救われたかったセリカ   作:気弱

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それぞれの役割

薄紫色の美しいグラデーションから、じわじわと黄金色の眩い光が、果てしなく広がる砂の海へと染み込んでいく。夜と朝の厳かな境界線。アビドスの早朝特有の、肌を直接刺すように冷たく爆ぜる冷気の中を、少女たちの足跡が点々と刻まれていった

 

「それにしても、シロコ先輩とアヤネちゃん、一体全体どこで何をしてるのかしら……?」

 

セリカは愛銃の変形ボルトの感触を確かめるように何度もグリップをぎゅっと握り締めながら、未だ夜の気配が残る砂漠の彼方に視線を泳がせた。その口調には、作戦直前になって勝手な行動に走った先輩への不満と、それ以上に隠しきれない強い不安が入り混じっていた

 

セリカの脳裏には、ほんの数十分前、アビドス高等学校の古びた校舎を出発する直前の光景が、苛立たしいほど鮮明に焼き付いている

 

リーダーであるアヤネの指揮のもと、最終作戦会議では「全員が一枚岩となり、圧倒的な火力を以て正面ゲートから一気に強行突破を敢行する」という至極単純かつ、最も生存率の高い手筈になっていたはずだった

 

しかし、いざ武装を調えて出発するその瞬間、シロコが唐突に足を止め、「ん、私とアヤネは後から別ルートで突入する。だから、みんなは先に行ってて」と抑揚のない声で言い残したのだ。シロコは驚きつつも観念したように苦笑いをするアヤネの細い腕を半分強引に引っ張ると、セリカが引き止める間もなく、そそくさと裏校舎の方へと姿を消してしまった

 

「気にしても仕方ない。あのシロコのことだから、何か裏をかくような考え……確実な勝算があるのかもしれない」

 

考え込むあまりに無意識のうちに歩幅が狭くなり、全体の行軍から遅れかけていたセリカの微かな異変に気づき、最前線を行くクロコが声をかけた。その声は、どこまでも冷徹で、けれど他ならぬ「もう一人の自分」が持つ突飛な行動力への、絶対的な信頼が静かに湛えられていた

 

「そうよ? こんな人生のキワキワを攻めるような土壇場の大一番で、あのシロコが何も考えずに、ただの気まぐれや思いつきで別行動をとるような子じゃないってのは、他ならぬ貴方が一番よく知っているでしょう?」

 

すぐ隣を歩くアルが、黒いロングコートの裾を冷たい朝風にパタパタと派手に揺らしながら、クロコの言葉に深く、大袈裟に頷いた

 

いつになく引き締まった真剣な横顔。アウトローのトップとしてのプライドやハッタリ以上に、仲間のために命を懸けるアビドスの生徒たちの強い絆を、彼女なりに深く尊重し、気遣っているのが痛いほど伝わってくる

 

「今、私たちが集中すべきなのは、予定通りこのまま正面から突入することだけ。あっちの余計な心配をして集中を切らしたら、それこそ一番に足元をすくわれるよ。カイザーの残党どもが、どのような汚い迎撃手段を用意しているか分からないんだから」

 

少し後ろの遮蔽物の影を確認しながら、カヨコが冷静に周囲の砂丘に鋭い視線を走らせ、釘を刺した

 

「くふふ〜、黒猫ちゃん、もしかして2人が居なくて寂しいのかなー? 心配で心配で夜も眠れなかったのかなー? よしよし、このムツキお姉さんが、その寂しさを木っ端微塵に吹き飛ばすくらいに、たーっぷり安心させてあげるねー!」

 

「あーもう! 重い! 降りて、乗らないでよっ!!」

 

シリアスになりかけた張り詰めた空気を完全に切り裂くように、ムツキがニヤニヤとした小悪魔的な笑みを浮かべ、セリカの背中へと背後から勢いよく飛び乗った。セリカは顔を真っ赤にして怒鳴り散らし、自身の背中にしがみつくムツキをどうにか振り落とそうと、細い上体をブンブンと激しく揺らす。その弾拍子に、頭の上の黒いネコ耳が彼女の激しい感情と連動してパタパタ、ピコピコと忙しなく動いていた

 

「ふふ、とっても楽しそうですね。セリカちゃん、ムツキちゃん♪」

 

その騒がしい様子を、一歩後ろから巨大なミニガンを軽々と肩に担いだノノミが、微笑ましそうに見つめていた。まるでピクニックにでも行くかのような穏やかな笑顔だが、その指先はいつでも弾幕を形成できるよう、安全装置のレバーにそっと掛けられている

 

「それに、心配なんかこれっぽっちもしてないわよ! あいつらはあいつらで、きっと私たちの度肝を抜くような、とんでもない奇策でも用意してるに決まってるんだから!」

 

セリカは背中のムツキをどうにか宥めて地面に降ろしながら、ふいっと顔を背けて強がってみせた

 

そんな軽口を叩き合い、お互いの胸の奥にある恐怖と緊張を少しずつほぐし合っているうちに、彼女たちの足は確実に砂を蹴り進み、ついに目的地の最深部へと到達していた

 

「ん、そろそろ着くね」

 

先頭を行くクロコが唐突に足を止め、静かに片手を前方へと突き出した。その指先が示す視線の先。まだ黎明の薄暗い巨影を色濃く残す砂丘の深い谷間に、まるで巨大な鋼鉄の怪物が地を這うようにして蹲っているかのような、無機質で悍ましい巨大な建造物が姿を現した

 

旧カイザー基地──。かつてアビドスを、そしてホシノを非道な手段で監禁し、彼女たちの学園を文字通り地獄の底へと叩き落とした因縁と屈辱の象徴が、朝日の光に照らされて冷たく、鈍い光を放ちながらそこにそびえ立っていた。

 

重厚な鉄製の正面メインゲートが、砂漠の砂埃を浴びて赤錆びた姿を曝け出している。だが、その光景をARバイザー越しに凝視した瞬間、最前線で銃を構えていたクロコの身体が、まるで凍りついたかのようにピタリと硬直した

 

「……おかしい」

 

クロコが低く、地を這うような重苦しい声音で呟いた。その瞳が、限界まで鋭く細められ、防壁の上部に設置された無数の銃座を射抜く

 

「どうしたの? クロコ」

 

アルが愛銃を滑らかな動作で引き抜き、いつでも射撃を開始できるよう安全装置を解除しながら、クロコの横へと素早く並んだ。その動きに連動し、カヨコとムツキも瞬時に先ほどまでのふざけた空気を塵一つ残さず消し去り、完璧な戦闘隊形へと移行する。

 

「アルが遺した事前偵察のデータで、この基地の中、特にこの正面ゲート周辺には……『人がいる(アクティブな敵反応)』のは、確実に確認できていたはずなのに。…見張りの兵士が、誰もいない。通常なら接近する動体を自動で捕捉するはずの、防衛システムのレーザーすら、何一つ起動していない」

 

クロコの言葉通り、巨大な要塞の正面は、耳が痛くなるほど不気味に静まり返っていた。本来なら近づく者を容赦なく蜂の巣にするはずの重機関銃座は、すべて力が抜けたように下を向いており、まるで「どうぞ中へお入りください」と、略奪者を歓迎しているかのような無防備な空白が、そこにぽっかりと広がっている

 

夜明けの砂漠に、ただ冷たい風がパサパサと乾いた砂を巻く音だけが、不気味に、どこまでも不穏に響き渡っていた

 

見渡す限りの広大な荒野に設置された、旧カイザー基地の巨大な鋼鉄製正面ゲート。かつてであれば、アビドス対策委員会が接近した瞬間に無数の自動防衛ターレットが不快な高周波の駆動音を立ててこちらを捕捉し、重機甲兵の冷酷な金属の足音が地響きを立てて近づいてくるはずの場所。それが今は、牙を抜かれた巨獣の死骸のように、あるいは砂漠に打ち捨てられた巨大な墓標のように冷たく沈黙している

 

「そうね……こういう無気味な静けさの時って、大抵ろくな事が起きないわ。私の経験上、これは間違いないわね」

 

アルが声を低く潜め、しかし自分自身に「便利屋68の社長」としてのハッタリを効かせるようにして呟いた。愛銃の冷たいレシーバーを、まるで緊張をほぐすかのように愛おしそうに指先で撫でながら、その瞳に鋭い警戒の光を宿す

 

「あはは! アルちゃんたら、前に同じような『あからさまに怪しい無人エリア』に突っ込んでいって、綺麗に周囲を三百六十度完全に囲まれちゃったトラウマがあるからねぇ〜。あの時の慌てっぷりは傑作だったなぁ」

 

