救われたかったセリカ 作:気弱
旧カイザーコーポレーション管理棟、円形セクター
かつて軍事要塞として機能していたその広大なインドアの戦場に、人間の鼓膜を容赦なく破壊し、脳髄までを直接揺さぶるような凄まじい爆発音が、休むことなく連続して激しく響き渡っていた
「死んでください! 死んでください死んでください死んでください……!! 私の、世界で一番優しくて偉大な、あのお方の崇高な計画を邪魔する不届き者は……全員塵一つ、肉片一つ残さず爆発四散して、今すぐ世界の塵に消え失せるべきなんです……っ!!」
立ち込める黒煙と、不気味な紫黒色のオーラが渦巻く中心では、ハルカが狂気と焦燥に突き動かされるまま、喉を掻きむしるような金切り声をあげて叫んでいた
彼女の細い両腕は、まるで機械仕掛けの自律兵器のように恐るべき速度で動き、自らの衣服やバッグの底から手当たり次第に手榴弾や対人地雷、即席の粘着爆弾を取り出しては周囲へ投げ散らかしている。それだけにとどまらず、事前にこの広大な空間の至る所へ張り巡らせていた、極悪な複合ワイヤートラップの起爆スイッチを、手当たり次第に、文字通り狂ったように次々と起動させていく
「くっ……! 手当り次第にばら撒くのも大概にして……っ! 室内でこれだけの連続爆破をノータイムでやられると、流石に遮蔽物の選択が狂う……!」
カヨコが激しい炎の塊と、衝撃波を伴う風圧を紙一重のステップで躱し、コンクリートの床を滑るように走り回りながら、低く鋭い声を張り上げる
スチール製の頑丈なラックが爆風によって一瞬で飴細工のようにひしゃげ、そこから弾け飛んだ鋭利な鉄の破片が、彼女のハットのツバを容赦なく掠めていく
「カヨコっち、無理に突っ込んじゃダメだよー! アルちゃん! そっちの方の退路にも、ハルカちゃん特製の可愛いプレゼントが仕掛けられたからねー!」
「分かってるわよっ……!! 言われなくても、見えてるわよっ!!」
上方のキャットウォークの鉄骨に身を隠しながら、ムツキがいつも通りの軽快さ、しかしその奥に隠しきれない緊迫感を滲ませた声で注意を促すのとほぼ同時に、アルは自身のロングコートの裾を大きく翻した
アルの直前で、ハルカの仕掛けた指向性散弾地雷が信じられない爆音とともに炸裂する。背後で強烈な烈風と、天井まで届くような赤黒い火柱が吹き上がり、その圧倒的な熱波に背中を灼かれながらも、アル、ムツキ、カヨコの3人は間一髪のタイミングで飛び散る爆弾の雨と散弾の嵐を潜り抜けていく
「ちょっと、ムツキ! 上からの援護射撃、もっとハルカの手元を狙えないの!?」
「やってるよー! でもハルカちゃん、色彩のモヤモヤのせいで動きのキレが普段の3倍増しなんだもん! 私の弾幕をステップで避けるなんて、いつの間にそんな芸当覚えたのさー!」
いくら天井が高く、大型の重機が何台も収容できるほど広大な円形格納庫のセクターだとはいえ、ここは完全に外界から閉ざされた室内、インドアの閉鎖空間だ。しかも、空間の至る所にはハルカがトラップを仕掛けるのにこれ以上ないほどお誂え向きな、頑丈な木箱の山やフォークリフト、スチール製のラック、資材用のパレットが不規則かつ密に設置されている
どれほどハルカの戦い方の癖、仕掛ける信管のタイミング、散弾銃を放つ際の間合いを骨の髄まで知り尽くしている便利屋68の面々とはいえ、この四方を強固なコンクリート壁に囲まれた「ハルカにとっての最高の要塞」の中では、完全に主導権をハルカ側に握られ、終始防戦を強いられるという非常にやりにくい状況に陥っていた
何より3人にとって厄介なのは、現在のハルカの、その恐るべき戦術精度の高さだった
「私のせいで……私の無能のせいで、あのお方に迷惑がかかるくらいなら……ここで全員、道連れにして爆破します……!! 許して、許してくださいアル様ぁぁぁっ!!」
口からは呪詛と狂気、そして彼女の根底にある自己嫌悪の入り混じった絶叫を絶え間なく叫び続けているというのに、その五感と身体の動きは不気味なほど冷徹に、そして戦術的に冴え渡っている
弾幕の嵐のなか、アルたちの連携に僅かでも、ほんの一瞬でも死角や意識の空白が生まれれば、ハルカはその戦術的な空白を絶対に見逃さず、一瞬の早業で新たなワイヤートラップや即席爆発装置を足元へ瞬時に再構築していくのだ。洗脳され、暴走しているはずの肉体が、皮肉にも便利屋で培った修羅場の経験を最高効率で引き出していた
「社長! こんなペースで、周囲の状況を考えずに滅茶苦茶に爆発させ続けられたら、ハルカを無力化する前にこの管理棟の構造自体が持たないよ! 柱の強度が限界だ、天井が落ちてくる!」
カヨコがハンドガンをハルカの足元へ正確に連射し、その前進の速度をミリ単位で牽制しながら、切迫した声をアルへと飛ばした
「そんなこと、言われなくたって百も承知よ!!」
アルはコンクリートの太い支柱の陰に背を預け、飛び散ってきた硝煙の煤が白い頬にベッタリと付くのも構わずに、乱暴にそれを手袋の背で拭い去りながら叫び返した
戦況は最悪の一言だった
前線でハルカの獰猛な突進を撹乱しているムツキとカヨコの武器は、どちらとも近〜中距離での面制圧、あるいは手数の多さによる牽制に特化したものだ。本来のハルカであれば、その手数の多さで体勢を崩し、精神的な動揺を誘うこともできた
しかし、現在のハルカは『色彩』の禍々しいオーラによって肉体の耐久力、痛覚の遮断、そして超常的な再生能力を異常なまでに底上げされている。今や、普通の銃弾が数発肉体を捉えた程度では、彼女は眉一つ動かさずに突進を継続してくるのだ。カヨコとムツキの持つ火力では、現在のハルカの強固な防御障壁を突破し、彼女の肉体を過剰に傷つけることなく意識だけを刈り取るには、圧倒的に一撃の重さ──「攻撃力」が不足していた
「カヨコっち! 私の爆薬、もうすぐ半分になっちゃう! このまま削り合いを続けたら、ハルカちゃんが倒れる前にこっちの弾が切れるよ!」
「分かってる……! 私のハンドガンでも、手数が足りなすぎる。……となると、やっぱり」
カヨコは一瞬だけ射線を外し、コンクリートの支柱の影にいるアルへと視線を走らせた
「ええ……! 私が、あの子の急所を一撃で正確にぶち抜いて、眠らせるしかないわ……!」
アルは覚悟を決めたように、自身の愛銃である大口径スナイパーライフルのボルトを静かに、しかし力強く引き絞った。便利屋68の「社長」として、この狂気の連鎖を断ち切るための決定打を撃ち込めるのは、他ならぬアルの狙撃しかなかった
だが、ハルカもまた、完全に狂っている。その精神は悍ましい色彩の泥に深く汚染され、かつての理性の輪郭をほとんど失っていた
──だがしかし、彼女の華奢な肉体には、便利屋68の最年少社員として、アルたちと共に数々の地獄のような修羅場を潜り抜けてきた「戦いの記憶」が、細胞の一つ一つ、骨の髄にまで深く刻み込まれていたのだ
現在のハルカは、色彩の歪んだ呪縛によって目の前のアルを「不届きな偽物」だと誤認し、その瞳に激しい憎悪の炎を燃え上がらせている。しかしそれと同時に、自分が世界で一番に慕い、世界で一番その背中を見つめ、その射撃姿勢を憧れと共に観察し続けてきた「陸八魔アルという卓越した狙撃手」の本当の恐ろしさを、誰よりも、何よりも熟知していた
「カヨコっち! そこどいて!」
ムツキが放った複数の手榴弾が、ハルカの側面のコンクリートを派手に爆ぜ散らす。だが、ハルカはカヨコの放った精密な銃撃をその肉体で強引に受け止め、ムツキの爆弾を紙一重の鋭いステップで回避した。その、硝煙の向こうで怪しく濁る紫の瞳が、戦場に生まれた一瞬の「静寂」を、神懸かり的な直感で捉えた
(あそこ……あそこの影……!!)
