シロコテラーと救われたかったセリカ   作:気弱

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行方不明のセリカ

「……親方、すみません。緊急事態。のちほど、必ず埋め合わせはする」

 

「あ、おい! クロコ! まだ作業の途中だぞ!」

 

資材置き場の陰でそれだけを告げると、クロコは親方の引き留める声を背後へ置き去りに、弾かれたように走り出していた

 

頭を締め付けていた黄色い安全ヘルメットを荒々しく脱ぎ捨て、工事現場の無機質な鉄製ゲートを強引に飛び出す。彼女がその泥だらけの手で乱暴に跨がったのは、昨日、あの温かい歓迎会の中でシロコとノノミから「アビドスへようこそ」の言葉と共にプレゼントされたばかりの、あのマットブラックに塗装されたロードバイクだった

 

不幸中の幸いと言うべきか、あるいは運命のあまりに残酷な皮肉と言うべきか。このキヴォトス最高峰の走行スペックを誇る「黒い相棒」が手元にあったお陰で、臨海埋立地のじりじりと焼けるコンクリートから数キロメートル離れたアビドス高等学校まで、普段なら遮るもののない砂漠の直進道路を車で走っても数十分はかかる極大の道のりを、クロコは肺が破れんばかりの勢いでペダルを漕ぎ続け、わずか10分足らずという驚異的な速度で駆け抜けていた

 

ペダルを極限まで踏み込むたびに、喉の奥が鉄の味で満たされ、肺を内側から激しく焦がすような熱い吐息が口から白く漏れる。アスファルトを猛烈な勢いで蹴り上げるタイヤの摩擦音が、まるで大切な何かが崩壊していく不吉なカウントダウンのように、クロコの灰色の獣耳の奥で不快に鳴り響いていた

 

ガラガラ、と砂を噛む音を立ててアビドス高校の重い正面玄関の鉄扉を押し開け、しんと静まり返った、まるで墓標のように冷え切った廊下を全速力で渡る

 

激しく息を切らせながら、かつて何度も夢に見、そして昨日ようやく自分の居場所になり得ると信じかけた『アビドス廃校対策委員会』の教室の引き戸を勢いよく開けた瞬間──クロコの身体は、頭の先から爪先に至るまで、本能的な戦慄とともにその場に釘付けにされた

 

昨日、あれほど眩しい色鮮やかな紙吹雪が宙を舞い、ノノミが用意した甘いお菓子の匂いと、大将が特別に仕込んでくれた柴関ラーメンの香ばしい醤油の香りに満ち満ちていた、あの愛おしいパーティ会場

 

その幸福の残骸である手作りの輪っか飾りや、黒板に大きく踊る『クロコ先輩、大歓迎!!』と書かれたカラフルなホワイトボードの文字は未だにそこに残されているというのに、いま教室を全方位から支配している空気は、まるで底の割れた氷の奥深くのように重く、皮膚を刺すほどに冷たく、昏く不穏に澱みきっていた

 

「あっ……クロコ先輩……っ」

 

最初に入口に現れたクロコの影に気づいたアヤネが、細い糸が切れるかのような、縋るようでいて、けれど今にもその場に膝から崩れ落ちそうな悲痛な声を漏らした。その丸い眼鏡の奥にある水色の瞳は、涙を限界まで堪えるせいで真っ赤に充血しており、デスクの上の情報端末を握りしめる両手は、見ていて痛々しいほどに小刻みに震えている

 

教室の最奥、窓際の影では、シロコがいつもの無表情からは想像もつかないほどの、歪んだ禍々しい殺気を全身から剥き出しに放ちながら、自身の愛銃のボルトキャリアをガシャガシャと何度も執銃し、執拗なまでの点検を狂ったように繰り返していた

 

中央のソファに深く腰沈めているホシノは、いつもならだらしなく抱き枕にしているはずの巨大なクジラのぬいぐるみを、その細い腕で自壊せんばかりの力で強く、強く抱き締めたまま、前髪の重い陰の向こうで、その特徴的なオッドアイの光を完全に凍りつかせて床の一点を見つめている。その隣で、ノノミはかける言葉すら見つからないといった様子で、ただ祈るように胸の前で両手をきつく握り締め、声を殺して立ち尽くしていた