ムツキがアルの脇の下からひょっこりと悪戯っぽい顔を覗かせ、人差し指をふっくらとした頬に当てて楽しそうに笑った。彼女が片手で引きずっている、自作の特製爆薬がぎっしりと詰まった重いバッグが、砂混じりの床を擦ってかすかに重苦しい音を立てる

 

「ちょっと、ムツキ! あれは貴方もノリノリだったでしょ!? 『こんなに簡単に高額の依頼が終わるなんてラッキー☆』って、私の静止も聞かずに真っ先に罠へ飛び込んだのは一体どこの誰よ!」

 

「くふふ〜、そんなこと言ったかなぁ? 私、鳥頭だからさ、自分に都合の悪いことはなーんにも記憶にございませーん」

 

「はいはい、2人とも。痴話喧嘩なら後にして。忘れてるかもしれないけれど、私たちは今、完全に敵のテリトリーに足を踏み入れているんだから。索敵に集中させて」

 

恥ずかしさと怒りで顔を真っ赤にして抗議するアルと、それを柳に風と楽しそうに受け流すムツキの間に、カヨコが深い溜息混じりに割って入った。彼女は手元のハンドガンの弾倉を手のひらで鋭く叩き込みながら、一歩一歩、靴底を通じて床の微かな振動を確かめるようにして、慎重に歩みを進めていく

 

「ん〜……やはり、何かしらの罠でしょうか? これだけ大きなゲートが無防備なのは、どう考えても不自然ですよね」

 

ノノミが巨大なミニガンの重厚なグリップを両手でしっかりと保持し、いつでも数千発の弾幕を形成できる体勢を維持したまま、小首を傾げた。その表情にはいつものおっとりとした穏やかさが残っているが、薄く細められた瞳の奥には、大切なアビドスの仲間を今度こそ守り抜くという、冷徹な戦士の覚悟が静かにギラついている

 

「ん、多分そうだと思う。カイザーの残党が、この土壇場で私たちに対して完全に無警戒でいる理由が一つもない。むしろ、私たちがここを通るのを知っていて、あえて誘い込んでいる」

 

クロコが感情を完全に排した冷淡な声音で肯定を返した。彼女の鋭い視線は、ゲートの先に広がる広大な屋内格納庫の構造──天井を走る錆びついた鉄骨の梁、死角を作り出している大型コンテナの不自然な配置、伏兵が潜みそうなキャットウォークの影を瞬時にスキャンし、最悪の迎撃パターンを脳内で高速シミュレートしていく

 

「……でも、どんなに最悪な罠が奥で待ち構えていようと、今の私たちにはここを正面から強行突入するしか方法はないわよね?」

 

セリカがクロコのすぐ後ろにピタリと背後を預けるようにつき、鋭い黒いネコ耳を周囲の微かな機械音や足音に集中させながら尋ねた

 

「そうよ。ここまで足を運んでおいて、今更恐れをなして引き返すなんて選択肢、私たち便利屋68にも、アビドス対策委員会にも最初から存在しないでしょ? 罠だろうと伏兵だろうとなんだろうと、正面からその仕掛けを盛大に踏み抜いて、罠ごと仕掛けた張本人をまとめて粉砕して返り討ちにするまでよ!」

 

アルが黒いロングコートの裾をバサリと激しく翻し、リーダーとしての堂々たる──しかし、どこか内心のバクバクを隠すために無理に格好をつけたような──声を響かせた。その力強い(空回り気味の)言葉に導かれるように、全員の視線が格納庫の薄暗い奥へと一斉に向く

 

「ん、それじゃあ行こう。遅れないで」

 

クロコが短い制止の合図を出しながら、いつでもステップを踏める警戒速度を保ち、巨大な格納庫の内部へと静かに足を踏み入れた。セリカ、ノノミ、そして便利屋の面々が、お互いの死角を完璧に補い合えるよう、背中を合わせるような円陣に近い密な陣形を崩さずに、その不気味な暗がりの後へと続いた

 

そこは、外の砂漠の熱気が遮断され、ひんやりとした死の空気が滞留する広大な倉庫だった。高所に位置する錆びついた天窓のガラスから、夜明けの朝の光が幾筋もの白い光の帯となって斜めに差し込み、空気中に静かに舞う塵や埃を妖しく照らし出している

 

本来なら工場や基地で聞こえるはずの、電子機器のファンが回る音や重機のアイドリング音すら一切聞こえない。かすかに人の気配があるような、いや、世界に自分たちだけが置き去りにされたような──そんな皮膚を粟立たせる、悍ましい空白の感覚がみんなの精神をじわじわと包み込んでいた

 

その時だった

 

「がはははは!!! まんまとアビドスのネズミどもが、我が完璧なる罠に引っかかりおったわ!!!」

 

倉庫全体の壁面に設置された古い高出力スピーカーが、バリバリと音を立てて割れるほどの、ひどく耳障りで、しかしどこか聞き覚えのありすぎる傲慢な笑い声が、広大な空間に大音響で鳴り響いた

 

「っ、全員円陣!! 武器を構えて!」

 

アルが叫ぶのとほぼ同時に、全員が瞬時に背中をぴったりと合わせ、全方位の闇へと銃口を向ける

 

直後、格納庫の巨大な天井を覆っていた天窓のガラスが、凄まじい衝撃と共に派手な音を立てて文字通り木っ端微塵に砕け散った

 

上空から降り注ぐ無数のガラスの雨と、激しい白煙の向こうから、数十トンはあるであろう凄まじい質量感と共に、漆黒の重装甲を纏った巨大な多脚歩行兵器──『ゴリアテMark2』が、床のコンクリートを陥没させるほどの凄まじい地響きを立てて、彼女たちの目の前へとダイレクトにドスンと着地した

 

その激しく上下する操縦席のハッチから、これ見よがしに身を乗り出しているのは、かつてアビドスを再三にわたって金と暴力で苦しめ、そのたびに手痛い反撃を喰らって失脚してきた、カイザーコーポレーションのあの執念深い元理事だった

 

「うわーお、相変わらず無駄に派手なだけで、これっぽっちもセンスを感じさせない悪趣味な登場だねー。脳みそまで鉄クズでできてるのかな?」

 

ムツキが、頭上から容赦なく降ってくるガラスの鋭利な破片を、ダンスでも踊るかのようにステップを踏んで巧みに避けながら、心底楽しそうに、そして煽るような声をあげた

 

「ふん! 貴様らアビドスの小娘どもには、これまで数え切れないほどの煮え湯を飲まされてきたのだ! 今日こそはその伸びきった鼻をへし折り、私のこれまでの屈辱のお礼をたっぷりとにさせて差し上げるわ! 者ども、出会えい!!」

 

元理事が、古い時代劇の悪役のように大裟裟に片手を天へと突き上げて、格納庫の空間全体に響き渡る声で怒号の合図を送る

 

その瞬間

 

倉庫の2階キャットウォーク、錆びついた大型コンテナの裏、果ては天井を走るクレーンの鉄骨の隙間にいたるまで、あらゆる物陰からカイザーの一般兵士たちや自動防衛ドローンが、文字通り「どこからともなく」一斉にその姿を現した

 

「……やっぱり、完璧な包囲網の罠だったね。遮蔽物が極端に少ない中央位置を選んで、私たちが完全に足を止めた瞬間を狙って一斉に展開してきた」

 

クロコが状況を冷徹に分析し、感情の起伏がない声で呟いた。彼女の瞳が、周囲を取り囲む無数の銃口を鋭く見据える

 

敵の数は優に百を超えている。しかし、そんな一触即発の緊迫した空気のなか、アルが少しだけ怪訝そうに目を細めて、隣に立つカヨコの袖をツンツンと小刻みに引いた

 

「ね、ねぇ……カヨコ。ちょっと前方の、あのコンテナの横にいる兵士たちを見て頂戴。あの子たち……明らかに、そこら辺に転がっていた、すっごく不自然な『ダンボール箱』の中から、バサバサって飛び出して現れなかった……?」

 

カヨコはアルが指し示した方向──ミリタリー調の迷彩でもなんでもない、ただの茶色い梱包用ダンボールが不自然に割れている光景──をじっと見つめ、それから信じられないものを見るかのように、深く、深い深いため息を吐いた

 

「……何それ。流行ってるの? カイザーの隠密行動って、上から下まで全部ダンボールがベースなわけ……? ギリースーツとか、もっと他にまともな隠蔽装備は用意できなかったの?」

 

「うるさい、うるさい、うるさーーーい!!! 貴様ら学生風情が、現場の予算繰りの血の滲むような苦労を知らんのか!? 私のなけなしの個人財産は、この最新鋭武器とゴリアテMark2のカスタマイズ費用にすべて注ぎ込んだのだ! 兵士どもの衣服や、高度な光学迷彩装置など追加で買ってられるか! カモフラージュは低コストかつ現場の工夫で補うのが我が軍の鉄則だ!」