それこそが、アルが巨大なラックの遮蔽物から、愛銃『ワインレッド・アドマイアー』の長い銃身を突き出し、ハルカの頭上に明滅するヘイローの軸線へと冷徹な照準を合わせた、まさにその刹那だった
スナイパーの銃口が火を噴くよりも、ほんの僅かに、コンマ数秒早く、ハルカは突進の軌道を重力を無視するかのような不自然さで急激に変化させた
爆発的な脚力が床のコンクリートを粉々に爆ぜ散らせ、その身体が一条の黒い雷光と化す
「アル様……!! アル様の世界で一番格好良いお名前を騙る、厚顔無恥で浅ましいゴミクズがァァ!! その汚い銃口を、こちらに向けるなぁァァ!!!」
アルが確実に引き金を引こうとした、狙撃手として最も無防備になる「隙」の瞬間。ハルカの野生に等しい戦闘直感はそこだけを正確に狙い澄ましていた。一直線に距離を詰め、間合いを完全につぶしたハルカは、散弾銃を撃つことすらもどかしいとばかりに、その無骨な銃身を文字通り質量を持った鈍器のように、全力でアルの脳門へと振り下ろした
「しまっ……!? 速……っ!」
アルの深紅のスコープの視界が、一瞬にしてハルカの血走った形相と、迫りくる鉄の塊で埋め尽くされる。長距離の支配者である狙撃手にとって、超至近距離まで踏み込まれることは絶対的な死を意味する
「社長……!!」
「アルちゃん、後ろ!!」
異変に気付いたカヨコやムツキが、ハルカの背中に向けて必死の援護弾幕を張ろうとする。しかし、色彩の力で肉体のリミッターを完全に外したハルカの驚異的な突進速度は、その交差する射線を力任せにぶち抜き、鼓膜を圧する暴風となってアルの目の前へと肉薄した
激しい風圧がアルの鮮やかなワインレッドの髪を容赦なくなびかせ、ハルカの振り上げられた無骨なショットガン──『ブローアウェイ』の冷徹な鉄の銃身が、アルの頭を文字通り木っ端微塵に揺るがすほどの、圧倒的な破壊力を持って迫りくる。常人であれば、その皮膚を灼くような風圧と絶対的な殺気に精神をへし折られ、ただ肉塊へと変わる運命を無抵抗に受け入れるしかないであろう、絶対零度の死の瞬間
──だが、便利屋68の「社長」の瞳は、これほどの絶望を前にしても、微塵も曇ってはいなかった
「……なんてね!」
「!?」
ハルカが狂気に突き動かされるまま、アルに決定的な処刑の一撃を叩き込もうとしたまさにその瞬間。アルの、ボロボロに引き裂かれた黒いロングコートのポケットから、乾いた金属音を立てて、小さな楕円形の金属塊がコンクリートの床へと滑り落ちた
それは地面に激突した瞬間、円形セクター内の薄暗い闇を文字通り一撃で消し去るほどの、数百万カンデラに及ぶ狂気じみた激しい白色光と、人間の鼓膜を一時的に完全麻痺させる高周波の破裂音を爆発的に撒き散らす
便利屋68がゲヘナ学園の風紀委員会、とりわけ「空崎ヒナ」という歩く天災、あるいは他の厄介な勢力からいざという時に逃れるために、アルが常に護身用として肌身離さず懐に忍ばせていた、高輝度・高音響の特殊閃光手榴弾である
「っ、が、あ、あああァァァっっっ!!!」
いかに『色彩』の加護によって痛覚が麻痺し、身体能力が極限まで引き上げられているとはいえ、網膜の細胞を直接灼き焦がすような光の暴力に、ハルカの生体本能は抗えなかった
視界を完全な純白の夜へと塗り潰されたハルカは、獣のような苦悶の声を上げながら両腕で顔を覆い、即座にカウンターの追撃が来ることを恐れて、本能的に数メートル後ろへと全力で跳躍。迎撃と後退を兼ねた体勢を瞬時に取る
しかし、アルはその一瞬の勝機を、決して見逃さなかった
「便利屋68の社長を……舐めないで頂戴……!」
彼女はスナイパーライフルの重厚な銃身を器用に脇に抱え直すと、自身の軸足を血に濡れた床に深く固定し、後退していくハルカの無防備な腹部を目がけて、ヒールの高いブーツの先で思いっきり強烈な前蹴りを叩き込んだ
「がふっ……っ!? ぁ……っ!」
ハルカが自ら後ろへ飛び退いていた最中だったこともあり、打撃そのものの純粋な破壊力はそれほど深くは届かなかった。しかし、体重のすべてを乗せたアルの執念の蹴撃は、ハルカの頑丈な肉体をさらに後方へと大きく吹き飛ばし、反撃の間合いから距離を完全に引き離すことには見事に成功した
「ムツキ! カヨコ! こっちよ、急いで!!」
アルはすぐさま反転し、硝煙の立ち込める中を全速力で疾走。合流したムツキとカヨコを伴って、まだ爆発の難を逃れて頑丈に自立していた、大型のスチール製ラックと分厚い木箱が幾重にも重なる巨大な死角の影へと滑り込み、深く身を潜めた
「はぁ……はぁ……、あ、危なかったわ……。本気でヘイローが消し飛んで、あの世に直行するかと思ったじゃない……」
アルは壁に背中を預け、激しく上下する胸を押さえながら息を吐き出す
「本当だよ……。社長、もう少しでハルカちゃんに本気の自爆特攻を喰らって、2人まとめて木っ端微塵の黒焦げになるところだったんじゃない? 心臓に悪すぎるよぉ」
ムツキがいつものおどけた調子を装いつつも、額に冷や汗を浮かべて銃を抱きしめる
「くふふ〜、アルちゃんもう少しで綺麗なアフロヘアになるところだったねー。まぁ、あのフラッシュバンがこんなところで役に立つなんて、怪我の功名ってやつ?」
ムツキの言葉に、アルは自らの激しく波打つ胸元を手で押さえながら、冷や汗が背中を伝うのをリアルに感じていた。ゲヘナでの過酷な逃亡生活で培った最悪の想定への備えが、まさか自分の最も可愛い部下を救うための命綱になるとは、これ以上の皮肉はない
「ど、どこに……どこに隠れたんですかぁぁぁ……っ!! 出てきてください、このアル様の名前を汚すゴミクズども!! あのお方の神聖な部屋の前に、そんな汚い足跡を残したまま逃げるなんて……この私が、絶対に、絶対に許しません……っっ!!」
連続していた爆発の轟音が一時的に止み、周囲に不気味な静寂が戻ってきた円形フロアの中に、ハルカの、狂気と絶望がドロドロに入り混じった悲痛な叫び声が不気味に木霊する
ザッ……ザッ……と、床を引きずるショットガンの冷たい金属音が、徐々にこちらを探るように近づいてきているのが、遮蔽物越しに明確に伝わってくる
「ねぇ、でも、これからどうするの?」
カヨコがハンドガンのスライドを軽く引き、残弾を確認しながら、低く冷徹な声音で現状の致命的なタイムリミットを告げる
「あそこまで理性を失って、私たちの言葉が一切届いていないように見えて……その実、私たちの戦術や次の射線を完璧に先読みした、一番嫌な動きをされてる。このままここで泥仕合を長引かせたら、本当にこの棟自体が崩壊して、最上階で戦っているクロコにも致命的な被害が行くよ」
アルが遮蔽物の隙間から周囲の惨状をそっと見渡すと、ハルカがこれまでに仕掛けた無数の爆薬によって、ドーム状の天井を支えていた防壁の大部分は無残に崩落していた。その割れ目からは、遮るもののないアビドスの広大な砂漠の夜空や、上層へと続く鉄製の非常階段が剥き出しになって丸見えになってしまっている
このまま戦闘が長引けば、ハルカの狂気は棟を支える全ての支柱を爆破し、文字通り全てを巻き込んで自壊するだろう。そうなれば、地下や外で命懸けの防衛線を張っているアビドス対策委員会のメンバーや、最上階の中央管制室でセリカテラーと死闘を繰り広げているクロコの退路をも完全に断つことになり、それは実質的に、便利屋68の絶対的な作戦敗北を意味していた
(ど、どうしましょう……! 何か、何か一撃でこの状況をひっくり返す、画期的な大悪党らしい、とびきりの作戦はないの……っ!?)