 

「……セリカは……」

 

極度の緊張と恐怖から、喉に張り付くような強い渇きを覚えながら、クロコは掠れた声音で、いまこの状況において一番聞きたくなかった、けれど、アビドスの防衛者として絶対に聞かなければならないその名前を、静かに口にした

 

そのクロコの短い、けれど震える刃のような問いかけに、アヤネはただ、絶望に顔を歪めて無言で首を振るだけだった

 

「見つかってません……。どこを、どう探しても……っ。それどころか、索敵を進めれば進めるほど、不審な痕跡と……私たちの理解を越えた、嫌な事実ばかりが次々と発覚していくんです……っ」

 

アヤネの言葉は、溢れ出そうになる涙を奥歯で必死に堪えるせいで、酷くかすれ、哀れなほどに震えていた

 

「嫌な事実……?」

 

クロコがヘルメットの脱ぎ跡が残る灰色の獣耳を不穏にピクリと伏せ、怪訝そうに水色の瞳を細めると、アヤネは机の上に雑然と広げられていた数枚の書類や地図を、痛々しいほどに震える手でどうにかまとめ、クロコへと差し出した。それは、クロコがいつ現場に到着しても一瞬で戦況を把握できるようにと、アヤネが血の滲むような思いで涙を拭いながら、要点だけを冷徹かつ正確にまとめた、急造の戦況報告プリントだった

 

「これに……現時点で判明している『セリカちゃんの足取り』と、不審な現場のデータをすべて記載しました……。クロコ先輩、驚かないで……どうか落ち着いて、聞いてください……」

 

手渡されたプリントの白い紙面には、アビドス自治区周辺の無機質な等高線地図とともに、血を流した跡のような不吉な赤いマーカーと、信じたくない、いや、信じてはならない最悪の文字列が整然と並べられていた

 

「そこにも書いてある通り、現時点でアビドス対策委員会が把握している、決定的な事実は大きく分けて2つです」

 

アヤネは自身の眼鏡のブリッジを、行き場のない怒りに震える指先で何度も押し上げながら、悔しさに薄い唇をきつく噛み締めて説明を続けた

 

「まず1つ目は、セリカちゃんが昨日の夜、クロコちゃんとあの寂しい分かれ道で別れた、まさにその直後に何者かに襲撃された可能性が極めて高い、ということだね」

 

アヤネの震える言葉に重く被せるようにして、中央のソファに深く腰沈めていたホシノが、いつもとは完全に異なる地を這うような重々しい声音で口を開いた

 

前髪の陰に隠されたそのオッドアイの瞳には、いつもの気の抜けた、昼行灯のような雰囲気など微塵も残されておらず、底知れない冷徹さと、鋭利な刃物のような光がぎらぎらと宿っている

 

「私と……別れた、すぐあとに……?」

 

クロコの心臓が、ドクン、と嫌な熱を持って大きく跳ね上がった

 

「うん。セリカちゃんの家を、おじさんたちで真っ先に調べてみたんだけどね。セリカちゃん、昨日の夜から一回も家に帰っていないみたいなんだ。玄関の鍵は外側から厳重にかかったままだったし、なにより、今日が大切なバイトの日だってのに、彼女がいつも命の次に大切に手入れしている『柴関ラーメン』のエプロンと制服が、ベランダの物干し竿に、昨日の朝干した時の形のまま、綺麗に残されていたからね……」

 

「………っ」

 

その言葉が鼓膜を震わせた瞬間、クロコの脳裏に凄まじい速度と質量で、最悪の、あまりにも遅すぎる後悔が濁流となって駆け巡った

 

もし、あの時──

 

夜の暗い、寂しい砂漠の分かれ道で、お互いに緊張していたからと、奇妙に等間隔の距離を保ったまま、あっさりと彼女の小さくなっていく後ろ姿を見送ったりしなければ

 

