TS修理屋は巻き込まれたくない 作:ぱぱいや
酸性雨の止んだ朝のスラムは湿った鉄錆やごみの臭い、蒸発する汚水の湯気で満ちていた。
私は二日酔いのような頭痛を感じながら、昨日の問答で一部が凹んだシャッターを無理やり押し上げる。
「おはようございます、マスター。朝食の準備ができています。トーストと珈琲です。汚染値は基準値以下です:
「サンキュ。……ったく。相変わらずここは珈琲とは似合わない景物だな」
珈琲を口に含み、今日も今日とて作業を始めようとした、その時だった。
早朝には珍しいインターホンの鳴る音が、軽やかに響いた。
「はいはい!今行きますよッと」
工具を傍に置き、入口のドアを開ける。
「あら、ごめんあそばせ。ここがドール修理をしてくれる所であってるかしら?」
立っていたのはおよそこんな掃き溜めには似つかわしくない、大きなトランクをひっさげる十代半ばの少女だった。
眩いばかりの金髪をハーフアップにし、仕立ての良い純白のワンピースを着ている。
泥が跳ねていたが、本人はまったく気にしていない様子。目を隠すほどの大きな帽子を取ると、その綺麗な目が私を貫いた。
「私はアリス。アリス=シュヴァラール。貴女の腕を見込んで、ドール修理の依頼をしに来たのよ」
「は?待て待て。シュヴァラールだと?」
私は動揺する。シュヴァラールという名を持つ家はこの街では一つしかない。中心街で軍用武器の開発などを行う巨大財閥の大元。
「ええそうよ」
「……何故こんなところに? 中心街には大量の正規ディーラーがいるだろう。私はスラム街にいるただのちんけな修理屋だ」
スラム街にもたくさんのドールがいるが、中心街はその質も量もはるか上をいく。
「勿論持って行ったわ。だけど初期化する、としかおっしゃらないの。私は『ルル』の中身が変わってしまうなんて絶対に嫌だもの」
少女が傍の地面にそっとトランクを下ろし、パチンとロックを外す。
中に横たわっていたのは果たして、精巧な最高級の少女型愛玩ドールだった。
この街には数多の種類のドールがある。
安物だとスラム街で人気のA-type。
人工子宮があるおかげで妊娠可能なP-R-type。
そしてこの「ルル」のような高級愛玩ドール、P-type。
他にもあるが、有名なのはこの三種だ。
P-typeは豊かな情動シミュレーターを持ち、本物の人間そっくりな肌の質感、外見を持っている。
「……オーバーヒートか?まだ変わった壊れ方だな」
軽く観察する。外傷はない。一見するとルルと呼ばれたドールは綺麗なドレスを着たまま眠ったように見える。
「直せるかしら?」
「まだしっかり見ちゃいないからなんとも言えないが、まぁいけるだろう」
「それは僥倖ですわ。では明後日また来ますので、それまでに直して欲しいですの。勿論、お礼はしっかりと弾ませていただきますわ」
アリスが私に向かって何かを投げる。それは小さなチップ。
「これは……お前の会社の株式か」
連結企業などではない。正真正銘シュヴァラールの会社の株式。それも2パーセント。
現在の株価から考えるだけでも恐ろしいほどの額だ。
「直せるのでしたらお金に糸目をつける気はありませんの」
「豪胆だな」
「いずれ頂点に立つ者には必要なものですわ」
「確かにな……分かった。明後日までにやってやろう」
「ありがとうございます。それではごきげんよう。あ、データは一切消さないでくださいね。私は”ルル”のことが好きなんですもの」
アリスは私を見て、不気味な笑みを浮かべてから去っていった。残ったのは私と、静かに横たわるトランクだった。
「おかえりなさいマスター。依頼ですか?」
工房に戻ると、ノアは食器の片づけをしながらこちらへと振り返った。
「ああ。明後日までに修理してほしいんだそうだ。よっこいしょッ」
重いトランクを下ろし、蓋を開ける。中を覗いたノアは感心したようにほぅと息を吐いた。
「P-typeのドールですね。しかもその中でも最高級です。一般人が入手できる価格帯からは大きく外れていますが、依頼主は貴族令嬢か何かですか?」
「そうだな……まぁ飛び切りの爆弾令嬢って感じだ」
作業用のゴム手袋を付け、トランクから「ルル」をそっと抱え上げる。ゆっくりと作業台に降ろす。私は早速首筋にあるメンテナンスハッチを開け、ノートパソコンと接続する。
手早く診断用のコードを実行し、内部の情報を診断する。
「うーん……やっぱ処理落ちか。負荷に耐えられなかったみたいな感じだな」
通常ドールには過剰な負荷を防止するためのセーフティがかけられている。だがこのドールの構成プログラムを見る限り、そのセーフティプログラムは消えている。つまり消したのだろう。ドール製造は国主導だが改造に関して然したる法律は一切ない。
「ログはどうだ……」
作動した機能のログを追う。するとあることに気が付いた。
感覚を再現するプログラム回路と、情動シミュレーターのログが多かった。つまりそれが示すことは壊れるレベルの「夜の営み」が行われていたということ。
「……マジか」
私は心の中で引いた。やはりあのお嬢様は見かけによらず色々ズレている。
あの少女はドールに、純粋に近い歪な『愛』を注いでいるのだ。
「また人間の闇を覗いた気がするわ」
しかしだ。私はプロであり、今更客の性癖にどうこう言うつもりはない。穴から溢れ出す体液を見てしまうよりはるかに良い。
一息ついて、私はルルの服をそっと脱がし、一糸まとわぬ姿にする。内部を修理するときに服は邪魔なのだ。昔はドールの裸を見るのにも羞恥心を感じたが、今では慣れた。
そうして十時間ほど。私は工具を取り出し、丁寧にルルの基盤を直しパーツを取り換えていった。メモリはコマンドで自己監視・修復させたので一切変化していない。
「ふぅ……取り換えずこんなもんか」
ドライバーを傍に置く。横のタオルで汗を拭きながらルルを見る。修理する前と同じく眠るように横たわっているが、どこか活気を感じた。
「確認しました。修復率は約100%です。流石です、マスター」
「はは……これでもプロだと自負してるからな」
私は貰ったチップのデータを自身の銀行口座に移す。
これでやることは終わり。あのお嬢様がドールに何をしようと後は野となれ山となれ。
だがそれが私の今世を大きく変える出来事に繋がるとは、この時の私は思いもしなかったのだ。