アルは長い睫毛の裏側に必死で涙目をこらえながら、パニック寸前の脳細胞を限界以上の超高速で回転させていた。トレードマークの黒いタイトスカートの中で、膝が恐怖と焦燥でわずかに震える
冷静に分析しなさい、陸八魔アル。ハルカだって、決して無敵の怪獣という訳ではないのだ。それこそ、あのアビドス高等学校の小鳥遊ホシノのように、たった一人で防衛戦を何日もこなし、襲いかかるカイザーコーポレーションの正規軍本隊やアビドスの後輩たちを何連戦も蹴散らした後に、さらにゲヘナ最高戦力である空崎ヒナと真っ正面から激突して、ようやく限界を迎えるような、あの化け物じみた規格外の戦術的タフネスや無限の体力が彼女にある訳ではない
ハルカの真の強さは、その尋常ならざる肉体の頑丈さと、自身の命をまったく勘定に入れない狂信的かつ苛烈な瞬発力、そして予測不能な罠の配置にある。だからこそ、この逃げ場のない閉鎖空間で、これ以上彼女に時間を味方に付けられ、主導権を握られ続けることこそが、アルたちにとって最も最悪の結末を招くシナリオだった
「……それにさ、カヨコっちのハンドガンの純粋な打撃力じゃ、あの色彩のモヤモヤをまとったハルカちゃんを確実に一撃で気絶させるのは、物理的にも構造的にも無理だし……。私のバッグに入ってる特製の爆薬やリモコン地雷も、さっきの足止めと牽制でそろそろ完全に底を突きそうなんだよね〜」
ムツキがいつもと変わらない悪戯っぽい笑みを浮かべつつも、少しだけ真剣な面持ちでスカスカになったレザーの弾薬袋をパタパタと揺らした
「うん……。私の小口径弾じゃ、ハルカの強化された装甲を強引に貫いて早期決着を狙うのは難しい。それに、洗脳されているとはいえ、あの子の肉体を過剰に傷つけるわけにもいかないしね。命を奪わずに、一瞬で意識だけを刈り取るとなると……」
「そうなるとぉ〜、やっぱり最後の最後は、我らが便利屋68のボス、アルちゃんが! 社長としてビシっと最高にかっこいい一撃で決めてくれないとだよね?」
カヨコが前髪の隙間から、射抜くような鋭い視線でアルを真っ直ぐに見つめ、ムツキがその隣で「くふふ」と不敵な笑みを深く浮かべる
「………だね」
「それじゃあ、作戦は決まったね♪」
「ふ、2人とも……急にアイコンタクトを取り合って、一体何言ってるの……? 私は今、大悪党としての最高のプランを練っている最中なんだけど……っ!」
カヨコとムツキが互いに顔を見合わせ、長年ゲヘナの裏社会(自称)を共にしてきた全ての呼吸が完全に一致したかのように、同時に深い信頼の混ざった不敵な笑みを浮かべた
アルはこの絶望的な戦況をどうにか便利屋のトップらしく解決しようと、頭をフル回転させてパニックになりかけていたせいか、2人の間に通い合う阿吽の呼吸の意図が、この瞬間まったく理解できていなかった
「それじゃあ、まずは私が正面から先行してハルカの意識を引きつける。得意のフットワークで射線を狂わせるから……ムツキは、あの子の死角に回り込んで、誘導のルートサポートをお願い」
「はーい、任せてカヨコっち! 最高の社長のための、最高の舞台を整えてあげる!」
「えっ、ちょっと待ちなさい!? 2人とも何をする気なの、勝手に突撃するなんて大悪党の統率として──」
「!! 見つけましたあああぁぁぁっ!!! アル様に仇なす、不届きな偽物共がぁぁぁ!!!」
アルが慌てて制止の声をかけるよりも早く、カヨコとムツキは弾かれたように巨大な木箱の影から左右に分かれて同時に飛び出していった
2人のブーツが同時にリノリウムの床を強く蹴った確実な足音を、ハルカの野生動物じみた戦闘本能が瞬時に捉える。色彩の濁った紫の瞳が狂喜と殺意に満ち、その重厚なショットガンの銃口がそちらへと一斉に向けられた
「こっちだよ、ハルカ! どこを見ているの!」
カヨコがいつになく鋭く通る声を張り上げ、ハンドガンの引き金を精密な連射で引きながら、アルが潜む遮蔽物とは完全に真逆の方向へと走り出した。放たれた弾が正確にハルカの肩や胸元の色彩の障壁を捉え、バチバチと小さな火花を散らす
「ちょこまかと……ゴミクズの分際で、私を惑わそうと動かないでください……!! 鬱陶しい、鬱陶しいです……ッ!!」
常人であればその衝撃で、後方に激しくのけぞるはずの弾丸の雨を、ハルカは一切の防御行動すら取らず、真正面からその肉体で受け続けながら肉薄する。色彩のオーラが火花となって弾丸の運動エネルギーを強引に弾き、生じた衝撃を力任せに押し殺しながら、ハルカは手にした散弾銃を腰だめに構え、カヨコの移動先を予測して無慈悲な散弾を叩き込んだ
空間を引き裂くような重低音が鳴り響き、カヨコが直前まで滑り込んでいたコンクリートの支柱が派手に抉り取られて粉砕される。飛び散る礫がカヨコの頬を掠めるが、彼女は表情一つ変えずに次の遮蔽物へと跳躍した
「そっちばかり見てると、私が寂しいなー……っと! これでも喰らえー!」
「!?」
カヨコへと完全に意識を集中させていたハルカの、ちょうど真横の死角──キャットウォークの影から、ムツキが躍り出た。彼女は愛銃の銃口をハルカのヘイローの数センチ横へと正確に固定し、その足元と側面を容赦なく弾幕で狙い撃った。激しい連続火線がハルカの視界を物理的に塞ぎ、地表に設置されていた彼女自身の即席トラップをいくつか強制的に爆破させて激しい誘爆を誘う
(──っ!)
その目まぐるしく変化する戦場の光景を、ラックの影から息を潜めて凝視していたアルは、弾かれたようにすべての合点がいった
2人は、最初から自分を「主砲」にするために、自らを囮にして飛び出したのだ。ハルカの規格外の突進力と索敵能力が、もしも「長距離狙撃手」であるアルに少しでも向けられれば、その時点で便利屋68の勝機は完全に潰える。だからこそ、カヨコが最悪の突進の標的を自ら買って出て、ムツキがその破壊的な火線でハルカの逃げ道を塞ぐ。2人同時に、文字通り命懸けの両面同時攻撃を仕かけることで、ハルカの脳内から「アルという狙撃手の存在」を完全に削ぎ落とそうとしているのだ
──『はーい、任せてカヨコっち! 最高の舞台を整えてあげる!』
(ムツキのあの言葉は……こういうことだったのね……っ! 2人とも、勝手に格好良いことしちゃって……っ!)