 

完全に図星を突かれた元理事が、ゴリアテの狭い操縦席の中で顔を真っ赤にし、地団駄を踏みながらスピーカーが割れんばかりの声で怒鳴り散らす

 

「……ねぇ? アル達の話だと、あの元理事にも、もう一人の私からドス黒い色彩の憎しみと力が分け与えられた……ってことになってたわよね? なんだか、恨みを抱えてるっていう割には、いつも通りの頭の悪いタヌキ親父に見えるんだけど」

 

セリカが愛銃を元理事の眉間に向けたまま、呆れたように、しかし少しだけ拍子抜けしたように呟いた。あっちの世界の自分が植え付けたという呪いの深さに内心怯えていた彼女にとって、目の前のあまりにも温度差が激しすぎたのだ

 

「くふふ〜、あの元理事だもん。どれだけ色彩のドス黒い憎しみを無理矢理分け与えられたとしても、本人の根本的な器がギャグキャラだから、シリアスな世界観に染まりきれないんじゃない?」

 

ムツキがけらけらと笑う

 

「そうですね♪ 前も確か、逃げようと乗り込んだヘリコプターの爆発で、綺麗な放物線を描いて遥か彼方の夜空まで吹き飛ばされていましたし。あの生命力だけは、ある種の恐怖を感じます」

 

ノノミが上品にクスリと笑いながら、ミニガンの銃身を元理事のゴリアテへと向け、容赦のないトドメの一言を刺した

 

「き、貴様らァァ!! この完全に包囲された絶体絶命の状況で、よくもそこまでヘラヘラと笑っていられるな!? 大人の威厳を舐めるなよ!!」

 

怒髪天を突いた元理気が、ゴリアテの右腕に換装された巨大なレーザーキャノンをガシャリと駆動させ、クロコたちに向けて照準を合わせた。それに連動するように、周囲を囲む百人以上のダンボール兵士たちも一斉に銃身を構え、倉庫内にはカチカチという無数の引き金に指がかかる不吉な音が響き渡る

 

「あんたじゃ、私たちの敵としてもう完全に役不足なのよ! 悔しかったら、もうちょっと悪役らしいカリスマでも身につけてから出直してきなさい、このタヌキ親父!!」

 

セリカが手慣れた動作でボルトを引き、引き金を絞る準備を整える

 

「だ、誰がタヌキ親父だ!! ええい、もういい! 全員一斉に、射撃を──」

 

一斉射撃

 

その最悪の号令が、元理事の口から完全に放たれようとした、まさにその刹那だった

 

──バチチチチ!!! と、全員の耳につけた通信イヤホンが、鼓膜を突き破らんばかりの激しいホワイトノイズを撒き散らした

 

『──皆さん!! 今すぐその場から離れて、壁際に伏せて、衝撃に備えてください!!!』

 

「!?」

 

アヤネの、いつになく必死で、しかしどこか吹っ切れたような大音量の叫び声が背後から響いてきた

 

全員が驚愕して格納庫の入り口へと振り返った瞬間、地響きのような爆音と共に、倉庫の薄暗い大扉を物理的にブチ破って、猛烈なスピードでバックファイアを上げる大型の4輪戦闘バギーが突入してきた

 

アヤネが血相を変えてハンドルを握り締め、その激しく上下に揺れるバギーの屋根の上には、風を切り裂きながら、いつもの冷静な表情で重心を保ち、直立するシロコの姿があった

 

「なっ……何ィ!? どこから入ってきたァ!?」

 

「ん。元理事、あなたの配置パターンは、前回の戦闘データのシミュレーションと全く同じ。予想通りすぎるね」

 

驚愕のあまり目を剥く元理事の視界の先で、シロコが静かに呟いた

 

バギーは一切減速することなく、ゴリアテMark2の巨大な脚部に向けて文字通り肉弾戦の体当たりを噛ました。金属と金属が激突する凄まじい衝撃音と火花が散り、数トンはあるはずのゴリアテの巨体がグラリと不自然に大きく体勢を崩す

 

「ぐぁぁ!?」

 

「そこ、道をあけて」

 

シロコが屋根の上から軽やかに飛び降りながら、手にしたアサルトライフルを前方の兵士たちの集団に向けて乱射し、一瞬にして完璧だったはずの包囲網の正面に、巨大な空白の突破口を作り出した。バギーのタイヤが白煙を上げてリノリウムの床を削る

 

「みんな! 私に続いて、走って!!」

 

シロコが前方の煙の向こうから鋭く叫んだ

 

その声を合図に、クロコ、セリカ、ノノミ、そして便利屋68の面々は、一瞬の躊躇もなく地を蹴った。バギーの強行突入によって強引に抉り開けられた、光と硝煙の混ざり合う「突破口」に向かって、一斉に弾かれたように走り出す

 

背後では、衝撃でひっくり返りそうになったゴリアテMark2の機体内で、元理事が操縦桿をデタラメにガチャガチャと動かしながら、「おのれェェ! 止まれ、止まらんかァ! 突撃しろ、撃て、撃ちまくれェ!」と情けない怒号を響かせていた。しかし、上下の感覚すら失ったカイザー兵たちの銃撃は、あらぬ天井や壁を穿つばかりで、誰一人として少女たちの快速に追いつくことはできない

 

旧カイザー基地の格納庫の奥へと続く長い直線通路。その両脇を固める強固な防壁を、4輪戦闘バギーの耳をうんざりさせるほどの猛烈なバックファイアの爆音と、引き裂かれるようなタイヤの摩擦音が追いかける

 

行く手を阻まんと左右の物陰から次々と飛び出してくるカイザーの伏兵たち。だが、彼らが照準を合わせるよりも早く、バギーの屋根の上で重心を完璧に保ち、直立するシロコが動いた。彼女の愛銃から放たれる正確無比な制圧射撃の弾幕が、迫る重装甲兵や防衛ドローンを文字通りなぎ倒し、立ち塞がる障害物を粉砕して火花と硝煙の道を切り開き続けていた

 

「ちょっとこれ、ここから先は一体どこに向かえばいいのよ!?」

 

セリカが激しい風圧に顔をしかめ、乱れる髪を片手で押さえながら、並走するクロコに向かって声を張り上げた。喉の奥が砂塵でチリチリと痛む。前方を見据えれば、格納庫の先はいくつもの暗いセクターに複雑に枝分かれしており、初見の者を惑わせる迷路のような構造に設計されていた

 

「ん、多分、あっち……。あの、最奥にある灰色の管理棟から、悍ましい『色彩』の力が逆流してくるのを肌で感じる」

 

クロコは走る速度を一切落とさないまま、透き通るような水色の瞳を左奥の巨大な独立区画へと向け、鋭く指を差した。その先にある建物は、周囲の鉄錆びた格納庫とは一線を画す不気味な静寂に包まれており、肉眼でも微かに視認できるほどに禍々しい、紫黒色の不気味なオーラが陽炎のようにゆらゆらと立ち上っている

 

「クロコちゃん、ナビゲートよろしくー! 眼鏡っ娘ちゃーん! 聞こえたー? そのままあの無気味な棟に向かって、速度落とさずに突っ走ってーー!」

 

ムツキが軽快な足取りで床に転がる弾薬箱を障害物競争のように飛び越えながら、前方のバギーに向けて両手をメガホンの形にして叫んだ。そのバッグから覗く手榴弾の信管が、振動でカチカチと楽しげな音を立てる

 

「──分かりましたー! 全員、置いていかれないようにしっかり着いてきてください!!」

 

運転席のアヤネが眼鏡のブリッジを押し上げ、血相を変えて思い切りハンドルを切る。バギーの肉厚なオフロードタイヤが不快な摩擦音を立ててリノリウムの床を滑り、車体が大きく横滑りした。彼女の獰猛とも言える確実なハンドルさばきのおかげで、進行方向に肉壁を作ろうとしたカイザーの重装甲兵や無人ガードロボの群れは、ことごとく重量のあるフロントバンパーによって紙屑のように派手に弾き飛ばされた

 

激しい砂塵と引き裂かれた鉄屑の硝煙を突き抜け、一行はついに、目的である管理棟の堅牢な正面入口へと滑り込むようにしてたどり着いた

 

アヤネがサイドブレーキを限界まで激しく引くと、バギーは後輪を大きくスピンさせながら横向きに停止し、強烈な砂煙を巻き上げる。それを合図に、全力疾走してきた少女たちは一斉にエントランス付近の物陰へと滑り込んだ

 

