TS修理屋は巻き込まれたくない   作:ぱぱいや

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ニ。

酸性雨の止んだ朝のスラムは湿った鉄錆やごみの臭い、蒸発する汚水の湯気で満ちていた。

私は二日酔いのような頭痛を感じながら、昨日の問答で一部が凹んだシャッターを無理やり押し上げる。

 

「おはようございます、マスター。朝食の準備ができています。トーストと珈琲です。汚染値は基準値以下です:

「サンキュ。……ったく。相変わらずここは珈琲とは似合わない景物だな」

 

珈琲を口に含み、今日も今日とて作業を始めようとした、その時だった。

早朝には珍しいインターホンの鳴る音が、軽やかに響いた。

 

「はいはい!今行きますよッと」

 

工具を傍に置き、入口のドアを開ける。

 

「あら、ごめんあそばせ。ここがドール修理をしてくれる所であってるかしら?」

 

立っていたのはおよそこんな掃き溜めには似つかわしくない、大きなトランクをひっさげる十代半ばの少女だった。

眩いばかりの金髪をハーフアップにし、仕立ての良い純白のワンピースを着ている。

泥が跳ねていたが、本人はまったく気にしていない様子。目を隠すほどの大きな帽子を取ると、その綺麗な目が私を貫いた。

 

「私はアリス。アリス=シュヴァラール。貴女の腕を見込んで、ドール修理の依頼をしに来たのよ」

「は?待て待て。シュヴァラールだと?」

 

私は動揺する。シュヴァラールという名を持つ家はこの街では一つしかない。中心街で軍用武器の開発などを行う巨大財閥の大元。

 

「ええそうよ」

「……何故こんなところに? 中心街には大量の正規ディーラーがいるだろう。私はスラム街にいるただのちんけな修理屋だ」

 

スラム街にもたくさんのドールがいるが、中心街はその質も量もはるか上をいく。

 

「勿論持って行ったわ。だけど初期化する、としかおっしゃらないの。私は『ルル』の中身が変わってしまうなんて絶対に嫌だもの」

 

少女が傍の地面にそっとトランクを下ろし、パチンとロックを外す。

中に横たわっていたのは果たして、精巧な最高級の少女型愛玩ドールだった。

この街には数多の種類のドールがある。

安物だとスラム街で人気のA-type。

人工子宮があるおかげで妊娠可能なP-R-type。

そしてこの「ルル」のような高級愛玩ドール、P-type。

他にもあるが、有名なのはこの三種だ。

 

P-typeは豊かな情動シミュレーターを持ち、本物の人間そっくりな肌の質感、外見を持っている。

 

「……オーバーヒートか?まだ変わった壊れ方だな」

 

軽く観察する。外傷はない。一見するとルルと呼ばれたドールは綺麗なドレスを着たまま眠ったように見える。

 

「直せるかしら?」

「まだしっかり見ちゃいないからなんとも言えないが、まぁいけるだろう」

「それは僥倖ですわ。では明後日また来ますので、それまでに直して欲しいですの。勿論、お礼はしっかりと弾ませていただきますわ」

 

アリスが私に向かって何かを投げる。それは小さなチップ。

 

「これは……お前の会社の株式か」

 

連結企業などではない。正真正銘シュヴァラールの会社の株式。それも2パーセント。

現在の株価から考えるだけでも恐ろしいほどの額だ。

 

「直せるのでしたらお金に糸目をつける気はありませんの」

「豪胆だな」

「いずれ頂点に立つ者には必要なものですわ」

「確かにな……分かった。明後日までにやってやろう」

「ありがとうございます。それではごきげんよう。あ、データは一切消さないでくださいね。私は”ルル”のことが好きなんですもの」

 

アリスは私を見て、不気味な笑みを浮かべてから去っていった。残ったのは私と、静かに横たわるトランクだった。

 

「おかえりなさいマスター。依頼ですか?」

 

工房に戻ると、ノアは食器の片づけをしながらこちらへと振り返った。

 

「ああ。明後日までに修理してほしいんだそうだ。よっこいしょッ」

 

重いトランクを下ろし、蓋を開ける。中を覗いたノアは感心したようにほぅと息を吐いた。

 

「P-typeのドールですね。しかもその中でも最高級です。一般人が入手できる価格帯からは大きく外れていますが、依頼主は貴族令嬢か何かですか?」

「そうだな……まぁ飛び切りの爆弾令嬢って感じだ」

 

作業用のゴム手袋を付け、トランクから「ルル」をそっと抱え上げる。ゆっくりと作業台に降ろす。私は早速首筋にあるメンテナンスハッチを開け、ノートパソコンと接続する。

手早く診断用のコードを実行し、内部の情報を診断する。

 

「うーん……やっぱ処理落ちか。負荷に耐えられなかったみたいな感じだな」

 

通常ドールには過剰な負荷を防止するためのセーフティがかけられている。だがこのドールの構成プログラムを見る限り、そのセーフティプログラムは消えている。つまり消したのだろう。ドール製造は国主導だが改造に関して然したる法律は一切ない。

 

「ログはどうだ……」

 

作動した機能のログを追う。するとあることに気が付いた。

感覚を再現するプログラム回路と、情動シミュレーターのログが多かった。つまりそれが示すことは壊れるレベルの「夜の営み」が行われていたということ。

 

「……マジか」

 

私は心の中で引いた。やはりあのお嬢様は見かけによらず色々ズレている。

あの少女はドールに、純粋に近い歪な『愛』を注いでいるのだ。

 

「また人間の闇を覗いた気がするわ」

 

しかしだ。私はプロであり、今更客の性癖にどうこう言うつもりはない。穴から溢れ出す体液を見てしまうよりはるかに良い。

一息ついて、私はルルの服をそっと脱がし、一糸まとわぬ姿にする。内部を修理するときに服は邪魔なのだ。昔はドールの裸を見るのにも羞恥心を感じたが、今では慣れた。

そうして十時間ほど。私は工具を取り出し、丁寧にルルの基盤を直しパーツを取り換えていった。メモリはコマンドで自己監視・修復させたので一切変化していない。

 

「ふぅ……取り換えずこんなもんか」

 

ドライバーを傍に置く。横のタオルで汗を拭きながらルルを見る。修理する前と同じく眠るように横たわっているが、どこか活気を感じた。

 

「確認しました。修復率は約100%です。流石です、マスター」

「はは……これでもプロだと自負してるからな」

 

私は貰ったチップのデータを自身の銀行口座に移す。

これでやることは終わり。あのお嬢様がドールに何をしようと後は野となれ山となれ。

 

 

 

 

 

だがそれが私の今世を大きく変える出来事に繋がるとは、この時の私は思いもしなかったのだ。

 

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