ようやく2人の「本気の作戦」の全貌を理解できたアルは、心のなかで湧き上がる熱い感情と目頭の熱さを必死に押し殺し、愛銃『ワインレッド・アドマイアー』を静かに、しかし鋼のような力強さで構え直した
この戦いにおいて、自分はただ後ろで守られるだけの無力な社長ではない。2人が自らの命を賭して紡ぎ、繋いでくれた、たった一度きりの絶対的な勝機を、確実に勝利という形にするための、便利屋68の最高執行者でなければならないのだ
(まだよ……まだハルカの軸が激しくブレている。動きが不規則すぎるわ。確実に、肉体を破壊せずに意識の芯だけを刈り取るための、完璧な静止の瞬間を待つのよ……!)
アルは深紅のスコープに片目を預け、周囲の爆音を精神の外側へとシャットアウトする。世界から雑音が消え、ただハルカのヘイローの脈動だけがクローズアップされていく。照準の十字レティクルが、激しく動き回るハルカの細い身体の中心へと、静かに吸い込まれるように重なっていった
「!」
だが、ハルカの獣じみた、あまりにも鋭烈な戦闘直感は、強固な遮蔽物の隙間からわずかに漏れ出たアルの「狙撃の殺気」を、本能的に察知しかけていた。ハルカの首が、ギチギチと骨の軋む不気味な音を立てて、アルの潜む巨大なラックの方向へと機械的に向き直ろうとする
「しまっ……! 勘が良すぎるわ……っ!」
アルが思わず息を呑んだ、その刹那だった
「どこ見てるの! 貴方の敵は目の前、私だよ!」
カヨコがいつになく激しい、引き裂くような声を張り上げた。彼女は文字通り自らの危険を顧みず、ハルカの強烈な散弾の射程内へと自ら飛び込み、低空のスライディングで猛烈に接近。至近距離からハンドガンの銃口をハルカの銃身に向けて正確に狙い撃ち、力任せにその照準を強引に斜め上方へと弾き飛ばした
「っ、カヨコ……!?」
アルの瞳が驚愕に揺れる
「邪魔を……私の、私の、世界で一番大切で尊い、あのお方のための純聖な世界を、邪魔するなぁぁぁ!!!」
ハルカが耳を震わせる金切り声を上げ、弾き飛ばされたショットガンの銃身を力任せに引き戻す。そのまま、至近距離にいるカヨコの華奢な身体を、銃床の無骨な鉄塊で直接殴りつけ、圧殺しようと狂暴に振り回した
「くふふ〜、怒ってる怒ってる〜! 怖ーい! ほらほら! ハルカちゃんの大好きなムツキちゃんはこっちですよー! そんな地味なカヨコっちばっかり苛めてないで、こっちを向いて、私と盛大に踊りましょー!」
そのハルカの完全に死角となる背後から、ムツキが複数の手榴弾をジャグリングのようにお手玉しながら躍り出た。彼女はあえて派手な着弾音をハルカの足元に連続して炸裂させ、耳障りなまでの精神的挑発を繰り返すことで、ハルカの狂気的な敵意を強制的にカヨコから自分へと引き戻していく
深紅のスコープの向こう側、激しく立ち込める灰色の硝煙と、火花が幾重にも交錯する極限の世界のなかで、アルは奇妙なほど冷徹に、そして静かに戦況を分析し続けていた
(正気を失って暴走していても……あの子の肉体に染み付いた戦闘技術は健在。私に少しでも意識を向けさせ、正確に狙わせている状態のままでは、いくら大口径の弾丸であっても、直前で銃身で受け流されるか、あるいは色彩の障壁を一点に集中されて、私の攻撃は決定打にならずに意味をなさなくなる……)
普段のアルであれば、この極限状態の重圧に押し潰され、涙目で泣き言を言っていたかもしれない。だが、今の彼女の脳裏には、奇妙な高揚感と、便利屋68を束ねる冷徹なまでの社長としての自覚が同居していた
(ふふ、私達便利屋68が、こんなにも全力を尽くして、服も髪も泥泥になるまで圧倒的に追い詰められるなんて……それこそ、あのゲヘナ学園の空崎ヒナ委員長と真っ正面からやり合う時くらいだと思っていたのだけれど……)
トリガーにかける指の感覚を研ぎ澄まし、冷静に狙撃の一瞬を計っている一人の職人としての自分。そして、目の前で変わり果ててしまった、けれど圧倒的に、見違えるほどに強くなったハルカの姿をどこか誇らしげに見つめる「社長」としての意識が、アルのなかの精神で美しく、けれど確かに2つに分かれていく
(初めて便利屋の事務所にやってきた時の、あのいつもオドオドして、私の顔色ばかりをビクビクと伺っていた、小さな女の子からは……本当に、考えられないほど強く、頼もしく成長しているわね
……皮肉なことに、こうして敵として命懸けで戦ってみて、初めて貴方のその規格外の強さが身に染みるほどよく分かったわ。……まぁ、色彩に操られている最悪の状態でも、吐き出す言葉がどこまでも卑屈で、自分を下僕だのゴミクズだの呼ばわりするところだけは、全然変わっていないみたいだけれど!)
だからこそ、救わなければならない。その間違った方向へと暴走してしまっている圧倒的な力を、もう一度、自分たちのくだらなくて、温かい居場所へと連れ戻すために
何が「下僕」よ、何が「ゴミクズ」よ
伊草ハルカは、世界で一番格好良いアウトローを体現する便利屋68の、他ならぬ正真正銘の正規社員なのだから
「死んでください! 死んでください死んでください……っっ!!!」
激情のままにハルカが自身の喉を掻きむしり、その咆哮とともに散弾銃の銃身を大きく振りかざす。その刹那、あまりにも破壊的な戦闘の嵐のなかに、ほんのコンマ数秒、針の穴を通すような致命的なまでの空白が生まれた
「今……!」
直撃を免れ、低空で体勢を立て直していたカヨコが、その一瞬の隙を逃さずにコンクリートの床を強く蹴り抜いた。ハンドガンを構えたまま、弾丸のような速度でハルカの懐へと鋭い突撃を仕掛ける。ハルカが銃身を戻してこちらに照準を合わせるよりも、自分のゼロ距離射撃がハルカの防衛線をぶち抜く方が圧倒的に早い──これまでの無数の死線を共にしてきたカヨコの経験と、冷徹なまでの戦術的直感が、その勝利の確信を明確に告げていた
しかし
「カヨコっち! ダメ、戻って!!」
上方のキャットウォークからすべてを見下ろしていたムツキの、悲鳴にも似た鋭い絶叫がセクター内に木霊した
「!!」
カヨコの瞳が、前方の視界の隅で「それ」を捉えた。ハルカのボロボロに引き裂かれた制服のポケットから、乾いた金属音を立てて床へと転がり落ちた、鈍い銀色の小さな円筒。それは先ほど、アルがハルカの裏をかくために使用したのと全く同じ戦法──即席の罠としての閃光手榴弾だった
正気をもぎ取られ、思考が暴走しているはずのハルカだったが、その驚異的な戦闘学習能力は、先ほど自分を嵌めたアルの戦術をこの極限状態で完全に模倣し、自らの足元に仕掛け、肉薄するカヨコをハメるためのカウンターとして用意していたのだ
このまま肉薄すれば、カヨコの視界はゼロ距離での猛烈な閃光によって完全に潰される。そして視力を失い、身体が硬直したその瞬間に、ハルカの持つ狂気的な散弾の嵐を全身に浴びることになるだろう。それはハルカほど頑丈な肉体や障壁を持っていないカヨコにとって、なす術もなくヘイローを破壊されかねない、文字通り致命的な大ダメージを意味していた
ハルカの、血走った漆黒の瞳に、歪んだ「笑顔」がねっとりと浮かび上がる
完全に今、自らが仕掛けた完璧な罠にかかった哀れな獲物を、徹底的にハントすることしかその脳内にはない。アルへの忠誠を証明するため、目の前の敵を肉片に変える悦びに、その指先が歓喜で震えていた
(((((──今……!!!)))))