「はぁ……はぁ……、っく……、げほっ……!」

 

夜明けの冷え切った砂漠の空気を一気に肺の最奥まで吸い込んだため、喉の奥が焼けるように熱い。短時間での、文字通り命懸けの超全力疾走だった

 

元々桁外れな身体能力とスタミナを持つクロコとシロコ、そしてバギーの運転席に座っていたアヤネを除いて、セリカ、ノノミ、そして便利屋の3人はコンクリートの壁に背を預けながら、激しく肩を上下させて荒い息を繰り返していた

 

「し、シロコ……アヤネ……。ふーっ、やるじゃない……! 実にハードボイルドな、完璧な強襲劇だったわ……!」

 

アルは乱れたアホ毛と髪を大急ぎでかき上げ、必死に荒い息を整えてポーカーフェイスを作ると、2人に向かって親指をグッと立ててみせた。長距離ダッシュのせいで膝がガクガクと微かに笑っているのを、全力のプライドを懸けてロングコートの裾で必死に隠している

 

「あはは……。お褒めいただくのは光栄ですが、この無茶苦茶な強行突破のアイディアを出したのはシロコ先輩なので、私は言われた通りに狂ったようにアクセルを踏んだだけで……」

 

アヤネが運転席から転がるようにして降り立ち、額ににじんだ冷や汗を制服の袖で拭いながら苦笑いを浮かべた。その眼鏡の奥の瞳には、まだアドレナリンが引ききっていない興奮の光が鈍く残っている

 

「ん。あの元理事の浅薄な頭脳なら、絶対に中央ゲート付近で囲んでくると思った。それに、予算のほとんどをゴリアテのカスタマイズに回す性質なのも計算通り。一番手薄になる突入の初動の瞬間を狙うのが、戦術的に最も効率的」

 

シロコが事も無げに淡々と言い放ち、慣れた手つきで愛銃の空になった弾倉を排出し、新しいマガジンをガシャリと装着した

 

「だったら、せめて作戦開始前に私達にくらいは、その計画を一言知らせなさいよね! 本気で心臓が口から飛び出るかと思ったじゃない!」

 

セリカがようやく呼吸を回復させ、両頬をリスのようにぷっくりと膨らませて2人に向かって怒鳴るように抗議した

 

事前の連絡なしに危険に飛び込ませた先輩への怒りと、同時にこうして無事に合流できたことへの言葉にできない安堵が、頭の上の黒いネコ耳の激しいピコピコとした動きに丸分かりなほど表れている

 

「敵を騙すなら、まずは味方から。……それに、あの場であの執念深いタヌキ親父を完全に油断させるには、みんなの『本気の困惑と焦りの表情』が必要不可欠だった。……ん、それに、もうあいつに文句を言っている余裕はなさそう」

 

シロコが表情を消し、静かに格納庫の今来た入り口の方へと銃身を指し示した

 

ズシン、ズシン、という地響きを伴うゴリアテの巨大な金属の足音が通路の奥から響き渡る。進路上にあるコンテナや鉄製の防壁を力任せに粉砕しながら進んでいるのだろう、格納庫の天井に届かんばかりの猛烈な砂煙が、猛スピードでこちらに向かって接近してきているのが見える

 

プライドを木っ端微塵にされた元理事が、怒り狂って本隊の残党を引き連れて追撃してきているのだ

 

「ここは、私たちアビドス対策委員会が死守する。完璧な防衛ラインを構築して、この先には爪先一歩たりとも進ませない。……だからアル達は、作戦通りこのまま管理棟の中へ進んで」

 

シロコが冷徹に告げ、通路の角の遮蔽物にどっしりと腰を据えた。その瞳には、かつてアビドスを脅かしたカイザーへの、一切の容赦を捨て去った冷たい光が宿っている

 

「うふふ、任せてください♪ この子の最高の火力を前に、あの元理事がどこまで涙目を流さずに耐えられるか、じっくりと試してあげますから」

 

ノノミがいつもと変わらないおっとりとした聖母のような笑みを浮かべながら、その実、手にした『ミニ・バルカン』の6本の銃身をギチギチと高回転で予備駆動させ、格納庫全体に凶悪な風切り音を響かせた

 

「私も、後方からの正確な戦術支援とドローンによる防衛隔壁の電子ロック、できる限りのサポートはすべてやります! ここは絶対に突破させません!」

 

アヤネもまた、携帯端末のホログラムキーボードを凄まじい速度で叩きながら複数の戦闘ドローンを展開し、その表情を冷徹な戦術オペレーターのものへと完全に切り替える

 

「任せたわよ、あんた達! ──絶対に、ハルカと……もう1人の私(セリカテラー)を救い出しなさいよ!」

 

セリカがアルに向かって、言葉以上の重みを持つ友情と深い信頼の籠もった拳を突き出した

 

「ええ……任されたわ! この便利屋68の意地と、キヴぉトスを震撼させる大悪党としての真骨頂、特等席でじっくりと拝ませてあげるわ!」

 

アルが不敵な、しかし最高に輝かしいカリスマに満ちた笑みを浮かべて、セリカの拳に自分の拳をカチンと力強く合わせた。その直後、アル、ムツキ、カヨコの3人は流れるような無駄のない動作で管理棟の重厚な防爆扉を押し開き、薄暗い内部へと滑り込んでいく

 

「ん……必ず、セリカを連れ戻す。待っていて」

 

クロコが最後にセリカと一瞬だけ視線を交わし、その透き通るような水色の瞳の奥に静かな青い決意の炎を灯しながら、3人の影を追うように棟の暗がりへと消えていった

 

残されたアビドスの少女たち──シロコ、ノノミ、セリカ、アヤネの4人が、迫りくる巨大な砂煙と、その向こうに蠢く無数の敵影を真っ正面から見据える

 

「それでは、皆さん! ──私たちアビドス対策委員会の、本当の仕事を始めましょう!」

 

アヤネの凛とした号令が、夜明けの冷たい空気をパリリと震わせた

 

「ん」

 

「はい!」

 

「ええ、いくわよ……!」

 

4人の息の合った力強い返事と共に、アビドスを、そして大切な仲間を守るための絶対防衛戦の火蓋が、盛大に切って落とされた

 

ーーーーーー

 

管理棟の重厚な防爆扉を潜り抜けてからは、ひたすら上層へと続くコンクリート剥き出しの非常階段を駆け上がることになった

 

薄暗い通路の随所に設置された非常灯が、不気味な赤色で4人の横顔を代わる代わる照らし出す。昇るにつれて、外の戦火の爆音──ノノミのミニガンが文字通り空気を引き裂く轟音や、アヤネの指揮するドローンの爆発音──が足元から微かに響き、徐々に遠ざかっていく。それと反比例するように、周囲の空気はどこか肌に粘りつくような、重苦しい「色彩」の残滓を孕んでいった

 

どれほど階段を上り、どれほどの区画を駆け抜けたのだろうか。すでに時間の感覚すら曖昧になり、激しい行軍のせいで肺を灼くような熱気と、逆に息が白くなるほどの冷気が、交互に肌を刺していた。最上階の通路の突き当たり、暗がりの奥に、周囲の無機質なコンクリート壁とは明らかに異質な、どす黒い赤錆びを纏った巨大な鉄製の大扉が4人の行く手を阻むようにして立ち塞がった

 

鉄扉の極僅かな隙間からは、凍てつくような冷気と同時に、神経を執拗に逆撫でするような高周波の微かな耳鳴りが漏れ聞こえてきている

 

「……開けるよ。何が飛び出してくるか分からない。警戒を怠らないで」

 

クロコが短く先制の合図を告げ、愛銃の銃口を部屋の奥へと向けたまま、軋む不快な金属音を立てる鉄扉を慎重に、しかし力強く押し開いた。それを合図に、アル、ムツキ、カヨコの3人も流れるような動作で滑り込むようにして部屋の中へと突入し、それぞれが瞬時に互いの死角を補い合うように銃口を四方へと配備する

 

バササ、と防弾仕様の衣服が擦れる音だけが静かに響き、4人は即座にその場の空間を視認した

 

そこは、天井が異様なほど高く設計された、ドーム状の中央広場のような巨大な円形セクターだった。かつてカイザーコーポレーションが何らかの重要物資を極秘裏に保管、あるいはキヴォトスの法に触れるような怪しげな実験を行っていた場所なのだろう。広大な空間のところどころに、錆びついたフォークリフトや資材用の重たい木箱、スチール製のラックが不規則に放置されているだけで、不気味なほどにしんと静まり返っている

 

目を凝らして空間の最奥を見つめると、今入ってきたものと同じような、さらに強固にロックされているであろう巨大な鋼鉄の隔壁の扉が、冷たく鎮座しているのが見えた。おそらく、あの扉の向こうにハルカが、そして──セリカテラーが待っているはずだ

