋ねると、苦手な食べ物を避けて作ってあげたいという理由で。

食べ物を残してしまうのは食べる側にも作る側にも良くないと教えてくれた。

その時に、レイは『肉はあまり食べたくない』と、そう答えた。

それを、シンジは覚えていてくれたのだ。

 

「鈴原君……、これは……?」

 

最初に差し出されたのは、鈴原君の弁当箱だった。

見ると左半分に茶色の米が敷き詰められ、右半分には真っ黒な細切れの食べ物がある。

 

「この米は玄米っていって、白い米より栄養が詰まってるの。黒いのは昆布の佃煮よ」

 

「お兄ちゃん、何回も焦がしてやっとまともに煮付けれたんですよ」

 

「ワシ、普段弁当なんて作ったこと無くてのぉ。ここにいる委員長と妹に手取り足取り教えてもろうて、やっと形になったんや」

 

赤くなった頬をかいて視線を逸らす鈴原君。

食べてみると、昆布は舌が乾くような刺激がして、玄米はそれをまろやかに包んでくれているようだった。

 

「醤油の塩辛さは強いけど、ご飯と一緒に食べると柔らかい味わいになるんだ」

 

「……塩辛い……まろやか……」

 

隣で微笑んで説明してくれるシンジの言葉を、昆布の味と一緒に噛み締める。

口の中の色んな味が混ざる感覚。

嫌じゃない。

また、感じてみたい。

 

「……鈴原君」

 

気づけば、箱の中は空っぽになっていた。

初めてだった。

口の中の感覚を繰り返したくて、箸が止まらなかったのだ。

 

「……ありがとう。……お、美味しかった……」

 

「そ、そうかそうか! それなら頑張った甲斐があったもんや」

 

前にシンジが言っていた。

美味しいという言葉は、料理を作ってくれた人にとってとても嬉しい言葉だと。

だから美味しかったと言うと鈴原君は、嬉しそうに笑ってくれた。

 

「次は俺だな。ミリ飯を極めたレシピを見せてあげよう」

 

そう言って相田君が開いた箱には、千切りにした白い野菜が何かに漬かっていた。

 

「これは大根を千切りにして甘酢に漬けたんだ。空気が入らないようにすれば保存も出来るんだぜ?」

 

「お前のぉ、それは凄いが今披露するところちゃうやろ」

 

顔を近づけると、鼻をつつく酢の香り。

恐る恐る食べてみると、この前の梅干のような酸っぱさが口の中をつついた。

でも、あの時ほど激しくない。

卵焼きの時のようなほんのりした甘さが、一緒に感じられる。

 

「酢に味醂を足して、酸味を和らげているんだ。甘酸っぱいって感じかな」

 

「甘酸っぱい……。嫌じゃない……美味しい……」

 

この前の梅干も酸味こそ強かったが、その分米の甘さを強く感じることができた。

今回の大根の甘酢漬けも酸味が強くなくとても食べやすい。

 

「あ、綾波!? 漬け汁は飲まなくて良いんだよ!?」

 

ふと、弁当箱ごと大根を漬けていた甘酢を飲もうとしたら止められてしまった。

どうして?

残すのは良くないって言ったのに。

 

「その甘酢は大根が痛まないためのものなんだ。だからこれは飲まなくてもいいんだよ」

 

「そう……。相田君、美味しかった……」

 

「こちらこそ。そんなにがっつくほど気に入ってもらえてよかったよ」

 

にこやかに空になった弁当箱を受け取る相田君。

最後に弁当箱を持ってきてくれたのは、洞木さんだった。

 

「私は弁当と呼んで良いか迷ったけど、これにしたの」

 

相田君の弁当箱より少し大きい箱の中には、スープが入っていた。

白い四角が沢山浮かんでいる。

 

「これは味噌汁っていうんだ。白いのは豆腐っていって大豆から作ってるんだよ」

 

「綾波さん、お肉が苦手だったんでしょ? 大豆はたんぱく質があるから、お肉の代わりに積極的に摂ってほしいの」

 

たんぱく質。

お肉の代わりの栄養になる。

今までは錠剤で補っていたけど、これでも良いの?

 

「……塩……甘い……? 不思議な、味……」

 

「味噌は塩辛さと甘さが混ざってるんだ。さっきトウジの作った昆布の佃煮にも似てるかな?」

 

「味噌……、優しい……味……」

 

ほんのりとした塩味と、出汁の深い味わい。

気づけば、深みのある弁当箱は空っぽになってしまった。

 

「……ありがとう。洞木さん、美味しかった……」

 

「うふふ、どういたしまして」

 

口元に手を当てて洞木さんが笑う。

喜んでくれたのだろうか。

すると、隣にシンジが微笑みながら告げた。

 

「綾波、気づいてる?」

 

「何を?」

 

「綾波、弁当食べだしてからずっと笑ってたんだよ?」

 

「……え?」

 

気づかなかった。

ふと鏡を見ても、そこには驚いた表情の自分。

でも、シンジが嘘を言うとは思えない。

もしかして、意識しないまま笑っていたのか。

ご飯を食べると、味がする。

それは甘くて、塩辛くて、酸っぱくて、美味しい。

美味しいのは、楽しい。

気づかないうちに、笑うように、楽しい。

そう自覚したとき、

 

「……ありが……とう……」

 

自然に、言葉が溢れる。

きっとまた、笑っているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……セカンドインパクト。なるほど、それで年がら年中真夏ってことか」

 

相田ケンスケの秘密基地に身を置かせてもらって3週間。

アスカ=シンは用意してもらった私服姿で過去の新聞などのスクラップを読み漁っていた。

既に使徒なる存在と第3新東京市という地名を聞いた段階で、この世界が自身の生まれ育った世界とは異なることは察していた。

ここに辿り着いた夜にケンスケから掻い摘んで説明を受けていたが、改めてこの世界で何が起こっていたのか確かめる必要がある。

やがて見えてきたのは、この世界における15年前の2000年に南極でセカンドインパクトという大災害が発生し、その関係で夥しい人命が失われたこと。

加えてこの町に使徒という人智を超えた生命体が襲来することが予期され、秘密裏に特務機関NERVが組織され、汎用人型決戦兵器『エヴァンゲリオン』が製造され今に至る。

また、セカンドインパクトの衝撃はこの地球そのものにも多大な影響を及ぼし、そのひとつとして地軸が変動して日本列島周辺は四季が無くなり真夏日になってしまったという。

いずれにしろ、かつての世界で猛威を振るったスフィアとはまた違う恐るべき脅威が、この地球に迫っているということだけは確かだった。

 