遮蔽物の影、世界が完全に静止したかのような錯覚のなかで、アルはスコープの深紅のレティクルをハルカの額の真上、彼女の精神を呪縛している色彩の残滓が最も濃く渦巻く「ヘイローの基部」へと完璧に固定していた
一撃でも外せば、前線にいるカヨコの命はない。それどころか、ハルカという最愛の部下の心を取り戻すチャンスすら永遠に失われるかもしれない。そんな、普通なら引き金を引く指が震えて止まらなくなるような絶対の重圧。しかし、今のアルの指先に迷いは微塵もなかった。ただ静かに、冷徹に、職人の如き正確さでハルカの動きの軌道を完全に予測し、そのヘイローの中心を狙い澄ます
ハルカの足元で、起爆した閃光弾が世界を真っ白な地獄へと変えるために爆発的な光を放ち、鼓膜を抉る高周波の破裂音が閉鎖された空間を激しく震わせた、まさにその刹那
アルは、全ての迷いを断ち切って『ワインレッド・アドマイアー』の重い引き金を、限界まで絞りきった
ドンッ!!! と、耳を打つ大口径の狙撃弾が音速を超えて撃ち出される
ハルカは目の前のカヨコを確実にハントすることに全意識を集中させており、おまけにアルの放ったあまりにも重い一発の発砲音は、ハルカ自身が足元で炸裂させた閃光弾の凄まじい爆音と高周波の破裂音のなかに、計算されたかのように完全に溶け込んでカモフラージュされていた
狙撃手の存在を意識から完全に排除されたハルカの元へ、夜闇を引き裂く死神の矢が、まっすぐに、音もなく突き進む
「っ!?」
ハルカが勝利の引き金を引くよりも早く、アルが撃ち込んだ渾身の精密狙撃弾が、炸裂する真っ白な光の暴力の隙間を完璧に縫って、ハルカの頭部へと容赦なくヒットした
「ガァッ……!」という短い悲鳴
ヘイローの直下、色彩のオーラが最も激しく明滅していた急所中の急所を正確に捉えた銃弾の凄まじい運動エネルギーにより、ハルカの頑丈な肉体は独楽のように激しく回転しながら、後方の防壁へと一直線に吹き飛ばされた。その小さな身体が激しく壁に激突し、ズドォォンと重苦しい衝撃音とともに、背後のコンクリートに蜘蛛の巣状の深い亀裂が走る。彼女の手に握られていた散弾銃が床へ乾いた音を立てて転がり落ちた
やがて、網膜を白く灼いていた最悪の閃光がゆっくりと収まり、皆の視界が徐々にクリアに戻り始めた。充満する硝煙の匂いが鼻を突く
立ち込める白い煙の向こう側、激しく崩落したコンクリートの防壁の瓦礫のなかに、ハルカの身体が力なく横たわっているのが見える。その頭上のヘイローは、激しい明滅を繰り返した後に、ゆっくりと消灯するようにしてその姿を消していた
「っ……や、やったんだね……」
激しい光をあまりにも至近距離で浴びてしまったため、後方にいたムツキやアルよりも視界の回復に時間がかかっているカヨコが、未だチカチカと不規則に明滅する視界を黒い手の甲で押さえながら、安堵の混ざった低い声で呟いた
「うん。直撃の瞬間の手応え、上からバッチリ見てたよ。あのハルカちゃんでも、流石に完全に気を失ってると思うな」
上方のキャットウォークの鉄骨から、身軽なモーションで滑り降りてきたムツキが、いつの間にかカヨコの元へと駆け寄り、まだ閃光の影響で足元の覚束ない彼女の細い肩をそっと支えて貸してあげる
「2人とも、本当にご苦労だったわ。怪我はない? どこか酷く撃たれたりしていない?」
アルが愛銃の銃口をゆっくりと下げ、2人の元へと息を切らせながら走って近づいてきた。その表情には、作戦を完璧に遂行しきったリーダーとしての誇らしさと、ボロボロになりながらも自分を信じて舞台を整えてくれた仲間を気遣う優しさが等しく宿っている
「まだ少し目が霞むし、激しい耳鳴りも残ってるけど、なんとかね。それより社長の方こそ、あの極限の状況と距離で、よくハルカのこめかみを正確に撃ち抜けたね。あれじゃあ、流石のハルカでも一溜りもないよ」
カヨコが少しだけ普段の硬い視線を和らげて、アルを労うように見上げる
「くふふ〜、社長のここ一番での本気の狙撃はやっぱり世界一だね♪ さーて、これでひとまず任務完了だね! このままハルカちゃんを、念のために私のバッグにある頑丈なロープでぐるぐる巻きに縛って下に連れて降りたら、私達の今回の任務は一件落着だよ!」
「そう……本当に、良かったわ……」
アルは深々と溜め込んでいた息を吐き出し、限界まで張り詰めさせていた両肩の力を抜いた。それを見たカヨコとムツキの顔にも、ようやくいつもの便利屋68らしい、悪戯っぽくて柔らかい笑顔が浮かぶ。最悪の決戦の場であったはずの不気味な円形セクターに、微かながらも、彼女たちの温かい日常の空気が戻りつつあった
3人は警戒を完全に解いたわけではなかったが、硝煙の熱気が残るコンクリートの上を、確実な勝利の足取りでゆっくりと進む。瓦礫の山に力なく埋もれているハルカとの距離は、十メートル、五メートルと確実に縮まっていった
「ふぅ……。まぁ、流石にここまで私の完璧な戦術が決まれば、あのタフなハルカでも大人しく気を失うはずよね。これ以上頑丈だったら、それこそ化け物か何かだわ…」
ハルカの数メートル手前まで差し掛かったその時、アルが何気なく、フッと安堵の色を滲ませながら、誇らしげにボソッと一言を呟いた
「ちょっと、社長……。まだ完全に安全が確保された訳じゃないんだから、そういうこと言うの、本当に辞めて……」
カヨコが心底呆れたように深い溜息をつき、まだチカチカと痛む額を細い指先で押さえる。その声には、勝利の喜びよりも、いつもの社長の悪癖に対する頭痛のようなニュアンスが混ざっていた
「くふふ〜、カヨコっち堅いこと言わないのー。でもそれって、いわゆる古典的なフラグってやつだよね♪ ほらほら、ハルカちゃん! 今すぐ起きて、社長のあの自信満々なカッコつけた顔を、思いっきり青ざめさせてあげてー?」
ムツキが悪戯っぽくケラケラと笑いながら、ハルカを拘束するために、手慣れた手つきで重いミリタリーバッグの底から頑丈な軍用のナイロンロープを取り出す
アルは「もう、ムツキったら変なこと言わないで頂戴!」と苦笑いしながらも、その視線はじっと横たわるハルカの顔に釘付けになっていた。ハルカの頭の上に浮かんでいるはずのヘイローは、今はどこにも見えない。キヴォトスの生徒において、ヘイローの消失は気絶、あるいは完全な意識喪失を意味する、何者にも覆せない絶対の証明だ
しかし、もしも目が覚めた時、ハルカは本当に元の大人しくて気弱な、自分たちを慕ってくれるハルカに戻っているのだろうか。それとも、あの悍ましい『色彩』の呪縛がまだ脳裏の奥底にどす黒く残っていて、またこんなふうに自分たちに向かって、狂ったように銃口を向け、暴れてしまうのではないか──
そんな、割り切れない不安と胸を締め付けるような心配が、アルの頭を過った、まさにその瞬間だった
横たわっていたハルカの頭上に、フッと、まるで完全に切れて消えかかっていた電球が、パチパチと音を立てて不気味に再点灯するかのような唐突さで、紫色のヘイローが再び浮かび上がった。それと同時に、ハルカの血に汚れた口元が、こちらの敗北を嘲笑うかのように歪な「笑み」の形へとゆっくりと持ち上がる