 

「……誰も、いないみたいだね。待ち伏せの気配も、今のところはバイザーのパッシブ索敵には感知できない」

 

クロコが銃口を下げず、ARバイザーの索敵アラートが沈黙していることを確認しながら、低く呟いた。水色の瞳が、無機質なコンクリートの床に不自然に散らばる硝石の粉を鋭く観察する

 

しかし、その隣に立つアルは、いつものどこか頼りない抜けたような表情を完全に消し去り、ひどく神妙な、まるで苦虫を噛み潰したような険しい顔つきで周囲の空間をじっと見渡していた。彼女の切れ長の瞳が、不自然な位置に配置された資材の影を執拗に追いかける

 

「どうしたの、アル? 急に立ち止まって。時間が惜しい」

 

クロコが、アルの異様な様子に気づいて首を傾げ、不審そうに問いかけた

 

「……なんだか、もの凄く嫌な予感がするのよ。というよりは……そうね、私たちがこれまでの活動の中で、それこそ嫌というほど『嗅ぎなれた匂い』が、この空間の至る所からプンプンと漂ってきているのよね」

 

アルが人差し指で自身の綺麗な鼻先を軽く弄りながら、確信に満ちた声音で言った。その声には、未知の罠に対する恐怖ではなく、身内に対する呆れと、それを正確に見抜いてしまう自分自身への深い理解が混ざり合っている

 

「うん。アルの言う通り、これは完全に『仕掛けてる』ね。この独特な火薬の配合バランスと、起爆導線の隠し方の癖……間違いない」

 

カヨコがハンドガンを低く構えたまま一歩前に進み、鼻を僅かに動かして空気の匂いを嗅ぎ、アルの言葉に深く同調した。その表情は、まるで長年連れ添った悪友の悪戯の痕跡を、旅先で偶然見つけたかのように冷ややかだった

 

「くふふ〜、あの子のトラップを仕掛ける時の悪い癖なら、私たちはそれこそ死ぬほど知り尽くしているからね。ほら、あそこのスチールラックの影とか、絶対に一番分かりやすい起爆スイッチが隠されてるもん」

 

ムツキがバッグから手榴弾を軽く弄びながら、ニヤニヤとした小悪魔的な笑みを浮かべた。便利屋68としての長い付き合いが、言葉を交わさずとも、この空間に仕掛けられた「悪意」の主を明確に指し示していた。囚われているはずのハルカが、何らかの理由で、あるいは色彩の強制力によって、ここに最悪の防衛線を構築させられている──その可能性が、彼女たちの脳裏を過る

 

しかし、その「便利屋の阿吽の呼吸」をリアルタイムで共有していないクロコは、3人の緊迫した会話に微かに首を傾げながら、進路を確保するために目の前に立ち塞がっていた古びた木箱へと歩み寄った。それを脇へ退かそうと、細い指先を木箱の縁にかけた、まさにその瞬間だった

 

「クロコ!! ──そこから今すぐ、後ろへ飛びのきなさい!!!」

 

アルが、喉が裂けんばかりの大声で叫んだ

 

「!?」

 

唐突な絶叫にクロコが思考よりも先に身体を強張らせた瞬間、アルが恐るべき執念と瞬発力で突進し、クロコの華奢な身体をその両腕で強く抱き寄せた。そのまま、自身の黒いロングコートを大きく翻しながら、2人分の体重を乗せて後ろのコンクリート床へと激しく転がるようにして飛び退く

 

直後、

 

──轟音。

 

鼓膜を容赦なく破壊するような凄まじい爆音と共に、クロコが触れようとしていた木箱が内側から激しく爆発した

 

凄まじい爆風と、赤黒い炎の渦がドーム状の広場を一瞬にして包み込む。木箱の破片や鋭利な木屑が、散弾銃の弾丸さながらの凶悪な速度で四方へと激しく飛び散り、キーンという不快な耳鳴りが空間を満たした。アルが咄嗟にクロコを庇うようにして覆い被さったため、飛び散った破片のいくつかがアルの黒いロングコートの生地を激しく引き裂き、白煙が視界を遮っていく

 

爆発の余韻が冷めやらぬ灰色の煙の向こうから、床をガタガタと激しくきしませる、狂気じみた重い足音がこちらに向かってゆっくりと近づいてくるのが聞こえた

 

立ち込める硝煙の向こう、不気味に赤く明滅する非常灯の光に照らされて、一人の少女のシルエットが歪に浮かび上がる。その手には、見慣れた、しかしどこか禍々しい色を帯びたショットガンが、床を引きずるようにして握られていた

 

「ふ、ふふふ……失敗しました……。完璧なタイミングで、塵一つ残さず肉片に変えて差し上げようと思ったのに……死に損なうなんて、どこまで浅ましく、往生際の悪いゴミクズどもです……!」

 

うつむき加減に、呪詛のような言葉を吐き出しながら煙の中から現れたのは、便利屋68のメンバーであり、数日前にセリカテラーによって連れ去られたはずの伊草ハルカだった

 

その制服の随所には、旧カイザー基地の冷たい床で引きずられたような汚れが残り、額からは血がにじんでいる。だが、何よりも異様だったのは、その瞳だった。いつもなら自信なげに揺れ動いているはずの紫色の瞳が、今は底知れぬ漆黒の「色彩」の光に侵食され、まるで何かに取り憑かれたように虚空を凝視している。ハルカは愛銃を狂おしいほど強く、まるで我が子を抱き抱えるようにして胸元に持ち直すと、血走った眼差しでアルたちをじっと見つめた

 

「ハルカ! 無事だったのね! ──って、あんまり手放しで再会を喜べる雰囲気でもなさそうね、これは」

 

アルは身を挺して庇ったクロコの手を離し、コートについた灰を乱暴に払いながら立ち上がった。その声は再会を喜ぶ安堵と、変わり果てたハルカの姿に対する強烈な危機感で複雑に震えている

 

「……油断した。あそこに罠があるなんて。助けてくれてありがとう、アル」

 

クロコもまた、自身の俊敏な感覚を上回る狡猾な罠を仕掛けたハルカの変貌ぶりに戦慄しながら、静かに立ち上がり銃を構え直した。アルの横に、カヨコとムツキが流れるような動作で並び、便利屋68の「いつもの陣形」が自然と構築される。だが、その対峙する相手が身内であるという事実が、空間の空気を重く、冷たく、苦しくさせていた

 

「一応、形式的にでも聞いておこうかな。ハルカ、どうして私たちに、そんな本気の殺意が籠もったトラップなんて仕掛けたの?」

 

カヨコがハンドガンの銃口をハルカの足元へと向けたまま、声音から一切の感情を削ぎ落として問いかけた。ハルカの指が、いつでも引き金を引ける位置で不自然にピクリと動く

 

「ふ、ふふふ……貴方達がどこの誰かなんて、私には関係ありません……知りもしません……。私は、ようやく見つけたんです……。あのお方は、こんな価値のない、生きているだけで迷惑なゴミクズのような私を認めてくださった……。私は今、あの方──アル様の、世界でたった一人の忠実な『下僕』になれたんです……! だから、あのお方の静寂を邪魔する不届き者は、誰一人として、この先には通しません……!!」

 

ハルカは狂ったように笑い声をあげ、そのまま喉を掻きむしるようにして叫んだ。その言葉がドーム状の空間に響き渡った瞬間、便利屋の3人の間に凍りつくような沈黙が流れた

 

「……なんですって?」

 

その歪んだ告白に、アルはこれまでにないほど深く、不快そうに眉をひそめた

 

目の前に本物の自分が、自分を誰よりも大切に想って探していた仲間がいるというのに、その認識すら色彩の呪縛によって完全に狂わされている。さらに、その奥の隔壁の向こうにいるであろう「セリカテラー」を、あろうことか『アル様』と誤認し、あまつさえ忠誠を誓わされているという最悪の事実

 

自分の名前が、ハルカを操るための卑劣な道具として消費されていることへの烈火のごとき怒りが、アルの胸の奥でパチパチと音を立てて燃え広がっていく。だが、今はそんな自身のプライドなど、どうでもよかった。目の前でボロボロになりながら狂気に踊らされている社員を、一刻も早く救い出さなければならない

 

「……一応聞くけど、あれは正気? それとも、誰かに精神を完全に操られている状態?」

 

クロコが瞳を細め、ハルカのヘイローの激しい明滅の様子を観察しながら、冷静に尋ねた

 