「戦略自衛隊と特務機関NERV……」

 

自身の世界においてはTPCに近しい立場にあるのはこの二つの機関だろう。

だが長年太陽系防衛の任に就いていたが故の、ある種の勘がシンに告げる。

この二つの組織には、何かがあると。

まず第一に、この第3新東京市という街そのものと、そこに生きる人たちに感じた違和感だ。

初めてこの世界に振り落とされたあの日、奇しくもこの町は使徒と呼ばれる謎の怪物の襲撃に晒されていた。

地形そのものを変えてしまいかねないほどの激戦を繰り広げたにも関わらず、その情報はほぼ封鎖されている。

住民の混乱を避けるためか。

いや違う。

町そのものが遠目にも分かるほどの破壊された様を見れば単なる天変地異とは考えづらい。

明らかに人為的な紛争か、それこそ怪獣災害を想起するほうが自然だ。

だがそれに疑問を呈するものは誰もいない。

誰もが何事も無かったかのように生活を続けている。

その理由は敢えて問う間でもない。

この町の至る所に見られるイチジクを半分に切ったようなロゴを見て、町全体の実質的な自治権は件の特務機関が掌握していると考えて良いだろう。

そう考えれば町自体が使徒を迎え撃つために用意された要塞都市の様相を呈していることも説明がつく。

だがそれは、同時にもうひとつの疑問を浮き彫りにした。

ケンスケの情報によれば、あの使徒の出現があるまでに15年間、この町は未知の怪物の襲来を予見して着々と準備を進めていたことになる。

それも町全体を要塞都市に作り変え、秘密裏にエヴァンゲリオンという秘密兵器を用意して。

いくら経済に疎いシンでも、それが如何に困難なことかは容易に想像が出来る。

僅かな漏洩も許さない情報統制もさることながら、国一つ分では到底賄えないであろう途方もない予算をつぎ込んだに違いない汎用人型決戦兵器プロジェクト。

やっていることは未知の怪物から人類を防衛するという防衛組織の冥利に尽きる話であり、それを秘匿する意味が分からない。

だが……

 

「……まるでF計画と一緒だな」

 

シンの脳裏に過ぎるのは、人の虚栄心が最悪の事態を引き起こしたひとつの事件。

人智を超えた力で人類を守った光の巨人ウルトラマン。

その力を人類の手で作り出し操ることに固執した一部の人間によって人為的にウルトラマンを生み出す計画の名を、シンは一瞬たりとも忘れたことはない。

 

ヒトがウルトラマンを造り出す。

 

結果として生み出された巨人はまがい物に過ぎず、あろうことか敵の手に渡り人類を襲う尖兵と成り果ててしまった。

それは言わば禁じられていた禁断の聖域に踏み込むという禁忌を犯した人類への天罰のようですらあった。

シンは知っている。

如何に崇高な理想を掲げた組織であっても、その内部には属する人間の数だけ目指す理想は異なり、果てしない衝突があると。

その中で道を違えたが故に道を誤ることがあると。

だからこそ、危惧する。

今この世界で人類の存亡をその両肩に委ねられている特務機関には、世間一般には公表できない秘密があるのだと。

故に今、人類の未来を守る志を共にする同士として全幅の信頼を寄せる相手として認めるのは尚早だと。

 

「……ん?」

 

思考の波を止めたのは、けたたましいサイレンと避難を促す機械音声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ただいま、東海地方を中心とした、関東・中部全域に特別非常事態宣言が発令されました。住民の皆さんは、速やかに指定のシェルターに避難してください。繰り返しお伝えいたします。ただいま、東海地方を中心とした、関東・中部全域に・・・・・・』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『目標、光学で捕捉。領海内に侵入しました!』

 

「総員、第一種戦闘配置!」

 

突然の事態にも関わらず、ジオフロントの中枢部に位置する作戦司令室では冷静にオペレーションが進められていた。

進行方向から対空戦に必要な兵器と不要な兵器を振り分けて後者を格納し、迎撃準備を整備。

併せて政府関係各所およびマスメディアへの情報統制の通達。

そして肝となる人型決戦兵器のパイロットのスタンバイ。

待ってはくれない人類への脅威に対し、済ませておくことは山積している。

 

『中央ブロック、及び第1から第7管区までの収容完了』

 

『政府及び関係各所への通達、終了』

 

『現在、対空迎撃システム、稼働率48%』

 

「碇司令の居ぬ間に、第4の使徒襲来か……。こっちの都合はお構い無しって訳ね」

 

だが前回と比較し、順調に作戦は展開していた。

当然だと作戦本部長は一人ほくそ笑む。

何しろ前回はどこぞの国防のプライドに拘る集団が勝ち目のない負け戦をしぶとく続けて眼前に使徒が迫った段階で作戦の主導権がこちらに移ったのである。

そのプライドも完膚なきまでにへし折られた邪魔者がいないおかげで、今回は使徒上陸前に概ねの準備を済ませることが出来た。

まだ戦闘は始まってすらいないが、これだけでもこちらの心理的余裕は大きく担保されることになる。

 

『エヴァ初号機、パイロット搭乗準備完了しました!』

 

「よし、行けるわねシンジ君?」

 

待ちかねた報告に、僅かに興奮する精神を抑えながら問いただす。

帰ってきたのは、最高の返事だった。

 

『はい! いつでも行けます!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

力強い返事と共に、初号機を乗せたエレベータがビルに扮した射出台へ放たれた。

手元に装備された連射式のパレットガンで、使徒のATフィールドを中和しつつ有効打を与えて接近を許さず殲滅する。

指示された作戦通りならこちらとしては目標をセンターに入れてトリガーのスイッチを引くという一点に限る。

だが既にその作戦の顛末を、碇シンジの脳内は予測していた。

イメージが過ぎったのだ。

連射することに固執して逆に敵を煙幕で見失い、至近距離から不意打ちを受けてケーブルが切断。

その後終始敵に主導権を握られ、薄氷の勝利を手にするまでに幾つもの死線を潜る羽目になった。

今度はそうなる訳にはいかない。

闇雲に撃つだけでは勝てる道理もない。

その為のシュミレーションは脳内で作っていた。

 