「なっ……!? 2人とも、下がって!! 早くそこから離れて、警戒を……っ!!」
アルがその異変に誰よりも早く気がつき、喉を引き裂くような悲鳴を上げかけた、まさにその瞬間
ドン!!! と、カヨコとムツキがまさに今踏み込もうとしていた、足元のコンクリートの床が、すべてを消し飛ばすような凄まじい轟音とともに文字通り大爆発した。ハルカがアルの狙撃によって気絶する直前、自らの身体がヘッドショットの衝撃で後方へ吹き飛ばされるその放物線の軌道上にすら、あらかじめ遅延信管付きの対人地雷を正確にセットし、自分を囮にした最悪の罠を構築していたのだ
「っ……!!」
不意を突いた爆風と強烈な爆鳴が三度、便利屋68の3人の視界を、容赦のない赤黒い炎の渦と容赦のない衝撃波で塗り潰していく──
「あぐっ……!?」
爆風の直撃を正面から受け、アルの身体は軽々と宙へと高く吹き飛ばされた。重力に従って無残に墜落した背中に、無機質で冷徹なコンクリートの硬い感触が、凄まじい質量とともに伝わる。肺の中の酸素を強引に全て吐き出させられ、心臓がバクバクと壊れた時計のように悲鳴を上げる
キーンと高く耳を突き刺す不快な耳鳴りが頭の奥を支配し、チカチカと視界が壊れたモニターのように激しく点滅する。何が起きたのか、一瞬だけ状況がまったく理解できなかった
アルの脳裏に、直前の光景が嫌なスローモーションのように蘇る。確実に狙撃が命中し、気を失っていたと思っていたはずのハルカ。その頭上に突如として死者のように浮かび上がった冷酷なヘイローと、あの狂気的な笑み。それが視界に映ったかと思うと、次の瞬間には自分たちの真下から強烈な炎が爆ぜたのだ
背中と後頭部を襲う激しい鈍痛に耐えながら、アルは今自分が、爆発の起点から数十メートルも離れた壁際まで吹き飛ばされ、床に無残に転がっているのだと、ようやく現実を理解した
「う、うそ……み、みんなは……みんなは無事なの……っ!」
今にも深い暗闇に呑み込まれ、気を失いそうになる両目を、爪を手のひらに立てる激痛で無理やり見開き、視界を遮る濃い灰色の土煙の向こうを必死に凝視する
爆発の白煙が徐々に晴れていく中、アルの目に真っ先に飛び込んできたのは、床に倒れ伏してピクリとも動かないムツキとカヨコの姿だった。爆発の起点となった位置からして、ハルカをロープで縛るために最も前線まで近づいていた2人が、一番至近距離でハルカの地雷の牙を真っ正面から喰らってしまったのだ。2人の身体はアルと同じように、あるいはそれ以上の凄まじい勢いで、後方の頑丈な防壁へと叩きつけられていた
「カヨコ……! ムツキ……!! 嘘でしょ、返事をして……!!」
アルが痛む胸を押さえながら、掠れた声を絞り出す。土煙の向こうで、辛うじてカヨコの細い指先がピクリと動くのが見えた。ムツキの頭上のヘイローも、今にも消え入りそうなほど弱々しく点滅している。キヴォトスの生徒としての頑丈さのおかげで、命に別状はないはずだが、至近距離での爆破と激突のダメージはあまりにも深く、2人ともこれ以上の戦闘を継続するどころか、立ち上がる気力さえ残されていないのは明白だった。
「あ、う……あ、あ……。アル……様……」
重苦しい沈黙が支配するフロアに、肉体を引きずるような不気味な足音と、呪詛のような呟きが響き渡る
「ふ、ふふ……見て……くださりましたか……アル様……。私は……貴方の忠実な下僕として……あのお方の静寂を邪魔する……この、目障りなゴミクズどもを、全員、一人残さず……」
満身創痍で倒れ伏す2人の様子を、絶望の視線だけで追っていたアルの目の前に、フラフラと幽霊のように足元を覚束なく揺らしながら、ハルカがゆっくりと、確実に近づいてきた
その姿は、痛々しいという言葉すら生ぬるいほどに、ボロボロに破壊し尽くされていた。アル達の容赦のない猛攻を一切避けようともせず、すべての弾丸と爆風のダメージをその身に溜め込んだ状態で、最後にアルの本気のヘッドショットを直撃で喰らったのだ。本来なら、どれほど頑丈な生徒であろうと、今この瞬間に意識を保って立っていること自体が異常であり、絶対にあり得ないはずだった
(これも……ハルカの、あの尋常じゃない精神力……ね)
アルは悲痛な思いと、胸を締め付けられるような切なさを抱きながら、一歩一歩フラフラと近づいてくる最年少の部下を見つめた
ハルカは元々の肉体的なタフさもさることながら、一度こうと信じた対象への信仰心、そして忠誠心という名の精神力においては、人一倍どころか便利屋68の誰よりも強固で、そして苛烈だ。今のハルカの、焦点が完全に合っていない虚ろな瞳や、今にも糸が切れた人形のように崩れ落ちそうな立ち姿から察するに、肉体の限界などはとうの昔に超えている。普通ならとっくにショック症状で昏倒しているはずの領域だ。もうほんの軽く指先で小突くか、冷たい風が吹くだけでも、風船が弾けるように完全に意識を失ってしまうはずの、文字通り薄氷の上の平穏
そんな限界をとうに超えた状態でありながら、彼女はただ「アル様の役に立つ」「あのお方のために邪魔者を排除する」という、そのあまりにも純粋で、狂った精神力だけで強引に肉体を強制駆動させ、重いショットガンを抱えてこちらに向かって歩いてきているのだ。色彩の悍ましい呪縛が、彼女のその一途すぎる純誠な心を、最も最悪な形で利用し、都合の良い兵器として操っていた
「これで……終わりです……。あのお方が望まれる……静寂の世界のために……。アル様の偽物も、他のみなさんも……死んでください」
ハルカの手から力なく垂れ下がっていたショットガン『ブローアウェイ』が、ギチギチと筋肉が悲鳴を上げる音を立てて、アルの顔面へと持ち上げられる
「しゃ……ちょう……逃げ……て……っ……」
「あ、アル……ちゃん……ダメ……」
背後の瓦礫の山から、カヨコの掠れた声と、いつもと違って完全に余裕を失ったムツキのか細い悲鳴が、血の混じった硝煙の中に虚しく響く。2人も必死に身体を動かそうとしているが、地雷のゼロ距離爆破によるダメージは重く、指先を動かすのが精一杯だった
その制止の声が届くよりも早く、ハルカは機械的な足取りでアルの目の前にたどり着いた。冷たいコンクリートの壁に背を預けたまま、もう指一本動かす回避の力すら残されていないアルの額へと、冷たいショットガンの黒々とした銃口が、迷いなくピタリと突きつけられる。鉄の冷気と、ハルカが放つ圧倒的な殺気がアルの肌を刺した
(……ふふ。本当に……年貢の納め時……ってやつかしらね。ゲヘナ学園を飛び出して、自由な大悪党を目指して……。自分が集めて、自分が一から育てたはずの、世界で一番自慢の社員に倒される社長なんて……きっとキヴォトスの長い歴史を探しても、前代未聞の恥ずかしい記録だわ……)
迫りくる死の感覚を前に、アルの脳裏に自嘲気味な思いが過る
打てる手は、そのすべてを尽くした。便利屋68として積み上げてきた絆も、阿吽の呼吸も、ゲヘナの風紀委員会の巻き起こす騒動から逃げ回る中で培った泥臭い逃亡技術も、そのすべてを注ぎ込んだ。それでも、たった一人の身内の、自分たちへの歪められた想いからくる凄まじい執念に、自分たちは負けたのだ
