定時退社の守護者 〜ギルド受付嬢は、残業を許さない〜   作:can'tPayPay

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第十話:定時という名の聖域、あるいは共犯者の揺り籠

イフールの街が朝焼けに染まり、鳥たちが目覚めの歌を奏で始める。ギルドの屋根に朝日が反射し、街全体が黄金色に輝く時間。しかし、私、アリナ・クローバーにとっては、その眩しさは「今日も一日、この平穏を維持しなければならない」という使命感の合図に過ぎない。

 カイの胸の中でうとうとしていた私は、微かな時計の針の音に反応して、カッと目を見開いた。

「……っ! あと二時間で、ギルドの開門よ」

「ん……あと十分、寝かせてくれよ……」

 カイが寝ぼけ眼で私をさらに強く抱きしめる。彼の腕は驚くほど温かく、そして心地よい。このまま彼の夢の中に沈んでしまいたいという誘惑が、私の理性を激しく揺さぶる。だが、私は受付嬢だ。どんな甘美な誘惑よりも、「定時退社」という至高の目標を優先せねばならない。

「ダメよ。あんたがゲートを開いてくれないと、私はギルドにたどり着けないんだから。……起きて」

 私は彼のおでこを軽く小突いた。カイは観念したようにため息をつき、体を起こす。その際、彼の指先が私の髪を優しく撫でた。

「お前は本当に真面目だな。……俺とこうしている方が、よっぽど平穏だと思うんだが」

「そうね。でも、戦いのない世界なんて、あんたも退屈するでしょう?」

 私たちは顔を見合わせ、苦笑いした。私たちが求めているのは、何もしない安寧ではない。理不尽な業務を完璧に処理し、あらゆるトラブルを力技でねじ伏せ、その果てに「定時」という勝利の鐘を聞くこと。それこそが、私たちが愛する日常なのだ。

            *

 朝のギルドは、戦場に向かう前線基地のような緊張感に満ちている。私は制服の襟を正し、いつもの「完璧な笑顔」を装備した。隣に立つカイは、あくびを噛み殺しながらも、その瞳には鋭い光が宿っている。

「おはよう、アリナちゃん」

「おはよう、カイ。……今日の予定だけど、冒険者組合からの報告だと、昨夜の魔物討伐の影響で、遺跡関連のクエストがすべて凍結されたわ」

「おっ、マジか? じゃあ今日は、事務処理が激減するってことだな?」

「ええ。これなら、定時よりも早く帰れるかもしれないわね」

 私たちは密かに拳を突き合わせた。今日は「定時の聖戦」に勝利する確率は限りなく高い。そう確信したその時、ギルドの扉が激しく開かれた。

 現れたのは、昨日までとは比べ物にならないほど威圧的な鎧を纏った、騎士団の「監察官」だった。その後ろには、武装した数名の兵士が従っている。

「……受付嬢アリナ、および冒険者カイだな。少々、確認したいことがある」

 監察官の声は冷たく、周囲の空気を凍らせる。私は一瞬で全身を硬直させたが、表情だけは一切崩さなかった。

「はい。どのようなご用件でしょうか?」

「昨夜、街の外壁で発生した魔物掃討の際、未登録の魔法反応と、過剰な物理破壊が確認された。その場にいた目撃者によると、君たちがその中心にいたという報告がある」

(……やっぱり、嗅ぎつけられたか)

 私は心の中で舌打ちをする。あの戦い、誰にも見られていないと思っていたが、騎士団の監視魔法は想像以上に強力だったらしい。

「……私たちは、街を守るために騎士団の指示に従って動いていただけです。過剰な破壊など、身に覚えがありません」

「ふむ。とぼけるか。だが、その現場から、君たちの魔力と同じ組成の残留物が検出されているんだ」

 監察官がカウンターに書類を突きつける。私は冷徹な微笑みを浮かべたまま、その書類を手に取った。

「……この魔力組成、分析の仕方が間違っているのでは? 騎士団の分析官、最近はお疲れのようですわね。この程度のエラー、新米でも見抜けますわ」

 私は笑顔で、完璧な論理の構築を開始する。カイは私の隣で、腕を組みながら監察官を睨みつけた。

「あんたたちさ、昨夜、俺たちが魔物を全滅させなきゃ、今頃この街は灰になってたんだぞ? 感謝こそすれ、尋問される筋合いはないと思うがな」

 カイの言葉に、監察官が眉をひそめる。

「街を守ることは騎士団の責務だ。そこに私的な武力が介入することは、王国の法に抵触する可能性がある」

「法律……ね。それなら、法に守られた住民の平穏は、誰が守るんですか? 昨夜、あんたたちが無能を晒している間に、私たちは住民の食事の時間も、団らんの時間も、守っていたのよ」