「イメージ通りか……」

 

『そうよシンジ君。練習通り、落ち着いて』

 

通信先の返答に答える余裕は無かった。

それ以上にシンジの脳内は、眼前に相対する使徒を捕捉し、安堵した。

イメージと寸分違わぬイカの様な航空母艦のような見た目の使徒。

両腕がない代わりに前の使徒が光の槍を生み出したように鞭のようにしなる光の刃を生み出して攻撃してくる。

中距離から打ち込んだ弾丸は効果がないようだった。

煙幕に隠れていたが、恐らくATフィールドで防いでいたのだろう。

だが、だとすれば付け入る隙はある。

 

「……よしっ!」

 

眼前からまずは5発放った。

着弾と同時に煙が上がるが、その範囲は上段のみ。

頭部と思しい位置に眼のような器官があるが、これで視覚を封じたという保証はない。

だがシンジの狙いはそこではない。

イメージではこの使徒の核は胸部の赤い球体。

そこにナイフを刺して生命活動を停止させるに至ったらしい残像が見える。

ならば防がれるにしてもその核を狙って攻撃すれば、使徒は防衛の為にATフィールドを展開せざるを得ない。

そして着弾の瞬間、自然の法則に反して煙幕を遮断する存在を見たシンジは素早く次の手に出た。

 

『初号機、目標の後方に射撃!』

 

『は!? バカ、外してどうす……!』

 

『……いいえ、跳弾です! 使徒背部に着弾!!』

 

途端に通信先から戸惑いの声が飛んでくるが、直後にその意図は伝わったようだ。

同時に予想通りの展開にシンジは手ごたえを感じていた。

今の跳弾の目的は二つ。

一つは使徒のATフィールドは意識的に展開されているか否かである。

この後襲来する使徒にも同様の理論が通用する保証は全くないが、相手も生物である。

もし無意識下にフィールドを展開できるとなると厄介だが、イメージで見た限り今回の使徒に関してはATフィールドを張った様子が見られなかった。

光の鞭を掴んで押さえ込むことも出来たし、強いてあげるならば核にナイフを突き立てようとしたその瞬間だけだった。

勿論こちらが弱すぎて展開する程でもなかった可能性もあったが、まさか使徒でATフィールドを使えないなんてことはないだろう。

だが無意識でもATフィールドを展開するなら、そもそも敵を放り投げるどころか掴める筈がない。

そこで立てた仮説が、使徒もまた意識してATフィールドを展開しているというものだ。

こちらの攻撃を予測して、バリアを張って無効化する。

しかもどうやらその予測はやはり頭部の眼に該当する器官に依存している事も読めた。

視界を封じた上での跳弾に対応できなかったのが何よりの証拠だ。

そして二つめは、使徒の体組織に対しこの武器が有効に働くかという実証だった。

ATフィールドを潜り抜けたところで使徒に傷を負わせられなければ豆腐に釘を打ち込んでいるようなものだ。

だが通信先のやり取りを聞く限り今の攻撃で確かに使徒に浅くとも手傷を負わせられたことになる。

 

「ミサトさん! 使徒は視界を封じればATフィールドを潜って撃てます!」

 

『中々のアドリブじゃない! OK! 今の感じで攻撃を続けて!』

 

見出した突破口に満足した様子で出された指示に、操縦桿を握る指に力が入る。

あくまで作戦指揮権は通信先の作戦本部長にある。

いくら有効な打撃を与えたからと言ってこちらがいつまでも独断専行するわけには行かない。

それにこれだけの情報を渡せば向こうも乗り気になってくれることは予想がついていた。

 

「もう一発!」

 

同じ要領で眼前に煙幕を起こして視界を封じ、反対側のビル壁を利用して跳弾を撃ち込む。

だが使徒も予期していたか、素早く振り返ってATフィールドを展開し防いだ。

それが、シンジの真の狙いとも気づかずに。

 

『今よ! 一斉射!!』

 

ミサトの指示を聞き終える間もなく、温存していた弾丸を一気に吐き出す。

今の動作で読めたのは、『使徒は正面にしかATフィールドを展開しない』という事だ。

当然だろう。

視覚に頼って展開するなら眼に見える範囲にしか効果は及ばない。

見えない視覚からの攻撃に対応するには、そちらを振り返って視野に入れる必要がある。

それこそがシンジの見出していた突破口だった。

 

『全弾、目標背部に命中!!』

 

『目標の動作、止まりました!』

 

『油断しないで。核が健在なら使徒は不死身よ』

 

『だったら畳み掛けるまでよ! シンジ君!』

 

「はいっ!!」

 

言われるや否や、抜き放ったプログナイフを順手に構え、突きの姿勢で突進する。

早くも塞がり掛けていた背中の傷に、全体重を乗せたナイフを体当たりの要領で叩きつけた。

 

「うおおおおおっ!!」

 

欲を言えば正面から核を狙いたかったが、背面に傷を与えたこの好機を逃すわけには行かない。

今は少しでも使徒の傷を広げ、致命傷へ繋げる事が先決だ。

 

「なっ……!?」

 

だが、ここに来て使徒が予想外の抵抗を見せた。

信じられないほどの力でこちらを僅かに押し返すと、背中にナイフを突き立てた初号機を乗せたまま低空飛行で浮上したのだ。

 

『シンジ君、押さえ込んで!!』

 

咄嗟に入った通信にも答える余裕がない。

文字通り全体重を乗せても、使徒は物ともせずに浮かび上がった。

そして初号機を振り落とさんとその巨体を縦横無尽に振り回し始めたのだ。

 

「くっ……、このっ……!!」

 

咄嗟に眼前のビルを掴んで使徒の振り落としを耐えようとするシンジ。

だが使徒の抵抗は激しさを増すばかりで、遂には支えにしていたビルが根元から折れてしまった。

 

「うわああああっ!!」

 

こうなっては使徒を止められるものはない。

果たして初号機の手がナイフから離れ、その巨体が宙に舞い上がる。

そこへ使徒が牙を向いた。

 

