2094年8月29日、深夜。
東京・一色家別邸。
「――失礼します、継臣様」
執務室へ駆け込んできた秘書役の男は、顔色を変えていた。
「霞ヶ浦駐屯地にて事故発生。防衛軍施設の一部が崩落したとの報せです」
一色継臣は、書類から視線を上げる。
「……被害は」
「現在確認中です。ただ――」
男は一瞬、言葉を詰まらせた。
「百済竜一郎氏、百済薫氏、そして百済龍氏が、現場に居合わせた可能性が高いと」
その瞬間、室内の空気が凍りついた。
「……百済家が?」
「はい」
継臣は沈黙した。
数秒。
いや、実際にはもっと短かったのかもしれない。
だが、秘書役の男は“判断が下るまでの時間”を異様に長く感じていた。
「――防衛軍には関与しない」
継臣は、淡々と言った。
「は……?」
「百済家との接触も断て。一色家は本件に一切関係していない。そう通達しろ」
秘書役の男が目を見開く。
「お、恐れながら……まだ詳細は――」
「詳細など問題ではない」
継臣の声音は冷たかった。
「防衛軍施設内の事故だ。しかも、あの百済龍が関わっている。軍が詳細を伏せている時点で、まともな案件ではない」
「ですが、百済家は我々と血縁関係に――」
「だからこそだ」
継臣は鋭く遮った。
「一色家まで巻き込まれるわけにはいかん」
低く、重い声だった。
「ただでさえ、
秘書役は押し黙る。
継臣は机に指を組み、静かに続けた。
「百済家との関係はここで切る」
「…………」
「必要なら、“以前から疎遠だった”という形に整えろ。記録も整理しておけ」
「……承知しました」
それは、一色家内部で協議された決定ではなかった。
当主・一色継臣による、完全な独断。
だが、その場で異を唱えられる者はいなかった。
◇
数日後。
石川県・金沢。
一色家本邸。
「……事故?」
一色
「兄さんたちが……?」
向かいに座る継臣は、無言だった。
「どういうことなの……? 防衛軍施設って……」
「詳細は伏せられている」
継臣は淡々と答える。
「軍機案件の可能性が高いそうだ」
「そんな……」
千景の指先が震える。
その隣では、中学二年生の
「お母さん……龍くんは……?」
陽菜がおそるおそる尋ねる。
だが、答えは返ってこない。
千景は唇を噛み締めたまま俯いていた。
「お父様」
今度は星菜が口を開く。
「龍くんたちのお見舞いには……行けないんですか?」
継臣の視線が娘へ向けられた。
「行かせん」
「……っ」
「今、一色家が百済家と接触するべきではない」
その言葉に、陽菜が小さく声を漏らす。
「そんな……でも、龍くんたち……」
「陽菜」
星菜が妹を制した。
けれど、彼女自身も納得しているわけではなかった。
土日になれば東京の別邸へ移り、そのまま百済家へ顔を出すことも珍しくない。
星菜と陽菜にとって、龍は“親戚の男の子”などという距離ではなかった。
幼い頃から何度も顔を合わせ、一緒に遊び、時には魔法の話を聞かせてもらった。
特に陽菜は、龍によく懐いていた。
「……龍くん、無事だよね?」
ぽつりと漏れた陽菜の声に、誰も答えられなかった。
千景は静かに目を伏せる。
継臣もまた、沈黙を崩さない。
ただ、その場にいた全員が理解していた。
――かつてのようには、もう戻れない。
その現実だけが、重く胸にのしかかっていた。