アルは、額に突きつけられた黒い銃口を真っ正面から見つめ返した。至近距離からショットガンの散弾を受ければ、いくら頑丈なキヴォトスの生徒であってもただでは済まない。下手をすれば、本当にヘイローが壊れて二度と目が覚めなくなるかもしれない
それでも、アルの心に宿ったのは、恐怖や恨みではなかった
「……流石、私の自慢の社員ね。どんなにボロボロになっても絶対に諦めない……完璧なハードボイルドよ、ハルカ」
頭に冷たい鉄の感触を突きつけられながら、アルはハルカに向けて、慈愛に満ちた優しい笑みを、いつも通りの堂々とした社長の態度でニッコリと投げかけた
それは、アルがこの絶望的な極限状態で、ハッタリでも何でもなく、無意識に心の底から放った嘘偽りのない本音の言葉だった
ハルカを元の優しいあの子に戻してあげられなくて悔しい。こんなカイザーコーポレーションの古びた管理棟の片隅で、自分の無力さのせいで負けてしまうのが悔しい。そんな気持ちがないと言えば、当然嘘になる
だが、それ以上に。自分とカヨコとムツキという、ゲヘナ学園でも名の知れた実力者3人を相手に、まだ1年生のハルカがたった一人でここまで格好良く、圧倒的な執念と戦術で戦い抜いてみせたというその事実が、アルにはたまらなく愛おしく、誇らしく、そして嬉しかったのだ
ハルカが引き金を引きさえすれば、すべてが終わる。アルは静かにそっと目を閉じ、その衝撃の瞬間を待った
──しかし
覚悟を決めたはずなのに、一向にフロアへ全てを終わらせる爆音が轟く気配も、肉体を散弾が引き裂く衝撃も訪れない
静寂が、不気味なほどに、どこまでも長く引き伸ばされていく
不審に思ったアルがゆっくりと瞼を開くと、そこには、銃口をアルの額に向けたまま、彫刻のように完全に硬直しているハルカの姿があった。ハルカの血走った漆黒の瞳が、激しく、激しく、激しく、まるでバグを起こした精密機械のように不規則に揺れ動いている。銃を握る彼女の両手は、今にも重い銃を床へと落としてしまいそうなほどにガタガタと無様に震えていた
ハルカの脳内に、色彩の強制的な精神書き換えを力ずくで破りかねないほどの、致命的な「矛盾」の嵐が吹き荒れていた
目の前にいるのは、自分を誇りと呼び、どんな時でも優しく微笑みかけてくれる「偽物のはずのゴミクズ」。だが、その温かい声、その凛とした表情、その自分を全肯定してくれる絶対的な言葉の響きは、ハルカの魂の最も深い場所に刻まれた、「世界で一番大好きな、本物のアル様」そのものの波長だった。色彩の洗脳は「アルの偽物が現れて世界を壊そうとしている」と告げているのに、目の前の存在は、どうしようもないほどに本物のアル様だった
「………………………………ア、アル……様……?」
引き金にかけられたハルカの指が、痙攣するように小さく跳ねる
色彩の呪縛によって上書きされた偽りの忠誠心と、便利屋68として今まで共に笑い、共に泣き、積み上げてきた本物の愛が、彼女の脳内で激しく衝突し、その精神を内側から崩壊させるかのように激しく火花を散らし始めていた
「あ、あ、アル、様……? 私は、私は……違う、違うんです、私はあのお方の忠実な下僕で……でも、アル様が、本物のアル様が、そんな、そんな優しいお顔で私を……うあぁぁぁっ! 脳、脳みそが、割れ、割れるぅぅぅっっ!!」
ハルカは狂ったように頭を左右に振り乱し、自身のこめかみを両手で強く何度も打ち付けた。混濁する意識の中で、引き裂かれそうな精神の痛みに耐えかねて悲鳴を上げる。額に突きつけられていたショットガンの銃口が大きく上空へと跳ね上がり、パニックを起こした指先が引き金を引いた
大音響の爆音が響き、天井に向けて無意味な散弾が放たれる。その衝撃で、崩落しかけていたドーム状の天井からパラパラとコンクリートの砂埃が、対峙する2人の間に白く降り注いだ
限界まで張り詰め、内側から引き裂かれそうになっていたハルカの精神の天秤は、アルの濁りのない、ただひたすらに温かい微笑みによって、劇的にその均衡を崩していく。これまでに積み重ねてきた偽りのない日々、便利屋68のオフィスで交わした他愛のない会話や、アルから貰った「社員」という名の居場所──それらすべてが、色彩の悍ましい洗脳の鎖を力任せに叩き割ろうとしていた
「……ハルカ……。……私が、私が分かるの……?」
アルが、乾いた喉から途切れ途切れの、しかしどこまでも確かな質量を持った言葉を紡ぎ出す。血に塗れ、満身創痍でありながらも、部下を真っ直ぐに見つめるその瞳には、揺るぎない社長としての威厳と、母のような深い慈愛が宿っていた
その声が、ハルカの耳の奥に、そして魂の最深部に届いた瞬間──
パキィィィン……と、ガラスが粉々に砕け散るような、目に見えない硬質な音が空間に響き渡った
ハルカの全身を、そしてその心を悍ましく縛り付けていた紫黒色の不吉なオーラが、まるで朝日に溶ける霧のようにフッと掻き消える。それと同時に、脈動していた禍々しい色彩のヘイローの輝きも、いつもの見慣れた、穏やかな色彩へと完全に巻き戻っていった
「あ……っ、は、はい……! ア、アル様……ですよね……? あれ……? 私、私……今まで、何を……?」
ハルカは両手に握られていたショットガンを床へとカランと落とし、キョトンとした純真な表情のまま、自分の煤けた両手を見つめ、それから血と硝煙に塗れた凄まじい惨状の円形セクターをぐるりと見渡した
その瞳からは先ほどまでの底知れぬ狂気や濁りは完全に消え去り、いつもの、アルの後ろをオドオドとついて回る「便利屋の最年少社員」のそれへと完全に戻っていた
「えっと……確か私は、皆さんと任務が終わって帰ってる途中で……あの、アビドスの薄暗い路地裏で、何か、頭の変な、フードを被った黒いネコ耳の怪しい人に不意を突かれて、負けてしまって……それから、えっと……?」
先ほどまで自分が便利屋の3人を相手に、どれほど凄まじい自爆特攻を仕掛け、どれほど苛烈に命を奪おうとしていたか、その記憶が完全に抜け落ちているのだろう。ハルカは混乱したようにグルグルと目を回し、自身のこめかみに指先を当てて「ううう……頭が痛いです……」と小さく唸っている
そのあまりにもいつものハルカらしい、どこか抜けていて、けれど愛おしい光景に、アルの口元からも、張り詰めていた緊張の糸が解けるようにしてフッと自然な笑みがこぼれ落ちた
「……ふふ、なんでもないわよ。色々と大変だったみたいね。……おかえりなさい、ハルカ」
アルは泥と硝煙に汚れた手袋で、ハルカの乱れた黒髪を優しく、愛おしそうに撫でる
「えっと……は、はい! た、ただいま戻りました……? アル様……?」
何が起きているのか状況が全く掴めないまま、けれど大好きなアルから向けられる絶対の安心感に、ハルカは小さく頬を染めながら、いつものようにペこりと深く頭を下げて返事をした
「……身体は、どこも痛くない? 大丈夫?」
アルは自らの傷だらけの身体の激痛を完全に無視して、部下の容態を気遣う。ハルカの制服はあちこちが破れ、アルの蹴りやカヨコ、ムツキの弾幕を受けた痕跡が痛々しく残っていた