『アンビリカルケーブル切断!』

 

『エヴァ初号機、内部電源に移行!!』

 

完全にしてやられた。

イメージでは使徒を投げ飛ばすことはあっても力比べのようなことは起きなかった。

まさか、ここまで底力を持っていたとは思わなかった。

 

「ぐううっ!!」

 

果たして地面に仰向けに叩きつけられた衝撃が強かに全身を襲う。

事前に歯を食いしばっていなければ、意識さえ飛びかねない一撃だ。

外部電源は切断され、さらにはパレットガンも消失。

一時は優勢だと思われていたのに、振り出しに戻されてしまった。

 

『シンジ君起きて! 来るわよ!!』

 

「うう……」

 

通信先のミサトの声に、必死に意識を起こそうと脳内を叱咤する。

背中にナイフが刺さったままジワジワとにじり寄る使徒。

何とか反撃に出なければ……、

 

「ん?」

 

ここに来て、シンジは手元にある違和感を覚えた。

仰向けに地面に叩きつけられた初号機の勢いは凄まじく、地面に半分めり込んでしまったほどだ。

だが左手の中指だけが、地面についた感覚がない。

何かに当たって止まっているのか。

瞬間、嫌な汗が湧き上がる。

 

まさか……、

そんなまさか……、

 

どうか違ってくれと心の中で祈りながら恐る恐る振り返ったシンジは目を見開く。

何故ならそこにいたのは、青白い網目状のバリアによって辛うじて圧死を免れた旧友の姿があったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トウジ!? ケンスケ!? 何で!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は特別非常事態宣言が発令され、住民の避難が完了した頃に遡る。

第3新東京市の防災課が管理する無数の地下シェルター。

その中の一つ、第334地下避難所に第壱中学校の生徒たちは訓練どおり避難していた。

各々が大人しく宣言解除を待つ中、一人だけそわそわとしていた者がいた。

一般市民の中で最もこの町の真実に近い男、相田ケンスケである。

 

「……やっぱり、いないのか……」

 

「何や、誰か探しとるんか?」

 

隣で胡坐をかいてしたトウジが声をかける。

こんな事なら先にシェルターの場所だけでも伝えて置けばよかった。

 

「ああ、知り合いがね。彼もここに着たばかりでシェルターの場所知らないんだ」

 

「何や物好きがいるもんやな。せやかてこの間の使徒襲来も半分伝わってんやろ? 流石に1箇所くらい調べとるん違うか?」

 

そうだと良いが、確信が持てないのが一抹の不安を感じさせる。

加えて彼はこうした脅威に臆せず挑んでしまう性格だ。

赤の他人ではなくなった手前、このまま放置するのは良心が痛む。

 

「……トウジ」

 

そう決めたケンスケの行動は、やはり早かった。

 

「ちょっと長めの手洗いに行って来る。委員長に心配しないよう伝えといて」

 

「は!? お、おい!?」

 

トウジの返答を待たずに、ケンスケはそそくさと待機室の扉を潜って地上へ繋がるエスカレーターへ歩き始めた。

程なくバタバタと追いかけてくる足音が聞こえる。

 

「お、オノレ正気か!? 今外に出たら死んでまうぞ!?」

 

「かもね」

 

「かもねちゃうねん! 連絡できんもんはしゃあないやろ! 信じて大人しく待っとかんかい!」

 

トウジの言うことは最もだ。

まともな連絡手段もない状況で、このだだっ広い町全体から人間一人を見つけ出すなど正気の沙汰ではない。

加えて今現在、地上はエヴァと使徒の戦闘の真っ最中だ。

巻き込まれでもしたら命はないだろう。

だが、それは件の探し人が一般人であったらの話だ。

 

「(大丈夫……あの人はきっと……)」

 

知り合って一月も経ってない青年の顔を思い出す。

屈託の無い笑顔で壮絶な任務を語る姿は、自身が憧憬を抱いた軍人そのものであり、超えるべき目標であった。

彼は生身ひとつでも使徒に立ち向かっていくだろう。

そういう人間であることは良く理解できている。

それがもし、初号機の戦闘に鉢合わせてしまったら。

思わぬ形でそれはシンジの足かせになりかねないし、加えて彼の命を脅かしかねない。

それを悟った今、自身が命惜しさに何もしないという選択肢は消えていた。

 

「あ~もう、しゃあないな! こうなったらワシも付き合うで! こないな事で死なれたら寝覚め悪いわ!!」

 

「……悪いな、トウジ」

 

巻き込んでしまった親友に小さく詫び、ケンスケは巨大なシェルターのハッチに手をかけ、ゆっくりと開いていく。

そこは第3新東京市を見下ろせる小高い山の中腹だった。

 

「初号機は……、あそこか」

 

ビル郡の中を浮遊する謎の生命体と、その背中にナイフのような刃物を突き立てて圧し掛かる初号機が遠めに見えた。

という事は、恐らく彼も……、

 

「お、おい! シンジ大丈夫なんか!?」

 

トウジが叫んだ瞬間、乗っかっていた初号機が真上に吹き飛ばされた。

直後に使徒が何やら光の帯のようなものを生み出すと、鞭のようにしならせて地面に繋がっていた初号機のケーブルらしきものを寸断する。

さらに落下してきた初号機に体当たりをかまして……、

 

「こ、こっち来んぞ!?」

 

「や、ヤバイ!!」

 

超高速で飛んでくる初号機の巨体。

逃げる間もなく、視界が紫一色に覆われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「ぎゃあああああぁぁぁぁぁ……!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

予想だにしていなかったイレギュラーの存在は、作戦司令室にもすぐに伝わった。

何せ他ならぬパイロットがその名前を叫んだのだ。

見れば初号機の指に潰されそうな位置でへたり込む人影がモニターに写りこむ。

 

鈴原トウジ。

 

相田ケンスケ。

 

他ならぬシンジのクラスメイトだ。

 

「そんなバカな!? 避難は完了してたはずでしょ!?」

 

先ほど一般市民のシェルター避難は終了したと報告を受けていたはず。

まさか確認漏れがあったのか。

だが今はその理由を詰めている場合ではない。

 

『エヴァ初号機、活動限界まで残り4分12秒!!』

 

