定時退社の守護者 〜ギルド受付嬢は、残業を許さない〜   作:can'tPayPay

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第六話:定時後のいたずら、赤い迷宮

ギルドの鐘が六時を告げた瞬間、アリナの背筋がピンと伸びた。彼女の体内には、恐ろしく正確な「定時検知センサー」が組み込まれているらしい。

「……終わった。完全に終わったわ」

 彼女はため息と共にペンを置き、長く伸びた髪を指で梳いた。普段は結い上げている髪が解け、白い首筋——うなじが露わになる。窓から差し込む夕日が、彼女の陶器のような肌を茜色に染めていた。

「お疲れ様、アリナちゃん。今日も完璧だったな」

「……ふん、まあね。あんたの補助がなければ、あと三十分は早かったけど」

 僕、カイはニヤリと笑い、デスクに座ったまま彼女を眺める。今の彼女は、ギルドを統べる「処刑人」ではなく、ただの年相応の女の子だ。その無防備な背中を見ていると、どうしようもなくイタズラ心が疼く。

「ねえ、アリナ。ご褒美のケーキ、準備したよ」

「本当? ……あ、あった。それ、私が頼んでおいた限定のヤツじゃない!」

 アリナの表情が一気に輝く。彼女は机の上に置かれた豪華なケーキの箱に手を伸ばした。彼女の細い指が、箱の留め具に触れようとした、その瞬間。

 僕は指先を軽く動かし、空間を僅かに歪ませた。

「え……?」

 アリナが伸ばした右手が、パッと消えた。同時に、なぜか僕の目前——僕の顔のすぐ近くに、彼女の白い手が「ワープ」して出現する。

「……っ!? 何よ、これ! 手が消えた……戻して!」

「落ち着けって。ちょっとした魔法の実験だよ」

 僕はニヤリと笑い、もう一度指先を弾く。

 今度は、彼女がケーキに向かって伸ばしたその右手を、そのまま「彼女自身のうなじ」へと繋がるように座標を書き換えた。

 アリナが自分の手を動かそうとすると、その動きは自分のうなじを優しく撫でる形になる。

「あっ……んっ!?」

 アリナが変な声を上げた。自分のうなじに触れている感覚と、ケーキに手を伸ばした記憶が混濁し、彼女の体がびくりと跳ねる。

「や、やめ……な、何よこれ! 私の手が、勝手に……っ、んぅ!」

 彼女は慌てて左手で右手を押さえようとするが、それも僕のワープで別の場所へと転送される。結果、彼女は自分の両手で、自分の首筋を愛おしむようにさすり続ける格好になった。

「あ、ぁ……っ! カイ……あんた、これ……っ!」

 羞恥で顔を真っ赤に染め上げたアリナが、涙目になって僕を睨む。そのうなじが、急速に赤く染まっていく。普段、ギルドで隊長を威圧していた姿はどこへやら、今はただの「いたずらに翻弄される可愛い少女」だ。

「……面白い顔してるな、アリナ」

「も、もうやめてっ! これ、どうやって……っ、ひゃんッ!」

 彼女が抗議しようと体を動かすたびに、ワープした手が絶妙な角度で彼女自身の身体に触れる。彼女はたまらず、机に顔を伏せた。

「……ひどい。こんなの、私……っ、こんなのッ!」

 僕はさすがにやりすぎたかと、指を鳴らして空間の歪みを解除した。自由になった彼女は、真っ赤な顔で机に突っ伏したまま動かない。肩が小刻みに震えている。

「ごめんごめん、ちょっと調子に乗った」

「……帰る」

「え?」

「帰るわよ! もう知らない……!」

 彼女は顔を上げないまま、荷物を適当にカバンに詰め込んだ。怒っている、というよりは、完全に拗ねている。耳まで真っ赤だ。

 僕が彼女の肩に触れようとすると、彼女はそれをバシッと叩き落とした。

「……近寄らないで。あんたなんて、明日からゲート閉じてやるんだから」

「それは困るな。俺のクエスト報酬が減っちゃうよ」

「なら、勝手にすればいいじゃない……っ! ……もう、あんたなんか、嫌い!」

 彼女は背を向け、早足でギルドの出口へ向かう。その足取りは、心なしかいつもより乱れていた。

 僕は苦笑しながら、彼女を追いかける。怒っているのはわかっている。でも、あの瞬間の彼女の表情は、一生忘れないだろう。

「待てよ、アリナ。ケーキ、まだ食べてないだろ?」

「いらない! ……あんな思いさせられたら、もう食欲なんてわかないわよ……っ!」

 彼女は怒りながらも、僕が背後から歩調を合わせていることには抗議しない。少しだけスピードを緩めてくれるその不器用さが、たまらなく愛おしい。

 街路樹の木陰に入ると、彼女は急に立ち止まり、僕の方を振り返った。

「……次やったら、本気でハンマーで殴るからね」

「ああ、覚悟してるよ」

「……あと、今日はあんたがケーキを半分食べていいわ。……私の分も、全部あんたが責任持ちなさい」

 彼女はそう言って、再びツンと背を向けた。でも、その声は先ほどよりも少しだけ柔らかい。

「……ねえ、カイ」

「なんだよ」

「……ワープ、練習してるの?」

「まあね。お前を驚かせるためなら、いくらでもな」

 彼女が小さく「……馬鹿」と呟くのが聞こえた。

 イフールの街に星が昇る。二人の影が夜道に伸びる。

 怒り、拗ね、そして少しの恥じらい。彼女が見せるそのすべての感情が、僕にとっては今日一日で一番の「成果」だ。

 明日になれば、また書類の山と戦わなければならない。でも、今のこの瞬間だけは、僕たちの定時は誰にも邪魔されない。

「アリナ、明日の朝は、もっと早いケーキ屋を見つけておくよ」

「……勝手にして。でも、次は変な場所を座標にするんじゃないわよ」

 彼女はそう言いながら、少しだけ僕の方を振り返り、悪戯っぽく微笑んだ。その笑顔を見たとき、僕の胸の中で何かが確信に変わる。

 僕たちは明日も、明後日も、こうやって定時を追いかけて生きていくんだ。

 どんないたずらも、どんな戦いも、二人でいればすべてが「日常」になる。

 僕は彼女の手を優しく引き、夜のケーキ屋へと向かった。彼女の拗ねた顔も、怒った顔も、全部僕が受け止める。それが、最強の受付嬢の相棒として、僕に与えられた唯一の特権なのだから。

 静かな夜の街に、僕たちの笑い声が微かに響く。

 明日が来れば、また戦いの日々が始まる。でも、今はただ、目の前の甘いケーキのことだけを考えよう。

 二人の定時は、まだまだ終わらない。

 

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