照れくさそうに顔を真っ赤にしながら「明日、何も無かったら柴関ラーメンに来なさいよ」と笑ってくれた彼女の家まで、強引にでも、嫌がられてでも一緒に付いていって、その玄関の扉を開ける最後の瞬間まで隣にいてあげられたなら

 

こんな、ようやく掴みかけた大切で温かい日常が、無残に引き裂かれるような事態にはならなかったのではないか。自分のあの時の判断の甘さが、あの安易な見送りが、セリカを再び、救いの届かない窮地に追い込んだのではないか

 

あっちの世界で、理不尽な灾厄の渦中、仲間を一人、また一人と冷たい骸に変え、失っていったあの暗黒の記憶が、濁ったフラッシュバックとなって脳細胞を狂わせる。クロコの水色の瞳が、激しい自責の念と底知れない恐怖で細かく、痛々しいほどに揺らぎ始めた、まさにその時だった

 

「クロコちゃん。ダメだよ、そんな風に自分の中に引き籠もって、思い詰めちゃ。クロコちゃんは、これっぽっちも悪くないんだからね」

 

ホシノが、まるでクロコの脳内で暴走しかけている絶望の思考を完全に読み取ったかのように、言葉を遮るように優しく、けれど、決して拒絶することも逃げることも許さない圧倒的に強い声音で、その自責を真っ向から否定した

 

「……っ。ホシノ、先輩……」

 

胸の奥底を冷たい鉄の爪でギリギリと締め付けられるような痛みに耐えながら、クロコは絞り出すようにその名を呼んだ。視界が自身の浅い呼吸に合わせて不規則に揺れる。それでも、ホシノの放った絶対的な拒絶の優しさに打たれ、クロコは肺の腑に溜まった熱い空気を深く、長く吐き出した

 

耳の奥で鳴り響いていた金属質の耳鳴りが、少しずつ遠ざかっていく。あっちの世界の絶望に引きずり込まれ、暴走しかけていた感情の防波堤を、どうにか両足で踏みとどまらせて押し留める

 

「……、……ありがとう。ん、もう大丈夫」

 

「うん、それでいいんだよ。さて、それじゃあおじさんから問題の2つ目について話をさせてもらうね……。さっきアヤネちゃんが電話でも話していた通り、セリカちゃんが何者かと激しく交戦した形跡が、住宅街の薄暗い裏路地で見つかっている。ここまでは頭に入ってるよね?」

 

「うん。アサルトライフルの弾痕が真新しく壁に残されていて、地面には激しい肉弾戦の痕跡があったって……。でも、それがどうかしたの? キヴォトスにおいて、路地裏での小規模な銃撃戦なんて日常茶飯事のはずだけど」

 

「……普通ならそうだよね。でもね、その現場に残されていた複数の銃痕と、飛び散っていた薬莢をアヤネちゃんと一緒に徹底的に調べてみたんだけどね……。現場の空間に残されていたのは、他でもない……セリカちゃんの銃から放たれた弾丸の痕跡『だけ』しか、どこを探しても見つからなかったんだよ」

 

「……え?」

 

クロコは不可解そうに灰色の獣耳をピクリと不自然に動かし、水色の瞳をさらに細めて小首を傾げた。その表情には、アビドス最高峰の戦闘経験を持つ者としての技術的な疑問が浮かんでいる

 

「それ……ただ単に、襲撃してきた相手がセリカと全く同じ型、あるいは同じ口径の弾丸を使用する一般的な銃を使っていたから……とかじゃないの? 確かにキヴォトス全域に存在する銃器の種類は星の数ほどあるけれど、流通している弾丸の規格や口径の種類はそこまで多くない。セリカの持っているアサルトライフルと、こっちの世界のシロコのアサルトライフルだって、外見は違えど使用する弾丸の規格は全く一緒。それなら、現場の壁に残された銃痕の口径が同じに見えるのは、別に不自然なことじゃ……」

 

