定時退社の守護者 〜ギルド受付嬢は、残業を許さない〜   作:can'tPayPay

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第九話:定時を巡る攻防、終わりなき祝祭

イフールの街に吹く夜風には、かすかな魔力の残滓が混じっている。あれほどの大規模な遺跡調査を、ほんの数時間で片付けたのだから当然といえば当然だ。私はカイの手を握りながら、街灯に照らされた家路を歩いている。今日という一日をやり遂げたという充足感が、心地よい疲労となって全身を包んでいた。

「……ねえ、カイ」

「ん? どうした」

「今日一日で、ギルドの依頼書の半分以上を処理した気がするわ。あの遺跡の件で、冒険者たちが混乱してたおかげね」

「ああ。混乱こそ俺たちのチャンスだからな。あいつらが騒いでいる間に、俺たちが静かに道を整える。まさに定時退社の極意だ」

 カイは楽しげに笑い、私の手を自分のポケットへと引き込んだ。彼の掌の温度が、冷えた指先に伝わる。この温もりがある限り、どんなに理不尽なトラブルが明日訪れようと、私はそれらを「事務処理」として完璧に片付けていける気がした。

 私たちは家に着くと、カイはすぐにエプロンをつけた。あの遺跡の戦いから帰ってきたばかりだというのに、彼はまるで戦場を攻略するような手際でキッチンを支配していく。

「お前は座ってていいよ。極上の肉料理を作ってやるから」

「ふふ、期待してるわよ。……そうね、じゃあ私は、その間に明日のスケジュールを確認しておくわ」

「おいおい、家でも仕事か? 今日はもう、俺たちの定時だぞ」

 カイが笑いながらフライパンを振るう。立ち上る香ばしい肉の匂いに、私はつい先ほどまでの「受付嬢の仮面」が完全に溶けていくのを感じた。仕事のことばかり考えるのは癖になっているけれど、今のこの時間は、誰にも邪魔させない、私たちの聖域だ。

            *

 カウンターの向こう側で、アリナが明日の書類を見つめながら独り言を呟いている。彼女は本当に、努力という言葉を地で行く女だ。俺はその背中を見ながら、心の中で小さくため息をついた。

(アリナ。お前は本当に……いつだって戦ってるな。誰にもその苦労を見せず、完璧な笑顔を振り撒いて)

 俺が彼女の「定時」を守り続ける理由。それはただ単に、彼女の笑顔を独占したいからだけじゃない。彼女が、その努力に見合うだけの「平穏」を手に入れられる世界を、俺が作りたいからだ。この街で、ギルドで、俺たち二人が最強であるという事実を、誰にも知られずに守り通すこと。それこそが、俺の冒険であり、俺の報酬だ。

 料理が完成し、食卓に並べる。アリナは書類をパタンと閉じ、嬉しそうにフォークを構えた。

「いただきます!」

「召し上がれ」

 彼女が一口食べるたびに、表情がとろけていく。この顔を見るためなら、俺は何度でも遺跡のボスを一人で殴りに行ける。

「……っ、美味しい! これ、本当に再現したの?」

「ああ。秘密の隠し味も仕込んでおいたからな」

 食事中、私たちは他愛のない話をした。明日の騎士団の動向、街で流行っているという新しいお茶の話、次に行くべき隠れ家カフェの場所。受付嬢の顔でも、処刑人の顔でもない。ただの恋人同士のような会話が、リビングに満ちていく。

