定時退社の守護者 〜ギルド受付嬢は、残業を許さない〜   作:can'tPayPay

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第十三話:日常の亀裂、定時後の招待状

ギルドのカウンターに座る私の手元では、今日も安定したリズムでペンが走っている。

 カイとあの夜、境界線を越えてからというもの、ギルドでの時間は以前とは少し違った意味を持ち始めていた。相変わらず書類は山積みだし、騎士団は相変わらず無能で、冒険者たちの依頼は時に理不尽だ。けれど、カイと視線が合うたびに、胸の奥に灯る確かな温もりが、どんな苛立ちも「処理可能な案件」へと変換してくれる。

 そう思っていた、その時だった。

 ギルドの入り口が、まるで空間ごと切り裂かれたような音を立てて開かれた。

 現れたのは、見たこともない紋章が刺繍された、漆黒のローブを纏った女性。彼女が足を踏み入れるたびに、床が凍りつき、ギルド内の空気が一瞬にして冬の底へと落ちる。

「……受付嬢アリナ、および冒険者カイ。ようやく見つけたわ」

 彼女の視線は鋭く、獲物を狙う猛禽のようだ。彼女が指先を動かすと、空間に一枚の「招待状」が浮かび上がった。金色のインクで刻まれたそれは、ただの紙ではない。極めて高純度の魔力を練り上げた、拒否権のない召喚状だった。

「魔導都市『ルミナス』の最高評議会からよ。君たちが繰り返す『不自然な魔力操作』と『時空の歪み』……その詳細な説明を求めるわ」

 会場は静まり返った。ルミナス。そこは大陸全土の魔法を統括する、絶対的な権威の地だ。そんな場所から直々に呼び出しがかかるなど、ただ事ではない。

「……残念だけど、私たちは忙しいの。この招待状、受け取れませんわ」

 私は努めて冷静に、断固とした態度で突き返した。しかし、彼女は優雅に微笑むだけだった。

「断る権限はないわ。これは命令よ。ルミナスの魔導結界を維持するためには、君たちが意図せず生み出している『時空の特異点』の調査が不可欠なの。拒否するなら、力ずくで連れていくわ」

 彼女の手から、青白い火花が散る。あれは高位の魔法障壁だ。カイがすぐに私を庇うように立ち上がり、魔力を解放する。

「おいおい、ギルド内で魔法を使う気か? ここは俺たちの職場だぞ」

「あら、失礼。でも、あなたたちが日々ギルドで繰り広げている『定時退社』という名の魔術的介入は、この世界の時間を少しずつ削っているのよ」

 彼女の指摘は、図星だった。私たちが完璧な効率で時間を処理し、理不尽を排除し続けてきた結果、世界というシステムに「歪み」が生じていたのだ。

「……行くしかないか」

 カイが小さく呟く。私も観念し、ペンを置いた。もしここで拒否すれば、街全体に被害が及ぶ。それは、私たちの日常を守るという目的と完全に矛盾する。

「分かったわ。ただし、一つだけ条件がある」

「何かしら?」

「……今日の定時、午後六時には必ず帰らせてもらう。それが守れないなら、何人いようと全力で潰させてもらうわ」

 私が冷徹に言い放つと、彼女は少しだけ呆れたように笑い、それから頷いた。

「面白いわね。あなたのその『定時』への執着、ルミナスでも見せていただきましょうか」

            *

 ルミナスへの転移は、一瞬だった。

 たどり着いたのは、雲の上にある白亜の宮殿。何百人もの魔導師たちが、巨大な魔法陣を維持している。私たちはその中心へと通され、評議会の議長と対峙した。

「……なるほど。これが『特異点』の源か」

 議長が手をかざすと、私たちの頭上に巨大なホログラムが映し出された。そこには、過去の私たちがカイのワープを使い、時間ギリギリで依頼を処理し、笑顔でギルドを去る姿が映し出されていた。