「ん。おじさんも最初はそう考えた。同じ口径の、ありふれた突撃銃を使ったサンクチュアリの不良か、あるいはヘルメット団の仕業だって。でも、アヤネちゃんがデータを持ち帰って詳細な解析をかけた限りでは、どうやらそういう単純な次元の話じゃないみたいなの」

 

今度は、それまで一言も発さずに教室内の一角で愛銃のメンテナンスを冷徹に続けていたシロコが、静かに、けれど確実な重みを持って会話に割り込んできた。その水色の瞳は、いつになく鋭利に研ぎ澄まされている

 

「はい。クロコ先輩、私がまとめた手元の資料の3ページ目、その高解像度拡大写真を見てください」

 

アヤネが自身の端末からホワイトボードへと、いくつかの複雑なグラフや、金属表面を電子顕微鏡で捉えた不気味な拡大写真を同期させて指差した

 

「現場のコンクリートから回収された複数の薬莢の底、そして壁に深く刻み込まれた弾丸の変形度合い……。それらの金属表面から検出された『エジェクター・エクストラクター痕』が、現場の砂の上に無残に落ちていたセリカちゃんの本物の愛銃のものと、ミクロン単位の誤差もなく完全に一致しているんです。私たちが路地裏から回収したすべての薬莢サンプルを照合しましたが、例外なく、そのすべてが同じ個体から排出されたものでした……」

 

「エジェクター・エクストラクター痕……」

 

クロコもまた、あっちの世界での終わりなき戦いの中で、銃器全般の構造と知識には誰よりも狂おしいほどに精通している

 

銃の内部機構において、次弾をチャンバーへと装填し、発射後に空薬莢を薬室から引き抜くための爪(エクストラクター)と、その薬莢を外部へと力強く叩き出すための突起(エジェクター)

 

それらが金属同士で激しく擦れ合い、作動する際、薬莢の柔らかい真鍮の表面には、その銃の個体にしか存在し得ない特有の「微細な引っかき傷」が必ず刻印される

 

それは人間でいうところの指紋、あるいは網膜パターンのようなものであり、たとえ同じメーカーの、同じ製造ラインで作られた全く同じ型のアサルトライフルであっても、個体ごとに傷の微細な形状や傾斜は絶対に異なるのだ

 

それが現場の薬莢すべてにおいて完全に一致しているということは、物理的に何を意味するのか

 

現場の裏路地で放たれたすべての凶弾は、襲撃者が持ち込んだ未知の銃から放たれたものではなく──そのすべてが、セリカ自身の銃のトリガーが引かれ、彼女の銃身から発射されたものということになる

 

しかし、クロコの冷徹な脳裏に、一つの純粋な捜査技術的疑問が浮かび上がった

 

「……待って。それって、専用の高度な解析デバイスや、シャーレの超高精度顕微鏡を使わないと判別できないような、肉眼では絶対に見えないもの凄く微細な金属傷だよね? なんでアヤネは、まだ敵の正体も所属すらも特定できていない、こんな一分一秒を争う初期の段階で、そんな気が遠くなるような細かい痕跡の解析まで調べようと思ったの……?」

 

通常の現場検証において、薬莢の個体識別や線条痕の厳密な解析を行うのは、容疑者を拘束し、その所持銃を押収した後の「最終的な証拠固め」の段階が一般的だ

 

なぜアヤネは、セリカが行方不明になった直後という、パニックに陥ってもおかしくない大混乱の最中に、そんな回りくどく専門的な解析作業に貴重な時間を割いたのだろうか。その意図が、クロコにはどうしても掴めなかった

 

「ん。それはね、ホシノ先輩の勘が『そうしろ』って言ったから」

 

それまでパイプ椅子に深く腰掛け、前髪の隙間から覗く鋭い視線を机の上のアビドス地図に落としていたシロコが、淡々とした口調で補足した

 

「……勘?」

 

クロコが意外そうに呟く。普段から極めて合理的、かつ戦術計算を好むアヤネが、そんな不確実な要素を頼りに精密解析という膨大な手足を動かすなど、普通では考えられなかったからだ