「……そうね? 言動の支離滅裂さや、極端な思考の暴走具合、仕掛けてくるトラップの凶悪な精度自体は、いつものハルカとそこまで大きく変わってないわ。むしろ、素のスペックがそのまま悪用されている感じね」

 

そこまで言って、アルは言葉を一度区切り、愛銃をカチリと鳴らした

 

「傷つきやすい心を漬け込まれて、自分のことを私の『下僕』なんて呼ぶように仕向けられているあたり、セリカテラーに精神を書き換えられるような、何かしらの悍ましい処置をされたのは紛れもない事実よ。あの子は、誰かの命令で動くような駒じゃない。便利屋68の、立派な社員なんだから」

 

「くふふ、アルちゃん本気で怒ってるなー。まぁ? 私も、自分たちの可愛い後輩がこんな風に変な呪いに弄ばれてるのを見せつけられて……ちょーーっとだけど、怒りを抑えきれないかな?」

 

ムツキのトレードマークである悪戯っぽい笑みが完全に消え去り、その瞳には冷酷な戦闘員の光が宿っていた。彼女の指先が、バッグの中の起爆スイッチへと滑り込む

 

「うん。これは流石に、ビジネスとしてもプライベートとしても、絶対に許せないよね。きっちり落とし前をつけさせないと」

 

カヨコもまた、前髪の隙間からハルカを真っ直ぐに見据え、静かに戦闘の覚悟を決めた

 

「……いい? クロコ。ハルカのトラップの癖と射撃の間合いは、私たち便利屋が世界で一番理解しているわ。私たちが前線に出て、あの子の攻撃を完全にいなしつつ、最大の隙を作る。──私が合図をしたら、あんたは一切後ろを振り返らず、一直線にあの子の後ろにあるあの巨大な扉へ走りなさい」

 

アルの横顔には、アビドスの後輩たちが見せたあの直向きな情熱にも決して引けを取らない、便利屋68の「社長」としての揺るぎない覚悟と圧倒的な威厳が満ち溢れていた

 

普段のどこか抜けたような、ハプニングに右往左往する雰囲気は完全に消え去り、冷徹なまでのプロフェッショナルとしての重厚な空気が彼女の全身を包み込んでいる

 

「……分かった、任せた」

 

クロコはその様子を僅かに水色の瞳に映し出し、無駄のない洗練された動きで一歩後ろへ下がった。愛銃の重みを両手で感じながら、細い脚部の筋肉を限界まで緊張させる。合図があれば、コンクリートの床を爆発的な踏み込みで蹴り破り、いつでも光速の領域へと走り出せるように、その身体の全神経を研ぎ澄ませた

 

「それじゃあ……行くわよ!!」

 

「ハルカちゃん、ちょっとだけ痛いけど我慢してねー!」

 

アルの鋭い号令が円形セクターの天井に反響した瞬間、ムツキは不敵な笑みを弾けさせ、両手で抱えていた重たいバッグをハルカの足元を目がけて思いっきり投げ飛ばした

 

「!?」

 

不意を突かれたハルカは、色彩のドス黒い光が宿る瞳を驚きに大きく見開いた。しかし、染み付いた戦闘本能が勝り、すぐさま身を翻して回避の体勢を取る。ムツキの投げたバッグは放物線を描いて彼女の直前へと激しく落下した──が、激しい金属音を立てて床を転がるだけで、すぐには爆発しなかった

 

「視線が、上へ泳ぎすぎだよ」

 

「っ、え……!?」

 

ハルカが「不発弾」へと一瞬だけ意識を集中させ、完全に硬直したその刹那、背後から地を走るようなカヨコの鋭い声音が鼓膜を刺した。投げられたバッグの軌道に気を取られすぎたせいで、視界の死角である床スレスレから低空で肉薄してきていたカヨコの接近に、ハルカはまったく気がつくことができなかったのだ

 

その完璧な隙を突いて、カヨコは一切の容赦なく、自身の軸足を完璧に固定したまま、ハルカの脇腹に向けて強烈な回し蹴りを浴びせた

 

ズドン!!! と、肉体と肉体が激突したとは思えないほどの、重金属同士がぶつかり合うような重苦しい鈍音が、広大な倉庫に響き渡る

 

しかし、驚くべきことに、ハルカの身体はその凄まじい衝撃を真っ正面から受け止めながらも、微動だにせずその場に文字通り釘付けになっていた。一歩も後ろへ下がることすらなく、床を掴む両足はコンクリートを僅かに陥没させている。カヨコはあらかじめその「規格外の頑丈さ」を完全に理解した上で、ハルカの体勢を一瞬だけ拘束するためにこの打撃を選択していた

 

ハルカの身体を覆う不吉な色彩のオーラが、肉体のダメージを強制的に相殺するように激しく火花を散らす。ハルカは昏い瞳を凶悪に歪ませ、至近距離にいるカヨコに向けてショットガンの銃身をなぎ払うようにして反撃に移ろうとした

 

──だが、その瞬間を、便利屋の「社長」が見逃すはずがなかった

 

落雷が如き一撃

 

アルの銃口から狂暴な閃光が爆ぜた。スコープすら覗かない超至近距離からの狙撃。弾丸はハルカの胸を正面から捉え、その頑強な肉体を容赦なく撃ち抜いた

 

「がはっ!?」

 

骨が軋む悲鳴。色彩のオーラが火花を散らして防壁を張るが、弾丸の圧倒的な推進力がそれを強引に圧殺する。ハルカの身体は激しい風切り音を立てて弾き飛ばされ、背後にあった資材の山へと猛スピードで突っ込んでいった

 

ハルカの身体は激しい風切り音を立てて宙を舞い、背後に設置されていたいくつかの頑丈な木箱の山へと、派手な音を立てて激しく突っ込んで生き埋めになった

 

「えっ……あんなに思いっきり、やっていいの……?」

 

その凄まじい光景を間近で目撃したクロコは、一瞬だけ驚愕に瞳を合わせて硬直した。世界を滅ぼすほどの過酷な運命を単身で生き延びてきた彼女でさえ、便利屋68の容赦のなさ──身内に対する「手加減のなさ」には言葉を失っていた。洗脳され、苦しみ、助け出さなければならない大切な仲間であり、社員であるはずの少女に対して、アルたちの攻撃には一欠片の憐れみも含まれていなかったからだ

 

「ええ、いいのよ。ハルカはあの程度じゃ絶対に倒せないわ。むしろ中途半端な手加減をしたら、あの子の苛烈なトラップの餌食になるだけ。──何より、この便利屋の中で一番のタフさと規格外の防御力を持ってるのは、他ならぬハルカなんだから!」

 

アルが誇らしげに、しかしひどく引き締まった声で言い放つ

 

その言葉の通り、粉砕された木箱の山から、パキパキとコンクリートや木片を周囲に激しく弾き飛ばしながら、不気味な質量感と共にハルカが再びムクリと起き上がってきた。その制服はボロボロに裂け、色彩の禍々しいオーラが肉体の損傷を無理やり繋ぎ止めるように激しく明滅している

 

「私の……あのお方の邪魔を……邪魔をするなぁァァ!!! ゴミクズどもがァァァ!!!」

 

ハルカが獣のような咆哮を上げ、散弾銃の銃口を殴りつけるように構え直すと、地面を陥没させるほどの勢いで突進を開始した

 

「この直後……何があっても、前だけを見て走りなさい」

 

アルは微動だにせず、迫る風圧に髪を煽られながら、愛銃の照準をハルカの眉間へと固定した。

 

「今だよ! アルちゃん、撃ち抜いて!」

 

上方のキャットウォークへといつの間にか移動していたムツキの、弾んだ声が空間に響く。ハルカの頭上、ちょうど彼女が突進してくる予測線上の空間に向けて、ムツキの手から小さな金属製の缶──特殊な高濃度煙幕弾が放り投げられた。

 

アルはスコープすら覗かず、ハルカの突進の風圧に髪を揺らされながら、その頭上の放物線を正確に捉えて引き金を引いた

 

カン、という硬質な金属音が響いた瞬間、ハルカの頭上で炸裂した煙幕弾から、一瞬にして視界を完全に遮断するほどに濃密な、真っ白な煙が爆発的に広がっていった

 

「行きなさい、クロコ!!!」

 

「っ!」

 

アルの鋭い一喝が飛ぶ

 

クロコはその瞬間、爆発的な脚力でリノリウムの床を蹴り抜いた。白煙のせいで前方の正確な様子は確認できない。しかし、目の前の視界がゼロになったその空間を、彼女は便利屋の絆を信じて真っ直ぐに突き進んだ

 

ハルカが「あ、あのお方の扉が……!」と焦燥に駆られてショットガンを乱射する音が煙の向こうで激しく鳴り響くが、カヨコとムツキの容赦のない追撃の銃撃がそれを強引に相殺し、ハルカの足をその場に縫い付ける