 その時だった。私のポケットに入っていたギルドの緊急通信用魔石が、鋭く鳴り響いた。

「……嘘でしょ。この時間になって?」

 私は表情を凍らせ、魔石を手に取った。ギルドからの連絡だ。それも、ただの連絡ではない。深夜の緊急招集。

「『重要案件発生。至急ギルドへ戻れ』……だって」

「また遺跡か?」

「いえ、もっと厄介なことよ。……街の外壁に、魔物の大群が迫ってるって」

 カイの表情が一瞬で戦士のものに戻る。私たちは顔を見合わせた。定時後の、しかもこんな時間。肉料理は半分も食べていない。

「……行くぞ、アリナ」

「ええ。当然よ。……私の街を、こんな時間に荒らされるなんて、許せるわけがないわ」

 私はハンマーを手に取り、カイは武器を構える。さっきまでの穏やかな空気は霧散し、戦場へと切り替わる。私たちはゲートを開き、イフールの街の外壁へと一気に飛んだ。

 そこには、闇を塗りつぶすほどの魔物の影があった。騎士団が必死に防衛線を張っているが、圧倒的な数に押されている。

「おい、あれを見ろ。ただの魔物じゃない。……あれ、深淵からの眷属だぞ」

 カイの指摘通り、魔物の纏う魔力は尋常ではない。外壁の守護結界が、悲鳴を上げている。騎士団の隊長が叫んでいるのが聞こえる。

「増援だ! 誰か……! ……ん? アリナ殿!? カイ殿!? なぜこんなところに!」

 私は隊長の言葉を無視して、結界の弱点に駆け寄った。

「隊長、下がってなさい! 結界の修復は私たちがやる!」

「何を……」

「いいから! 私たちの定時を、これ以上奪うなら……ただじゃ置かないわよ!」

 私はハンマーを巨大化させ、魔物の群れの中心へ飛び込んだ。カイは空中で魔法を展開し、結界を再構築する。私たちの連携は完璧だった。言葉なんて必要ない。誰よりも長く、誰よりも過酷な定時後の時間を共に過ごしてきた私たちに、隙なんてない。

 私は舞った。ハンマーの軌跡が光の線となり、魔物を次々と粉砕していく。怒りというよりは、もはや「不愉快」という感情が、私の膂力を引き出す。

(私の平穏な夜を、私の美味しい食事を、私の……カイとの時間を! 邪魔するものは、残さず消す!)

 カイの放つ魔法が、魔物の群れに大穴を開ける。私はその隙を突き、一気に中心核へと切り込む。最後の一撃を放った瞬間、夜空が朝日のような輝きに包まれた。

 魔物が消滅し、静寂が訪れる。街の外壁が守られた。騎士団の兵士たちが、呆然と私たちを見上げている。

「……終わったわね」

 私は息を整え、ハンマーを消した。カイが私の隣に来て、肩を貸してくれる。

「ああ。……さて、これで邪魔者は消えた」

「ええ。……まだ、夜は終わっていないわよね?」

 私は少し意地悪く笑った。カイもまた、ニヤリと笑う。

「ああ、もちろん。肉料理がまだ残ってるからな」

 私たちは騎士団の問いかけにも答えず、その場でゲートを開いた。イフールの守護者なんて称号は要らない。私たちに必要なのは、二人だけの、冷めかけの肉料理と、誰にも邪魔されない時間だけだ。

 家に戻り、私たちは残りの料理を温め直した。

 戦いの後の、少し冷めた料理。それが、なぜか今日の勝者には最高のご馳走に感じられた。

「……やっぱり、戦った後の食事は最高ね」

「ああ。特に、お前と勝った後の料理は格別だ」

 私たちは並んで座り、今日という日を振り返る。遺跡の調査、騎士団の対応、そして深夜の魔物討伐。トラブルばかりの毎日だ。でも、不思議と嫌な気はしない。

「ねえ、カイ」

「なんだ?」

「……これからも、こんなふうにずっと、定時を追いかけていけるかしら」

「誓ってもいい。俺たちがいる限り、この街の平和も、俺たちの定時も、誰にも奪わせない」

 カイが私の手に、そっと自分の手を重ねる。私はその手を握りしめ、目を閉じた。

 明日の朝、また新しい一日が来る。書類の山も、騎士団の嫌味も、また繰り返されるだろう。

 でも、それがなんだというの?

 私たちは最強だ。

 どんなトラブルも、どんな地獄も、二人で乗り越えていけばいい。

「……明日も、頑張りましょうね」

「ああ。お前の定時退社のために、俺はどこまでだって付き合うよ」

 私は彼の胸に顔を埋めた。

 最強の受付嬢のアリナ・クローバーと、その最高の相棒カイ。

 私たちの物語は、明日もまた、定時の鐘と共に始まる。

 いや、もしかしたら、定時を待たずに、私たちは明日という新しい一日を、自分たちの手で「定時」にしてしまうかもしれない。

 夜が明けるまで、あと少し。

 私たちは今日一番の幸せを感じながら、次の冒険への活力を蓄える。

 終わらない定時の祝祭。

 その幕は、まだ下りそうにない。

「ねえ、カイ」

「ん?」

「……次は、もう少しくらい、ケーキのサプライズを控えめにしてくれてもいいわよ」

「へへっ、それはどうかな?」

 私たちは声を合わせて笑った。

 窓の外では、夜空が少しずつ白み始めている。

 最強の二人の日常は、今日も誰にも知られることなく、完璧な形で守られていく。

 愛と、戦いと、そして甘いケーキの味と共に。

 私たちの定時は、どこまでも続いていくのだから。

 

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