 

「うん。おじさんの、ただの当てずっぽうな勘だよ。現場に残されたあの弾痕の散らばり方や、コンクリートの削れ具合を写真で見た時、なんだか胸の奥がザワザワとするような、妙な違和感があってね。直感的に、あの銃痕の角度や転がっている薬莢の僅かな傷の中に、敵の正体を暴く決定的なヒントが隠されてるんじゃないかって、そんな気がしたんだよ〜」

 

ホシノはいつもの緩い「おじさん」口調を崩さないまま、頭の後ろで気楽そうに両手を組んで見せた

 

ヘラヘラとした笑顔の奥のオッドアイは完全に笑っていなかったが、その言葉の持つ重みは、この場にいる誰もが理解していた。キヴォトス最高峰の修羅場を潜り抜けてきた彼女の戦術的直感は、時にシャーレのどんな高性能AIが導き出す計算よりも正確に、世界の理不尽な真実を射抜く

 

「……相変わらず、とんでもない勘の鋭さだね、ホシノ先輩。半分呆れるレベル。ん、でも助かった」

 

クロコは心底感心したように、そしてかつての戦場でその直感に何度も救われた記憶を噛み締めるようにため息を吐きながら、手元の資料の文字列を見つめ直した

 

しかし、その科学的事実が証明する結論は、あまりにも奇妙で、そして身の毛もよだつほどに恐ろしいものだった

 

セリカの銃の傷しか残されていない現場

 

このキヴォトスという「銃が衣服と同じくらい当たり前の世界」において、およそ考えにくいことだが、敵が銃を持たない異質な存在であり、セリカがその無防備な相手に向けて一方的に乱射していたのか

 

それとも──襲撃者がセリカを圧倒的な力で組み伏せ、彼女の銃を奪い取って、至近距離から彼女自身を撃ち抜いたのか

 

あるいは、もっと最悪の……想像することすら憚られるような何かが、あの暗い路地裏で起きていたのか

 

「それで……そのデータから、敵の正体についての具体的な仮説や目星はついたの?」

 

焦燥を押し殺し、気を取り直したようにクロコが鋭い視線をアヤネに戻して尋ねる。しかし、返ってきたのは、言葉の代わりに返ってきた、部屋の温度を数度下げるような重苦しい無言の首振りだけだった

 

「私達も、あの場所が特定されてからは、周辺の通信記録の逆探知や防犯カメラのログ解析、ブラックマーケットの裏取引の動向まで必死に調べているのですが……全く、これといった手がかりが掴めないんです……」

 

アヤネは頼みの綱であるタブレットを壊れんばかりに強く胸に抱きしめ、限界まで張り詰めていた小さな肩をがっくりと落とした

 

その細い背中には、アビドスの頭脳として、そして大切な仲間として、セリカの危機を未然に防げなかったことへの強い焦燥と、底知れない無力感が重くのしかかっているように見えた

 

「アヤネ、あんまり自分を責めて、気を落とさないで。あなたの迅速な分析があったからこそ、こうして銃痕の不可解な事実にまで辿り着けたんだから。ん、アヤネはよくやってる」

 

その痛々しい様子を見たクロコが、そっとアヤネの震える肩に手を置き、心配そうに、けれど確かな先輩としての温もりを込めて声をかける

 

「そうだよ、アヤネちゃん。セリカちゃんはおじさんたちのアビドス一の頑固で、そして最高に強い看板娘だよ? 今頃きっとどこかで『早く助けに来なさい!』って顔を真っ赤にして怒りながら、私たちの迎えを待ってるに違いないよ。だから大丈夫」

 

「ん。落ち込んで思考を止めるくらいなら、今は手足を動かして行動した方がいい。そっちの方が何倍も建設的」

 

「そうですよ! アヤネちゃん一人が全部の責任を抱え込む必要なんて、この対策委員会のどこにもないんですから! みんなで一緒に、全力でセリカちゃんを見つけ出しに行きましょう!」