既にケーブルを切断され、時間制限を強いられている状態。

その上主力武器の回収も出来ていない状態で民間人の乱入。

ハッキリ言って戦闘続行できる状態ではない。

それがシンジの旧友であるなら尚のことだ。

 

『使徒、初号機に接近!!』

 

判断に迷うミサトを嘲笑うかのごとく、諸悪の根源がジワジワと迫る。

一刻の猶予もない。

あの二人を最も安全に避難させるには、初号機のエントリープラグに入れて初号機ごと一時撤退を計ること。

だがエントリープラグはエヴァの心臓部と言って遜色ない。

そこに他人を放り込んだらシンクロ率が大幅に落ちることは自明だ。

果たしてそんな状態で初号機が撤退できるのか。

出来たとしてそれを使徒が許すのか。

 

『ミサトさん! 指示を!!』

 

その一瞬、心臓が跳ねた。

見ればシンジが眼前に迫った使徒を掴んで押し留めている。

何ということだ。

葛藤している間に使徒の接近を許してしまった。

最早迷っている暇はない。

他ならぬシンジの声にミサトは大博打に出た。

 

「シンジ君! そのままエントリープラグを射出できる!?」

 

「なっ!? 何をするつもり!?」

 

「使徒を抑えたまま二人をエントリープラグ内に保護して! そのまま一時撤退するわよ!」

 

「越権行為よ! 増してや戦闘中にエントリープラグを狙われたら……!」

 

「私が許可するわ。やりなさい、シンジ君!!」

 

返事はない。

だが直後に初号機の背部が展開し、エントリープラグが射出された。

 

「そこの二人! 今すぐその中へ!!」

 

こうなると初号機の体勢が仰向けだったことが不幸中の幸いだった。

脊椎に位置するエントリープラグは背面に射出されるため、昇降機なしで人が出入りできる高さにある。

 

『神経系統に異常発生! シンクロ率、59.2%に低下!』

 

「異物を二つも入れれば当然よ。寧ろよくキープした方だわ」

 

『な、何やこれ水やないか!』

 

『あぶぶぶぶ……、か、カメラが……』

 

通信機越しに聞こえた聞き慣れぬ子供の声に安堵する。

どうにか使徒に邪魔されることなく保護できた。

だが問題はここからどう撤退するかだ。

活動限界まで既に残り3分。

撤退するためのゲートは使徒の後方に位置している。

只でさえダメージを負った初号機をみすみす逃がしてくれるものか。

 

『うううっ!!』

 

聞き慣れた声が呻いた。

見ると使徒が先ほどの光の鞭で激しく初号機の体を殴打している。

このままでは……、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ダイナアアアアアァァァァァ……!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞬間、世界の時間が止まった。

聞き慣れない男の叫び声。

その直後、初号機と使徒の間に割って入るように光の柱が立ち上った。

光は瞬く間に煌きを増し、その眩さに使徒が大きく後ろへたじろぐ。

一瞬世界を支配する閃光。

その果てにいたのは、やはり見覚えのある背中だった。

 

「……あれは、前に現れた……」

 

その場の誰もが驚愕と共に眼を見開く。

力強く拳を突き上げ、額に輝くクリスタルが陽光に映える謎の巨人。

またしても使徒出現に申し合わせたかのごとく現れたその存在に、誰もが言葉を失う。

その沈黙を破ったのは、通信機越しに聞こえてきた少年の声であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あれは……、そうか! あれが……ダイナ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ウルトラマンダイナ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

耳元で聞こえたその名前は、驚愕を隠せないシンジの脳内でリフレインを繰り返していた。

ウルトラマンダイナ。

それがあの巨人の名前なのか。

イメージの中には影も形もない。

こちらに味方してくれるのか。

味方してくれる理由は何か。

何もかもが謎に包まれた巨人。

唯一つ確かなのは、

 

「クッ」

 

こちらを背中に庇い、あの時と同じように親指を立てて見せた。

 

『(ここは任せろ)』

 

『(もう大丈夫)』

 

そうこちらを勇気付けてくれるように。

 

『エヴァ初号機、活動限界まで2分20秒!!』

 

『シンジ君! 34番ゲートを開放するわ! そこから撤退して!!』

 

「……守って、くれるの?」

 

おずおずと尋ねる。

帰ってきたのは、

 

「シュワッ!」

 

力強い頷き。

肯定の返事だった。

 

「ありがとう……!!」

 

果たしてこちらの言葉が伝わっているのかいないのか。

そんなことはどうでも良い。

ただ九死に一生を齎してくれた巨人の恩を無駄にしないためにも、ここは退かなければ。

 

「デュアッ!!」

 

再び迫る使徒に果敢に対峙する巨人を一瞥し、シンジは開かれたゲートに視線を移した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこに辿り着いたのは、偏に偶然であった。

非常事態宣言を耳にして都市全体を見渡せる場所で敵を待ち構える算段であったが、戦闘が始まって程なく、見知った顔が出てきてしまった。

気づいて声をかける前に使徒に吹き飛ばされて飛んでくる初号機。

その瞬間に、気づけば体が反射してガッツブラスターのトリガーを引いていた。

人命救助用のネットガードで瞬間的に彼らが潰されないよう対処し、即座に変身して今に至る。

 

「(無事に逃げられたみたいだな……)」

 

ビルを模した射出口から地中へ降下したエヴァンゲリオンを確認すると、改めて今回の襲撃者へと向き直る。

ケンスケに聞いた情報が正しければ、あれもこの間と同様の使徒という存在。

目的は不明だが、人類に対し牙を剥く以上、その蛮行を許すわけには行かない。

 

「(分からねぇ事だらけだが、今は考えてる時じゃねぇ!)」

 

人類の未来を阻むものならば何者であろうと臆せず挑む。

それがアスカ=シン、ウルトラマンダイナの使命なのだから。

 

「シュワッ!」

 

突き出した左手から青白い光弾が音速の勢いで次々と打ち出された。

 

ビームスライサー。

 

速射性に優れるダイナの主力技の一つであり、細く鋭い千本のような形状から刺突能力を併せ持つこの技は、牽制でありながら当たり所によっては致命傷になりうる威力を持つ。

だが、真正面からの光弾の連射を使徒はATフィールドで難なくいなしてしまった。

やはり敵もバカではないということか。

 