 

ギィィィィ……と、錆びついた強固な隔壁の大扉が、クロコの体当たりに近い突進とロック解除によって無理矢理こじ開けられ、重苦しい音を立てて開閉する気配が倉庫内に響き渡った

 

「……無事に行ったみたいね。私たちの仕事は半分成功よ」

 

アルが、煙の向こう側へと完全に気配を消したクロコの残響を感じ取りながら、ふう、と静かに息を吐いた

 

「あ、あ、あああ!? 嘘です、嘘です嘘です……!!」

 

煙幕が徐々に薄れゆく中、ハルカの、狂気と絶望が入り混じった悲痛な叫び声が響き渡った。彼女は自分の頭を乱暴にかきむしり、色彩のドス黒いオーラを激しく明滅させながら、ガタガタと全身を震わせている

 

「せっかく……せっかく! 『出来損ない』のこの私が、あのお方に認められて、あのお方の一人目の、一番忠実な『下僕』にしてもらい……初めていただいた大切な、大切な依頼だったのに……!! 私のせいで、私の無能のせいで……ッ!! 許さない許さない許さない……! アル様を騙る偽物も、あの泥棒猫のキツネも、全員細切れにして、爆破して、消し炭にしてお詫びしなきゃァァァ!!!」

 

自我を忘れたハルカから溢れ出る殺意の波動は、赤黒く、そして悍ましい色彩の残滓を纏いながら、広い円形格納庫の空気をビリビリと爆ぜるように震わせていた。彼女の持つヘイローが不規則に脈動し、そのたびにコンクリートの床に鋭い亀裂が走る

 

しかし、その圧倒的な脅威を真っ正面から受け止める便利屋68の3人の瞳には、冷徹なプロとしての光の奥に、不器用で、けれど決して揺らぐことのない「家族」を想う温かい情熱が宿っていた

 

「ハルカ!!」

 

アルが、狂気に震えるハルカの絶叫に負けじと、その凛とした声を格納庫の天井にまで届く大音量で響かせた。ボロボロに引き裂かれた黒いロングコートの裾が、ハルカのヘイローから放たれる衝撃波のような風圧に激しく煽られ、バサバサと不吉な音を立てる

 

「そこまで頭が混乱して、すべてを忘れてしまったのなら仕方ないわ! 今、貴方がどこの誰と対峙しているのかを……そして、貴方は世界中のどこの誰のものでもない、誰の『下僕』でもないし『出来損ない』でもない、私たちの誇り高き仲間だということを……私たちの手で、今ここで、身体の芯まで思い出させてあげる!!」

 

「くふふ〜、社長がああ言ってるんだもん。ここからは手加減なしの本気だよー! ハルカちゃん!」

 

ムツキが両手に愛銃『アドゥマニタス』をガシャリと構え、その引き金に指をかけながら、いつになく鋭く冷徹な眼差しで独自の戦闘ステップを踏んだ。彼女の周囲の床に転がされた複数の爆薬の信管が、カチカチと規則正しい、死を告げるカウントダウンの音を響かせ始める

 

「やれやれ……。これは無事に連れ帰った後、オフィスでみっちりとお説教だね。始末書の枚数を覚悟しておいて」

 

カヨコがハットのツバを指先で微調整しながら、ハンドガンを低く構え直し、深い溜息の奥に隠した確かな怒りと情愛をその銃口に込めた

 

「便利屋68に仇なす者は、例えそれが呪われた身内であっても容舎はしない! ここからが正念場よ、いくわよ、便利屋68!!」

 

アルの鋭い突撃の宣言と共に、ムツキとカヨコが左右の遮蔽物へと電光石火の速さで散開する。ハルカが獣のような咆哮を上げて散弾銃の銃口を向けた瞬間、3人の容赦のない、しかし歪で、けれど紛れもない愛の詰まった弾幕が、狂気の少女を包み込んでいった

 

──ガシャォン!!!

 

背後で重厚な防爆扉が完全に閉まり、激しい銃撃戦の音が遮断される

 

一歩、コンクリートの階段を上るたびに、足元からの戦闘の残響は遠ざかり、代わりに周囲の静寂が深まっていく。いや、それは静寂というよりも、空間そのものが死に絶え、時間が凍りついているかのような無気味な空白だった。無機質な壁は冷気を含んで白く染まり、上層へ進むほど、空気そのものが凝固していくような粘り気のある重圧が、クロコの全身の肌にじっとりとまとわりついてくる

 

しばらく非常階段を上り続けていると、ついに通路の最果て、最上階らしき場所にたどり着いた

 

そこには、異様な存在感を放つ黒塗りの防爆扉が、周囲の光を全て吸い込むかのように冷たく佇んでいた

 

「……ここに、いるんだね」

 

クロコは、小さく震える右手の指先をその重厚な鉄扉へとそっと触れさせた。まだ中を見ていないというのに、扉の隙間からは脳髄を直接掴んで握り潰されるような、悍ましい『色彩』の力が、目に見えない脈動となって扉越しにでも明確に溢れ出しているのを感じる。それはかつて、彼女自身が世界の崩壊と狂気の底で溺れていた時に纏っていた、あの懐かしくも忌まわしい、存在のすべてを拒絶する滅びの波長そのものだった。

 

深く、深く、肺の最奥まで冷気を吸い込み、一呼吸を置く。クロコは透き通るような水色の瞳に確固たる覚悟の光を宿すと、金属製のレバーを力任せに押し下げ、その扉を乱暴に開け放つ

 

視界に飛び込んできたのは、旧カイザー基地の全機能を統括する、広大で薄暗い中央管制室だった。無数のモニターが死んだような灰色の光を放つその部屋の特等席、背もたれの高い椅子の向こう側に、深くフードを被り、こちらに完全に背を向けた状態の少女の背中があった

 

「あら、下が随分と騒がしいと思っていたら……私の知らないネズミが、一匹紛れ込んだみたいね」

 

掠れた、しかし冷徹なまでに尖った声が空間を支配した

 

フードを被っているセリカテラーが、ゆっくりと呪詛を紡ぐように言葉を出す。その瞬間、扉越しに感じていた比ではないほどの濃密な色彩の圧力が、まるで目に見えない無数の針となってクロコの身体全体を容赦なく突き刺した。常人であれば息をすることすらままならない、絶望的なまでの憎悪の泥が部屋中に充満している

 

「……貴方を、止めに来た」

 

クロコは愛銃のグリップを強く握り締め、低く、しかし一歩も引かない強い声音で言葉を返した

 

「私を? はっ。……笑わせないでよ、部外者のくせに」

 

少女は自嘲気味に鼻で笑うと、椅子からゆっくりと立ち上がり、こちらに向かってその身体を反転させた

 

フードの隙間から覗くその顔を見て、クロコの胸の奥が小さく跳ねる。ホシノから聞いていた通り、その左頬には痛々しい、引き裂かれたような深い傷跡が痛々しく刻まれていた。そして何より、その瞳──本来なら誰よりも優しく、アビドスを想って輝いているはずのその瞳は、濁りきった色彩の闇に染まり、まるで世界に存在する生きとし生けるものすべてを心の底から呪い、憎んでいるかのような、底知れぬ冷酷さに満ちていた

 

「それで? あんた一体誰なのよ。この私の計画を邪魔しにくるっていうから、てっきりシロコ先輩辺りが、真っ先にここに乗り込んでくると思ってたんだけど?」

 

セリカテラーは、手に持っていた見覚えのある突撃銃の銃身を、自身の小さな肩にトントンと苛立たしげに当てながら、クロコを品定めするように睨み据えた。その規則的な金属音が、彼女の内に秘められた激しい焦燥と、抑えきれない怒りを代弁しているかのようだった

 

「なんで、そう思うの? 他のメンバーではなく、シロコが来ると」

 

クロコが水色の瞳を細め、静かに問いかける

 

「決まっているじゃない、あの人が一番年上で強いからよ。同じ2年のノノミ先輩なら、あの無駄に甘い性格のせいで私の顔を見ただけで銃口が鈍るだろうし、あんな巨大な武器を持ってるノロマなら簡単に倒せるわ。だとしたら、私の戦い方の癖や間合いを、きっともう一人の『この世界の私』辺りから聞き出して、対策を練ったシロコ先輩が乗り込んでくるのが一番確率が高いと思ったのよ。同じような戦い方をする者同士、潰し合いにはお誂え向きでしょ?」

 

「……なるほど。もう一人のセリカがこの基地を脱走していることには、最初から気がついていたんだね」

 