 私の言葉に、監察官が沈黙した。彼らは、私たちが「定時退社」のために戦っていることを知らない。私たちが守っているのは街そのものではなく、その街にある「平穏な日常」という時間なのだ。

「……今日一日は、ギルド内で待機しろ。追って調査を行う」

 監察官が立ち去ろうとする。その背中を見送りながら、私は密かにカイと視線を交わした。

(……足止め、ね)

 ギルド内で待機。つまり、書類処理すら許されないという拘束命令だ。それはつまり、私の「定時」が消滅することを意味している。そんなこと、断じて許せるはずがない。

「ねえ、カイ」

「ああ。……やるか?」

 私たちが小さく頷いた瞬間、ギルドの空間に歪みが生じた。ワープの術理。私はあえて、監察官の足元にだけ極小の空間歪曲を仕掛けた。

「……っ!? 何だ、この感覚は!」

 監察官がよろめく。その隙に、私はカウンターの下から「ギルド長の許可証」を空中で書き換え、彼らの調査記録に「異常なし。二名は現場において騎士団と協力し、多大な貢献をした」と記述を改ざんした。

 魔力による記述の改ざん。カイのサポートによって、その改ざんは騎士団の鑑定魔法すらもすり抜ける。

「……異常なし……だと? 先ほどの魔力組成は……」

「お疲れのようですから、一度騎士団本部で休養されたほうがよろしいですよ。ご報告書は、こちらで作成しておきましたので」

 私は完璧な微笑みを浮かべ、改ざんされた書類を彼に突きつけた。監察官は困惑しながらも、自身の魔法が「異常なし」と判定している書類を見て、不本意そうに頷いた。

「……チッ。分かった。撤収する」

 騎士団の兵士たちが去っていく。ギルドに再び平和が戻った。私はようやく、溜まっていた息を大きく吐き出した。

「……本当に、騎士団って害悪ね」

「まったくだな。俺たちの平穏を乱すのは、いつも決まってあいつらだ」

 カイが私の肩を抱き、私は彼の胸に寄りかかる。

 外では、鐘の音が鳴り響き始めた。まだ昼過ぎだというのに、私たちはすでに「一日分の戦い」を終えたような気分だった。

「……ねえ、カイ」

「なんだ?」

「……今から、少しだけ早退してもいいかしら?」

「いいぜ。どうせ書類は昨夜のうちに終わらせてるし、誰にも文句は言わせない」

 私たちは連れ立って、ギルドの裏口から街へと飛び出した。

 太陽はまだ高く昇っている。定時退社には早すぎるが、私たちは今日という「勝利」を祝う権利がある。

 私たちは並んで歩きながら、明日への不安を夜空ではなく、今日という太陽の下で語り合った。

「次のトラブルは、何がくるかしら」

「さあね。でも、どんなのがきても、俺たちには関係ないだろ?」

「ええ。私たちが戦い、処理し、守り抜く。その先にあるのが、私たちの定時なんだから」

 街の風景が、昨日よりも輝いて見える。

 私は彼の手を握りしめ、力強く歩き出す。

 最強の受付嬢と、その最強の相棒。

 私たちの冒険は、この日常の果てにある、終わりなき「定時」という名の聖域を巡る物語だ。

 二人の影が、地面に長く伸びる。

 明日はどんな書類が待っているだろうか。

 どんな無理難題が押し付けられるだろうか。

 でも、もう怖くない。

 だって、隣に彼がいるのだから。

 私たちは、どこまでも続く未来へと繋がる道を、笑い合いながら歩いていく。

 私たちの「日常」という名の聖戦に、終わりなんてない。

 だからこそ、私たちの勝利の鐘は、これからもずっと鳴り響き続ける。

「……ねえ、カイ。次は、どこのケーキ屋に行く?」

「お前が行きたい場所なら、どこでもいいぜ。……たとえ、世界の果てだろうとな」

 私は小さく笑い、彼の腕に抱きついた。

 最強のコンビによる、最強の日常。

 私たちは今日も明日も、自分たちの「定時」を追いかけて生きていく。

 ギルドの鐘が、まるで私たちの勝利を祝福するかのように、遠くで響いていた。

 私たちは、新しい一歩を踏み出す。

 愛と、戦いと、そして甘い勝利の味と共に。

 私たちの物語は、まだ始まったばかりなのだから。

 

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