「クッ!?」

 

お返しとばかりに光の鞭が唸りを上げて突き出していたダイナの左手首を捉えた。

頑丈なアンビリカルケーブルすら切断する鋭さと超高温が至近距離から襲い掛かり、たちまちダイナの手首が焼け焦げていく。

 

「グアア……!!」

 

表情こそ変えないものの激痛に悶絶するダイナ。

味を占めた使徒は更にもうひとつの鞭を巨人の首に巻きつけ、息の根を止めようと締め上げる。

 

「ウウウ……!!」

 

このまま首を切り裂く、あるいは焼き切ってしまうかと思われた、こう着状態。

それを破ったのは、突如発光した巨人のクリスタルだった。

 

スタンフラッシュ。

 

読んで字の如く額のクリスタルを眩く発光させ、敵の目を眩ませる言わばこけおどしである。

かつては動物的本能で暴れる怪獣にこそ有効なものの高い知能を持った外星人には効果の薄い癖のある技であるが、前回を踏まえた使徒と呼ばれる存在はさして高い知能を有していない。

ただただ鉄壁を誇るATフィールドと不死身に近しい底なしの生命力で他の生命体を圧倒しているに過ぎない。

だとすれば、そこに勝機がある。

かくてダイナの読みどおり、ゼロ距離から強烈な閃光を受けた使徒は大きく後ろへたじろいだ。

反射的に正面にATフィールドを展開こそしているものの、解除していないということは今のがこけおどしだということにすら気づいていない。

この千載一遇のチャンスを逃すダイナではなかった。

 

「クッ!!」

 

両手を水平にカラータイマーに合わせて一瞬エネルギーをチャージし、再び左手でビームスライサーを放つ。

それに併せてATフィールドを展開しなおしてガードする使徒。

だが、これはダイナがわざと見せた「見せ玉」だった。

 

「シュワッ!!」

 

折り曲げた肘を支点に大きく回した右手から、軌道に沿って円形に生み出されたエネルギーが放たれた。

 

ダイナスラッシュ。

 

光エネルギーを円形の刃へ変えて敵を切り裂く変則技だ。

完全に不意をつく形で殺到した円鋸は、勢いそのままに使徒の表皮を切り裂き、光の鞭を生み出していた右の腕をぶった切った。

虚を突かれた事で使徒の巨体は大きく後ろに後退し、轟音と共にビル郡の立ち並ぶ道路へと沈む。

そこから数秒の間をおいて、肉片と化した腕が地面に叩きつけられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

激しい死闘が展開される地上と対照的に、ジオフロントの中枢に位置する作戦司令室は不気味な沈黙が支配していた。

前代未聞だ。

自分達の要する人型決戦兵器が相対しているならまだしも、使徒と戦っているのは依然として何の情報も掴めない謎の巨人である。

 

「謎の生命体、使徒に対し攻撃に成功!」

 

「使徒のエネルギー反応、急速に減少しています!」

 

明らかに頻度の下がった各所からの報告は、巨人の優勢を印象付けるもの。

これがエヴァの戦跡であるなら諸手を上げ喜んだであろう。

だが一体何の因果か、またしても使徒に相対しているのは、前回と同様に何の前触れもなく乱入した謎の光の巨人であった。

 

「あの巨人の生体分析は?」

 

「パターン……、ダメです! 判別不能!」

 

「現存する地球上生命体のいずれも推測遺伝子が一致しません!」

 

予想通りの報告に、E計画の中枢に立つ科学者は自嘲気味に鼻を鳴らした。

冗談ではない。

地球上に存在しない細胞。

人智を超えた、使徒すら凌駕する力。

まさか使徒の襲来に呼応するかのように宇宙のどこかから飛来した招かれざる救世主とでも言うつもりか。

 

「……ウルトラマン……」

 

先ほど通信機から聞こえた聞き慣れぬ固有名詞が耳に残った。

聞いた事のない通称。

だがそれがあの巨人を暗に示す言葉であることは容易に想像できた。

問題は、現時点で極々普通の一般人のカテゴリに属するあの少年が何故その名を知っているのかということである。

 

「巨人、攻撃を続行! 左手と思われる器官を欠損に成功!」

 

「使徒、巨人と組み合ったまま動きません!!」

 

やはり使徒といえど生命体である以上痛覚や恐怖は存在するのだろうか。

両腕を失い死の危機を悟ったらしくこれまで以上に激しく暴れて眼前の巨人に襲い掛かる。

一方で巨人もまたあくまで狙いは使徒だと言わんばかりに真正面から掴みかかっていた。

互いに全力で押し返そうと押し合う様は、まるでスケールの無駄に大きい大相撲である。

 

「何なのアレ……、やっぱり私達に味方してる……?」

 

「楽観的な妄想に浸ってる場合ではなくてよ? 初号機が撤退に追い込まれている今、あの巨人が掌を返したらどうするつもり?」

 

大方の予想通りの解答に辿り着く戦友に心の中で嘆息しながら、あくまで巨人が敵に回った際の危険を提唱し釘を刺す。

冗談ではない。

生態も素性も何も分からない未知の存在に人類の未来を委ねるなど正気の沙汰ではない。

現実的な話をすれば、そんな事になれば自分達も世間から無能の烙印を押されかねない。

初日の戦自の二の舞はご免被る。

 

「わざわざサムズアップまでして逃がしてくれたのよ? 使徒に比べれば大分友好的じゃないの」

 

「そうやって相手を安心させて欺くなんて、古い手よ」

 

「かもしれないけどね。こちらとしては使徒を倒してくれなくたって、初号機を回収できた時点で万々歳よ」

 

「おかげで委員会はカンカンよ。いつになったらNERVの秘蔵っ子は戦果を上げるんだって」

 

「巨人、エネルギー反応が低下!!」

 

割って入った報告に、和みかけた意識が現実に引き戻される。

作戦中にも関わらず、無意識下で張り詰めていた感覚が緩みかけていた。

深層心理であの巨人に心を許しかけているとでも言うのか。

現状使徒と敵対し、人類に味方する立場のあの巨人に。

 

「どういう事? 巨人が弱ってるの?」

 

「分かりません。巨人のエネルギー反応は出現時をピークに減少傾向。エネルギーを放射した段階から減少度合いが増しています!」

 

