TS修理屋は巻き込まれたくない 作:ぱぱいや
ジジ、と何かが焼けるような音を立てて、天井の裸電球が明滅する。
外は激しい酸性雨だ。特殊な塗装をしてあるトタン屋根を叩く重い音が、狭い工房で響く。
「はぁ……またか。どいつもこいつも、加減ってものを知らないのか」
顔に飛び散った安物の合成オイルを手の甲で拭いながら深い溜息をついた。
私の視線の先――――作業台の上に横たわっているのは、美しい大人の女性の姿をした”愛玩”用のアンドロイド。もっとも愛玩といっても、男が使うのだから使い方なんて一つしかない。
今やその滑らかな人工皮膚は強引に抉じ開けられたようにあちこちが避け、内部の機械部が不格好に露出している。
特に酷いのは股関節まわりだ。限界を超えて負荷をかけられたために歪み、いつのかも分からない酷い臭いを放つ白濁色の液体が、作業台の溝を伝ってポタポタと滴っていた。
これが、これこそが。人間の、極限での欲望の、生々しい残骸だ。
「機械に対するリスペクトって言葉を知らないのかここの連中は……。衝撃緩和用の素材が壊れるまで突き動かすとか、馬鹿の極みだろ。猿だわ」
漏れる私の声は前世の低い、しゃがれた声ではない。少しハスキーで、アルト調の女声。
首筋までてきとうに切りそろえた黒髪。油汚れの肩ひもを外したオーバーオール。白のシャツは油であちこちが茶色になっている。
鏡を見る度に、「誰だこいつ」と思うが、これが私の、与えられてしまった第二の人生での肉体だった。
どういうバグか、前世の記憶を持ったままこの終末世界擬きのディストピアに、性転換を果たして転生した。何とか生きようと職を求めた結果、縁があるのかはたまた皮肉か、前世と同じメカニックに行き着いた。
しかし扱うのは「人間の性欲のハケ口の最後」ときた。
再び大きな溜息を吐きながら私は工具の油をタオルでふき取る。
「マスター。その個体のプロパティをスキャンしました。メイン回路の損傷及び汚染率が60%を超えているため、廃棄を推奨します」
背後から、低く平坦で、しかし心地よく響く男の声がした。
「いいんだよ、ノア」
返事をしながら振り返る。工房のドア前に、一人の青年が立っていた。仕立ての古いベストを着ている。一見人間に見える。しかし、彼はドールだ。
私の助手であり、この店を始めて最初に修理した傑作の一つ。
「持ち主の男は『穴として機能するば他はどうでもいい』なんて言っていたからな。予備のもので補完して、人工皮膚は縫い合わせる。それだけで今週の食費分になるんだ。皮肉なことだがな」
「了解。では代替パーツの選定をしておきます」
ノアは一切の反抗なく小さく頷くと、慣れた手つきで棚のパーツを物色し始めた。
彼……の元のドールを拾ったのは、一年前のことだ。スラム街で金もなく途方に暮れていた時、たまたま頭部と右腕を失った状態で捨てられていたのを見つけたのだ。前世の血が騒いだ私は、数か月かけてジャンクの山から使えるものをかき集め、彼を改造した。
果たして本来は給仕型だったはずの青年型ドールは、路地裏で生きるために、戦闘用のOSや強化フレームが搭載された。今や彼だけで警護は十分となった。
作業を再開して一時間ほど経った頃、店の入り口に作っておいた途切れ途切れのインターホンが鳴った。
「おい、ネエちゃん! 修理は終わったか!」
誰だか予想のできる相手にうんざりしながら、私は外と工房を隔てるシャッターを開ける。
入ってきたのは見るからに質の悪い、スラムのゴロツキ。アルコールと安物の合成ドラッグの甘ったるい臭いが工房内に流れる。
「……ああ、お前か。そこに置いてあるだろう。あらかたの部品は直したが、もう次はないぞ。中の人工臓器が限界だ。少しは優しく使え」
臭いを払いながら指をさす。男は修理された女型のドールの髪を乱暴に引っ掴むと、不快そうに鼻を鳴らした。
「チッ。相変わらず愛想がねぇな……こっち向けや」
男が誇張するようにドシドシと足音を鳴らし私の背後に近づいてくる。男の体から漂うドラッグと、体液が混ざった生臭い臭いが鼻を突く。私は内心で激しく舌打ちした。元男だからこそ、この男の考えは手に取るようにわかってしまう。
男の少し黒ずんだ手が、私の肩を強引に引く。
「おうおう、お前さ、いつもそんな男みたいな恰好してるが、よく見りゃ上等なツラしてんじゃねぇか。そんなに機械をイジるのが好きなら、お前の体、俺がイジってやろうか?百倍気持ちいいぜ?」
だが男の言葉は続かなかった。
ガッという、殴られる鈍い音が響く。次の瞬間には、男は工房のシャッターに叩きつけられていた。シャッターの表面を覆う黒い汚れが男の顔を汚す。
「が、あッ、てめぇ、何しやがる!」
男が視線を上げると、私を遮るようにノアが立っていた。
「マスターに対する物理的接触を確認」
ノアの声が不気味なほど明瞭に工房内をこだまする。
「これ以上の接近は、排除の対象となります。早急に去ることを推奨」
ノアの右腕が変形し、バチバチと音を鳴らす高圧スタンガンが滑り出てくる。
工房の中を煌々とした光が照らす。
「――――チックソッ!」
男は顔を真っ青にしながら舌打ちし、慌てて自身のドールを引きずりながら酸性雨の中へと消えていった。
「……ノア、助かったよ。最近はああいう連中が増えたな。迷惑極まりない。はぁ」
私は持っていたスパナを工具台に置き、溜息を吐く。手で掴まれた部分を軽く払っておいた。何かが付いているかもしれないから。
「当然の処置です。マスターの安全とその身体の保護は私の最優先プログラムですから」
ノアは右腕を元に戻すと、何もなかったかのようにドア前という定位置の戻った。
「プログラム、ねぇ……。ま、何でもいい。生きて明日を迎えられるなら御の字だ」
私は一息ついてから再びスパナを手にし、再び作業台のドールへと向き直る。
外の酸性雨は、まだ止みそうにない。いくら死なないといっても、有害物質はたくさんだ。
果たして人間の欲望が蔓延るこのスラムで、私達はまた溜息を吐きながら生きていくのだ。