「す、少しだけ全身がズキズキと痛むような気がしますが……でも、アル様の前ですから! この伊草ハルカ、これくらい何ともありません! 全然大丈夫です!」
(少し……ね)
アルは心の中で苦笑しながら、愛おしそうに目を細めた
明らかにハルカの両足は生まれたての小鹿のようにフラフラとついておらず、今にも崩れ落ちそうな状態だ。それでも、自分を心配させまい、これ以上迷惑をかけまいと、必死に背筋を伸ばして虚勢を張っていることが痛いほど伝わってくる
どうやら、本当に、間違いなく、自分たちのハルカが元に戻ってくれたのだ
「……そう。それじゃあ、少しだけお願いがあるの。……後ろを見て。カヨコとムツキが、あそこで倒れて動けないのよ。2人を背負って、一緒に下に降りてくれるかしら?」
「えっ……!? か、カヨコ課長!? ムツキ室長!?」
アルに言われて初めて、ハルカは遮蔽物の影でボロボロになって倒れ伏している先輩たちの存在に気がついた。ハルカの顔面が、一瞬にして真っ白に驚愕で染まる
「ひ、ひえぇぇぇっ!? 大丈夫ですか、お2人ともーっっ!!」
ハルカは文字通り脱兎の如き勢いで後ろを振り向き、倒れている2人の元へと急いで駆け寄っていった。その様子を見届けながら、アルもまた、床に転がっていた自身の愛銃を泥泥の手で拾い上げ、それを杖代わりにして、痛む膝を震わせながらなんとか強引に立ち上がった
「カヨコ課長! ムツキ室長! 起きてください! 私が、不肖この伊草ハルカが、今すぐお助けしますからぁっ!」
ハルカは完全に意識を失ってぐったりとしているカヨコを右肩に、ムツキを左肩に、その華奢な見た目からは想像もつかないような規格外の怪力で軽々と担ぎ上げると、涙目を浮かべながらアルの元へと全力で走って戻ってきた
「い、い、い、一体全体、何があったんですか、アル様!? ここはどこですか!? 敵襲ですか!? 便利屋68をここまでコケにするなんて、どんな極悪非道な大悪党の仕業ですか!? 私が、今すぐそのアホの事務所を爆破して、消し炭にして、ビルごと更地にしてお詫びさせますからぁっ!!」
大慌てで周囲をキョロキョロと見回しながら、怒りと混乱で鼻息を荒くするハルカ
しかし、ここで本当のこと──「便利屋をここまでボロボロにしたのは、他ならぬ色彩に洗脳された貴方自身よ」という真実を話してしまったのなら、彼女の性格からしてどうなるかは火を見るより明らかだった
『う、うあぁぁぁっ! 私のせいで、私のせいでアル様たちをこんな目に……っ! 出来損ないの私は、今すぐここで自爆して、内臓をブチ撒けて責任を取るしかありませんんんっっ!!!』
そう叫びながら、今度こそ本気の手製爆弾を自身へと起動させかねない
アルは小さく息を吐くと、2人の先輩を両肩に担いで慌てふためいているハルカの頭へと、そっと優しく、包み込むように手を置いた
「……なんでもないのよ、ハルカ。敵襲なんてどこにもいないわ。ただね……」
アルはハルカの目を真っ直ぐに見つめ、悪党らしからぬ、どこまでも慈愛に満ちた社長の顔で微笑んだ
「ただ、私の……いえ、私たちの可愛い社員がね。初めて事務所のドアを叩いた時からは想像もつかないくらい、本当に頼もしく、強く成長した姿が見られたの。……ただ、それだけのことよ」
「……へ? 私の、成長……ですか?」
ハルカは両肩に担いだ2人の先輩のずっしりとした重みを感じながら、ポカンと間抜けた声を上げた。いつもの卑屈な自分からは到底結びつかない「成長」というきらびやかな言葉の響きに、理解が全く追いつかないという風に首を小さく傾げている
「ええ。だからもう、この話はおしまい! 便利屋68の社長命令よ」
アルはあえて話を打ち切るように、自身のロングコートの裾をパサリと翻してみせた
「こんな不気味で埃っぽいカイザーコーポレーションの古い塔からは、早く脱出するわよ! 一刻も早く2人を安全な下に連れて行って、丁寧な手当てをしてあげるんだから。……さあ、行くわよ!」
「は、はいっ……! 社長命令、確かに拝命いたしました! アル様が歩まれるアウトローの覇道なら、例え火の中、水の中、地獄の果てまでこの伊草ハルカ、どこまでもお供します!」
ハルカは涙の跡が残る顔をパッと輝かせ、いつもの狂信的な忠誠心を全身から漲らせた
アルは全身の骨が軋むような激しい激痛を、便利屋68のトップとしてのプライドと理想のハードボイルド精神だけで無理やり支え、フラフラとした足取りながらも、決して弱みを見せないよう前だけを真っ直ぐに見据えた。そして、下層へと降りる鉄製の非常階段に向かって、一歩一歩、確実な足取りで歩き出した
ハルカはその頼もしいワインレッドの背中を、世界の何よりも尊く美しいものを見るような、純粋な憧れの瞳で見つめ直した。右肩のカヨコと左肩のムツキを落とさないよう、その華奢な腕でしっかりと抱え直すと、アルの後にピタリとついて歩みを進めていく
「うう……重い……ハルカ、ちょっと、揺らさないで……頭に響く……」
「くふふ……ハルカちゃん、お迎えありがとうー……。でも、お肉がちょっとくい込んで痛いかなー……」
ハルカの肩の上で、地雷の衝撃からようやく意識を部分的に覚醒させ始めたカヨコとムツキが、気怠げな、しかしどこか安心したような声を微かに漏らす
「ひ、ひえぇぇぇっ!? 申し訳ありませんカヨコ課長、ムツキ室長! 私のようなゴミクズの肩が、お2人の高貴な肉体を圧迫して痛めてしまうなんて、万死、万死に値しますぅぅっ! 今すぐここで首を吊ってお詫びを──っ!」
「ハルカ、歩きながら物騒なこと言わないの! 前を見て歩きなさい!」
「は、はいっ! 申し訳ありません、アル様っっ!!」
そんな、いつもの、いつも通りの、騒がしくて愛おしい便利屋68の掛け合いが、薄暗い階段室の中に静かに響き渡り、吸い込まれていく
アルは階段を下りる途中で、ふと足を止め、壁の至る所が大きく吹き飛んで開け放たれたコンクリートの破片の向こう側──旧カイザー基地の、さらに高層階の空を見上げた
そこでは今まさに、アビドスを、後輩を救うために突入した、もう一人のシロコ──『砂狼シロコ(クロコ)』が、色彩によって変わり果ててしまった仲間である『セリカテラー』と、真っ正面から対峙しているはずだった
便利屋68としての仕事は、ここで完璧に完遂した。最も厄介な防衛線を張っていたハルカを、傷つけることなく無事に奪還してみせたのだ
(──あとは任せたわよ、クロコ。アビドスの、貴方の、大切な後輩を……今度は貴方のその手で、絶対に救い出してあげなさい)
アルは、激しい戦闘の後に完全な沈黙を取り戻した円形セクターの闇を最後にもう一度だけ見つめ、それから前を向いた
彼女たちの任務は終わった
心の中で、あの一匹狼の、けれど不器用で優しい少女へと、便利屋としての確かな、そして最大級のエールを送り届けながら、アルは大切な仲間たちと共に、夜明けの近いアビドスの砂漠へと続く階段を、力強く下りていくのだった
戦闘シーン難しい…上手く書けたかな…本気でかっこいいアルちゃんって思って貰えたのならうれしいです!