「巨人のエネルギー反応、出現ピーク比20%!!」

 

「巨人の胸部、信号を発しています!」

 

見ると巨人の胸部で空色に輝いていたタイマーが赤く点滅を始めていた。

同時に著しく減少したエネルギー反応。

まさか、巨人も活動限界があるというのか。

 

『ヌウウウ……デュアッ!!』

 

組み合ったままの巨人が大きく右拳を振りかぶり、使徒の顔面を殴りつけた。

真正面からの力任せの一撃。

眼前の苦し紛れにしては滑稽な攻撃に、使徒は嘲笑するようにATフィールドで跳ね除ける、はずだった。

 

「なっ!?」

 

「嘘……!」

 

その一瞬、その場の誰もがモニターの光景をすぐに受け入れる事ができなかった。

使徒は確かに真正面からの右フックを微動だにせぬまま跳ね返したはずだった。

が、巨人の右腕はその悠然と構えていた使徒の顔面を盛大に殴り飛ばした。

ATフィールドの中和は確認できない。

信じられない。

とても非論理的で信じられないが、そうとしか考えられない。

あの巨人は、文字通り使徒の絶対防御の代名詞とも言うべき鉄壁のATフィールドごと、力づくで殴り飛ばしたのだ。

 

『クゥゥゥゥ……』

 

胸の前で両の拳を合わせた巨人が、両腕を上下に大きく開く。

瞬間、S字を描くように視認できるほどの眩いエネルギーが巨人の両腕に集約されていく。

ここ一番の外せない大勝負で繰り出すウルトラマンダイナ秘蔵の一撃。

 

フルパワーソルジェント光線である。

 

『デュアアアッ!!』

 

十字に組まれた右手から、圧縮された眩いエネルギーが光波熱線となって発射された。

やはり真正面からの攻撃に使徒はATフィールドを展開し、光線を押さえ込む。

拮抗しあう膨大な二つのエネルギー。

飛び散る光波の粒がサインカーブを描くその姿は、雄雄しくも神秘的な美しささえ感じさせる。

 

「巨人のエネルギー低下速度、上昇!」

 

「胸部信号、点滅速度上昇!!」

 

「エネルギー枯渇まで、推定30秒!!」

 

無理もない。

只でさえ枯渇したエネルギーを全てこの光波熱線に注ぎこんだのは火を見るより明らかだ。

理解できない。

まさか、あの巨人は、

 

『ヌウウウ……!!』

 

その命を危険に晒してまで、戦おうというのか。

 

『デュアアアアアッ!!』

 

表情の見えぬ巨人の、されど死力を尽くした最後の叫びが木霊した。

瞬間、理論の壁は、崩壊した。

 

「……使徒、巨人。共に反応、消失しました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「使徒が……殲滅……?」

 

ケイジに戻り再出撃に備えようとしたシンジらに伝えられたのは、他ならぬ作戦本部長らからの使徒撃退の吉報だった。

ミサトの咄嗟の判断もあり、苦肉の策でトウジらを保護して命からがら戻ってきたシンジの脳内は、未だ地上で暴虐を振るっているであろう使徒とただ一人残って立ち向かっているであろう巨人への助力の策であった。

イメージでは撤退命令を無視して玉砕覚悟で突っ込み、痛み分けに近い形で使徒を殲滅。

だが撤退命令を無視した無謀な突撃が戦術的に許されるはずもなく、禁固刑に処され傷心の碇シンジ少年はずる休みを繰り返した挙句家出という愚考に走っていた。

不幸中の幸いは結果として作戦本部長の指示通り二人を保護して退却にも成功したことであろう。

その全てが実現できたのも、イメージには影も形もなかったあの巨人のおかげであったことは自明の理であった。

一度ならず二度も窮地を救ってくれたあの巨人を見捨てては置けない。

その一心で作戦司令室に再出撃を納得させるにはどうすればいいか考えを巡らせている中で知らされたそれは、青天の霹靂であった。

 

「そうよ。正直理解できなかったわ。あのATフィールドを力づくでぶっ壊して、使徒を木っ端微塵よ?」

 

「あのATフィールドを力づくで……」

 

「た、助けてもらって言うのもアレやけど、むちゃくちゃな奴っちゃな……」

 

立場を忘れて唖然とするしかない友人2名。

すると、奥に控えていたE計画責任者が明らかに作った表情の能面のような笑顔で微笑みかけた。

 

「そうね。避難命令を無視して戦闘区域に入った挙句、初号機の戦闘に多大な影響を与えたくらいにはめちゃくちゃだったかしら?」

 

「う……」

 

「め、面目ありまへん……」

 

穏やかながらこめかみをピクつかせている独特の威圧感にすっかり小さくなる二人。

無理もない。

一度避難している二人が外に出ていたということは避難に間に合わなかったのではない。

危険を承知で、自ら外に出たのだ。

だとすれば叱責で済めばまだ温情がある。

ただでさえ情報統制の敷かれた特務組織の最重要機密を知ってしまったのだ。

その危険性を考えると、機密保持の為にどんな目に遭わされるかもわからない。

 

「非常事態宣言下の無断行動。使徒殲滅作戦の介入。挙句初号機及びパイロットの負傷撤退の誘発。……第一級懲戒対象のフルコースね」

 

途端にケンスケが肩を震わせたのが分かる。

初めて聞く単語だが、何となく意味は察することが出来た。

 

「いくら親がNERV職員だからといって到底庇いきれるものではないわ。処分が決定するまで外に出られると思わないことね」

 

「そ、そんな……」

 

「殺生な……」

 

だから、躊躇いは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと待ってください。二人は最初から無断行動なんてしてませんよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞬間、その場の空気が固まった。

無断行動なんて最初からしていない。

一体彼は何を言っているんだ。

二人の少年が避難命令下でシェルターから脱走して初号機撤退の戦犯になったのは揺るぎない事実であり、証人も数え切れないほどいる。

だというのに、この少年は一体何を言っているんだ。

 

「シンジ君。いくらクラスメイトで友達とはいえ、時には心を鬼にすべき時はあるものよ?」

 

「誤解ですリツコさん。二人は最初から避難なんてしてませんよ。ずっとあの場所で待っててもらったんです」

 

