3月初旬。
洛北の会員制ホテル。
普段は政財界人や旧家しか利用しない非公開施設。
その最上階大会議室〈瑞雲の間〉で、十師族選定会議が行われる。
重厚な楕円卓には、現十師族当主たちが並んでいた。
「――それでは、議題に入ります」
進行役の声が響く。
空気は重かった。
霞ヶ浦事故。
百済家断絶。
そして、事故後に露呈した各家の思惑。
それらすべての“後始末”が、未だに終わっていない。
「現十師族・一色家に対し、参加資格の剥奪を提案する」
静まり返る会場。
一色継臣は、ゆっくりと目を細めた。
「……理由を伺おうか」
声は冷静だった。
だが、その奥には硬質な圧力が滲んでいる。
発言したのは、九島真言だった。
「霞ヶ浦事故における政治対応だ」
「事故そのものではありません」
と、六塚温子が補足する。
「問題視されているのは、事故後の処理です。一色家は百済家を切り捨て、責任を押し付ける形で収束を図った」
「結果として、百済家は事実上断絶」
七草弘一も淡々と続ける。
「そして現在も、社会不安は収まっていない」
「……馬鹿馬鹿しい」
継臣が低く吐き捨てた。
「百済家の断絶は、あの事故だけで説明できることではない。少なくとも、一色家だけを断罪する話ではないはずだが」
「だが、民衆はそう受け取らなかった」
十文字和樹の重い声が響く。
「“十師族は都合が悪くなれば同胞すら見捨てる”。そういう印象を与えた」
「感情論だな」
「政治とは感情だよ、一色殿」
四葉真夜が微笑む。
その瞬間、会場の温度がわずかに下がった気がした。
「……四葉殿」
「事故の本質が百済家に無かったことくらい、皆わかっているでしょう?」
真夜は優雅に脚を組み替える。
「けれど、“誰が責任を負ったように見えたか”は別問題です」
継臣は沈黙した。
理解していないわけではない。
霞ヶ浦事故の本質は、百済家単独で引き起こされたものではない。
政治、軍、十師族。
様々な思惑が絡み合った結果だ。
「……では、代替候補は」
継臣が感情を押し殺した声で問う。
答えたのは五輪勇海だった。
「一条家だ」
「四年ぶりの復帰となる」
九島真言が続ける。
「当主は、一条
会場後方の席。
そこに座っていた壮年の男が、静かに一礼した。
一条剛毅。
かつて十師族を務めた名門・一条家の当主。
一色家と同じく金沢を本拠とし、長年対立してきた家でもある。
「……なるほど」
継臣は短く笑った。
「最初から決まっていたわけだ」
「そう怒らないでほしい、一色殿」
七草弘一が肩を竦める。
「今回は“罰”というより、“鎮静化”が目的だ」
「世論対策か」
「それもある」
継臣はそれ以上、何も言わなかった。
反論しても覆らない。
既に根回しは終わっている。
だが。
理性では理解していても。
この日、一色家が失ったもの。
積み上げてきた威信。
向けられた非難。
そのすべての引き金となった存在――
百済龍。
百済家最後の嫡流。
あの少年の存在だけが、継臣の胸に静かな棘として残り続けた。
◇
同じ頃。
南海家本邸。
広い一室に、卒業式の映像が投影されていた。
『卒業生、起立――』
画面の向こうでは、小学校の卒業式が式が粛々と進んでいる。
祝辞、送辞、答辞。どれも滞りなく。
だが、その空気はこの部屋には届かない。
ソファに座る百済龍は、虚ろな目で映像を眺めていた。
「……龍くん」
隣に座る氷華が、小さく呼ぶ。
龍の視線が、わずかにだけ動く。
「……卒業式、だよ」
「…………」
「皆、制服似合ってる」
返事はない。
それでも氷華は、龍の隣に座り続ける。
少しでも、この世界につなぎ止めるために。
「お兄ちゃん……?」
龍はぼんやりと彼女を見た。
「……、…ょ………」
「うん、大丈夫。私、ここにいるから」
龍は答えない。
ただ、拒絶もしなかった。
氷華はそっと、龍の肩に寄り添う。
本来なら、大人たちに禁じられていた呼び名。
――お兄ちゃん。
最初は衝動だった。
那由他の空白を埋めたかった。
壊れていく龍を、引き留めたかった。
けれど今では、その呼び方は氷華自身の中に深く根付くようになっていた。
「お兄ちゃん」
もう、隠さない。
南海家の使用人たちも。
雅臣も。
母・冬華でさえ、何も言わなくなっていた。
誰もが理解していたからだ。
この少女だけが。
壊れてしまった少年を、まだ“こちら側”につなぎ止めているのだと。
「……お兄ちゃん」
氷華は静かに龍の手を握る。
彼を繋ぎ止めたい。
この世界に、もう一度戻してあげたい。
そのためなら、彼女は何度でも呼ぶ。
反抗ではない。
祈りだった。
失われてしまいそうな少年を、この世界へ留めるための。