「君たちの連携は素晴らしい。しかし、それは時空に対する『暴力』に近い。本来、停滞するはずだった時間を、君たちの力で強引に前に進めている」

 彼らの言葉はもっともだ。私たちは、誰よりも「定時」に、結果に、平穏に固執してきた。それが世界の摂理に逆らっていると言われても、否定はできない。

「君たちには二つの選択肢がある。一つは、その魔力的な適性を封印し、ルミナスの監視下で研究対象となること。もう一つは……」

 議長は意地悪な笑みを浮かべた。

「君たちが守り抜いてきた『日常』を、自らの手で消去することだ。過去の改ざんを全て元に戻し、何事もなかったかのように生きること」

 私はカイの手を強く握りしめた。

 過去の改ざんを消去する? それは、カイと二人で過ごしたあの夜も、初めて手を取り合ったあの時も、全てがなかったことになるということだ。

「……断るわ」

 私の声は、震えていなかった。

「私たちの歴史を、あんたたちが決める権利なんてない。仮にそれが時空を乱す暴力だとしても、私たちは私たちの日常を愛しているのよ」

 カイもまた、前へ出る。

「俺たちが守りたかったのは、世界じゃない。俺たちの『定時』だ。それは、あんたたちが計算で導き出せるような、小さな数字じゃない!」

 評議会がどよめく。議長が厳しい表情で手を上げると、周囲の魔導師たちが一斉に魔法を展開し始めた。

「……なら、力ずくで矯正するまでよ!」

 閃光が奔る。数え切れないほどの魔法の矢が、私たちに向かって降り注ぐ。だが、私たちは動じなかった。この場所に来るまでの間、カイと私は顔を見合わせるだけで、すでに「戦略」を共有していたのだ。

 私がハンマーを一振りし、ルミナスの結界に亀裂を入れる。その亀裂に向かって、カイが座標を書き換えた魔力を流し込む。

「アリナ、今だ!」

 私たちが狙ったのは、議長の後ろにある「時空管理装置」だ。それを破壊すれば、この宮殿全体の魔法が停止する。

「そんなことはさせないわ!」

 あの女性魔導師が立ちはだかる。しかし、今の私たちは、昨日までの私たちとは違う。境界線を越え、互いを最も近くで知るパートナーだ。

 私は彼女の魔法障壁をハンマーで砕き、カイがその隙に彼女の杖の座標を「床」へと書き換えた。彼女は杖を失い、バランスを崩す。私は一気に駆け抜け、装置の心臓部に触れた。

「……定時退社は、誰にも邪魔させない!」

 閃光と共に、ルミナスの宮殿が激しく揺れ、すべての魔法陣が崩壊した。時空の歪みさえもが、私たちの魔力に飲み込まれていく。

 気がつくと、私たちは再び、夕暮れのギルドの前に立っていた。

「……帰ってきたのか?」

「ああ。どうやら、ルミナスの連中も、俺たちに手を出すのは骨が折れると悟ったみたいだな」

 空を見上げると、街にはいつもの穏やかな夕日が降り注いでいる。街の住民たちは、何事もなかったかのように家路を急ぎ、ギルドの中では冒険者たちが酒盛りを始めている。

 私たちは安堵のため息をつき、ギルドの扉に手をかけた。

 時間は——午後五時五十五分。

「……ギリギリ、定時だわ」

 私はそう言って、力尽きたように笑った。

 カイが私を抱き寄せ、その頬に軽くキスをする。

「……ああ。最高の定時だな」

 私たちは扉を開け、ギルドを後にした。

 背後で、午後六時の鐘が鳴る。

 世界がどうなろうと、私たちは守り抜いた。この、かけがえのない、たった一つの「定時」を。

 私たちは夜の街を並んで歩く。

 明日になれば、また新しい依頼書が届くだろう。

 でも、もう怖いものなんて何もない。

 私たちは、どんな運命の招待状だって、二人でなら「定時退社」してみせる。

「ねえ、カイ」

「ん?」

「……今日くらい、外食じゃなくて、家で美味しいもの作ってよ。……私、少し疲れちゃった」

「いいぜ。お前が一番好きなメニューを、死ぬほど作ってやる」

 二人の影が、月明かりに重なり合う。

 私たちの「日常」という聖戦は、これからもずっと続いていく。

 たとえ神様が敵に回っても、私たちは手を取り合って、笑顔で定時を追いかけるのだ。

 最強の二人。

 私たちの愛と、戦いと、勝利の物語は、まだ始まったばかり。

 今夜は、誰にも邪魔されない、最高の宴にしよう。

 そう決めて、私たちは家路を急いだ。

 明日もまた、新しい一日が私たちを待っている。

 それだけで、十分すぎるほどの幸せだった。

 最強の相棒と共に歩む日々は、これ以上ないほどに甘く、刺激的で、誰よりも幸せな冒険なのだから。

 星空が、私たちの歩みを優しく見守っている。

 二人の物語は、明日の朝、また新しい光と共に紡がれるだろう。

 私たちは、最高の「定時」を更新し続ける。

 二人の冒険は、これからもどこまでも続いていくのだから。

 

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