「当たり前よ。本当に、思い出してもムカつくわ……。せっかく、この手でたっぷり可愛がって、あの小賢しいヘイローを徹底的に破壊してやろうと思って、地下の独房に向かったのにさ。……行ってみたら、もぬけの殻なんですもの」

 

セリカテラーはまるで、自身の胸の奥から次々と湧き上がるどす黒い怒りを周囲に撒き散らすように、先ほどまで座っていたスチール製の椅子を、靴の踵で乱暴に蹴り飛ばした。激しい金属音が響き、椅子は壁に激突して無残にひしゃげる

 

「……アヤネや、ホシノ先輩がここに直接来るとは、思わなかったの?」

 

クロコが静かに、しかしどこか試すような響きを孕んだ声で問いかける。その問いに対して、セリカテラーは一瞬だけ、信じられないものを見るかのように呆れた様子で細い目をさらに細め、それから五臓六腑を灼くほどに不愉快そうな笑みで口の端を歪めて嘲笑した

 

「は? 何を寝ぼけたこと言っているのよ。アヤネちゃんはただの机上論、頭頭戦だけの雑魚で、前線に出てくる度胸なんてない。……それに、ホシノ先輩ならねぇ……」

 

セリカテラーはそこで言葉を区切り、愛銃の冷たいレシーバーを愛おしそうに指先でなぞった

 

「私がこの手で直接、あの忌々しい息の根を止めて、とっくの昔にあの世に送ってあげたわよ。今頃、自分が何も守れなかった無力さに泣き叫びながら、あの世で生徒会長様にでも泣きついてるんじゃない? ……ああ、でも、あの『アビドスの最高戦力』とやらが、私の弾丸に貫かれて泥水に沈んでいった時のあの感触、あの絶望に染まった顔……思い出すだけでゾクゾクするわ。また何度も味わいたい、最高の瞬間だったわね」

 

「……」

 

クロコは、その吐き捨てられた言葉を、周囲の空気が一瞬にして凍りつくような深い沈黙で受け止めた

 

これが、本当にあの、誰よりも真っ直ぐで、どれほど口は悪くても仲間への愛に溢れていた「黒見セリカ」が変化した姿なのだろうか。共に苦難を乗り越えてきたはずのノノミを「簡単に倒せる」と言い放ち、必死に裏方で支えてくれたアヤネの戦術を「雑魚」と切り捨て、挙句の果てには、自分を誰よりも大切に、自らの命を削ってまで守ろうとしてくれたホシノの命を、何のためらいもないどころか歓喜の笑顔で「殺した」と口にできる……

 

これは、単に『色彩』による精神の汚染や、ヘイローの反転という現象面だけの理由では、どうしても納得がいかなかった。何かが致命的におかしい。彼女の狂気の根底には、ただの洗脳を超えた、もっと別の、ドス黒い現実の絶望が横たわっている

 

「セリカ」

 

「なによ。いい加減、あんた名前くらい名乗ったらどうなの? 部外者の分際で、私の名前をそんな親しげに、気安く呼ばないでくれる?」

 

「最後に一つだけ、答えて。……貴方のその、世界を滅ぼそうとするほどの深い憎しみは、一体どこから来ているの」

 

クロコの放った、低く、しかし確信に満ちたその言葉に、セリカテラーの傲慢で軽薄な動きがピタリと停止した。部屋の無数のモニターから発せられる微かな駆動音だけが、空間に響く

 

「……私の憎しみが、どこから来ているか……ですって? あんたなんかが、その爪の先ほども知らないような、本物の地獄の苦痛を私は味わってきたのよ……!!」

 

セリカテラーの小さな肩が激しく激昂に震え、漆黒の闇に染まった瞳から、一気にどす黒い殺意が噴き出した

 

「アビドスのために、借金を返すために私は必死に働いて、頑張ってきた! それなのに全ては理不尽に破壊された……私のささやかな幸せを壊した元凶であるはずの、あの何も守れなかった無能なホシノ先輩も……私が、あの不気味な連中に『誘拐』されて、知らない土地で奴隷のように心も身体も狂わされていったのに、誰一人として助けに来なかったアビドスのアイツらも……!! なのに、あいつらはのほほんとこんな生ぬるい世界に逃げ込んで、私の存在なんて綺麗さっぱり忘れたみたいに、みんなで楽しそうに笑い合っている!! それを見てる限り……!! 私の憎悪は、細胞の一つ一つから一生、永遠に、地獄の底から湧き続けるのよ!!!」

 

「!!!」

 

セリカテラーのその、魂を掻きむしるような絶叫を聞いた瞬間、クロコはオッドアイの瞳を、驚愕のあまり限界まで大きく見開いた。身体の芯が、冷たい衝撃波を浴びたかのように激しく戦慄する

 

今、セリカテラーは、自分自身の過去の足跡を指して、明確に『誘拐された』と言った

 

確固たる証言なんて、それまでは何もなかったのだ。自分自身が別世界からこのキヴォトスへと流れ着いた迷い人なのだから、目の前にいるセリカテラーも、自分の知らない全く別のパラレルワールドから偶然辿り着いた、外見が同じだけの全くの他人の可能性だって十分にあった

 

だが、心のどこかで、もし、もしもこのセリカテラーが、自分のいたあの滅びの世界、あの凄惨な過去の記憶を共有する、私の知っているアビドスのあのセリカだとしたら──と、何度も、何度も、淡い希望と恐怖を抱きながら、けれど同時に「同じ苦しみを味わっているものなら、どの世界線のセリカだろうと私の命に代えても助ける」と決意していた

 

だが、今、彼女の口から放たれた『誘拐』という単語

 

それは、クロコがかつていた世界で、アビドス対策委員会が完全に崩壊し、取り返しのつかない破滅へと突き進んでいく絶対的な引き金となった、あの忌まわしい事件──ホシノのヘイローを壊してしまった数日後に突如として行方をくらませてしまった、あの絶望の道と全く同じ、狂うことのない軌跡だった

 

(この子は……私の世界の…!)

 

「いい加減、中身のない無駄話には飽きたわ……。私はこれから、このクソみたいな世界を私のいた場所と同じ、奇麗な死の世界に塗り潰すので忙しいのよ。部外者はさっさと……」

 

セリカテラーの身体が、ゆらりと不自然に、色彩の残滓を纏いながら陽炎のようにブレた

 

「死ね!!!」

 

言葉の終わりを待たず、セリカテラーの姿が掻き消えた。 次の瞬間には数メートルの距離がゼロになり、クロコの視界を黒い銃口が埋める。 ──カツン、と乾いた撃鉄の音。 脳の警告より早く、本能がクロコの首を横へと弾いた。

 

直後、鼓膜を震わせる爆音が炸裂する

 

白髪の数本を焼き千切りながら、大口径の弾丸が背後のコンクリート壁を派手に爆砕した

 

(……速い。それに、なんて重い一撃……! 完全に色彩の力で肉体のリミッターが外れてる。あれにまともに一発でも当たったら……ただじゃ済まない)

 

クロコは、脳裏に一瞬だけ浮かんできた様々な疑問や、あの大切だった過去の記憶を、首を激しく振ることで強引に掻き消した。今、目の前で本物の殺意を剥き出しにしているセリカテラーは、どれほど言葉を尽くしたところで、まともな対話や説得が通じる状態では決してない

 

なら、やるべきことは、最初から一つだけだ

 

かつて、自分自身が狂気の底にいた時、先生が、そしてアビドスの仲間たちが身体を張ってそうしてくれたように──まずは圧倒的な力と戦術でその狂気を真っ正面から叩き伏せ、無理矢理にでも眠らせる。その後に、ゆっくりと時間をかけて、彼女の傷ついた心に寄り添いながら話をすればいい

 

「あははは!! あんた、よく見たらシロコ先輩と同じような銃を持ってるのね!! 面白いじゃない、偽物の先輩擬きが!!」

 

セリカテラーは、銃口から立ち上るドス黒い硝煙の向こう側で、血の混じった狂気じみた笑みを浮かべながら、その濁った瞳でクロコをじっと見つめた。その指先が、再び流れるような滑らかな動作で次弾を薬室へと送り込む

 

「いいわ、この上の空に、私のすべてを捧げた『慈愛のハトホル』の完全な顕現を呼び出すまでの間……。せいぜい、最高に退屈な時間を潰すための、極上の玩具にしてあげるわ!!」

 

狂ったように笑う黒いネコ耳の少女が、空間を掠めるほどの容赦のない掃射で壁を削りながら、残像を残すほどの速度で襲いかかる

 

クロコもまた、自身の愛銃を構え直し、大切な後輩を呪縛から解き放つための、哀しき反撃の引き金を力強く引き絞った




次回の投稿は6月16日を予定してます
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