「何のために? あの場所はシェルターから脱走して出てくる以外に立ち寄るような要素はないわよ?」

 

「僕が自慢したかったんですよ、初号機が使徒と戦うところが見える絶景だって」

 

「ちょ、ちょっとシンちゃん……!」

 

見かねた保護者兼作戦本部長が止めに入るが、シンジの暴論は止まらない。

 

「矛盾してるわね。シェルターには二人が避難した記録が残っているわ。意図的に脱走したことは明らかよ」

 

「それ、僕が仕組んだんです。避難した時は点呼取るでしょ? 別の人に返事してもらったんです」

 

「理解に苦しむわね。E計画に関する一切は極秘事項のはず。それを破ってまで見せびらかしたかったというの?」

 

「だって僕が初号機のパイロットだって自慢しても二人とも信じてくれなかったんですよ。もう直接見せて証明するしかないじゃないですか」

 

「自分の言ってることが分かってるの?これは人類の存亡がかかった決死の戦い。子供だましのショーではないのよ」

 

「だからですよ。毎回毎回命がけの戦いに借り出されてるのに、誰にも彼にも秘密なんて冗談じゃない。みんなに自慢してちやほやしてもらう位じゃないと割に合いませんよ」

 

「シンジ君っ!!」

 

直後、乾いた音と共にシンジの右頬が盛大にぶたれた。

打ったのは、目尻に涙を溜めたミサトだった。

 

「いい加減になさいっ! あなたがそんな腐った性根の人間じゃない事はこの場の全員が分かってるわ! これ以上自分で自分を貶めるのは止めなさい!」

 

「止めませんよ」

 

腫れ上がった頬に気にも留めず、シンジは真っ直ぐミサトを見返す。

 

「だってこれが僕の本性ですから。自分の承認欲求の為に友達を平気で危険に晒してヒーロー気取りの腐った性根のダメ人間。それが僕です」

 

「そんな見え透いた嘘を突き通して一体何になるの!? 友達を庇ってるつもり!? こんなの友情ごっこでもなんでもないわ!!」

 

「ごっこなんかじゃない。二人は僕の友達ですよ。今この場で二人を処分するなら、サードチルドレンの立場を放棄すると言えるくらい、大事な友達だ!」

 

その勢いに、ミサトの方が一歩下がった。

本気だった。

この少年は、本気でこの冗談のような暴論を押し通そうとしている。

そうして処罰の対象を自分だけに向けさせ、友達二人を守ろうとしているのだ。

応じなければエヴァに乗らないし使徒殲滅にも協力しない。

目の前の少年はそう本気で脅しをかけているのだ。

 

「なるほど、その頑固なまでの意志の強さは父親似だな」

 

一触即発の空気の中に穏やかな笑みを浮かべたまま、歩み寄るものがいた。

特務機関NERV副司令にして、唯一総司令たる碇ゲンドウの全てを知る男、冬月コウゾウである。

 

「初号機パイロット。君はあくまで今回の事態の一切は君に責任があると言いたいんだね?」

 

「そうです。認めていただけますか?」

 

顎に手を当て、思案する様子を見せる冬月。

そして、

 

「葛城一尉」

 

「はい」

 

「総司令不在に伴う権限代理執行において、現時点を以って初号機パイロットの全ての権限を一時的に剥奪。再教育プログラムの実施後、2日の禁固刑と処す」

 

「……はい」

 

「その他についての一切は不問とする。……これでいいかな、碇シンジ君」

 

シンジは声を返す事無く、深く頭を下げた。

この時点でシンジはNERV擁する初号機パイロットではなく禁固刑を言い渡された処罰対象だ。

その立場を弁えての態度である。

 

「父親がいなくて良かったな。アイツなら眉一つ動かさなかっただろう」

 

そうほくそ笑み、その場を後にする副司令。

数秒後、作戦司令室は親友にしがみついてむせび泣くクラスメイト二人の暑苦しい泣き声が響き渡るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特務機関NERV本部には、その特異且つ機密性の高い任務の都合上、その意に反した者を内部で処罰する懲罰房が存在する。

イメージの中の初号機パイロットは、命令無視による突撃を敢行した事によって単独で処罰を受けた。

その時の友人二人の顛末は知らない。

その後のイメージで時折見かけるところを見ると、軽い訓告程度で済んだようだが。

 

「……ちょっと強引過ぎたかな」

 

思わず口が滑ってしまったとでも言うべきか。

あそこまで熱く言い返すつもりはなかった。

警備員に連れられて作戦司令室を後にする際に後ろから聞こえた嗚咽の声は、聞き違いではないだろう。

何も、彼女を泣かせるつもりはなかったのだが。

あれではこの2日の間に自棄酒の嵐で住居は無残なことになっているだろう。

今からその後片付けを考えると気が滅入る。

だが、不思議とシンジの心は晴れやかだった。

結果として独房に突っ込まれることにはなったが、そのおかげでイメージでは何らフォローできないままだった友達を倫理的に正しいかどうかは別にして守る事が出来た。

少なくとも今まで鬱屈した優等生に納まっていた自分では考えられない反抗だった。

今さらながら、何故このような行動に走ったのか、言葉では自身でも説明しがたい。

ただ、このまま処罰に慄く友達を見ていられなかった。

何とかしてあげたいと思った。

 

「諦めない……か……」

 

脳裏に何度もリフレインする、力強い笑顔とサムズアップ。

それが偶然か必然か、あの巨人の背中と重なって見える。

 

「ウルトラマン……ダイナ……」

 

あの戦場で、友達がふと口走った名を呟く。

ダイナミックという言葉を連想させる、豪快で、真っ直ぐな巨人。

2度に渡り自分の窮地を救ってくれた頼れる兄貴分のようなその佇まいに、その名ほど相応しいものはないと、シンジは思った。

 

「君は……僕達の味方なの……?」

 

誰にも聞こえることのない問いかけに、見知った独房の天井は黙したまま答えることはなかった。

 

<To be continued……>




<次回予告>

残像に逆らい、自身を盾に友情を選んだシンジ。

彼があくまで他人であるという現実を突きつけられるミサト。

一方、世界は早くも乱入者の存在をかぎつけ、接触を図ろうとしていた。

次回、新世紀の星。

『眩き閃光の向こうに』

友達は……大切……
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