 

クロコの言葉に続くように、ホシノ、シロコ、ノノミも代わる代わるに力強い言葉でアヤネを囲み、励ます。仲間たちの温かい絆と信頼の言葉の数々に、アヤネは一瞬だけ目元を緩めて涙を拭うと、意を決したように自分の両頬をパチン! と教室内で小気味いい音を立てて叩いた

 

「そう……ですよね……! すみません、私としたことが、こんな初期段階から弱気になってしまって……。セリカちゃんなら大丈夫、きっと無事です! なんと言っても、彼女がこういう誘拐事件や怪しい拉致に巻き込まれるのは、これで『2回目』ですからね! 一般の生徒より、そういう事態への耐性は確実に生じているはずです!」

 

小さな拳をグッと胸の前で握り締め、予想外の方向で凄まじい現実的なポジティブさを発揮して元気を出すアヤネ

 

「アヤネちゃん……それ、もし本人が今この場で聞いてたら『ちょっと! 私がいつまでも拉致されやすいヒロインだと思うんじゃないわよ!』って、顔を真っ赤にして髪を逆立てて怒っちゃうからね……?」

 

あまりに生真面目すぎるがゆえに、どこかズレた方向へと暴走してしまったアヤネの言葉に、ホシノは引きつった苦笑いを浮かべた。細められたオッドアイには、いつものように年長者としての優しい光が宿っている

 

けれど、その少しだけ抜けたやり取りのおかげで、つい先ほどまで教室の隅々にまでべっとりと張り付いていた重苦しい絶望の澱みはいくらか薄れ、いつもの対策委員会の強みである「どんな逆境でも前を向く空気」が、確実に対策委員会の部室へと戻ってきた

 

アヤネは自身の失言に気づいたのか、小さくコホンと上品に咳払いをすると、眼鏡の位置を直してキリッとした凛々しい表情でホワイトボードの前へと一歩、歩みを進めた

 

「それでは、ただちにセリカちゃんの救出に向けた捜索作戦を開始します! 皆さんにはアビドス自治区内を手分けして、セリカちゃんの足取りに関する情報が何かないかを探してきてもらいたいと思います。現時点では、敵がどんな規模の組織なのか、目的が身代金目的の誘拐なのか、あるいはアビドスへの嫌がらせなのか……何一つ分かっていません。ですから、もし何か怪しい痕跡や敵の尻尾を発見しても──絶対に、一人で突っ走って無理な戦闘はしないでくださいね?」

 

アヤネはそこまで一気に説明すると、言葉の語尾を意図的に少し強めて、ある特定の一点だけを親の敵のようにじーっと冷徹に見つめた

 

「えーと……? アヤネちゃん……説明は凄く論理的でよく分かったんだけどさ。なんでその『一人で突っ走るな』って言う大切な注意喚起の時だけ、おじさんの顔をこれでもかってくらい真っ直ぐ向いて、目力を込めて言うのかな〜?」

 

話している間中、一切視線を逸らさずに自分を凝視し続けるアヤネの視線に対して、ホシノは額に冷や汗を流しながら、流石に困惑した声を上げた。だが、ホシノ以外のメンバーは全員、アヤネがなぜそこまで執拗にホシノを警戒しているのか、その理由が痛いほどによく分かっているようで

 

「ん。この対策委員会の中だと、過去の重大な実績も含めて、何かあるとすぐに単独で突っ走る前科のある危険な常連だから」

 

壁際でジトっとした冷ややかな視線をホシノに向けるシロコ。そしてその隣で、全く同じ角度のジト目を構成しながら「ん。完全に同意」と深く、静かに深く頷くクロコ。新旧シロコの寸分の狂いもないシンクロした双子の視線が、容赦なくホシノの全身に突き刺さる

 

「そうですね〜。ホシノ先輩、あの時も、その前の時も……一体何回、私たちに内緒で無茶な単独行動をやったのでしょうね〜?」

 

ノノミに至っては、いつもの眩しいほどのひまわりのようなニコニコ笑顔を崩さないまま、その背後に底知れない暗黒の圧力を盛大に漂わせながら、上品に小首を傾げている

 

「酷い! みんなして寄ってたかって、いたいけで、か弱きおじさんを虐めるんだー! おじさんはもう悲しくて涙が出ちゃうよー!」

 

ホシノがオーバーに頭を抱えて大仰に叫ぶも、アヤネは「はぁ」と冷淡なため息を一つ吐き出し、「では皆さん、よろしくお願いしますね」という事務的かつ無情な一言で、彼女の盛大な抗議を綺麗にシャットアウトして解散を宣言した

 

「それじゃあ……おじさんはとりあえず、普段は一般の人通りが全くないような、砂に埋もれた廃ビル街や崩落した路地裏のエリアを、足を使って泥臭く漁ってみようかな。そういう寂しい場所の方が、コソコソ隠れる不審者や不法占拠の連中を見つけやすいしね」

 

ホシノがいつもの愛銃を肩に担ぎ直しながらそう言うと、すかさずノノミが隣から綺麗に整えられた指先を挙げた

 

「でしたら、私とシロコちゃんで、まだ人が残っているアビドスの商店街や『柴関ラーメン』の周辺の聞き込みを見て回りますね。大将にも何か変わった様子がなかったか、セリカちゃんの最近の様子も含めてもう一度詳しく聞いてみます」

 

「ん……だったら私は、そこら辺のブラックマーケットの境界線に屯している、カタギじゃないヘルメット団どもを、片っ端から力ずくで締め上げて吐かせてみる。あいつらのゴミみたいな戦闘力じゃ、セリカを無傷で制圧できるとは到底思えないけれど……何か、裏社会に流れている不穏な噂や情報くらいは持っているかもしれない。ん、即座に実力行使」

 

クロコが冷徹に、けれど確実な殺気を拳に込めながらドスの効いた声でそう呟くと、その恐ろしい言葉を聞いたシロコの水色の瞳がパッと輝いた

 

「……ん。私も、地道な商店街の聞き込みより、そっちの不届きなヘルメット団を物理的に分からせる方が性分に合ってるかも。クロコ、私もそっちの拷問調査に付いていって──」

 

「シ・ロ・コ・ちゃん? 私たちは『真面目な聞き込み調査』ですよ〜? まさか、私一人にそんな大変な役回りをすべてさせるつもりですか〜……?」

 

「ん…(諦め)」

 

ガサゴソと嬉しそうにドローンや対人爆弾の準備を始めようとしたシロコだったが、背後から音もなく現れたノノミによって、満面の笑顔のまま無言で制服の首根っこをヒョイと子猫のように引っ掴まれた

 

シロコは抵抗する間もなく、ズルズルと靴を鳴らして床を引きずられるようにして、教室の外へと連れていかれてしまう

 

「ふふ。……それでは、私はここで防犯カメラの過去映像のノイズ解析と、シャーレからの新しい共有情報がないかを、引き続きシステム側から調べてみますね」

 

アヤネは少しだけ表情を和らげると、すぐに自身のデスクへと戻り、真剣なプロの目付きでタブレットの高速タッチ操作を開始した

 

パタパタと響く心地よいキーボードの音。その音を聞きながら、クロコは最後に、一歩先に出入り口のドアへと向かっていた最上級生の背中を見つめた

 

「それじゃあ、ホシノ先輩。……アヤネに今あれだけ釘を刺された通り、絶対に無理だけはしないでね」

 

「あはは、分かってるって。クロコちゃんこそ、不良たちを相手にする時はあんまり無茶しちゃダメだよ〜?」

 

ホシノは振り返り、いつものようにひらひらと頼りなく手を振ってみせたが、その長い前髪の奥、オッドアイの瞳の底に揺らめく怒りの炎は、誰よりも熱く、そして鋭かった

 

クロコもまた、小さく「ん」とだけ返し、黒いロードバイクを引きに、重い決意を胸に秘めて静かに教室を後にした

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